これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「ボレロ 永遠の旋律」

音楽は好きだが疎い。
80年代の洋楽や邦楽はある程度の知識はあるが、
クラシックとかバレエ曲となると音楽の授業で習った程度。

曲を聴けば「あ~、あれね」とはなるが、作曲家も曲名も当てられない。
「ボレロ」もそう。
イントロを聴いただけでどんな曲かは分かるが、
作曲家も知らなければ、どんな場面で使われるのかも分からない。
映画館はいかにも音楽をやってそうな観客(勝手にそう見えただけ?)が多かった。

8月は意外と観たい映画が少ない。
子供向けや超娯楽作が多く、時間がある割には映画館に足が向かない。
そんな中で気持ちが動いたのが本作。
最近、フランス映画を観る機会が増えたが、本作もらしさを感じさせる。
凝った衣装を見るだけでもその気にさせる。

舞台は1920年代のパリ。
名曲といわれる「ボレロ」を作曲したモーリス・ラヴェルの生涯を描く。
「ボレロ」の誕生秘話的な要素が強いが、華やかな世界の裏側にある苦悩が中心。

モーリス・ラヴェルだけなのか、当時のフランス人がそうなのか、とてもお洒落。
どんな場所でもネクタイを締め、指揮するにも靴が気に入らなければ行動しない。
女性と戯れる時も服は脱がない。

温暖化が進む現代(ちょっと極端な例か)ではかなり厳しい服装。
細部までこだわる姿が創造力豊かな才能のようにも思える。
と同時に、何かに取りつかれたような拘りに苦しさを感じる。

ノー天気な性格では芸術家にはなれない。
ストイックであり禁欲であり完璧主義じゃないと素晴らしい音楽は生み出せない。
苦しんでいるような一生のように思えるが、彼には普通の生活。
やはり僕には無縁の世界(笑)。

ラヴェルを取り囲む環境を眺めると当時の音楽界や社交界がよく分かる。
どう評価されるか、どう表現するか、自己矛盾と戦うか、
ひとつの作品が一人の人生を左右する。

当時の最大で贅沢な娯楽がこの分野だといえるのだろう。
時には自分が知らない世界を見ることは必要。
音楽の素晴らしさもそうだが、一人の歴史を学ばせてもらった。

今も頭の中にボレロが流れている。

映画「ツイスターズ」

いい意味で裏切られた。
てっきりパニック映画と思っていたが、完全なヒーロー物。
それも強靭な肉体を持つ戦う戦士ではなく、
気象学者の女性が巨大な竜巻に向かっていくヒーロー物。

荒れ狂う竜巻がアメリカ全土を襲い、
そこから非難する人々を描く映画と思っていたが大きく異なった。
実際は竜巻から非難する人を描いているが、それは竜巻の恐ろしさを示す。
与える被害も甚大。

イメージは間違いないが、そのために予習はしなくて正解。
意外な展開にワクワクし、何も知らない方が数倍楽しめる。
本作を観る人は予備知識なしに映画館へ行った方がいい。

そういってしまうとブログで何を書けばいいのか。
う~ん、困ったな・・・。

アメリカでは1年間あたり平均で54.6人が竜巻の犠牲に合うという。
描かれる世界は大袈裟ではなく、深刻な環境問題。
竜巻を打ち消すための対策があるのも事実だろう。
あんな感じで対応しているかは不明だが、
瞬く間に襲い掛かる竜巻を指をくわえ見ているわけにはいかない。
その奮闘ぶりは命懸け。
迫力あるシーンが続く。

僕は本作を観て何となく懐かしさを感じた。
最新のSFX技術を駆使し舞台も現代。
あまり懐かしさを感じさせる要素はないが、
80年代の盛り上がっていたハリウッド作品を思わせる。

気象学者ケイトの生き様や彼女に対して
YouTuberのタイラーや竜巻リサーチ会社のハピら男連中の絡み方が正統派すぎる。
その見せ方が心地いい。
ほのかに恋愛を感じさせるくすぐったさにも惹きつけられる。

