アニメ作品はほとんど観ない。
昨年は81本中、「THE FIRST SLAM DUNK」「君たちはどう生きるか」
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」の3本のみ。
それでも多いほう。
一昨年はゼロ。
観ない理由は特になく実写を優先しているだけのこと。
日本で大ヒットするのはアニメだし、優秀な作品が多いのも理解している。
いつの間にか食わず嫌いになってしまったのか。
本作の評判の良さは知っていた。
それでも素通りしようとしていた。
58分と映画としては短く一律1700円の入場料もマイナス要因。
会員価格や55歳割引で慣れた身として高く感じてしまったのだ。
まだまだ人として未熟。
映画コラムニストを名乗るのは半人前。
映画を観て痛感した。
時間や価格で作品を決めてはいけない。
大切なのはクオリティと人に与える影響力。
周りの評価は素直に受け入れるべき・・・。
観ておいてよかった。
僕は漫画もほとんど読まないので、原作者藤本タツキさんは知らない。
本作からてっきり女性漫画家かと思っていた。
フィクションとはいえ原体験を基に作られた作品と思い込んでいた。
それだけ想いがこもった作品に思えた。
2人の少女が出会い、漫画づくりにひたむきに向き合う物語。
お互いの才能にコンプレックスと憧れを抱き、それを原動力に前に進む。
10代の多感な時期だからこそ、揺れ動く感情は手に取るようにわかる。
心の描写が巧み。
アニメ作品だがマンガを読んでいる感覚にも陥る。
それが作り手の求める点なのか。
もし、あそこで二人が出会わなければ、お互いに違う人生を歩んでいた。
本作こそプランド・ハプンスタンス・セオリー。
先日まで学生に教えていたこと。
好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心が成功に導いた。
偶然こそすべて。
突如訪れる不幸も偶然だが、こうして人生は成り立っている。
決して悪いことではない。
2人の少女役は河合優実と吉田美月喜が声優に初挑戦。
なにかと話題の河合優実もいいが、京本役の吉田美月喜もとても上手かった。
口下手な田舎の少女の声は印象的。
彼女は「カムイのうた」の主演。
観た人は少ないが大正時代のアイヌ人を上手く演じていた。
若手女優がいろんな分野にチャレンジし、自身の幅が広がるのも素晴らしい。
そんな発見をするためにもお金を惜しまず、食わず嫌いにならず、映画を観ていきたい。
地味な作品。
知らずに通り過ぎる可能性も高い。
しかし、素通りするには勿体ない。
この家族の物語を押さえておくのも大切。
もしかしたら自分が当事者になるかもしれない。
そんな危機感を抱きながらも別世界の父子関係を味合わせてもらった。
本作は元大学教授の父親とその父親に捨てられた息子の関係を描く。
藤竜也演じる元大学教授陽二は頑固で偏屈。
認知症が原因で警察に捕まり、離れて暮らす森山未來演じる息子卓が呼ばれる。
その代わり果ては姿に驚きながら、関係性が紐解かれていく。
現代と過去を相互に描き、崩壊する親子関係と修復に向かう親子関係が見られる。
時に複雑。
そしてかなりの想像力を求められる。
恋焦がれ再婚した陽二と妻の直美との関係はラブレターの存在で明らかとなり、
その背景が卓との家族関係へと繋がる。
直美、直美と連呼されると体が固まってしまう(笑)。
そこにはとてつもない恋愛をイメージさせるが、そんなシーンは一切ない。
巧みに表現された文章でしかない。
きっとそんな生活も長かったはず。
しかし、認知症がすべてを壊す。
誰を責めることはできない。
陽二も直美も頭では理解している。
ただ感情を抑えることができないし、突発的に襲い掛かる症状は止められない。
いずれオレもこんなふうになってしまうのか・・・。
息子の立場ではなく父親の立場で自分をダブらせてしまった。
悲しくもつらい。
卓はそんな症状を冷静に客観的に眺めている。
それは父親に捨てられた身として愛情も感情も乏しい。
