これからも前向きに 名大社会長ブログ

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映画「愛に乱暴」

極端に描いているが、どこの家庭にも潜んでいる問題かもしれない。
問題をどう捉えるのかは難しい。

夫の不倫に対しての妻の不満なのか、
嫁姑の微妙な関係性なのか、
日々積もり積もったストレスなのか、
そもそも社会の息苦しさなのか、
多方面から解釈することは可能。
どの視点で観るか、誰の立場で観るかで解は異なる。

例えば小泉孝太郎演じる夫真守の立場。
妻に申し訳ないと思いながら取る行動は理解できないわけではない。
むしろああなってしまう可能性は高い。
家庭内での態度、重ねるウソ、とんだ言い訳。
どれも許されることではない。

しかし、自分が同じ立場だったら、どうだろう。
同じ行動を取らないとはいえない。
妻の立場からすれば悪いのは100%夫だが、反対側に立てば違う解が生まれる。

そんなことを考えると身につまされる辛い映画。
僕はグッと耐えながら観ていた。
ところが隣に座っているご老人はまるでコメディ映画を観ているように笑っていた。
そんな見方もできる。

それもこれも主役桃子を演じる江口のりこの力量。
常に彼女を追っかけるカメラに惑わされるが、
(これも巧みな演出)
彼女のうわべの表情と時折見せる本音の表情。
そのコントラスト。

妙に核心を突く小言。
その真っすぐさに好感を持つのではなく、なんとなく拒否反応を示してしまう。
元上司のようにかわし方を知っていれば問題はないが、
関係性の深い間柄ではそういうわけにはいかない。
気がついた時には修復不能の状態。

自分の逃げ場や救いどころはSNSになってしまうのか。
当初は不倫相手の投稿かと思ったが、1枚の写真でそうじゃないことが分かった。
自分の本音を晒しだせるのはSNSしかなかったのかも。
それもきっと息苦しさだし、結果的にあんな行動を生んだ。

多分、これまで書いた内容ではどんな映画かは分からない。
まあ、それでいい。
自分の眼て確かめることで何が大切なのかを解いてほしい。

夫婦は所詮他人。
完全に分かり合えることないと思う。
その中でお互い認め合う努力し、不満を最小限に抑える。
それも自然体を保ちながら・・・。
それがきっと幸せということ。

本作を観ながら昨年観た「波紋」を思い出した。
これも夫婦の微妙な関係を描いていた。

そして、最も大切なこと。
「ありがとう」と感謝を口にすること。

映画は多くを教えてくれる。

映画「ボストン1947」

シンプルに感動できる作品。
しがない若者が努力を積み重ね栄光を掴むドラマはよく存在する。
シチュエーションにより見せ方が変わるが、感動を呼ぶのは同じ。
似た類の作品は多い。

何が違うかといえば本作は実話を描いていること。
感動を呼び込もうとすれば、
大きな挫折の後により高い目標を成し遂げるドラマを描けば簡単。
さほど難しい作業ではない。

しかし、今や嘘くさい話に気持ちが揺れ動くことは少ない。
騙されなくなったのだ。
それが実話となると一変。
置かれた環境下での苦悩や努力に気持ちを持っていかれる。

人はシンプルな生き物。
そのシンプルさが大切だとも思う。
分かりやすく証明してくれるのが本作じゃないだろうか。

舞台は第2次世界大戦後の韓国。
この状況を描く場合、日本は必要以上に悪者。
まあ、その見方はある意味、モチベーションなので仕方ない。

1947年のボストンマラソンに、
“祖国の記録”を取り戻すために選手団を結成し、立ち向かう。
当時の朝鮮(南北分断前だしね)の置かれた状況や町並、生活を映し出す。

日本よりもアメリカ。
そことの関係性。
当時のアメリカ人は朝鮮がどこに位置するのかさえ知らなかった。
国としての存在も知られていなかった。

もちろん皮肉も入っているだろうが、どん底の状態から這い上がる。
だからこそ感動を生む。
誰が観ても同じ。

しかし、思ったほど日本ではヒットしないのか?
その前に観た「ソウルの春」はほぼ満席。
本作に関してはパラパラの観客。

映画館が違うといっても、
(それに本作を観たのはお値打ちなファーストデー)
これだけ差が出るのか。
ハッピーなドラマよりアンハッピーな方がウケるのか。
そんなことも感じてしまった。

監督は「シュリ」を撮ったカン・ジェギュ氏。
もっと調べた方がいいが、韓国映画が注目され始めたのは2000年公開の「シュリ」からじゃないか。
この作品から韓国映画が力をつけてきたように思える。

こんな作品が僕にも元気を与える。
負けてはいられない。
フルマラソンはもう参加しないつもりだったが、もう一度チャレンジするか。

なんだ、なんだ、感化されているじゃないか(笑)。

韓国映画から見る、激動の韓国近現代史

どこで見つけたかは忘れたが、気になり購入。
日本で映画研究を続ける韓国人著者が韓国映画についてまとめた。
韓国にとって重要な内容だが、韓国では出版しないのだろうか。
実に勿体ない。

最近、韓国映画を観る機会が増えた。
エンターテイメント性、社会性も日本が見習うべき点は多いと感じるが、
本書を読み、一層その思いは強くなった。

先日のブログ「夏休みは韓国だった」も本書で紹介された作品。
気になる作品をAmazonプライムで5本観たのだが、それでは不十分。
本書には合計44本の韓国映画が紹介されている。

5本以外に僕が観たのは「ミナリ」「KCIA 南山の部長たち」パラサイト 半地下の家族」
「バーニング 劇場版」「はちどり」「息もできない」「ベイビー・ブローカー」
32本は未鑑賞だが、すべて気になる。

単に面白そうというだけではない。
紹介された作品にはこれまで韓国が歩んできた実情が描かれている。
数本、観ただけでも激動の歴史を理解することができたし、
そこから生まれた価値観は到底日本人には理解しがたい。
映画を通して知れるのは貴重。

本書は4章に分かれている。
韓国と日本・アメリカ・北朝鮮
軍事独裁から見る韓国現代史
韓国を分断するものたち
韓国の”今”を考える 

各章に沿った44本になるが、すべて2000年以降の制作。
完全なフィクションは少なく、実話もしくはファクション。
娯楽作品に紛れがちだが、こんな作品を作り続けられるのも韓国映画の強さ。
娯楽の中に強烈な社会性もあるし・・・。

著者は韓国で生まれ育ち徴兵制を経て日本に留学。
その後、非常勤講師として韓国を含む東アジア映画を近代韓国史で教えている。
主観と客観を交え映画を題材に韓国の歴史を説明。
個人的にはとても興味深い書籍。
だからこそ一気に5本の映画を観てしまった。

但し、著者の見方が必ずしも正しいとはいえないと思う。
主観が強い面では必要以上に自国を非難しているのではないか。
大学を卒業しての就職時や徴兵での経験がそうさせているのかもしれない。
そんな感情面を抜きにしても本書は魅力的。

未鑑賞の32本は存在すら知らない作品が多い。
調べてみるとレビューは高かったり。
有料かはともかくほとんどの作品は観ることができる。
とても便利な時代。

映画館ファーストではあるが、時間をみつけては観ていきたい。
映画コラムニストとしても勉強をさせてもらいました。

明日も韓国映画のブログだし(笑)。

映画「ラストマイル」

TVドラマはほとんど観ない。
今年は大河ドラマ「光る君へ」と「不適切にも程がある」くらい。
ドラマに関しての知識は少ない。

本作についても情報不足。
言い訳するつもりはないが、なぜ、こんな豪華俳優陣なんだ・・・と不思議に思っていた。
「アンナチュラル」の石原さとみ、井浦新、窪田正孝らが出演し、
「MIU404」の綾野剛、星野源らが出演。
塚原あゆ子監督はよほど人望があるのかな。

こうした映画製作も新しいカタチになったりして。
いい意味でエンターテイメント。
作品全体としてもジャパニーズエンターテイメントといっていいのではないか。
娯楽要素が強い中にしっかりと社会性が含まれる。
日本映画が韓国映画に負けないにはこうした手法で勝負するのもいい。
そんなことを感じた。

僕の中でAmazonは生活の一部。
(本作はAmazonが舞台じゃないが・・・)
今や欠かせない存在。
便利なサービスは当たり前になっているが、
一方で人を苦しめる存在になっているのは容易に想像できる。
300円の商品を購入しても無料で届く。
本来は当たり前じゃないはず。
ビジネス誌等で知る背景をこうして映像で見せられるとゾッとする。

「ブラックフライデー」の現場はきっとあんな感じ。
勤務する人もあのような勤怠管理がされているのだろう。
労働環境を垣間見れただけでも本作を観た価値はある。
同時に便利さを求める結果がもたらす不幸に反省もしたり。

