これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

なぜ、うまくいっている会社の経営者はご先祖を大切にするのか

まずは著者の天明茂先生にお詫びしたい。
本書はわざわざ天明先生にご来社頂き、直々に頂戴したが、
会社の書棚に置きっぱなしだった。
誠に申し訳ありません。

読まなきゃと思いつつ放置状態。
先祖を大切にするのは当然だが、関係ある方も大切にしなきゃいけない。

ファミリービジネスを学ぶ上で「家系図」は重要。
名古屋ファミリービジネス研究会でも必ずジェノグラム(家系図)の作成は研究会の中で実施する。
そこから見えてくることも多い。

本書を読むことでより理解が深まる。
それは家族の歴史や先祖の存在だけではなく家系の価値観そのもの。
家系を知ることでそのファミリーの人間性まで把握することができる。

10年近く前に僕も自分自身で家系図を作った。
父親、母親、祖母、祖父の流れを描いてみるとそこに宿る使命のようなものが見えてくる。
よきにつけ悪しきにつけ親の影響は受ける。

表現は酷いが、虐待を受けた子は親になっても虐待するケースは多い。
借金癖がある親からは借金癖の子が育つ。
もちろん全部ではないし、偏った見方もある。

しかし、それが多いのも事実。
いいものは受け継ぎ、悪いものは断ち切る。
これも家系図から判断できるということ。

天明先生は実体験を晒しながら、多くの分析を行い何が重要なのかを語る。
結論としては本書のタイトルになるんだけど・・・。

長く続く企業は「家を継ぐ」「先祖を祀る」「親孝行」の3つを実行しているという。
これは同族企業を基本にしているが、それには限らない。
人として生きる上で誰しもが大切にすること。

僕なんかも普段の生活で忘れがちになるが、意識はしている。
親孝行しているのか!と問い詰められると答えに窮するが、
何も親に頻繁に会うことだけが親孝行ではない。

どんな生き方を示せるかが親孝行にもなるはず。
僕はそれを亡くなった父親から学んだ。
常に周りから信頼される存在もきっと遺伝するはず。
継ぐことができると思う。

今の幸せや自分の成り立ちも先祖の苦労や努力があってこそ。
そこを忘れてはいけないし、感謝し続けなきゃいけない。
自分の力で築き上げたなんて愚かなことを思わないこと。

本書を読みながらその大切さを改めて感じた。
僕が作った家系図はまだ中途半端。
専門家の方にお願いするのも方法だが、自分で戸籍謄本を取り寄せ作ってみるのもいい。
叔父さんが元気なうちに教えてもらったり、檀家に確認しようかと・・・。
そんなことを考えたり。

それがきっと自分の役割なんだろうね。
どこかで時間を作らないと。

天明先生に書いて頂いたことを大切にしたいですね。
改めてありがとうございました。

映画「すべてうまくいきますように」

久しぶりにソフィーマルソーを観た。
彼女を初めてしたのは中学生の頃。
「ラ・ブーム」にときめいた。
もう40年以上も昔の話。

同級生なので今56歳。
なんと愚か者副本部長とは生年月日が同じ。
まあ、どうでもいいことだけど(笑)。

この10年くらいは名前も出なかったと思うが、何をやっていたのだろうか。
調べてみると継続的に映画には出演している。
日本に届いていないだけで、フランスでは今も第一線で活躍しているよう。

相変わらずの美しさだしスタイルもいい。
いい年齢の重ね方をしていた。
本作はほぼソフィーマルソーが出ずっぱり。
彼女中心に撮られた映画であるのは間違いない。
しかし、さすがにこの年齢だとアイドル映画とはいかない。

人の尊厳に関わるのが本作のテーマ。
85歳の父親が脳卒中で倒れ自由が利かなくなったことで起きる親子の葛藤を描く。
ソフィーマルソーは娘役で実年齢に近いと思われる。

