これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「決算!忠臣蔵」

本作も当初、僕の鑑賞リストには入っていなかった。
予告編を観て「面白そうだけど、まあ、いいか・・・」
という程度でそれほど惹かれることはなかった。

しかし、意外と周りの評判は良く、
これまでの歴史ものとは全く異なる作風と知り観ることにした。
周りが言う通り。
歴史もののコメディと捉えるだけでなく、作り方が斬新。
人は素直でなきゃならない。

「これは映画?」
と一瞬疑ってしまうシーンの連続も大袈裟ではないはず。
NHKの歴史検証の番組を見ている感覚。

ネタバレしない程度に言っておくと、
当時のお金の価値を今の基準に合わせた見せ方は秀逸で分かりやすい。
かけそば一杯16文=480円という価格設定で時代観ギャップを拭い去ることができる。
その都度、飲み代や旅行代、修繕費などが今の価格で表示されるので、
粗っぽい使い方にはハラハラしてしまう。

そして、あり得ないシーンが表示される金額を手で隠すシーン。
これは見事。
映画を観ていない方は「なんのこっちゃ?」と思うだろうが、
ここは笑うよりもお~と唸らされる。
何気ないシーンなので、見過ごしてしまう可能性もあるけど・・・。

タイトルに「決算!」が入っているだけに、この映画の中心は金、金、金。
今までここまでリアルにお金を描いた映画があっただろうか。
会社も同じだが、常にキャッシュフローを気にしながら商いをしなければならない。

藩は会社であり、常に内部留保を気にしながら経営をする。
無駄な出張も抑えたいし、接待交際費だって気をつけなければならない。
どこの会社もそうだが、経理がしっかりしている会社は安定している。
赤字になったり、経営状態が悪くなって、
初めてお金の使い方に気をつけるのもよくあるケースじゃないだろうか。

そんな意味では身につまされる映画。
決して大石内蔵助のように湯水のように経費をつかっているわけでも、
いけない遊びをしているわけじゃないけどね(笑)。

それにしてもここで描かれる大石内蔵助はこれまでの人物像を180度変える。
優柔不断でスケベでええかっこしい。
遺族がみたら怒り心頭ではないだろうか。
最後の最後は男らしさを見せるから、許されるけど。

本作がどこまで史実かは分からない。
かなりデフォルメされているとは思うが、歴史ものって大体そうだし・・・。
たまには本来オカタイ舞台をあっけらかんとさせた作品もいい。

それにしても吉本色が強い。
これも無駄使いを許さない作品の姿勢のあらわれだろうか。

「時間革命」を読む

たまにホリエモンを読むと刺激になる。
全く異なる生き方、考え方の持ち主。
時々それが羨ましくなる。

本書もそんなことを感じさせる1冊。
生き方、考え方が異なると言ったが、本書の主題である時間の考え方は比較的近いと言っていい。
僕は単なる貧乏性なので本質的には異なるかもしれないが、
時間を無駄にしたくないという想いは同じ。

このブログでも書いていることではあるが、電車の中でボーッとしている時間が耐えられない。
寝ている人を見ると勿体なく思ってしまう。
酔っ払って寝過ごすこともあるけどね(笑)。

ホリエモンの言葉でいえば「すきま時間」は「黄金の時間」となるだろう。
ちょっとした5分、10分は誰しも持っているもの。
「すきま時間」を積み足せば相当有益にもなる。

つまらない会議でスマホをいじることも同じようだ。
会議を仕切る者からすれば辛いことだが、それだけ無駄な時間を思わせているということ。
ホリエモンはそれを勧めているし・・・。
あまり叱ることができないね(笑)。

それでもホリエモンは一日7~8時間は睡眠をとる。
僕なんかはせいぜい6時間だから、まだまだ時間の使い方がヘタ。
その分、昼間眠くなって、極端に生産性が低くなることもあるし。
効率の悪さが時間の使い方の悪い証。

もしかしたら電車で寝ている人の方が他での集中力が高く生産性も高いのかもしれない。
結局は独りよがりなのかな。
電車の10分を寝た方が時間の使い方が結果として上手かったり・・・。
そう思うとやはり難しい。

全ての人に平等に与えられているのが時間。
どんなお金持ちでも1日は24時間。
もちろん時間をお金で買う行為はある。
グリーン車も快適な時間という点では時間をお金で買っているといえる。

僕の時間の捉え方はその程度のもの。
ホリエモンのように合理的にはいかない。
悩みもあるし確証もなく継続もする。
それを打ち消す割り切った生き方はできない。

だからこそ大いに刺激になる。
そして、学ぶべきは学ぶ。

「ひとまず」「いったん」「とりあえず」何でもやってみる。
その姿勢が大事だ。
年齢を重ねるとどうしても忘れがちだが、その姿勢は忘れてはいけない。

友人が勧めていた書籍を「ひとまず」「いったん」「とりあえず」読んでみてよかった(笑)。

キミはシネマコンシェルジュになれるのか

少し前に電車の中吊り広告を見ているとBRUTUSの特集が紹介されていた。
「映画特集 いま観る理由」
たまにはこんな雑誌も買って知識を蓄えなければならない。

この特集では31の「いま観る理由」が並べられ、そのポイントについて語られている。
例えば、「スカイウォーカー家の42年が終わるから。」と題して、
スター・ウォーズの紹介からそのルーツとなった昔のSF作品が取り上げられている。

映画通しか興味を示さない内容だったりするが、こんな映画との出会い方もステキなこと。
表紙を飾ったのんさんは映画監督デビューをしたんですね。
びっくり・・・。

そんな特集の中、小冊子が差し込まれ、別の特集も組まれていた。
30人のシネマコンシェルジュ名鑑。

映画評論家も含まれるが映画に精通した各分野で活躍する人が、
映画に関してのいくつかの質問と2019年ベスト作品を答えていた。

その中に僕の名前は・・・。
もちろんない。

映画コラムニストの僕が選ばれてもおかしくないと思うが、かすりもしていない。
最近はその影響力も強く評価もうなