これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「燃えよ剣」

予告編で観た岡田准一の立ち姿のカッコよさから観たくなった作品。
今、日本の俳優陣で一番時代劇が似合うのが彼じゃないかな。
その佇まいも雰囲気を感じるし、殺陣シーンは実に様になっている。

本人が殺陣の監修をしているから相当こだわってもいるのだろう。
何となく黒田官兵衛に見えたり、石田三成に見えたりするが、
いずれ違いを見せつける俳優になると思う。

残念ながら原作は読んでいない。
何度もドラマ化や映画化される人気作でもあるため、
そろそろ司馬先生をしっかり理解しなきゃいけないと思いながらも、なかなか・・・。
本作をいいキッカケにしたいね。

本作の上映時間は148分。
映画としては長いが、土方歳三の一生を描くには少々短い。
少し詰め込めた感はあったが、これ以上の長さで緊張感を保つのは難しい。

一定の緊張感を保ちながら、最初から最後まで映画を楽しむことができた。
それは本作のレベルの高さ。

もっと出来栄えを語るべきかもしれないが、僕はそこはどうでもいい。
ある意味、歴史に翻弄された一人の男の生きざまを感じることが僕の目的。
この幕末はどの視点から時代を見るかによって大きく人の描き方も変わる。

象徴的なのは徳川慶喜。
大河ドラマ「青天を衝け」で草彅剛が演じる慶喜と
本作の山田裕貴演じる慶喜はとても同じ人物とは思えない。
山田裕貴もなかなかの好演。
慶喜ファンは怒ると思うが・・・。

いろんな角度から歴史を知り、人の生きざまを感じるだけで映画を観る価値はある。
自分の人生と比較するわけではないが、一人の男として何に拘っていくかも考えどころ。

大河ドラマの土方役の町田啓太もクールでよかったが、
やはりドラマと違うのはスケールの大きさ。
そこは最大の映画の魅力といえるだろう。

そのあたりの演出は原田監督のお手の物。
いつも流石だと感心させられる。

僕は特別、原田真人監督のファンではない。
好きでもなければ嫌いでもない。
しかし、近年の作品はすべて観ている。
「日本のいちばん長い日」
「関ヶ原」
「検察側の罪人」

興味喚起させる腕が高いのか、なぜか琴線に触れ観てしまうことが多かった。
どの作品も安定感が高いのが印象。
映像美への細部のこだわりもあると感じるし。

これは個人的な意見だが今年は例年と比較して日本映画のレベルが高いと思う。
例年より多くの作品を観ているのが大きな理由だが、スケールの大小に限らず優秀作が多い。
来年、今年ほどの本数が観れるかわからないので、
日本映画ベストテンでもやってみようかと思う。
「名古屋の映画コラムニストが選ぶ2021年日本映画ベストテン」
なんて・・・。

本作は果たして何位なのか。
土方歳三の男らしさを感じた作品だった。

仕事と人生に効く教養としての映画

なかなかいいタイトルである。
このようは書籍が発行されると僕の普段の行いも肯定的に見られるんじゃないかな。
映画コラムニストは実際の仕事にも役に立っているんだと。
それも人生にいい影響を与えているんだと。

僕は近い将来、映画とキャリアを結びつけるような役割も担っていきたいと考えるが、
本書の存在が後押ししてくれることにもなるかもね。
いろんな視点で捉えることで映画は人生に役立つ重要なコンテンツ。
それも証明できるだろう。

自ら映画コラムニストを名乗りエラそうなブログを書いているが、
本書を読むと、まだ映画に関する知識も見方も足りないのがよく分かる。
所詮、自称に過ぎず、所詮、素人。
もっと深い視点で映画を観ないと作品の持つ本来の魅力を理解することはできない。

一つの作品を1回観るだけでは理解不足。
何度か観ることにより、ようやく納得の範囲内に収まる。
もしくは集中力を3倍にして、すべてのセリフ、すべてのカット、
その繋がりの意味を理解しないといけない。

映画は楽しむものであると同時に考えを深めるものでもある。
そこで初めて教養が身につくといえるのだろう。
そう考えると映画のハードルが一気に上がってしまうので、それを中和するのが僕の役割。
ほんまかいな・・・。

