沢木耕太郎氏がこんな書籍を出しているとは知らなかった。
少し前の週刊文春で東京オリンピックについて寄稿したという広告を見て、
どんな記事かを調べていたら本書にたどり着いた。
オリンピックの記事は楽天マガジンでもカットされていたし、ネットで調べても有料版しか出てこない。
ちゃんと金を払って読め!ということだが、どんな記事なのか教えて欲しい。
一切の取材依頼は断っているらしいが・・・。
商業主義のオリンピックには興味をなくしているのかな。
そんなわけで本書である。
沢木氏といえば全世界を旅するイメージが強いが、本書は国内の旅行を描いている。
基本は一人旅で、それもふらっと自由気ままに全国を回る。
有名な観光地はほぼゼロで、読み方さえ分からないような僻地も多い。
そこに向かう理由も様々だが、いかにも沢木氏らしい。
一般人なら考えにくい理由だが、沢木氏が語ると納得感が高くなる。
それはある作家との忘れ去られてしまいそうな思い出だったり・・・。
不思議だ。
読む者にとっては羨ましく感じる。
大した目的もない。
ルートも宿泊先も決まっていない。
しかし、偶然の出会いに思いがけない感動が生まれる。
そんな旅が多い。
こんな書籍を読んでしまうから、一人旅に憧れるのだろう。
それも誰にも邪魔されず、気の向くまま嗅覚だけを頼って・・・。
絶対、家人は怪しむだろうが、そんな時間を過ごしてみたい。
海外は難しいので、せめて1~2週間、国内を回る旅くらい許してもらいたい。
来年あたり行きたいなあ~。
古びたの居酒屋に入り、その土地の3番手の名物を頂きながら、しっぽりと地元の日本酒を飲む。
いい感じに酔っ払い旅館に戻り、ボーッと温泉に浸かる。
飲みたいだけで、沢木氏と全然違うじゃないかと思われるが、
そんな日があってもいい。
沢木氏は無類の酒好きと思っていたが、そうでもなかった。
最近までシャンパンとブランデーと日本酒は美味しいと思わず、自分から飲むことはなかったようだ。
旅先で出された名前も知らない日本酒を飲み、美味しいと思ったという。
ということは、こうか。
僕は普段でも日本酒は美味しいと思うが、旅先では更に美味しいということか。
それは、いいじゃないか・・・。
と辿り着く先はいつも同じような気もするが、
本書に感化され、ますます一人旅に出たくなった。
どうしてくれるんだ。
やっぱり固いビジネス書を読んでる方が健全なのかな。
ポスター(上記)には6/11より全国公開とされているが、
東海三県は先行ロードショーで5/28より公開。
公開2日目に鑑賞。
このブログでも何度か本作の紹介はしている。
監督は名古屋市熱田区出身の日比遊一氏。
何度か直接話を伺う機会があったが、名古屋への拘りを強く持たれていた。
ロケも名古屋でなければならないし、出演者は名古屋弁を喋らねばならない。
当初は圧倒的な郷土愛かとも思ったが、そうではない。
作品を観て大いに納得。
日比監督のいう名古屋でなければならない理由を。
それは僕が名古屋在住の地元愛や共感だけではない。
どこかの市長にような名古屋弁ではなく、自然な名古屋弁に吸い込まれたわけでもない。
その背景そのものに必然性を感じたのだ。
タイトルから想像できるように派手な作品ではない。
映画ならではのハードな演出があるわけでもない。
物語は静かに流れ、ありふれた日常的な会話が繰り返される。
ゆっくりと時間だけが過ぎていく。
しかし、次第に事の重さをヒシヒシと感じるようになり、気持ちが揺り動かされる。
せつなく辛い・・・。
悲しいかな感情移入していく。
本作は日比監督の原体験を描いている。
それはせつなく辛い。
日比監督は自伝的にそれを描こうとしたのではないだろう。
人として死とどう向き合うか、家族とは一体何なのか、生きる意味をどう持つのか、
それを観る者に訴えかけてくる。
そこに厚かましいメッセージはない。
あくまでも自問自答を繰り返すだけ。
