これからも前向きに 名大社会長ブログ

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映画「トップガン マーヴェリック」

映画が始まり、いきなり鳥肌が立つ。
流れる曲はケニーロギンスの「デンジャー・ゾーン」。
飛行シーンと共に瞬間的に映画の中に吸い込まれていく。

多分、前作を観た世のオジサン、オバサンはほぼ同じ現象のはず。
先日たまたまワイン会でご一緒した同世代の女性は号泣しっぱなしだったという。
その伏線にいとも簡単にやられてしまったようだ。

前作の公開は1986年。
もう36年もの時間が経過している。僕もそのほとんどを忘れている。
ただバックに流れる名曲と大迫力の飛行シーンは体に染み込んでいる。
そこが映画が始まりわずか数分で覚醒された。

あとは映画にズルズルと引き込まれるだけ。
これだけ見事な続編は滅多にない。
それもしっかりと前作の流れを引き継ぐ構成。
続編までの時間は映画の中で消化されている。
その年数はさすがに36年ではないと思うが・・・。

トムクルーズ扮するマーヴェリックは一体いくつなんだろう。
少なくとも50代半ばのはず。
いやいや、これが現実ならあり得ない世界。
きっと老眼も始まっているし、あんな完璧なオヤジはいない。
あのハイレベルな技術を駆使するなんてできない。
トムクルーズさん、ちょっとカッコ良すぎない?

しかし、そんな話はどうでもいい。
ただ素直に映画を楽しめばいい。
架空の敵国がどこかなんて深く考える必要もない。
余計なことは全部吹っ飛ばしてしまえ。

超エンターテイメントと呼ぶに相応しい。
僕はエンターテイメント性の強い映画はもう卒業したと思っていた。
もっと大人の世界に向き合う映画コラムニストになったと・・・。

ただの思い上がりだった。
卒業どころか、映画のど真ん中にいる自分がいた。
まだまだ子供じゃないか・・・。

それにダメ押しするのがジェニファーコネリー。
こんな登場のさせ方なんてズルいとしかいいようがない。
そして、あのラストシーン。
う~ん、参りました。

最初から最後まで。
端から端まで超エンターテイメント。
見事にやられましたね。

できれば前作をもう一度観てから、現場に出向いてもらいたい。

映画「大河への道」

周りの評判がよく、それに導かれて観た一本。
とても身近さを感じた映画だった。
映画の中心的な存在である伊能忠敬や主演の中井貴一が身近なのではない。
4月にお邪魔した香取市が舞台だったのが、大きな理由。

その時のブログがこちら。
「フィールドワーク? いやいや、単なる男旅」

映画で描かれている世界がまさにここ。
お邪魔した伊能忠敬記念館も重要伝統的建造物が並ぶ小田川沿いも映画に登場。
つい2か月前に見た風景がまざまざと映し出される。
身近に感じないわけがない。

本作は中井貴一扮する市役所職員が伊能忠敬をモデルに大河ドラマの制作を仕掛けるもの。
香取市内ではチュウケイさんと呼ばれ、とても親しまれている伊能忠敬。
初めて日本地図を作った実績をもっと世に知らしめるべき行動を起こすが、
そこには今まで知られていない事実が発覚してしまう。

事実を知れば知るほど別の感動が生まれてくる。
そのドラマは確かに感動的。
それを大河ドラマにしても違和感はない。

しかし、それでは主役伊能忠敬が成り立たない。
そんなことを現代と江戸時代をシンクロさせながら描く。
それが観ていて心地いい。
涙あり、笑いあり。
正しい日本映画を鑑賞する感覚。

現代も江戸時代も出演する俳優陣は同じ。
中井貴一も松山ケンイチも北川景子も平田満も近い役どころ。
中でも上司部下の関係である中井貴一と松山ケンイチは絶妙。

どちらの時代もその苦労を上手に笑いに変える。
あんなすっ呆けた松山ケンイチも肩の力が抜けていい。
上質なコメディに繋がる。
ただの軽薄な兄ちゃんじゃないか。

日本の歴史を調べてみると3年ほどの時間なんて些細に思える。
長い歴史でいえば1~2年なんて大した話じゃない。
そんなふうに考えてしまう。

だがその些細な事実が歴史上とても重要で、過去を180度変えてしまう可能性もある。
まさに本作はその些細な事実を見逃さず、歴史を根本から変える。
となるとその当事者の評価も・・・。