日本とフランスのお国柄の違いはあるだろう。
しかし、死に対する考え方はさほど変わらない。
僕が父親の立場であれば同じ選択する可能性は高い。

自分の体が思い通りにならない。
人に迷惑を掛ける。
であれば安楽死を望む。
個人的には共感できる。

身内はそれを素直に受け入れられるだろうか。
様々な思いが巡る。
日本ではその選択肢はないが、高齢化社会になればなるほど同様の問題も起きる。
誰にでもいずれ死は訪れるわけだし・・・。

本来、僕の立場であれば子供であるソフィーマルソー側から捉える問題だが、
なぜか父親側として受け止めていた。
自分自身の死生観が何とはなしに反映したのかもしれない。

全て感情のまま表現する父親。
感情を押し殺しながらも時に抑えきれなくなる娘。
自分を制御できるかも年齢と共に変わっていく。

安楽死を選んだ父親がふと呟いた言葉。
これも現代社会の象徴。
選択肢を広げるためには一定の財力は必要。

悲劇を描くわけでも、社会問題を描くわけでもない。
事実を受け止めるだけだが、いろんな視点が入り交ざる。

すべてうまくいきますように。

そう願うのは誰しも同じだろう。

映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」

あまりにも心地いい音楽に序盤はついウトウトしてしまった。
次第に馴染み深い音楽とモリコーネの語りに吸い込まれて、
気づいた時にはうっすらと涙を浮かべていた。

映画コラムニストとか映画ファンとかエラそうにいいながらも、
音楽がここまで映画に影響を及ぼすとは思っていなかった。

映画音楽が作品に寄り添い一体化する。
音楽が映画に乗っかるのではなく、歩調を合わせ共に前に進む。
映画を盛り上げるだけの存在でないことがようやく理解できた。
ちと、遅いね。

本作は映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネを追いかけたドキュメンタリー。
インタビューと彼が手掛けた作品をシンクロさせながら、時代の変遷とともにその人生を映す。
モリコーネが手掛けた映画音楽は500本以上という。

「ニュー・シネマ・パラダイス」のように映画を思い浮かべた瞬間に
音楽が頭の中を流れるような作品もあれば、超マイナーな作品まで多数。
70年代あたりのイタリア映画は前衛的な作品も多そうだし。
そこにモリコーネの音楽を重ね合わせるとよりインパクトの強い映画になるわけだ。

若かかりしクリントイーストウッドが主演したマカロニウエスタンも音楽が作品を押し上げている。
セルジオ・レオーネにしてもクエンティン・タランティーノにしても、
モリコーネの主張を100%受け入れるのは信頼と実力の証か。
そう考えるとキューブリックは勿体なかったね。
諦めなかったら、どんな「時計じかけのオレンジ」になっていたのだろうか。

僕が一番映画を観ていた時代は80年代から90年代。
(今年という話もありますが)
音楽を聞くだけで作品が分かる映画がこんなにも多いとは・・・。

過去観た作品を違う視点で愉しむのもいいかもしれない。
調べてみたらAmazonmusicでも聴けるし、感傷的になってみるかな。

今年に入ってわずか1ヶ月半だが、上映時間3時間級の作品が多い。
今年の傾向だったりして・・・。
じっくりと映画に時間を割く。
最高に贅沢な時間を味わう。

「映画が恋した音楽家」
まさにその通りでいいタイトル。
こんな贅沢を多くの人に味わってもらいたい。

解像度を上げる

なぜか与えられた課題図書。
久々に問題解決系の書籍を読んだ。
最近、頭を使うことがめっきり減っているので、
たまにはこうしたジャンルで刺激を与えた方がいい。

18年前に通ったグロービスの「クリティカルシンキング」を思い出した。
当時は論理的思考力のかけらもなかったが、
この授業のおかげで人並みに考えをまとめられるようになった。

しかし、それは常に訓練して維持できること。
脳みそも使い続けなけりゃ、あっという間に退化する。
今はそんな状況かもしれない(汗)。

当時、問題解決を山ほどやったが、今も基本は変わらない。
本書に書かれていることも近い面はある。
しかし、それは近い面に過ぎず、ここで求められるのはそんな事だけではない。

