最近、海外作品は実話をベースにした映画を観ることが多い。
本作もそう。
「2度目のはなればなれ」のような気持ちが温まる作品ならいいが、そんな作品ばかりじゃない。
できれば目を背けたくなる作品も存在する。
むしろ辛い事実をこんな作品を通して理解するのが必要だったり。
15年前に観た坂本順治監督の「闇の子供たち」は衝撃的だった。
タイの裏社会で横行する人身売買などを描いた作品だが、
こんな事実があるのかと絶望的な気持ちになった。
「闇の子供たち」は実態をベースに制作されたフィクションだが、本作は違う。
ほぼ事実を描く。
その分、ショックは更に大きい。
コロンビアを中心に人身売買が行われ、性的虐待に遭う少年少女。
犠牲になった子供たちを救出する姿を描くが、
この国際性犯罪の市場規模は年間約1,500億ドルだという。
とんでもない規模。
その事実を知るだけでも居た堪れない気持ちになる。
観方を変えればヒーローものといえなくはないが、それは安易な発想。
主役の国土安全保障省の捜査官ティムはまっとうな大人として、
また親として正しい行動を取ったまでのこと。
しかし、それは命懸け。
それに成功確率は低い。
自らの命を落とす可能性の方が高い。
それでも子供を救出する意志が強い。
僕らが知らないだけで同じような実態は世界のあちこちで起きている。
多くは闇に葬られたり、社会に知らされず消えていくのではないか。
そうしないために事実を明らかにするのが、骨太な本作の役割。
映画で幸せになることも大切だが、
世の中の矛盾や信じがたい世界と向き合うのも映画の価値。
それを感じた作品だった。
本作では珍しくエンドロールであるメッセージと共にQRコードが映し出される。
映画館では必ず撮影禁止の案内が流れるが、この点は除外。
こんな画面が表示された。
これも映画の新しいカタチ。
撮影手法はB級映画を感じさせたが、れっきとした社会派ドラマ。
偶然見つけた作品だが、知らない世界を感じ取れたのはありがたい。
今週末より公開。
初めてオンライン試写会で鑑賞。
とても便利なシステムだと思うが、やはり映画館で観たい。
決して文句は言わないけどね(笑)。
原題は「The Great Escaper」。
翻訳すると「偉大なる逃亡者」。
映画を観ると理解できるが日本語タイトルとは程遠い。
このタイトルに行きつくまで相当な議論もあったのだろう。
配給会社の努力も垣間見れる。
原題も邦題も映画を観ながら解釈するが、これでいいんじゃないかな。
本作は実話をベースに描いたヒューマンドラマ。
老人ホームで暮らす年老いた夫婦のラブストーリーともいえる。
とてもチャーミングな作品だった。
主演は91歳のマイケルケインと87歳のグレンダ・ジャクソン。
グレンダ・ジャクソンはイギリスで映画公開前の2023年6月に他界。
本作が遺作となった。
調べてみると政治家としても活躍され重責も担っていたので本国では有名な方。
一番に感じたこと。
レネ役のグレンダ・ジャクソン、このお婆ちゃんがほんと可愛い。
その仕草や会話がとても愛らしく、それだけで気持ちを持っていかれる。
ネタバレしない程度にいえば、
マイケルケイン演じるバーナードが老人ホームを抜け出しひと騒動起こす。
その一連の流れが「はなればなれ」の一つだし「逃亡者」。
ある目的を達成するために「逃亡者」にとなるが、そこには生きているうちに果たしたい約束がある。
その行動も感動的だが、なんといっても2人の夫婦愛だ。
若かりし頃から老いた今まで愛情は途絶えることはない。