忠実に歴史を描く映画も大切だが、こんな視点で作られる映画もいい。
様々な角度から歴史を描いてもらいたい。
日本映画ファンとしては・・・。

純粋に楽しめる作品でした。

これは、アレだな

高橋源一郎氏って、いつぶりだろうか。
きっとこの30年は読んでいない。
最近も活躍されているんだね・・・。

高橋氏がメディアによく出ていた頃、ちょくちょく似ていると言われた。
教養の高さではなく単に顔が長いことが理由だが、
そんなに悪い気はしなかった。
だったらもっと読んでもいいのにね(笑)。

本書は中日新聞か日経新聞の書評欄に紹介されていて、何気に手に取った。
最近は意図的に普段読まないジャンルに果敢にチャレンジ。
そんな大袈裟なことではないが、自分の興味の範囲内だとどうしても視野が狭くなる。
たまにはそうじゃない書籍を選ぶわけだが、それも意外と難しい。

表紙もタイトルもライト。
それが手に取った理由だが、中身もライト。
著者はもっと固い作家だと思っていたが、エッセイだとかなり柔らかい。

しかし、眼のつけどころはシャープ。
昔、流行ったね、そんなCM。

著者は『「これは、アレだな」は世界を豊かにしてくれる、魔法の言葉なのである』と書いている。
むむむ・・。そうなのか。

僕は極力、アレという言葉を使わないようにしてる。
無理にでも意識をそちらにもっていかないと「アレって、アレだよね?」なんてつい出てしまう。
実家に帰り母親と会話をするとアレのオンパレード。
「お兄ちゃん、こないだアレだったんだわ」
「ちゃんとアレ、やっといてね」
とそんな会話が続く。

ずっと一緒にいれば理解できるかもしれないが、いくら親子でも分からない。
「アレじゃ、分からん。アレばかり使ってるとボケるぞ」
と脅すが、一向に治ることはない。

結構な危機感を持っているんだが、高橋氏は魔法の言葉だという。
使い方が異なるので、安易に受け止めることはしないが、
いい解釈をすればその使い方は悪くないということか。
あまり責めちゃいけないね。

本書のアレは母親の会話のように言葉が出てこないのではない。
ある事実や歴史上の出来事が別のケースと似通っている表現として、
「これは、アレだな」と使っている。
そこには高い視点と知識があり、著者ならではの解釈がある。

凡人だと気付かないが、言われてみるとなるほど!と思う。
常に何かを意識して行動しろという注意喚起なのか。

目にするものは誰かと誰かが大きく変わるわけではない。
同じような情報を得ている。
しかし、受け止め方や感じ方は大きく異なる。
何も考えなければ、そのままその情報は過ぎ去っていく。
いかに時間を無駄にしてしまってるかも反省。

「これは、アレだな」
は言葉を忘れて使うのではなく、鋭い視点で使いたいね。

映画「シン・ウルトラマン」

なぜかワクワクしながら映画館に行ってしまった。
15年ほど前、息子と一緒にウルトラマンを観に行った時はワクワクしなかったのに。
確かウルトラマンメビウスとかウルトラマンマックス。
結構、冷めた目線で観ていたと思う。

その違いは何だろうか?
本作が子供の頃に見たウルトラマンに近いせいもあるだろう。
ウルトラマンのロゴ、登場シーン、その姿かたちが当時を思い起こさせ、ワクワクさせるのか・・・。

初代ウルトラマンの放映は1966年。
僕が生まれた年。
リアルでは見ていない。
リアルで観たのは「帰ってきたウルトラマン」が最初。
初代はその前後の再放送で見たのか。

変な社会性もあり、子供ながらに理解しがたいシーンは多かった。
そりゃあ監督も実相寺昭雄氏だったりするわけだから、よく分からない。
だから「ウルトラセブン」に惹かれたのかな。
いろんな技や子飼いの怪獣も持っていたし・・・。

