これからも前向きに 名大社会長ブログ

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映画「ぼくの家族と祖国の戦争」

第二次世界大戦を描く映画は多い。
国内だけに目を向けると敗戦国で多くの方が亡くなった悲惨な戦争として描かれる。
どうしても自分たちが中心でそれが世界と勘違いしがち。

当たり前だが戦争の被害は全世界。
敵も味方もない。
敗戦国でも戦勝国でも多くの人が不幸に陥る。
大半は一般市民で直接戦争に関わっていない人ばかり。
余計に悲しくなる。

事実を知ることで戦争や紛争が収まればいいが、その気配がないのが現実。
この類の作品に触れる度にどこかの大統領や首相は映画を観るべきだと思う。

本作は1945年、第二次世界大戦のドイツによる占領末期のデンマークが舞台。
実話がベースだという。
占領下といってもドイツの敗戦は濃厚。
デンマークにドイツからの難民が押し寄せたことで事件が起きる。

一人の少年の目線でドラマは進むが、その揺れ動く気持ちや姿勢が戦争の悲惨さを伝える。
教育された環境でいえばドイツは敵。
親が敵国の病人を救おうとしても態度は変わらない。

しかし、あることがキッカケに気持ちは揺れ始める。
人本来が持つ優しさかもしれないし、かすかな恋愛感情かもしれない。
子供らしさ=人間らしさ。

自分の立場や恨みを正当化する大人との違いをまざまざと見せつけられる。
当たり前の行動をした父親も権力には逆らえない。
自分の意志を曲げて尽くさなければならない。
素直な子供の感情を親は理解し受け入れる。

本当の正しさは何なのか。
僕らは少年の行動から教えてもらう。
シンプルにいえばそんな作品。

作品は少年セアンを演じたラッセ・ピーター・ラーセンに尽きる。
微妙に変化していく自分の感情を見事に演じていた。
もっとわざとらしい演技ならここまで感情移入はなかった。

本作はデンマーク作品。
いくつかの国との合作は何度も観ているが、単独の映画は数少ない。
「アナザーラウンド」以来。
過去観た合作「青いカフタンの仕立て屋」「ある人質 生還までの398日」もインパクトは強かった。
いい映画を製作する国なんだね。

他国から戦争の悲惨さを学ぶことも大切。
感動的な人間ドラマだが、その事実を知れたのは良かった。

映画「ソウルの春」

韓国映画は実話をベースにした作品が多い。
映画化できるような大きな事件が頻繁に起こる国ともいえる。
実話を基にした日本映画に物足りなさを感じるのは製作側の問題ではなく、日本が平和である証。
どっちの国に住みたいかといえば、やはり日本。

本作は「粛軍クーデター」「12.12軍事反乱」と呼ばれる韓国民主主義の存亡を揺るがした事件がベース。
いわゆるファクションだが、ほぼ現実に近いようだ。
この事件の前には「KCIA 南山の部長たち」であり、事件後は「タクシー運転手 約束は海を越えて」
次から次への世の中を驚かす事件が起きる。

真正面から描けば国を非難することになる。
それを恐れず向かう姿は賞賛すべき。
日本ならきっと忖度が生じるだろうし。

エンドロールから本作の登場人物が誰を指すかは一目瞭然。
僕でさえもヤツが彼なんだと理解できる。
ネタバレしないように名前は伏せるが、それが判明した時は「う~む」と唸る。
実際の大統領だし・・・。

本作が描くのは1979年12月の数日間。
民主化を目指す韓国で新たな独裁者を狙う陸軍司令官がクーデターを起こす。
それを守ろうとする首都警備司令官との攻防がスリリングに描かれる。
どちらが正義でどちらが悪かはいうまでもない。
しかし、悪からすれば自分たちが正義。