お互いを信じ、どんなことがあっても認め合う。
「逃亡者」のお爺ちゃんをお婆ちゃんは健気に待つ。
できればこんな夫婦でありたい。
こうして最期を迎えたいと素直に思ってしまった。
ラストシーンもジーンときた。
イギリスだろうが日本だろうがどこの国だろうが、夫婦は存在は変わらない。
僕も頑張らないと・・・。
名優マイケル・ケインは本作が引退作だという。
マイケルケインもグレンダ・ジャクソンも見事な演技。
仲のいい夫婦もそうでない夫婦も観てもらいたい。
最近、「ぼくが~」で始まる映画が多い。
この1ヶ月でも「ぼくの家族と祖国の戦争」と「ぼくのお日さま」を鑑賞。
なぜ、漢字ではなく平仮名なのか。
柔らかい雰囲気を出すためか、ただの偶然か。
僕はブログではぼくでもボクでもなく僕だけどね。
それはどうでもいいか(笑)。
本作は評価が高いことと呉美保監督作品が気になり観ることに。
エンドロールで主人公と原作者が同じ名前と知り、最後の最後で実話だと認識。
確かにフィクションにはないグッと迫るものがあった。
耳のきこえない両親と耳の聞こえる息子の愛情を描いた作品。
耳が聞こえない親から耳が聞こえる子供が生まれるのはいわゆるコーダ。
コーダといえば「コーダ あいのうた」。
素晴らしい映画だった。
その流れでいえば2年前の「ケイコ 目を澄ませて」もステキな映画。
特別な観方はしていないが、気持ちは揺り動かされる。
本作もかなり気持ちが揺れ動いた。
当事者でもその立場でもないが、親の気持ちも息子の気持ちもよく分かる。
だから辛いと感じるし、愛おしくもなる。
母親明子は両親の反対を押し切り結婚し、また反対を押し切って子供を産む。
注ぐ愛情は強いが、なんせ耳が聞こえない。
赤ちゃんが泣く声も何かに触れる音も聞こえない。
危険な状態は毎日続く。
それでも周りの協力があり、子供は育つ。
耳の聞こえる息子大は両親の愛情を理解しながらも、自分の存在にコンプレックを感じる。
そして母親に辛く当たってしまう。
幼少の頃から手話を覚え母親と接せる姿をみれば優しい息子なのは百も承知。
そんな自分が許せず、一方で親から離れたいという気持ちで東京へ。
距離を置くことで視野は広がる。
息子大は吉沢亮。
葛藤する表情も優しい目も死んだ目もよかった。
大の少年時代の子役が吉沢亮に似ていると思ったのは僕だけか。
そして母親明子役の忍足亜希子が本当に良かった。
実際、ろう者の俳優。
息子を見つめる表情が美しくも悲しくも切なくもなる。
すべては母親としての愛情表現。
何も聞こえない静かなシーンで涙が出る。
もし僕がコーダだったら、大よりも優しくできるだろうか。
もっと愚かな態度で接するかも。
うむ・・・。
ふたつの世界を生きるのは簡単じゃない。
間接的だがその世界に触れられたことを感謝したい。
実に愛らしい作品。
映画を観ながらつい微笑んでしまった。
アイスダンスの練習シーン、
カップラーメンをリズムに合わせて食べるシーン、
氷の張った湖でじゃれ合うシーン、
どれも愛らしい。
ひたむきにスケートの練習に励むことが特別ではない。
当たり前に描かれる日常だが、
光が差すスケートリンクが幻想的に見えてしまう。
映像やフレームからして16ミリで撮影したのか。
手触り感が残る映像が観る者を優しくさせる。
小さな幸せを感じながら観ることができた。
時代設定は今の時代かと思ったがそうではない。
車にカセットテープを入れる。
スマホは登場しない。
せいぜいガラケーが使われるくらい。
あるシーンのカレンダーから推測すると1990年代後半。
そんな時代設定。
