これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「金の糸」

本作の存在は全く知らなかった。
偶然観ただけのこと。
そんな表現では作品に対して失礼だが、正直な話。

では、なぜ観たか。
岩波ホールで上映されていたから・・・。

年明けのニュースで岩波ホールが7月末で閉館することを聞いた。
開館時からヒットしそうもない隠れた名作を上映する映画館とは知っていた。
一度くらいはお邪魔したいと思いつつ、機会がないまま今に至った。

これも偶然だろう。
最近、なぜか神保町に伺う機会が増えた。
そして、上手く時間調整できた。
それで観ることができたのが本作。
たまたまが重なったが、本作もいかにも岩波ホールらしい映画。

しかし、事前知識は一切なし。
ポスターからご老人が主役の映画と想像させるくらい。
オープニングのテロップが何語かさっぱり分からない。

どこの国の映画?。
映画を観ながら北欧?ロシア?とはっきりしないまま映画は終わった。
初めてジョージアの映画を観た。
本作は日本との国交樹立30周年記念作品で、その題材は日本の由来。

金の糸で過去を繋ぎ合わせるのなら、痛ましい過去でさえ財産になる。
ラナ・ゴゴベリゼ監督はそういう。
短絡的な観方だと老人の過去を振り返る恋愛映画になってしまう。

それは確かに短絡的。
現実はそんな甘っちょろいことではなく、激動の時代が背景。
ソビエト連邦下でのそれぞれ置かれた立場が複雑に混じり合い、今の生き方に反映されている。
壊れた人生を継ぎ合わせることで修復することもあれば、
知らなければ幸せな人生の最後を迎えられるのに知ってしまったり・・・。

それが静かに流れる音楽と共に淡々と映画は進行する。
ジョージアの古い街並みが見事に絡み合う。
こんな機会でなければ、ジョージア映画に出会うことはなかった。
岩波ホールに感謝かな。

お邪魔した時、館内は結構な混み具合。
普段がこの状況なら閉館することはないと思う。

しかし、僕も閉館を知って訪れたにすぎない。
そんな観客は多い。
気づいた時には手遅れになる。
そうならないように金の糸を引くことを常に意識できるといい。

最後にお邪魔できてよかった。
ありがとうございました。

なごや昭和写真帖 キネマと白球

たまには書店に行かなきゃいけない。
本書は書店でなければ買うことはなかった。
そもそも存在すら知らず検索することもない。

たまたま寄ったジュンク堂書店で平積みしてあるのを手に取った。
発行元の風媒社は名古屋の小さな出版社・・・。

かつて名古屋には名古屋タイムズという夕刊紙があった。
僕らは「名タイ」と呼んでいたが、今の若い人はその存在すら知らないだろう。
広告を取り扱ったことはないが、名古屋の夕刊紙といえば名古屋タイムズ、
中京スポーツ、元上司が在籍する日刊ゲンダイ。

マジメな情報はほとんどなく、
(すみません、ちょっとはあるかな?)
娯楽、スポーツ、ギャンブル、お色気が中心。
僕が20代の頃はまだ元気ではあったが、ピークはとうに過ぎていた。

「名タイ」は平成20年に休刊。
時代の流れには逆らえなかった。
全国には同じような紙媒体はいくつもあるんだろうね。

本書は「名タイ」が報道してきた映画と野球の世界を描いている。
それも僕が知る由もない昭和20年代、30年代を中心に・・・。
映画コラムニストの端くれとしては名古屋の映画の歴史も押さえておかなきゃいけない。

脈々と続く文化が今に繋がっている。
その昔、映画は娯楽の王様。
驚いたことにピーク時(昭和27年)には名古屋市内には69館もの映画館があった。
栄地区だけでも15館あり、伏見界隈にも多くの映画館が存在した。
僕の住む中川区にもあったり・・・。
今でもシネコンを数に含めれば近い数はあるが、捉え方は随分異なる。

僕が愛用するミリオン座はその昔もミリオン座として独特の存在感を放っていた。
記録写真では当時の街の風景共に映画館が写し出されているが、どのあたりかはイメージできない。
昭和30年代の名古屋の街並みで分かるのはテレビ塔と納屋橋くらい。