これがフィクションなら最後は正義が勝利しハッピーエンドという流れ。
事実は簡単ではない。
理想通り進むことは少ない。
正しさが通用しないのが現実なのかもしれない。
それを観るだけでも十分な価値はあるし、歴史を学ぶことは可能。

もう一つ僕が感じたのはリーダーの在り方。
リーダーの判断やリーダーシップの発揮の仕方で勝負の明暗は分かれる。
そしていつも邪魔するのは自己保身に走るリーダー。
大局的な見方はできず、自分の立場や権力を中心に判断を下す。
ヒエラルキーがある以上、従わざるを得ない。

そんな点ではクーデターを起こした司令官チョン・ドゥグァンに軍配が上がる。
独裁的だが人の掌握術には長け、いざという時には迷わず突き進む。
その存在感に圧倒される。

役者は誰かと思っていたらファン・ジョンミン。
一昨年「人質 韓国トップスター誘拐事件」「ただ悪より救いたまえ」を鑑賞したが、
同じ俳優とは思えない。
役作りに要した時間は相当で、実在する本人も相当研究したのだろう。
正義の味方が正統派すぎて、余計にそんなことを感じたのかもしれない。

本作は韓国では1300万人以上の観客動員を記録した大ヒット作という。
4人に1人は観たというから相当なもの。
本作から反面教師的に学ぶ若者が多いと喜ばしい。
それは日本でも同じだけど。

映画「ブルーピリオド」

好きなものに出会うことができ、それに向かってひたすら努力を繰り返す。
そんな生き方ができるのはどれだけシアワセか。
苦労や苦悩、挫折や落胆も伴うが、それを上回る情熱で乗り越えていく。

その姿は清々しく、いい歳のオッサンも純粋に熱くなり応援したくなる。
こんな青春を送ることができるのなら、もう一度、高校生に戻りたい。
とモヤモヤの高校時代を思い出してしまった。

主人公矢口八虎が夢中となる美術に出会うのは偶然だ。
たまたま見た絵に感動し興味を持ち始める。
まさにクランボルツの計画的偶発性理論。
「偶然の出会いは人のキャリアに大きな影響を及ぼし、かつ望ましいことである」
といえる。

八虎は好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心をぐるぐる回す。
楽観性は少ないが、ひとつでも欠けたら彼の人生はまた大きく変わっていたに違いない。
特に持続性と冒険心は凄まじい。
もちろんフィクションなので、なんとでもなる世界。

しかし、本作を観て勇気づけられた人は多いんじゃないのかな。
最近、熱さがなくなっている自分に渇を入れられた感じ。
この歳でそんな熱さは不要だろうけど。

僕も絵を見るのは好きだ。
ちょくちょく美術館にも出掛ける。
ただ「へ~」と感心しても、心が揺さぶられることはない。
感受性が足りなさだが、繰り返し繰り返し見ることで鍛えられるとも思っている。
まだ、量が足りないということ。
もっと経験しないと力が備わることはない。
ストーリーとは関係ない点でそんなことを感じた。

本作は高校2年生の八虎が東京藝術大学を受験するまでの1年半を描く。
東京藝大の受験があんなふうに行われるとは知らなかった。
合格率が200倍ということも・・・。

そこに向かって描き続ける受験生は映画の通りなんだろう。
芸大に進んでも食えないといわれるが、
ひとつの分野にあれだけ集中し努力し続けられるのなら、その分野でなくても食っていける。
社会ニーズは間違いなく存在する。