今ほどLGBTQの理解はない。
それにより苦しめられるが、子供たちは純粋でひたむき。
そんなシーンを連続的に観ているうちに微笑ましくなってしまった。
そうそう、どんな作品かといえば北海道を思わせる田舎町で、
アイスダンスに取り組む男女とコーチの出会いから別れまで。
雪が積もる半年間の物語。
冬は人の気持ちも清らかにさせるのかもしれない。
スケートに取り組む3人がキラキラと輝いている。
コーチ役の池松壮亮は不思議な役者。
いつも同じ雰囲気だが、その中に役者魂を感じさせる。
まるで本物のスケート選手のよう。
自然体で上手い。
「白鍵と黒鍵の間に」ではジャズピアニストを見事に演じたが、役作りは徹底。
相当量の練習をしたのだろう。
フィギュアスケート選手を目指すさくらを演じる中西希亜良も本物のよう。
そのままオリンピックを目指してもよさそう。
きつ音の少年タクヤも日に日に成長していった。
演じる越山敬達の上手さか。
静かに流れる時間が心地よかった。
奥山大史監督の存在も初めて知った。
調べてみるとまだ28歳と若い。
先日の「ナミビアの砂漠」の山中監督も27歳。
才能ある若手監督が存在感が目立つようになってきた。
機会を与えるプロデューサーの役割も大きい。
大きな話題になるわけではない。
大ヒットするわけではない。
上映する映画館も限定的。
そんな中にステキな作品が紛れている。
そういう日本映画も大切にしていきたい。
三谷幸喜監督らしい作品だが、なぜか評価が低い。
酷評も多いので期待値を下げて映画館に足を運んだか、気にすることはなかった。
最初から最後まで笑わせてくれる面白い映画だった。
評価が低い人はどんな期待をしていたのだろうか。
確かに映画から何かを学ぶという点はない。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でファンになった人には得るものが少ない。
政権を維持するためには身内でも殺す残酷さなど鎌倉時代を生き抜くために
過酷な戦いを強いられてきた人物の凄みに感動した人には物足りないのかも。
登場人物は軽い。
刑事が複数関わっている割には対応が甘い。
セスナであんなことができるわけがない。
そう思うだろう。
そんなことはどうでもいい。
三谷監督は全て分かった上で作っているはず。
楽しむ点はそんなところではない。
ほぼ一つの部屋で繰り広げられる展開を楽しめばいい。
これは内のこと。
長澤まさみ演じるスオミの変幻自在の人物像は外のこと。
内と外で翻弄される男共の自己主張を無責任に眺めればいい。
密室劇ではあるが映画としてのスケールも感じる。
アッと驚くような奇想天外な展開ではないが小気味いい。
この範囲に留めておくのが平和。
それで十分。
時代を映し出す社会性も人間の本性をあぶり出す醜さもない。
映画を観終わった後に考えさせられることもない。
僕は重厚で暗い作品に惹かれることが多いが、本作のような軽快な作品もいい。
ストレス発散には持ってこいだ。
本作では出演する役者が自ら楽しんでいるように思える。
もしくは三谷監督に好きなように使われている。
それも喜びながら使われている。
「鎌倉殿の13人」の流れでいえば坂東彌十郎、宮澤エマ、瀬戸康史がいい味を出していた。
小林隆や梶原善らの常連組のようにこれから重宝されるのか。
そして「鎌倉殿の13人」ではナレーターだった長澤まさみ。
やはり彼女の魅力。
僕は西島秀俊の妻の時のスオミかな(笑)。
ヘルシンキは頭に叩き込まれたね。
ヘルシンキはそんなにいいのだろうか?
