これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

あの素晴らしい曲をもう一度

個人の趣味趣向であれば選ぶことのない一冊。
しかし、読み終えて感じたことは、
他人の薦める書籍を文句も言わず認める姿勢の大切さ。

おかげで自分では広げようのない世界を知ることができた。
そして、面白かった。
ここは素直に感謝しておこう。

著者は音楽評論家。
いろんな世代の音楽の書籍で発行している。
もちろん僕は初めてで、存在すら知らなかった。
著者の造詣の深さは十分理解できた。

本書が発刊されたのは2010年。
加藤和彦氏が逝去された記念に発刊されたといっていい。
ここで紹介されているのは1960年代から2000年代の音楽シーン。
当時、流行った曲や人気のあったミュージシャンを時代背景と共に紹介。

僕がドンピシャなのは70年代後半から90年代初め。
90年代後半や2000年代も分からなくはないが、ドンピシャではない。
時代をなぞっているに過ぎない。
TVや車で聞いただけ。
CDも持っていない。

それが80年代となると勝手が違う。
そこで流れる音楽と共に当時付き合っていた彼女のことや
スキーや飲み会のことまでセットで思い出すことができる。

もう35年以上前だが、そんなに昔に感じないのは不思議。
音楽的成長が停止しているだけだが、
もっとも身近に感じていた時代。

もっと遡れば70年代後半。
小学生高学年の時に「ザ・ベストテン」を夢中になって見ていた。
久米宏さんに憧れ、卒業文集に書いた将来の夢はアナウンサーだった。
原田真二も世良公則も八神純子もサザンオールスターズもこの番組で知った。
TVに出なかった松山千春をカッコいいと思ったのもこの時。

そんな懐かしさを感じながら読んだが、
僕が特に関心を持ったのは時代の流れ。
音楽シーンとその時代とは密接な関係があり、
当時の社会現象やテクノロジー、流行を反映している。

ただギターを弾き、フォークソングを歌ってるわけじゃないんだ・・・。

「若者の三種の神器」がテクノポップ、ソニーのウォークマン、電卓なんて初めて知った。
デジタル世代というのは今のZ世代と思っていたが、
80年代の僕らが「デジタル世代」と呼ばれていたんだ。
同じデジタルでも随分違うね。

レコードからCDになり、レコードが廃れ、
CDからダウンロードになり、CDが廃れ、レコードが復活。
当たり前の世界も視点を変えると新しい発見があったり。
CDが一番儲かるのかなあ~。

最近の音楽は疎いしカラオケも全然行かなくなったので、
日本の音楽が縁遠い世界になりつつある。
風呂や車の中で鼻歌を歌うくらいしか、口ずさむこともない。

それで年取っちゃうのかな。
気を付けないと・・・。

まとまらないブログになってしまったが、
一つ一つを思い出し、口ずさみたくなってきた。

う、ふ、ふ、ふとかね。

映画「前科者」

今年初めて観た日本映画。
かなり遅い。
このペースでは「私の中の2022年日本映画ベストテン」をアップすることができない。
ちょっと急がなきゃ・・・。
「私の中の2021年日本映画ベストテン」はなかなかいい出来だった(笑)。

本作がドラマ作品だったことは映画を観終えた後、初めて知った。
ちと情報入手が遅い・・・。
そして、保護司が無給であることも初めて知った。
ちと知識が足りない・・・。

保護司というのは犯罪を犯した人の立ち直りを地域の中で支える民間ボランティア。
非常勤の国家公務員。
想像するに癖の強い人もいるだろうからかなりキツイ仕事。
使命感がないとできない。

有村架純演じる保護司阿川佳代はコンビニのバイトでお金を稼ぐ。
それも保護司の仕事を最大限優先しながら。
この仕事をこなすには周りのサポートがないとまずできない。

佳代にひたむきな仕事ぶりに周りは最大限協力するが、
なぜそこまでひたむきなのかは誰も知らない。
映画を追いながら解き明かされていく。

それぞれ辛い人生を背負っているとしか言いようがない。
佳代の相手役となる森田剛演じる工藤誠も辛い人生を背負っている。
僕はなぜか昨年観た「護られなかった者たちへ」を思い出してしまった。
シチュエーションは異なるが人の描き方が似ているような気がして・・・。

