これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

新L型経済

このおっかない2人の対談(笑)。
現場の編集者はピリピリした雰囲気の中で対応するのは苦労するんじゃないのかな。
意外と和気あいあいと進んでいたりして。

最近、書籍はAmazonばっかり、それもkindle比率が高い中で、
久々にジュンク堂書店で購入。
たまには書店でフラフラと眺めながら、ふと手にした書籍を買うのもいい。
そんな感覚も大事にしたい。

表紙だけ見るとこの2人が対等に対談しているように思えるが、
どちらかといえば田原氏はインタビュアーに近い。
圧倒的に冨山氏が語っている。

僕の偏った見方だが、田原氏は冨山氏からこれからの経済を学んでいるようにも感じる。
やはり現場の実践者でないと語れないことが多い。
そんな意味では田原氏は政治面での特徴を本書では語る。

互いの持ち味を発揮していることになるのだろう。
先日のブログでも大学の授業について書いた。
答えのないことに向き合うのが重要と伝えていくのだが、
それに合致するような対談もあった。

日本の政治家は答えが出ない場面が苦手だと。
G7のような会議での議題は正解のないものばかりだが、
そんな場で日本の政治家は発言しないという。

そんな教育を受けていないので、できないのが理由。
だからコロナのような正解のない問いには答えられない。
なるほど・・・。

ビジネスの世界も正解がないことばかりだが、
そこでは無理やりにでも正解をださなきゃいけない。
ここで試験優等生タイプの難しさがでるようだ。
僕の授業は間違ってないね(笑)。

話は逸れたが、これから企業が生き抜くためには、
自分を鍛え答えを導く能力を身につける必要がある。
それができれば、むしろローカル経済圏の方が豊かになる。

本書ではGAFAの弊害も含め、地方経済の可能性を示す。
名古屋がどちらに属するかはともかく、
名大社はローカル経済圏で生きると認識したほうがいい。
その中でやれることは多い。

冨山氏はいつも経営者に対しての指摘は厳しい。
そのほとんどがダメ出し。
「ゾンビ企業」には完全撤退を誘う。
一方でローカルな企業へはエールを送ると共にチャンスであるとも訴える。

どう捉えるか。
東京都の経済成長率の低さ(全国47都道府県中38位)と先進国ほどローカル経済が伸びている事実。
僕らにとっては勇気づけられるデータになるのかも・・・。

エッセンシャルワーカーが地方での中産階級となり経済を牽引する。
その可能性が高いとすれば、まだまだ自分たちにとってもチャンスは広がる。

元気づけられる1冊となった。

コロナ倒産の真相 帝国データバンク 情報部

特に難しいことが書かれているわけではない。
日々、新聞やTVの報道で観る中身。
それが具体例を持ち、また変な感情論を省いて書かれている。

この第三者的な立場の冷酷さが今の日本の現状であり、
更に近い将来予測されることとなるのだろう。

コロナによる打撃は名大社の事業においてもかつてない大きさ。
リーマンショック時も酷かったが、今回も負けず劣らず。
そんなことを威張っても悲しいだけだが、それが現実。

違いといえばリーマン時は仕掛けることができたがコロナ禍ではそれができない。
制約の中で事業を行わなければならない辛さがあった。
新たな事業を生み出せばいいのだが、それが簡単にできれば苦労はない。
指をくわえて見ているわけではないが、
部外者からすればそう捉えられるのかもしれない。

新年度に入り、少しずつだが回復傾向があるのは救い。
ひとりひとりの地道な努力が実を結んでいることが大きい。
それには感謝せねばならない。

本書には「コロナ関連倒産」の定義からその傾向が書かれている。
アパレル、娯楽、観光、飲食、製造業、その他の業界の実態を描いている。
確かにその通り。

今日現在の飲食業のように手の施しようのない業界もある。
我慢に我慢を重ねる。
僕の知り合いにも悲痛の叫びをぐっと堪えて耐える方もいる。
他人に気を配る余裕はないが、その影響度は自分たちの比ではない。

一方で本書で取り上げられる多くの企業はコロナは結果でしかない。
コロナが決定打にはなったが、原因とは言い難い。
コロナ前からの事業低迷、長年にわたる不正、隠蔽、社内での不祥事。

それがコロナにより露わとなり、救いの手を閉ざられたといっていい。
本書を読んで改めて思ったことは普段が大事。
景気のいい時も驕らず、私利私欲にまみれず、
信頼できる関係性を維持し続けることが重要。

