これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「アキラとあきら」

昨年のこの時期、こんなブログを書いた。
ドラマ「アキラとあきら」
約9時間のドラマを一気に観てしまった。
見応えがあり、ファミリービジネスを学ぶ者として参考になったドラマ。

その1年後の映画公開とはなかなかのタイミング。
相変わらず池井戸氏の原作は読んでいないが、観ないという選択肢はない。
次の研究会のネタにもできそうだし。

分かり易くいえば9時間のドラマを2時間で映画化。
相当端折らないとまとめることはできない。
そんな意味では上手くまとめているし、十分楽しめる映画。

が、しかし、何かが足りないと感じたのは僕だけだろうか。
原作を読んでおらず、ドラマをベースに考えるのはいかがかと思うが、
どうしても親族同士の諍いや会社の私物化、
粉飾に向かう企業姿勢は物足りなさを感じる。

血みどろの人間模様があってもよさそうだが、
意外にキレイに映し出される。
企業再生は苦労の連続のはずだが、
優秀な銀行マンはいとも簡単に解決してしまう。

奥深い経済ドラマを期待していた身としては寂しかったが、
エンターテイメント性や男の友情を期待する人にとっては満足度は高いはず。
決して映画を否定しているわけではない。
それは理解してもらいたい。

御曹司階堂彬をドラマでは向井理、映画は横浜流星。
銀行員をドラマでは斎藤工、映画では竹内涼真。
同じ役でも全く異なるキャラクター。

特に向井理と横浜流星では似た要素はない。
敢えてそうさせたのだろうか。
映画とドラマでは異なった人物像で描かれ、それが却って魅力的。

横浜流星がこんなに上手い演技をするとは思わなかった。
失礼しました(笑)。

唯一、東海造船の二代目社長階堂一磨がドラマも映画も石丸幹二。
セレブな雰囲気や知的さがマッチしてるんだろうね。

ドラマ、映画もカギとなるのはダメな伯父たち。
二代目社長の弟2人がボンクラぶりを見事に発揮している。
ユースケ・サンタマリアもアンジャッシュ小島もダメっぷりがいい。
きっとこうなんだろうなあ~という期待を裏切らない。

しかし、ここに存在するのはファミリービジネスとしての課題。
先日の名古屋ファミリービジネス研究会でも学んだが、
ファミリーとビジネスの境界線が大きな問題。
円滑なコミュニケーションがあれば、
誤った事業戦略も起きなかった可能性が高い。

兄弟の確執がビジネスへ悪い影響を与えた典型的な例。
やはりファミリービジネスのドラマとして捉えるべきか・・・。
映画を観た8割は熱い友情が企業を救った人間ドラマと解釈するだろうけど。

しかし、ここは同族企業の弱みを象徴的に晒す映画と解釈したい。
次のネタに使うためにもね。

映画「PLAN 75」

4年前に観た「十年 Ten Years Japan」
10年後の日本を描いた短編オムニバス。
当時のブログには自主映画みたいだと失礼なことを書いている。
すみません・・・。

その短編1作目が本作の基となった「PLAN75」。
タイトルも監督も一緒だったとは完全に忘れていた。
あらすじからこれが元である事はカンヌ映画祭の受賞の際に分かったが、
他は全部忘れていたわけね。
人の記憶はあてにならない。

それにしても早川監督はこの4年間、何をされていたのだろうか。
せっかく豊かな才能を持っていても映画を撮る環境は作れない。
機が熟すのを待っていたかもしれないが、
日本映画界の現実ともいえる。

埋もれた才能を発掘する場があれば、
もっと日本映画は盛り上がる。
そんなことを思ったり・・・。

本作は観ていて辛い。
決して遠くない世界であり得なくもない。
遠回しな表現だが、今の日本の大きな問題。

それを社会的弱者や外国人労働者をクローズアップし、
リアルな世界に近づける。
一見、社会問題を解決する道にも思えるが、
どうせ行うならもっと大胆に行うべき。

75歳以上の希望者といわず、75歳以上全員にした方がいい。
高額所得者や富裕層の反発を無視して実行すれば、
お金はもっとグルグル回るし、雇用も活性化するし、
オレオレ詐欺もなくなる。