それは主役ケイトを演じるデイジー・エドガー=ジョーンズの魅力。
2年前の「ザリガニの鳴くところ」を観た時に今後、彼女に注目と書いたが、まさにその通り。
こんなチャーミングな、それも動き回れる気象学者がいたら、クラッとくる。
彼女の一挙手一投足を観に行くだけでも映画館に足を運ぶ価値はある。

どうしても夏休み期間は子供向けの作品が中心。
観たい作品が少ないのも事実。
そんな中で、大人も楽しめる夏休みらしい作品。
僕は一人で観たが、誰かと一緒に行っても満足度は高い。

ほぼネタを明かすことなくブログを書き終えて良かった(笑)。

映画「このろくでもない世界で」

止めておこうかと思いながらも観てしまった。
救いようの世界を見ても自分にプラスになることはない。
気持ちが塞ぐのは観なくても分かっている。

しかし、それを止められない自分がいた。
犯罪組織に巻き込まれ堕ちていく若者を見るのは辛い。
それは日本でも韓国でも同じ。
日本だったら白石和彌監督がどうしようもない社会を描く。
いや、北野武監督か。

暴力や犯罪でのし上がる姿は万国共通。
それには生まれ育った環境や深刻な家庭関係が影響する。
どんな国でもろくでなしの親の存在が子供の将来を危うくする。
今年観た代表的な作品でいえば「あんのこと」
ろくでなしが子供を不幸にする。

本作も向かう先は異なれど同じだ。
犯罪に手を染める18歳のヨンギュも犠牲者といえよう。
気づいた時にはもう抜け出せない状況。
ガラスに写った血だらけの自分の姿に絶望を感じた。

知ってか知らずか手を差し伸べる兄貴分のチゴン。
そんな地元の犯罪組織のリーダーにヨンギュが頼るのは必然。
このあたりがピリピリとした雰囲気を醸し出し闇の世界へ誘う。

レビューを読むと激しい暴力をウリとする韓国ノワールと表現されるが、僕からすれば人間ドラマ。
底辺から這い上がるとする男たちのやるせない生き様を暴力が代弁している。
「仕方がない」というセリフが頻繁に登場するのが実社会の証明。
今の韓国を実情を上手く表しているのかもしれない。

そう思うと韓国映画の幅広さには改めて感服。
主役はヨンギュ役のホン・サビンとチゴン役のソン・ジュンギ。
チゴンが地元の犯罪組織のリーダーとして周りを仕切っているが、
感情をほとんど出さず淡々と仕事を進めていく。

その姿がとてもクール。
初めてソン・ジュンギという俳優を知ったが、日本でもかなり人気があるのか?
かなりどぎつい作品だが若い女性の一人客が目立った。
多分、彼目当て。
こんな作品を観て、精神的苦痛を感じないだろうか。
とくだらないことを思ってしまった。

このような世界はどんな国でも考えられる。
犠牲となった若者は闇から抜け出せるのか。
ラストシーンは人や国によって解釈は異なるだろうね。
抜け出せることを期待したい。
僕は・・・。

組織の未来は「従業員体験」で変わる

「組織の未来はエンゲージメントで決まる」の続編と呼ぶべき一冊。
もう6年も経過しているんだ・・・。

著者の一人松林さんとはかなり長いお付き合い。
グロービスに通っていた時期から含めると18年ほど。
社長時代はずっとサポートしてもらったし、
今も月1回、別のプロジェクトでお世話になっている。

元々はマーケの専門家だが、最近はエンゲージメントをメインとしたオジサンになってしまった(笑)。
本書もエンゲージメントの流れを組む。
タイトルにもある「従業員体験」がエンゲージメントを高める上で重要。

会長になり「組織には口を出さない」といっても、その動向は気になる。
自社は当然ながら、社外取締役の株式会社パフも顧問先もそう。
そのためには最新の動きは知っておかなきゃいけない。
また、大学で教える身としても、若者が働くにあたって何を大切にすべきかか教える必要もある。

そんな点においては大変参考になる書籍。
本書では従業員体験を
「企業や組織に所属する従業員が、仕事や職場において得る経験や感情のこと」
と定義している。

経験は理解できるが感情もそうなのか…と思うかもしれない。
これが意外と厄介。
振り返ってみれば経験以上に感情が与える影響は大きい。
それは上司との関係性もあれば、仕事の出来不出来もいえること。