石田ひかり演じる母親の気持ちも理解できるが、
そこは安心してほしいと外野からでも言いたくなる。
お互いに自分の想いを伝えることは大切なわけね。

矢虎を演じた眞栄田郷敦の派手さのない演技もよかった。
喜怒哀楽もあれくらいの方がリアル。
先生役の薬師丸ひろ子も軽さの中の重い言葉も沁みた。

青春映画とか、漫画が原作とか、避けがちなジャンルだが反省。
本作を観て先入観は邪魔だとつくづく感じた。
これも偶然の出会いだね。

コロナ禍と出会い直す 不要不急の人類学ノート

「この本には僕が感じていたことが全部書いてあります。」
と紹介されたのが本書。
懇意にする元経営者が紹介してくれた。
その方は今はフリーランス。

東京で5店舗ほどレストランを経営していたが、昨年に事業を断念された。
彼の考え方や生き方を見る限り見習う点が多い優秀な方。
順調に伸びていた事業もコロナの影響で売上がなくなり、
いろんな策を講じてきたが、結果的には会社を閉じることになった。

言葉には出せない悔しい思いは相当だろう。
同じような経験をされている方は多い。
うちの会社もコロナの影響は大きく受けた。
会社を潰すことはないが、業績は悪化し大赤字も経験。
リーマンショックとは異なる辛さを味わうことにもなった。
自分を犠牲者というつもりはないが、
コロナ禍の社会的対応はいかがかと思う点も多かった。

そんな点でも本書には共感。
紹介してくれた方と同じ思い。

どんな表現が正しいかは分からないが、コロナの対応に関しては僕も加害者の一人かもしれない。
自分かコロナに罹ったという低次元の話ではない。
同調圧力に屈したというか、世の流れにそのまま従ったという点での加害者。

著者のいう「和をもって極端となす」というのが適切な表現。
パニックを鎮静化させるために極端な対策がダラダラと行われた事実。
それに対し疑問を持ちながらも反発する行動は取らなかった。

もちろん会社を守る側として世間から非難を浴びる行動は取らない。
しかし、勇気がないせいで流された。
地味に地道に続けてきた結果、レベル以上の回復もしたので全否定はしないが反省点は多い。
僕の寿命が短くなったのも事実。

今、思うと無責任の集団の力が責任ある者を潰した。
そんなことさえ感じる。
事業を守る、人を守る。
想いのある責任感の強い人がなんとなく正義をかざす無責任な人に叩かれたような・・・。

また、本書で指摘しているのが「気の緩み」。
気の緩みがコロナ感染症を増大させたというは、本当かという疑問。
そもそも「気の緩み」とは何か。

県を跨いで行動することが気の緩みなのか、
たまたまマスクをしていなかったら気の緩みとしてバッシングを受けるのか。
人類学者らしい視点で指摘しその行動を分析されている。

そして、名誉心と虚栄心という言葉で上手くまとめられる。
名誉心を装った虚栄心が生み出す言葉がSNSの時代に大きく影響したと。
なるほど、そんな言葉に僕も少なからず影響を受けていたわけだ。
反省・・・。

少し前に尾身先生の書籍も読んだ。

その苦労も十分理解はできる。

感染症拡大のケースは今後も考えられるだろう。
その時に自分の頭でどう考えることができるか。
今回のコロナをケーススタディとして捉えられるといい。
実際はイヤだけどね。

夏休みは韓国だった

今年の夏季休暇は9連休。
ほとんど予定がなく、かなりヒマな休暇だった。
あまりの暑さに遠出する気にもなれず。
その分、映画館に通えばよかったが、観たい作品が少ない。

そんな状況なので、思い切って韓国へ。
旅行したわけではなく、集中的に韓国映画。
「韓国映画から見る、激動の韓国近現代史」で紹介され、
気になる作品をAmazonプライムで立て続けに観た。
本書に関しては改めてブログに書きたい。

一昨年あたりから韓国映画を観る機会が増えた。
優秀な作品は多く、切り口は日本映画が学ぶべき。
そして多いのは実話を基にした作品。
もしくは「ファクション」と呼ばれる歴史的事実に想像力によるフィクションを加えた作品。

観た作品を時系列的に並べると韓国の歴史的背景が理解できる。
日本や北朝鮮、アメリカに対してネガティブなニュースも映画を通して納得できたり・・・。
簡単に映画を紹介していこう。

