これからも前向きに 名大社会長ブログ

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映画「バカ塗りの娘」

「高野豆腐店の春」に続いて父子の物語。
自分の娘が10月から東京で働くこととは何の関係もない(笑)。

前作の娘役は麻生久美子で出戻りの40代。
本作の娘役は堀田真由で高校卒業後、ブラブラと働く23歳。
設定は異なるが、どちらも日本の伝統業を家業とし後継する立場を描く。
小さな世界だがファミリービジネス。

両作とも父親は寡黙で腕は確かだが、その分、頑固で自分勝手。
親の仕事を想う娘の気持ちは伝わらない。
実際は伝わっているのだが、それを感じないようにしている。
所詮、父親なんて存在はちっぽけでそんなもんかもしれない。

果たして我が家はどうだろうか。
年頃の娘の存在はあくまでも映画とは関係ない・・・。

僕は20代の女優さんにはほとんど興味を示さないが、
(そうでもないかな?)
堀田真由は別。
大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」を観ていた時から注目していた。

それほど華やかさはないが、控えめな笑顔や切ない表情に50代後半のオヤジは惹かれる。
本作でも家族に翻弄されながらも自分と葛藤する姿をうまく演じていた。
恋愛要素が全くない作品だが、
(ほんの少しそれを感じさせるシーンはあるが)
彼女に胸ときめく男子はいるだろう。

「高野~」の舞台は尾道だったが、本作は弘前。
寒々しくも四季を感じる自然や静かな街並みは映画の舞台に合っている。
バカ塗りといわれる漆を何度も重ねて塗るシーンも伝統を思わせ、程よい重厚感を生む。
廃れいく日本文化を描く作品は一見、重くなりがちだが、
堀田真由演じる美也子が懸命に振舞うことで明るい方向へと向かっていく。

やはり映画は絶望で終わりのではなく、希望で終わった方がいい。
明るい明日を予感させるエンディングが大切。
子供の幸せが父親の幸せであり、父親と不仲な兄弟もプラスの方向へ誘う。

監督は鶴岡慧子氏。
僕は全然知らなかった監督。
自主映画でスタートし、ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞している。
まだ34歳と若い。

そんな監督がこのような世界を描けるのは将来、期待が大きい。
着実に日本映画も若手が育っているだね。
堀田真由も鶴岡監督もこれからの活躍を楽しみにしたい。

とても爽やかな映画でした。

午後三時にビールを

中日新聞の書評欄に紹介されていた本書。
タイトルに惹かれ、内容も確認することなくAmazonでポチリ。
普段読まない固めの中央公論新社を選ぶのもいい。

僕が密かに目指しているのが「お酒を語れる映画コラムニスト」。
ただの飲んだくれではダメ。
ただの映画コラムニストでもダメ。

何らかの差別化が必要。
持ち味が発揮できるのがソレと辿り着いた。
そのための参考図書も必要。
それが本書。

帯にも書かれているよう至福の一杯をもとめて、
著名な作家が酒飲みのエッセイや短編をまとめている。
日本を代表する作家26名が酒場で起きた出来事を当たり前のように綴っている。

考えるまでもなく作家は自由業。
何かに縛られることはない。
ビジネスマンのように勤務時間が明確ではないので自由きままな行動。
売れなければ貧乏極まりないが、
そこそこ有名で稼げれば昼から飲んでも誰も文句は言われない。

それも知った顔して飲んでいれば、それ自体が仕事に思えてくる。
一日3時間程度仕事をして、あとは飲み歩いてても許される。

理想だ。
そんな生活が理想だ。

教科書に登場する井伏鱒二にしても大岡昇平にしても太宰治にしても、
飲み屋ではめんどくさいオヤジに過ぎない。
酒に飲まれ、喧嘩して暴れまくり、その辺の女性に手を出す。
それを恥じることなく堂々と語る。
ごく自然な行動のように語る。

目指すはそんな世界。
そう考えると昭和という時代はとても恵まれていたのかもしれない。
本書では戦前もあれば昭和30年代、40年代も描かれているが、
高尚なことはひとつもない。
午後三時にビールを飲むという行為に高尚さは必要ない。

