これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「スパゲティコード・ラブ」

本作は当初観るつもりはなかった。
気にはなっていたが、僕の中での優先順位は低かった。
それを見透かしたのか、またまたミセス日本グランプリ受賞の姐さんから
「山田社長、これを観なさい!」
とほぼ命令に近いコメントがあった。

姐さんの2021年のワンツーは本作と「あのこは貴族」
ちょっと趣味が違うなと思いながらも(笑)、素直に従うことにした。

確かに観る価値はある。
特に50歳をとうに超えたオッサン、オバサンは若い感覚を取り戻す、
いや、理解するためにも観ておくべきだろう。

新しい日本映画のスタイルともいえるし、今の若者像を忠実に描いた群像劇ともいえる。
映画というよりはミュージックビデオを繋ぎ合わせた感じ。
詩的でもあり実験的でもある。

表現は難しいが、タイトルの「スパゲティコード」とあるように何かが複雑に絡み合っている作品。
僕は映画を観るまで「スパゲティコード」という言葉を知らなかったけどね。
その時点で遅れているのか・・・。うむ。

僕の学生時代はバブル期だったこともあり、ノーテンキ一色。
もちろん将来のことも、人生の意味も考えていた。
しかし、それは1日の中の3分で、残りの23時間57分はお気楽な感じだった。
明るい未来しか描けてなかった。

本作には立場の異なる13人の若者が今を悩み、嘆き、生きる苦しさを心の中に抱えている。
見かけは僕の学生時代よりチャラいが、中身はかなり重い。
それが現代の正しい若者像かどうかは不明だが、
本作を観て共感する同世代は間違いなく多いはず。
同じしんどさを抱えてる。

解決方法は友達とダベることもあるが、頼るのはSNSでありオンラインツール。
電話なんて誰も掛けることはない。
つぶやく言葉もネガティブワードばかり。
もっと前向きに生きろよ!と声を掛けたくもなるが、バブル世代には何の説得力も持たない。

こんなことを書くと暗くて重い映画だと思うが、作品はリズミカルに展開し映像も美しい。
その撮影方法も前衛的な雰囲気を漂わせる。
冒頭に書いたミュージックビデオを繋ぎ合わす作り。

丸山健志監督はデビュー作で才能が花開いたということか。
何の実験でもなく、自分の作りたい映画を黙々と作ったらこうなったということか。
バブル世代の正統派映画コラムニストとしてはこの流れに付いていくのに必死だったが、
今後、この類の作品が当たり前に公開されていくのだろうか。
どうなるか見ものだし楽しみ。

舞台は東京ど真ん中。
夢をかなえるのも、人生の落伍者になるのも、東京にいるからこそ実現する。
都合のいい言い訳はできないわけね。

もっと前向きに生きろよ!と最後まで言わない終わり方でよかった。
やっぱり未来を明るくしていかないとね。

新版 番頭の研究

先月で終了した名古屋ファミリービジネス研究会でも紹介させてもらった書籍。
元々は僕が参加した勉強会で番頭機能を紹介されていたのがきっかけ。
そこに興味を持ち、元となるのが本書であることを教えてもらった。

初版は1997年の発行で新版は2011年の出版。
今から10年前の書籍でAmazonでも中古しか売っていない。
ブログを読んで本屋さんに立ち寄ってもまず見当たらない。
中古本をこまめに探してください(笑)。

ファミリービジネスの分野を学ぶと番頭の必要性が理解できるのだが、
あまり研究が進んでいないのが実態のようだ。

長い歴史を持つ日本企業の場合、番頭の存在がカギ。
その役割次第で企業の存続や成長が決まってくるといっても大袈裟でない。
分かりやすい例でいえばホンダの本田宗一郎と藤沢武夫の関係であり、
ソニーの井深大と盛田昭夫の関係。
あまり知られていないが松下幸之助には高橋荒太郎という大番頭がいた。
カリスマ経営者には陰で支える名番頭が必ずと言っていいほど活躍していたということ。

