これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「茶飲友達」

映画は渡辺哲で始まり、渡辺哲で終わる。
彼で思い出されるのは、ドラマ「ハゲタカ」。
(またか・・・)
銀行から借りた200万円を返済することができず、自ら命を絶った町工場経営者。
主役鷲津政彦の人生を変えた重要人物。
鷲津にビールを渡す時の屈託のない笑顔は人間らしさがにじみ出ていた。

人間らしさが出ていたといえば本作もそう。
希望を失くした老人が「茶飲友達」を作ることで、明日への活力が芽生える。
ラストシーンはなんともせつない。

人の幸せは一体何なのか。
その行為は本当に許されないことなのか。
そんなことを考えると苦しくなってしまった。

本作は高齢者売春クラブを描いた人間ドラマ。
2013年に摘発された事件を元に制作されたという。
日本では違法行為であるのは間違いない。
表面的に捉えれば老人を相手に巧みに売春組織を作る女性経営者の物語だが、単純ではない。

老人の性がテーマだが、そこは奥深い。
奥さんに先立たれた老人や一人暮らしの老人が寂しさを埋めるために出会いを求める。
至極真っ当な話に思える。

勇気ある老人ならゲートボールでもラジオ体操でも老人ホームでも積極的な行動に出るだろう。
果たしてそれは間違った行動か。
僕らは自分勝手に正しい年寄り像を作っているにすぎない。

それに協力する女性も同様。
その仕事が励みとなり、若返る。
少なくとも映画の中の高齢女性は輝いていた。

主役マナが唱えるこれから必要な新しい世界。
都合のいい論理であるが、生きがいの提供であったのも否定しない。
冒頭の渡辺哲の表情が全て。

本作はいずれ老人となる身として自分事と捉えた。
仮に奥さんに先立たれ、子供も縁遠くなったら、僕は一人でどうするだろう。
茶飲友達に頼らざるを得ない場面があるかもしれない。
恐ろしくはあるが、可能性がないわけではない。
最後の最後は孤独は耐えられないかも・・・。

主役マナを演じるのは岡本玲。
いろんなところで目にする女優だが、しっかり観たのは初めて。
綺麗だけではない。
せつなさも優しさも、そして裏がありそうでなさそうな笑顔。
上手く演じている。
自分の理想を作り上げようともがく姿も。

映画を観て、ハッピーになるのは難しい。
しかし、ハッピーになるためにどう生きるか、
家族はどうあるべきか、考えさせてくれる。

今月中で休館となる名演小劇場で最後に観ることができてよかった。
劇場にも作品にも感謝!
ありがとうございました。

限りある時間の使い方

本書は、
「生産性とは、罠なのだ」
「人類の歴史上、いわゆる「ワークライフバランス」を実現した人なんか誰もいない」
と正しいと思われてきたことの完全否定からスタートする。

時間の効率化を最優先に進めてきた者にはいきなりハンマーで殴られた感じ。
それは僕も同じかもしれない。
いつもボーっとしていると思われがちだが、僕は結構、時間にうるさい。
ヒマでよだれを垂らしながらも、効率を常に求めていたりする。

エスカレーターでじっと立っているのも我慢できない。
その時間が勿体なく右側を歩く。
そんな行為こそが正しいと思っていた。

しかし、それは完全な独りよがり。
名古屋市は条例でエスカレーターは立ち止まって利用することを義務付ける。
事故防止が目的だが、それも時代の流れ。
車の運転でも家人によく叱られる。
スピードを出し過ぎだと・・・。
少しでも早く到達したい気持ちがこれまでは強かった。

だが、僕自身も少しずつ変わってきていると感じる。
5年前なら本書の内容を受け入れることはできなかった。

それが今は概ね理解できるようになった。
今でも生き急ぐ面はなくはないが、時間に対しては穏やかになってきた。
歳を取ったせいもあるが、立場がそうさせたともいえる。
いくらもがいたところで自分の思うようにいかないことがほとんど。