それが正しいと教えてくれるのが本書。
と勝手に解釈する。

令和となった今、さすがにそれが正解とはいいずらい。
現代の作家もそんな行為は減ったのではないだろうか。
それでも理想は午後四時から飲み始め、明るい時間に一軒目が終わる。
それっぽく飲みながら映画を語る。
「さて、これからどうする」と考え、街に繰り出す。

そんな生活ができたらいい。
午後三時にビールを求めて、動こうじゃないか。

映画「春に散る」

映画のポスターを見たのはいつだろうか。
多分、3か月ほど前によく行く映画館に掲示してあった。
いつもなら「へ~、こんな映画がやるんだ・・・」と思うくらい。
あとは公開日が迫った段階で、あれこれ調べ観るか観ないかを決める。

しかし、本作は違う。
ポスターを見た瞬間に公開日を確認し、有無をいわさず観ることを決めた。
理由は簡単。
僕が沢木耕太郎ファンだから・・・。

原作を読んだのが7年前。
当時のブログにも書いている。
ブログを読んでも内容は不明。
どんなストーリーかは全く分からない。

自分のブログが予習にならないことがよく分かった。
原作の細かなシーンは忘れているので、映画を観ながら思い出すことができた。
それだけでも観た甲斐があった。

なぜかボクシングを題材に映画化されることは多い。
先日の「アウシュヴィッツの生還者」もそう。
日本映画でも思い出すだけで、
「ケイコ 目を澄ませて」
「BLUE ブルー」
「アンダードッグ」
「あゝ、荒野」と数が多い。

そして暗い。
そんなボクシング映画に僕は惹かれる。

その中でボクシングに精通する沢木氏の作品。
本作に原作者がどこまで絡んでいるかは分からないが、期待しないわけがない。
期待通りかどうかは観てもらいたいが、
オープニングシーンからグイグイと吸い込まれた。
ボクサー翔吾を演じる横浜流星と元ボクサー仁一を演じる佐藤浩市の立ち振る舞いに体が震えた。

本物のボクサー・・・。
この類の作品は役者によって出来不出来が決まるが、その点においては申し分ない。
原作のイメージにも当てはまった。
ボクシングシーンも凄い迫力。

個人的にスローモーションのシーンは?マークだが、
激しく殴り合うシーンは見応え十分。
セコンドでの会話も戦う者だけが理解し合える。

あんなスポーツにのめり込むことはないが、気持ちは十分分かる。
熱いものを感じざるを得ない。

そして、ここでも坂井真紀が登場。
最近は謙虚な女性を演じるケースが多かったが、
本作ではちょっとあばずれな母親役。
いい意味でイメージを崩してくれる。

本作にはそれぞれの生き様が存在する。
どう生きるのか、どこで散るのか。

どうせ散るなら春がいい。
散った先にしか見えないものもあるだろう。
そのためには勝負をしないとね。

映画「高野豆腐店の春」

新鮮さはない。
ストーリーはオーソドックス。
よくある親子の家族ドラマ。

簡単に言ってしまえば、そんな映画。
この手の作品はこれまでも数多く制作されたし観てもきた。
今更、観たいだろうかと思うのが普通。

しかし、このような家族ドラマは永遠に続く。
定期的に観たくもなる。
舞台やジャンルは異なるが、2月に公開された「すべてうまくいきますように」に共通する。

父親を想う娘。
娘を想う父親。
これはどんな時代になっても変わらない。

いずれも自分も同じ立場になるだろうと思うと、グッと胸に押し迫ってくる。
僕もひとりの父親として本作と同様の感情を持つのかもしれない。
まんまと映画のツボにはまってしまった。

いっておくが、新鮮さもないし、オーソドックスなストーリー。
ある程度の展開も読める。
ハッとさせられることはない。
それでも「なんだかねえ~、観てよかった」と思ってしまった。

舞台は広島県尾道市。
尾道の映画でいえば大林宣彦監督。
「さびしんぼう」に出てきた同じロケ地があったんじゃないか。
昨年、仲間と出掛けた場所からも同じ風景をみた。