トップの立場になるといい意味で達観してしまうが、
現場レベルでは揺れ動くのが当たり前。
それをどう対応するかは重要なポイントだろう。

自分ができるから相手ができるわけではない。
自分が満足しているから相手も満足しているわけではない。
わかったつもりで何もわかっていないことは多い。
単純明快な自分たちの世代と今の若者は異なるのが普通。
そこから始めないと何も進めない。

「働きやすさ」と「働きがい」は異なるが、
同じように考えてしまう古い価値観の持ち主も多いだろう。
古屋さんの「ゆるい職場」を思い出してしまった。

スピルオーバー効果とクロスオーバー効果という言葉は初めて知ったが、確かに納得。
組織人としてだけでなく家庭人としても押さえておく必要はある。
健全な組織体を作るのは健全な家庭を作ることにも繋がる(笑)。

1on1のエンプロイジャーニーマップの解説はとても分かりやすい。
いろんなパターンをイメージするだけでも効果は見える。
1on1の実施が目的化するケースが多い現状を見直すにもいい機会。

なんと本書のあとがきには僕の名前も記載されている。

ボーっとしてただけなので何を協力したかは定かでないが、
ちょっとはお役に立てたのかな・・・。

少しでも多くの方に読んでもらいたい。
特に中小企業の経営者や幹部は学ぶ点は多いと思う。

映画「流麻溝十五号」

僕らは近隣国の歴史を知らない。
韓国については精力的に制作される映画を通して学ぶ点はあるが、
台湾は知らないことが多い。

蒋介石が中国共産党との争い敗れ、
台湾で政府を樹立したという教科書に載る当たり前のことくらい。
何となく平和なんじゃないの?という短絡的な発想自体、無知すぎる。

やはり映画を通して歴史を学ぶことは重要。
自ら突っ込んで見に行かないと知らないままで終わってしまう。

本作の舞台は政治的弾圧が続く1953年の台湾。
台湾国民政府による恐怖政治下で戒厳令が敷かれていた「白色テロ」時代。
情けないが「白色テロ」なんて言葉も知らなかった。

自由な思想は認められず、罪を課せられた者が思想改造と教育のために強制的に島に送り込まれた。
その島は日本統治時代は火焼島と呼ばれ、戦後に緑島に改名された。
そんな事実も全く知らず・・・。
う~む、困ったものですね。

本作では女性犯罪者ばかりが収監された施設での日常を描く。
1953年の台湾は日本の戦時中をイメージさせる。
政治的弾圧が当然のように行われ、反発する者や認めない者に対しては暴力が横行。
犠牲になるのは高校生の女性。
思想らしい思想があるわけではなく、言われるがまま描いた絵が弾圧の対象になってしまう。

本人の言い分が認められることはない。
とても恐ろしい世界。
蒋介石が目指す世界と異なれば、ことごとく叩かれる。

国のリーダーは一歩間違えれば危うい存在。
それは現在でも同じ。
自分勝手な正論が多くの人を傷つける。

描かれる世界を理解しようとするなら時代背景を予習した方がいい。
字幕はカッコ書きとそうでないものが表示。
最初は何のことか理解できなかったが台湾語と北京語の違い。
そこに日本語が加わる。

主人公の女子高生、正義感の強い看護婦らが状況に応じて言葉を使い分ける。
どの言葉を重きに置くかで立場が分かるわけだが、そこに行きつくには時間を要した。
初めから理解していたら、もっと深く観ることができた。
気軽な気持ちで鑑賞したことをちょっと後悔。

本作は実話をベースに制作された。
タイトルでもある「流麻溝十五号」は収容された場所の住所だという。
台湾人はこれをどこまで知っているのか。
また、国内ではどれだけ話題になった作品なのか。

日本での公開も意味があることなのだろう。
面白い作品とは言い難いが観る価値はあるだろう。

映画「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」

久しぶりに”らしい”映画を観た。
らしいというのはアメリカらしいスケールの大きいコメディ映画ということ。
コメディ映画というジャンルは正しくないかもしれない。
社会派ドラマともしアクション映画とも恋愛映画とも呼べる。