金子文子と朴烈(パクヨル)

大正時代に実在した無政府主義者朴烈と日本人女性金子文子の関係を描いた社会派ドラマ。
ほぼ実話。
舞台は関東大震災後の東京で、朝鮮人に対しての無差別な虐待を描く。
昨年観た「福田村事件」と同時期で、その酷い行為は明らか。
当時の日本と朝鮮の関係性から日本への批判が鮮明に映る。
そりゃ恨みを持つよね。

マルモイ ことばあつめ

舞台は1940年代の日本統治下の朝鮮半島。
朝鮮人の言語を強制的に日本語に変えさせた時期。
母国語を守るために全国の言葉や方言を集め辞典にするための行動を描く。
史実を基に作られたフィクション。
いわゆるファクション。

日本人から見た朝鮮人と朝鮮人から見た日本人が異なるのは当然。
日本語を強要する姿を批判的に映す。
それを天皇が押し進めたとは思わないが、日本の大義はそれ。
この作品を観れば日本に対して恨みを持たないのがおかしい。
感情的な面を除いても、当時の置かれた状況を上手く表現し、母国語の大切さを教えてくれる。
韓国映画らしいラストは社会派ドラマだけでは終わらない。

高地戦

1953年、停戦協議に入った朝鮮戦争を描く。
停戦協議は2年以上に及び、南北の境界線に立つ兵士は国に不信感を抱きながら戦い続ける。
少しでも多くの領土を奪うことを目的に戦うのだが、
韓国、北朝鮮双方の身勝手さに前線の兵士は疲弊する。
そこにアメリカの圧力が加わって・・・。
表面的にしか知らない朝鮮戦争の実態を知れた。
終盤はかなりショック。
これも実話に近いんじゃないだろうか。

タクシー運転手 約束は海を越えて

公開当初は見逃した。
こちらも実話。
1980年に起きた光州事件を描く。
恥ずかしながら僕は事件名のみで実態は知らず。
韓国史上最悪の虐殺事件と言われているが、
当時の政権が権力を振りかざした行動は日本では考えられない。
韓国の政権の闇はどこまでも続くがその象徴ともいえそう。

本作は光州事件を報道したドイツ人記者とタクシー運転手の交流を描く感動作だが、
裏側にある痛烈なメッセージを忘れてはいけない。

グエムル 漢江の怪物

舞台は2002年~2006年のソウル。
付近を流れる漢江で突如現れる怪物に娘を奪われた父親の死闘を描く。
一般的にはモンスターパニック映画のジャンル。
しかし、そこに留まらない韓国の実情が表現されている。

実話でもファクションでもないが、アメリカの意志に翻弄される姿はリアル。
監督は「パラサイト 半地下の家族」のポン・ジュノ。
韓国社会を面白おかしく、かつ痛烈な皮肉で魅せることのできる監督。

夏休みはこの5本だが、歴史を追いながら観ることで事実を知れたのは大きい。
それを堂々を撮れる韓国映画界の力強さには唸る。
(規制が激しい時代もあったようだが)
政権ネタ、外交ネタがそれだけ多いというのは辛い歴史でもあるが。

それだけ日本が平和なのか、勇気がないのか。
この違いが実力差に繋がる。

これからも韓国映画から学ぶことは増えそうだ。

映画「ボレロ 永遠の旋律」

音楽は好きだが疎い。
80年代の洋楽や邦楽はある程度の知識はあるが、
クラシックとかバレエ曲となると音楽の授業で習った程度。

曲を聴けば「あ~、あれね」とはなるが、作曲家も曲名も当てられない。
「ボレロ」もそう。
イントロを聴いただけでどんな曲かは分かるが、
作曲家も知らなければ、どんな場面で使われるのかも分からない。
映画館はいかにも音楽をやってそうな観客(勝手にそう見えただけ?)が多かった。