この尾道の雰囲気が映画をより温かいものにしたのは間違いない。
うるさすぎる友達連中もいかにも怪しい姪や甥もその雰囲気では上手く生きる。
大げさな演技でさえも心地よく感じる。

何より主役の2人は魅力的。
娘役の麻生久美子さんは元々好きな女優だが、その愛らしい表情に惹かれ癒される。
強さと弱さを兼ね備えた存在は父親でなくとも見守りたくなる。
年齢を重ねた感じもいい。
より魅力的な女性になっている。

父親役の藤竜也もいい老人を演じている。
もう80代なんだね。その割にはよく体が動く。
僕は映画「友よ、静かに瞑れ」やドラマ「プロハンター」の渋さが強い印象。
2年前に観た「愛のコリーダ」も別の意味で印象に残っているけど・・・。

そんな2人があーでもない、こーでもないと小さな世界で繰り広げる。
もしかしたらこれが日本映画のよさなのかも。
日本食の代表である豆腐を職人の親父が丹精込めて作り、懸命に手伝う娘。
常連のお客さんを中心に小さなお店で売る。
尾道という風情のある街で・・・。

親子ドラマであるのと同時に青春ドラマの要素も強い。
娘の恋愛も見ものだが、父親の恋愛も悪くはない。
その点では中村久美がいいアクセント。
あんな女性もステキだ。

平凡で先が読めるドラマ。
それでもホロッと感動してしまうから不思議。
そんな映画だった。

映画「アウシュヴィッツの生還者」

本作を観る前に監督を調べてみたらバリー・レヴィンソン。
「まだ、映画を撮っていたんだ・・・」と少し驚いた。
すっかり過去の人だと思っていた。

1980年代に活躍していた監督で学生時代に観た作品はどれも好きだった。
「ナチュラル」「ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎」
「グッドモーニング、 ベトナム」 「レインマン」 「わが心のボルチモア」。
心温まる映画が多かった。

90年代以降、名前を聞かなくなったので、どうしたかと思っていたが、ちょくちょくは撮っていたよう。
しかし、ほとんど話題になることもなかったんじゃないかな。
そんな状態なので本作に出会った時はちょっとした驚き。
また、予告編はかなり残酷なアウシュビッツを描いていたので、これまでとは異なるイメージ。
それも驚きの一つだった。

結果的にいえば、その驚きは杞憂。
残酷な世界は描いていたが、監督らしい心温まる作品だった。
僕のイメージするバリー・レヴィンソンと変わらない。

アウシュビッツを題材にした作品はヨーロッパで制作されることが多いと思う。
先日観た「シモーヌ」はフランスだし、
そこで紹介したアウシュビッツ関連もスロバキア、ドイツやポーランド作品。
アメリカ作品は珍しいのではないか。
そのあたりが残酷な世界だけではないテイストになっているのかもしれない。

本作はアウシュビッツから生還した主人公がボクシングを通し、自らと向き合う姿を描く実話。
主役はベン・フォスター。
彼が凄まじい。

映画の舞台は第二次世界大戦が終了した1949年が中心。
主人公ハリーが過去を振り返るシーンでアウシュビッツが度々登場する。
食事もロクに与えられていない環境なので痩せ細った姿。

そのために28キロ減量したという。
映画では家庭を持った中年のハリーも描かれるが、その姿はよくある小太りの親父。
3世代を同じ役者が演じるが、とても同じとは思えない。

苦しそうな姿を観るだけで戦争の過酷さがひしひしと伝わってくる。
一般的なアウシュビッツ作品であれば、そこがメインとなるだろう。
しかし、本作は周辺環境を忠実に描きながら、周りとの人間愛が中心。
ハリーを支える心温かな人たちが人生の立ち直りのきっかけを作っていく。

どことはいわないが、思わずホロッとしてしまうシーンがいくつか。
戦時中はモノクロ、1949年はセピアカラー等と時代で色使いを変え、
違いを明確にするのは分かりやすくていい。
それがより人との関係性をクローズアップしている。
それも監督らしさか・・・。