ラストシーンなんてまさにそれ。
いかにもという感じに好感が持てた。
正しくはロマンティックコメディに分類されると思うが、勿体ない気がしてならない。

描かれている世界は1969年。
アポロ11号打ち上げ計画を行うNASA。
その時代背景だけでも素晴らしいが、ストーリーも絶妙。

最近、実話をベースにした映画ばかり観ているせいもあるが、本作も実話に思えてしまう。
フィクションだが現実に起きた事件のようだ。
(実際は本当だったりして・・・笑)

簡単にいえば月面着陸が失敗した場合を想定し、
裏側で月面着陸のフェイク映像を撮影し流すというもの。
ネタバレになるので内容は控えるが、その展開が巧妙で面白い。
登場するのはケネディ大統領、ニクソン大統領やアームストロング船長など実在の人物。
NASAをPRするために時計のオメガをスポンサーにするあたりも見事。
観ている者は事実として受け止めるんじゃないだろうか。
僕も「半分は本当じゃないの?」という感覚で観ていた。

フェイク映像を撮影する指示はアメリカの威厳を保つため。
当時、ソ連と覇権争いをしており、アメリカが優位に立つためには、
どんな手を使っても月面着陸を成功させなければならない。

そのやりとりは現代にも通じる。
55年前も今もやっていることはさほど変わらない。
今の国際社会にも皮肉が込められていると感じた。
人を犠牲にしても自分が一番上に立ちたいという。
幸い悲劇には陥らないが、まっとうに生きる反対側にはろくでなしの偉いさんが跋扈する。
それを笑いものにしてしまえばいいけど・・・。

本作の主役はスカーレット・ヨハンソン。
「ジョジョ・ラビット」の母親役もよかったが、本作で演じるPRのプロも魅力的。
僕がクライアントだったらひとたまりもない。
すぐに大金を積んで契約をしてしまう。
揺れ動きながらも自分を見失わない姿がとてもよかった。
そして想像通りの展開も・・・。

最近のハリウッド作品はなんちゃらシリーズのとてつもないアクションが目立つが、
こんなシャレた娯楽作品もいい。
楽しませてもらいました。

映画「ルックバック」

アニメ作品はほとんど観ない。
昨年は81本中、「THE FIRST SLAM DUNK」「君たちはどう生きるか」
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」
の3本のみ。
それでも多いほう。
一昨年はゼロ。

観ない理由は特になく実写を優先しているだけのこと。
日本で大ヒットするのはアニメだし、優秀な作品が多いのも理解している。
いつの間にか食わず嫌いになってしまったのか。

本作の評判の良さは知っていた。
それでも素通りしようとしていた。
58分と映画としては短く一律1700円の入場料もマイナス要因。
会員価格や55歳割引で慣れた身として高く感じてしまったのだ。

まだまだ人として未熟。
映画コラムニストを名乗るのは半人前。
映画を観て痛感した。

時間や価格で作品を決めてはいけない。
大切なのはクオリティと人に与える影響力。
周りの評価は素直に受け入れるべき・・・。
観ておいてよかった。

僕は漫画もほとんど読まないので、原作者藤本タツキさんは知らない。
本作からてっきり女性漫画家かと思っていた。
フィクションとはいえ原体験を基に作られた作品と思い込んでいた。
それだけ想いがこもった作品に思えた。

2人の少女が出会い、漫画づくりにひたむきに向き合う物語。
お互いの才能にコンプレックスと憧れを抱き、それを原動力に前に進む。
10代の多感な時期だからこそ、揺れ動く感情は手に取るようにわかる。
心の描写が巧み。
アニメ作品だがマンガを読んでいる感覚にも陥る。
それが作り手の求める点なのか。

もし、あそこで二人が出会わなければ、お互いに違う人生を歩んでいた。
本作こそプランド・ハプンスタンス・セオリー。
先日まで学生に教えていたこと。
好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心が成功に導いた。