それを眺めながら、いろんな想像をするだけでも面白い。
本書を読んでいて思い出したことがあった。

僕は学生時代、名古屋駅前の映画館でバイトをしていた。
今、ミッドランドスクエアシネマを運営する中日本興業が
駅前にいくつも映画館を持っており、その一つでバイトをずっとやっていた。
時給は驚くほど安かったが、運営する映画館はタダで観れたので十分元は取れた。

それとは別に僕の所属する映研は栄にある東映会館で代々バイトしていた。
当時、週末にオールナイトをやっており勝手に出入りしていたし、
観たい映画は当然のようにタダで観させてもらった。
おおらかな時代だった。

その頃、映画館に掲げられた大看板は一枚一枚手作り。
いかにも画家崩れのような人たちが別の部屋で大看板を描いていた。
すこぶる上手かった。
上映の切り替え時はその看板の取り付け作業も手伝った。
今や映画館もシステマティックになり、そうじゃないとストレスを感じてしまうが、
そんな時代を懐かしく思った。

映画のことばかり書いてきたが、本書には中日スタジアム、中日球場、
ナゴヤ球場に絡むドラゴンズや他のチームのことも・・・。
昔は名古屋にも女子プロがあったわけね。

記念に取っておくにはいい一冊。
あんまり本書に触れてない気もするが・・・。

たまには書店に出掛けようね。

映画「アメリカン・ユートピア」

昨年の公開時に見逃した作品。
つい先日もミリオン座で再上映されていたが、それもタイミング合わず観れず。
つくづく縁がないと思っていたら、Amazonプライムに登場。
ようやく観ることができた。

結論から言おう。
本作は映画館で観るべき。
本当はLIVEに行くべきだろうが、最低限でも映画館で観た方がいい。

その方が映画の魅力が十分伝わる。
映画を観た実績は残るが、少し物足りないような気がしてならない。

そして、もう一つ思ったこと。
やはり英語を理解する力。
一般的な海外作品もそれを感じるが、本作はより感じさせてくれた。
字幕があるとはいえ歌詞が理解できるかで伝える側のメッセージ力は異なる。

この年齢から英語の勉強なんて、どうかしてるのかな(笑)。
しかし、本作を観ると年齢なんてどうでもよくなる。

主役デヴィッド・バーンは公開時69歳。
あの軽やかな身のこなし。
創造的な空間作り。
そして、クールだが熱い発信力。

どこを切り取っても年齢を感じさせることはない。
むしろ人間的な厚みを感じさせる。
汗もかいていないし・・・。
ミュージシャンはみんなそう。
あれだけ激しい動きをしても、汗だくの者は一人もいない。
う~ん、ナゼだ??

監督はスパイクリー。
僕が20代の頃、一世を風靡した感はあるが、久しぶりに聞く名前。
ここ20年の活躍を僕が知らないだけだが、
今はこんな斬新で前衛的な映像を撮るんだ。
カメラワークをみるととても1回のLIVEを撮ったようには思えない。
一体、どんな演出があるのだろうか。

そのシンクロ具合も絶妙。
だからこそ映画としての評価も価値も高い。

70年代、80年代、
僕は多感な時期だったが、トーキング・ヘッズはほとんど聞かなかった。
当時は正統派のロックを求めていた。

本作でも知っていたのは最後のアンコール曲のみ。
あとは初めて聞いた曲ばかり。
そのあたりでも楽しみ方も変わる。

より音楽を知り、映画館で観ればもっと楽しめた映画だった。
ちょっと勿体なかったかな。

映画「ファーザー」

昨年の公開時に見逃した作品。
アカデミー賞ノミネート作品であり、主演男優賞を獲得。
アンソニー・ホプキンスの受賞を映画を観た人は誰しも納得するところ。
自己と葛藤する痴呆老人を見事に演じていた。
とても演技とは思えなかった。

本作のような家族愛を描く人間ドラマは珍しくはない。
テーマとしてもオーソドックス。
そこは僕が見逃した理由でもあるが、観終えて感じたことは「実に新しい」ということ。