ポスターを見るととても辛そうな映画に思える。
でも実際は温かい気持ちにもなれる。
バリー・レヴィンソン監督にはこれからも映画を撮ってもらいたい。

映画「リボルバー・リリー」

珍しく公開初日に鑑賞。
それは僕が隠れ綾瀬ファンだから・・・。

隠れファンであるのは事実だが、公開初日はたまたまのタイミング。
事前情報が何もなかったのは、むしろ外野からの声が入らず良かったかも。

僕は綾瀬はるかの天然な愛らしいキャラも好きだが、
彼女のアクションの立ち振る舞いが好きだ。
過去の作品を観てもアクションシーンはサマになっている。

当然、冷徹非情な美しき諜報員という役柄に大きな期待を抱いた。
何度か観た予告編も実にカッコよかった。
その点は期待を裏切らず。

アクションだけできる女優はいるし、
美しいだけの女優も山ほどいる。
両方兼ね備えたとなると数は減る。
というよりも日本映画界では誰が演じることができるだろうか。
先日、観た「キングダム」の清野菜名も上手いが華やかさではまだ叶わない。

そんな綾瀬はるかを観るだけでも本作の価値はある。
これで映画コラムニストの仕事を終えたいが、そうはいかない。
ネタバレしないまでも映画を伝えるのが役目。

舞台は関東大震災後の大正末期。
その後、日本が危うい世界に向かう時期。
その危険性や暴力性は映画の中でもプンプンと臭う。
愚弄な陸軍の描き方が正しいかどうか疑問だが、大きな権力を持っていた。
海軍との対立も容易に想像できる。

それにしてもあんな陸軍じゃダメじゃねえ?
戦争したところで勝てるわけないよね?
と変な見方をしてしまった。

いくら綾瀬はるか演じる小曽根百合が有能だとしても、
あれだけの人数で向かって倒せないと強国に太刀打ちできるわけない。
そんな視点はないと思うが、行定監督は陸軍の愚かさを訴えたかったのかな・・・。

ヒーローが勝つのが映画の世界だが、あんなダメダメな陸軍はちょっとね。
不死身の小曽根百合はとても人間とは思えないけど。
それはあくまでも僕の解釈なので、ぜひ、確かめてもらいたい。

正直なところ、あまり合わない役者もいたが、
僕が主役以外に惹かれたのが、シシド・カフカ。
百合の相棒的な役柄だが、その姿はカッコよく見事だった。

全然、知らない方だったので、
(名前は聞いたことありました)
これからも注目していきたい。

本編の流れからすると続編も制作されるのか?
それには本作がヒットすることが重要。
綾瀬はるかの魅力だけで引っ張れればいいけどね。

映画「キングダム 運命の炎」

昨年の夏に第1作、第2作を一気に観て、その流れで観た第3作。
昨年のブログでも書いたが、このシリーズは夏の定番になるのだろう。
原作は読んでないので、第3作の終了時点がどのあたりか分からないが、
このままでいくと寅さんシリーズに並んじゃったりして・・・。

まあ、それはさすがに無理。
信役の山崎賢人もこのまま10年続けるのは難しいだろうし。
となるとあと3.4年で完結するのか。

それでも確実にヒットする作品を毎年提供できるのは東宝の上手さ。
アニメやヒーローもの以外でヒット作を創るのは久しぶりじゃないか。
いや、これって、ヒーローもの?

どうでもいいことを考えたり・・・。
巧みな戦略であるのは間違いないな。
第3作に関しての主役は山崎賢人でもなく吉沢亮でもなく、
王騎扮する大沢たかおだろう。
その存在感はハンパない。

前回からの流れで彼で存在がより際立ち、確実に映画を牛耳っていた。
紀元前の話とはいえ戦略、戦術は今の時代にも役に立つ。
相手の動きを読み、感情面含めどうマネジメントするか。
間接的にみてもそれは有効的に働く。