知った場所の多さで感情的になるのは否定できない。
永瀬正敏演じる長男と自分とをオーバーラップさせる。
知らず知らずに巻き込まれていく錯覚にも陥る。
自分勝手な行動は夢を与えるが身内を苦しませる。
ゆえに正解は分からない。
映画を観終わって、日比監督のメッセージが熱く伝わってきた。
名古屋を舞台にした映画は少ない。
だから観てもらいたい。
そう思わないでもない。
しかし、仮に名古屋ロケでなく、日比監督の想いを知らなかったとしても本作を推す。
より多くの人に観てもらいたい。
舞台の中心となる熱田神宮周辺は知っているとはいえ、さほど馴染みはない。
年数回しかお邪魔しない。
一方で数年前まで毎日にように歩いていた円頓寺商店街。
この商店街が映画の重要なシーンで使われる。
気づいた人は少ないかもしれない。
ただこのシーンがあってこそ映画が成り立つ。
個人的にはとても喜ばしい。
ぜひ、確かめてもらいたい。
永瀬正敏やオダギリジョーや今井美樹の名古屋弁と共に・・・。
ここ最近、硬い本ばかり読んできた。
そのため真剣に人生に向き合い、これからの生き方、
自分の存在価値について頭を悩ませる日々を送っている。
僕の人生に価値はあったのか・・・。
考えれば考えるほど迷い、苦しみ、もがく日々。
酒浸りになり、家人を傷つけ、物を壊し、自らを制御できない。
そんな時間を過ごしている・・・。
そんなわけないか。
硬い本ばかり読んで哲学チックになっているが、それも寝たら全部忘れている。
所詮、そんな程度。
しかし、硬い本ばかりでは自分自身が窮屈になるのも事実。
もっとお気楽に考えることも必要。
そんな時に手に取ったのが本書。
書籍広告だったか書評か忘れたが、ノリでkindleでダウンロード。
文庫版はこの5月に出版だが、内容は2010年に行われた2人の対談。
なんというか「SPA的」。
SPAという雑誌をほとんど読んだことはないが、
実にくだらないことを真面目に語っている。
逆かな?
真面目なテーマをおちゃらけに語っている。
「人生」「人間関係」「仕事」「生と死」にまつわることを、
更に深掘りしながら二人で語り合っているのだ。
テーマだけ見れば哲学的。
深みにはまり、救いようがなくなることもある。
だが、そんなふうにはならない。
ここは達観した2人。
それも自分を守るものを捨て、全てをさらけ出す生き方。
怖いものは何もないように思える。
怖いものというのは自己保身とか恥ずかしさとかプライド的なこと。
タテマエ的な表現はバッサリと捨て去り、本音で、
それも居酒屋で酔って語る本音で勝負している。
その潔さが心地よく、そしてこちらの生き方もラクになる。
いいじゃないか。
こんなもんで・・・。
どんなに一生懸命生きたって、どうせ死ぬわけだし。
それが諦めではなく真っ当な生き方として語られる。
そのほとんどは下半身に結びつく話だが、それも正直で好感が持てたり。
リリーフランキーさんの出演作なんて見ると平気で変態や犯罪者、ろくでなしを演じる。
自分を覆い隠すものがないせいもあるだろう。
どう見られようがヘッチャラだし、いい人に思われようなんて微塵も感じない。
そのぶっ飛び方に憧れを抱く。
一歩間違えれば迷惑がられるだけだが、これが好かれる要因になるとは。
誰に気を遣うことなく、
(実際は使っているんだろうけど)
正直に思うがままストレートに表現し続ける生き方。
これも天才肌だからできるんだろうね。
多くの挫折を繰り返しているからできるんだろうね。
そんなふうに思う。
軽い。実に軽い。
そんな2人の対談だが、かなり哲学的でもある。
その塩梅がいいのかも。
読書も自分の中のジャンルを広げるべきだろうね。
明日より公開される映画「名も無い日」。
この作品のことは以前のブログでも紹介している。
できるだけ早めに観て、このブログでも紹介したい。
なぜ、そこまで応援するか?