痴呆症の老人に振り回される家族を描く作品はどこかで観ている。
それは日本映画であろうと海外映画であろうと描く世界は近い。
しかし、その視点はあくまでも相手側。
痴呆老人の相手をする家族や仲間の視点で描く。

時に感情的になり、時に冷静になり、時にその対応に疲れ切ったり。
痴呆症を客観的に捉えることがほとんど。

本作はその視点を持ちながらも、圧倒的に痴呆症の本人の視点で描かれる。
痴呆症の方がどんな目線なのか、どんな気持ちなのか、実際は誰も理解できない。
分析する術はあるだろうが、感情面は本人しか分からないはず。
いや、本人も目の前で起きていることは分からない。

手元にあるべき時計はなく、いるはずの家族がいない。
架空の人物と実在の人物が入り交じる。
その区別がつかず、すべて実在。
もしくはすべて架空。

僕は将来ボケ老人にならないために思考力を維持できるよう普段の生活は心掛けている。
「あれだよ、あれ」という表現を極力なくし、頭の中で言葉を巡らせる。
それでも「あれですよね~」「あれはいいよね」なんて、言ってしまうけど・・・。

それもボケ防止のために必要なことだと思っていた。
もしかしたらそれは逆かもしれない。
より頭の中を巡らせたり、想像力を発揮させる方が痴呆症に近づくのかもしれない。

アンソニー・ホプキンス演じるアンソニーは、
(これはワザと付けた役名?)
想像力が豊かでボキャブラリーも豊富。
知識人であったのは間違いない。

だからこそより面倒な老人となり、家族を困らせる。
時々、困らせたことに気づきながら・・・。
多分、これが現実なのかな?と彷徨ってしまうのだろう。

だからだろうか。
この面倒くさい父親に共感してしまうし、感情移入もする。
自分の父親くらいの年齢なのに。
僕は子供の立場のはずだが、気づいた時に父親と自分がオーバーラップする。
未来の自分が映っていると錯覚に陥る。
全然違う世界なのに・・・。

僕はボケて周りに迷惑をかけるくらいなら、とっとと死にたい。
その考えは変わらない。
しかし、勘違いしたまま自分勝手に現実を受けてめて死ねるなら、それも幸せかと。

映画を観て、そんなことを思ってしまった。
映画に国境はないね。

プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる

無料のKindle版で読ませてもらった。
実際にお金を払う価値は十分あるが、
時にはこんな読み方ができるのも電子書籍のいい点。
昨年7月に出版された書籍なので、まだまだ新刊本の範囲。
これからのビジネスを予測しているが、すでに多くは現実のものとなっている。

それだけ変化が速いのか、新しい常識が瞬間的に浸透していくのか、
ネットがもたらす、むしろSNSを中心とした新たな価値の提供はあっという間に広がる。
ただそれはかつでゼロだったものが1になるのではなく、
元々存在した何かが新しい価値として認められたことにもなるだろう。

僕が携わってきた営業の仕事も見方を変えれば「プロセスエコノミー」に近い。
都合のいい解釈かもしれないが、商品の値段、実績だけで問われるのであれば、
僕らのような営業は不必要。
そこに絡む人がいて、その人から買いたいという気持ちがあるが故、売れるサービス。
だから同じ商品でも優劣が生まれるわけだし、満足度も変わる。

そんなプロセスなんてどうでもよく価格のみで判断する方も当然存在するわけだが・・・。
ある意味、ネットで販売するか、対面で販売するか、
手段は異なっても結果は同じともいえる。