有能な馮忌があっさり殺られてしまうのはいかがかと思うが、
(すいません、ネタバレ)
それも人材掌握がもたらした結果。

ストーリーは至ってシンプルだが、十分楽しめる作品。
観客もそれを求めて、毎年夏になると自ずと足を運ぶ。
それにしても本作は豪華俳優陣。
映画でもドラマでも主役級の役者が脇を固める。

それが次回作への期待感を生む。
ここで小栗旬?
ここで吉川晃司?
予告編でもキャスト一覧でも出てこない連中が次回作のキーマン。

これも巧みな戦略。
復活の長澤まさみもね・・・。

そんな中でも僕が一番好きなのが清野菜名。
彼女の存在がいいアクセント。
ストイックな姿と華麗なアクションに惹かれしまうのだ。

夏休み期間は意外と観たい作品が少ない。
大きな理由は子供向けシリーズ作が中心になるため。
その中で本作は大人も楽しめる日本映画のシリーズ。

来年も楽しみにしている。  

映画「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」

人間の強さとはどこからくるのか。
執拗とも思えるこだわりはどこからくるのか。
まざまざと見せつけられた作品。

実在する人物の生涯が与える影響は大きい。
140分の上映時間の中で僕はどれだけ唸ったことか。
この夏、観るべき一本に出会った。

本作はフランスの政治家シモーヌ・ベイユの人生を描く。
無知な僕は稀有な政治家の存在を映画を観るまで知らなかった。
いかに世界を知らないか。
もっと歴史を学ばなきゃいけない。

そして使命感を持って誠実な仕事をする政治家を尊敬しなきゃいけない。
賄賂だ、炎上だ、不正だとギャーギャー騒ぐ政治家は本作を観て、覚悟を示してほしい。
上から目線で語るつもりはないが、シモーヌ・ベイユの一生から生き方を学ぶべき。
僕自身が自分の度量の小ささを痛切に感じた。

本作は今の季節に相応しい社会派ドラマ。
毎年、夏になると反戦映画が数多く上映される。
昨年の「アウシュヴィッツのチャンピオン」もそうだし、
一昨年の「アウシュヴィッツ・レポート」もそう。
映画から戦争の無意味さや悲惨さを学ぶ。

本作もそのジャンルといえる。
しかし、そこに留まらない。
深刻な世界を見せるだけではない。

その演出はエンターテインメント性も感じ取ることができる。
行ったり来たりと過去や現在をうまくシンクロさせながら、観るの者をその世界に誘う。
1945年だったり、1974年であったり、2001年であったり。

その時々の表情が圧巻。
背負ってきた人生が皴の一本一本に刻まれているように思う。
主役であるシモーヌを若い頃はレベッカ・マルデールが演じ、
中年以降はエルザ・ジルベルスタインが演じる。

当然のように僕は2人の女優を知らない。
だが、この2人が素晴らしい。
本当に素晴らしい。

レベッカ・マルデールの美しさを
エルザ・ジルベルスタインが引き継ぐのは難しいと思ったが、
そんなことはどうでもいい。
エルザ・ジルベルスタインの晩年の姿もお見事。

緩い映画が多いフランス映画が
(すいません、そんな印象)
こんなにも面白いんだと思わせてくれた作品。

なんだか絶賛状態になってしまったが、こんな歴史を僕らはもっと知った方がいい。
もっと海外作品も観ないとね。

ハリウッド映画の終焉

本書の視点で映画を観たことはなかった。
「こんな風にしてハリウッド映画を捉えるんだ・・・」
とかなり新鮮さを感じた。

著者に言わせればハリウッド映画は確実に終焉に向かっているという。
それは映画が衰退するのではなく、
「大衆娯楽の王様」だったハリウッド映画の役割。
カルチャーやアートとしての映画はこれからも続くが、
産業的な意味合いは大きく変わっていくようだ。

確かに僕が観る傾向にも表れているのかもしれない。
今年はすでに50本ほどの作品を映画館で見ているが、
アメリカ映画(ここでハリウッドとは言及しない)は10本。
以前であれば半分くらいはアメリカ映画。