そうえいば大河ドラマ「晴天を衝け」でイッセー尾形が演じていた三野村利左エ門も
三井の大番頭として本書で紹介されている。
こう繋いで見ていくと歴史も理解でき興味深くなる。

番頭といっても一括りにはできない。
本書では番頭機能の分類として、大番頭、ご意見番、女房役、右腕型補佐役、懐刀に分けている。
トップがどんな存在なのかで、それぞれの役割が異なる。

一番存在が大きいのが大番頭で、時にトップを諫め暴走を阻止するとか、
社長以上に怖い存在であることが求められる。
今の時代に合わせれば参謀になるわけだが、
こうした機能のひとつひとつ理解し企業に当てはめていくと
果たすべき役割がより明確になるんじゃないかな。

僕が今後社会の中でどんな役割を担っていくかは不明だが、参考にすべき点は多かった。
個人的な見方だが、社長経験者がその後、別の企業の番頭役を担うのもいいと思うんだけど。
トップの気持ちも理解できるしね。

本書でもう少し解釈を深め、ファミリービジネスの分野でも役立てていきたい。
いい勉強になりました。

映画「梅切らぬバカ」

77分という映画としては短い作品。
しかし、短さを感じることはなく、かといって退屈さは一切ない。
頃合いの良さが鑑賞後の印象。

49歳の誕生日を迎えた自閉症の息子(知的障がい者にもあたる)と年老いた母親を描いているが、
そこに悲壮な雰囲気はない。
一般的にいえば、この親子関係なら楽しいことより辛いことの方が多いと考えてしまう。
もちろんそんな環境もあるだろうが、それは僕らが勝手に想像しているだけ。

親子には親子にしかわからない深い愛情があり、
その環境だからこそ幸せに思えることもある。
日常が当たり前すぎると関係性の有難さをむしろ忘れてしまう。
大いに反省するところ。
もっと家族に感謝しなきゃいけない。
映画を観ながらつくづく感じた。

本作に悪い人は登場しない。
周りに気を使い、自分たちの平穏な生活を健全に望む。
だが、時にそれが人を傷つけてしまうことも多い。
誰しもが自分の正しさを語っているだけなのに。

多様性の大切さを頭では理解していても、間近だと本能的に体が反応する。
なんらかの偏見が体の中に内在している。

それは僕も同じ。
いくら綺麗ごとを並べて理解を示しても、体のどこかでは別の反応をしてしまう。
そこに対峙させながら少しずつ深めていくしかない。

そんな意味では子供の方が純粋に世の中を見れるのかもしれない。
噓でごまかすこともできない。
大人になると汚れてしまうんだな。
そう思うと塚地武雅が演じた息子忠さんが一番純粋な生き方。

この親子がとてもいい味を醸し出していた。
加賀まりこはおっかないイメージしかなかったが、こんな優しい母親だとは・・・。
この母と息子が作品をほのぼのとさせ、普通に生活することの尊さを教えてくれた。

本作のプロデューサーは本間英行氏。
大学の映画研究会の先輩。
7歳年上なので部活では被っていないし、校舎も違うので接点はなかった。

僕は新人の頃、東宝の事務所でお会いしたことがある。
多分、本間さんは覚えていないと思うが、いろんな話をさせてもらった。
僕も映研の部長だったので、そんな点では近しい関係。
僕が東宝を受かっていたら、同じような人生だったりして・・・。
あり得んか。
身近な存在と勝手に思うことは許してくれるだろう(笑)。