経営戦略以前の話で会社は揺れ動く。
実際はそんなバカげたケースばかりではないが、いかにそれが多いか、
結果的に誰も助けてくれない状況に陥るのか、そんなことがいえる。

読んでいて楽しくもないし、大した勉強にもならないが、
反面教師的に捉えるために時々この類を読む必要はある。

巻末に老舗企業の強さについて書かれている。
現在、業歴が100年をこえる老舗企業は全国に約34,000社。
そのうち約8割が年商10億未満の企業。

そんな企業は「戦争」さえも乗り越えている。
どう乗り越えてきたか。
いくつかの理由はあるが、結局のところ「変化」。
そして「信頼の維持・向上」。

どんな時代でも肝心なところは変わらない。
そこだけは見誤らないようにしないとね。

映画「いのちの停車場」

日本映画界は吉永小百合が生存する限り、
彼女をアイドルとして作品を作り続けなければならない。
そう感じた作品。

いくつになっても吉永小百合は純粋で可憐なアイドルであり、その輝きは衰えることはない。
何故か、ここ最近、僕は彼女の作品を鑑賞している。

2014年 ふしぎな岬の物語
2016年 母と暮せば
2019年 最高の人生の見つけ方

特別なファンではないが、鑑賞券を頂いたりとご縁がある。
自分の母親とさほど変わらない年齢だし、サユリストなんてタモリの発言で知っただけ。

しかし、何とも可愛らしい。
永遠のアイドルといってもいい。
どの作品もそんな印象。

現在76歳だが、本作では50代後半くらいの設定だろうか。
彼女の父親役の田中泯も実年齢76歳。
二人を調べてみると誕生日は3日しか違わない。
同じ3月生まれで・・・。

それが映画では父親と娘。
果たして田中泯は光栄と感じているのだろうか。
とストーリーとは全く異なる世界の話になってしまった。
すみません。
いかん、そのアイドル性をどうしても語りたくなってしまった。

舞台は彼女が診療所の医師として働く在宅医療の現場。
余命短い父親と暮らしながら、いろんな立場や環境の患者と向き合っていく。
人は老いて亡くなるだけでない。
寿命を全うするわけでもない。
悔いなく死を迎えることもあれば、悔いしか残らないこともある。

本作は人との触れ合いの中で観る者に「いのち」の尊さを考えさせる。
それは僕も感じたこと。
これまで死について考えたことはほとんどない。
あまり長生きしてもしょうがない。
いずれは死ぬ。
その程度に捉えていた。

しかし、こんな作品を見せつけられるとそうはいかない。
自分の死について考えざるを得ない。
特に同世代に近いギバちゃんが亡くなるシーンは身につまされた。

本作のメッセージはそれだけではないはず。
そう思うが、感じ方はそれぞれでいい。
そんな作品。

広瀬すずも松坂桃李も爽やかな演技。
暗い話だが重くならないのもいい。
ラストシーンの捉え方は千差万別だが・・・。

こういったアイドル映画を日本映画は作り続ける必要もあるだろう。

「三代目」スタディーズ

いつかは忘れたが日本経済新聞の書籍紹介の記事を読み、何も考えず購入。
何も考えずではなく、その「三代目」という響きからファミリービジネスの勉強になるのでは
と勝手に解釈しただけのこと。

確かに勉強になった点はあるが、僕の想像とは異なる視点。
こんなふうに「三代目」を捉えるんだと・・・。

通常、「三代目」といえば僕に近い観点が働くと思う。
「売家と唐様で書く三代目」とか「ボンクラ」とか・・・。
それは日本に留まらず英語圏でも同様の見方はあるようだ。

Father buys,the son bigs,the grandchild sells,and his thigs.
直訳すれば、「親は買い、子は建て、孫は売り、その子は乞う」。
四代目は乞食にまで落ちぶれること。
同じような捉え方は海外でもあるようだ。

一般的に三代目というと企業経営者の三代目を指すことが多い。
本書にも紹介されている松下、トヨタの三代目。
トヨタの創業家三代目といえば現社長の豊田章男氏。
誰もが知るところ。
松下電器(現パナソニック)の三代目は松下正幸氏。