全てのモノが見え、誰にでも比較ができれば検索能力で事足りる。
僕だって購入するモノによってはそれで十分だし・・・。

ただそれは僕のような「乾いてる世代」だからいえること。
これから社会をリードしていくのは「乾けない世代」。

「達成」や「快楽」を最大の価値としていた僕らはやはりワンランク上の生活を求めていた。
それがある意味、成功と捉えていた。
それが「乾いてる世代」。

だが、「乾けない世代」が求めるのは精神的な要素で、
物質的なモノより内面的なコト。
SDG’sへの意識もその表れ。
配慮のない製品は購入しない。

そこも大きな違い。
供給側もそれを考えて提供しなきゃいけない。
だからといって必要以上に高額だと買ってもらえないし・・・。

マーケティング4.0か。
よりハイレベルなマーケティングが求められる。
一体、裏で誰が操っているのだろうか(笑)。

「プロセスエコノミー」という考え方が共感を生み価値を創造する。
納得できる要素は多い。

一方で著者は弊害も指摘する。
プロセスに価値を置き過ぎ過激化すればどうなるか。
手段の目的化。
確かにそうだよな。
そこは十分踏まえないと・・・。

尾原さんはいつも多くを教えてれる。
僕のブログも信頼を得るためのツールになればいいけどね。

映画「ベルファスト」

本作を観たのはアカデミー賞授賞式の前。
ニュースだけ読む限り作品賞の本命視にされていた。
結果的には脚本賞を受賞。

作品賞は「ドライブ・マイ・カー」でもなく「コーダ あいのうた」
日本映画が受賞できなかったのは残念だったが、
「コーダ あいのうた」も感動的で素晴らしい作品なので異論はない。

特に意識はしていないが、今年はなぜかアカデミー賞候補作ばかり観ている。
おかげで先日の授賞式も気になり、速報もじっくりと観てしまった。
ウィル・スミスも大変だね・・・。

候補作はエンターテイメント性の強い作品から風刺の効いた社会性の強い作品まで幅広い。
本作の描く60年代のイギリスも観る者に共感を与え、
別の意味で悲しみを与え、今の社会問題とダブらせることもあるだろう。

どんな時代でも些細なことから問題が大きくなり敵対心を抱き、
取り返しのつかない状況に追い込まれる。
そこで犠牲になるのはけがれのない子供たち。

周りの雰囲気から危険は察知し身を護る手段の必要性を感じるものの、
揺れ動く正直な気持ちはどうすることもできない。
とてもせつない。

それは本音で生きようとする子供だからこそ表層的になるが、
大人でも同様の感情は抱く。
年齢を重ねる分、より客観的に冷静なものの見方ができるだけのこと。
気丈に振舞う強さを身に付けているだけ。

一体、誰が悪いのか。
誰もが人のせいにしたくなる。
自分たちの考えや行動は正しい。
相手を傷つけることも容易に正当化できるし、力でねじ伏せることも正義。
それはどんな時代も共通しているのかもしれない。

大切であるコミュニティが壊されてなくなる辛さは経験しないと分からない。
今、僕の住むエリアで大きなトラブルが起きることはない。
ちょっとした事故が起きる可能性はあるが一瞬の話。
長きに亘り互いを傷つけあうことはない。
人種問題も宗教上のいざこざも無縁。

それが当たり前の世界が理想だが、むしろ稀なケースなのかもしれない。
本作は俳優でもあるケネス・ブラナー監督の自伝的作品。
それはどこまで意識して作られたのだろうか。

今、2022年の時代だからこそ、
日本人がほとんど知らない(僕もね・・・)当時の問題を引き合いに出し・・・。
映画は時代の代弁者なのかもね。

冒頭とラストシーン以外は全てモノクロ。
夫婦のダンスシーンは魅力的だった。
いつでもあんな状況なら幸せなのにね。

映画「猫は逃げた」

猫が主役なら僕は本作を観ていなかっただろう。
今から35年ほど前、「子猫物語」という映画がヒットしたが、
僕はそれほど面白いと思わなかった。

昔、実家で猫を飼っていたが、
今みたいにペットとして大切にするというより当たり前に生活を共にする存在。
その程度だった。

確か名前は”たま”。
あまり猫に関心を持っていない人は、みんな、猫をたまと呼ぶのかもしれない。
無理やり映画に繋げているような・・・。

「カンタ」という本作に登場する猫は重要な役割を果たすが、あくまでもつなぎ役。
犬でも構わない。
しかし、タイトルが「犬は逃げた」だと少し危険な香りがするので、ここは猫で正解。
果たす役割は大きい。
なんのこっちゃ。

それはさておき昨日に続き今泉力哉監督作品。
猛烈に推しているわけではないが、
現代の若者を上手く描く監督としては注目したい。

派手な演出があるわけでも、人気絶頂の豪華俳優陣がスクリーンを飾るわけではない。
本作も無名に近い役者連中が自然体に振舞う。
却ってそれが何気ない日常を描いているようで心地いい。