あくまでも個人的に評価でしかないが、2021年の日本映画は秀作が多い。
今年は例年より本数を観ているせいもあるが、そう感じる。
本作もそう。

2021年も間もなく終わるので、今年は自称映画コラムニストとしても一年を振り返ってみたい。
あと1~2本観れるかな。

本作も何気におススメします。

映画「劇場版 きのう何食べた?」

先週の「老後の資金がありません!」と同様、当初はそれほど興味はなかった。
ただ予想以上に評価が高いので、どんなものかと足を運んだ。

イマドキのテーマ設定もいい。
それも社会性に訴求するのではなく、
ホームドラマっぽく娯楽性を求めるのもいい。

最近、西島秀俊の露出が多いと思うのは僕だけだろうか。
彼がいいのは無色透明なところ。
強烈な個性は感じない。
常に自然体に演技をしているように思える。

「ドライブ・マイ・カー」は妻を亡くした演出家だったが、本作は同性愛の弁護士。
演技は大きく変わらない。
確実に役柄は違う。
しかし、違和感を感じることがない。
僕が無色透明に感じるのもそんなところだろう。

そうそう、同性愛で思い出した。
彼は90年代のドラマ「あすなろ白書」でもそんな役。
売れる前のキムタクも覚えているぞ。
あの頃は月9を結構見ていたなあ~。

映画の話に戻そう。
大変失礼な言い方をすれば、本作のドラマはそれほどドラマチックではない。
大きな事件や激しい展開があるわけではない。
若干、自然体ではない状態を自然体に描いているだけ。
小さな出来事が繰り広げられるに過ぎない。

しかし、そこに現実があり、少なからず共感が生まれる。
描かれる世界が「いいものだ」と思わせてくれる。
その「いいものだ」はまだまだ日本では微妙な立ち位置。
家族も受け止めるべきと思いながらも生理的な違和感があるのも事実。

本作は否定するも肯定するもなく真っ当な人として描くのがいい。
その中にテーマでもある調理を上手くアップさせながら・・・。

西島秀俊の慣れた手つきの料理を見ていると自分もやらねばと思ってしまう。
そして、簡単にできそうだと思ってしまう。
これからの努力ですな。

男が料理をするのも当たり前な時代。
家人を喜ばせなければ・・・。
主役である西島秀俊と内野聖陽の会話を通し、僕らは家族のあり方を考える。
親としても子としても。
誰かを守ることは誰かを裏切ることにも繋がる。
多様化は全てハッピーとは限らない。

しかし、それが未来を作るのも事実。
娯楽作品の中に新しい希望を見せてくれたかもしれないね。

映画「老後の資金がありません!」

本作は僕が40代や60代だったら観ることはなかった。
舞台となるのがズバリ50代なので、ちょっと不安になり観ることにした。
意外と評判もいいしね・・・。
その割には僕よりも圧倒的に上の世代のお客さんが多かった。

作品としては世代を選ばず楽しめるし、とてもハッピーなコメディとして仕上がっている。
最近、暗い作品ばかり観ていたので、
笑って、ほんのりしんみし、ほのぼのする作品が体を癒してくれる。
やはりバランスは大切。
重い作品ばかり観ていると無口で陰気な50代になっちゃうしね。

映画の舞台となる後藤家は我が家に近い。
ローンのある一戸建てに住み、母はパート、娘は社会人、息子は大学生の設定。
ほぼ同じ。

ストーリーとして異なる点は生まれてくるが、ネタバレになるので書くのは止めておこう。
もしかして同じになったりして・・・。
それは困るな(汗)。

頷けた夫婦の会話を一部披露。
天海祐希扮する篤子さんが貯金の少なさに嘆くシーンがあり、その額が700万と分かる。
旦那章さん役の松重豊が「貯金は2000万くらいあると思ってた」と驚き、白い眼の篤子さん。
そんな会話。

僕も嫁さんに貯蓄額を聞いて、愕然としたのはつい最近のこと。
家庭のことを奥さんに任せっきりにしている旦那は全く家の実態を知らない。
後藤家も山田家も無駄使いしているわけではないが、意外なほど貯まらない。
ダメ親父の松重豊に共感してしまった(汗)。

思ったほど貯金のない中で、葬儀、結婚式などお金の掛かる行事が重なり、更に・・・。
そんなふうに物語は進むが、その切実さは笑いを与えてくれる。
本来不安でしかない要素を楽しめるのは、観る人によっては辛いかも。