中途半端にするから悲しい出来事に映る。
思い切って行えばコメディになるのだ。
チャップリンなら作ってくれるかもしれないし、
皮肉として社会に与えるインパクトは大きい。
まあ、非現実な話だけど・・・。

もし、自分がその立場ならどうするだろうか。
頭で理解できても、最後は感情が解を出すのは誰しも同じかもしれない。
本作の間の多さが、そんなことを考えさせる余裕も持たせてしまう。

それにしても倍賞千恵子さんも歳を取った。
寅さんの一作目あたりを見るととても可愛らしい女性。
アイドルといってもいい。
もう53年も前の話だから当然といえば当然。
いまでも可愛らしい女性だが、時代の流れを痛切に感じさせる。

いつ何が起きてもおかしくない。
そんなことだけは常に意識していたい。

映画「サバカン SABAKAN」

どこかで観たことのあるような懐かしさを感じさせる作品。
それが心地よくいい時間が流れていった。

本作の舞台は1986年の長崎。
小学5年生の夏休みの友情を描いている。
思い出してみると当時、僕は大学2年生。
青春を謳歌していた。

頭の中はろくでもないことばかり考えていて、
バイトとサークルと飲み会(合コン)に明け暮れていた。
ちょうどバブルに向かう頃。

親から譲り受けたオンボロ車を走らせ、いろんな場所に出向いた。
確か映画は「ビーバップハイスクール」が流行っていて、
本作に登場するようなヤンキーも全盛の時代じゃないかな。
長崎に比べれば名古屋は都会だったけど、
昭和を感じさせる人懐っこさが時代を象徴していた。

主人公の久ちゃんが憧れる斉藤由貴は僕と同じ1966年生まれ。
この頃、相米慎二監督や大森一樹監督のアイドル映画っぽくない作品に主演していた。
結構、夢中になって観ていた。
久ちゃんみたいな幼稚な行動はしていないが・・・。

小学5年生といえば多感になる時期。
助けてくれた女子高生の胸元をずっと見るのも仕方ない。
AIWAのラジカセも中流家庭の生活感があっていい。
育った環境は違うとはいえ、時代的な共感もノスタルジックにさせるのかも・・・。

ある意味、この作品は期待通りに物語が進む。
どんでん返しがあるわけでもなく、予想外の展開があるわけでもない。
ラストシーンだって想像できてしまうかもしれない。

しかし、それが本作の心地よさ。
笑うところで笑い、泣くところで泣く。
僕は映画館で大声で笑ったり、泣いたりはしないが、
前席のお客さんはとても分かりやすかった。
それがすこぶる健全。

痛烈に社会的なメッセージを発する作品もいい。
至極難解な芸術作品もいい。
ただ時には誰もが安心して感動できるハートフルな作品が必要。
健康的で自然体に向き合う姿を本能的に求めてしまう。
そんなことが大切だと教えてくれた映画。

タイトルにもなっているサバカン。
一つの味が永遠に記憶に残る。
味と共にその情景が浮かび上がる。

そして、思う。
サバ缶の寿司はそんなに美味いのかと・・・。
どこかで一度試してみようか。

草彅くんのナレーションはブラタモリを思い起こさせるのもいい。
夏休みの思い出を語るに相応しい映画。

またね~。

映画「キングダム」「キングダム2 遥かなる大地へ」

 

話題の時期は過ぎたかもしれない。
次回は来年の「キングダム3」だね。
一体、このシリーズはいつまで続くのだろうか。

原作を読んでいれば、映画がどこまで進んでいるか追えるが、
一切知らない身としてはひたすら後追いするしかない。
このあたりはコミック本を全巻持っている息子に聞いた方が早いな。

