「日経ビジネス」にしては人間臭いなと感じた特集 旗手たちのアリア。
今回は豚骨ラーメンの一蘭の社長吉冨氏の記事であった。僕よりも2歳年上。同じようにバブル時代を経験しながらも、その修羅場の数は比べ物にならない。
日経ビジネスのたった4ページの企画では伝えきれないと思うが、それでも要所要所を捉え上手くまとめ上げていた。
このボリュームで人生の重さを表現するには限界はあるが、その壮絶な生き様は、へなちょこ経営者の自分には十分刺激的だ。
次から次へと手掛けるビジネス、社員の1/4にあたる30名のいきなりの辞表、一晩で数千万を賭博で使い切る金使いの荒さ、孤独で追い詰められた状態で走り続ける精神性。
自分と近いところと言えば、走り続ける事しかないが、何故か納得してしまう。その生き方には相通じない面が多いが、思いや行動には共感してしまう。
そのリアルさが人生の深さを教えてくれるのだ。こういった読み物を読む度に、僕自身の苦労知らずの人生を痛感し、もっと修羅場経験の必要性を認識する事になる。
(単なるマゾなのか・・・)
数ヶ月前に博多にお邪魔した時も一蘭のラーメンを食す事はなかった。きっとこの記事を事前に読んでいたなら、意地でも食べに行っただろう。
まだまだ知らない事が多すぎる。
今思うと後悔する事実である。
カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:
2011年7月28日
たった4ページの人生ドラマ
2011年7月1日
「マイクロソフトで学んだこと・・・」を読む
マイクロソフトで学んだこと、マイクロソフトだからできること。 (2011/05/02) 樋口 泰行 |
随分と長いタイトルである。ブログのタイトルとしては収まりきらなかった。
それはともかく、今回、この本書を読んだのはマイクロソフトに興味を持ったからではない。著者の樋口泰行氏に惹かれていたからである。
僕が最もお会いしたい経営者の一人で尊敬するのが、この樋口氏。講演会の場ではお会いするチャンスはあるかもしれないが、ビジネスの場においては遠い存在にしかならないだろう。きっと・・・。
今から6年前に初めての著書「愚直論」を読んで感銘を受け、次作「変人力」でも感動した記憶が強い。目指すべき経営者像だと憧れの存在となったのだ。
その当時の僕は、自分が経営者になることは全く想定しておらず、こんな経営者になれたら素晴らしいなと夢物語的に描いていたに過ぎない。それが通じたわけではないが、今は経営者の端くれであるから、世の中は不思議なもんだ。
これで樋口氏の著書を3冊読んだわけだが、彼の経営に対する姿勢は一貫している。
それが日本ヒューレットパッカードだろうが、ダイエーだろうが、マイクロソフトだろうが同じである。企業のあり方も文化も置かれる環境も全然異なるが、自分と向き合う会社、社員への接し方は全く変わらず、ブレがない。立場や地位に関係なくフラットなのだ。
理系出身でロジックに強く、MBAホルダーでもあるのに、それを感じさせる面がないように思えてならない。
今回の著書も樋口氏の取り組み姿勢が随所に表れている。ほとんど本書の感想は書いていないなあ~。
個人的には「愚直論」「変人力」の方が好きだが、彼の取組みの集大成はこの本書になるのかもしれない。
仕事において大切なのは、マインドだ。
それを教えて頂いたのも樋口氏。やはり一度お話を伺いたい。
2011年6月24日
スターバックス再生物語
スターバックス再生物語 つながりを育む経営 (2011/04/19) ハワード・シュルツ、ジョアンヌ・ゴードン 他 |
今から10年以上前に「スターバックス成功物語」を読んで、感動した記憶がある。その当時はまだ名古屋にスタバはなく、オープン前のJR東海島屋に出店するのではと噂が流れている頃であった。
営業の第一線だった僕は、早速、日本法人に「名古屋で是非仕事をさせて欲しい」というような手紙を書き送った。ここで仕事が成立すれば、名古屋地区での感動的なストーリーが展開するのだが、結果は玉砕。仕事には至らなかった。
今は名古屋でもスタバは当たり前の存在となり、あちらこちらに店を構えているけど。
「スターバックス成功物語」を読んで、12、13年が経過。その実情はビジネス誌などで軽く触れる程度だったが、この本書を読んで、改めて知らされることが多かった。
数多くの成功体験を持ち、全世界に名を馳せたといっても、その成長には必ず陰りが来る。
それは傲慢とか、胡坐とかではなく、誠実にビジネスを行ったとしても訪れることなのかもしれない。