8月は意外と観たい映画が少ない。
子供向けや超娯楽作が多く、時間がある割には映画館に足が向かない。
そんな中で気持ちが動いたのが本作。
最近、フランス映画を観る機会が増えたが、本作もらしさを感じさせる。
凝った衣装を見るだけでもその気にさせる。

舞台は1920年代のパリ。
名曲といわれる「ボレロ」を作曲したモーリス・ラヴェルの生涯を描く。
「ボレロ」の誕生秘話的な要素が強いが、華やかな世界の裏側にある苦悩が中心。

モーリス・ラヴェルだけなのか、当時のフランス人がそうなのか、とてもお洒落。
どんな場所でもネクタイを締め、指揮するにも靴が気に入らなければ行動しない。
女性と戯れる時も服は脱がない。

温暖化が進む現代(ちょっと極端な例か)ではかなり厳しい服装。
細部までこだわる姿が創造力豊かな才能のようにも思える。
と同時に、何かに取りつかれたような拘りに苦しさを感じる。

ノー天気な性格では芸術家にはなれない。
ストイックであり禁欲であり完璧主義じゃないと素晴らしい音楽は生み出せない。
苦しんでいるような一生のように思えるが、彼には普通の生活。
やはり僕には無縁の世界(笑)。

ラヴェルを取り囲む環境を眺めると当時の音楽界や社交界がよく分かる。
どう評価されるか、どう表現するか、自己矛盾と戦うか、
ひとつの作品が一人の人生を左右する。

当時の最大で贅沢な娯楽がこの分野だといえるのだろう。
時には自分が知らない世界を見ることは必要。
音楽の素晴らしさもそうだが、一人の歴史を学ばせてもらった。

今も頭の中にボレロが流れている。

映画「ツイスターズ」

いい意味で裏切られた。
てっきりパニック映画と思っていたが、完全なヒーロー物。
それも強靭な肉体を持つ戦う戦士ではなく、
気象学者の女性が巨大な竜巻に向かっていくヒーロー物。

荒れ狂う竜巻がアメリカ全土を襲い、
そこから非難する人々を描く映画と思っていたが大きく異なった。
実際は竜巻から非難する人を描いているが、それは竜巻の恐ろしさを示す。
与える被害も甚大。

イメージは間違いないが、そのために予習はしなくて正解。
意外な展開にワクワクし、何も知らない方が数倍楽しめる。
本作を観る人は予備知識なしに映画館へ行った方がいい。

そういってしまうとブログで何を書けばいいのか。
う~ん、困ったな・・・。

アメリカでは1年間あたり平均で54.6人が竜巻の犠牲に合うという。
描かれる世界は大袈裟ではなく、深刻な環境問題。
竜巻を打ち消すための対策があるのも事実だろう。
あんな感じで対応しているかは不明だが、
瞬く間に襲い掛かる竜巻を指をくわえ見ているわけにはいかない。
その奮闘ぶりは命懸け。
迫力あるシーンが続く。

僕は本作を観て何となく懐かしさを感じた。
最新のSFX技術を駆使し舞台も現代。
あまり懐かしさを感じさせる要素はないが、
80年代の盛り上がっていたハリウッド作品を思わせる。

気象学者ケイトの生き様や彼女に対して
YouTuberのタイラーや竜巻リサーチ会社のハピら男連中の絡み方が正統派すぎる。
その見せ方が心地いい。
ほのかに恋愛を感じさせるくすぐったさにも惹きつけられる。

それは主役ケイトを演じるデイジー・エドガー=ジョーンズの魅力。
2年前の「ザリガニの鳴くところ」を観た時に今後、彼女に注目と書いたが、まさにその通り。
こんなチャーミングな、それも動き回れる気象学者がいたら、クラッとくる。
彼女の一挙手一投足を観に行くだけでも映画館に足を運ぶ価値はある。