さて、本作。
ウルトラマンへのオマージュが強く、同世代のオジサンたちが喜ぶように仕上がっている。
長澤まさみのアップや巨大化シーンに魅了されたオジサンも多いはず。

映画としては単純であり複雑。
複雑であり単純。
政治や国際情勢を絡ませ覇権争いを狙うあたりは現代チックで複雑だが、その決断は意外と単純。
いとも簡単に総理はハンコを押してしまう。
実際、ハンコは押していないけど。

そこも過去の作品へのオマージュなのかな。
初代ウルトラマンとの違いはカラータイマーがないこと。
当時は気づかなかったが、あれはない方がいい。
ピコンピコン鳴る状態を怪獣が知れば戦いを延ばせばいい。
自分の危機を相手に親切に教えるようなもの。
その反省があって、本作は失くしなのかな?
きっと関係ないね(笑)。

僕が個人的に気に入ったのがメフィラス星人役の山本耕史。
堀北真希の旦那なのは気に食わないが、最近の演技はいい。
大河ドラマ「真田丸」の石田三成役もよかったが、「鎌倉殿の13人」の三浦義村役もいい。
義時の相談相手としての立ち振る舞いがいい。
本作でもイヤらしい役を上手く演じていた。

映画を観終わって思った。
もう一度「シン・ゴジラ」や「初代ウルトラマン」を観ようと。

いやいや、「シン・仮面ライダー」もあるぞ。
これはどうかな?
来年の公開だから、随分先だけど。

オジサンの楽しみも増やさないとね。

映画「はちどり」

2年前に日本で公開された作品。
その時、本作の存在は知らなかった。
キネマ旬報外国映画ベストテンで2位のランクインで知っただけ。
映画コラムニストとしてはまだ勉強不足。

この年話題になったのは「パラサイト半地下の家族」
キネ旬でも1位だったし、アカデミー賞作品賞も獲得。
最も話題になった韓国映画だった。

その陰に隠れていたのが本作。
この年は韓国映画の当たり年だった。
日本映画も負けちゃいられないね。

それ以来、気になっていたが最近、ようやくAmazonプライムで鑑賞。
舞台は1994年、韓国ソウル。
今から28年前。
そうか、僕が結婚した年じゃないか・・・。

どんな年だっけ?
アメリカでW杯が開催され、
北朝鮮のキム・イルソン主席が亡くなり、
ソウルで大惨事が起きた。

それは僕が思い出したのではなく、映画の中で描かれる世界。
急に現実感が出てくる。
その時代の韓国の状況を僕は知らないが、描かれる世界はリアル。

男尊女卑。
明らかに扱いが違う。
モーレツな学歴社会。
ソウル大学を目指すことがエリートへの第一歩。
エリートになることが全て。
そうならないと豊かさを手に入れることはできない。

決して大げさではなく、当時をストレートに描いているのだろう。
日本人として違和感を感じるが、
28年前の日本だって、今と比較すればその働き方は違和感を感じる。
時代は少しずつ変化し、気づいた時はまるで違う世界になっているのだ。

それを14歳の少女の視線で捉える。
その視線は至極真っ当であるが、
(冷静にみれば・・・)
周囲の大人たちは理解できない。

とっても可愛い子だが不良扱いされ、
それに抗うかの行動もしてしまう。
誰しもが歩んだ道にも思える。
日本でもこの類の映画ってあったんじゃないかな・・・。

より繊細に描いている分、評価も高い。
その視線は50代の僕でさえ共感する。
爆発は青春の証だ。
ドンドン!