「深さ」「広さ」「構造」「時間」の視点で解像度を上げろということ。
クリティカルシンキングの場合はwhat→where→why→houや
why?why?why?を繰り返し、考え抜くことが必要だったが、
解像度を上げるにはそれだけではない。

サーベイやデータ分析も大切だが、
手を動かす、体を動かす、何よりも行動することが重要だという。
情報を集め思考するだけでは足りない。
人と話をする、インタビューする、体験する。
それにより深くなったり、広くなったり・・・。

本当はそれをきれいに分けて考えるとより整理ができるが、ここは感覚的に収めておこう。
ここはふわっとした解像度状態のブログでいい。
解像度が高いブログだと本書を読む必要がなくなってしまうし・・・。

最近、話題のChatGPTを使うと更に脳みそが退化するが、もはや時代の必然。
これは効率的なツールとして、いい活用をする。
同時に時間を掛けて長期の視点を持つ。

これだけ情報が溢れ、なんでも手に入りそうだが、実際は何も手に入らない。
それは自分自身の解像度がイマイチなのか・・・。

そんなグダグダな状態から脱するためにも「あるべき姿」を意識しながら行動していきたいね。

映画「バビロン」

こちらの作品は試写会で鑑賞。
映画コラムニストが本格的な仕事になってきたぞ(笑)。

この寒い冬、3時間を超える超大作を観るのはしんどい。
理由は一つ。
トイレが近くなり、3時間を超える時間に耐えられるかどうか・・・。

結果、杞憂に終わった。
映画にのめり込み、その世界に入っていけばその近さも忘れる。
昨年の「RRR」と同じエンターテインメントの世界。
そっちの心配を見事に忘れさせてくれた。

そして大切なのはブログの書き方。
本作は酔っ払って書かなきゃいけない。
だから僕は今、お酒を飲みながらブログを書いている。

ふざけるな!と憤る方もいるだろうが、それは映画を観てから言って欲しい。
飲んで書くのが正解だと理解してもらえるはず。
自分勝手かな・・・。
まあ、それも映画と一緒だから問題ないか。

描かれるのは1920年代から30年代。
映画が娯楽の頂点。
誰しもがその世界に憧れる。

当然のように主役たちは華やかな世界に浸りきる。
一方でサイレントからトーキーへと移る時代。
ちょうど今の世界も同様。

ネット中心から更にもう一歩進んだ世界。
昨日のスターは過去の存在でしかない。
めくるめく移り変わり。
その中で生き残れる者はわずか。

過去のスキルは今の世界では通用しない。
100年前も今も何ら変わらないのか・・・。

ただ、いっておこう。
1923年も2023年も映画は最高の娯楽。
そこは変わらない。

100年前も今も映画館に足を運ぶことが一番の贅沢。
昔は唯一の夢を見れる空間だが、
今は唯一誰にも邪魔されない空間。
映画はどんな時代でも最高の娯楽なんだ・・・。

デイミアン・チャゼル監督は百も承知でそれを作っているはず。
そうでなければ1950年代を超えたトロンも、
ターミネーターも、アバターも出すわけはない。

映画界の栄枯盛衰を描きながらも、その世界を賞賛。
20年代、30年代が今に繋がっているわけだ。
そんな観方も「バビロン」の楽しみ方かもしれない。

僕はブラットピットのファンでもなく全作品を観ているわけもない。
しかし、本作が一番いい演技をしている…と思う。
堕ちていくスターを見事に演じ、その表情は絶妙。
(あっ、ネタバレかも・・・)