どうしても夏休み期間は子供向けの作品が中心。
観たい作品が少ないのも事実。
そんな中で、大人も楽しめる夏休みらしい作品。
僕は一人で観たが、誰かと一緒に行っても満足度は高い。

ほぼネタを明かすことなくブログを書き終えて良かった(笑)。

映画「このろくでもない世界で」

止めておこうかと思いながらも観てしまった。
救いようの世界を見ても自分にプラスになることはない。
気持ちが塞ぐのは観なくても分かっている。

しかし、それを止められない自分がいた。
犯罪組織に巻き込まれ堕ちていく若者を見るのは辛い。
それは日本でも韓国でも同じ。
日本だったら白石和彌監督がどうしようもない社会を描く。
いや、北野武監督か。

暴力や犯罪でのし上がる姿は万国共通。
それには生まれ育った環境や深刻な家庭関係が影響する。
どんな国でもろくでなしの親の存在が子供の将来を危うくする。
今年観た代表的な作品でいえば「あんのこと」
ろくでなしが子供を不幸にする。

本作も向かう先は異なれど同じだ。
犯罪に手を染める18歳のヨンギュも犠牲者といえよう。
気づいた時にはもう抜け出せない状況。
ガラスに写った血だらけの自分の姿に絶望を感じた。

知ってか知らずか手を差し伸べる兄貴分のチゴン。
そんな地元の犯罪組織のリーダーにヨンギュが頼るのは必然。
このあたりがピリピリとした雰囲気を醸し出し闇の世界へ誘う。

レビューを読むと激しい暴力をウリとする韓国ノワールと表現されるが、僕からすれば人間ドラマ。
底辺から這い上がるとする男たちのやるせない生き様を暴力が代弁している。
「仕方がない」というセリフが頻繁に登場するのが実社会の証明。
今の韓国を実情を上手く表しているのかもしれない。

そう思うと韓国映画の幅広さには改めて感服。
主役はヨンギュ役のホン・サビンとチゴン役のソン・ジュンギ。
チゴンが地元の犯罪組織のリーダーとして周りを仕切っているが、
感情をほとんど出さず淡々と仕事を進めていく。

その姿がとてもクール。
初めてソン・ジュンギという俳優を知ったが、日本でもかなり人気があるのか?
かなりどぎつい作品だが若い女性の一人客が目立った。
多分、彼目当て。
こんな作品を観て、精神的苦痛を感じないだろうか。
とくだらないことを思ってしまった。

このような世界はどんな国でも考えられる。
犠牲となった若者は闇から抜け出せるのか。
ラストシーンは人や国によって解釈は異なるだろうね。
抜け出せることを期待したい。
僕は・・・。

組織の未来は「従業員体験」で変わる

「組織の未来はエンゲージメントで決まる」の続編と呼ぶべき一冊。
もう6年も経過しているんだ・・・。

著者の一人松林さんとはかなり長いお付き合い。
グロービスに通っていた時期から含めると18年ほど。
社長時代はずっとサポートしてもらったし、
今も月1回、別のプロジェクトでお世話になっている。

元々はマーケの専門家だが、最近はエンゲージメントをメインとしたオジサンになってしまった(笑)。
本書もエンゲージメントの流れを組む。
タイトルにもある「従業員体験」がエンゲージメントを高める上で重要。

会長になり「組織には口を出さない」といっても、その動向は気になる。
自社は当然ながら、社外取締役の株式会社パフも顧問先もそう。
そのためには最新の動きは知っておかなきゃいけない。
また、大学で教える身としても、若者が働くにあたって何を大切にすべきかか教える必要もある。

そんな点においては大変参考になる書籍。
本書では従業員体験を
「企業や組織に所属する従業員が、仕事や職場において得る経験や感情のこと」
と定義している。

経験は理解できるが感情もそうなのか…と思うかもしれない。
これが意外と厄介。
振り返ってみれば経験以上に感情が与える影響は大きい。
それは上司との関係性もあれば、仕事の出来不出来もいえること。

