クリント・イーストウッドはいつも何も言わない。
全ての作品を観ているわけではないので確かなことは言えない。
昨年の「ジャージー・ボーイズ」も観ていない。
そんな僕に説得力はないが、クリント・イーストウッドは何も言わないように感じる。
それは「ミスティック・リバー」にしても
「ミリオンダラー・ベイビー」しても
「グラン・トリノ」にしてもそう。
あるのは我々に対する「問い」だけだ。
本作でも反戦のメッセージとして受けとられるようなセリフはない。
しかし、監督としてのメッセージは発している。
全く音楽の流れないエンドクレジットもメッセージのひとつだろう。
そして、「問い」への解は我々が持つべきものである。
いろんな解釈があると思う。絶賛する声もあれば非難する声もあるだろう。
映画を観た一人ひとりがその解を持てばいいのだ。
残念ながら僕はクリント・イーストウッドの「問い」に対して明確な「解」は持ち合わせていない。
厳密に言うのならば、「深い問い」に対して「深い解」は持っていない。
チープな答えならいくらでも話すことはできる。
しかし、求められるのはそんな事ではないと思う。
チープな解は失礼でしかない。だから僕は答えることができない。
もっともっと深く考えねばならないのだろう。
一体、何の話をしているんだ・・・。
どんな映画かさっぱり分からないじゃないか・・・。
と、このブログを読んで思われるかもしれない。
まあ、いつものことなので気にすることもないかもしれないけど(苦笑)。
少なくとも言えるのが、
クリント・イーストウッドの「問い」をできるだけ多くの人に感じてもらいたい。
今の日本の立場としても感じる必要があるかもしれない。
そんなことは思ったりもする。
あとひとつ、主役クリス・カイルを演じたブラッドリー・クーパーは
昨年、亡くなったロビン・ウィリアムスに似ている。
映画を観てそう感じたのは僕だけだろうか・・・。