本書はこれまで抱えていた価値観に対して、グイグイと迫る。
それは脅迫ではなく寛容が迫ってくるイメージ。
僕と同じ感覚に包まれているビジネスマンは多いんじゃないかな。

仕事だけでなく休みも充実させなきゃと貧乏性の僕は自分に言い聞かせてきた。
いかに無駄な時間を作らないか・・・。

しかし、著者は180度異なることをいう。
余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄に過ごさない唯一の方法。
何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。
将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。

そんなことを強調している。
頭では理解出来ても、体がついていかない面はあるが、徐々にそうしていくのも間違いではない。
自分の中では、これまで結構なスピードで走ってきたので、
(えっ、全然、遅い?)
そんな時間もいいのかなと思ってしまう。

自分を許してあげることも必要かもね。
本書を読むことで時間に対する考え方が徐々に変化するが分かってきた。
まだ古い価値観に囚われる自分はいるんだけど・・・。

映画「ワース 命の値段」

今でもその映像を鮮明に記憶している。
2001 年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。
誰しも同じ感想だと思うが、映画のワンシーンだと錯覚。

ビルに突っ込む旅客機と崩れ落ちるビル。
そして逃げ惑う人、人、人。
リアルな世界で起きた事実を受け止めるには時間を要した。
中東で起きる戦闘や事件はどうしても他人事と捉えがち。
ビジネスで見たことのある風景が目の前に迫ると急に現実的になる。

人間は自分勝手。
自分のいいようにしか解釈しない。

同時進行の事実が映画化される。
少し前まではそんなことはなかった。
実話を描いても僕の認識が遥か遠い作品がほとんど。
昔を描く作品だった。

今の20歳からすれば本作も同様だが、今や自分が見たこと、聞いたことが映画化される。
現実がより迫ってくる。
そして僕らはその現実が一部分でしかないこを後で思い知らされる。

この事件では7000名の方が被害者。
それぞれに背景があり、何事にも代えがたい辛い事実。
僕らは知る由もない。

本作のテーマである補償基金プログラムもそう。
実態に目を向けることはない。
映画はそれを教えてくれる。

個々の補償額の違いを主観的に受け入れるのは難しい。
客観的な視点で算出方法を導き出し、値段をつける。
仕事としては間違いではない。
倫理的に捉えればそうなるのはやむを得ない。
しかし・・・。

映画は特別管理人を任された弁護士を通して、人間の価値を探っていく。
将来有望と勝手に高く算出された人もパートタイマーで低く見積もられた人も同じ人間。
差をつけることがどうしてできようか。

家族を養わなきゃいけない人、
これからパートナーと新たな生活を始める人にどう向き合うか。
特別管財人は逃げることはできない。

ここに存在するのは全て被害者。
辛さ以外に何もない。
希望を見出すとすれば、人の尊厳、価値を明確にすることだけ。
事実は悲劇を生み出すが、逃げ出さないことで悲劇は最小限に収まる。
そんなことかもしれない。

主役ファインバーグ弁護士を演じるのはマイケルキートン。
「バットマン」も「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」も張りがあり溌溂していた。
本作はとても疲れている。
もう70歳過ぎだし仕方ない。
むしろ役を完璧にこなしている証。
その表情がこの事件の悲惨さを物語ってた。

仮に自分がこの立場だとしたら、この仕事はやりたくない。
しかし、彼はこの後もそんな仕事ばかり引き受ける。
自分の使命かのように。

きっとこんな仕事ない方がいいと願いながら・・・。
それは僕の想像に過ぎないけどね。

映画評論仲間との課題作でした。

映画「湯道」

「ゆどう」をPCで入力しても「湯道」とは変換されない。
華道、茶道とは明らかに異なる。
しかし、映画の中では湯の道は存在し、確固たる考えがある。
その考えも時代と共にも変化していくが・・・。

とマジメに語ること自体、あまり意味がない。
むしろ変換されない「湯道」がいずれ変換されるよう定着し安心材料になればいいこと。
近い将来じゃないのかな。
そうなると原作者小山薫堂氏も力を入れた甲斐もあるわけね。