しかし、それでも大丈夫と思わせてくれるのがこの映画の良さ。
喜怒哀楽を上手く演じる天海祐希の存在は大きい。
あんなスタイルのいいシュッとした50代の主婦はいないと思うが、
(50代の主婦の皆さん、ごめんなさい)
それが普通の主婦として溶け込んでいる。

そして何より姑役の草笛光子が素晴らしい。
とても88歳とは思えない身のこなし。
あれ、CGじゃないよね?と思わせてくれるほど軽快な動き。

2人の会話のやり取りもいい。
特に宝塚に入る、入らないの会話は知る人にとっては大きな笑いに繋がっただろう。
天海祐希の絶妙な表情も・・・。

確かに「老後2000万円問題」を心配する我々世代は多いと思う。
今後、どんな予期せぬ出来事が降りかかってくるかは分からない。
そのためにも少しでも貯金をしなきゃと考えるも仕方ない。

まあ、でも、なんとかなるんじゃないかな。
いざとなれば・・・。
そう楽観的な気持ちにも本作はしてくれる。

とても愉快な作品でした。

それでも映画は「格差」を描く

本書は書籍広告をぼんやり見ていたら、買ってくれ!とばかりに目に飛び込んできた。
無意識的にこの分野に関心があるのだろうか。
仕事とは直接関係ないが、自分が読まなければならない使命感にかられ手に取った。

なるほど、こんな視点で映画を観ることも大切。
少し前に読んだ「仕事と人生に効く教養としての映画」にも
「パラサイト 半地下の家族」や「万引き家族」が紹介されていたが、本書は別視点。
どちらにしても現代社会を表す代表的な作品といえるのだろう。

本書は格差をテーマに13本の映画を紹介している。
前述した作品以外に「ジョーカー」「ノマドランド」
「わたしは、ダニエル・ブレイク」「家族を想うとき」の6本は鑑賞済み。
残りは未鑑賞だが、タイトルすら知らない作品もいくつか。

映画コラムニストとしてはまだまだだと思いつつ、
どうエッジを立てていけばいいのか本書を読みながら学ぶこともできた。
一体何をしようと企んでいるのか・・・。

著者の町山氏は時代が映し出す格差を徹底的にあぶり出す。
それも作品に留まることなく、監督の傾向性を語る。
監督論の書籍といっても間違いではない。

例えば「パラサイト 半地下の家族」のポン・ジュノ監督については育ってきた環境から
デビュー作の評価、社会との関わり、韓国経済が監督にもたらした価値観まで深く掘り下げている。
ポン・ジュノ監督がなぜ「パラサイト~」を作るのか、その背景まで理解できるのだ。

その上で国内に広がる「格差」を強烈な映像をメッセージとして送り続ける。
「万引き家族」の是枝監督も同様。
過去の作品が何らかの形で繋がっているのだ。
予想以上に監督のこだわりは一貫しておりシンプル。

それが社会性を生む出している要素でもあるだろう。
ケン・ローチ監督なんてその代表選手なのかもね。

格差といっても国により事情は異なる。
非正規雇用、生活保護、ワーキングプア、虐待など背景は異なるが、
すべて貧困に繋がっているのは事実。
犠牲は子供だけでなく、シングルマザーでも老人でも。

映画を観るとハッとさせられるが、普段の生活ではあまり感じることはない。
せいぜい悲惨なニュースを見て嘆くくらい。
まだ偏った見方もあるだろうし、僕自身が「自己責任」に拘っている面も多い。
映画はその認識の甘さを否定してくれ、別の角度から大切なことを教えてくれる。

本書に登場する監督は過去の作品や監督から影響を受けているが、
代表的なのはチャーリー・チャップリン。
「キッド」でも「モダン・タイムズ」でも「黄金狂時代」でも職にあぶれた主人公が街を彷徨う。

時代は関係ないようだ。
これを喜劇として描いているが、チャップリンはこんな名言を残している。
「人生をロングショットで撮れば喜劇になる。クローズアップで撮れば悲劇になる。」