本作も含め家庭環境を描く作品は多い。
そんな作品を観るといつも思うことがある。
親も子も育てる環境がいかに大事であるかと。

本作のように母親が父親に殺されるケースはレアだが、
虐待とかいじめとか貧困とか育つ環境が与える影響は大きい。
育てられる側のその後の人生を左右する。
それゆえ親の責任は重い。

映画というよりは頻繁に起きる巷の事件で親の無責任さを痛烈に感じるが、
どこまでいってもなくなることはない。
そして不幸は連鎖する。
少なくない確率において断ち切ることができない。

それをなんとか更生させようとするのが保護司。
僕は自分の周りは何とかできても、赤の他人を何とかする自信はない。
それに立ち向かう、いや、寄り添う佳代には感動を覚える。
有村架純だから尚更感動を覚える。

彼女がいいのは真面目で真っすぐだが、情に流される。
真正面からぶつかるが、結構弱い。
その人間らしさに共感する。

誰しも決して強くはない。
犯罪を犯す者も人としては弱くて脆い。
もっと手を差し伸べるべきだろうが、僕らは前科者というレッテルで人を判断する。

なんだろう。
本作は虐待する親も、レッテルを貼り差別する人も観るべき。
「は~い、わたしで~す!」
と手を挙げる人はいないが、少しでも見方が変わればいい。

重いが重すぎないのが本作の魅力。
明日への希望も見出せる。
有村架純が醸し出す雰囲気もあるんだろうね。

僕は鑑賞後、無性に牛丼が食べたくなり、吉野家に行ってしまった。
分かる人には分かるかな。

映画「コーダ あいのうた」

どこかの大統領が絶賛していたので、それに乗じて観ることにした作品。
その絶賛は間違いではなく確かなもの。
なんだか途中からずっと気持ちを持っていかれたような映画だった。

ただ歌っているシーンなのにグッとくるのは何故か?
歌声の素晴らしさもあるとは思うがそれだけではない。

いい曲を聴く機会はいくらでもある。
しかし、それで涙が出ることはない。
その背景や表情が気持ちを高ぶらせ、僕はウルウルしてしまったのか。
自分でも理由は不明だが、体が勝手に反応したとしたいいようがない。

ここまでの内容だとミュージカル映画と誤解する人もいるがまるで違う。
家族の中で唯一健常者の家庭を描いたホームドラマ。
主人公である女子高生ルビー以外、家族はろうあ者。

ルビーは家の中では手話で会話。
外では家族の通訳も務める。
それがコンプレックスにもなり、自分に自信が持てない。

家の中で歌の練習をしようが誰も分からない。
上手いかどうかも家族は判断できず、本人も理解する術がない。
友達には恥ずかしくて聴かせられない。

音楽教師と出会い、ルビーは才能を見出されるが家族は信じようとしない。
それは不思議でもなんでもなく、家族にとっては普通のこと。
そんな流れで物語は進む。

いつもは一切ストーリーを明かさないブログだが、
今回はある程度ネタバレさせないと映画の魅力が伝わらない。
まだまだ能力不足なのかな・・・。

そんなルビーの葛藤する姿がとてつもなく愛らしい。
夢を追いたい気持ち、
夢を諦めざるを得ない気持ち、
周りに翻弄されながらもがく彼女に僕は手を指し伸ばしたくなる。
「大丈夫だ!。行け!」
と声を掛けたくなる。

そんな映画。
貧乏でハンディを背負う一家だがそこに悲壮感はない。
手話では抜群に饒舌で、幸せな家族像を描いている。
しかし、娘が生まれた時の母親の気持ちは本音なんだろう。

僕はてっきり反対のことを言うと思ったが、それはむしろ演出感ありすぎ。
自然に正直に向き合う姿がとても暖かく、一つの歌が感動を生む。
家族は聞こえなくたって、全て理解できるのだ。
あんな音のない世界で感動したのは初めてかもしれない。

