いやあ~、なんかいい。
うんうん、こんな映画はなんかいい。
そんな表現で映画コラムニストのブログを終えてしまいたい。
そんな映画だった。
単純にいってしまえば、75歳の老人と女子高生が仲良くなって、
同じ目標に向かい励んでいくというだけのストーリー。
奇想天外な展開があるわけもなく、どこかで観たような感覚が体を覆う。
だが、一度も味わったことのない不思議な幸福感。
何気ないシーンに何度もグッときてしまった。
それは感動を呼ぶシーンではない、日常的な会話や行動。
そんなシーンに何度もグッときた。
一年を通して何度かそんな作品に出会う。
とても小さな映画だが、とても愛おしく感じる。
昨年だと「浜の朝日の嘘つきども」。
一昨年だと「アルプススタンドのはしの方」。
きっと分かる人には分かるんだろうなあ~、僕の感性が(笑)。
そんなふうに僕を揺り動かしてくれた存在はやはり主演の2人。
宮本信子さんと芦田愛菜ちゃん。
この2人の表情が抜群。
僕の宮本信子さんの印象といえば伊丹十三監督の作品。
「お葬式」から始まって「マンボーの女」「あげまん」「ミンボーの女」など。
僕が学生から社会人になった頃に一番活躍をされていた。
当時は40代半ば。
結構、強い女性のイメージが強かった。
芦田愛菜ちゃんといえば、子供と一緒に観ていた「マルモのおきて」が印象的。
当時6歳。
まだ子供らしさは残っているが、立派な女優。
彼女が一喜一憂する姿はセリフがなくても十分伝わってきた。
この2人の絡みが可愛らしく、こちらまでつい微笑んでしまう。
そして一緒に悲しんでしまう。
寄り添う映画といえばいいのだろうか。
そんな作品だった。
映画の鍵となるんはBL漫画という存在。
そんなジャンルの存在を知らなかった。
実際に流行っているんだよね?
本屋さんにはそんなコーナーもあるんだよね?
その世界に恋焦がれるのではなく応援する姿が微笑ましい。
漫画はそんな読み方をするんだね・・・。
いい勉強になりました。
本作はアンテナを張り巡らせないと気づかない可能性もある。
上映される映画館も限定的だし。
先日観た「トップガン マーヴェリック」のような超大作もいいが、
こんなほっこりとする小さな作品もいい。
もっと映画を観ないとね。
今、世界で最も有名の日本人じゃないかな。
それは映画監督の濱口竜介氏。
本作はその濱口監督の2018年公開のデビュー作。
公開時は名古屋で上映されていたのかも知らなかった。
知らないついででいえば、
本作が東出昌大と唐田えりかの不倫問題の原因みたいだが、
そんな話はどうでもいい。
あくまでも映画コラムニストとしては映画を語るのみ。
周辺情報に惑わされてはいけない。
4年近く前の作品なので、ネタバレも許されるだろう。
運命的な恋に落ちた2人(東出演じる麦と唐田演じる朝子)が、
麦が突然消えたことで自然消滅に・・・。
その後、麦に瓜二つの亮平(これも東出ね)と出会い愛を育むも、
また問題が起きてというような恋愛映画としてはありがちな展開。
原作は芥川賞作家・柴崎友香氏らしいが、その存在も知らず。
この類の小説はもう何十年と読んでいないが、感性を豊かにするには読んだ方がいいかもね。
劇場公開時もこのストーリーだけならきっと観なかったと思う。
それが誰が監督するかで映画自体のクオリティは変わり興味深いものになる。
単なるミーハーかもしれないが、濱口監督の手にかかると何とも不思議な感覚に陥る。
静かにドライブするシーンは「ドライブ・マイ・カー」を思い出させる。
何も喋らず静かな表情が映画を物語る。
ぎこちなさも不安も愛情もお互いの表情が語ってくれているのだ。
以前もブログに東出昌大の演技がかなり上手くなったと書いたが、
きっとこの作品がキッカケじゃないかな。
と勝手に思ったり。
さりげない喜怒哀楽がとてもよかった。
ハッピーエンドに終わったと思う人は多い。
しかし、その先に待っているのは地獄かもしれない。
映画の先行きは観る者に任せられるが、概ね期待した展開。
誰もが胸を撫で下ろすだろう。
しかしだ。