ただそれで終わらないのが親子ということか。
事実が明らかになることで愛情や感情も芽生える。
父親の呼び方も変わる。
ここも想像力。
父親の本当に気持ちを察したのか、単なる同情なのか、捉え方はそれぞれ。
失くした時間は取り戻すことができない。
大いなる不在ということか。
ネタバレしないように書いているので意味不明なブログだが、
親子のあり方を上手く描いた作品だと察してもらいたい。
本作で唸るのは藤竜也の演技。
僕の中では「愛のコリーダ」や「プロハンター」だが、老いゆく演技も素晴らしい。
昨年の「高野豆腐店の春」もよかったけど・・・。
大人になりそれなりに忙しく過ごすと
知らず知らずのうちに大切なものを忘れてしまう。
時間を取り戻すことはできない。
記憶のある時間を大切にすること。
それを実感できた作品だった。
僕が世の中に取り残されつつあるのか。
それとも山口氏が遥か先を歩いているのか。
そんな感覚に襲われる。
山口氏の著書の大半は読んでおり、常にハッとさせられ感心する。
言わんとしていることは理解できるし、確かにそんな世の中になっていく気がする。
「ニュータイプの時代」はかかなり影響を受けた。
大学の授業でも紹介し、そんな時代が訪れると学生にも話をした。
それはもう5年前のこと。
しかし、そんな時代はまだ訪れていない。
本人もVoicyで自らの著書を否定していた。
まだまだ早すぎたのかもしれない。
彼の理想に時代が追いついていないのか、単なる妄想なのか。
怪しい宗教ではないので100%感化されることはないが、その流れには共感する面が多い。
いずれそうなるだろうと・・・。
「ビジネスの未来」からの本書。
更にその上の概念になるのだろうか。
こうなるとついていくのがやっと。
アファーマティブ・ビジネスとクリティカル・ビジネスの違いについて詳しく著されている。
そもそもアファーマティブ・ビジネスなんて言葉を普段の生活では使わない。
従来、我々が事業として手掛けていることを総じていう。
その理解からスタートすることが重要で対義となるのがクリティカル・ビジネス。
既になんのこっちゃと思う人がいるかもしれないが、そこは調べてでも理解した方がいい。
ソーシャル・ビジネスとクリティカル・ビジネスの違いについても言及されているし・・・。
日本のような成熟した国(そうでもないかな)は生きていく上で困ることはほとんどない。
格差や貧困を捉えれば言い切れないが、普段の生活で不自由なことはない。
それだけ満たされているのが現実で、更に欲を求めると実にイヤらしいものになってしまう。
そんな現実社会がクリティカル・ビジネス・パラダイムに向かっているということだろう。
カスハラが横行する背景はその歪みなのかもしれない。
ベーシックインカムの時代が訪れるかは分からないが、
企業が自社の利益だけでなく社会全体の価値向上を考える方向へ少しずつ向かう可能性もある。
そうなるとリーダーシップのあり方も変わる。
フォロワーの存在でリーダーシップが変わるということ。
ただそこに至るにはまだ相当な時間が掛かりそう。
その前に日本が沈没しなきゃいいけど。
僕自身も自らに変化対応を迫り、若者にも変化を求める。
単純に変化すればいいということではない。
「創造と破壊」と「逸脱と秩序」が同時に成立してバランスをとる状態を社会に生み出すこと。
と山口氏は説く。
どんな社会かはまだイメージできない。
イメージできないからスルーするのではなく、頭の中に意識だけは持っておきたい。
ユニークな韓国映画が上映されるんだ…
と呑気に予告編を観ていたら監督はリュ・スンワン。
僕が2022年のナンバーワンに推した「モガディシュ 脱出までの14日間」の監督。
圧倒的に面白い映画だった。
観ない選択肢はない。
迷うことなく映画館に足を運んだ。
こうして日本映画は韓国映画の後塵を拝していく。
残念ではあるが・・・。
「モガディシュ~」は実際の事件を基に制作されたが、本作も実話を着想して作られた。