誰かみたいに絶賛状態になってしまったが、たまには心温まる映画もいい。
いかん、今年は海外映画ばかりだ。

邦画ファンの映画コラムニストなのに・・・。

今年も幸之助翁を学ぶ

著者の江口先生から頂いた2冊。

江口先生は松下幸之助翁の書籍を多数出版。
僕も全てではないが、ここ最近出版された書籍は大体は読み勉強させてもらっている。

その割には身になってないじゃないか!
というお叱りの言葉はここでは一旦置いておく。

仮に身になっていたとしても完璧はない。
常に何かは足りない。
理解し実践したとしても永続的でなければ意味がない。
何度も何度も読み直し、体内に入れなければならない。
それでも悲しいかな忘れてしまう。

どんな書籍でもそうだが、江口先生も幸之助翁も特別なことは言っていない。
原理原則。
経営の原理原則であり、リーダーの原理原則。
特段難しいことが書かれているわけではない。

しかし、それができないのも人間。
リーダー的なポジションをもらい20年以上経過する。
経営者になって10年以上経過する。

それは今も続いているので、一般的には成功者と思われるかもしれない。
仮にそう思われたしても一瞬に過ぎず、そのほとんどは反省を繰り返すばかり。
何度も何度も同じことを言われ、何度も何度も叱責を受ける。
きっと生きている間はずっとそうなんだろう。

それはリーダーや経営者を辞めても同じ。
生涯人として大切にしなければならない。
もう幸之助翁が亡くなられ33年。
書かれている内容は半世紀以上前に語られたこと。

それでも新たに書籍が出版されるには意味がある。
その経営哲学は変わらない。
不変のテーマ。
いつ読んでも何ら色褪せることはない。

「松下幸之助の神言葉50」には午前10時から午後5時までに語った言葉が書かれている。
ご本人の語り口調にテーマを載せてそのまま掲載しているといっていい。
それを50の項目に分けている。
「松下幸之助のリーダー学」はリーダーに必要な要素を13項目に分け63の教えを説いている。

この2冊とも知った内容ではある。
いずれも以前に学んだこと。
しかし、改めて気づかされる。
その時々の自分の置かれた環境で、同じ言葉でもその捉え方は微妙に異なる。
だからこそ同じ話を何度も何度もしなきゃいけないのだろう。

松下幸之助翁初心者、江口克彦先生初心者にはここから始めてもいいのかもしれない。
そして、心を許して遊ぶことなく、日々実践していかなきゃね。

はい、僕のことですが・・・。

映画「クライ・マッチョ」

もうそろそろかもしれない。
正直そんなことを感じた。

それは何か。
クリントイーストウッド監督が制作する映画のこと。
御年91歳。
その年齢で作品を撮ることも凄いが、普通に出演してしまうことも凄い。
それも派手なアクションもあって・・・。
派手ではないが小さなアクションも年齢を感じさせない。

いや、違うな。
年齢は感じさせるが、その動きはいつまでもクリントイーストウッド。
その存在感は変わらない。

僕らが求めていることにいつも応えてくれる。
しかし、その応え方は年齢や経験と共に変化する。
僕は本作を観て、クリントイーストウッドが優しくなったと感じた。

これまでのような強烈なインパクトやメッセージを感じることはない。
それは力を抑えているというよりはあえてそうしているように感じる。
自分と世間に過去の作品にも赦しを与える感覚。

自分へのオマージュではなく、彼の作品を好んできたファンへの感謝のようにも思える。
それが優しさ。

2000年以降の彼の作品は9割方観ている。
ここ10年は全ての作品を観ている。
年齢重ねるごとにいい映画を作っていると思わせる。
まだピークはこれから。
そんな錯覚を与えてくれる。