そして、同じく堕ちていく成り上がりマーゴット・ロビー。
彼女も泣けるくらい見事。
エロさも勢いもダメさ加減も素晴らしい。

そして全員が完璧な酔っ払い。
そんな華やかで虚構な世界を表現するのは飲まざるを得ない。
だから、飲んで書いている。

華やかなまま人生は終わらない。
華やかなまま世界も終わらない。
しかし、夢を見るのは大切。

その気持ちを抱きつつ、映画を感じれるといいね。

以上、酔っ払いブログでした。

映画「レジェンド&バタフライ」

東映70周年記念の大作。
何気に名作ドラマ「ハゲタカ」の監督大友啓史氏と音楽佐藤直紀氏のコンビ。

えっ、そこじゃない?
もっと別の話題はあるだろ?
そうそう、やはりキムタク。
昨年11月のぎふ信長まつりで大いに話題となった。

僕は意外とこの手の記念的な大作は観ない。
豪華さばかりが目立ち、大味な作品になるのがその理由。

しかし、今回はそんなわけにはいかない。
生まれ育った地味な岐阜県をクローズアップさせてくれた。
ぎふ信長まつりをこの報道で初めて知った人も多いんじゃないかな。
そんな意味ではキムタクに感謝。

当然、本作も観なきゃいけない。
地元を愛する映画コラムニストとして劇場に足を運んだ。
東海地区の現象なのか、全国区にそうなのか分からないが映画館は混んでいた。
明らかに映画館に無縁そうな方々が目立った。
(そう思えただけかも・・・)

岐阜城や清州場を描くことで地元の方々が足を運んだのか、
番宣の効果なのか。
しかし、これをキッカケに映画ファンが増えて欲しい。
たまたまATMOSの劇場だったので迫力もあったし。

本作は168分と長い。
まるっと信長と濃姫の人生を描くので、その時間は必要なのかもしれない。
ただまるっと描くのなら足りない。
大河ドラマ並みの時間が必要。

そうなると演出はかなり難しい。
歴史的に外せないシーンも中途半端になりがち。
残念ながらそれを感じる場面も少なくなかった。

しかし、本作はそこが問題ではない。
あくまでも信長と濃姫を魅力的に描けばいい。
僕は本作を壮大なラブストーリーとして観ていた。
(途中からだけどね・・・)

かなりデフォルメされているが、
日本を代表する俳優2人の共演だから、これくらいやらないと。
誰もが思う最後の20分は予想を超える展開。
なるほどね。
そんなことを考えていたわけね。

いつの時代も大切なのは愛。
意見は分かれると思うが、
楽しませてもらい想像しないラストシーンになると思った。

つい、「どうする家康」や「麒麟がくる」の信長と比較してしまうが、やむを得ない。
個人的な感覚だが、明智光秀は「麒麟がくる」の明智光秀にそっくり。
描かれ方は異なるが、宮沢氷魚はワザと長谷川博己に似させたんじゃないか。
どうでもいいことを感じてしまった。

そして、出演者流れでもう一つ。
僕は以前から思っていたが、綾瀬はるかは身のこなし方が上手い。
殺陣もカッコよく様になっている。
そんな女優は滅多にいない。

とりとめのないブログになったが、楽しく過ごせる3時間。
興行収入もいいし、当面、話題は続くだろうね。

映画「ヒトラーのための虐殺会議」

正直なところ、映画としてはさほど面白くはない。
あくまでも個人的な感覚。
本作が面白いという人は多いし、評価も高い。
映画をこき下ろすものではないと理解してもらいたい。

実話の映画化で、上映時間112分の約9割は会議のシーン。
延々とユダヤ人への対応が話し合われる。
映画の解説にもあるようにここで決まったことがユダヤ人の虐殺に繋がる。
僕がここ数年で観たアウシュビッツ関連映画の元凶といっていい。

せっかくなので、紹介しておこう。
「アウシュヴィッツのチャンピオン」
「サウルの息子」
「アウシュヴィッツ・レポート」
アウシュビッツ強制収容所での悲劇はここで繰り広げられた会議の結果。
会議が不調に終わるか、もしくはなければ、
1100万人のユダヤ人の命は守られたのかもしれない。
実際はそんな甘っちょろいものではないと思うが・・・。

冒頭に映画は面白くないと書いたが、映画としては大いに意味がある。
それを当事者であるドイツが自ら製作し公開することに意味がある。
同じ過ちを犯さないためにも作品の存在価値はあるし、観る必要もある。