もしこれが全て本当としたら恐ろしい話。
あり得ない。
舞台は1970年代半ばの韓国の漁村クンチョン。
繰り広げられるのは海女、税関、密輸王、チンピラが密輸品を奪いあうアクション劇。
当時、韓国での女性の地位は低かったと思う。
明らかに男性中心の社会。
本作にそれを象徴するシーンはないが、それぞれの立場や振る舞いがイメージさせる。
その分、海女たちの活躍は現代社会にも繋がる面もあり爽快。
ネタバレしない程度に解説すると、
密輸品の引き上げに協力した海女が税関の摘発により逮捕される。
一人逃げ切った海女が数年後、漁村に戻り海に眠る密輸品を更に探し求めていく流れ。
悪党の中心やラストの描き方は韓国映画らしい展開。
ドキドキしながらも安心して観られる。
正統派のエンターテイメント作品。
この四つ巴の闘いは迫力もあり面白い。
地上では虐げられる海女も海中ではすこぶる強い。
チンピラなんてひとたまりもない。
そのあたりも爽快感を与えるのだろう。
そして、これはジョーズか?と思わせるシーンも・・・。
前作「モガディシュ~」は社会派ドラマの要素もあったが、本作はあえて外したように思える。
70年代のファッション、演歌とPOPSを足したような音楽、品のない店。
本来暗いであろう70年代をポップに映し出し、娯楽に徹する。
軽快なノリが重くなりがちな事件を面白くさせている。
そして主演の2人の女優がいい。
キム・ヘスとヨム・ジョンア。
2人とも50overだがとても魅力的。
余貴美子と木南晴香にソックリとどこかのレビューで読んだが、まさにそんな感じ。
密輸王クォン軍曹のチョ・インソンもカッコいい。
「モガディシュ~」の参事官もいい役だったが、本作のアクションも含めいい味。
リュ・スンワン監督のお気に入りだと思うし、世界に出ればいいのにね。
本作は青龍映画賞で最優秀作品賞など4冠を獲得したという。
この映画祭がどれほどの価値か知らないが、評価のバロメーターにはなるだろう。
日本もこの類の娯楽映画を作ってもらいたい。
世の中はもう夏休みか。
昨年の第3作、一昨年の第2作(1作も)は8月の夏休みのド真ん中に鑑賞。
この時期は意外と観たい作品が少なく当初は仕方なくの選択だった。
しかし、今年は公開早々に鑑賞。
キングダムファンでもないのに・・・。
映画コラムニストとしての仕事もあるが、興味を持ってしまったのか。
全巻を売り出そうとしている息子のコミックを今のうちに読んでおくか。
72巻はとてもじゃないけど読めないが(汗)。
まず僕が思ったのは、自分ももっと頑張らなきゃというどうでもいいこと。
王騎役の大沢たかおは1968年生まれ。
ほう煖役の吉川晃司は1965年生まれ。
僕は1966年生まれなので、ほぼ同世代。
極端にいえば本作はこの2人の闘いがメイン。
あの激しいバトルを見ながら、その力強さに感心した。
もちろんCG技術を駆使しての撮影や演出だが、あの身のこなしを見て、
もっと頑張れねばと思ってしまったのだ。
もうすぐ60歳じゃないか。
この作品のためにどれだけ体を鍛えたのだろう。
自分を追い込み役作りに賭ける執念は伝わってきた。
もうそれだけで観た甲斐はあったといえよう。
そして、本作の主役は間違いなく大沢たかお。
大将軍王騎のドラマ。
これは誰が観ても思うこと。
同じようなレビューも多かった。
だから敢えて語る必要もない。
その生き様や大将軍としての振舞いは本シリーズを引っ張るには十分。
きっと2024年興行トップの作品になるのだろう。
そんな作品をブログで紹介する必要はない。
あまり日の目を浴びない映画を紹介し、観客を増やすのが僕のミッションだし。
(誰も思っていないか・・・)
日本を代表する役者陣が総出演という映画に草刈正雄が重要な役どころでの登場は嬉しかった。
清野菜名もキレキレでよかった。
山本耕史があっけないのもよかった。
残念なのは長澤まさみ。
あの両脇のボディビルダーは必要ないので、彼女の時間がもっと欲しかった。
本作が本シリーズの最終章だという。