傍から見れば順調そうに見えても、知らず知らずのうちに蝕まれてしまう。誰が悪いというわけではないのに・・・。
ここ1か月ぐらいは僕自身も会社のことで悩むことは多かったが、それとオーバーラップさせながら読んだこの本書。だから、思いのほか、この1冊に時間を要してしまったのだ。
結果的、スターバックスも再生を果たし、新たな可能性に向かっている現状があるが、再び、同様の危機が訪れることも考えられる。反面教師として読む必要もあった。
先日、スタバに寄った時に、たまたまサンプルで頂いたVIA。売出し中のインスタントコーヒー。
まだ机の中に眠っているが、ちょっと気が滅入った時に飲むと元気が出るかもしれない。
2011年6月7日
映画「マイ・バック・ページ」
昨日、名古屋駅前のミッドランドスクエアシネマのレイトショーで鑑賞。根拠はないがレイトショーで観るには相応しい映画であった。
この映画の原作を読んだのが大学4年生の時。
今から23年も前の話である。卒業間際の時期で社会に対する期待感や不安感をこの原作に投影していたような気がする。その情景を覚えているくらいで、肝心な中味はすっかりと遥か彼方へ飛んでおり記憶にない。
ただ妙に感傷的になっていたと思う。
原作の川本三郎氏はその当時書いていたキネマ旬報のコラムに惹かれ、発売間もない頃に購入し読んだはず。そんな記憶だ。
それから20年以上経過した後の映画化である。何故この時期に映画化されたのか全くを持って不思議であった。今更、全共闘でもないなという思いもあった。
しかし、映画を観て、ワイシャツの下のランニングや、やたらめったらタバコを吸うシーンから時代的ギャップは感じるのだが、その若者が発するフラストレーションは違和感を感じなかった。
(僕自身も70年代はよく知らないが、その時代背景の映像は見事だった。)
時代に対する閉塞感という意味合いにおいては共通するのかもしれない。それだけでもこの時期に映画が公開されたのは意味があるようにも思える。
そして、ラストシーン。
原作を覚えていないので映画の通りであるかは定かでないが、そのシーンが示すものは大きい。
オフィシャルサイトを見ると「大ヒット公開中」と表示されているが、きっとそれはないと思う。いくら人気二大俳優を使おうとも・・・
(失礼!)
だが、時代が繰り返される中で、その時々に発せられるメッセージとして必要な映画だとも思う。
2011年5月30日
無趣味のすすめ
無趣味のすすめ 拡大決定版 (幻冬舎文庫) (2011/04/12) 村上 龍 |
村上龍氏の著書を読むのは実に久しぶり。
中田英寿氏との共著「文体とパスの精度」の以来だろう。小説においては思い出せないくらいだ。
TV番組「カンブリア宮殿」はその時のゲストによって観たりするが、その番組での発言ぐらいしか著者の考え方は理解していない。しかし、作家とは思えないくらいビジネスチックな鋭いコメントには共感を持つことも多かった。
それが、この本書を読む理由とも言える。
TV番組のコメントよりも、本書の文章はよりストレートで世間に対して批判的だ。特に政治に対しては・・・。
きっとここに書かれているほうが本心に近く、TVについては本音の半分くらいなのかもしれない。
エッセイとして読むよりもビジネス書として読んだ方が、読後の心の静まり方は違ってくるだろう。
(エッセイとして読むとストレスが溜まるかもしれない・・・)
「GORTHE」というちょっと軟派なビジネス誌に連載していることを考えるとこの著書のターゲットはバリバリ働くビジネスマンであるのは明らか。
だとすると、これはやはりビジネス書か。
企業経験はない著者であるけれど・・・。
そこも含め、村上龍氏の作品を更に触れてみる必要があるかもしれない。
2011年5月16日
なぜ、国際教養大学で人材は育つのか
なぜ、国際教養大学で人材は育つのか (祥伝社黄金文庫) (2010/12/09) 中嶋 嶺雄 |
経営者のひとりとして、ここの学生を採用したいし、ひとりの親として、子供をこの大学に入学させたい。
自分のことはすっかり棚に上げているが、素直にそう感じたのであった。
(叶わない夢だろうけど・・・)
僕の大学生活は、ほとんど授業に出ず、成績も最低ランクで、クラブとバイトに明け暮れた日々だった。それが自分にとっては貴重であり充実した時間であったのは間違いないが、卒業して10年くらい経った時に、もっと学生時代に勉強すればよかったと後悔したのも事実であった。
(その思いを持ってタイムスリップしたところで、本当に勉強するかは不明だが・・・)
そんな思いを持つようになってからは、何故だか自主的に勉強するようにもなり、キャリアカウンセラーの資格を取ったり、ビジネススクールにも通うようになった。