単純に日比遊一監督が名古屋出身でこの作品も名古屋でロケをしたから。
永瀬正敏もオダギリジョーも名古屋弁を喋っとるらしいがね。
はよ観なかんわ。
とその前に紹介するのが本作「健さん」。
2014年に逝去された高倉健を題材にしたドキュメンタリー。
この作品を知ったのも日比監督に出会ってからのこと。
先週、「名も無い日」公開記念イベントとして開催された上映会に参加。
世間の狭さを感じるのか、知り合いが多かった。
みなさん、応援しているわけね。
高倉健といえば日本を代表する俳優。
映画史上名作といわれる作品にも数多く出演されている。
僕はさほど意識をしたこともなく、多くの作品を観ているわけではない。
特に1950年~60年代のヤクザ映画は皆無。
この頃はハンパない活躍で年間10本ほど出演されている。
当時のヤクザ映画も紹介されていたが、20代の高倉健は男が見ても惚れ惚れする体。
あんな筋肉質の立派な肉体の持ち主とは知らなかった。
本作では当時の活躍から幼少期、晩年期まで本人を追っかけている。
高倉健と関係のあった映画人も数多くインタビューに答えている。
降旗康男監督、山田洋次監督や親交の深い役者陣。
それぞれが思い出を語り人物像を明かす。
それだけではない。
マイケル・ダグラス、マーティン・スコセッシ、ポール・シュレイダー、
ヤン・デ・ポンら海外の役者、監督も高倉健を熱く語る。
それも「健さん」と呼びながら・・・。
それだけで人柄か理解できるが、何より世界メジャー級からラブコールを送られること。
役者としての魅力的な人物であったのだろう。
普段は寡黙だが、映画への向かい方は饒舌。
饒舌という表現は正しくないし、そんな姿は見せない。
しかし、その真摯な姿はそんな表現でも許されるだろう。
本作には妹さんが母親との関係性について語るシーンがある。
ここも高倉健という人物を象徴するかのようなエピソード。
グッとくる。
インタビューは映画関係者以外も多く登場する。
元付き人であったり、通う飲食店の店主だったり・・・。
個人的にいえばそこに沢木耕太郎を呼んで欲しかった。
オファーを断った可能性もあるが、
沢木氏の作品を読むと結構、高倉健との親交が描かれている。
そこでも人となりが理解でき、僕はなぜかオーバーラップさせながら観ていた。
インタビュアーである沢木氏はどうインタビューに答えただろうか。
興味津々。
あと「野生の証明」で共演した薬師丸ひろ子にも・・・。
僕は意外とチャラい作品しか観ていない。
「ミスターベースボール」とか(笑)。
今、1970年代の映画に注目している身としてはその頃の作品を観てみるかな。
まずは「名も無い日」だけどね。
泣ける。
爽やかに泣ける。
いいこの感じ。
55歳の誕生日を迎え、こんな感情に共感できるとは思わなかったが、
まんまと引っ張られてしまった。
そう、今日、僕は誕生日なんです。
本作は2020年キネマ旬報ベストテンの10位の作品。
公開時は全く知らず。
このベストテンの発表で初めて知った。
ただ他の話題作に目が移り、素通りしそうな地味さ。
俳優陣も誰一人ひとり知らない。
しかし、映画コラムニストとしては見落としてはならない。
こんな作品にこそ秀作で、今後日本屈指の映画監督を生み、
有望な役者が活躍の場を広げる。
映画コラムニストとしては外せないポイント。
その点、僕の着目点は間違っていなかった。
さすが!
と言いたいところだが、正直に告白しよう。
映画仲間が提供するBush映画アカデミーで絶賛していたので鑑賞に至った。
う~ん、まだまだですね。
今はAmazonプライムでも有料版だが、ちょっと空いた時間で観て欲しい。
76分なのでサクッと観れる。
先日の「砂の器」のような重たい空気にもならない。
自分の中に爽やかな風が吹く。
お~、なんとも青春っぽい表現。
本作は夏の甲子園に出場した野球部の1回戦を描いている。
しかし、野球のシーンは一切出てこない。
選手が懸命にプレーするシーンはない。
そこに感動はない。
いや、違うな。
間接的に大いに感動を生む。
気がつけばアルプススタンドのはしの方にいる生徒と一緒にスタンドのはしで応援している。
応援する生徒を応援しながら・・・。
一緒になって、ガンバレーと言いたくなる。
グランドに対してもスタンドのはしに対しても。
なんかいい、この感じ。
僕は俳優陣も知らないと書いたが、どうやら演劇界で知られた存在。
文部科学大臣賞を受賞した演劇を映画化した作品。
その舞台に出演する役者陣が本作にもそのまま出演。