ごく平凡な日常であるが、実際は全然平凡ではない。
ありそうでなさそうな展開だが、それが不自然じゃないから不思議。
ふわっとした感覚に包まれる。
強い人間は誰もおらず、みんな適度にだらしなく適度に真面目。
そして、適度に自己主張。
それがイマドキなのかも・・・。

簡単に言ってしまえば離婚の危機にある夫婦が飼い猫の親権(?)を巡って、
あらぬ方向に向かうストーリー。
どうでもいい内容というと身も蓋もないが、そのこじんまり感が人間ぽっくていい。

特にラストに近い4人の長回しワンシーンは唸ってしまうほど面白い。
脚本の妙なのか、うまく間をとる演出なのか・・・。

今泉監督は40年後、小津安二郎的な存在になっていたりして。
時代を上手く映す手法は大げさな表現だが近しい。

本作はR15+指定。
15歳以上が観れるわけだが、このあたりの境界線は難しい。
あるシーンがなければPG12で十分。

感覚的には若い女性客が多いかと思ったが、鑑賞日は圧倒的にオジサンばかり。
内容的には若者向けと思うが、休日午前の上映だったからか・・・。
暇しているオジサンは映画館に行くしかないのか。
人のことは言えない(汗)。

世代的共感を生む作品ではない。
しかし、こんな恋愛ものも悪くない。
そう思わせてくれる作品だった。

映画「街の上で」

本作に出演している俳優はほとんど知らない。
友情出演の成田凌と大河「鎌倉殿の13人」で殺された新垣結衣の旦那くらい。
彼の名前は出てこないけど、結構いい役だった。
せつないね・・・。

それはさておき、メインとなる俳優陣は活躍しているだろうが、僕は知らない。
ファンからすれば叱られるかもしれないが、
どこにでもいそうな若者としか思えない。

映画の作り方がそうさせるのか、みんな自然。
ごく普通に演じているように感じる。
もしかしたらそれがイマドキなのかもしれない。

上昇志向があるわけでもない。
カッコつけて振舞うわけでもない。
無理に気取る必要もない。
大きな夢だとか野望を抱くことなく、淡々と日常が過ぎていく。

それも半径5kmの世界。
下北沢という街が妙にしっくりくる。
そんな生活で満足なんだろう。
少しの刺激があれば十分生きていける。

僕らのような昭和な世代は、
「もっとガツガツいけよ!」とか
「女の子に家に泊ったんだったら・・・」
と思ってしまうが、大きなお世話。

リア充って、こんなことなのかなと思ってしまう。
こんなことを書くと作品への不満だったり、
若者への批判と捉えられてしまうが、決してそうではない。

なんだか居心地がいい。
そのふんわりした世界観も悪くないなと思ってしまう。
ムリしない生き方が楽でいい。
下北沢に住み、その界隈で飲みたくなる。
そんな生き方にも憧れたり・・・。

どうしてこんなに自然体に感じるのか。
固定でカメラを据えた長回しの撮影がそう思わせる。
見方を変えればNHKの若者を追いかけたドキュメンタリー番組のようだ。
セリフは日常会話だし。

いろんなスタイルが生まれる中でこんな作品が新しいのかもしれない。
そして、これが時代の象徴にもなる。
オタクっぽく思える今泉監督は時代に敏感なのか。

70年代を描く貧乏で時代を否定する若者。
80年代のバブリーでノーテンキな若者。
90年代の未来にもがくリアリスティックな若者。

常に映画は時代の若者を描く。
2020年代、これが象徴なのか。

そんなふうに映画を楽しむのもいい。

映画「偶然と想像」

このブログを読んで本作を観ようと思っても限界がある。
名古屋で上映しているのはシネマスコーレのみ。
それも来週で終了。
全国的にも少ないと思う。
AmazonプライムでもNetflexでも公開されていない。

僕が観たのも名演小劇場で上映終了前ギリギリ。
しかし、間もなく「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞優秀作品賞を受賞するから、
本作の再上映が増えるんじゃないかな?