本書には映画の効用、映画の歴史、日本の古典映画の評価の高さ、絵画としての視点など、
僕が思いもつかないような切り口で迫ってくる。
だからこそ新しい発見と驚きがあり、未熟さを痛感することにもなった。

例えば小津安二郎監督の描く世界について。
世界的に評価の高い小津監督が何を真実として訴えかけようとしているのか、
ぼーっと観るだけでは何一つ理解できない。
ローアングルでカメラを固定した撮影法は僕でも語れることではあるが、
そこに秘められたメッセージは何か。
似たようなカットをワザと前後で映す意味とは何か。
そんなことを考え観たことはない。

「東京物語」が「史上最も偉大な映画」歴代ランキングに常にランクインしているのは
海外の批評家がそこを読み切っているせいもあるのだろう。
アマゾンプライムのウオッチリストに入ったままの状態から出すいいキッカケかもしれない。

いずれ小津作品には向き合おうと思っているし。
学生時代観た時はあまり面白いとも感じなかったし。
それなりに年齢を重ね教養も身につき、
(えっ、身についてない?)
鑑賞能力も上がっているはず。

最近でいえば「ボヘミアン・ラプソディー」の噓のテクニックを言及していたり。
観る側は上手くコントロールされているんだと・・・。

著者は観た映画のアウトプットの重要性も語っている。
僕がその都度、ブログにまとめるのも間違ってはいない。
むしろいい人生を送るために必要なこと。

本書を読んでちょっと自信はついたね。
まだまだ足りない点は大いに認めるけど。
個人的に十分楽しめる書籍でした。

映画「コレクティブ 国家の嘘」

まるで映画だ。
出演者はなんて上手いんだ・・・。
観終わった後、そんなことを感じてしまった。
いや、厳密にいえば映画が進行中にそんなことを感じてしまった。

一体、何わけ分からないこと言ってるの?
と思う方が大半だろう。

本作はドキュメンタリー作品。
演出された作品ではない。
しかし、僕がこれまで観てきたドキュメンタリーとは一線を画すというか、
全く違う世界を見ているよう。

一般的にドキュメンタリーは撮影は同時進行でありながらも、それを補足するナレーションが入る。
時にそのナレーションがドキュメンタリーの出来を左右する。
何を語るか、どんなメッセージを送るかが作品の力となる。

本作はそれが一切ない。
ナレーションが一切ないのだ。

当事者を正面から捉え、そこに何かを加えることなく真摯に映し出している。
観る者は映画のシーンと錯覚する。
その表情、その言葉、その動き、完璧な演出と感じたのは僕だけではないはず。

出演者が上手いというのはカメラを意識することなく、
(多少は意識しているだろうが)
ありのままを語っているからだ。

ここに描かれている世界は現実。
とてつもなく恐ろしい現実。
テロ集団が誰かを攻撃しようとしているのではない。
小さな殺人事件を追っかけているのではない。

ルーマニアという国の暗部を真正面からあぶり出している。
思わず息をつく。
思わず唖然とする。
これが現実か・・・。

これが映画なら、「何やってんだ!!」と客観的に怒りがこみ上げる。
しかし、同時進行で進むある種のストーリーは恐ろしさがつきまとう。
このままスポイルされてしまうのではないか。
それを匂わせるシーンもある。

同時に感動が身を包む。
恐れをなさない新聞記者、自らの行動を信じる新大臣、大きな敵に立ち向かう医師。
彼らの動きが感動を生み、勇気ある行動を促す。

その正義で正すことができればハッピーエンドで終わるが、簡単に国が変わることはない。
やはり映画とは異なる。
こんな深刻な国があるんだと悲観的になるが、極端なケースといえるだけ。