僕は風呂好きだが、そこまででもない。
温泉も人並み。
サウナーでもない。
銭湯へは昨年4月にぎふ清流マラソン後に行ったくらい。
スーパー銭湯は行っても街の銭湯は行く機会もない。

本作は当初、僕の映画鑑賞リストには入っていなかった。
しかし、本作をモーレツに勧める経営者仲間がいて、文庫本とチラシと特製手拭いをくれた。

津市にあるおぼろタオルさんね。
ここのタオルは本当にいい。
ぜひ、使ってもらいたい。

それはさておきそこまでプッシュされて観ないわけにはいかない。
人のおススメは素直に従った方がいい。

とても心温まる映画。
きっとキネマ旬報の年間ベストテンには入らない。
興行収入もそこそこだろう。
超優秀作でもなければ超話題作でもない。

それでもこんな作品が日本映画には必要。
いつ時代にもその時々に大切な作品がある。
「湯道」がまさにそう。

物語は単純。
亡き父親が遺した銭湯を畳むか営業を続けるか、そんな話。
そこに銭湯に通う多くのお客さんが絡み合う。
お客さんにも小さなドラマがあり、銭湯の存在がカギとなる。
その中でもお風呂で歌う「上を向いて歩こう」には、ついホロっときてしまった。
いいね、あんな感じの人間ドラマも・・・。

銭湯を舞台にしているだけ裸のシーンが多い。
さすがに女優陣のシーンはないが、男優陣はまあまあ露出される。
総じて美しい。
見事な体格をしている。
主役である生田斗真や濱田岳は想像できるが、厚切りジェイソンがあんな筋肉質とは・・・。
どうでもいいところで感動してしまった。

本作を観るとなぜか銭湯に行きたくなる。
ビール派の僕でもコーヒー牛乳が飲みたくなる。

たまには人の温かさを描くほのぼのとした映画もいい。
おススメ、ありがとうございました。

映画「シャイロックの子供たち」

池井戸作品の映画化はほとんど観ている。
これまでは半沢直樹的よりも社会性の強い作品が多かったので興味をそそられた。
ドラマ半沢直樹も欠かさず観ていたが、映画までは・・・というのが正直な想い。

そんな意味では娯楽性の高い本作は迷っていた。
しかし、映画評論仲間の推しもあり、映画館に足を運んだ。
やはり人気があるのか、結構混んでいた。

予告編も上手く作ってあったし、
阿部サダヲは宣伝も達者なので、
いい効果が表れていると思う。
本作もロングランになるのか・・・。

ひと言でいえば阿部サダヲは阿部サダヲ。
キムタクはどんな作品でもキムタクだと言われるが、阿部サダヲも同じ。
どんな役柄でも彼の軽快な魅力が発揮される。

キムタクと違う点はその役柄の人格が阿部サダヲになる。
この意味、通じるかな?(笑)。
セリフではセリフではなく、彼の発する言葉。
そんなふうに感じてしまう。

映画の舞台は池井戸作品のド定番の銀行。
必ず悪役が登場する。
それを倒す正義が現れる。

それもド定番。
誰が正義で誰が悪役かは映画を観てもらえば分かるので割愛。
大体、想像はつくかな・・・。

映画を観ながら思ったこと。
未だに銀行の職場環境はあんな昭和チックなんだろうか。
営業会議での詰め方もその対処法も旧態依然。

実際、今もこんな感じなら銀行はかなり古い体質。
失礼な言い方になるが、今も古い体質だとは思う。
ただ未だにこれはないだろうと思ってしまう。

就活生が見たら、銀行を志望するのは止める。
イメージは悪い。
杉本哲太扮する副支店長なんて最悪な存在。
ああいった人が出世する時代はとうに終わったと思うけどね(笑)。