企業理念に基づき働くことが大切だが解釈を誤ると、
いや、拡大解釈すると恐ろしいことにもなる。
ミッションというべきワードは上手く作られていたが、縛られすぎると最悪の事態を招く。
会社経営者の理想がどう世の中と繋がるかを再考する必要もあるのかな。

薄幸代表の女優だった満島ひかりもすっかりイメージが変わった。
硬い演技も柔らかい演技も両方できる。
笑いもとれる。
10年前と比較するとかなり成長した女優さん。
岡田将生はいつもと同じ感じで悪くない。

話題性もあり面白い作品なので、僕がとやかくいう必要もない。
本作は大学生が観るべきじゃないか。
業界研究の一環として観るのもいい。
今月から始まる大学の授業でも取り上げてみようと思う。

映画「ぼくの家族と祖国の戦争」

第二次世界大戦を描く映画は多い。
国内だけに目を向けると敗戦国で多くの方が亡くなった悲惨な戦争として描かれる。
どうしても自分たちが中心でそれが世界と勘違いしがち。

当たり前だが戦争の被害は全世界。
敵も味方もない。
敗戦国でも戦勝国でも多くの人が不幸に陥る。
大半は一般市民で直接戦争に関わっていない人ばかり。
余計に悲しくなる。

事実を知ることで戦争や紛争が収まればいいが、その気配がないのが現実。
この類の作品に触れる度にどこかの大統領や首相は映画を観るべきだと思う。

本作は1945年、第二次世界大戦のドイツによる占領末期のデンマークが舞台。
実話がベースだという。
占領下といってもドイツの敗戦は濃厚。
デンマークにドイツからの難民が押し寄せたことで事件が起きる。

一人の少年の目線でドラマは進むが、その揺れ動く気持ちや姿勢が戦争の悲惨さを伝える。
教育された環境でいえばドイツは敵。
親が敵国の病人を救おうとしても態度は変わらない。

しかし、あることがキッカケに気持ちは揺れ始める。
人本来が持つ優しさかもしれないし、かすかな恋愛感情かもしれない。
子供らしさ=人間らしさ。

自分の立場や恨みを正当化する大人との違いをまざまざと見せつけられる。
当たり前の行動をした父親も権力には逆らえない。
自分の意志を曲げて尽くさなければならない。
素直な子供の感情を親は理解し受け入れる。

本当の正しさは何なのか。
僕らは少年の行動から教えてもらう。
シンプルにいえばそんな作品。

作品は少年セアンを演じたラッセ・ピーター・ラーセンに尽きる。
微妙に変化していく自分の感情を見事に演じていた。
もっとわざとらしい演技ならここまで感情移入はなかった。

本作はデンマーク作品。
いくつかの国との合作は何度も観ているが、単独の映画は数少ない。
「アナザーラウンド」以来。
過去観た合作「青いカフタンの仕立て屋」「ある人質 生還までの398日」もインパクトは強かった。
いい映画を製作する国なんだね。

他国から戦争の悲惨さを学ぶことも大切。
感動的な人間ドラマだが、その事実を知れたのは良かった。

映画「ソウルの春」

韓国映画は実話をベースにした作品が多い。
映画化できるような大きな事件が頻繁に起こる国ともいえる。
実話を基にした日本映画に物足りなさを感じるのは製作側の問題ではなく、日本が平和である証。
どっちの国に住みたいかといえば、やはり日本。

本作は「粛軍クーデター」「12.12軍事反乱」と呼ばれる韓国民主主義の存亡を揺るがした事件がベース。
いわゆるファクションだが、ほぼ現実に近いようだ。
この事件の前には「KCIA 南山の部長たち」であり、事件後は「タクシー運転手 約束は海を越えて」
次から次への世の中を驚かす事件が起きる。

真正面から描けば国を非難することになる。
それを恐れず向かう姿は賞賛すべき。
日本ならきっと忖度が生じるだろうし。

エンドロールから本作の登場人物が誰を指すかは一目瞭然。
僕でさえもヤツが彼なんだと理解できる。
ネタバレしないように名前は伏せるが、それが判明した時は「う~む」と唸る。
実際の大統領だし・・・。

本作が描くのは1979年12月の数日間。
民主化を目指す韓国で新たな独裁者を狙う陸軍司令官がクーデターを起こす。
それを守ろうとする首都警備司令官との攻防がスリリングに描かれる。
どちらが正義でどちらが悪かはいうまでもない。
しかし、悪からすれば自分たちが正義。