しかし、実際はそうではない。
周りの期待とは異なり、監督自身の向かい方が変わったように感じる。
ラストシーンがその象徴のように思えたのは僕だけだろうか。

本作に対しての評価は大きく分かれる。
傑作と絶賛する方もいれば、平凡な一本と酷評する方もいるだろう。
どちらも正解。
捉え方はそれぞれ異なる。

しかし、言えること。
もっとクリントイーストウッド作品を知らねばならない。
過去の作品を振り返り学ばねばならない。
本作の答えはそこにあるのではないか。

それって用意周到に組み立てられた演出?
事実だったら凄いな・・・。

なぜか優しい。
甘い言葉や態度を示すわけではない。
しかし、優しい。

こんな年寄りになれたら最高。

今回、映画の評論になっているかな?
多分、なってないよな(笑)。

LIFE SHIFT2 100年時代の行動戦略

最近、勢いがないせいか、先々のことをぼんやり考えることが増えてきた。
元々、人生を75年で描いており、この20年をどう全うしていこうかと思っていた。
しかし、この頃、やたら人生100年時代と言われ、
もっと未来を描く必要があるのかもと不安になってきた。

寿命が延びるのはいいことかもしれないが、僕自身はあまり魅力に感じない。
太くて短い人生の方が潔くていいと思っている。
長く生きるために食事を制限しお酒も慎むなんて、拷問のようだし。

一方でその先も意識はしなきゃいけない。
その点において、本書は参考になったといえる。
年齢を重ねることを前向きに捉えている人は、
否定的に捉えれている人に比べて平均7.5年長く生きるという。

理解できたことは20年先、30年先を描いたとしてもどんな世界になるかは分からない。
医学の進歩で痴呆もなくなるかもしれないし、
新たなテクノロジーが生活に及ぼす影響は予測できるものではない。

メタバースとやらが生活の中心となり、半径2メートルで全てが可能になるのは目の前かもしれない。
一日の平均労働時間が3時間になるかもしれない。
そう考えると未来の体を心配するよりも、
どんな時代の変化にも適応できる思考が大切なんだろう。

その思考もアップデートを繰り返す必要もある。
普遍的な思考もあるが、常に同じ思考では存在しない世界で生きていると同じ。
昭和や平成を懐かしむのはいいが、そんな時代が再度訪れるわけではない。

生きていくのは未来しかない。
そのためには学び続けることが大切。
いかに学びを止めないかもこれからの生き方に問われてくる。

今年の新年の挨拶でも紹介したことだが、これからの変化に対応するには5つの行動が重要だという。
先手を打つ。
将来を見据える。
「ありうる自己像」を意識する。
可変性と再帰性を意識する。
移行を受け入れる。

これが個人の行動指針といわれるが、一人では実現することは難しい。
どう周りとの関係性を維持しながら、新たなコミュニティも必要とし作り上げていく。
どこまでいっても人間関係。

それは怠ることなく、これからも築き上げていきたい。
そうなるとやっぱ一緒にお酒を飲まなきゃ・・・。

そこをゴールにするのはいかがかと思うが、後悔しない生き方はしていきたい。

映画「ハウス・オブ・グッチ」

映画コラムニストというよりファミリービジネスアドバイザーの立場として観た作品。
(なんのこっちゃって感じ?)
この作品をサスペンス映画と捉えるか、
名門企業のスキャンダルと捉えるかは観る人次第だが、
間違いなくファミリービジネスの崩壊を描く辛辣な物語。

それも実話を基に制作されている。
別世界の話ではあるが、目の前でも起こりうることも十分考えられる。
同族企業の経営者、後継者はぜひ、観るべきだろうね。

一般的に同族企業の評価は日本より海外の方が高い。
日本の場合、圧倒的に同族企業の比率が高く、かつ、伝統的な長寿企業が多い。
しかし、マイナス面でみられることが少なくない。

一方で海外はその反対。
本作だけでも一目瞭然。
グッチ家に誇りを持ち、ところどころに”famiry business”というセリフも発せられる。

当初、事業に興味になかった三代目長男も名前には拘りを持っている。
もちろん世界有数のブランドの影響もあるが、
それはグッチ家に限らず多くのfamiry businessにいえること。

