これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

就活のコノヤロー

就活のコノヤロー ネット就活の限界。その先は? (光文社新書) 就活のコノヤロー ネット就活の限界。その先は? (光文社新書)
(2013/12/13)
石渡 嶺司

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前作「就活のバカヤロー」に続き過激な一冊。特に僕らのような就職情報会社にとっては手厳しい内容だ。うちのようなローカルな企業はその対象にもならないのかもしれないが、その存在価値自体を否定されているように感じるのは被害者意識が強すぎるか・・・(笑)。
かといって完全否定しているわけではない。リクルートが過去の就職活動の在り方を変化させてきた歴史は繰り返されるという。リクルートというベンチャー企業がその当時の就職活動に疑問を持ちより良い方法を導き出す。
今を否定する存在が新たなスタンダードを作り、また時代と共に淘汰される。その繰り返しのようだ。
うちの会社の歴史を振り返れば同じようなことが言えるかもしれない。僕が入社する当時、もしくはその少し前、就職活動の基本はそのリクルートが中心となって発行するガイドブックだった。
僕の学生時代もそうだが、分厚い本が自宅に送られてきた。バブル期には分厚すぎてとても読む気になれない量が送られてきた。当然、目につく会社とそうでない会社と人気ははっきり分かれる。
そこで生まれたのが企業展だった。知名度のない会社でも人が面と向かって話をすれば会社の魅力は伝わる。それで一度に多くの会社を知ることができる。そんな場を提供することで馴染みのない会社でも興味を持ってもらえる。
コンセプトは今も変わらないが、当時は知名度のない企業、分かりずらい企業には受け入れられた。
そんな意味合いでいえば、うちの会社も同じことが言えるかな・・・。とちょっと自社アピール(笑)。
その繰り返しは我々のようなサービスを提供する側だけでなく、過去の就職環境も同様。僕が単に無知なだけで知らなかったが、就職協定の歴史も大正時代から繰り返されているという。
環境が変わるたびに時期や動き方が変化する。ここ数年においても2年前の12月スタート、来年の3月スタートと振り回されるように変わっていく。
本書の書評とはどんどん遠ざかってしまうになってきたが、過去から現在へと移り変わる就職戦線を思い出させてくれる意味においては僕に気づきを与えてくれた。
それだけではない。大げさな言い方をすれば、この東海地区で業務を営むだけでは得ることができない情報も仕入れさせてもらった。本来は僕の方が知識として持つべきだが、勉強させてもらった。
我々の業界にとっては決して嬉しい内容ではないのだけれど・・・。

映画「麦子さんと」

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小さな小さなこじんまりとした映画。
年末年始に「ゼログラビティ」や「永遠の0」というスケールの大きい映画を立て続けに観たので、余計にそう感じてしまったのかもしれない。
別の見方をすれば、女優堀北真希のアイドルムービーと言えなくはない。そんなチープな表現だと一時期流行ったアイドル映画のように思われてしまうが、本作を否定しているわけではない。
それほど興味のなかった堀北真希が可愛らしく愛おしく(同じことか・・・)思えてしまうのだ。公開されていることもあまり知られていない地味な作品だが、これを観るとファンが増えてしまいそうだ。
そういうと「翔んだカップル」の薬師丸ひろ子的な「惚れてまうやろ~」映画と思われがちだが、恋愛のシーンなんて一つもないので、それとも違う。(何を言っているかだんだんわからなくなってきましたね・・・笑)
幸せか不幸かは観客判断となる親子を描いただけの物語。それもとてつもなく小粒。そんな映画。だからこそ田舎のシーンが懐かしく、登場人物が温かく、人と人とのつながりを感じることができる。
失礼な言い方だが、大ヒットはしないと思う。抜群の評価は得られないと思う。時代と共に忘れさられてしまう可能性もあると思う。
それがいい。何気ない日々を暮らす自分たちの生活の中に、大切なものがたくさんあるはずなのに、それに気づかず過ぎていく。それを立ち止まらせてくれる良さがこの映画にはある。
聖子ちゃんの「赤いスイートピー」が流行ったのは、確か高校の頃だった。その当時、修学旅行のバスの中で同じクラスの女子がマイクで唄っていたな。今度、誰かカラオケで唄ってくれないかなあ~と思わせてくれる映画。
何のこっちゃ(笑)

日本型モノづくりの敗北

日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ (文春新書 942) 日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ (文春新書 942)
(2013/10/18)
湯之上 隆