だからこそ細かな表現も上手く演じているのだろう。
舞台の設定如く、一試合の3時間程度を描ているのみ。
他の世界はなく、映像もほぼスタンド。
そこで繰り広げられる青春群像。
抱える挫折は小さいが、本人にとっては大きな挫折。
他人の力を借りながらも自分で乗り越えるしかない。
その姿が愛おしく映る。
いいね、若さって。
たまには青春映画も観ないと。
そして、自らの言葉を気をつけよう。
「仕方ない・・・」って、言わないように。
55歳も頑張ります。
昭和を代表する作品であるのは間違いない。
僕が本作に一番最初に触れたのが中学生の頃。
当時の先生がテレビで放送するので観ることを勧められた。
僕は何故か母親と見始めたが、
島田陽子のベッドシーンで気まずくなり観るのを止めてしまった。
ある意味トラウマがあったわけだが、しっかり観たのは大学時代。
名画座で上映された時に機会をもらった。
かなり衝撃的だった記憶がある。
松本清張の原作を読んだのはその後のはず。
それから35年の時間が経過し再び観ることになった。
Amazonプライムで。
本当は違う映画を観るつもりが本能的に揺り動かされた。
改めて感じた。
昭和を代表する作品だと。
昭和の映画業界は2つにわかれると思う。
一つは全盛期の時代。
そしてもう一つは斜陽の時代。
本作は映画界が低迷していく環境の中であるべき姿を描いたんじゃないかな。
それはあくまでも僕の見方。
この作り手のこだわりが令和の時代になった今でもヒシヒシと伝わる。
今から40年以上前の作品。
描ける世界の限界はあるはず。
しかし、この作品は現代の描ける世界をはるかに凌ぐ。
技術の進歩でいえば遠く及ばない。
だが、そのレベル感は到底及ばない。
今の映画界にはない世界観がこの作品には存在する。
それは現状を否定する短絡的なことではなく、
その時代だからこそ表明しなければならない演出。
野村芳太郎監督と橋本忍、山田洋次脚本の力強さ。
正々堂々と勝負する昭和の映画人の向き合い方を。
本作の上映時間は143分だが、最初の100分は後半の40分のために作られている。
あれこれ語りあれこれ行動するシーンは残りの40分を活かす作業でしかない。
身も蓋もない言い方だが、映画を観た人ならば同じ気持ちになると思う。
35年前に観た時はそんな気持ちを抱いていない。
どうやら僕も美しいも汚いもこの期間に学んだのだろう。
どう世の中を生き抜いていくのかも・・・。
ただそれは本作の当事者である加藤剛の比ではない。
すべてを悟ったようなラストシーンが全ての答え。
映画タイトルである「砂の器」を理解できたような気がした。
結局、砂の器では生活はできない。
しかし、その器を作らなければならない時もある。
とてもせつなく悲しい。
2021年だろうが、映画の舞台となる70年代だろうが、
過去を描く40年代だろうが、変わっているようで変わらない。
もっと70年代の秀作を観るべきだと感じさせてくれた。
感謝しなければならない。
大島渚作品「戦場のメリークリスマス」に続き本作。
この作品もミリオン座で観たのだが、予想以上に混んでいた。
それも若い女性が多かった。
映画を観ながらつくづく思った。
若い女性が隣に座っていなくて本当によかったと。
映画に感化され変な行動をするわけではない。
ただ隣で観ているのが恥ずかしいだけ。
環境的にはそんな気持ちにさせる映画。
映画を観る者全員が本作の問題点は知っている。
18禁でありモザイクがかかっていることも。
相当な物議を醸した出したことも。
しかし、その想像をはるかに超えていた。
あそこまでハードコアな作品とは予想しなかった。
本作は芸術作品として評価される一方で、観る人によってはただのエロ映画とも受け取れる。
そこはかなり微妙だし、芸術という捉え方に嫌悪感を抱く方や違和感を覚える方も多いはず。
本作は当時話題となった阿部定事件が題材。
僕は本作で事件の前後も描かれていると思っていたが、
表現されているのは、ほぼど真ん中。
その映像だけで昭和10年代の時代背景や社会性を感じることはない。
唯一感じるとしたら兵隊とすれ違うシーンのみ。
そこで一気に重苦しい時代に引き寄せられる。
どんよりした雰囲気もここだけ。
あとは色鮮やかに性描写が描かれている。
生真面目な読者であればブログネタとして否定されるかもしれない。
企業のトップとして人格を疑われるのかもしれない。
言い訳するのであれば本作は芸術作品として認められ海外の評価は高い。