勉強の必要性に気づくのが遅かったのだ。だから、このレベルなんだけど・・・。
今、メディアで取り上げられることが多くなった国際教養大学ではあるが、その理由はこの本書を読めば明確だ。就職率100%という実績も、それを目的にしていたわけではなく、日本人が目指すべき方向性を導いたから出た結果に過ぎない。
それは今後の大学のあり方だけでなく、今後、日本人がグローバル社会の中でどう戦っていけばいいのかも示唆している。
主体性や自主性を期待する前に必要なのは強制力であり、その強制力の中で鍛えられた後、真の主体性が芽生えるのかもしれない。
24時間365日開放されている図書館は、気軽さや自由さを表すのではなく、学生にとっては逆にプレッシャーを与えているとも言える。
著者である学長の理想を追求した姿には大いに感銘を受けた。
いつかこの大学に訪問し、実際の学生の学習態度、職員の働きぶりを覗き、その素晴らしさを実感してみたい。
2011年5月11日
映画「グラン・トリノ」
グラン・トリノ [DVD] (2010/04/21) クリント・イーストウッド、ビー・バン 他 |
このDVDを見終わった後、こう思った。
自分は正々堂々とした死に方ができるだろうかと・・・。
迷いのある人生は仕方ないし、それが当然だと思う。
この映画の主人公ウォルトも同様だ。変える事のできない自分の固定概念があり、それを否定しようとも生理的にも受付けない面がある。
しかし、自らの死と向き合う事と新たな目的を見出す事で、少しずつ変化が生じる。
それは自分の近い存在ではない。心が通う存在と出会うのはほんの偶然に過ぎないのかもしれない。
映画評を読むと”クリント・イーストウッドの最高傑作”と大絶賛の声が多いこの作品。
「硫黄島からの手紙」や「インビクタス」も同じような評価はされているとは思うけど・・・。
「ダーティーハリー」や「ペイルライダー」の頃のクリント・イーストウッドは(随分開きはあるが)、僕は正直あまり好きではなかった。しかし、何故か最近の作品は好んで見るようになってしまった。
僕には最高傑作かどうかはわからないが、これからまだ40年近くあるであろう人生とどう向き合っていくべきかを考えさせられる作品ではあった。
(ちょっと大げさだが・・・)
最初は全く意味を知らなかった映画のタイトル「グラン・トリノ」
映画を見終わって、深く理解した。
2011年5月9日
「若年者就業の経済学」を読んで・・・。
若年者就業の経済学 (2010/11/19) 太田 聰一 |
若年者だけを対象に絞り込んだ学術書(この表現は誤っているかな?)は存在しただろうか。
その点にフォーカスされている分、その対極の存在となる中高年の就業が批判的に捉えられる面もある。
しかし、それは納得する面も多い。代表することとして、
例えば、若者がかじることのできるくらい中高年の脛が太いのは、若者の犠牲のもとに中高年の雇用が保障されてきた面があるという論議について、それを『置き換え効果』として、研究内容を公表している。中高年の雇用環境が若者の与える影響度の大きさを物語っている。
著者の太田氏は1964年生まれという僕と近い世代であり、中高年と若年者との狭間に立つ存在。どちらかと言えば若年者の味方として発せられるのかもしれないが、そこには感情的な面は一切なく、あくまでもデータ分析に基づいた論文なのだ。
僕自身が普段の仕事生活の中で感覚的に実感していることがまんざら間違いでないと、この難しい数式から判明する分析結果から分かっただけでも、本書を読んだ甲斐はあったかと思うが、全く知識として持っていなかったことも吸収できたのも良かった。
フリーターの定義が時代によって分かれていたなんて、恥ずかしいが知らなかった。
簡単に紹介すると、1991年の定義では、15歳から34歳に限定され、現在の就業がアルバイトまたはパートという呼称で、男性は継続就業経験が5年未満の者、女性は未婚と限定されていた。それが微修正を繰り返し、今では該当年齢も継続就業経験もなくなっている。
就職していない若年者を総称してフリーターと呼んでしまうこともあるが、それも十分注意しないといけない。
景気動向によって新卒時に採用環境は大きく変わるが、それがその後のキャリアに及ぼす影響も思った以上に大きく、その背景には先述に中高年の働き方の関連性が強い。
中高年の方が元気でいつまでも現役だということも手放しでは喜べなくなるのだ。
また、都心部と地方での就業意識の違いの項目にも、感心させられた。名古屋はどちらに分類されるだろうか?