話題になっている自主制作映画。
単館で公開された作品がSNSで拡散し徐々に全国に広がったという。
6年前の「カメラを止めるな!」と同じような現象か。
一世を風靡した「カメ止め」はもう6年も経つんだ。
主役を演じた濱津隆之は「キングダム」でも頑張ってますね。
最近でいえば昨年の「リバー、流れないでよ」か。
これも面白い作品だった。
共通するのは低予算映画であること。
有名な俳優が出演していないこと。
映画がいかにアイデア勝負かは本作が教えてくれる。
自分たちの作りたい作品を想いを込めて作る。
情熱は伝わる。
それだけでも感動する。
ストーリーは単純。
幕末の会津藩士が落雷により気絶し、気がついたらなぜか現代の時代劇撮影所。
140年後の世界に愕然としながら「斬られ役」として活躍する姿を描く。
当たり前だが殺陣は一流。
本当の姿を周りに悟られないように過ごすが、ある時、とんでもないことが起きる。
ネタバレしないように解説すればそんなドラマ。
このあたりは映画情報サイトにも書かれているし・・・。
「カメ止め」までの奇抜さはないが、なるほど!と頷きながら楽しめる。
個人的にはこんな日本映画は大切にしたいし、
きっと生活も苦しいだろうスタッフや役者陣も応援したい。
出資するわけじゃないけど・・・。
安田淳一監督は初めて知ったが、これまでも自主映画を手掛けている。
脚本、撮影、編集となんでもござれ。
気になったのはヒロイン役の沙倉ゆうの。
こちらも初めて知る女優。
とびきり美人ではないがチャーミング。
30歳くらいの女優さんかと調べてみると、かなりキャリアはありそう。
失礼しました。
安田監督の常連で本作では助監督も務めている。
本作の役と同じということね。
もっとい映画やドラマで活躍してもいいと思うが、志向が異なるのかな。
インスタはフォローした(笑)。
そして感じるのは時代劇へのリスペクト。
確かに時代劇の作品は限られる。
映画はともかくTVではあまり観られない。
昔は「銭形平次」や「遠山の金さん」「必殺仕事人」もあったが、今はNHKが頑張るくらいか。
時代劇は日本が誇るアクション映画だと思うが、僕もあまり観ていない。
岡田准一にもっと頑張ってもらわなきゃいかんね。
その前に真田広之が盛り上げてくれたか。
「SHOGUN 将軍」も観なきゃ・・・。
本作はロングランでじわじわと観客を増やすだろう。
気づいた時には次回作の制作費くらい稼いでくれると嬉しい。
応援も含め多くの人に観てもらいたい。
NHKスペシャルで放送された作品の映画化。
TVドラマと映画とは一体どこが違うのか。
重箱の隅を突くよう見方はしない。
よほどの訴求力もあったため映画化されたと期待する。
日本でも海外でも戦争を描く映画は多い。
僕も毎年必ず観ている。
第二次世界大戦が舞台の作品は「オッペンハイマー」「人間の境界」
「関心領域」「ぼくの家族と祖国の戦争」と今年だけでも4本。
最近は戦争ど真ん中の激戦ではなく周辺の人々を描く作品が多い。
その方がより悲惨さは伝わる。
本作もそう。
1939年から1945年までのラジオ放送局が舞台。
本来、事実や感動を伝えることがラジオの使命だが、
戦争によって役割は大きく変わった。
国民を鼓舞するプロパガンダがその使命。
勢いよく情報を流すことで戦意高揚を図る。
新聞などのメディアが政府の意のままに動かされたことは知っていたが、
アナウンサーも当たり前のように巻き込まれていた。
間もなく戦後80年を迎えるが、事実を知るのはかなり遅い。
僕の知識不足は否定できないが、もっと早い段階で事実を知っておくべき。
NHKの制作への意義は感じるがもっと早い段階で作られてもいい。
このジャンルをオープンにしたくないのか。
感動の裏にそんなことを感じた。
また、同じことが今後起きないとは限らない。
これからはネットが中心だが、情報操作によって正しさが失われる可能性もある。
僕らが当然のように聞き入れる日々のニュースも100%正しいといえるか。