実際の当時のキネマ旬報ベストテンでも8位にランクインしている。
日本映画ではなく外国映画として。
45年の時を経て再公開されたわけだが、その点に関して日本の理解は進んだのだろうか。
今、修復版が公開されたことを故大島渚監督はどう思うのだろう。
辛辣な発言をするのだろうか。
手放しに喜ぶのだろうか。
誰かをぶん殴るのだろうか。
僕はこの機会がなければ観ることはなかった。
感謝すべき。
本作は阿部定役の松田瑛子さんと吉蔵役の藤竜也さんの出演でほぼ占められる。
松田瑛子さんの大胆な演技も凄いが、藤竜也さんの勇気にも感動を覚える。
ここは敬意を表し、あえてさん付けにしたい。
当時の映画でここまでやり切れるとは・・・。
この機会に大島作品が見直されるのかもしれない。
色鮮やかな映像にはならないが「少年」や「儀式」も観てみたい。
無責任に勧めることはできないが、時間と心の余裕があれば観てもらいたい。
著者である江口先生から頂いた書籍。
GW中にありがたく拝読。
僕の感覚に過ぎないが、本書は江口先生のエッセイともいえるのではないだろうか。
これまでの著書に比べ、より平易な文章でより直接的な言葉を投げかけている。
さほど著書を読んでおらず、エラそうなことは言えないがそう感じた。
理由としては出版のために書かれた文章ではなく、facebookの投稿をまとめたものだから。
普段着姿の江口先生が語られている感覚。
たまには遠い存在の先生を身近に感じるもいい。
しかし、内容はいつも通りずしっと重い。
経営者として大切なことが並べられている。
どんな時代になろうと原理原則は変わらない。
中心になるのは松下幸之助翁の言葉だがそこには留まらない。
石田梅岩であり、渋沢栄一であり、安岡正篤である。
安岡氏の「六中観」は忙中閑あり、苦中楽あり、死中活あり、壺中天あり、意中人あり、腹中書あり。
この一文を腹落ちさせるのも相当な時間は必要。
そこに向き合う質の違いか。
僕の中では単発の文章でしか理解はできないが、江口先生にしてみれば全て繋がっているのだろう。
いくらその時に響いた言葉であっても、それが自分の中に落とし込まなければ意味はない。
そして、実践しなければこれもまた無意味。
学んだつもりになっているに過ぎない。
先日の「壺中の会」もうそうだった。
いつも実体験を話されるのもそこに価値があるからこそ。
評論家であってはいけない。
常に実務者でなければならない。
果たしてそんな行動ができているのか。
耳障りのいい名言を知っていても、江口先生のような説得力は持たない。
やってできてこそ初めて説得力を持つ。
そして、言葉の真の意味も理解できる。
読んで勉強になったにも関わらず反省しきりのブログになってしまった。
いかん、もっとできていることを書かねば・・・。
「心を許して遊ぶ者は、経営者たる資格はない」
この言葉に関しては僕は会社を任されてから心掛けていること。
厳密にいえばベロベロになった時は記憶を失くしているが、その時でさえ会社のことを考えている。
説得力がないのは百も承知だが・・・。
社長の立場になった限り「人生ー経営=ゼロ」も納得できること。
その覚悟を持ってやってきた。
常に結果が出ればその言葉も重みが増すが、残念ながらそうではない。
できた時もあればそうでないときもある。
そこも含めて覚悟なんだろうね。
改めてそんなことを感じたり。
それにしても名経営者の子孫も簡単ではない。
以前読んだ「創業家一族」でも感じたが名経営者の子供が名経営者になれるわけではない。
本書には松下幸之助さんのお孫さんのことも書かれていたが少々辛かった。
とりとめなく終わるが、本書を読めば「経営の鉄則」は理解できる。
しかし、理解するだけでは意味がない。
再度、認識させられた。
ありがとうございました。
初めて観たのが確か高校2年生の頃。
岐阜・柳ヶ瀬にある自由劇場か衆楽70mm劇場じゃなかっただろうか。
当時かなり話題で勢いだけで鑑賞。
初めて大島渚監督作品を体験し、難解さだけが印象に残ったとかすかな記憶。
一緒に観た友人は分かったふりだけしていたんだと思う。
それから5年後、僕が所属する映画研究会のイベントで大島監督をゲストとして招いた。
僕は渉外役として名古屋駅まで監督を出迎えに行った。
監督のカバンを持とうとして断固拒否された覚えがある。
なぜかそれだけは今でも鮮明に記憶している。
小難しい方だとは思うが、お忙しい中、参加頂けたことは今改めても感謝。
なぜ、あのイベントに来てくれたんだろう?