主役ウニを演じるのはパク・ジフ。
100%初めて知る女優だが、とても可愛らしい。
見方を変えれば彼女のアイドル作品。
そんな雰囲気もあったり。
いや、ちょっと違うか。

韓国はおかずは箸で食べるが、ご飯はスプーンで食べるのが一般的?
どうでもいいところが気になってしまった。

韓国映画、頑張るね。
日本映画も負けてはいられないね。

映画「死刑にいたる病」

本作のキーワードは「死刑」でもなく「病」でもなく「いたる」。
そんなふうに僕は感じた。

この映画がもたらそうとしたものは何なのか。
映画を観ながらも、映画を観終わっても、僕は回答できない。
映画に登場する人物同様、阿部サダヲに振り回されただけだ。
一体、どうしたいのか・・・。
それがまさに「いたる」だと思う。

僕はこれまでの白石作品をイメージさせながら観ていたが、明らかにジャンルは異なる。
目を覆いたくなるようなハードなシーンは彼の特徴でもあると思うが、
人物の描き方はこれまで以上に深刻というか異次元の世界。

今、僕の中で白石監督は日本映画で最も注目している監督。
かなりの作品を観ている。
明るく幸せな映画は皆無で、人の闇へ誘う作品が多い。

ちょっと病んだ人間が更に病み、傷ついた人間が更に傷つき、
どうしようもなく堕ちていくケースが多い。
その中でかすかな希望が見え隠れしたり・・・。

そんな作品ばかり。
映画を観てハッピーになりたい人は避けた方がいい監督の一人。
僕はどちらかといえば、そちら側に人間だが、
不思議と白石監督には惹かれ、本作も公開2日目に観てしまった。

どうやら闇に共感する一面が体内に潜んでいるのかも・・・。
しかし、そこを超えてしまったのが本作。
人として全うな面は見事にかき消されてしまった。

それは悪人が救いようのない極悪非道の悪人ということではない。
人を魅了し、なぜか好意を抱かせてしまう魅力を持つ悪人。
それも完璧に相手をコントロールし、
ギリギリになるまでそれが分かることはない。
分からないまま過ごしてしまう人物も多い。
それは獄中であっても、これまでの生活圏でも・・・。

死刑囚榛村大を演じる阿部サダヲはその役柄を完璧にこなす。
死んだような目つき、善人の塊のような笑顔など恐ろしいくらい。
彼が見事に演じることで極上のサイコパス作品が出来上がるのだろう。

それに付き合うのは心も体も疲れてしまう。
かなり観る者を選ぶ映画になるんじゃないかな。

これから白石監督はどこへ向かっていくのだろう。
益々、目が離せなくなってしまった。
きっとオファーは尽きないだろうから、今後も注目したい。

未鑑賞の「彼女がその名を知らない鳥たち」をまず観ないと。
そうか、これも阿部サダヲ。
この2人が組むとかなりヤバいかもね。

映画「カモン カモン」

映画を観ながら、ずっと思っていた。
僕は父親として子供のことを理解していたのかと。
子供の素直な気持ちを聞いたり、受け止めたりしていたのかと。

そもそも子育ても嫁さん任せで大したことはやってこなかった。
自分の価値観は押し付けたかもしれないが、
子供の価値観を理解していたのだろうか。
つくづく父親としては何もできていないな、
そんなことを映画を観ながらも、終わってからも感じていた。

本作は父親と息子の関係を描いた映画ではない。
ホアキン・フェニックスが演じるジョニーが
甥っ子であるジェシーを数日間、面倒をみて共同生活するというストーリー。
特に波乱に満ちた場面があるわけでもなく、
衝撃的な展開が待っているわけでもない。

移動を伴う仕事をするジョニーがアメリカの街を転々としながら、
ジェシーと関係性を築いていくだけの話。
ただそれが簡単でない。

当たり前だ。
9歳のジェシーは小さな子供。
親と離れた生活をそれほど深い関係でない伯父さんとするわけだから、
子供ながらの自分勝手な行動や感情が溢れ出る。
好奇心旺盛で聞き分けがいい時はいいが、そうでない時は面倒でしかない。

正論をかざしたとことで理解できる能力はまだ備わっていない。
その割にはませていて、一人前のことを喋ったりもする。
大人に対しての一定の理解を示す。
お互いの会話は本質を突き哲学的。
ハッとさせられ、冒頭に書いたように自分自身の未熟さを痛感する。