そもそも第一弾が公開された時は気持ちが動かなかった。
大ヒットした事実や長澤まさみの麗しい姿は知っていたが、
その程度で作品を観るまでには至らなかった。

そして、この夏の第2弾。
盆前に息子や娘に聞いても既に観たという。
そんなに面白いのか?
と硬い作品一辺倒の映画コラムニストの気持ちが揺さぶられる。

知り合いの大人たちも意外と観ていたりして・・・。
ミーハー的姿勢はいとも簡単に気持ちが崩され、
夏休み中に「キングダム」をAmazonプライムで、
「キングダム2 遥かなる大地へ」を映画館で観てしまった。

中国の歴史を学べるのかという浮ついた知識欲はあっさりと壊され、
何も考えずに楽しむのが映画だと改めて教えてもらった。
一人ひとりの名前を覚える難しさはあるものの、ストーリーはシンプル。
理屈抜きに楽しむことができる。
原作もこんな感じなんだろうか。

映画コラムニストとして評価するより、多くのファンが語っている。
僕が今更2作を語る必要はない。
次作がどんな展開になるのかを期待させる東宝の上手さが目立つ。
興行収入が読めるのは配給会社としてとても大切だね・・・。
これで稼いだお金を次の才能に回してもらいたい。

才能といえば、「キングダム2 遥かなる大地へ」で清野菜名の実力を知った。
彼女は愛知県出身。
かなり苦労した女優人生のようだが、彼女の表情はとてもいい。
元々、アクションで名を上げようとしたようだから、立ち振る舞いも様になっている。
これからのシリーズではカギを握る存在になるのかな・・・。

ほとんど作品の中身には触れていないが、僕も東宝の戦略にまんまと乗りそうな感じ。
大沢たかお演じる王騎のように手のひらの上で転がされるのかも。

何より老若男女が楽しめる日本映画の存在はありがたい。
来年も期待したいね。

人を遺す100年ビジョン

お世話になっている方の出版が続く。
本書もそう。
著者は名古屋で保険代理店を経営する(株)ネオライフプランニングの橘社長。
大変魅力的な勢いのある経営者で話を伺うだけで元気が出てくる。
知り合いが出版される度に、自分も!という衝動に駆られるが、瞬間的に終わる。

自分のレベルとの違いに愕然とし落ち込むことがほとんどなのだ。
本書は橘社長の生き様を描いているが、同じ気持ちになってしまった。

僕もそれなりの社会人経験を重ねてきたが、橘社長の経験は比較にならない。
それは自ら起業し、多くの困難を経て会社を成長させただけでも大きな差。
少年時代の経験もハンパない。

ボーっと過ごしてきた僕とは次元が違う。
修羅場経験の数だけ人は強くなれる。
それが手に取るように理解できた。

誤解を恐れずにいえば、同じようなハングリー精神を持った方は多い。
しかし、大半は失敗する。
ここまで成功されるケースは少ない。

エラそうに僕が語るわけではないが、
結局は諦めない精神力と人としての信用力が最後にはモノをいう。
そして、そこから生まれたことが先の100年ビジョンを描く。

きっとこういった方が業界でリーダーシップを発揮していく。
会社を更に伸ばしていきたい方に勉強になるのではないだろうか。

それとは別に勉強になったこと。
外資系の保険会社の構造が理解できた。

そこはやはり厳しい世界。
2年で半分が辞める離職率の高さも改めて知ることができた。
前職で成績を残し、スカウトされた方が、
入社しても結果として会社を去るケースがほとんど。

僕も30代の時に外資系保険会社から執拗に誘われたことがあるが、
もし乗っかっていたら、その後、どんな人生になっていたか。
想像しただけでゾッとする。
意外と上手くやっていたりして(笑)。