果たして自分たちはどうなんだろう。
ルーマニアは若者の投票率は5~10%。
国に何も期待していないのかもしれない。

さて、我が国は・・・。
新政権発足、総選挙の時期にこの作品が公開されるのは大きな意味があるのかもしれない。

タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか

少し前にfacebookでも話題になっていたので、手に取った一冊。
真山氏といえば今年やたら分厚い「ロッキード」を読み、ノンフィクション作家としての力量を知った。
ただ僕の中にあるには「ハゲタカ」。
ドラマ「ハゲタカ」を観てから原作を読んだのだが、こちらはすこぶる面白かった。
ファンドに関しての拙い知識はドラマと小説で身に付けたといっていい。

水戸の師匠を真似るわけではないが、僕が好きな小説家も真山氏と池井戸潤氏くらい。
そろそろもう少し人間的幅を広げたいが、まだまだ時間は掛かりそう。
真山氏もかなり積読状態だし・・・。

本書は2019年から朝日新聞に連載された記事をまとめたもの。
全19章で構成され約2年近い連載。
「へ~、新聞記事も書くんだ・・・」
と一瞬、愚かな発言をしそうになったが、真山氏は元々、読売新聞の記者。

当たり前の話。
それも中部読売新聞に在籍されていたので名古屋周辺の取材も多かったのだろう。
どっかでお会いしてたりして(笑)。

テーマは年号の改元からゴーン問題、働き方改革、東京五輪、新型コロナと時代と共に移っていく。
過去の話ではなく同時進行でその時々の事象に関して著者の考えが披露されるわけだが、
それぞれの章で執筆後記が書かれ、その比較が興味深い。

特に東京五輪については開催される前の著者の意見と延期になった時の意見、
そして延期後迎えた時の意見と環境が大きく変化する中で世の在り方を問うている。
コロナ禍での開催であろうとなかろうと真山氏の意見は概ね一貫している。

意見を聞いたことはないが、沢木耕太郎氏に近いのではないだろうか。
ノンフィクション作家と小説家の違いはあるにせよ、世の中の見方は共通しているように思える。
「正しさ」を暴走させない視点に同じ価値観を感じたり・・・。
僕が勝手に思っているだけだが、その分、ストンと腹落ちすることが多かった。

個人的には第11章の「タワマンの未来」が胸に迫ってきた。
数年前まで首都圏のタワーマンションのセールスが僕の元にもやってきた。
住まいを構えるよりは投機に近いと思うが、これも考えもの。
数年で転売するならともかく長い所有は禁物かも。
マンション販売者は自分では絶対に購入しないというし、リスクが相当高いようだ。

「いまニュータウンで起きている問題は、タワーマンションがいずれ辿る道かもしれない」
と専門家はいう。
極端にいえば「スラム化」へ向かう。
修繕だとか管理だとか考えれば、誰が住んでいるのかも知っておかなきゃいけない。
分かりようはないが・・・。

これは一つの例だが、真山氏は様々は事象に対し問題提起をする。
すべて身近な問題であり、自分の未来に繋がる話。
知らぬ存ぜぬでは許されないし、逃げることもできない。

そう思うとやはり「言葉」は重要。
何を発するかでこちら側の問題意識も変わる。
小説を読んで一喜一憂するだけではいけない。

現実をもっと視る必要性を教えてもらった気がした。

映画「空白」

冒頭の漁のシーン。
どこの海だろう?と考えながら映画は始まった。
しばらくして主役古田新太が運転する車は豊橋ナンバー。
そこが蒲郡であるのが後で分かった。

娘が通学で歩いていたのも三河湾。
注目していた映画だが、全編蒲郡ロケとは知らなかった。
実在するスーパーは浜松みたいだけど・・・。

最近、蒲郡ロケの映画って多いよね。
あんなふうに漁港が取り上げられるのもいい。
いいぞ、愛知県!