それが今年は1/5。
他の国の魅力的な作品に惹かれているが、ハリウッド映画に惹かれないのも事実。
感覚的に著者の言わんとすることを感じているのか。

本書ではそれを4つの章に分けて表現。
一番最初に紹介されているのが「プロミシング・ヤング・ウーマン」
21年に公開された映画で、僕も高く評価した作品。
僕は単純に面白かったが、実際は複雑なテーマ性が存在する。

本書の内容を基に改めて振り返るとなるほどと感心する。
女性の扱いについて繊細なメッセージが込められている。
「SHE SAID その名を暴け」あたりで#MeTooのことは真摯に向き合っているが、
こんな作品でその実態を間接的に表現しているといえる。
それも終焉に向かう一つの要因。

それ以外にも僕がまったく気づかなかった視点は多い。
スーパーヒーロー映画はこれまでもほとんど見ていないが、最近は何でもありの世界。
確かにスパイダーマンとバットマンと一緒に出させるのはどうかと思う。
ウルトラマンと仮面ライダーが一緒に悪を倒すようなもの。

とっておきの手段かもしれないが、それでは未来がない。
そんなハリウッド映画の状況に一流の監督も危機感を抱くとのこと。
スピルバーグ監督にせよ、自分で撮れる映画は今回は最後という意識で向かっている。
それだけ興行的なシステムも変わってきている。

これまでであれば公開終了しても作品によっては大きく稼げることもできた。
僕も安易に利用しているAmazonプライムやNetflexは
表現を変えると作品の価値を下げているのかもしれない。

「しばらく待てばタダで観れるじゃん」
そんな行動も無視はできないし、映画界にとっていいかは別問題。
映画館で観るとはいえ、各種割引制度を使いまくる僕も責任の一旦はあるのかも・・・。
う~む。

本書はハリウッド映画を描いているが、日本映画にも当てはまる点も。
映画を愛する者として、こういった客観情報にも目を向けた方がいい。
いい勉強になりました。

映画「658km、陽子の旅」

映画コラムニスト研修会の課題作品。
マイナー作品ながら前評判が高く上映2日目に観ることになったが、
評価は次第に下がっていった(笑)。
確かに賛否は分かれると思う。

それは映画がつまらないということではなく、観る者を選ぶということ。
研修会の課題作として語り合うには相応しい作品。
一つ一つのシーンにお互いの解釈を共有できたのはよかった。

本作は最初から最後まで菊地凛子オンリー。
ほぼ彼女が映画を独占。
中途半端でコミュ障の42歳の独身女性を完璧に演じる。

映画の途中までは全く共感できない。
自分の近くにいればあまり近づきたくない。
CSにクレームを入れながらイカ墨パスタ(それもコンビニの)を食べる姿も、
だらしなく寝ている姿もイライラさせる。

役どころは違うが、そんな演技をさせたら彼女は抜群じゃないか。
昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の北条義時の妻役も本当に腹が立った。
それだけ上手かったということ。
彼女のおかげで二番目の妻役の堀田真由を愛おしく好きになってしまった。
そんな役を見事に演じられるのが“化け物級演技”といわれる所以か。

しかし、途中からなぜか応援したくなった。
彼女は658kmの旅で繰り広げられる出来事に翻弄される。
その中で懸命に動き、次第に変わっていく姿を僕らは正面から受け止める。

心の中で、ガンバレ!とかヨカッタネ!なんて呟いたりする。
主人公と一緒に旅を続ける感覚に陥る。
結局は喜んで付き合っている。

映画は至ってシンプル。
テーマ設定も驚くべきはない。
ヒッチハイクの道中もよくあるケース。

それでいい。
生きるか死ぬかの経験で人は変わるのではなく、ふとした出来事や言葉で人は変わる。
そこには人との触れ合いがある。
キャリア形成とは別次元だが、その道のりで代えがたい価値観を掴むことにもなる。

なるほど、ヒッチハイクは人を成長させるのか・・・。
57歳でヒッチハイクは怪しさ満点だが、
僕も旅を通しての出会いに新たな可能性を生むかもしれない。
青森に向かって独り旅でもしてみるかな。

本作とは関係のない締め方になってしまったが、そんな見方ができるのもいい。
次回の研修会も楽しみにしたい。