世界史をもっと勉強すれば理解できると思うが、
ドイツ人はなぜこんなにもユダヤ人を嫌うのか。
会議では全くと言っていいほど人間扱いをしていない。

世の中から失くすべく存在。
それを当然のこととして議論を進める精神は到底理解できないが、
当時は至極まっとうな議論だったのだろう。

本作を楽しむのであれば、ビジネスの視点で映画を観ること。
議論の進行方法、落としどころのポイント、論破の仕方、感情の押し殺し方など、
会議手法は学びになる。
こんな進め方が自分たちにとって都合のいい議論ができるわけだし・・・。

もし、僕がこの場に参加していたら、自分の意見を言えただろうか。
迎合してしまうか。
そんなことも考えてしまった。

先日の「SHE SAID その名を暴け」は数人の女性が世界を変えたが、
本作は10人程度の男どもが世界を最悪の方向へ持っていった。

結局、どんな時代でも人が何かを起こす。
多くの人を傷つける。
その点だけは頭に叩き込んでおきたい。

映画「バイオレント・ナイト」

今週末から公開される映画。
映画コラムニストととしていち早く鑑賞。
これも大事な仕事だよね・・・。

ポスターはぱっと見、ヤバそうな感じ。
タイトルも原題のまま。
こういう映画こそ洒落た邦題をつけるべきだ(笑)。
いや、そのまま方が危なっかしい雰囲気が漂っていいのか。

本来、クリスマス映画は11月あたりに公開され、
気持ちを盛り上げ当日を迎えるシアワセな流れだが、本作はそんなわけにはいかない。
そんな時期に公開されるとブルーな気持ちでクリスマスを迎えることなる。

その点では2月公開は正解。
この作品での学びを生かすには一定の期間が必要。
10ヶ月程の時間を掛けて、自分や親や子供を教育しなきゃいけない。
真っ当な人間に育てなきゃいけない。
そうしなければサンタクロースは狂暴化して恐ろしい存在になる。
プレゼントなんて夢のまた夢。

決してサンタクロースが悪者になるのではない。
どんな事でも時代と共に変化する。
サンタクロースも同様。

子供たちの嗜好が変わるようにサンタクロースの思考も変わる。
(上手い!)
ヤル気が出る時もあればヤル気が出ない時もある。

所詮、サンタも人。
感情に左右される。
(えっ、人なの?)
健全な子供には従うが、不健全な大人とは徹底的に戦う。

そう、このポスターに映し出されるヤバそうなサンタは実は正義の味方。
悪をコテンパンに倒すことになる。
そんなヒーロー的主人公ならR15⁺にはならないはず。

そこが単なるヒーローものと違う点。
キレたサンタはとてつもなくヤバい。
誰もコントロールできない。
パンパない動き。
ターミネーターばりだ。

きっとバイオレンス映画のファンなら大喜びするだろう。
ただそのジャンルだけで捉えるのは勿体ない。
社会派の要素も含む。
現代社会が抱える構造にサンタは疲れてしまうのだ。
一人ひとりがもっと素直になれたのなら、サンタは夢をかなえるプレゼントを送ってくれる。

ストーリーが全く分からないブログだが、それでいい。
自分勝手に妄想して映画を楽しんで欲しい。
願いも叶うかもしれないし。

映画「SHE SAID その名を暴け」

時に正義は残酷だ。
傷つけてはいけない人を傷つけてしまう。
それでも正義を貫かなきゃいけない。
僕らは背後にあるその辛さも理解しておくべきだろう。

それにしてもハーベイ・ワインスタインってとんでもない悪党。
自分の権力を利用してやりたい放題。
あの異常な性欲にはむしろ感動を覚えるが、
(もちろん軽蔑してます・・・)
映画界においてもビジネスの現場においては決して許してはいけない。

すでに周知の事実として解説すれば本作は実話。
映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインによる性的暴行を
ニューヨークタイムズの女性記者が訴えた社会派ドラマ。