偶然こそすべて。
突如訪れる不幸も偶然だが、こうして人生は成り立っている。
決して悪いことではない。

2人の少女役は河合優実と吉田美月喜が声優に初挑戦。
なにかと話題の河合優実もいいが、京本役の吉田美月喜もとても上手かった。
口下手な田舎の少女の声は印象的。
彼女は「カムイのうた」の主演。
観た人は少ないが大正時代のアイヌ人を上手く演じていた。

若手女優がいろんな分野にチャレンジし、自身の幅が広がるのも素晴らしい。
そんな発見をするためにもお金を惜しまず、食わず嫌いにならず、映画を観ていきたい。

映画「大いなる不在」

地味な作品。
知らずに通り過ぎる可能性も高い。
しかし、素通りするには勿体ない。

この家族の物語を押さえておくのも大切。
もしかしたら自分が当事者になるかもしれない。
そんな危機感を抱きながらも別世界の父子関係を味合わせてもらった。

本作は元大学教授の父親とその父親に捨てられた息子の関係を描く。
藤竜也演じる元大学教授陽二は頑固で偏屈。
認知症が原因で警察に捕まり、離れて暮らす森山未來演じる息子卓が呼ばれる。
その代わり果ては姿に驚きながら、関係性が紐解かれていく。

現代と過去を相互に描き、崩壊する親子関係と修復に向かう親子関係が見られる。
時に複雑。
そしてかなりの想像力を求められる。

恋焦がれ再婚した陽二と妻の直美との関係はラブレターの存在で明らかとなり、
その背景が卓との家族関係へと繋がる。
直美、直美と連呼されると体が固まってしまう(笑)。

そこにはとてつもない恋愛をイメージさせるが、そんなシーンは一切ない。
巧みに表現された文章でしかない。
きっとそんな生活も長かったはず。

しかし、認知症がすべてを壊す。
誰を責めることはできない。
陽二も直美も頭では理解している。
ただ感情を抑えることができないし、突発的に襲い掛かる症状は止められない。

いずれオレもこんなふうになってしまうのか・・・。
息子の立場ではなく父親の立場で自分をダブらせてしまった。
悲しくもつらい。

卓はそんな症状を冷静に客観的に眺めている。
それは父親に捨てられた身として愛情も感情も乏しい。
ただそれで終わらないのが親子ということか。

事実が明らかになることで愛情や感情も芽生える。
父親の呼び方も変わる。
ここも想像力。
父親の本当に気持ちを察したのか、単なる同情なのか、捉え方はそれぞれ。

失くした時間は取り戻すことができない。
大いなる不在ということか。
ネタバレしないように書いているので意味不明なブログだが、
親子のあり方を上手く描いた作品だと察してもらいたい。

本作で唸るのは藤竜也の演技。
僕の中では「愛のコリーダ」や「プロハンター」だが、老いゆく演技も素晴らしい。
昨年の「高野豆腐店の春」もよかったけど・・・。

大人になりそれなりに忙しく過ごすと
知らず知らずのうちに大切なものを忘れてしまう。
時間を取り戻すことはできない。
記憶のある時間を大切にすること。
それを実感できた作品だった。

クリティカル・ビジネス・パラダイム

僕が世の中に取り残されつつあるのか。
それとも山口氏が遥か先を歩いているのか。
そんな感覚に襲われる。

山口氏の著書の大半は読んでおり、常にハッとさせられ感心する。
言わんとしていることは理解できるし、確かにそんな世の中になっていく気がする。
「ニュータイプの時代」はかかなり影響を受けた。
大学の授業でも紹介し、そんな時代が訪れると学生にも話をした。

それはもう5年前のこと。
しかし、そんな時代はまだ訪れていない。
本人もVoicyで自らの著書を否定していた。
まだまだ早すぎたのかもしれない。

彼の理想に時代が追いついていないのか、単なる妄想なのか。
怪しい宗教ではないので100%感化されることはないが、その流れには共感する面が多い。
いずれそうなるだろうと・・・。

「ビジネスの未来」からの本書。
更にその上の概念になるのだろうか。
こうなるとついていくのがやっと。

アファーマティブ・ビジネスとクリティカル・ビジネスの違いについて詳しく著されている。
そもそもアファーマティブ・ビジネスなんて言葉を普段の生活では使わない。
従来、我々が事業として手掛けていることを総じていう。
その理解からスタートすることが重要で対義となるのがクリティカル・ビジネス。