と気軽なノリでスタートしたブログだが、
映画はとことん重い。そして辛い。

ここに悪人は誰も登場しないが、全員が悪人にも思える。
誰にも希望が見えない。
どうしよもなく救いようがない気持ちになるが、そこは吉田監督の人間性か。
園子温監督とは違う。
いい意味で裏切られるんじゃないかな。

ここ最近、観た映画やドラマは全て正しさがつきまとう。
今秋は「正しさ強化月間」でも敷いているのだろうか。
そんなふうに思ってしまう。

「しんがり」「由宇子の天秤」「MINAMATA」も正しさとは何かを求めていた。
そして、本作も見せ方は違うにせよ、正しさとは何かを求めている。
実に面倒な時代だと感じると共に、
目の前で起き得る可能性の中でどう判断するか?を突きつけられる。

どんな状況であれ、逃げられない状況に追い込まれて。
自分が原因ではない。
巻き込まれている人物に過ぎない。
被害者といっても間違いではない。
しかし、加害者として捉えるのが一般的な見方。

どちらの立場に立っても自分を維持することができるか。
自分の中の正しさを貫くことができるか。
吉田監督は観る者に答えを委ねる。
決して楽しい映画ではないが、どんどん深みにはまる。

目を背くことなく観なきゃいけない。
そんな作品なんだろうね。
いかん、こんなブログではお客さんを増やせないな・・・。

それにしてもマスコミの描き方は酷い。
少なからず事実を含んでいると思うが、これが本当だとすればマスゴミだ。
無責任な人間が一番強いというのはやはりおかしい。
吉田監督はマスコミに恨みがあるのかもしれないけど。

本作は役者陣も光る。
モンスター親父の古田新太はそのまんまだが、スーパー店長松坂桃李もはまり役。
「孤狼の血LEVEL2」と比較すると彼の今後はより楽しみ。
寺島しのぶの嫌みな正義感も良かった。

あとは個人的には野村麻純の動揺と懸命さ。
彼女は可哀そうだった。
あんなふうにしちゃダメだね。
と、またまた映画を理解できないブログになってしまった。

こちらもこの秋、観るべき一本。
そろそろ「正しさ強化月間」は終わりにしたいけど。

酒と作家と銀座

ただタイトルに惹かれて買った書籍。
街で飲み歩く日が無くなったので体が勝手に反応した。
(これからは違うけど・・・)
そんな読者も多いんじゃないかな。
いやいや、そんな読者はいません(笑)。

銀座で43年間、文壇バーを経営するママが書いたエッセイ。
たまにはこんな分野を読むのも普段飲まない酒を飲むようでいい。

文壇バーといっても要はクラブ。
そこに集まるお客さんが著名な作家なのでそんな呼び方が相応しい。
銀座の文壇バーで飲むことには憧れるので、銀座を制覇するT社長に連れてってもらいたい(笑)。

リリーフランキーがパーソナリティを務めるラジオ番組とは装いは違うだろうね。
僕はあれくらいの敷居で十分だけど・・・。

多少なりとも憧れがあるが、その分野が得意かといえばそうではない。
名古屋でいえば錦三丁目がそれにあたると思うが、もう1年ほど行っていない。
あれっ、4月に行ったかな・・・。
いや、先々週?
ただ行っていないに等しい。

社長になり付き合う方の幅が広がり、一時期は頻繁に錦のクラブにもお邪魔したが、
いつまで経っても慣れないのが正直なところ。
かなり見栄を張るし、反対にこちらが気を遣ってしまうので、
それなりに楽しんでも後で結構疲れたりする。
懐も痛むし・・・。
そんな嗜みも経営者として必要だろうが、むしろ静かなBARでゆったりと飲む方がいい。
隣に女性が座る必要はない。

しかし、本書を読む限り著名人は華やかな雰囲気の方がいいようだ。
ゴージャスな高級クラブではなく、落ち着きを保ち華やかさも残しながら。
それが本書に登場する文壇バー「ザボン」。
写真だけでは分かりにくいがそんな派手さはないし。

ここに来られるのが業界で認められた証にもなるんだろう。
錦にもそんな店があるような・・・。

本書には多くの作家の振る舞いを紹介している。
ママとの付き合いで了解を得てはいるだろうが、きわどい話も多い。
まあ、酔った勢いでOKを出したケースもあるだろう・・・。

破天荒な作家ならまだしも、半藤一利氏のような硬派な作家もここでは乱れる。
乱れるという表現は適切ではないが、柔軟な人間性を示す。
そんな寛げる場なんだろうね。

常連作家が本書で特別寄稿を贈るくらいだがら、
水口ママは本当に愛されているキャラ。
店を続ける苦労もさらりと書いているが、
銀座で40年以上この世界で生きるのは並大抵の努力ではないはず。
切った張ったで乗り越えた経験も多いと思う。