今、最も話題の濱口竜介監督作品。
この1年で一番知名度を上げた映画監督。
僕もミーハー的に本作を観たに過ぎないけどね。

これは勝手な自分の観方だが濱口監督は女性の描き方が上手い。
ちょっとエロティックだったりする。
「ドライブ・マイ・カー」でいえば、奥さん役の霧島れいかさんは神秘的で妙に色っぽい。
三浦透子もあんな役柄なのに魅力的。

本作もそんな要素を最大限に感じさせる。
短編オムニバス3部作で構成されているが、その短編に登場する女性は妙に色っぽく魅力的。
同じような表現が続くな・・・。
ボキャブラリーが乏しいだけか(笑)。

第一話「魔法」の古川琴音さん、玄理さんや
第三話「もう一度」の占部房子さん、河井青葉さんの存在は知っていたが、
第二話「扉は開けたままで」の森郁月さんは映画を観るまで知らなかった。

彼女が一番艶っぽく映画を盛り上げる。
ただセリフを吐いているだけなのに・・・。
ちょっとヤバかった。

それが濱口監督の効果的な演出。
いかん、いかん、映画について何も語っていない。

ストーリーはタイトル通り「偶然と想像」。
偶然の出来事に想像を掻き立てられ、ちょっとした出来事に巻き込んでいく。
決して大きくない日常だが、普通は考えられない。

だからこそ偶然は人に大きな影響を与える。
時に恐ろしいし、時に魅惑的だし、時に存在価値をあぶり出す。
全て偶然が巻き起こす。
結局、人と人はそんなふうに繋がっている。

些細な展開だが、作品に惹き込まれていく。
それも心地よく・・・。

3本の短編で数人にしか登場しない人物はほぼ喋り続けるのみ。
巧みな会話に映画を観る者が巻き込まれる。

これが濱口監督のスタイル?
海外の批評家が評価するのも頷ける。
これからの作品も期待できるんじゃないかな。

濱口監督のこれからの活躍が楽しみになってきた。

起業の天才!―江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男

もし、朝日新聞のスクープがなければ、リクルートはどうなっていただろうか。
全く別の会社になっていたのかもしれない。
本書で書かれているようにGoogleの立ち位置に立っていた可能性もなくはない。
HR領域の情報発信のスピードも変わっていたのかもしれない。

リクルート事件が起きた時期は名大社も変革期。
僕の入社前後だが環境は大きく変わろうとしていた。

極端な言い方をすれば、
もし、江副氏が逮捕されていなければ僕は名大社の社長になっていなかった。
全然違う仕事をしていたかもしれない。
そんなことを本書を読みながら感じてしまった。

何事も自分事として置き換えて考えることが大切だね。
あっ、どうでもいいか(笑)。

この世紀のスクープで感じたのは妙な正義感は必ずしも経済にとってはプラスではない。
むしろ後退させる要素もある。
僕の目線が正しいかはともかく重箱の隅をつつくことが誰のためになるのか。

そんなふうに思ってしまう。
大きな宝をみすみす失くしてしまった。
それは日本のためなのか・・・。
やはり上から目線になってるかな。すいません・・・。

過去、後学のためにリクルート関連の書籍は結構読んできた。
そこから刺激を受けることも多かった。
江副さんの掲げた「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。
この言葉も素晴らしいと思う。

自社で使ったことは一度もないが、
(そこはやっぱりね・・・)
この言葉の深さは仕事をしていく上で大切。
使う人を選ぶけど。

本書は江副氏の生涯を追いかけ、その背景としてリクルートが描かれているが、
改めて人、企業の格の違いを見せつけられた。
いかに自分がちっぽけな人物かは痛感するし、大胆な打ち手一つとっても向かう姿勢は異なる。
残念ながら真似することはできない。
全てを敵に回す勇気もない。

だからこそ間違えないのかもしれない。
江副氏が晩節を汚したとは思わないが、どこかで何かが狂う。
それはお金か名誉かコンプレックスか。
野心の強さだけかもしれない。

しかし、どこかで間違う。
そんな成功者は多いように思う。
そう考えるとちっぽけで大して成功していない人間の方がいいのかも・・・。

そんなことを言いたいわけじゃない。
ただ一人の経営者の生き方として学ぶべきは多かった。

課題本だが、おススメの一冊。