冷静に考えれば、ヒロイン朝子はとんでもない女。
純粋で真っすぐな一途な女性だが、いやいや、かわいい顔をしたわがまま女。
そう書くとバッシングを受けそうだが、冷静に考えればそう。
でも、僕が亮平だったら同じ結末かもね。
セリフの言い回しできっとやられちゃう。
見方を変えればピュアな恋愛映画だが、大体、そんな映画は残酷に仕上がっている。
だからこちらにぐっと迫ってくる。
「偶然と想像」や「ドライブ・マイ・カー」にハマった人は観るべきだね。
あ~、とっくに観てるか・・・。
タイトルに惹かれ手に取ったのも理由のひとつだが、
大きな理由は三浦瑠璃さんが著者だということ。
11月に開催される母校同窓会の70周年記念事業でご登壇頂くことになったのだ。
著書は読んでおかなくちゃと思い、最新作の本書を選んだ。
専門分野の書籍を選べよ!とお叱りの声も聞こえそうなので、それはまた・・・。
僕は中野信子さんも三浦瑠璃さんも著書は一度も読んだことがない。
TV番組もほとんど見たことがない。
ちらっと拝見した程度。
そのためどんな類のコメントを発し、
何を得意としているのか、
どんなタイプなのかも何も知らない。
勝手に強い女性の象徴と思い込んでいただけのこと。
男性の行為に対してかなり手厳しい方でないかと・・・。
「不倫」に対して「正義」を振りかざし、
断罪するパワーが溢れているんじゃないかと・・・。
人を勝手にイメージしちゃいけないね。
想像とはまるで違う内容。
そうでもないな。
多分、本書に書いてある内容を密かに期待していたのだろう。
ある意味、寛容であり、ある意味、自然な行為として受け止めている。
むしろ、不倫は絶対悪とそのターゲットを叩きまくるマスコミやSNSを非難。
それを学者らしく専門分野にも照らしながら発言されている。
あくまでも対談集なので、サ~ッと流れていく感じなので、
奥深いところまでは分からないけど。
それは女性同士に井戸端トークのようにも思える。
その軽さがタイトルとのギャップで読者を取り込んでいるのだろう。
次回はちゃんとした著書を読みます!
対談物で最近、読んだのはこちら。
隈研吾氏は67歳だが、養老孟司氏は84歳。
そろそろ死への向き合い方を語り合っているかと思ったら、そうではなかった。
これまた専門分野の知識を活かしながら、
これからも元気に生きましょうというような話。
今の時代は参勤交代型の働き方がいいという考え方は面白かった。
直近でいえば、NTTの新たな制度もそれにあたるのかな。
超高層ビルという箱に閉じ込められているのがエリートだ
という言葉には妙に納得してしまった。
最近は意図的に興味のない分野を読むようにしている。
これからの自分に必要なことだと思うし・・・。
多くの考えを吸収する事は続けていきたいね。
とあまり中身のない書評ブログになってしまった。
映画が始まり、いきなり鳥肌が立つ。
流れる曲はケニーロギンスの「デンジャー・ゾーン」。
飛行シーンと共に瞬間的に映画の中に吸い込まれていく。
多分、前作を観た世のオジサン、オバサンはほぼ同じ現象のはず。
先日たまたまワイン会でご一緒した同世代の女性は号泣しっぱなしだったという。
その伏線にいとも簡単にやられてしまったようだ。
前作の公開は1986年。
もう36年もの時間が経過している。僕もそのほとんどを忘れている。
ただバックに流れる名曲と大迫力の飛行シーンは体に染み込んでいる。
そこが映画が始まりわずか数分で覚醒された。
あとは映画にズルズルと引き込まれるだけ。
これだけ見事な続編は滅多にない。
それもしっかりと前作の流れを引き継ぐ構成。
続編までの時間は映画の中で消化されている。
その年数はさすがに36年ではないと思うが・・・。
トムクルーズ扮するマーヴェリックは一体いくつなんだろう。
少なくとも50代半ばのはず。
いやいや、これが現実ならあり得ない世界。
きっと老眼も始まっているし、あんな完璧なオヤジはいない。
あのハイレベルな技術を駆使するなんてできない。
トムクルーズさん、ちょっとカッコ良すぎない?
しかし、そんな話はどうでもいい。
ただ素直に映画を楽しめばいい。
架空の敵国がどこかなんて深く考える必要もない。
余計なことは全部吹っ飛ばしてしまえ。
超エンターテイメントと呼ぶに相応しい。
僕はエンターテイメント性の強い映画はもう卒業したと思っていた。
もっと大人の世界に向き合う映画コラムニストになったと・・・。
ただの思い上がりだった。
卒業どころか、映画のど真ん中にいる自分がいた。
まだまだ子供じゃないか・・・。
それにダメ押しするのがジェニファーコネリー。
こんな登場のさせ方なんてズルいとしかいいようがない。
そして、あのラストシーン。
う~ん、参りました。
最初から最後まで。
端から端まで超エンターテイメント。
見事にやられましたね。
できれば前作をもう一度観てから、現場に出向いてもらいたい。
周りの評判がよく、それに導かれて観た一本。
とても身近さを感じた映画だった。
映画の中心的な存在である伊能忠敬や主演の中井貴一が身近なのではない。
4月にお邪魔した香取市が舞台だったのが、大きな理由。
その時のブログがこちら。
「フィールドワーク? いやいや、単なる男旅」
映画で描かれている世界がまさにここ。
お邪魔した伊能忠敬記念館も重要伝統的建造物が並ぶ小田川沿いも映画に登場。
つい2か月前に見た風景がまざまざと映し出される。
身近に感じないわけがない。
本作は中井貴一扮する市役所職員が伊能忠敬をモデルに大河ドラマの制作を仕掛けるもの。
香取市内ではチュウケイさんと呼ばれ、とても親しまれている伊能忠敬。
初めて日本地図を作った実績をもっと世に知らしめるべき行動を起こすが、
そこには今まで知られていない事実が発覚してしまう。
事実を知れば知るほど別の感動が生まれてくる。
そのドラマは確かに感動的。
それを大河ドラマにしても違和感はない。
しかし、それでは主役伊能忠敬が成り立たない。
そんなことを現代と江戸時代をシンクロさせながら描く。
それが観ていて心地いい。
涙あり、笑いあり。
正しい日本映画を鑑賞する感覚。
現代も江戸時代も出演する俳優陣は同じ。
中井貴一も松山ケンイチも北川景子も平田満も近い役どころ。
中でも上司部下の関係である中井貴一と松山ケンイチは絶妙。
どちらの時代もその苦労を上手に笑いに変える。
あんなすっ呆けた松山ケンイチも肩の力が抜けていい。
上質なコメディに繋がる。
ただの軽薄な兄ちゃんじゃないか。
日本の歴史を調べてみると3年ほどの時間なんて些細に思える。
長い歴史でいえば1~2年なんて大した話じゃない。
そんなふうに考えてしまう。
だがその些細な事実が歴史上とても重要で、過去を180度変えてしまう可能性もある。
まさに本作はその些細な事実を見逃さず、歴史を根本から変える。
となるとその当事者の評価も・・・。
忠実に歴史を描く映画も大切だが、こんな視点で作られる映画もいい。
様々な角度から歴史を描いてもらいたい。
日本映画ファンとしては・・・。
純粋に楽しめる作品でした。
高橋源一郎氏って、いつぶりだろうか。
きっとこの30年は読んでいない。
最近も活躍されているんだね・・・。
高橋氏がメディアによく出ていた頃、ちょくちょく似ていると言われた。
教養の高さではなく単に顔が長いことが理由だが、
そんなに悪い気はしなかった。
だったらもっと読んでもいいのにね(笑)。
本書は中日新聞か日経新聞の書評欄に紹介されていて、何気に手に取った。
最近は意図的に普段読まないジャンルに果敢にチャレンジ。
そんな大袈裟なことではないが、自分の興味の範囲内だとどうしても視野が狭くなる。