そこに入り込む運送会社の娘。
それが主役レディー・ガガ演じるパトリツィア・レッジャーニ。
彼女が何気に凄い。

かなりの迫力。
それは肉体だけではなく、その愛情表現、精神力、強欲性、煌びやかなファッションなどすべて。
僕はレディー・ガガの演技を初めて観たが、その存在感に圧倒された。
派手なネエちゃんから憎しみに満ちたオバちゃんまで見事に演じていた。

脱税、著作権侵害、株の譲渡など同族企業ならではの問題を含んでいるものの、
グッチ家が彼女の言動に翻弄される。

ファミリービジネスアドバイザーの立場であればもう少し冷静な対応を提案するが、
そんな第三者が入る余地はなかったわけね。
お金の匂いを嗅ぎつけて甘い誘いをする輩はやっぱ登場するわけだけど。
そして最悪の事態に陥っていく・・・。

鑑賞前、作品の背景は50年ほど前の世界と思っていたが、事実は30年ほど前。
1980年代から90年代を描いている。
流れている音楽は僕が10代から20代にかけて聞いていた曲ばかり。
イメージできない世界ではない。

実際にこんな事件が起きていたとは知らなかった。
ニュースを耳にしたかもしれないが、素通りだったのだろう。
こんな真相だったとは・・・。

本作でfamiry businessを一番理解していたのは二代目のお父さんジェレミー・アイアンズってことか。
息子や甥への態度は間違っていなかった。
見る目もあった。

一人の存在や一人の死がfamiry businessの全てを変えてしまう。
学ぶ点が多い映画。

お~、ファミリービジネスアドバイザーとしてまとまったブログだね(笑)。

映画「こんにちは、私のお母さん」

1月はなぜかアジア映画の鑑賞が多い。
前回は韓国映画で今回は中国映画。
今年はアジア映画を攻める映画コラムニストと思うかもしれないが、そうではない。
(誰も思わないよね・・・)
たまたまではあるが、今年は普段観ないジャンルも経験するつもり。

本作は中国で大ヒットしたパラレルワールド・コメディ。
高校生の主人公が20年前にタイムスリップするストーリー。
高校生役のジア・リンが主人公で本作の監督。
僕は全く知らなかったが中国では人気の高い喜劇女優。
39歳で高校生の設定はかなり無理があるが、そんなに違和感がなかった。

ネタばれしない程度に紹介すると、
この高校生が交通事故で亡くした母親の若い頃にタイムスリップし、
若い時の母親を喜ばせようとする物語。
生前中は喜ばせようと思いつつ、全然喜ばせられなかったので。

それが涙を誘う。
超単純な展開ではあるが、グッとくる。
中国ではこんなお涙頂戴ドラマが人気があるんだね。
僕もついつい涙腺が・・・。

タイムスリップした時代は1981年。
当時を思い出すと僕は中学3年生。
テレビはもちろんカラーだったし、自動車はどんな家庭にもあり一般的な乗り物。

経済発展の著しい中国だが、当時は明らかに日本より20年遅れている。
白黒テレビを争奪戦の上、手に入れる時代。
それを近所中、集まって見る。
まるで「ALWAYS三丁目の夕日」で描かれている世界。

その時代感を受け止めるだけでも本作の価値はある。
みんな純朴。
牧歌的な要素もある。
大ヒットした背景にはそんな時代への郷愁があるのかもね。
考えすぎかな・・・。

僕が惹かれたのは若い頃の母親役を演じたチャン・シャオフェイ。
どんな女優さんかはさっぱりだが、NHK朝ドラのヒロインのような透明さと可愛らしさ。
彼女の表情がせつない。
はにかんだ笑顔もいい。
調べてもほとんど出ないが、きっと本国でも人気はあるはず。

テーマとしての新鮮味はないが、ほのぼのと笑わせながら、ところどころで泣かせる。
こんな作品はどんな時代でも、どんなお国柄でも求められるんだろうね。

映画「ドント・ルック・アップ」

大真面目なふざけた映画とは本作のことをいうのだろう。
ジャンルとしてはブラックコメディ。
笑うに笑えない映画を見事に制作している。

舞台は現代のアメリカ。
メリル・ストリープ演じる大統領はヒラリー・クリントンを思わせる。
しかし、イメージはトランプ元大統領。
政治に疎い僕でもそれが理解できるくらいだから、
本国では痛烈な皮肉に映っているのではないか。