これがフィクションなら最後は正義が勝利しハッピーエンドという流れ。
事実は簡単ではない。
理想通り進むことは少ない。
正しさが通用しないのが現実なのかもしれない。
それを観るだけでも十分な価値はあるし、歴史を学ぶことは可能。

もう一つ僕が感じたのはリーダーの在り方。
リーダーの判断やリーダーシップの発揮の仕方で勝負の明暗は分かれる。
そしていつも邪魔するのは自己保身に走るリーダー。
大局的な見方はできず、自分の立場や権力を中心に判断を下す。
ヒエラルキーがある以上、従わざるを得ない。

そんな点ではクーデターを起こした司令官チョン・ドゥグァンに軍配が上がる。
独裁的だが人の掌握術には長け、いざという時には迷わず突き進む。
その存在感に圧倒される。

役者は誰かと思っていたらファン・ジョンミン。
一昨年「人質 韓国トップスター誘拐事件」「ただ悪より救いたまえ」を鑑賞したが、
同じ俳優とは思えない。
役作りに要した時間は相当で、実在する本人も相当研究したのだろう。
正義の味方が正統派すぎて、余計にそんなことを感じたのかもしれない。

本作は韓国では1300万人以上の観客動員を記録した大ヒット作という。
4人に1人は観たというから相当なもの。
本作から反面教師的に学ぶ若者が多いと喜ばしい。
それは日本でも同じだけど。

映画「ブルーピリオド」

好きなものに出会うことができ、それに向かってひたすら努力を繰り返す。
そんな生き方ができるのはどれだけシアワセか。
苦労や苦悩、挫折や落胆も伴うが、それを上回る情熱で乗り越えていく。

その姿は清々しく、いい歳のオッサンも純粋に熱くなり応援したくなる。
こんな青春を送ることができるのなら、もう一度、高校生に戻りたい。
とモヤモヤの高校時代を思い出してしまった。

主人公矢口八虎が夢中となる美術に出会うのは偶然だ。
たまたま見た絵に感動し興味を持ち始める。
まさにクランボルツの計画的偶発性理論。
「偶然の出会いは人のキャリアに大きな影響を及ぼし、かつ望ましいことである」
といえる。

八虎は好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心をぐるぐる回す。
楽観性は少ないが、ひとつでも欠けたら彼の人生はまた大きく変わっていたに違いない。
特に持続性と冒険心は凄まじい。
もちろんフィクションなので、なんとでもなる世界。

しかし、本作を観て勇気づけられた人は多いんじゃないのかな。
最近、熱さがなくなっている自分に渇を入れられた感じ。
この歳でそんな熱さは不要だろうけど。

僕も絵を見るのは好きだ。
ちょくちょく美術館にも出掛ける。
ただ「へ~」と感心しても、心が揺さぶられることはない。
感受性が足りなさだが、繰り返し繰り返し見ることで鍛えられるとも思っている。
まだ、量が足りないということ。
もっと経験しないと力が備わることはない。
ストーリーとは関係ない点でそんなことを感じた。

本作は高校2年生の八虎が東京藝術大学を受験するまでの1年半を描く。
東京藝大の受験があんなふうに行われるとは知らなかった。
合格率が200倍ということも・・・。

そこに向かって描き続ける受験生は映画の通りなんだろう。
芸大に進んでも食えないといわれるが、
ひとつの分野にあれだけ集中し努力し続けられるのなら、その分野でなくても食っていける。
社会ニーズは間違いなく存在する。

石田ひかり演じる母親の気持ちも理解できるが、
そこは安心してほしいと外野からでも言いたくなる。
お互いに自分の想いを伝えることは大切なわけね。

矢虎を演じた眞栄田郷敦の派手さのない演技もよかった。
喜怒哀楽もあれくらいの方がリアル。
先生役の薬師丸ひろ子も軽さの中の重い言葉も沁みた。

青春映画とか、漫画が原作とか、避けがちなジャンルだが反省。
本作を観て先入観は邪魔だとつくづく感じた。
これも偶然の出会いだね。

コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート

「この本には僕が感じていたことが全部書いてあります。」
と紹介されたのが本書。
懇意にする元経営者が紹介してくれた。
その方は今はフリーランス。

東京で5店舗ほどレストランを経営していたが、昨年に事業を断念された。
彼の考え方や生き方を見る限り見習う点が多い優秀な方。
順調に伸びていた事業もコロナの影響で売上がなくなり、
いろんな策を講じてきたが、結果的には会社を閉じることになった。