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「技術立国ニッポン」とか「世界一の技術力を誇る国」なんていう言葉は自信を持って表現する言葉ではなく、単なる自己満足に過ぎないのかもしれない。
著者の書かれていることを素直に100%信用する必要はないかもしれないが、僕らが思い当たるふしもある。テレビを購入する際、値段の高さによって画像の鮮明さが違うという。
家電量販店の大型テレビが並んだ売り場で見れば、ほんのわずかだがその違いがわかるかもしれない。それも説明されて分かる程度。自宅でそれを見た時にどこまで満足度が上がるかは正直分からない。
今、家のリビングにあるソニーのBRAVIAも購入した当初はその画像の美しさとディスプレーの薄さが売りだった。特に薄さはどこまで優位性があるかはわからない。しかし、そこにこだわる日本の電機メーカーも多い。
技術者出身の著者はその姿勢をあっさりと切り捨てる。それがサムソンを中心とした海外のメーカーにあっさりと敗れる原因だと・・・。それは完全否定することではない。そんなことが求められる時代があったわけだし。
著者の表現を借りれば、「世界シェア1位、世界最高品質の製造技術、世界最高の高画質技術、世界最先端の技術を持っていても、パラダイムシフトの前ではまったく無力であることがわかる。」ということ。
国内のマーケットはもちろんのこと国外をマーケティングしないと、そのパラダイムシフトは理解できないのだろう。
それは技術を要するメーカーに限らない。自分たちのビジネス領域においても当然のようにいえること。何にこだわるのかを見極める目を持っていないと簡単に排除されてしまう。反面教師だな・・・。
そして、常にイノベーションを起こさなければならない。イノベーションを起こすために重要なのは模倣と著者はいう。
1.模倣の心構えを万全とする
2.模倣対象を参照する
3.情報を探索し、標定し、選択する
4.対象の脈略を理解して深く潜り込む
5.自らに適用し、実践する

この5つのプロセスが重要のようだ。これなら何の創造力も持たない僕も少しならできるかもしれない(笑)。
本書の正式なタイトルは「日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ」。零戦の記述が全くなかったような。僕が見落としただけかな・・・(苦笑)。

「次の30年」を生き抜く経営

新年早々の日経トップリーダーの特集は、『「次の30年」を生き抜く経営 理念を貫き、変化し続ける』。
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「次の30年か・・・。さっぱりイメージできない」というのが情けないけど僕の素直な感想。現在、名大社は創業44年。いまから30年前、現在の状況がイメージできていたかと言えば、間違いなくゼロだろう。イメージを持っていたといっても今の姿になっているとは誰も分からなかったはずだ。
変化の早い昨今であれば、それは更にいえること。5年後すら予測できないのに、ましてや30年後なんてわかるわけはない。当然の話。しかし、今回の特集はそんなことを言いたいわけではない。
大切なのは理念。そこに基づいて、どう日々自分たちを変化させ、成長していくか。表現は悪いが、中小企業はどう生き抜く、生き残っていくかだ。うちの会社も同様。
僕が30年後、経営に関わることはないと思うが、まずは存続させること、そして、新たな市場を切り開くことはやっていかねばならない。その積み重ねが30年後という近くて遠い未来に繋がっていく。そのためにはまず今年、どんなアクションを起こすかが重要なわけだ。
本誌30年を振り返り、名経営者がそれぞれの時期に貴重な言葉を残している。
「全ては経営者に責任がある」(松下幸之助 86年10月号)
「競争しなければ進歩はない」(本田総一郎 90年1月号)
「サービスは先、利益は後」(小倉昌男 95年11月号)

これらの言葉は不変だ。今、この瞬間でも自分の身に置かなければならない。
今月号は堀場製作所最高顧問 堀場雅夫氏とリブセンス社長 村上太一氏の対談も掲載されていた。62歳差のあるこの対談、思わず笑ってしまった。
堀場氏はPPK(ピチピチコロリ)運動を推進しているという。老人は皆、夜な夜な若い女性とお酒を飲んで、ピチピチ元気に暮らしてもらう。そうやってはしゃいでたら、コロリと逝く確率が高まる。それは家族も喜ぶし、国も助かる。年寄りに無理をさせたらあかんという人は国賊だとのこと。
それは素晴らしい。理想的な生き方かもしれない(笑)。
その前にやらねばならないことが山ほどあるわけだけど・・・。