それだけでも尊敬に値する。
そう考えるとそんなお店に通うのも悪くはない。
僕もいずれ「よっ!」と一人で寄れる店も現れるのだろうか。
居酒屋やBARじゃなくてね。

映画「MINAMATA ミナマタ」

僕が学校で学んだのは小学校高学年か中学生だったか。
記憶は定かでないが、水俣病とイタイイタイ病と工業汚染が原因で集団発生した公害病だと・・・。
事件からまだ20年ほどの経過だが、遠い世界の事実という認識だった。
単なる知識不足なのか、それほど情報が届いていなかったのか。

残念ながらユージン・スミスという写真家も知らなかった。
無知は罪。
その分、映画は多くのことを教えてくれる。

事実をより過激にするきらいはあるが、学びを与えてくれる。
その点だけでも本作には感謝。
いい機会を作ってもらった。

同時に思った。
この作品は日本映画ではなくアメリカ映画だと。
やはりこの手の映画は国内で製作するのは難しいのだろうか。
その点、アメリカ映画は政治批判も社会問題も正面に向き合い堂々と作られる。
歴代大統領さえ叩き切る。

自由の国と短絡的にまとめるつもりはないが、この差が埋められることはなさそうだ。
あまり息苦しいことを語るつもりはない。
ふと、思ったことにすぎない。

僕はそうはいっても日本映画ファン。
しっかりと応援し続ける。
そのためにはあえて批判することも必要。

本作で描かれることを100%鵜呑みにするわけではない。
本当に?と思うシーンも多い。
工場の屋外通路での國村隼演じるチッソ社長とユージン・スミスの会話は事実なのかと・・・。
あっ、ユージン・スミスはジョニー・デップのことね。
事実だとすれば本来もっと断罪されるべきだろう。
株主総会の場面もね・・・。

しかし、そんな演出でより社会をえぐることも必要なのかも。
映画はエンターテインメントでありジャーナリズムではない。
ドキュメンタリーでもない。
当時の社長が生きていたら激怒する可能性も高い。
もしかしたらそんな点が作品の賛否になるのかもね。

本作はどこまでいってもジョニー・デップだが、さすが変幻自在の演技。
昨年観た「グッバイ、リチャード」とは180度異なる。
キムタクと比較する人もいたがそれは酷というもの。
「マスカレード・ナイト」はあれでいいんだよ。

本作は多くの方に観てもらいたいし、全編通してビシビシと伝わってきた。
しかし、若干の違和感があったのも事実。
あの風景や民家は当時の熊本だろうか?
海外から見た日本であるような気がしてならない。
そんなことを感じた。

なんだかこの秋は”正しさ”を問う映画が多いように思う。
次のコラムは「空白」だし・・・。
とりとめなく書いたブログだが、強く胸に刻まれたのも事実。
感動した作品。
やはり自分の中の正しさを求めていかないとね。

ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」

随分とイメージが違った。
もっと理詰めで攻める固い人かと思っていた。
誰かといえば著者のソニー前社長の平井一夫氏。

大変失礼な言い方だが、大企業のトップとは思えない普通の人。
どちらかといえば僕に近い。
いや、いかん、それでは本当に失礼な物言いになってしまうが、読後の感想はそんなところ。

カリスマ経営者でも、本流を走ってきた人でも、強烈なリーダーシップを発揮する人でもない。
健全な危機意識を持ち、物事の優先順位を明確にし、
やるべきことをブレずに取り組んできた方。
大赤字に陥ってきた企業を任されたのだから相当なプレッシャーもあったと思うが、
それもあまり感じない。
自然体に粛々と改革を推進してきた。

著者の表現だけでは名門を復活させたダイナミックさはさほど感じない。
しかし、これは平井氏が自分の成功物語を遠慮がちに謙遜して書いているからだろう。
自分の手柄ではなく、周りの手柄だと・・・。
それも人柄の表れ?