巨大な権力を前に正義を貫けるか。
戦時中より可能性は高いが絶対とは言い切れない。
このような作品は時代ごとに公開したほうが自身への戒めになる。
元々はTVドラマなので、映画的な迫力に欠けるのは仕方ない。
韓国作品なら桁違いのスケールで訴えかけるだろう。
テーマの重要性は十分なので、描き方を拘ればもっと訴求できる。
それでも実話を伝えることは素晴らしい。
役者陣もよかった。
主役和田信賢アナウンサーを演じる森田剛がこんなに上手いとは思わなかった。
奥さん役の橋本愛の凛とした姿もよかった。
美しすぎて戦時中には合わない面もあるが。
「あんのこと」の毒親役の河井青葉は健気な母親。
180度異なる役に女優魂を感じたり・・・。
残念なのは観客数。
映画館を独占してしまった。
ローカルな映画館で時間帯も微妙だったが、これは寂しい。
日本代表のアニメ作品もいいが、このジャンルももっと観てもらいたい。
僕は一部の人からZ世代研究家という認識を持たれている。
それが正しいかはともかく人前で今の若者像を語る機会は多い。
世間一般にいわれるデジタルネイティブであるとか、
プライバシー保護の意識が高いという傾向はあるが、
結局のところ多様化していて一括りにできないというのが僕の回答。
それで研究家かと問い詰められれば、「まあ」と軽く頷くしかない。
そんなもんである。
実際にはよく分からないのが事実。
そして、本作を観て益々わからなくなった。
河合優実演じるカナは21歳。
まさにZ世代。
彼女一人をその代表にするつもりはないが、なんらかのヒントはないかと思い観ていた。
将来に楽観的でない。
なにかに情熱的になることは少ない。
が突如として熱くなる、
スマホ中心でTVは観ない。
ところどころ感じる点はあるがその程度。
男女関係も意外と濃厚そうで淡泊。
男が女々しいのは象徴的かもしれないが、他人にはクールだったり・・・。
ただ何かしらその存在を現代社会の実態として、監督は見せたかったはず。
そんな想像をする。
だからカナが中心に回る映画を製作したのだろう。
本作を通して感じたのが、自主映画っぽいということ。
いつの時代も学生らが作る作品は独特の香りがする。
本作はその延長線上にあるように感じた。
必ずしも間違ってはいない。
山中瑶子監督はまだ27歳で2017年にPFFアワードを受賞。
僕の学生時代はそんな連中がゴロゴロしていたが、
まだそんなキャリアが存在するのが喜ばしい。
独創的な演出が海外で評価されることも多い。
本作もそんな香りがする作品。
同時にかなりの想像力を持たないと理解できない。
これはどんな意味?と思うシーンはいくつも見られ、自分では解を見いだせなかった。
タイトルとカナのよく見るスマホとの関連性は強いし、
そのまったりとした風景が監督の強調したい点だろう。
きっと評価は分かれる。
共感する人もいれば、否定する人もいる。
意見を戦わせることが社会の在り方や若者群像を論じることなのかもしれない。
ワガママな若い女性が優柔不断な男共を翻弄する映画と割り切るのは勿体ない。
Z世代研究家としてどう受け止めるか。
それを考えさせてくれる作品だった。
てっきりスマホ依存の若者の実態を描いた書籍だと思っていた。
とんだ勘違い。
本書の帯には「読書史と労働史でその理由がわかる」と書かれている。
そうだよね・・・。
著者の三宅さんは1994年生まれだから、まだ若い。
子供のころから本好きで、本をたくさん読むために就職したが、
忙しくてその時間が無くなった。
時間があっても疲れもあり、なんとなくスマホを手に取りSNSやYouTubeも見てしまう。
そんな時間がイヤで会社を辞めたという。
僕も夜に本を読もうと思いながら、スマホに流れることは多い。
圧倒的にラクな選択。
きっとそんな人は多く、気づいた時にはスマホ依存症になるのかもしれない。
本書ではそんな書籍とスマホの関係性を明かすのではなく、
労働と読書との関係性を時代ごとに追う。