そうそう、今週25日は名古屋ファミリービジネス研究会day2
ゲストとして橘社長と長男の橘専務を招く。
親子でこれからの事業承継を語ってもらう。
それも楽しみ。

最後は宣伝っぽくなってしまったが、勇気をもらった一冊。
多くの方にも読んでもらいたい。

映画「アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台」

事実は映画のようにならないという映画。
いい意味で期待を裏切ってくれる。
何の予備知識もなく観た方がきっと楽しめるだろう。

僕が事前に情報を得ていたのは、実話を基に描いた映画であることと
予告編で観た簡単な流れだけ。
その程度の知識だった分、かなりドギマギしてしまった。
それが狙いではないだろうが、事実は映画のようにはならない。

今年は例年と比較し洋画を観る機会が多い。
それもハリウッド作品ではなく、ヨーロッパ周辺の作品。
本来、日本映画ファンで圧倒的にその比率が高くなるが、今年は少ない。
タイミングが合わないこともあるが、例年に比べ魅力的な作品が少ない。
そんな気がしてならない。
頼むよ、日本映画、私を喜ばせてくれ!

その分、僕の目線が海外に向かっていたり。
8月19日現在で映画館で観たのが32本。そのうち洋画が19本。
こんな割合は初めてじゃないかな。
その分、自分の知らない世界を知ることができ、学びも多い。
歴史を感じることも多い。

本作はフランス映画。
フランス語も分からなければ、俳優陣も分からない。

刑務所の囚人たちが演技を学び、それを舞台で披露する。
素人が舞台にチャレンジする姿が感動を呼ぶわけだが、
セリフの言い回しや舞台上での演技が上手いかどうか僕には判断がつかない。
プロ顔負けかもしれないし、素人囚人がそれなりに演技しているのかもしれない。

それが理解できるだけでも映画の楽しみ方は随分と変わってきそう。
地味な日本映画がやたら海外で評判が高かったりするのは、
理解しがたい面を理解しているかのような捉え方があるのかも。
評論家を疑ってるわけではないですぞ(笑)。

話は大きく逸れたが、人種や言葉は違えども人の心理は万国共通。
自分たちの存在価値に疑問を抱いたり、評価の在り方に不満を持ったり・・・。
喜びはどこかで逆に爆発させてしまう。

それが不条理。
サミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」もさっぱり分からないが、
そこが囚人と世間を上手く繋げているのだろう。

言葉や文化の壁は僕にとって支障にはなるが、
それが却ってベールに包まれて魅力的に映るのかもしれない。
そんな映画の観方も悪くはない。

大ヒットはしないと思う。
しかし、玄人好みの作品。
僕も玄人のフリをしながら楽しませてもらった。

映画「ナワリヌイ」

一年に何回かはドキュメンタリー映画を観た方がいい。
昨年観た「コレクティブ国家の嘘」というルーマニアの暗部を描いた作品も衝撃的だった。

本作が描くのはロシア。
国家権力の恐ろしさをまざまざと見せつけられる。

当然のことながらロシアで上映されることはない。
プーチン大統領が本作を観たかどうかは分からないが、いとも簡単に否定するだろう。
事実を認めることはあり得ない。

本作が真のドキュメンタリーであれば、僕らは嘆き悲しむ。
しかし、それも危険。
もしかしたらアメリカが意図的に仕上げたフィクションの可能性もなくはない。

一体どこに真実があるのか、
僕らが自分たちで見極める時期にきているのかもしれない。
それは連日報道されるウクライナ問題にせよ、
日本政府の否定的な報道にせよ、
メディアの発する情報を鵜呑みにせず、
自分自身で考える力を持たなければならない。

まだまだ踊らされている自分を感じながらも、
自分の確固たる意見を持てるようになること。
やっぱり教養なのか・・・。
そのためのインプットは欠かせない。

話がズレたが、本作はロシアの政治活動家ナワリヌイ氏を追いかけたもの。
2020年8月、何者かに毒物を盛られ、昏睡状態に陥ったが、奇跡的に一命を取り留めた。
その後、自ら調査チームを作り真相究明に乗り出した。