なるほどね。
遠くから見たら顔の表情なんて分かんないしね。

今年観た映画でいえば「ミナリ」「茜色に焼かれる」もこのジャンルだろうね。
こんなことばかり追っかけていたら映画はツラくなるばかり。
その分、その反対側も大切にしていかないと。
これからもポジもネガも併せ持ち映画を観ていきたいね。

本書で紹介された「バーニング 劇場版」は近いうちにAmazonプライムで観てみようと思うけど。

映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」

最近、実話を映画にした作品を観ることが多い。
外国映画はほとんどそうじゃないかな。
アウシュビッツ・レポート
「MINAMATA」
「コレクティブ国家の嘘」
コレクティブ~はそもそもドキュメンタリーか。

映画をより楽しむなら「007ノー・タイム・トゥ・ダイ」や「エターナルズ」の方がいいが、
どうも足がそちらに向いてしまう。
それもネガティブなテーマばかりに。

ノー天気な性格から脱しようと秘かに企んでいるのか、単に病んでいるだけなのか。
真面目に言えば映画を通して社会の闇を感じたいんだろうね。
その意味では本作はアメリカ社会の闇そのもの。
いつも思うことだが、そんな作品を堂々と制作するアメリカ映画はやっぱ凄いね。
さすが自由の国。
忖度なんて言葉はないんだろう。

本作がどこまで忠実に実話を描いているかは不明だが、想像するにより現実に近いのではないか。
派手なパフォーマンスもなければ、必要以上に悲劇を演出するわけでもない。
あくまでも事実を正確にあぶり出す。

そんな気がしてならない。
それが却って恐怖心を煽り、国家の危うさを知ることになる。
オバマ大統領も柔軟な態度ではないんだ・・・。
ちょっぴり残念。

やはりその事実を認めたくはないんだろうね。
仮に僕が大統領であっても、
(あり得ないことだが)
闇に葬りたい気持ちは芽生えるだろう。
国の評判を落とすだけだし・・・。

他の国でも同じような事件は起きていると思うが、
アメリカ映画のように堂々と発信できないだろう。
日本も中国もどこかも・・・。

その時点であっぱれかもね。
やっぱり正しさをもみ消したらいけないと思うんだよね。

残念なのは映画でしかこの事実を僕は知ることがない。
単に自身の知識不足もあるが、このニュースはどこまで国内に入ってきたのだろうか。
結構、素通りだったりして。
そう思うとミリオン座には感謝しなきゃいけない。

本作で久しぶりにジョディーフォスターを観た。
随分と年を取られたと思ったが、それは当たり前。
よく作品を観た時代は僕も20代だったわけで、彼女が60歳になるのは自然な流れ。
それでも老けていないし、カッコよさも感じる。
いい年齢の重ね方をしている女優だ。

先日、たまたま若かりし頃のブルックシールズを観たが、
彼女は一体どうしているのだろうか。
いかん、本作とは全然関係ない方にいってしまった。

今年の中でも重厚な社会派映画で観るべき作品だが、
唯一、ケチをつけるとすれば映画タイトル。
”黒塗りの記録”は必要ないと思うんだけど、僕だけかな。

嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか

名ばかりのドラゴンズファンだが、読んでおかなくちゃいけない。

僕の周りにも本書を絶賛する人も多かったし・・・。
絶賛した一人タカイは今週のブログでアップしていた。
ネタ被りだが、ここはやむを得ない。

感想を一言で言ってしまえば、いやあ、メチャクチャ面白かった。
グッとくる場面も多かった。
興奮もした。

やはり大切なのは言葉か。
その言葉の重さが一人の選手の行動を変え、選手としての価値も変える。
元日本ハムファイターズの白井氏の言葉とは異なる。
コーチングの世界ではないが、相手に気づかせる点においてはそれに近い。
魔法の言葉ではないが、受け取った側は後になって魔法の言葉と気づく。