当たり前のように使用するATMがあんな仕組みとは知らなかった。
それはいい勉強。

肝心な映画だが、誰もが楽しめるような作品に仕上げている。
それをどう評価するか。
大喜びする人もいるだろうし、
その展開に疑問を感じる人もいる。

要は観る人次第。
それでいい。
描かれる人についても同じ。

些細な気の迷いを認める人もいれば、許せない人もいる。
倫理観もまちまち。
結局、どう自分に向き合えるかが重要。

何があっても職場である銀行にしがみつく時代は終わったと思う。
銀行に限らず全ての業界、企業にいえること。
自分を失くしてまで、そこで働く意味はない。
少しズレるがキャリアの授業にもマッチするかもね。

タイトルでもある「シャイロックの子供たち」。
映画を観る前までサッパリだったが、なるほど、そういうことね。

いい気づきを頂きました。

映画「フェイブルマンズ」

本作も試写会で鑑賞。
ありがたい機会に恵まれている。

本作の上映時間は151分。
今年の話題作はなぜか長いと思うのは僕だけだろうか。
僕の理想は115分だが、これだけ長時間作品が続くと体が慣れてきたり・・・。
問題はトイレだけ(笑)。

既にあちこちで話題になっているので、さほど情報共有も必要ない。
ゴールデングローブ作品賞も受賞しているし、
アカデミー賞も7部門ノミネート。

僕のブログ次第では更に大ヒットが期待できる。
ここは頑張って書かなきゃいけないね。

監督であるスティーブン・スピルバーグの自伝的作品も周知の事実。
幼少時代の映画との出会いからその世界に入るまでの青年期までを描く。
これはネタバレじゃないよね。

僕も学生時代から自主映画を製作。
撮影から編集まで自身で行う姿を観ながら、
僕自身の学生時代を思い出してしまった。

なんだそりゃ・・・と思われるかもしれないが、
大学時代は脚本を書き演出をし編集もしていた。
時々撮影もしたが、基本カメラは得意な仲間に任せていた。

今から36、37年前。
当時は8mmカメラ。
映画の舞台は1950年代のアメリカ。
同じく8mmだが、僕らが使っていたよりも性能がよさそう。
80年代の日本の貧乏学生より、
50年代のアメリカのやや富裕層の学生の方が機能は優れていたわけか・・・。
スピルバーグも僕も知恵を絞りながらもがいていたわけだ。

映画界の巨匠と同じような行動をしていたと確認できただけで嬉しい。
ほんの少しの才能の違いで歩む道が変わっただけか・・・。
何事も前向きな解釈が必要。
実際は圧倒的な能力差があるが、
その背景には育ってきた環境面も大きい。

本作の主役はサミー・フェイブルマン。
タイトルは家族を表す。
両親から受けた影響により才能の花が開いたといっていい。

もちろん受け継いだ血は大きい。
それは父親であり母親。
そして育った環境。
そのおかげで今の地位の基礎を築いたと考えられる。

それはここまで個性的な親でなくとも、誰しも考えられること。
血と環境で人の能力は広がっていく。
そんな意味では子育て真っ最中の親御さんが観るのはいい学びになるのかも・・・。

映画を愛する人たちは間違いなく吸い込まれていく。
どんな反響かも楽しみ。

そして改めて思ったこと。
スピルバーグ監督作品を見直してみようかと。
観ていない作品も多いしね。

映画「いつかの君にもわかること」

2023年が始まって2か月足らずというのに鑑賞した映画は偏っているように思える。
実際はジャンルも違えは国も違うが、共通したテーマが存在する。

それは「死」。
特に意識したわけでもない。
それに関する映画を選んでいるわけでもない。
たまたまに過ぎない。

ファミリア、とべない風船、モリコーネ等々。
しかし、僕の根っこで潜在的に向き合う要素があるのかな・・・。
そんなことはないか。

最近だと「すべてうまくいきますように」
これは高齢の父親と娘を描いた作品。
立場的には理解しやすい。

本作を比較すると真逆。
そしてかなり辛い。
余命僅かなシングルファーザーと小さな息子の家族探しの物語。
どうやら実話を基に作られた作品。

僕らが知らないだけで、このようなケースは意外と多いのかもしれない。
世の中には自分の意志でコントロールできないことは多い。
自己責任とは遠い話。

しかし、当事者は自己責任と捉え自分を責める。
息子の将来の幸せを最優先しながら、自身の在り方と葛藤する。
気持ちが揺らぎながら、感情を押さえながら、淡々と時間が過ぎていく。