あえてそこを映像に押さえ、世間に知らしめることでプーチン体制を暴いていく。
その真相究明に賭ける行動力は目を見張る。
その結果、重要な事実が明らかになる。

このあたりの緊張感はハンパない。
ドキュメンタリーが持つ真の強さや正しさを感じる。
とても恐ろしい世界。

通常の場合、国家の内情を世界に問いかければ解決の道筋はできると思う。
しかし、そこは戦争を仕掛ける国。
そもそもの論点がかみ合わない。

映画を観てても、「そりゃそうだ」と勝手に納得してしまう。
それが植えつけられたイメージ。

この作品に終わりはない。
まだまだ途中段階。
ハッピーエンドで終わるのか、
最悪の結末を迎えるのか、
過去のニュースとして消えていくのか、誰にも分からない。

しかし、公開された事実をしっかりと受け止めたい。
それはどちら側に立とうとも。

映画「アウシュヴィッツのチャンピオン」

毎年、この季節になると戦争映画を観ている気がする。
それも第二次世界大戦の悲惨さを描いた映画を。
昨年は「アウシュヴィッツ・レポート」
一昨年は「ハウルの息子」

いずれもヨーロッパから、それも犠牲にあった国から見た世界。
本作はポーランドの作品。
最近、ヨーロッパ映画を観る機会が増えてるが、社会を痛烈に描く秀作が多い。

僕はここで歴史を学んでいる。
日本で公開される娯楽作が少ないだけかもしれないが、いい機会となっている。
アウシュビッツ強制収容所の実態も本作などで教えてもらっているのだ。

この類の作品を観る度につくづく歴史を学ぶ必要性を感じると共に
繰り返される愚かな行動を嘆くことになる。
強制的にこの手の映画を毎日観せたら世の中から戦争はなくなるかもしれない。
過ちを犯さない一番の教育だったりして・・・。

本作も実話。
ボクシングチャンピオンが過酷な労働を強いられる囚人仲間のためにあえてリングに立ち戦う物語。
こんな表現だとチープに聞こえるが、
自分の尊厳とかすかな希望のためにドイツ人の興行的な見世物小屋の場に臨む。

捕らえる側と捕らえられる側。
そのコントラストはその環境や人間模様を実に上手く描く。
一人の命の価値は置かれた立場によって180度異なる。
きっとどこかでマヒしてしまう。

いとも簡単に銃殺する司令官はボロボロになっても戦うボクサーの痛みは分からない。
そこに痛烈なメッセージを感じたり・・・。
第二次世界大戦が終わって70年以上経過しても、まだ知らない現実は山ほど。

本作に知っている俳優は一人もいない。
チャンピオンボクサー テディを演じるピョートル・グロバツキは本物のボクサーのよう。
その肉体や動きから観る者は錯覚するだろう。

そこが菅田将暉森山未來と大きく違う。
同じハングリー精神でも賭けるものが違う。
森山未來はこんな役も上手く演じられそうだけど・・・。

本作は絶望で終わるわけではない。
しかし、一年に一度は絶望の世界を見て、過去の過ちを知らなきゃいけない。

跡取り娘物語

ファミリービジネスを学ぶ者として多くのケースを知っておく必要がある。
本書もそう。
ここには15名の事業承継した女性の奮闘記が描かれている。

そのケースは様々。
幼少の頃から家業を継ごう思っていた女性。
無理やり家に戻された女性。
ふとしたキッカケで継ぐことになった女性。
おぼろげには感じていたんだけど・・・的な女性などなど。

地域も業種も規模もバラバラ。
共通しているのは今も事業が継続しているということ。
継続できているということ。

業界内で優位性にある企業もあれば、零細で家族経営に近い企業もある。
しかし、そこには歴史があり、先代の想いがある。
それを継ぐのは容易なケースは一つもなく、何らかの苦労が待っている。