そう感じさせる面もあるが、まだまだ続編を期待させるシーンも多い。
東宝や日テレはこのドル箱をこのまま終わらせるのか。
今後の戦略も楽しみにしておきたい。
時代はいつも変わっていくしね。
ほとんど映画を語らずにブログは終わってしまった(笑)。
やはり本作を観ながら「ハウス・オブ・グッチ」を思い出してしまった。
それは主役がアダム・ドライバーだからではない。
イタリアの街並みが「ハウス・オブ・グッチ」とダブったのだ。
歴史ある建物は時代が移ろうとも残す印象は変わらない。
それにしてもアダム・ドライバーは凄い。
本作ではフェラーリの創業者エンツォ・フェラーリを演じ、
一方ではグッチ経営者のマウリツィオ・グッチ。
似ても似つかない。
中年太りの体格とスラッとした紳士。
クリスチャン・ベール並みの役作り。
いやいや凄い。
クリスチャン・ベールといえば「フォードvsフェラーリ」。
4年前の作品だが、痺れた作品だった。
クリスチャン・ベールはフォード側のドライバー役を演じていた。
舞台は1966年。
経営難のフェラーリを買収しようとしたフォードが物語の発端。
本作の舞台は約10年前の1957年。
この時もフェラーリは破産寸前。
ずっと経営危機なわけね・・・。
それは両作品のエンツォ・フェラーリを見れば理解できる。
経営者というよりはエンジニアでかつドライバー。
レースに勝つことが第一優先。
車の売れ行きは二の次。
だからこの尖がったマニアしか乗らない車を生産できるのだろう。
「フォードvsフェラーリ」で製作総指揮を執り本作では監督のマイケルマンは
フェラーリをリスペクトしているのか、嫌っているのか。
どうでもいいことを思ってしまう。
と本作とは関係のないことをツラツラと書いてしまった。
映画は車業界の歴史も教えてくれますね(笑)。
実話を基にした作品はより僕の気持ちを揺り動かしてくれる。
デッドヒートを繰り広げショッキングなシーンにもグラグラくるが、
経営者として何を拠りどころし、それを大切にすること。
自分を信じて貫き通してブレない生き様もそう。
このこだわりがなければ名声や名品を残すことはできない。
部外者からみれば迷惑な堅物が歴史に名を刻むことになる。
彼よりバランスのいい人やマネジメントに優れた人は山ほどいるが、太刀打ちはできない。
創業者の持つ圧倒的なパワーはファミリービジネスの強さでもあり問題点でもあるが・・・。
見方を変えれば、本作もファミリービジネスを描いた作品。
エンディングロールまで辿り着くとそう感じさせてくれる。
アダム・ドライバーもよかったが、僕が惹かれたのは奥さん役のペネロペ・クルス。
若い頃のシーンはわずかだが、その変貌ぶりには驚かされる。
環境が人の表情や性格も変えてしまうのかもしれない。
気をつけないと・・・。
個人的には楽しめた作品。
次回、友人のフェラーリに乗せてもらう時はより感謝したいね。
20歳の娘と父親との家族愛を描いたロードムービー。
年頃の娘を持つ身として、惹きつけられつい観てしまった。
映画を観ながら、どうしても自分をダブらせてしまう。
本作のように娘はアルコール依存症ではない。
僕は離婚経験もなく、子供と離れ離れの生活を送ったこともない。
そんな点では180度異なる家族設定。
お互いまっとうな人生を歩んでいる。
しかし、胸に迫るものがあり、自身の行動に反省させられる面は多かった。
娘の立場からすれば父親の存在は大きい。
最も愛情を欲する時期にどこまでそれに答えることができたか。
今、振り返れば僕の愛情は足りなかったのではないだろうか。
そんな会話をしていないので事実は分からない。
本人は十分と感じているかもしれないし、
単純にウザいと思っているだけかもしれない。
何日間も2人きりで車の旅をすればそれは明かされるだろう。
助手席は互いに見つめ合うこともなく、程よい距離感。
本音を語りやすい環境になるのではないだろうか。
関係を修復しようとする父娘を眺めながら、そんなことを感じた。