ここでは述べないが豊田章男氏とは対照的。
企業としての扱い方も対照的。
個人を奉るのか、企業を奉るのか。
パナソニックの資料館や博物館は松下幸之助を、トヨタの博物館はあくまでもトヨタを中心に置く。
そのあたりも「らしさ」が反映されている。

その点でも三代目の視点が違う。
著者の視点はさらに先を行く。
天皇家にも足を踏みいれる。

昭和天皇は124代天皇。
初代神武天皇から数えればそうなる。
僕もすぐ忘れちゃうんだけど(汗)。
日本国を支える天皇家ということ。

それを冒涜するわけではないが、著者は昭和天皇を三代目としても捉える。
近代国家的な見方からすると明治天皇から三代目にあたると・・・。

これは大げさな例かもしれないが、そもそも何をもって三代目にあたるのか。
豊田章男氏もトヨタ自動車の創業家三代目にはなるが、
豊田家としてはもっと歴史はあるはず。

どこをスタート地点とすればいいのだろう。
単純に疑問がわく。
それは多くのことにいえるだろう。

今、お笑い界は「お笑い第七世代」が活躍している。
では、第三世代は誰か?
明確に答えられる人っているのかな?

僕は分からないが本書によれば、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン。
となると第一世代は誰が決めた?
そう考えると世代論はかなり難しい。
あくまでも恣意的なんだろう。

著者は「三代目」というタグを通して、近代日本の歴史意識の解明に向けた概念化を試みたという。
この辺りは社会学者らしく、僕の頭の構造とは大きく違う。

当初の想定とは異なったが、そんな視点が学べたのは価値がある。
僕も脱皮する山田家の三代目かな(笑)。

映画「茜色に焼かれる」

今、まさにこの瞬間を描いている作品。
舞台はコロナ禍でギリギリの生活を強いられる家族。
現実的にはあり得ないと思いつつ、きっとどこかで起きている。

実際にニュースで見たようなシーンの連続。
パッチワークのように紡いでいるようだが、それがリアルへと近づける。

この1年、僕自身も希望を見失う時間を過ごしたが、
尾野真千子扮する良子はその比ではない。
辛い環境下でも生き抜く力を見せている。
それは圧倒的はポジティブさを持っているわけでも、
類まれな能力や体力で乗り越えるのでもない。

気持ちは大いに揺らぐし、どうしようもなく他者を責めたくなることもある。
とても人間らしい。
普通の人間らしい。
しかし、普通の人間では耐えきれない精神力を持っている。

その精神力は何を持って生まれてくるのか。
本人も明確な回答はない。
自分が正しいと思う道を曲げずに進むしかない。
不幸なストーリーで観る側も落ち込むが、同時に勇気を与えられる。

石井裕也という監督は今の時代を描く最も上手い監督ではないか。
映画コラムニストでありキャリアカウンセラーの立場としては、
(エラそうにいってます・・・)
本作をキャリア論的に観ることも可能。

以前の「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」
「川の底からこんにちは」
女性のキャリアを別視点で描いている。
石井監督は女性の働き方を軸に時代を描く稀有な存在なのかもしれない。
僕の好きな白石監督とは対極的だが、令和を作っていく監督の一人。

それにしても本作は全面的に尾野真千子。
彼女の絶妙な感情表現が全てといっても大袈裟ではない。
多くのレビューで語られているとおり、
素晴らしい演技で暗いだけの作品に明かりを燈す。
その耐える姿や演技に演技を重ねるシーンには感動。
元舞台女優という設定だしね。

鑑賞前は「R15にすべき作品なのか?」と思っていた。
なるほど、そういう理由か・・・。
時代を描くにはR15が正しい。

そして風俗嬢の同僚であるケイ役の片山友希の存在感が際立つ。
笑顔、不満顔、怒り顔、泣き顔、同じ人物とは思えない豊かな表情。
その表情から窺わせる彼女の半生。

生きるのは辛い。
しかし、生き抜くことで次が見えてくる。
それがラストに表れているように思う。

こんな時期だからこそ、より大切にしたい作品。
コロナ禍が生み出す価値もある。

旅のつばくろ

沢木耕太郎氏がこんな書籍を出しているとは知らなかった。
少し前の週刊文春で東京オリンピックについて寄稿したという広告を見て、
どんな記事かを調べていたら本書にたどり着いた。

オリンピックの記事は楽天マガジンでもカットされていたし、ネットで調べても有料版しか出てこない。
ちゃんと金を払って読め!ということだが、どんな記事なのか教えて欲しい。
一切の取材依頼は断っているらしいが・・・。
商業主義のオリンピックには興味をなくしているのかな。