普通に考えればあり得ない話だと思うが・・・。
日本映画史の残る監督の一人だが、さほど作品は多くない。
それもヒット作は少ない。
「戦場のメリークリスマス」が一番のヒット作じゃないだろうか。
実際僕は大島監督の作品はほとんど観ていない。
全盛期は60年代、70年代なのでリアルな世代ではない。
過去の作品を調べてみても社会性が強く重厚な作品ばかり。
よほど体調を整えて臨まないと集中力も持たない。
そんな大島作品が今回、会社近くのミリオン座で公開された。
一本は本作。もう一本は「愛のコリーダ」。
「愛のコリーダ」も鑑賞済みなので、こちらも改めてブログで書きたい。
肝心な「戦場のメリークリスマス」とは関係のない話ばかり書いてしまった。
38年前の作品を記憶している方が稀。
自分の中で紐を繋ぐような感覚で2時間を費やした。
「4K修復版」のため画像は鮮明。
デビットボウイの美しさが際立つ。
坂本龍一が卒倒してしまうのもやむを得ない。
愛なのか友情なのか、極限状態の精神性なのか。
今でも僕の中でははっきりしない。
同性愛的な表現で片づけることは簡単だが、その表現は適切ではない。
戦闘シーンは一つもなく、いつも空は晴れている。
戦場として相応しくない。
それでも捕虜や日本兵の姿から戦争の悲惨さはイメージできる。
その中で坂本龍一とデビットボウイだけが異彩を放つ。
凛とした佇まいと華やかさが観る側の気持ちを揺らがせる。
日本よりも海外で評価が高いのはそんな点があるかもしれない。
作品の感想になっていない気もするが、まあ、リバイバル上映なのでこの程度でいい。
大島作品の評論は難しい。
次は「愛のコリーダ」。
こちらはもっと難しいかもね。
インターシップを企画する人事担当者、採用担当者は常に手元に置いておくべき一冊。
それはインターンシップに慣れた企業もこれから検討する企業も同様。
書籍の帯に書かれている様に、プログラムの基本と運用の実際がわかる。
(そのまんまじゃないか・・・笑)
今後、インターンシップはどの企業においても当たり前な取り組み。
最近は採用目的が主流だが、本書に書かれているCSV的価値としても必要になるだろう。
現在の名大社のケースが理想的とは言わないが、
うちで実施するインターンシップは本書に書かれているモデルに近い。
採用ありきではなく学生を育てる、企業を知ることを目的に置いている。
それが重要だと考えている。
だからといって今が完璧かといえばそうではない。
また、細かな見直しも発生するだろう。
そんな時に本書を体系立てて活用することで
双方にとってよりメリットのあるインターンシップを実施できる。
それは名大社に限らず、これから真摯に向き合うすべての企業にいえること。
本書はプログラム作成シートや学生向けのワークシートも掲載されているので活用法も広がる。
採用目的のインターンシップを行う企業もまずは基本を押さえることは重要。
そのための教科書的存在ともいえるだろう。
就職情報会社の営業はインターンシップを勧めるが、本書に書かれているような提案はしない。
(多分ね・・・)
あくまでも手っ取り早い方法を推す。
(多分ね・・・)
ポジションとしては仕方ないが、それでは片手落ち。
うちの営業も両面から捉えられるといい。
企業と学生を振り子として例えた説明も参考にしながら・・・。
著者の一人である今永典秀さんは彼が学生時代、名大社のイベントを手伝ってくれた。
社会人になってからも接点があったが、気がつけば大学の准教授。
その活躍ぶりは目覚ましい。
昔は僕が偉そうにしていたが、これからは頭を下げ教えを乞わなければならない。
よろしくお願いします。
今永さんが多分、書いた「人生100年時代のインターンシップ」というコラム。
「インターンシップは学生のものという固定概念を壊して、
いくつになっても、どんな立場になっても、学び続けること」
確かにおしゃる通り。
僕も継続的な学びのためにインターシップに参加すべき。
とても参考になりました。
ありがとうございました。