本作はユアン・マクレガーと実娘のクララ・マクレガーが親子役で共演。
それが理由なのか、とてもリアル。
日常会話も喧嘩も自然。
お互い名前は明かされず、娘はパパといい、父はターボというニックネームで呼ぶ。
2人の関係において名前は必要ない。
本心を明かしたいが素直になれない時間が続くが、
途中で出会うろくでもない人たちによって距離は縮まる。
いかにもロードムービーだ。
「Bleeding Love」というタイトルのみだと濃厚なラブストーリーと勘違いする。
「はじまりの旅」とプラスすることでイメージが広がる。
そして、確かにはじまりの旅。
この父娘にとってこれが始まりといっていいだろう。
ラストシーンが象徴している。
どんな状況でも父親は娘を想い、娘もいざとなれば父親を頼る。
「あんのこと」が辛かった分、本作は救われた。
あれは母親だけど。
親のあり方が子供を幸せにも不幸にもする。
どこまでいっても親の存在は大切。
反省はしていますよ。
「ドライブ・マイ・カー」でアカデミー国際長編映画賞を受賞した
濱口監督作品となればもっと話題になっていい。
しかし、思ったほどではない。
公開される映画館も時期もまばら。
4月公開作品だが、僕は7月に近所の映画館で鑑賞。
気づかなければスルーしていた。
では、公開時から駄作扱いか。
そうではない。
本作はベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。
ヨーロッパの映画祭は派手ではなく難解な作品が選ばれる傾向もあり、
そのあたりも話題性の低い理由かもしれない。
映画を観て思った。
本作に話題性を持たせ広げるのは容易ではない。
誰しもが感動する映画ではない。
前作「ドライブ・マイ・カー」も娯楽作品ではなかったが、流れる感覚が心地よかった。
本作も流れる感覚はついて回る。
それが濱口監督の持ち味かもしれない。
ただ流れ方は大いに異なる。
心地いいと感じるかは人次第。
テーマも人によって捉え方は違う。
田舎に住む住民と都会からの新参者の価値観の違いとも受け取れるが、
もっと壮大な神や宇宙をテーマにしたとも受け取れる。
一般的には自然との共存共栄だろうが、考えてもよく分からない。
幼稚な僕は主人公の親子は人ではなく動物の生まれ変わりかと思ってしまう。
それは言い過ぎか(笑)。
前半は静かに時間は流れる。
表現を替えれば退屈な時間が流れる。
ロングショットの長回しが多用され、人の生活の覗き込む感覚に襲われる。
それがある時を境に時間の流れは早くなる。
退屈な時間はそのための伏線なのか。
ゆっくりと過ごす田舎者と時間に追われる都会人との視点の違い。
AmazonのCMにも登場する自然に興味のない社長や口だけのイケメンコンサルが象徴的。
(名前が分からず、すみません)
あれが今の時代を表しているともいえる。
客観的にみれば観客は田舎側に賛同するが、果たして自分はどっちなのか。
あんな風になりたくない社長やコンサルだったりして。
どっちつかずの状態が本作では最悪の存在になる。
上辺だけを理解しても何の意味をなさないと感じさせる。
それがラストシーンということか。
これも受け止め方によるな。
解釈はさまざま。
いえることはここに悪は存在しないということ。
いや、そうじゃない。
全てが悪かもしれない。
そこは本作を観て確認してもらいたい。
1975年に公開された作品をリバイバル上映で鑑賞。
監督や主演女優が亡くなったわけでもなく、なぜ今の時期に公開されたかは分からない。
僕が知らないだけで明確な理由は存在するのだろう。
ポスターのイメージは美しい少女を描くファンタジックな作品。
イメージ通りだったら観ることはなかった。
監督のピーター・ウィアーはこの作品で評価され、
国外でも注目を浴びたというのが観た理由。
本作をキッカケにアメリカでの活躍があるようだ。
80年代、90年代は素晴らしい作品が多い。
「刑事ジョン・ブック 目撃者」「モスキート・コースト」
「いまを生きる」「トゥルーマン・ショー」はリアルタイムで観た。