そんなわけで本書である。
沢木氏といえば全世界を旅するイメージが強いが、本書は国内の旅行を描いている。
基本は一人旅で、それもふらっと自由気ままに全国を回る。
有名な観光地はほぼゼロで、読み方さえ分からないような僻地も多い。

そこに向かう理由も様々だが、いかにも沢木氏らしい。
一般人なら考えにくい理由だが、沢木氏が語ると納得感が高くなる。
それはある作家との忘れ去られてしまいそうな思い出だったり・・・。
不思議だ。
読む者にとっては羨ましく感じる。

大した目的もない。
ルートも宿泊先も決まっていない。
しかし、偶然の出会いに思いがけない感動が生まれる。
そんな旅が多い。

こんな書籍を読んでしまうから、一人旅に憧れるのだろう。
それも誰にも邪魔されず、気の向くまま嗅覚だけを頼って・・・。
絶対、家人は怪しむだろうが、そんな時間を過ごしてみたい。
海外は難しいので、せめて1~2週間、国内を回る旅くらい許してもらいたい。

来年あたり行きたいなあ~。
古びたの居酒屋に入り、その土地の3番手の名物を頂きながら、しっぽりと地元の日本酒を飲む。
いい感じに酔っ払い旅館に戻り、ボーッと温泉に浸かる。
飲みたいだけで、沢木氏と全然違うじゃないかと思われるが、
そんな日があってもいい。

沢木氏は無類の酒好きと思っていたが、そうでもなかった。
最近までシャンパンとブランデーと日本酒は美味しいと思わず、自分から飲むことはなかったようだ。
旅先で出された名前も知らない日本酒を飲み、美味しいと思ったという。

ということは、こうか。
僕は普段でも日本酒は美味しいと思うが、旅先では更に美味しいということか。
それは、いいじゃないか・・・。

と辿り着く先はいつも同じような気もするが、
本書に感化され、ますます一人旅に出たくなった。
どうしてくれるんだ。

やっぱり固いビジネス書を読んでる方が健全なのかな。

映画「名も無い日」

ポスター(上記)には6/11より全国公開とされているが、
東海三県は先行ロードショーで5/28より公開。
公開2日目に鑑賞。

このブログでも何度か本作の紹介はしている。
監督は名古屋市熱田区出身の日比遊一氏。
何度か直接話を伺う機会があったが、名古屋への拘りを強く持たれていた。

ロケも名古屋でなければならないし、出演者は名古屋弁を喋らねばならない。
当初は圧倒的な郷土愛かとも思ったが、そうではない。
作品を観て大いに納得。

日比監督のいう名古屋でなければならない理由を。
それは僕が名古屋在住の地元愛や共感だけではない。
どこかの市長にような名古屋弁ではなく、自然な名古屋弁に吸い込まれたわけでもない。
その背景そのものに必然性を感じたのだ。

タイトルから想像できるように派手な作品ではない。
映画ならではのハードな演出があるわけでもない。
物語は静かに流れ、ありふれた日常的な会話が繰り返される。
ゆっくりと時間だけが過ぎていく。

しかし、次第に事の重さをヒシヒシと感じるようになり、気持ちが揺り動かされる。
せつなく辛い・・・。
悲しいかな感情移入していく。

本作は日比監督の原体験を描いている。
それはせつなく辛い。
日比監督は自伝的にそれを描こうとしたのではないだろう。

人として死とどう向き合うか、家族とは一体何なのか、生きる意味をどう持つのか、
それを観る者に訴えかけてくる。
そこに厚かましいメッセージはない。
あくまでも自問自答を繰り返すだけ。

知った場所の多さで感情的になるのは否定できない。
永瀬正敏演じる長男と自分とをオーバーラップさせる。
知らず知らずに巻き込まれていく錯覚にも陥る。

自分勝手な行動は夢を与えるが身内を苦しませる。
ゆえに正解は分からない。
映画を観終わって、日比監督のメッセージが熱く伝わってきた。

名古屋を舞台にした映画は少ない。
だから観てもらいたい。
そう思わないでもない。

しかし、仮に名古屋ロケでなく、日比監督の想いを知らなかったとしても本作を推す。
より多くの人に観てもらいたい。

舞台の中心となる熱田神宮周辺は知っているとはいえ、さほど馴染みはない。
年数回しかお邪魔しない。
一方で数年前まで毎日にように歩いていた円頓寺商店街。
この商店街が映画の重要なシーンで使われる。