たまにはそうじゃない書籍を選ぶわけだが、それも意外と難しい。
表紙もタイトルもライト。
それが手に取った理由だが、中身もライト。
著者はもっと固い作家だと思っていたが、エッセイだとかなり柔らかい。
しかし、眼のつけどころはシャープ。
昔、流行ったね、そんなCM。
著者は『「これは、アレだな」は世界を豊かにしてくれる、魔法の言葉なのである』と書いている。
むむむ・・。そうなのか。
僕は極力、アレという言葉を使わないようにしてる。
無理にでも意識をそちらにもっていかないと「アレって、アレだよね?」なんてつい出てしまう。
実家に帰り母親と会話をするとアレのオンパレード。
「お兄ちゃん、こないだアレだったんだわ」
「ちゃんとアレ、やっといてね」
とそんな会話が続く。
ずっと一緒にいれば理解できるかもしれないが、いくら親子でも分からない。
「アレじゃ、分からん。アレばかり使ってるとボケるぞ」
と脅すが、一向に治ることはない。
結構な危機感を持っているんだが、高橋氏は魔法の言葉だという。
使い方が異なるので、安易に受け止めることはしないが、
いい解釈をすればその使い方は悪くないということか。
あまり責めちゃいけないね。
本書のアレは母親の会話のように言葉が出てこないのではない。
ある事実や歴史上の出来事が別のケースと似通っている表現として、
「これは、アレだな」と使っている。
そこには高い視点と知識があり、著者ならではの解釈がある。
凡人だと気付かないが、言われてみるとなるほど!と思う。
常に何かを意識して行動しろという注意喚起なのか。
目にするものは誰かと誰かが大きく変わるわけではない。
同じような情報を得ている。
しかし、受け止め方や感じ方は大きく異なる。
何も考えなければ、そのままその情報は過ぎ去っていく。
いかに時間を無駄にしてしまってるかも反省。
「これは、アレだな」
は言葉を忘れて使うのではなく、鋭い視点で使いたいね。
なぜかワクワクしながら映画館に行ってしまった。
15年ほど前、息子と一緒にウルトラマンを観に行った時はワクワクしなかったのに。
確かウルトラマンメビウスとかウルトラマンマックス。
結構、冷めた目線で観ていたと思う。
その違いは何だろうか?
本作が子供の頃に見たウルトラマンに近いせいもあるだろう。
ウルトラマンのロゴ、登場シーン、その姿かたちが当時を思い起こさせ、ワクワクさせるのか・・・。
初代ウルトラマンの放映は1966年。
僕が生まれた年。
リアルでは見ていない。
リアルで観たのは「帰ってきたウルトラマン」が最初。
初代はその前後の再放送で見たのか。
変な社会性もあり、子供ながらに理解しがたいシーンは多かった。
そりゃあ監督も実相寺昭雄氏だったりするわけだから、よく分からない。
だから「ウルトラセブン」に惹かれたのかな。
いろんな技や子飼いの怪獣も持っていたし・・・。
さて、本作。
ウルトラマンへのオマージュが強く、同世代のオジサンたちが喜ぶように仕上がっている。
長澤まさみのアップや巨大化シーンに魅了されたオジサンも多いはず。
映画としては単純であり複雑。
複雑であり単純。
政治や国際情勢を絡ませ覇権争いを狙うあたりは現代チックで複雑だが、その決断は意外と単純。
いとも簡単に総理はハンコを押してしまう。
実際、ハンコは押していないけど。
そこも過去の作品へのオマージュなのかな。
初代ウルトラマンとの違いはカラータイマーがないこと。
当時は気づかなかったが、あれはない方がいい。
ピコンピコン鳴る状態を怪獣が知れば戦いを延ばせばいい。
自分の危機を相手に親切に教えるようなもの。
その反省があって、本作は失くしなのかな?