本書のことはいろいろと書きたいが、どこから書けばいいのだろうか。
タカイのような難しい表現はできないし・・・。

ビジネス本でもあるがスポーツノンフィクションのジャンル。
さらにいえば私ノンフィクション。

このジャンルは久々に読んだ。
著者の鈴木氏は落合監督に随行しながら、
(彼は名古屋の高校を出て名古屋の大学の出身。それだけでも身近に感じる)
そこから受ける印象を一人称で表現している。

沢木耕太郎氏の世界であり、金子達仁氏が中田英寿と共に過ごした世界。
著者がどこまで影響を受けているかは不明だが、そんなことを感じた。
雑誌「Number」も全然読めていないので最近の傾向はわからないが、目線はあくまでも主観。
そこに客観的事実が入るため、より落合氏の人物像が明確になる。

嫌われている人物として描かれているが、そこには最大の愛とリスペクトがある。
そんな気がしてならない。
鈴木氏は落合氏との8年間を通し自分のキャリアを築きあげた。
その感謝の念も本書に間接的に表現されているように思う。

落合氏は一流の選手を作っただけではなく、一流のライターも作ったのか。
やはり育てたというべきか・・・。
それも著者に投げかけた言葉から始まっている。

「お前はもっと数字を残せる。一流ってのはな、シンプルなんだ。前田を見ておけ」
「五年、だからな」
「野球ってのはな、打つだけじゃねえんだ。お前くらい足が動く奴は、この世界にそうはいねえよ」
本書に登場する選手に発した言葉。

言葉は乱暴で素っ気ないが、選手は気づき、勇気づけられ、自分の果たすべき役割に立ち向かう。
きっと投げかけても気づかずに終わった選手もいるはず。
そこに救いの手は差し伸べない。
気づかなければそれで終わり。
ある意味、それがプロの証明だと落合氏のメッセージに思えてくる。

落合氏の魔法の言葉は勉強になるが、残念だが企業では使えない。
しかし、妥協を許さない、すべての評価は結果、好き嫌いも差別もない。
そんな姿勢は企業の責任者やマネージャーは学ぶべき。
やはりビジネス本か・・・。

ドラゴンズの球団や親会社の派閥が描かれているのも面白かった。
大島派、小山派なんて顔が浮かんでしまうじゃないか(笑)。

いずれにしてもチームは強くないとなんら説得力は生まない。
果たして来シーズンのドラゴンズはどうだろう。
立浪新監督に期待したい。

と本書とは関係ない終わり方だが、おススメの一冊であるのは間違いない。

映画「護られなかった者たちへ」

この秋は観たい映画が多い。
そのため本作を観るのが遅くなってしまった。
間もなく公開も終わるだろうから、観客動員のお手伝いはあまりできない。

すみません・・・と謝っておこう。
予告編に重さを感じたため、後回しになってしまった。
その割には重たい作品ばかり観ているけど。

後回しの理由の一つに東日本大震災がテーマであることが挙げられる。
直接的ではないがこの凄まじい震災が起こした悲劇は理解している。
本作はフィクションではあるが、その悲劇が直に届きそうでたじろいてしまった。
この事件は現実に起きる可能性も十分感じるし・・・。

実際にそれに近い事件は発生しているだろう。
この震災が原因でその後の人生が大きく変わった方の存在を僕らが知らないだけ。
やむを得ず不幸を背負う。
その不幸は誰にもぶつけることはできない。
瀬々監督はそれを代弁しているのか・・・。

ネタバレしない程度に話しておくと、
本作は善人と呼ばれた方が餓死させられる事件を追うもの。
ポスターだけでも想像できるように刑事は阿部寛、容疑者は佐藤健。

なぜ、阿部寛は刑事役が似合うのだろうか。
絶対、犯人役ではない。
別の作品を思い出した人も多いと思うが、それは僕だけ?