気づいた人は少ないかもしれない。
ただこのシーンがあってこそ映画が成り立つ。
個人的にはとても喜ばしい。

ぜひ、確かめてもらいたい。
永瀬正敏やオダギリジョーや今井美樹の名古屋弁と共に・・・。

どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか

ここ最近、硬い本ばかり読んできた。
そのため真剣に人生に向き合い、これからの生き方、
自分の存在価値について頭を悩ませる日々を送っている。
僕の人生に価値はあったのか・・・。

考えれば考えるほど迷い、苦しみ、もがく日々。
酒浸りになり、家人を傷つけ、物を壊し、自らを制御できない。
そんな時間を過ごしている・・・。

そんなわけないか。
硬い本ばかり読んで哲学チックになっているが、それも寝たら全部忘れている。
所詮、そんな程度。

しかし、硬い本ばかりでは自分自身が窮屈になるのも事実。
もっとお気楽に考えることも必要。
そんな時に手に取ったのが本書。

書籍広告だったか書評か忘れたが、ノリでkindleでダウンロード。
文庫版はこの5月に出版だが、内容は2010年に行われた2人の対談。

なんというか「SPA的」。
SPAという雑誌をほとんど読んだことはないが、
実にくだらないことを真面目に語っている。

逆かな?
真面目なテーマをおちゃらけに語っている。
「人生」「人間関係」「仕事」「生と死」にまつわることを、
更に深掘りしながら二人で語り合っているのだ。

テーマだけ見れば哲学的。
深みにはまり、救いようがなくなることもある。
だが、そんなふうにはならない。

ここは達観した2人。
それも自分を守るものを捨て、全てをさらけ出す生き方。
怖いものは何もないように思える。

怖いものというのは自己保身とか恥ずかしさとかプライド的なこと。
タテマエ的な表現はバッサリと捨て去り、本音で、
それも居酒屋で酔って語る本音で勝負している。
その潔さが心地よく、そしてこちらの生き方もラクになる。

いいじゃないか。
こんなもんで・・・。
どんなに一生懸命生きたって、どうせ死ぬわけだし。
それが諦めではなく真っ当な生き方として語られる。
そのほとんどは下半身に結びつく話だが、それも正直で好感が持てたり。

リリーフランキーさんの出演作なんて見ると平気で変態や犯罪者、ろくでなしを演じる。
自分を覆い隠すものがないせいもあるだろう。
どう見られようがヘッチャラだし、いい人に思われようなんて微塵も感じない。

そのぶっ飛び方に憧れを抱く。
一歩間違えれば迷惑がられるだけだが、これが好かれる要因になるとは。
誰に気を遣うことなく、
(実際は使っているんだろうけど)
正直に思うがままストレートに表現し続ける生き方。

これも天才肌だからできるんだろうね。
多くの挫折を繰り返しているからできるんだろうね。
そんなふうに思う。

軽い。実に軽い。
そんな2人の対談だが、かなり哲学的でもある。
その塩梅がいいのかも。

読書も自分の中のジャンルを広げるべきだろうね。

映画「健さん」

明日より公開される映画「名も無い日」。
この作品のことは以前のブログでも紹介している。
できるだけ早めに観て、このブログでも紹介したい。

なぜ、そこまで応援するか?
単純に日比遊一監督が名古屋出身でこの作品も名古屋でロケをしたから。
永瀬正敏もオダギリジョーも名古屋弁を喋っとるらしいがね。
はよ観なかんわ。

とその前に紹介するのが本作「健さん」。
2014年に逝去された高倉健を題材にしたドキュメンタリー。
この作品を知ったのも日比監督に出会ってからのこと。

先週、「名も無い日」公開記念イベントとして開催された上映会に参加。
世間の狭さを感じるのか、知り合いが多かった。
みなさん、応援しているわけね。

高倉健といえば日本を代表する俳優。
映画史上名作といわれる作品にも数多く出演されている。
僕はさほど意識をしたこともなく、多くの作品を観ているわけではない。

特に1950年~60年代のヤクザ映画は皆無。
この頃はハンパない活躍で年間10本ほど出演されている。
当時のヤクザ映画も紹介されていたが、20代の高倉健は男が見ても惚れ惚れする体。
あんな筋肉質の立派な肉体の持ち主とは知らなかった。