ジョニーの仕事はラジオインタビュアーなので、多くの人を取材する。
その大半が10代の子供。
置かれている環境は異なり、人種も含め多様。
その中で自分自身を表現している。
どの子供も真っ当な話をする。
子供らしさを感じれば、大人への不信感、将来への期待や不安も表現する。

それがジェシーの言動とシンクロし、観る者に余計な考えを生ませることになる。
まんまと僕は乗っちゃったわけね・・・。
うむ、辛い。

優しくするだけでもダメ、厳しくするだけでもダメ、
どう真剣に向き合うことができるか。
それは海外であろうと国内であろうと同じ。
万国共通で子供は子供で自分を認めて欲しい、愛して欲しいと思っている。

今頃、気づくようでは失格。
なんだかダメージを受けた映画になってしまった。

ホアキン・フェニックスはご存知ジョーカー。
本作では腹の出たオッサン。
同じ人物には思えない。

そして9歳のジェシー役のウッディ・ノーマン。
いやいや、天才子役だね。
とても演技しているとは思えない。

映画の中で時折話される、カモン、カモン。
そんな意味なんだ。
しかと受け止めねば・・・。

20年前に上映して欲しかった。
うむ。

13歳からの地政学

最近、「地政学」という言葉をよく耳にする。
特にロシアがウクライナ侵攻を始めてからは多くなった気がする。
僕が学生時代、ボーっとしていたせいかもあるが、
昔はそんなに耳にしなかったような気がする。
違うだろうか・・・。

書店にもその類の書籍が並ぶ。
佐藤優氏の著書か迷ったが、もっと手前から学ぼうと手にしたのが本書。
帯には真山仁氏が
「大人にこそ読ませたい未来を生き抜く必読書」
と勧めているし・・・。

文字通り13歳からの地政学なので、とても分かり易い。
高校生と中学生の兄妹がカイゾクと呼ばれる
アンティークショップの店主から7日間、地政学を学ぶ。

その学びの中で登場するのが地球儀。
地球儀のある国や地域を指しながら、周辺諸国との関係性を解説していく。

海を支配する国が強い国になること、
陸続きの国の難しさや少数民族を抱える国の悩み、
アフリカは何故豊かにならないのか、
地形で運不運が決まってしまうこと等々。

世界で起きている事実は知っているようで、実は何も知らない。
僕は表面をなぞっていたに過ぎない。
100年前の地球儀を見ると朝鮮半島は日本になっているし、
国の数が今より100以上少ない。

アフリカの国々の境界線が直線で引いてあることに
何の疑問を持たなかったのを恥ずかしく思う。
そこにも大きな理由があるのだ。

本書を読みながら、改めて自宅の地球儀をまざまざと眺めてみた。
普段はインテリアとして存在するだけで、埃も被っていた。

この地球儀、どうしたんだっけ?
ユーラシア大陸を見ると比較的新しいことが分かる。
選べるギフトでもらったのか・・・。

改めてロシア、ウクライナ、ポーランド、ルーマニアや
その周辺諸国を眺めるだけでも、いろんなことが頭に浮かぶ。
昨年観た「コレクティブ 国家の嘘」はルーマニアの映画。

その時は思わなかったが、こうして場所を確認するとその国の姿勢が腑に落ちる。
政治色も表れるわけね・・・。

地球儀の裏側も見てみた。今までひっくり返して見たことはない。
南極大陸って、こんなにデカいんだ・・・。
南極って、誰のもの?
こんなことも考えたことはなかった。
頭の中は13歳レベルってことか。

これを機会にもっと地政学を学ぶとしよう。
次回は佐藤優氏かな。
自分なりの考えを述べれるようにならないとね。

映画「ツユクサ」

ほんわかと幸せになれる作品。
映画を一言で表現するならそんな感じ。

登場する人物は決してシアワセな人生を歩んでいるわけではない。
それぞれが辛い過去を背負っているが、
その過去は過去として受け入れ真っすぐ生きている。

それもあくまでも自然体。
気負うことはない。
その流れる空気が実に心地いい。

舞台は伊豆の港町(多分)。
とても小さな街なので、街中はみんな知り合い。
ちょっとした噂もすぐに広まってしまう。
それを嫌がる人はおらず、それすら楽しんでいる感覚。