それはどうでもいい。
この刑事役と容疑者役を中心に映画は進む。
それも事件が起きている現在と震災直後をシンクロさせながら、
互いの人間関係や人間性をあぶり出していく。

そこで僕らは震災がもたらした不幸を痛感し、生きる辛さを感じていく。
かすかな希望はあるものの、厳しい現実にかき消されていく。
誰も容疑者や犯人を責めることはできない。
善人は善人としての行為を全うするが、人を幸せにできるわけではない。
結局は全てが被害者だということ。

もちろん映画の世界。
作られた世界の話に過ぎない。
しかし、いつ何時、この悲劇が自分の前に襲ってくるとも限らない。

自分の意識や行動はコントロールできるが、自然災害は従うしかない。
抗うことはできず、ただ受け入れるだけ。
自分で護ることも護られることもできない。
無力さと向き合うだけなのか・・・。

決して楽しめる映画ではない。
しかし、多くのことを感じることはできる。
それだけで十分観る価値はあるだろうね。

晩酌パラダイス<秋編><冬編>

Amazonの「あなたにおすすめ新商品のお知らせ」でメールが送られてくる。
決して新商品ではないと思うが、嗜好性を見抜かれている。
Amazonは趣味の傾向性だけでなく、その時の気持ちも察して案内するのだろうか。
随分と恐ろしい時代になったもんだ(笑)。

ラズウェル細木さんはかなり前から活躍される漫画家だが、僕が知ったのは昨年。
「酒のほそ道」をkindleで格安で購入し、その後「うシリーズ」を読んで、親しみを抱いたくらい。
酒に興味のない人には面白くもなんともないと思うが、僕は大いに共感しながら楽しんでいた。

そしてオススメされたのが本書。
ほぼジャケ買いに近い。
実に愚かなジャケ買いだが、仕方ないとしか言いようがない。

本書はマンガかと思っていたが、実際はエッセイ。
細木氏の酒飲みのエッセイ。
これが面白い。
季節に分かれているが、ここは当然、秋から攻めるべきだろう。

細木氏のいいところはあくまでも庶民目線の飲み方。
上から目線で高級ワインのウンチクを語るわけではない。
秋編のスタートが秋刀魚なのもいい。

そういえば今年はなかなか秋刀魚が食べれなかった。
嫁さんにはずっと秋刀魚を食べたいと訴えていたのだが、「高い!」の一言で却下されていた。
200円台、300円台では買ってくれない。
100円台じゃないと買えないらしい。
山田家はそんなに貧しいのかと落ち込んだが、秋刀魚はそれくらいの価値としかみないようだ。
長年培われたものの見方を変えるのは難しいね。

そうしたら先週、ようやくテーブルに並んだ。
なんと翌日は秋刀魚の刺身も天ぷらも頂いた。
それに合う日本酒も・・・。

もうそれだけで幸せいっぱい、胸いっぱい。
やっぱいいねえ、秋は・・・。

そんなふうに感じるのだが、細木氏はそんな輩のために「秋の晩酌」の献立を考えてくれる。
最近、たまに料理をするようになったが、素人にもできそうな簡単な献立。
「おー、今度、やってみるぞ~!」と気持ちは昂る。
気持ちだけだけど・・・。

細木氏は日本酒好きでよく蕎麦屋を利用し、蕎麦屋の楽しみ方も解説してくれる。
どうしたら二日酔いになるのかも・・・。

先日、僕も久々に二日酔いになったが、確かにこんな飲み方だった。
改めて気を付けなきゃ(笑)。
ブログを書きながら、いつも以上にくだらない内容になっているなと痛感。
まあ、いいんじゃないのと開き直るしかないね。

先週から急に寒くなってきた。
これまで冷酒ばかりだったが、そろそろ燗酒を思っていた矢先、ご一緒した方が
「熱燗ちょうだい!」と素晴らしい注文を・・・。
今シーズン初めての熱燗。

これもいいね。
晩酌パラダイス、今宵も酔いし、美味し、楽し。

さて、今日は休みを頂いて、京都。
どんな夜になるのかな。