トップの立場になるといい意味で達観してしまうが、
現場レベルでは揺れ動くのが当たり前。
それをどう対応するかは重要なポイントだろう。

自分ができるから相手ができるわけではない。
自分が満足しているから相手も満足しているわけではない。
わかったつもりで何もわかっていないことは多い。
単純明快な自分たちの世代と今の若者は異なるのが普通。
そこから始めないと何も進めない。

「働きやすさ」と「働きがい」は異なるが、
同じように考えてしまう古い価値観の持ち主も多いだろう。
古屋さんの「ゆるい職場」を思い出してしまった。

スピルオーバー効果とクロスオーバー効果という言葉は初めて知ったが、確かに納得。
組織人としてだけでなく家庭人としても押さえておく必要はある。
健全な組織体を作るのは健全な家庭を作ることにも繋がる(笑)。

1on1のエンプロイジャーニーマップの解説はとても分かりやすい。
いろんなパターンをイメージするだけでも効果は見える。
1on1の実施が目的化するケースが多い現状を見直すにもいい機会。

なんと本書のあとがきには僕の名前も記載されている。

ボーっとしてただけなので何を協力したかは定かでないが、
ちょっとはお役に立てたのかな・・・。

少しでも多くの方に読んでもらいたい。
特に中小企業の経営者や幹部は学ぶ点は多いと思う。

映画「流麻溝十五号」

僕らは近隣国の歴史を知らない。
韓国については精力的に制作される映画を通して学ぶ点はあるが、
台湾は知らないことが多い。

蒋介石が中国共産党との争い敗れ、
台湾で政府を樹立したという教科書に載る当たり前のことくらい。
何となく平和なんじゃないの?という短絡的な発想自体、無知すぎる。

やはり映画を通して歴史を学ぶことは重要。
自ら突っ込んで見に行かないと知らないままで終わってしまう。

本作の舞台は政治的弾圧が続く1953年の台湾。
台湾国民政府による恐怖政治下で戒厳令が敷かれていた「白色テロ」時代。
情けないが「白色テロ」なんて言葉も知らなかった。

自由な思想は認められず、罪を課せられた者が思想改造と教育のために強制的に島に送り込まれた。
その島は日本統治時代は火焼島と呼ばれ、戦後に緑島に改名された。
そんな事実も全く知らず・・・。
う~む、困ったものですね。

本作では女性犯罪者ばかりが収監された施設での日常を描く。
1953年の台湾は日本の戦時中をイメージさせる。
政治的弾圧が当然のように行われ、反発する者や認めない者に対しては暴力が横行。
犠牲になるのは高校生の女性。
思想らしい思想があるわけではなく、言われるがまま描いた絵が弾圧の対象になってしまう。

本人の言い分が認められることはない。
とても恐ろしい世界。
蒋介石が目指す世界と異なれば、ことごとく叩かれる。

国のリーダーは一歩間違えれば危うい存在。
それは現在でも同じ。
自分勝手な正論が多くの人を傷つける。

描かれる世界を理解しようとするなら時代背景を予習した方がいい。
字幕はカッコ書きとそうでないものが表示。
最初は何のことか理解できなかったが台湾語と北京語の違い。
そこに日本語が加わる。

主人公の女子高生、正義感の強い看護婦らが状況に応じて言葉を使い分ける。
どの言葉を重きに置くかで立場が分かるわけだが、そこに行きつくには時間を要した。
初めから理解していたら、もっと深く観ることができた。
気軽な気持ちで鑑賞したことをちょっと後悔。

本作は実話をベースに制作された。
タイトルでもある「流麻溝十五号」は収容された場所の住所だという。
台湾人はこれをどこまで知っているのか。
また、国内ではどれだけ話題になった作品なのか。

日本での公開も意味があることなのだろう。
面白い作品とは言い難いが観る価値はあるだろう。