ネタバレしない程度に解説すると子供を事故で亡くした芙美さん(小林聡美)と
妻が自殺した吾郎さん(松重豊)とのちょっとしたラブストーリー。

松重豊はどこにいってもゴロウなんだ。
映画の中でも食事のシーンがあるが、井之頭五郎を思い浮かべてしまった。

この2人を中心に芙美さんの親友の小学生や会社の同僚が絡んでいく。
ここで存在感を出すのが同僚の妙子(江口のりこ)。
江口のりこが抜群に面白い。
「鎌倉殿の13人」でも独特のイヤらしさを出していたが、
本作ではコミカルに軽やかに絶妙な演技を見せる。
ほんわかさを上昇させているのは彼女のおかげ。

そして、やっぱり小林聡美がはまり役なんだろう。
雰囲気はCMやドラマのまま。
どこでも同じような気がするが、それが彼女の魅力なのか。

大林宣彦監督の「転校生」なんてもう40年前。
基本その時と変わっていないんじゃないかな。
そんなふうに思わせる。

なんだか出演者のことばかり書いているが、
小さな町のごく限られた登場人物だけで構成された映画。
そうなるのはやむを得ない。

映画的には昭和っぽさが残っているが、逆に今の時代だからこそ大切だとも思う。
コロナ禍で人との繋がりが希薄になったり、
妙なことで疲れてしまったり。
そんな時だからこそ温かい日本映画の存在はありがたい。

どこかの映画祭に出品する作品でも、
なにか特別な賞を受賞する作品でもない。
(すいません、失礼ですね・・・)
しかし、僕たちが忘れてはいけない何かと、
それを与えてくれる何かがこの映画に詰まっている。

個人的には好きな映画。
思わずホロっとしてしまうシーンもあるし。

そして、ラストシーン。
予想通りだが、予想を裏切ってくれる。
あの後、どうなったの?なんて愚問。
ステキなハッピーエンド。

愛に飢えたオジサン、オバサンは観た方がいいだろうね。

映画「英雄の証明」

映画評論仲間と観た作品。
一年半ぶりに自称映画コラムニストが集まり語り合った。
いい大人が真面目に映画について語り合う。
時にはそんな場も必要で本作が課題作。

映画鑑賞後、誰もが神妙な面持ち。
言葉に出さずとも同じような感想を持ったのは一目瞭然。
映画への不満ではない。
つまらなかったわけでもない。
ヘビーに考えさせられる映画だったのだ。

本作はイラン映画。
多分、初めて。
今年もいろんな国の映画を観るだろうし、上映機会も増える。。
先週はジョージアの映画だったし・・・。

外国の文化や習慣を知るにはその国の映画を観ること。
自分たちが知らないことを教えてくれる。

本作は受刑者を主役にしているが、その取り巻く環境でも驚かされることは多い。
借金を返せない罪で刑務所に入らなきゃいけない。
受刑者には休暇が与えられ、自由な時間を得ることができる。
それを見張る者はおらず、休暇が終わると自ら刑務所に戻る。

それだけでもちょっとした驚き。
日本人の生活ではあり得ない。

映画はその休暇中の出来事が描かれるが、このあたりは国を問わず普遍のテーマ。
人としての倫理観を問われ、誰もが自分の名誉や保身と向き合うことになる。
その人間模様は偽善的に映るが、それを否定するのは難しい。

自分が同じ立場になったらどうする?
と迫られると同じような判断をする可能性は高い。
自分にとって都合のいい正義を振りかざしていまう。
時に弱者をいいように利用し同情を誘うこともある。

身に覚えはないが、近しい些細な事象は誰もが持っているのではないか。
話題になるか、ならないかの違いだけで。
善がいきなり悪になる。

だから「英雄の証明」をしなければならない。
本当の英雄は英雄である理由を説明する必要もなければ、
証明も要らない。

国を問わずSNSやメディアが与える影響は大きい。
映画もそうだし、昨今の海外の動きも見てもそう。
発信力が与える影響の恐ろしさを改めて感じた。

神妙な面持ちになる映画なのは間違いない。