既になんのこっちゃと思う人がいるかもしれないが、そこは調べてでも理解した方がいい。
ソーシャル・ビジネスとクリティカル・ビジネスの違いについても言及されているし・・・。

日本のような成熟した国(そうでもないかな)は生きていく上で困ることはほとんどない。
格差や貧困を捉えれば言い切れないが、普段の生活で不自由なことはない。
それだけ満たされているのが現実で、更に欲を求めると実にイヤらしいものになってしまう。
そんな現実社会がクリティカル・ビジネス・パラダイムに向かっているということだろう。
カスハラが横行する背景はその歪みなのかもしれない。

ベーシックインカムの時代が訪れるかは分からないが、
企業が自社の利益だけでなく社会全体の価値向上を考える方向へ少しずつ向かう可能性もある。
そうなるとリーダーシップのあり方も変わる。
フォロワーの存在でリーダーシップが変わるということ。

ただそこに至るにはまだ相当な時間が掛かりそう。
その前に日本が沈没しなきゃいいけど。

僕自身も自らに変化対応を迫り、若者にも変化を求める。
単純に変化すればいいということではない。
「創造と破壊」と「逸脱と秩序」が同時に成立してバランスをとる状態を社会に生み出すこと。
と山口氏は説く。

どんな社会かはまだイメージできない。
イメージできないからスルーするのではなく、頭の中に意識だけは持っておきたい。

映画「密輸 1970」

ユニークな韓国映画が上映されるんだ…
と呑気に予告編を観ていたら監督はリュ・スンワン。
僕が2022年のナンバーワンに推した「モガディシュ 脱出までの14日間」の監督。
圧倒的に面白い映画だった。

観ない選択肢はない。
迷うことなく映画館に足を運んだ。
こうして日本映画は韓国映画の後塵を拝していく。
残念ではあるが・・・。

「モガディシュ~」は実際の事件を基に制作されたが、本作も実話を着想して作られた。
もしこれが全て本当としたら恐ろしい話。
あり得ない。

舞台は1970年代半ばの韓国の漁村クンチョン。
繰り広げられるのは海女、税関、密輸王、チンピラが密輸品を奪いあうアクション劇。

当時、韓国での女性の地位は低かったと思う。
明らかに男性中心の社会。
本作にそれを象徴するシーンはないが、それぞれの立場や振る舞いがイメージさせる。
その分、海女たちの活躍は現代社会にも繋がる面もあり爽快。

ネタバレしない程度に解説すると、
密輸品の引き上げに協力した海女が税関の摘発により逮捕される。
一人逃げ切った海女が数年後、漁村に戻り海に眠る密輸品を更に探し求めていく流れ。
悪党の中心やラストの描き方は韓国映画らしい展開。
ドキドキしながらも安心して観られる。

正統派のエンターテイメント作品。
この四つ巴の闘いは迫力もあり面白い。
地上では虐げられる海女も海中ではすこぶる強い。
チンピラなんてひとたまりもない。
そのあたりも爽快感を与えるのだろう。
そして、これはジョーズか?と思わせるシーンも・・・。

前作「モガディシュ~」は社会派ドラマの要素もあったが、本作はあえて外したように思える。
70年代のファッション、演歌とPOPSを足したような音楽、品のない店。
本来暗いであろう70年代をポップに映し出し、娯楽に徹する。
軽快なノリが重くなりがちな事件を面白くさせている。

そして主演の2人の女優がいい。
キム・ヘスとヨム・ジョンア。
2人とも50overだがとても魅力的。
余貴美子と木南晴香にソックリとどこかのレビューで読んだが、まさにそんな感じ。

密輸王クォン軍曹のチョ・インソンもカッコいい。
「モガディシュ~」の参事官もいい役だったが、本作のアクションも含めいい味。
リュ・スンワン監督のお気に入りだと思うし、世界に出ればいいのにね。

本作は青龍映画賞で最優秀作品賞など4冠を獲得したという。
この映画祭がどれほどの価値か知らないが、評価のバロメーターにはなるだろう。

日本もこの類の娯楽映画を作ってもらいたい。