それだけでもさすがアメリカ映画と拍手したくなるが、
映画は遠慮なしに最悪の事態へと進んでいく。
国をも動かすスマホ会社もどこかのようだ。
CEOの発言は大統領の権力をも上回る。
facebookやtwitterがトランプ大統領のアカウントを停止させてしまう程のインパクト。

アダム・マッケイ監督はそれも予測した上で映画を作っていたのかな?
ここまで書いたところでいつものようにどんな映画がさっぱり分からないブログ。

思ったほど話題じゃないので簡単にあらすじを説明すると、
彗星が地球に衝突し人類が滅亡の危機にあることを発見した天文学者の教授と
大学院生がその事実を伝えようと懸命に国に訴え、国を動かそうという話。
天文学者がレオナルド・ディカプリオで大学院生がジェニファー・ロレンス。

そこで登場するのがオーリアン大統領とバカ息子補佐官。
メリル・ストリープ演じるこの大統領が最高なのだ。
僕はもっと固い女優だと思っていたが、こんなサイテーな大統領を見事に演じきる。
サッチャー元首相だって演じれるのに・・・。
ラストシーンも衝撃的だった。
彼女のヌードは見たくはないけどね・・・。

本作は豪華俳優陣が出演。
勢いあるNetflixの力だとの噂も聞くが、この俳優陣が大真面目にふざけた演技をしている。
う~ん、凄いですね・・・。

これで僕の中のアダム・マッケイ監督の印象がより強くなった。
最近では「マネー・ショート 華麗なる大逆転」「バイス」を観たが、
社会派ドラマを上質なコメディ映画に仕上げている。
これからの作品も楽しみにしたい監督。

何気なく観た映画だったが、いやいや面白かった。
本当は「ジャスト・ルック・アップ」が正解だと思うが、
このタイトルにするのも皮肉っぽくていい。

映画「ただ悪より救いたまえ」

映画を観る前は、なんて不思議なタイトルなんだ・・・
と思っていたが、タイトルそのまんまの作品だった。
違和感も奥深さも何もない。
タイトルをそのまま映画にしただけの作品。

普段ならあまり観る機会がないジャンルだが、
北野武監督が作るヤクザ映画をイメージさせたためつい惹かれて観てしまった。
はっきりいってハチャメチャな韓国のヤクザ映画。
北野監督を想わせる面がなくはないが、とにかくハチャメチャだ。

しかし、それはアベンジャーズのような非人間的なハチャメチャじゃない。
強靭な肉体を持つ殺し屋とヤクザの真っ当な争い。
大きな理由もなくただ守りたい殺し屋と理由も忘れたただ殺したいヤクザとの壮絶な戦い。
そこに多くの人が巻き込まれ犠牲になる。

それも韓国であったり、日本であったり、タイであったりと国を跨ぎ、
それも地元マフィアも国家権力も関係なく、ただ殺すことだけを目的に果てしなく動き回る。
ある意味、単純明快、ある意味、虚々実々、表現が正しいかともかくそんな感じ。

最新のSFX技術を使うことなく、
(使っているかもしれないけど)
ぶつかり合う姿は小気味いいといっていい。

一時期流行った香港アクションにも通じる面を感じたのは僕だけじゃないだろう。
いや、これが韓国映画らしいのかな?
健全な精神を保つにはこの類の作品を2年に1回くらい観るのもいい。

本作には豊原功補や白竜らが日本のヤクザとして登場する。
しかし、その扱いはあっさりしたもの。
添え物に過ぎない。
韓国映画での扱いは軽いね・・・。

本作に正義は登場しない。
全部悪者。
しかし、殺し屋が正義に思えてしまうから不思議だ。

時間的余裕があるなら、またストレスが溜まっているなら、
ぜひ、観てもらいたい。
なぜか、清々しい気持ちになれる。

誰しもが悪から救いたいと思ってしまう。
それは間違いない。
本作を傑作だと絶賛する人も多いしね。