言葉には出せない悔しい思いは相当だろう。
同じような経験をされている方は多い。
うちの会社もコロナの影響は大きく受けた。
会社を潰すことはないが、業績は悪化し大赤字も経験。
リーマンショックとは異なる辛さを味わうことにもなった。
自分を犠牲者というつもりはないが、
コロナ禍の社会的対応はいかがかと思う点も多かった。

そんな点でも本書には共感。
紹介してくれた方と同じ思い。

どんな表現が正しいかは分からないが、コロナの対応に関しては僕も加害者の一人かもしれない。
自分かコロナに罹ったという低次元の話ではない。
同調圧力に屈したというか、世の流れにそのまま従ったという点での加害者。

著者のいう「和をもって極端となす」というのが適切な表現。
パニックを鎮静化させるために極端な対策がダラダラと行われた事実。
それに対し疑問を持ちながらも反発する行動は取らなかった。

もちろん会社を守る側として世間から非難を浴びる行動は取らない。
しかし、勇気がないせいで流された。
地味に地道に続けてきた結果、レベル以上の回復もしたので全否定はしないが反省点は多い。
僕の寿命が短くなったのも事実。

今、思うと無責任の集団の力が責任ある者を潰した。
そんなことさえ感じる。
事業を守る、人を守る。
想いのある責任感の強い人がなんとなく正義をかざす無責任な人に叩かれたような・・・。

また、本書で指摘しているのが「気の緩み」。
気の緩みがコロナ感染症を増大させたというは、本当かという疑問。
そもそも「気の緩み」とは何か。

県を跨いで行動することが気の緩みなのか、
たまたまマスクをしていなかったら気の緩みとしてバッシングを受けるのか。
人類学者らしい視点で指摘しその行動を分析されている。

そして、名誉心と虚栄心という言葉で上手くまとめられる。
名誉心を装った虚栄心が生み出す言葉がSNSの時代に大きく影響したと。
なるほど、そんな言葉に僕も少なからず影響を受けていたわけだ。
反省・・・。

少し前に尾身先生の書籍も読んだ。

その苦労も十分理解はできる。

感染症拡大のケースは今後も考えられるだろう。
その時に自分の頭でどう考えることができるか。
今回のコロナをケーススタディとして捉えられるといい。
実際はイヤだけどね。

夏休みは韓国だった

今年の夏季休暇は9連休。
ほとんど予定がなく、かなりヒマな休暇だった。
あまりの暑さに遠出する気にもなれず。
その分、映画館に通えばよかったが、観たい作品が少ない。

そんな状況なので、思い切って韓国へ。
旅行したわけではなく、集中的に韓国映画。
「韓国映画から見る、激動の韓国近現代史」で紹介され、
気になる作品をAmazonプライムで立て続けに観た。
本書に関しては改めてブログに書きたい。

一昨年あたりから韓国映画を観る機会が増えた。
優秀な作品は多く、切り口は日本映画が学ぶべき。
そして多いのは実話を基にした作品。
もしくは「ファクション」と呼ばれる歴史的事実に想像力によるフィクションを加えた作品。

観た作品を時系列的に並べると韓国の歴史的背景が理解できる。
日本や北朝鮮、アメリカに対してネガティブなニュースも映画を通して納得できたり・・・。
簡単に映画を紹介していこう。

金子文子と朴烈(パクヨル)

大正時代に実在した無政府主義者朴烈と日本人女性金子文子の関係を描いた社会派ドラマ。
ほぼ実話。
舞台は関東大震災後の東京で、朝鮮人に対しての無差別な虐待を描く。
昨年観た「福田村事件」と同時期で、その酷い行為は明らか。
当時の日本と朝鮮の関係性から日本への批判が鮮明に映る。
そりゃ恨みを持つよね。

マルモイ ことばあつめ

舞台は1940年代の日本統治下の朝鮮半島。
朝鮮人の言語を強制的に日本語に変えさせた時期。
母国語を守るために全国の言葉や方言を集め辞典にするための行動を描く。
史実を基に作られたフィクション。
いわゆるファクション。

日本人から見た朝鮮人と朝鮮人から見た日本人が異なるのは当然。
日本語を強要する姿を批判的に映す。
それを天皇が押し進めたとは思わないが、日本の大義はそれ。
この作品を観れば日本に対して恨みを持たないのがおかしい。
感情的な面を除いても、当時の置かれた状況を上手く表現し、母国語の大切さを教えてくれる。
韓国映画らしいラストは社会派ドラマだけでは終わらない。