映画「永遠の0」

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昨日もTVの報道番組では今後の戦争の可能性について報じていた。日本を取り巻く様々な状況もあるが、全世界で自国の正当性を主張し、相容れない相手国への非難をぶちまける姿が散見される昨今。
この映画が外国人に受け入れられることは少ないと思うが、日本では戦争の愚かさを感じる一本であってほしい。
公開されてまだ1週間足らずだが、既に僕の周りにも映画を観た方は多い。それも同世代が目立つように感じる。
僕のように原作の流れで観た者もいれば、単純にサザンのファンもいる。岡田准一ファンは少ないかもしれないが(あくまでも我々の世代、演技は良かった!)、山崎監督のファンはそこそこだったり。
ただそんなことよりも戦争が身近でなくなっている自分たち世代の危機感が足を向けさせている面もあるのでないだろうか。このまま今の在り方を放置しておくとまずい方向に向かってしまうのではないかという危機感が・・・。
そんな大層な考え方をするとこの時期に公開されたこの映画の価値は高いのかもしれない。
僕個人としてはお涙頂戴的なシーンはもっと避けて製作された方が映画の重みはでたのではないかと思う。何気ない主人公のセリフに涙が出そうになったし、感情的あるいは朴訥と喋るベテラン陣に心を揺れ動かされるシーンも多かった。
東宝の力の入れ具合や大ヒット作を生みたい想いはよく理解できるが、もうちょっと地味な作りでもよかった。まあ、無理かもしれないけど・・・。
映評では原作に遠く及ばないと書かれているのが目立つが、売れた原作の映画化がことごとく失敗する日本映画では高いレベルのあると思うし、配役も良かった。風吹ジュンさんはどうしても「八重の桜」や「そして父になる」がダブってしまうけど(笑)。
まだまだこの手の映画に興味を示さない子供たちだが、もう少し成長したら一緒に観るのもいいのかも・・・。

直球勝負の会社

直球勝負の会社 直球勝負の会社
(2013/03/04)
出口 治明

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1冊で3度おいしい書籍である。起業することの大変さを学べる、生命保険の仕組みについて学べる(あまり理解していないけど・・・)、出口氏に生き様について学べる。
そして、理想の会社とは何かを考えさせてくれる。そこも含めれば4度おいしいということになる。
出口氏はいろんなメディアへの露出や時間さえあればどこへでも講演に行かれる行動力でその存在はよく知っていた。名古屋へもちょくちょく講演にも来られているようだが、タイミングが合わず参加できずにいた。しかし、いい情報は願っていれば舞い込んでくるもの。
盟友である櫻山さんが中心となって運営する中部経営塾の勉強会で講師として登壇されるのだ。
来年の2月22日(土)。都合よく空いている。もしかしたら、マラソンがあるかもしれないがこちらを優先。すぐに櫻山さんに参加の旨を伝えた。毎回毎回、素晴らしい方を招かれて尊敬します(リップサービスじゃないですぞ・・・)。
参加するからには著書は読んでおかないと失礼にあたる。また、あわよくば当日サインもしてもらいたいので、本くらい持っていないいけない(笑)。本書を勧められていたこともあり、名古屋駅前の書店に行くも在庫なし。
発行は4年以上前だから仕方ないかもと思いつつ、Amazonで注文。発行されていたことすら知らないのはアンテナが立っていない証拠だな。
起業家としての力強さもあるのだが、僕はむしろ出口氏の人間味あふれる自然体の生き方に共感した。元来、頭脳明晰で他の人と比べればずば抜けた能力を持っておられるのだろうが、その立ち振る舞いや正しいと思ったことを迷わず実行する真摯さが胸を打つ。時にそのストレートさがユーモアであったり・・・。
学生時代、「弁護士になるつもりだが、滑り止めにどこかの会社を受けておこうと思ってここにきた。」そのようなことを入社する日本生命に言ったらしい。
今の時代なら張り倒されると思うし、おおらかな時代背景があったかもしれないが、出口氏が持つ人間性が好感を持たれたのかもしれない。それも面白いエピソードのひとつ。
目の前の仕事に熱心に取り組み、どんな人でも真剣に付き合う。そこから多くのことを吸収していく。その繰り返しの経験が更に人間を磨いていく。過去の経験を全て頭の中に収めていく。
あとがきを読むと手帳も時計も持たない生活の中で、本書で書かれている過去の事実も記憶から引っ張てきただけのようだ。格が違いますね・・・。
人生の先輩として勉強をさせてもらったが、年明けの講演もますます楽しみになってきた。
もう一冊くらい読んでおかないといけないな・・・。