死が目前であっても日常は普段とさほど変わらない。
変わらない日常でも微妙な変化に親子は気づく。
幼い息子は言葉にできなくても、変化を感じ取り行動にも表れる。
子供らしいわがまま・・・。

派手さはない。
お涙頂戴でもない。
互いの感情が大きく乱れることはない。

故にせつない。
故に悲しさがグッとこちらに押し寄せる。

親子を描く作品を観る度に自分の役割を考えさせられる。
健やかな家庭は健やかな子供を育てる。
荒れた家庭は荒れた子供が育つ。
全てではないが映画の世界も現実も同じ。

だからこそ、自分はどうあるべきか。
それを真摯に受け止める。
しかし、どうにもできない世界があるのも事実。

父親と息子の表情が全て表している気がしてならない。
何が一番大切なのか。

いつかの君にもわかること。

そう願ってまっとうするしかない。
今、瞬間はそうでなかったとしても・・・。

本作は2020年の製作。
もっと早く公開されてもよかったよね。

亀裂 創業家の悲劇

「こういった書籍がファミリービジネスのイメージを悪くするんだろうなあ~」
読み終えてつくづく感じた。
それは本書を非難しているのではない。

その事実は事実として受け止め、現状の問題をあからさまにしなくてはならない。
そうすることで少しは同族内のゴタゴタが改善するのだと思う。
この類と同等に「世襲と経営」のような魅力を伝える書籍が話題になれば、
イメージに左右されることは減る。

本書は8社(厳密には9社)のお家事情が描かれている。
当然だがノンフィクション。
取材や膨大な資料を基に著されているので誤りはないはず。
誇張した表現はあるが、それは少しでも辛辣な事実を伝えるための手段。

登場するのは僕もちょくちょく話題にした大塚家具をはじめ名のある企業。
ロッテ、セイコー、ソニーなど業界トップ企業も多い。
あまり表ざたにはならないが、目立たないところで一族間の衝突が起きる。

ほとんどは権力と財産に関すること。
怪しげな会社に大金を騙し取られるケースも多い。
いわゆる「M資金」。
客観的に冷静に判断すれば分かりそうだが、
当事者になると一点しか見えなくなってしまうのか・・・。

欲がなければ事業を成功させることはできないが、その欲は収まることはない。
原動力になるのは間違いない。
僕のような小市民は一定のところで満足してしまうから、
大きな成功を収めることはできない。
その点、大きな違いがあるが、その分、大きく間違えることもない。
どっちがいいのかな(汗)。

英才教育を受けた親子でもいがみ合いは起きる。
二代目や三代目はどんなに頑張っても創業者にはなれない。
やはりジェノグラムで関係性を明確にするのも大切だね・・・。

描かれるのはマスコミを取り上げるようなスキャンダラスな側面。
これは氷山の一角。
この規模ではないにせよ、同じようなゴタゴタはあちこちに存在する。
簡単にお金で解決できないので、却って後を引きずるのかもしれない。
その臭いを嗅ぎつけてニコニコとやってくる連中もいるだろうし。

久々にドラマ「ハゲタカ」を思い出してしまった。

世の中は金だ。
金が悲劇を生む。

気をつけないといけない。
いい勉強になりました。

映画「コンパートメント No.6」

フィンランド映画って、初めて観たんじゃないかな。
本作はフィンランド・ロシア・エストニア・ドイツ合作だが、監督も主役もフィンランド人。
フィンランド作品といって問題ないだろう。

フィンランドから何をイメージできるか。
なかなか難しい。
サウナくらいしか思いつかない。
もしくは今はロシアが隣で緊張を強いられると思うくらい。
教養のなさが出てしまうな(汗)。

本作は女子学生がフィンランドからロシアへ寝台列車で向かう一人旅を描く。
明らかに時代が古いので、鑑賞後、時代背景を確認したら90年代半ば。
僕は80年代?と思いながら観ていたが、
セリフの中で映画タイタニックの話題が出たので、それで90年代と認識。