きっと関係ないね(笑)。
僕が個人的に気に入ったのがメフィラス星人役の山本耕史。
堀北真希の旦那なのは気に食わないが、最近の演技はいい。
大河ドラマ「真田丸」の石田三成役もよかったが、「鎌倉殿の13人」の三浦義村役もいい。
義時の相談相手としての立ち振る舞いがいい。
本作でもイヤらしい役を上手く演じていた。
映画を観終わって思った。
もう一度「シン・ゴジラ」や「初代ウルトラマン」を観ようと。
いやいや、「シン・仮面ライダー」もあるぞ。
これはどうかな?
来年の公開だから、随分先だけど。
オジサンの楽しみも増やさないとね。
2年前に日本で公開された作品。
その時、本作の存在は知らなかった。
キネマ旬報外国映画ベストテンで2位のランクインで知っただけ。
映画コラムニストとしてはまだ勉強不足。
この年話題になったのは「パラサイト半地下の家族」。
キネ旬でも1位だったし、アカデミー賞作品賞も獲得。
最も話題になった韓国映画だった。
その陰に隠れていたのが本作。
この年は韓国映画の当たり年だった。
日本映画も負けちゃいられないね。
それ以来、気になっていたが最近、ようやくAmazonプライムで鑑賞。
舞台は1994年、韓国ソウル。
今から28年前。
そうか、僕が結婚した年じゃないか・・・。
どんな年だっけ?
アメリカでW杯が開催され、
北朝鮮のキム・イルソン主席が亡くなり、
ソウルで大惨事が起きた。
それは僕が思い出したのではなく、映画の中で描かれる世界。
急に現実感が出てくる。
その時代の韓国の状況を僕は知らないが、描かれる世界はリアル。
男尊女卑。
明らかに扱いが違う。
モーレツな学歴社会。
ソウル大学を目指すことがエリートへの第一歩。
エリートになることが全て。
そうならないと豊かさを手に入れることはできない。
決して大げさではなく、当時をストレートに描いているのだろう。
日本人として違和感を感じるが、
28年前の日本だって、今と比較すればその働き方は違和感を感じる。
時代は少しずつ変化し、気づいた時はまるで違う世界になっているのだ。
それを14歳の少女の視線で捉える。
その視線は至極真っ当であるが、
(冷静にみれば・・・)
周囲の大人たちは理解できない。
とっても可愛い子だが不良扱いされ、
それに抗うかの行動もしてしまう。
誰しもが歩んだ道にも思える。
日本でもこの類の映画ってあったんじゃないかな・・・。
より繊細に描いている分、評価も高い。
その視線は50代の僕でさえ共感する。
爆発は青春の証だ。
ドンドン!
主役ウニを演じるのはパク・ジフ。
100%初めて知る女優だが、とても可愛らしい。
見方を変えれば彼女のアイドル作品。
そんな雰囲気もあったり。
いや、ちょっと違うか。
韓国はおかずは箸で食べるが、ご飯はスプーンで食べるのが一般的?