高地戦

1953年、停戦協議に入った朝鮮戦争を描く。
停戦協議は2年以上に及び、南北の境界線に立つ兵士は国に不信感を抱きながら戦い続ける。
少しでも多くの領土を奪うことを目的に戦うのだが、
韓国、北朝鮮双方の身勝手さに前線の兵士は疲弊する。
そこにアメリカの圧力が加わって・・・。
表面的にしか知らない朝鮮戦争の実態を知れた。
終盤はかなりショック。
これも実話に近いんじゃないだろうか。

タクシー運転手 約束は海を越えて

公開当初は見逃した。
こちらも実話。
1980年に起きた光州事件を描く。
恥ずかしながら僕は事件名のみで実態は知らず。
韓国史上最悪の虐殺事件と言われているが、
当時の政権が権力を振りかざした行動は日本では考えられない。
韓国の政権の闇はどこまでも続くがその象徴ともいえそう。

本作は光州事件を報道したドイツ人記者とタクシー運転手の交流を描く感動作だが、
裏側にある痛烈なメッセージを忘れてはいけない。

グエムル 漢江の怪物

舞台は2002年~2006年のソウル。
付近を流れる漢江で突如現れる怪物に娘を奪われた父親の死闘を描く。
一般的にはモンスターパニック映画のジャンル。
しかし、そこに留まらない韓国の実情が表現されている。

実話でもファクションでもないが、アメリカの意志に翻弄される姿はリアル。
監督は「パラサイト 半地下の家族」のポン・ジュノ。
韓国社会を面白おかしく、かつ痛烈な皮肉で魅せることのできる監督。

夏休みはこの5本だが、歴史を追いながら観ることで事実を知れたのは大きい。
それを堂々を撮れる韓国映画界の力強さには唸る。
(規制が激しい時代もあったようだが)
政権ネタ、外交ネタがそれだけ多いというのは辛い歴史でもあるが。

それだけ日本が平和なのか、勇気がないのか。
この違いが実力差に繋がる。

これからも韓国映画から学ぶことは増えそうだ。

映画「ボレロ 永遠の旋律」

音楽は好きだが疎い。
80年代の洋楽や邦楽はある程度の知識はあるが、
クラシックとかバレエ曲となると音楽の授業で習った程度。

曲を聴けば「あ~、あれね」とはなるが、作曲家も曲名も当てられない。
「ボレロ」もそう。
イントロを聴いただけでどんな曲かは分かるが、
作曲家も知らなければ、どんな場面で使われるのかも分からない。
映画館はいかにも音楽をやってそうな観客(勝手にそう見えただけ?)が多かった。

8月は意外と観たい映画が少ない。
子供向けや超娯楽作が多く、時間がある割には映画館に足が向かない。
そんな中で気持ちが動いたのが本作。
最近、フランス映画を観る機会が増えたが、本作もらしさを感じさせる。
凝った衣装を見るだけでもその気にさせる。

舞台は1920年代のパリ。
名曲といわれる「ボレロ」を作曲したモーリス・ラヴェルの生涯を描く。
「ボレロ」の誕生秘話的な要素が強いが、華やかな世界の裏側にある苦悩が中心。

モーリス・ラヴェルだけなのか、当時のフランス人がそうなのか、とてもお洒落。
どんな場所でもネクタイを締め、指揮するにも靴が気に入らなければ行動しない。
女性と戯れる時も服は脱がない。

温暖化が進む現代(ちょっと極端な例か)ではかなり厳しい服装。
細部までこだわる姿が創造力豊かな才能のようにも思える。
と同時に、何かに取りつかれたような拘りに苦しさを感じる。

ノー天気な性格では芸術家にはなれない。
ストイックであり禁欲であり完璧主義じゃないと素晴らしい音楽は生み出せない。
苦しんでいるような一生のように思えるが、彼には普通の生活。
やはり僕には無縁の世界(笑)。

ラヴェルを取り囲む環境を眺めると当時の音楽界や社交界がよく分かる。
どう評価されるか、どう表現するか、自己矛盾と戦うか、
ひとつの作品が一人の人生を左右する。

当時の最大で贅沢な娯楽がこの分野だといえるのだろう。
時には自分が知らない世界を見ることは必要。
音楽の素晴らしさもそうだが、一人の歴史を学ばせてもらった。

今も頭の中にボレロが流れている。