「いまを生きる」は10年前にブログにも書いた。
人間味を描くのがとても上手い監督という印象。
最近はどんな作品を撮っているのか調べてみたら、2010年で引退したという。
どおりで名前を聞かなかったわけだ。
本作の舞台は1900年。
オーストラリアの全寮制の女子学校を描く。
富裕層のお嬢様が通っていた学校とイメージできる。
当たり前だが、品がよく規則正しい生活を送っている。
ピクニックに出掛けた時に起きた謎めいた事件が中心のミステリードラマ。
ミステリーの場合、ピリピリとした緊張感を伴う事が多いが、本作はそうではない。
ほんわかとしたムードが逆に神秘的な雰囲気を醸し出す。
タイトルにもあるハンギング・ロックがカギとなるが、
オーストラリアではそんな象徴なんだろうか。
美しい少女が登るにはちょっと危険。
だから事件は起きるんだけど・・・。
最終的な解釈は観る者に委ねられている。
現実的と捉えるか、夢物語と捉えるか。
きっと観た人は少ないだろうから、語り合える場もないかな・・・。
失踪した女学生の一人のミランダはとてもチャーミング。
アン・ルイスではなくアン=ルイーズ・ランバートという女優さん。
全く知らない。
これも調べてみると1955年生まれ。
僕より11歳も年上のことに衝撃を受けた。
映画よりも衝撃度は大きかったかも(笑)。
本作は4Kレストア版のため当時に映像が鮮やかに映し出される。
歴史を感じさせるが昔の作品をこのような手法で観られるのもありがたい。
時々は以前の作品を映画館で楽しみたいね。
定期的にこのジャンルや読む必要がある。
もちろん自分自身の勉強のためだが、
成功例も失敗例も知っておくことで関わる方との会話も広がる。
先月からスタートした「名古屋ファミリービジネス研究会」も
僕にとっては大きな学びの場。
受講者の学びが目的なのは明確だが、その場は僕にとってもありがたい。
お互い理解し合うことでリスペクトも生まれる。
同族企業における報道は未だにネガティブな面が中心。
最近でも某製薬会社や某食品メーカーが非難の対象となったり。
非難されるべき事実を受け入れるのは当然だが、
尾ひれがついて同族企業自体が悪いという認識はどうかと思う。
それは僕がこの仕事をやってきたことと仲のいい同族企業経営者が多いので思うだけ。
もし、サラリーマンのままだったら、マスコミの報道をそのまま受け止めたかも。
そのためには中立的に学ぶ面は重要。
本書はマイナス面を披露しながらも、本来持つ「本当の強さ」を明らかにする。
20社以上の事例が紹介されているが、その大半は知らない企業。
獺祭やホッピービバレッジ、ジャパネットたかた等、
頻繁に紹介される有名な企業もあるが、そうでないのがほとんど。
背景には苦労や葛藤、相当な覚悟が存在するが、それが今も成長を続ける強さの証。
順風満帆に承継されるケースは少なく、生きるか死ぬかの攻防も多い。
僕も苦労したつもりだが、きっと鼻で笑われる。
苦難を乗り越え、今、実績を上げているということ。
苦労せずスムーズに事業を営む人も知っておいた方がいい。
どこかでオーバーラップさせた方が危機管理にも繋がる。
事例が中心の本書だが、参考になるデータも多い。
日本には婿養子による経営という選択があるが、欧米や中国、韓国にはない。
婿養子は日本独自の仕組み。
付随する「バカ息子」問題も目立ちやすいが、
実際には資質のある後継者を選び業績にも反映されている。
売上高成長率からみた場合、後継者は「年齢が若い」「業務経験が短い」
「技術や経理に強い」等が成長率が高い。
一方でROAの高さからは「業界経験が長い」「技術や経理に強い」等
の場合に優位さが目立つという。
売り上げを伸ばすには若く短く、ROAを高くするには業務経験が重要。
なるほどね。
なんとなく分かる気がする。
他にも参考になるデータはあるので、次回の研究会にでもネタにするかな。
僕の周りにも知らないだけで、すごい同族企業は数多く存在する。
もっと知れる機会があるといいね。