映画「ゼロ・グラビティ」

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邦画ファンの僕が年に数回しか観ない洋画の一本。と言っても映画館で観たのは邦画も洋画も大差ない(苦笑)。もっと観ないといけないなと毎年年末になるとそう思う。
全く先入観もなく、ストーリーも知らずに観た本作。いやあ~、びっくり。なんて凄いんだ、今どきの洋画ってヤツは・・・。と思わず唸ってしまった。僕は2Dで観たのだが、これを3Dで観たら劇場内で酔ってしまったかもしれない。
宇宙の神秘な映像も良かったが、リアリティ溢れるストーリーにも巻き込まれてしまった。
なんとこの映画、2人の役者しか登場しない。
既に周知の事実かもしれないが、一般的な映画ではあり得ない。登場するのはサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーだけ。厳密にいえば、死体も登場するがそれだけ。後は全くなし。誰も出てこない。
そしてワンカットが長い。僕は観ながら、もしかしてワンカットしかないのではと錯覚しそうだった。現実的にはあり得ないが、映画の上映時間と映画の中の設定時間と同じだから、そんな錯覚もあるだろう。
意味が分からないと思うので分かりやすく説明すると、この映画は時間的経過が同時進行でしかない。日を跨ぐことも過去を振り返る時間もない。ストーリーの進行時間と上映時間はイコールなのだ。
それがドキュメンタリーっぽく見られる理由だろう。こんなタイプの映画は初めて観た。
この映画を観ると命の大切さを理解できると共に地球がいかに過ごしやすい場所か痛感させられる(表現がおかしいな)。まず宇宙に行くことはないので、そんな心配は無用だが、宇宙飛行士の仕事は命がけだ。無重力が楽しそうなんて、無責任もいいところ(笑)。
個人的には面白い映画だったが、この映画は観る者を選ぶかもしれない。純粋にエンターテイメントを楽しみたいのであれば物足りないかもしれないし、人間ドラマとも言い難い。しかし、あの場面、あの状況だからこそ、人間は本能的にそんな動きをするだろうと推測することもできる。
ストーリーを語らず、映画の感想を書くのは難しい(笑)。
気分だけは宇宙に行った気になった映画だった。

「グリード」を読む

gureed
情けない話だが、本書を読む前に僕はこのグリードという意味を知らなかった。Greedは「強欲」とか「欲」と訳される。
タイトル通り、強欲者のストーリー。小説としての面白さは抜群だが、その強欲さが露呈される度にうんざりしてしまう。フィクションの世界ではあるが、現実の世界も似たり寄ったりではないかと錯覚する。いや錯覚ではなく、実際そうだったと思うのだ。
舞台は2008年のアメリカ。リーマンショック前後を背景に書かれている。半分は真実、半分は架空のストーリーで鷲津政彦率いるサムライキャピタルはアメリカの強欲者を混乱に落とし込んでいく。
先日の映画ハゲタカ鑑賞会の席でも、このグリード=強欲という言葉は話題になっていた。映画「ウォール街」では、Greed is good(欲は善)というセリフがあり、金融ビジネスでは当然の考えと・・・。
これと全く同じセリフが本書の中でも何度も目に飛び込んでくる。きっと原作者の真山氏が意図的に書いたのではと想像してしまうが、それがアメリカの象徴なんだろう。
僕のような貧乏経営者(単に能力がないという話ですが・・・)は、年収何十億を稼ぐ社員がゴロゴロいる会社に疑問を抱く。法を犯していないとはいえ、それが全うなビジネスなのかと疑ってしまうのだ。稼ぐことは重要だが、その利益の源泉はどこにあるかと考えると不思議でたまらない。弱者の遠吠えかなあ~(笑)。
小説の世界が勧善懲悪とはいわないが、僕と同じような悶々とした気持ちを抱く者にとって本書はスッキリする。描く世界がとてつもなくデカくなっていく気はするけど・・・。この続編は一体どこへ向かうのだろうか(笑)。
本書では珍しく新聞記者からの目線からもストーリーが進んでいく。新聞社内での葛藤も描かれている。僕はこれを真山氏の新聞記者時代ことが書かれているのではと勝手に決めつけてしまった。そういった視点で読むのも面白いかも・・・。
真山氏といえば、年明け1月24日に東京グロービスのセミナーに登壇される。
「なぜ、ハゲタカ鑑賞会を行った名古屋じゃないんだ!!」という少数派の意見は無視されるとして、とても魅力的な企画。グリードを持参してサインをしてもらいたいが、そこまで調整するのは難しいかな・・・。
いつものように書評じゃないまま終わってしまい、どんな点が面白いのかさっぱりわからないが、すこしでも気になった方は読んでもらいたい(笑)。