どうでもいいところが気になってしまった。
韓国映画、頑張るね。
日本映画も負けてはいられないね。
本作のキーワードは「死刑」でもなく「病」でもなく「いたる」。
そんなふうに僕は感じた。
この映画がもたらそうとしたものは何なのか。
映画を観ながらも、映画を観終わっても、僕は回答できない。
映画に登場する人物同様、阿部サダヲに振り回されただけだ。
一体、どうしたいのか・・・。
それがまさに「いたる」だと思う。
僕はこれまでの白石作品をイメージさせながら観ていたが、明らかにジャンルは異なる。
目を覆いたくなるようなハードなシーンは彼の特徴でもあると思うが、
人物の描き方はこれまで以上に深刻というか異次元の世界。
今、僕の中で白石監督は日本映画で最も注目している監督。
かなりの作品を観ている。
明るく幸せな映画は皆無で、人の闇へ誘う作品が多い。
ちょっと病んだ人間が更に病み、傷ついた人間が更に傷つき、
どうしようもなく堕ちていくケースが多い。
その中でかすかな希望が見え隠れしたり・・・。
そんな作品ばかり。
映画を観てハッピーになりたい人は避けた方がいい監督の一人。
僕はどちらかといえば、そちら側に人間だが、
不思議と白石監督には惹かれ、本作も公開2日目に観てしまった。
どうやら闇に共感する一面が体内に潜んでいるのかも・・・。
しかし、そこを超えてしまったのが本作。
人として全うな面は見事にかき消されてしまった。
それは悪人が救いようのない極悪非道の悪人ということではない。
人を魅了し、なぜか好意を抱かせてしまう魅力を持つ悪人。
それも完璧に相手をコントロールし、
ギリギリになるまでそれが分かることはない。
分からないまま過ごしてしまう人物も多い。
それは獄中であっても、これまでの生活圏でも・・・。
死刑囚榛村大を演じる阿部サダヲはその役柄を完璧にこなす。
死んだような目つき、善人の塊のような笑顔など恐ろしいくらい。
彼が見事に演じることで極上のサイコパス作品が出来上がるのだろう。
それに付き合うのは心も体も疲れてしまう。
かなり観る者を選ぶ映画になるんじゃないかな。
これから白石監督はどこへ向かっていくのだろう。
益々、目が離せなくなってしまった。
きっとオファーは尽きないだろうから、今後も注目したい。
未鑑賞の「彼女がその名を知らない鳥たち」をまず観ないと。
そうか、これも阿部サダヲ。
この2人が組むとかなりヤバいかもね。
映画を観ながら、ずっと思っていた。
僕は父親として子供のことを理解していたのかと。
子供の素直な気持ちを聞いたり、受け止めたりしていたのかと。
そもそも子育ても嫁さん任せで大したことはやってこなかった。
自分の価値観は押し付けたかもしれないが、
子供の価値観を理解していたのだろうか。
つくづく父親としては何もできていないな、
そんなことを映画を観ながらも、終わってからも感じていた。
本作は父親と息子の関係を描いた映画ではない。
ホアキン・フェニックスが演じるジョニーが
甥っ子であるジェシーを数日間、面倒をみて共同生活するというストーリー。
特に波乱に満ちた場面があるわけでもなく、
衝撃的な展開が待っているわけでもない。
移動を伴う仕事をするジョニーがアメリカの街を転々としながら、
ジェシーと関係性を築いていくだけの話。
ただそれが簡単でない。
当たり前だ。
9歳のジェシーは小さな子供。
親と離れた生活をそれほど深い関係でない伯父さんとするわけだから、
子供ながらの自分勝手な行動や感情が溢れ出る。
好奇心旺盛で聞き分けがいい時はいいが、そうでない時は面倒でしかない。
正論をかざしたとことで理解できる能力はまだ備わっていない。
その割にはませていて、一人前のことを喋ったりもする。
大人に対しての一定の理解を示す。
お互いの会話は本質を突き哲学的。
ハッとさせられ、冒頭に書いたように自分自身の未熟さを痛感する。
ジョニーの仕事はラジオインタビュアーなので、多くの人を取材する。
その大半が10代の子供。
置かれている環境は異なり、人種も含め多様。
その中で自分自身を表現している。
どの子供も真っ当な話をする。
子供らしさを感じれば、大人への不信感、将来への期待や不安も表現する。
それがジェシーの言動とシンクロし、観る者に余計な考えを生ませることになる。
まんまと僕は乗っちゃったわけね・・・。
うむ、辛い。
優しくするだけでもダメ、厳しくするだけでもダメ、
どう真剣に向き合うことができるか。
それは海外であろうと国内であろうと同じ。
万国共通で子供は子供で自分を認めて欲しい、愛して欲しいと思っている。
今頃、気づくようでは失格。
なんだかダメージを受けた映画になってしまった。
ホアキン・フェニックスはご存知ジョーカー。
本作では腹の出たオッサン。
同じ人物には思えない。
そして9歳のジェシー役のウッディ・ノーマン。
いやいや、天才子役だね。
とても演技しているとは思えない。
映画の中で時折話される、カモン、カモン。
そんな意味なんだ。
しかと受け止めねば・・・。
20年前に上映して欲しかった。
うむ。