このような大学で使用する教科書のような本書は、本来苦手な分野で遠慮したい気もあるが、自分のような立場の者は読んでおく必要があるだろう。
2011年5月5日
社長のデザイン
社長のデザイン (2011/04/25) 日経デザイン |
この本書を読んで、素直に反省。
自分の想いは全然足りないと痛感した。
ここで紹介される企業は25社。創業社長を中心に事業を引き継いだ二代目、三代目の会社の製品やパッケージデザイン、社名ロゴへの熱いこだわりが表現されている。
顧客ニーズにとことんこだわったマーケットインの考え方もあれば、全く逆のプロダクトアウトの考え方もある。共通しているのは、何れにおいても軸がぶれていないということ。
自分が目指す、会社が目指すデザインの方向性に一本筋が通っている。何を訴えかけたいかが明確になっているのだ。
それは製品やサービスの売上で上げるという基本中の基本から、社員のモチベーションを上げるという組織論にまで及ぶ。
社員が誇りを持って働く環境を求めるのであれば、デザインはより重要になるだろう。そして、それを決めるのは経営者の役割、責任なのだ。部門に任すなんて一見、聞こえのいいエンパワーメントは責任回避に過ぎないのである。
経営戦略においても切っても切り離せないのだろう。
本書に書かれている象徴的なのが、パーク・コーポレーションの井上社長の言葉だ。
「企業には5つの要素がある。まずぶれない核である社長がいて、そこにはパートナー、つまり従業員が集まってくる。その従業員がいい店を作り、そこにお客が集まる。利益はこれらが適切に形成された結果として生まれる。だから、デザインへの投資も半分はお客様のためだが、残りの半分は従業員のためにする。従業員が誇りを持っていれば、それはお客様へのよりよいサービスという形で生きてくるはず。」
42年の歴史を有する名大社。
これまでの文化や伝統を踏襲しながらも、今後のデザインを決めていくのが僕の重要な仕事であるのは間違いない。
2011年5月3日
川の底からこんにちは
川の底からこんにちは [DVD] (2011/02/26) 満島ひかり、遠藤雅 他 |
まずは公式サイトが笑える。
主人公の作った社歌がいい。今どき、毎朝、社歌を歌う会社もそうないかとは思うが、悲壮な思いが込められた社歌を整列して歌うシーンは微笑ましい。
そして、この映画はPFF(ぴあフィルムフェスティバル)スカラシップ作品だ。PFFと言えば、自主映画を制作していた者にとっては特別な存在でもある。大学時代を思い出してしまう。
そういえば、自分が出演した作品も応募していた。残念ながら、入選しなかったけど・・・。青春の1ページだな。
「ぴあ」という雑誌は、僕が学生時代はまだ名古屋では発刊されていなかった。卒業ギリギリか就職して間もなく中部版が発売されたのではないだろうか。当時は喜んで雑誌を手に取り、映画やイベントのスケジュールをチェックしていたものだ。
しかし、その「ぴあ」もつい先日のニュースで休刊の報道がなされていた。時代の移り変わりを現す象徴的な存在になってしまった。
さて、この作品であるが、何が良いかってけだるい感じの主役満島ひかりがいい。きっと本当はすごく美しい女性なのだろうが、中途半端なダメさ加減が美しさを押し殺し、”中の下”の役を見事に演じている。
決して明るいテーマの映画でもないのに、見終わった後は、しみじみと温かくなる。
まあ、人間、頑張れば何とかなるということか・・・。
そして、どこまでいってもマイナー感が漂う。それもいい。
自主映画の香りが残った映画であった。
(映画の感想をほとんど書いてないな・・・)
ゴールデンウィークなんだから、もっとパーッとする映画を見るべきなんだけど・・・。