このあたりを当然の如く製作するアメリカ映画を改めて尊敬。
つい数年前の事実をあぶり出し、世に出す力はさすが。
前トランプ大統領も酷い扱いで登場するし・・・。
英語の分からない僕でも声が似ているのは理解できた。
いやはや立派。

僕はこの事件を映画プロデューサーと女優間の問題と捉えていたがそれだけではなかった。
ヤツに使われる部下、秘書もその対象。
それが何十年もうやむやにされた背景にはアメリカの法的不備もあるだろうし、
弁護士が必ずしも正義になるとはいえない。

日本にも悪徳弁護士はいるが、アメリカは更にお金だけで動く弁護士も多数存在するんだ。
だから勘違い傲慢プロデューサーも生まれるんだろうね。

映画なのでドラマチックに作ってあるとは思う。
しかし、この2人の新聞記者の執念と真実に向かう姿勢はジャーナリストの鏡。
本人たちに働き方改革は関係ないが、それを支える旦那は素晴らしい。
家族は大変だが、こうした理解が仕事をする上で大切だと改めて感じさせてくれた。

主演のキャリー・マリガンは一昨年「プロミシング・ヤング・ウーマン」で知った。
とても面白い作品で彼女の役柄も魅力的だったが、今回は対照的。
同じ女優とは思えない。
もうひとりの主役ゾーイ・カザンと共にカッコいい記者を演じていた。

こう考えると取材を積み重ね検証し事実を明らかにするメディアは大切。
そこに対しては対価を払わなくてはならない。
ネットで全て無料ではちょっとね・・・。

数人の女性が自ら覚悟を持つことで結果的に世界が変わった。
その勇気がなければ今も根強い問題が残っていたかも・・・。
小さな力が世の中を変えていく。

こういった作品も観ておかないとね。

映画「ファミリア」

舞台は豊田市か・・・。

映画が始まって10~15分のところで役所広司が演じる陶器職人 誠治の車が映し出される。
その車は豊田ナンバー。
この時に映画の舞台が豊田市であることが分かった。

警察もパトカーも豊田なので明白になっていくが、
なぜ豊田かは理解できる人とそうでない人と分かれる。
本作は様々な人種や文化、生き方を描いた人間ドラマ。
先日の「とべない風船」も人間ドラマだし、なぜか続くね。

人種は在日ブラジル人が中心に描かれる。
そのブラジル人が住む団地は想像するに保見団地。
実際、多くの方が住んでいる。
僕は行ったことはないが、映画に近い雰囲気だろう。

本作では半グレの日本人とブラジル人の諍いが繰り広げられるが、
今から十何年か前にはそんな諍いがあったようだ。
僕らはどうしても日本人を擁護するが、それも一方的な見方。
彼らの置かれた境遇を理解せず、自分たちの都合で勝手な解釈を行う。
減少傾向に向かっても根深い問題は終わることはない。

ここではいくつかの「家族」が描かれる。
映画が持つ重要なテーマ。
十分に理解でき、考えさせられる。
ただ何もできない。
傍観者に過ぎない。
作品はそこを抉ろうとしているのか・・・。

半グレのリーダーはMIYAVI演じる榎本。
地元の不動産からレジャー産業、風俗まで手掛ける企業の御曹司という。
僕なんかは豊田のどこの会社だろうなんて、どうでもいい事を勘ぐったりする。
実際、近い会社は存在するのかな(笑)。

それにしてもMIYAVIは「ヘルドックス」のイメージのまま。
う~む、こっち方面に進んじゃうの?

映画の紹介では豪華俳優陣が惚れ込んだ物語と書かれている。
確かにそう。
感動作であるのは間違いない。

しかし、描き方がきれいすぎると感じた。
息子役の吉沢亮の立ち振る舞いは立派過ぎる。
僕はむしろ「とべない風船」の弱さに共感を覚える。

それは観る人を次第。
そんな意味でも年明けの日本映画は話題作が続く。
見比べながら「家族」の在り方を考えるのもいいかもね。