それにしてはかなり時代遅れ感を感じさせた。
当時の北欧やロシアはそれが普通か。
車はオンボロだし、列車の車掌らのサービスはすこぶる悪い。
そんな時代。

映画では女子学生が旅行を通し、自分を見つめ直し、人との出会いにより価値観が変化していく。
時代もちょうど移り変わる頃。
少しずつ解き放たれていく。
旅は人を成長させる。

映画を観て思い出した。
僕の場合は80年代後半だが、大学4年の冬に2週間ほど一人旅にでた。
青春18きっぷを購入し、鈍行列車で北海道まで向かった。
東京や北海道に下宿する友人のアパートの転がり込む日も送ったが、基本は一人で過ごした。

携帯もネットもない時代。
連絡手段は公衆電話しかなかった。
当時の彼女は恋愛禁止の家庭。
内緒で付き合っていたので、電話もできず。
確か手紙を書いていたんじゃないのかな。

そう思うと90年代のロシアと80年代の日本は近いのかも・・・。
泊まる場所もなく、交番で安いホテルを聞いた覚えも。
まあ、僕もそんな経験で少しは価値観が形成されていったのかな。

本作は寝台列車を通したロードムービー。
とても暗かった女子学生の表情が次第に明るくなっていく。
やはり旅に出ろということか。
本作を観て、一人でぼんやりと旅行がしたくなった。

地味な作品だが、映画館は混んでいた。
2021年カンヌ国際映画祭のコンペティション部グランプリ受賞の影響もあるだろうが、
みんな僕と同じで一人旅を求めているわけね。
そんなことを感じた映画だった。

映画「ハケンアニメ!」

昨年、見逃した作品をNetflixで鑑賞。
今月、発売された2022年キネマ旬報ベストテンでは6位、
読者選出では5位を獲得。
評論家も愛好家も好んだ1本となる。
それに感化されたわけじゃないが、評価が正しいと思う面白さ。

ハケンアニメというタイトルからして原作を知らない人は派遣社員が絡む映画と思うだろう。
主演は吉岡里帆なので、余計にそう感じる人が多いはず。
彼女がアニメの監督とは事前情報を入手しなきゃ誰も思わない。

ここでいうハケンは覇権を獲ることを指す。
同時刻に放送される2本のアニメ番組のどちらが高い視聴率を獲得できるのか。
その覇権争いのこと。

映画でこんな設定は新鮮。
それにも増して新しいと感じたのが、覇権争いの比較の仕方。
SNSの拡散は今の時代を反映し、分かりやすく伝える。
単にスマホで情報をアップするだけでなく、その影響度を映像に絡ませながら臨場感を醸し出す。
こんな手法も今までの映画にはなかった。

ただ、どうやら覇権アニメという言葉はその世界では一般的のよう。
話題の「すずめの戸締り」も「かがみの孤城」も観ない僕には未知の世界。
アニメの制作現場も未知の世界。

あれが正しい現場の描き方だろうか。
あんなふうに作品が制作されるシーンは勉強になった。
一人ひとりの役割がひとつの作品のクオリティを上げる。

この現場感も本作の魅力。
覇権争いをする2本のアニメを全編通して観たいと思う人は意外と多かったり。
もしかしてアニメファンは全員そう?
描かれるタッチもファンの気持ちを揺り動かすのかな?

多くのスタッフがしがらみを抱えながら絡み合い、
テクノロジーと感性を駆使して作り上げるアニメはやはり日本の誇るべき文化。
日本映画が世界で勝てる数少ない分野。
「THE FIRST SLAM DUNK」は映画で完全に負けている韓国でも大ヒットだし・・・。

アニメの魅力を実写で伝えるなんて何とも憎い。
僕のように普段アニメを観ない輩がこれをキッカケに吸い込まれていく可能性もあるから。
姑息ではなく計算し尽くされた作品。
そんなことを思ったり・・・。

そして、エンドロールが終わってからの誰もが喜びそうなカット。
あれはチャップリンなのかな。