当初、思っていた書籍と違ったが、新たな発見が多かった。
これは今月から始まる大学の授業でも使えそう。
働く価値観も理解できる面白いネタじゃないかな。
日本人の現代の労働環境は明治時代から始まった。
当時から読書の習慣はあったが、目的は修養のため。
読書の位置もエリートの教養だという。
それが大正から昭和となり、高度経済成長の時代を迎える。
中産階級が誕生し、読書は教養を身につけるための手段となった。
それがバブル期は会社研修の要素が強くなり、今は情報収集の手段。
実際はもっと細かい背景や立ち位置はあるが、ざっくりいうとこんな感じ。
1970年代にサラリーマンが司馬遼太郎を愛読したのも時代的背景。
「歴史という教養を学ぶことで、ビジネスマンとしても人間としても、
優れた存在にのし上がることができる」感覚があったようだ。
僕も昭和的感覚が強いので同じかもしれない(笑)。
それは間違っていないと思うが、現代では立ち位置が変わる。
読書は情報でそれもノイズ。
スマホのように興味のある情報だけならノイズにはならないが、
読書には興味のない不必要な情報が入ってくる。
個人的にそれは大切だと思うが、今ではノイズ。
自分と関係がない情報はノイズというのだ。
なるほど!と感心したが、それでいいのか・・・と思ってしまう。
それは著者も同じで、そのための解決策を提示する。
また、働きながら本を読むコツを教えてくれる。
読書家にとっては当たり前だが、あまり本を読まない人には新鮮だったり。
本書もそうだが、普段読まないジャンルに手を出すことが大切。
それを一番教えてもらったのかな。
極端に描いているが、どこの家庭にも潜んでいる問題かもしれない。
問題をどう捉えるのかは難しい。
夫の不倫に対しての妻の不満なのか、
嫁姑の微妙な関係性なのか、
日々積もり積もったストレスなのか、
そもそも社会の息苦しさなのか、
多方面から解釈することは可能。
どの視点で観るか、誰の立場で観るかで解は異なる。
例えば小泉孝太郎演じる夫真守の立場。
妻に申し訳ないと思いながら取る行動は理解できないわけではない。
むしろああなってしまう可能性は高い。
家庭内での態度、重ねるウソ、とんだ言い訳。
どれも許されることではない。
しかし、自分が同じ立場だったら、どうだろう。
同じ行動を取らないとはいえない。
妻の立場からすれば悪いのは100%夫だが、反対側に立てば違う解が生まれる。
そんなことを考えると身につまされる辛い映画。
僕はグッと耐えながら観ていた。
ところが隣に座っているご老人はまるでコメディ映画を観ているように笑っていた。
そんな見方もできる。
それもこれも主役桃子を演じる江口のりこの力量。
常に彼女を追っかけるカメラに惑わされるが、
(これも巧みな演出)
彼女のうわべの表情と時折見せる本音の表情。
そのコントラスト。
妙に核心を突く小言。
その真っすぐさに好感を持つのではなく、なんとなく拒否反応を示してしまう。
元上司のようにかわし方を知っていれば問題はないが、
関係性の深い間柄ではそういうわけにはいかない。
気がついた時には修復不能の状態。
自分の逃げ場や救いどころはSNSになってしまうのか。
当初は不倫相手の投稿かと思ったが、1枚の写真でそうじゃないことが分かった。
自分の本音を晒しだせるのはSNSしかなかったのかも。
それもきっと息苦しさだし、結果的にあんな行動を生んだ。
多分、これまで書いた内容ではどんな映画かは分からない。
まあ、それでいい。
自分の眼て確かめることで何が大切なのかを解いてほしい。
夫婦は所詮他人。
完全に分かり合えることないと思う。
その中でお互い認め合う努力し、不満を最小限に抑える。
それも自然体を保ちながら・・・。
それがきっと幸せということ。
本作を観ながら昨年観た「波紋」を思い出した。
これも夫婦の微妙な関係を描いていた。
そして、最も大切なこと。
「ありがとう」と感謝を口にすること。
映画は多くを教えてくれる。