本作では当時の活躍から幼少期、晩年期まで本人を追っかけている。
高倉健と関係のあった映画人も数多くインタビューに答えている。
降旗康男監督、山田洋次監督や親交の深い役者陣。
それぞれが思い出を語り人物像を明かす。

それだけではない。
マイケル・ダグラス、マーティン・スコセッシ、ポール・シュレイダー、
ヤン・デ・ポンら海外の役者、監督も高倉健を熱く語る。
それも「健さん」と呼びながら・・・。

それだけで人柄か理解できるが、何より世界メジャー級からラブコールを送られること。
役者としての魅力的な人物であったのだろう。

普段は寡黙だが、映画への向かい方は饒舌。
饒舌という表現は正しくないし、そんな姿は見せない。
しかし、その真摯な姿はそんな表現でも許されるだろう。

本作には妹さんが母親との関係性について語るシーンがある。
ここも高倉健という人物を象徴するかのようなエピソード。
グッとくる。

インタビューは映画関係者以外も多く登場する。
元付き人であったり、通う飲食店の店主だったり・・・。

個人的にいえばそこに沢木耕太郎を呼んで欲しかった。
オファーを断った可能性もあるが、
沢木氏の作品を読むと結構、高倉健との親交が描かれている。
そこでも人となりが理解でき、僕はなぜかオーバーラップさせながら観ていた。

インタビュアーである沢木氏はどうインタビューに答えただろうか。
興味津々。
あと「野生の証明」で共演した薬師丸ひろ子にも・・・。

僕は意外とチャラい作品しか観ていない。
「ミスターベースボール」とか(笑)。
今、1970年代の映画に注目している身としてはその頃の作品を観てみるかな。

まずは「名も無い日」だけどね。

映画「アルプススタンドのはしの方」

泣ける。
爽やかに泣ける。
いいこの感じ。

55歳の誕生日を迎え、こんな感情に共感できるとは思わなかったが、
まんまと引っ張られてしまった。
そう、今日、僕は誕生日なんです。

本作は2020年キネマ旬報ベストテンの10位の作品。
公開時は全く知らず。
このベストテンの発表で初めて知った。
ただ他の話題作に目が移り、素通りしそうな地味さ。
俳優陣も誰一人ひとり知らない。

しかし、映画コラムニストとしては見落としてはならない。
こんな作品にこそ秀作で、今後日本屈指の映画監督を生み、
有望な役者が活躍の場を広げる。

映画コラムニストとしては外せないポイント。
その点、僕の着目点は間違っていなかった。
さすが!
と言いたいところだが、正直に告白しよう。

映画仲間が提供するBush映画アカデミーで絶賛していたので鑑賞に至った。
う~ん、まだまだですね。

今はAmazonプライムでも有料版だが、ちょっと空いた時間で観て欲しい。
76分なのでサクッと観れる。
先日の「砂の器」のような重たい空気にもならない。
自分の中に爽やかな風が吹く。
お~、なんとも青春っぽい表現。

本作は夏の甲子園に出場した野球部の1回戦を描いている。
しかし、野球のシーンは一切出てこない。
選手が懸命にプレーするシーンはない。

そこに感動はない。
いや、違うな。
間接的に大いに感動を生む。
気がつけばアルプススタンドのはしの方にいる生徒と一緒にスタンドのはしで応援している。
応援する生徒を応援しながら・・・。

一緒になって、ガンバレーと言いたくなる。
グランドに対してもスタンドのはしに対しても。
なんかいい、この感じ。

僕は俳優陣も知らないと書いたが、どうやら演劇界で知られた存在。
文部科学大臣賞を受賞した演劇を映画化した作品。
その舞台に出演する役者陣が本作にもそのまま出演。
だからこそ細かな表現も上手く演じているのだろう。

舞台の設定如く、一試合の3時間程度を描ているのみ。
他の世界はなく、映像もほぼスタンド。
そこで繰り広げられる青春群像。

抱える挫折は小さいが、本人にとっては大きな挫折。
他人の力を借りながらも自分で乗り越えるしかない。
その姿が愛おしく映る。

いいね、若さって。
たまには青春映画も観ないと。

そして、自らの言葉を気をつけよう。
「仕方ない・・・」って、言わないように。

55歳も頑張ります。