きっと出井氏やストリンガー氏であれば、大袈裟に自分の実績をアピールしていたと思う。
いや、それも大変失礼な話か。
あくまでもイメージです。
作ったマスコミが悪いのです(笑)。

僕のブログだけでもソニー関連のネタは結構書いている。
代表的なのは「またか!ソニーショック」「切り捨てSONYを読む」
かなりネガティブな内容。

僕は営業時代、美濃加茂市にあったソニーイーエムシーエスに大変お世話になっていた。
20年前までは地域の代表的かつ憧れの企業。
そこが工場閉鎖となり、本体もリストラの嵐が吹き荒れた。
4~5年ほど前までは暗いニュースしか流れていなかった。

平井氏も就任当初は大きな赤字を抱え、
大胆なリストラを実行しないと会社を潰しかねない状況まで陥っていた。
そこからの立て直し。
壮絶な苦労はあったと思うし、恨まれることも多いはず。

主観的にと客観的にと会社を見るのは異なる。
外部は無責任に客観的な捉え方しかしない。
いくら主観的な正当性を語ったところで理解してもらえない。
そんなことを繰り返してきたはず。

平井氏はそんな状況の中で客観的に会社を分析しながら主観的に物事を進める。
それも熱くも冷たくもなく。
もちろん熱さは感じるが、そこにはドラマにありがちな熱血的なリーダーシップではない。
そんな持ち味だったからこそ、再生させることができたのではないだろうか。
ノスタルジーと決別し、メイン事業を売却するのも客観性に優れていたから。

やはりトップへの人事は変なしがらみはない方がいい。
そんな点も僕に近かったりして。
従業員16万人の会社と一緒にするな!
はい、すいませんでした・・・。

これだけ人材が揃う会社で本流にトップに相応しい人物はいなかったのか。
傍流の平井氏以外の人物はどうだったのだろうか。
これが不思議だし、最後まで分からなかった。

事実は小説より奇なり。
ちょっと例えはよくないか(笑)。
経済小説も面白いが、この類の方がより面白い。
体験に勝るものはない。

十分、楽しませてもらいました。

映画「由宇子の天秤」

観終わった後、「う~む」と唸ってしまった。
先日の「マスカレード・ナイト」と違い、かなり考えさせられた。
重い苦しさが体を覆った。

映画は「マスカレード・ナイト」のように娯楽性が高く楽しく終えられるのが理想。
一方で真逆の終わり方する映画もなくてはならない。
僕はどちらか選べと言われれば、後者を選んでしまうのかもしれない。
二者択一であれば「由宇子の天秤」を好きな作品で選ぶ。
自分ではまっとうな人間と思っているが、結構ひねくれているのかもしれない。

本作の問いは”正しさ”とは何か。
一般的に正義とか正しさには正解がある。
これが正しくて、これが間違っている。
子供でも分かる話。

それは上辺の解であって、実のところ”正しさ”なんて自分が勝手に思っていることに過ぎない。
立場や環境が変われば、その正しさは180度変わる。
それが現実であり、社会で生き続けるということ。
最終的には主観で判断するしかない。

本作はそれを観る者に突き刺してくる。
正義をかざすものが本当に正義なのか。
ただの偽善者じゃないのか。
立場を都合よく利用しているだけじゃないか。
そんなふうに思わせる。

毎日報道される世界的なニュースも目の前で起きる些細な出来事も、
大した差はなく自分勝手な正しさで動いていく。
悲しいかな、それに影響を受け、僕らはその視点で解を導き出す。

なんとも暗い話になってしまったが、映画はそれを主張しているように思える。
いやいや、なかなかの物語りじゃないですか・・・。

本作が世間でどれだけ注目されているかは分からない。
しかし、僕は何度となくミリオン座で予告編を観て、自分の中の必見映画となった。
間違いではなかった。

それは僕の中での正しさ。
もちろん瀧内公美という映画では輝く女優を見たいという思いもあった。
僕は彼女の屈託ない笑顔が好きだ。
但し、本作では作り笑顔くらいしか見られない。
過去の作品は大胆な絡みが話題となり、一昨年の「火口のふたり」では主演女優賞も獲得。
本作はそんなシーンも一切ない。