グリード (上)

グリード 上 グリード 上
(2013/10/30)
真山 仁

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書評は下巻も読んでからにしたいと思う。
だったら紹介するなよと言われるかもしれないが、それには大きな理由がある。そう、今週30日(土)にあの伝説の「ハゲタカ」鑑賞会に続く続編「映画『ハゲタカ』」鑑賞会が実施されるのだ。
映画「ハゲタカ」が上映されたのが2009年。リーマンショックの翌年である。僕はこの映画をワークシェアリングで会社が休みの時に観た。
この「グリード」の前篇にあたる「レッドゾーン」は映画の上映後に読んだ。「レッドゾーン」は購入したのではなく図書館で借りた。給与が大幅に減り、本を買うお金さえも惜しかったからだ。リーマンショック後、一気に不況に陥り、これまで経験した事のない経済下で仕事をしていた。
本書「グリード」はハゲタカシリーズの第四弾として、そのリーマンショック前後の事が書かれている。フィクションとノンフィクションを掛け合わせた作品になるのだが、本書を読みながら、当時の悲惨な状況を思い出していた。まだ4~5年しか経っていないというのは不思議な感覚だな・・・。
ドラマや映画の鷲津政彦と原作の鷲津政彦は全くイメージが異なる。それは「倍返し」でブレイクした半沢直樹に近い。どっちもいい(それはドラマも映画も両方という意味)。そのギャップも面白い。
しかし、その中でもあまりイメージが変わらない人物も存在する。元三葉銀行の頭取でドラマでも圧倒的な存在感を示した飯島亮介。本書でも肝心な場面で登場する。そして、主人公鷲津政彦に対して言う。
「立派やなあ、あまえは。いっつも、立派や。けど、それが仇になるかもしれんぞ」
これに近い名セリフがドラマでもあったぞ。ハッハ~ンと感心するのは3人くらいかと想像するが(笑)、何となく嬉しい。
この「グリード」の話題が出るかどうかは分からないが、下巻同様、今週末も楽しみだ。

普通に働け

futuunihatara
「普通に働け」常見陽平著(イースト出版)
常見さんの勢いが止まらない気がする。今年だけで何冊の本を出されたのだろうか。超ハードすぎて体は大丈夫かな。僕が声を掛けても、もう名古屋で講演はやってくれないだろうな・・・(苦笑)。
と最近の活躍を拝見するとそう思ってしまう。
いいも悪いも著者のホンネがずばりまとめられている。僕らとは本来、目指すべき方向性が異なるため、全てに賛同するわけではないが、共感する箇所は多く、その点は納得感を持って読ませて頂いた。
民間企業で働くことは競争することである。毎日、勝敗を決めているわけではないが、要所要所では勝ち負けが明らかになる。それは点数で証明されることもあれば、表彰とかポジションとか何らかのインセンティブで証明されることもある。
僕はそこも含め、「普通に働く」と思うのだ。
かといって、全員がトップを目指すわけでもなく、ビリが追い出されるわけでもない。組織内の融和や異動によって問題が解消されることもあり、働きにくいと思われがちな日本の企業も案外、心地よかったりする。
そんなことを含め、マジメに働くことが重要で、それが「普通に働く」ことではないだろうか。
世の中はほとんどが普通の人だ。今の立場にいるとそう思われないかもしれないが、僕も普通の人だ。僕をよく知る人のほとんどは僕を平凡すぎてつまらないと思っているだろうし(笑)。
グローバル人材という言葉を必要以上に意識したり、自社がブラック企業じゃないかと疑ってみたり、そんなどうでもいいことを気にしたりする。それが健全な普通の人。
本書にも書かれている通り、世の中は変化していくとはいえ、劇的に物事が変わるわけではない。当たり前にインターネットを活用しているように、余程のことがなければ付いていくことはできる。
となると、まずは目の前をことをちゃんと見ること、取り組むことが重要。書かれている通りだ。
これは自分たちにも責任があるのかもしれないが、メディアに踊らされず、キャリアアップという言葉に騙されず、自分がやるべきことに真剣に向き合い取り組むことが大切だと思う。
「普通に働く」ことは決して間違ってはいない。