紹介されている女性経営者はみな笑顔で平然とこなしている。
いやいや、さすが!
だから本書で紹介されているといえるわけだけど・・・。

女性の経営者、もしくは女性が会社を継ぐ割合は増えてきたとはいえ、まだ少ない。
日本の女性社長は2021年4月現在で8.1%。
これは過去最高で、1990年の4.5%と比較すると倍近く。

ただアメリカの中小企業では約3割が女性経営者だという。
そこと比較するとかなり低いと言わざるを得ない。
しかし、今後はそれも変わってくるんじゃないだろうか。

本書にも登場する諏訪社長や石坂社長が注目されたのもこの10年だし、
この類の書籍も考えられなかったし、意識的にもかなり変化してきたと思う。
僕の周りの女性経営者の方がむしろ責任感が強いと感じたりもする。

そうそう、本書には名古屋ファミリービジネス研究会でご一緒する丸山祥子さんも紹介されている。
そこも含め読んでもらいたいね(笑)。

いくら女性経営者が増え、かつ優秀だったとしても、僕が想像するよりまだまだ大変。
家業や事業に関わるかかどうかはともかく旦那さんの協力は欠かせないし、
子供が小さければ行動の制約は多い。
そうでなくても一般的に企業全体から見れば男性社会だし。
僕の所属する団体も女性会員はゼロだし・・・。

それも徐々に変わっていくのかな。
名大社はファミリービジネスではないが、最近は女性が幹部に登用される割合が高い。
いずれ社長が女性になるかもしれない。
僕のような鈍感な人間には分かり得ないきめ細やかな面もあるしね。

これからを楽しみにしたいね。
男性にも女性にも読んでもらいたい一冊。

映画「戦争と女の顔」

タイトルだけではどんな映画が判断できない。
意味不明な邦題のようにも思える。
原題は「Dylda」。
これもよく分からない。

ロシア語なのかウクライナ語なのかもよく分からない。
ロシアとウクライナの問題が日々報道されていても結局のところ、
僕らは何も知らない。
だから映画をストレートに伝える意味においては邦題は正解なのかも・・・。

事前情報も少なく、公開前の観たいリストにも入っていなかった。
たまたま上映時間があったに過ぎないが、これも何かの偶然。
今の時期に観ること自体に大きな意味があったのかも。

ロシア映画を観る機会は少ない。
2022年の今、ロシアでは映画は製作されているのだろうか。
ウクライナでは映画館は営業しているのだろうか。

そんな疑問も沸くが本作は2019年の作品。
第72回カンヌ国際映画祭ある視点部門で監督賞と国際批評家連盟賞を受賞している。
直接的なシーンはないものの戦争批判であるのは間違いない。

舞台は第二次世界大戦後のソ連。
女性兵の出兵の事実も知らなかったが、その女性の戦争後の葛藤を描いている。
戦争によって精神的、肉体的な苦痛を味わったことは容易に想像できる。
それが人を不幸にしてしまう病に罹り、自らを責め続ける。

信頼できるのは共に戦った同性の兵士。
同性愛に近い愛情が生まれ、それが更に不幸を招く。
理解できるようで理解できないシーンが続く。
冷静に判断すれば、どうしてそんな危うい行動に出てしまうの?
と首をかしげたくもなる。

しかし、悩むが故にその行動の正当性を僕らは受け入れる。
なんとも切なく辛いシーンの連続だが、かすかな幸せを感じることもある。
本作の終わり方はハッピーエンドなんだろうか・・・。

観る人によって捉え方は異なる。
この先に穏やかな生活が訪れる期待感もあるが、
最悪の事態を招くとも限らない。
ロシア映画って、難しいね・・・。

プーチン大統領はこの映画を観たのだろうか。
観たとしたら、何を感じたのだろうか。
そんなことも考えてしまう。

いえるのは戦争は勝った国も負けた国も人を不幸にする。
それは映画が教えてくれる。

政府の偉い方なのかな?
クセニヤ・クテポワの美しさばかりが目立つ。
それも何かのメッセージ。

唸りたくなるような映画だった。