ドキュメンタリーディレクターとして正面からぶつかり、葛藤していくばかり。
それがまたいい。
身内にも関係者にも取材対象にもカメラやスマホで撮り続け真実を掴もうとする。
それが自分を苦しめることになっても・・・。

そして、映像は肝心な場面を映さない。
正面から表情を押さえるべきシーンも側からの撮影。
それがリアルさを醸し出したり。
ラストシーンは驚くね。

由宇子(瀧内公美)の父親は光石研。
これってどこかでと思ったが、「彼女の人生は間違いじゃない」でも父と娘を演じていた。

これは偶然?
これも天秤にかけてるの?
なんては思わないが(笑)、よく出来ている。

毎年、日本映画は秋に優秀作が上映される。
それは”正しい”ようだ。
自分の中の正しさだけだけど。

ドラマ「しんがり~山一證券 最後の聖戦~」

先日、「アキラとあきら」を観て、すっかりWOWWOW硬派ドラマにハマってしまった。
その第2弾がこれ。
ずっと前から気になっていたし、原作も読みたいと思っていた。

なかなかキッカケが掴めずここまできたが、レコメンドで表示され、一気に観てしまった。
NHKであればこんな社会派ドラマは制作するだろうが、基本的には仕事好きしか観ないようなドラマ。
それにまんまと乗っかって感動してしまう自分は仕事人間ということか。

ご存知のように本作は破綻した山一證券の闇をえぐった社会派ドラマ。
社名はそのままだが登場人物は架空。
フィクションではあるが実話を基に制作されている。
多少、大袈裟な演出はあるかもしれないが、
実際にこんな隠ぺいが企業内で繰り返されていた事実を知ると絶望的になる。

しかし、そこには悪があるわけではなく、あくまでも自分たちの正義が成り立つから質が悪い。
僕が当時の会長、社長だったらどう行動するだろうか。
同じような行動をするだろうか。

冷静に客観的な立場であればNOといえるが、いざ、当事者となると貫けられるだろうか。
景気が回復し株価が上昇すればすべてがうやむやになりなんら問題は起きない。
そんな認識は当然浮かび上がる。

時代のせいだと・・・。
そんなことを言ってしまえば全て時代のせいにすればいい。
今、状況が良くないのはコロナのせい。
それで許されるのであればどれだけ楽なことか。

コロナでもバブル崩壊でもリーマンショックでも責任は自分で取るしかない。
だが、一度、美味しい思いをしてしまうと抜け出せなくなるんだろうね。
妙なエリート意識も邪魔するだろうし・・・。

ドラマのテーマはそこではないが、この6話を一気に観ながらそんなことを感じた。
江口洋介扮する梶井本部長以下、業務監理本部のメンバーはすこぶるカッコいい。
実際は周りに翻弄されながら、迷ったり嘆いたりするが、
最後まで諦めず貫く姿には素直に感動する。

仕事人の誇りを感じる。
事実も違いはないだろう。
こうした人がいる限り、本来の意味の正義は守られる。
それが正直な姿。
僕がもし業務監理本部に所属をしていたなら同じ行動をしたと思う。

だが、それは1997年当時だからできたのもかもしれない。
これも要らぬ詮索だが、今のこの環境下で同じ行動が許されるだろうか。
深夜も休日も関係なく働き続ける。

その正義は”働き方改革”の名のもとにブラックにすり替わり、
バッシングの要因になってしまうのではと勘ぐってしまう。
より効率的な業務は可能かと思うが、世間の反発も起きないわけではない。
これも余計なことだが、そんなことを感じてしまったり。

90年代だから描くことができたドラマ。
梶井本部長もその時代に熱い人だったから、結果としてヒーローにもなれたのかと・・・。
ただこの姿勢は失ってはいけない。
時代が変われども、貫く姿勢は変わらない。

10年後、その時の20代がこのドラマに感動するかどうかは不明だが、
個人的にはいつまでも感動してもらいたいと思う。
最後まで自らを信じて正義を貫いていきたいね。
誤った正義じゃなくて・・・。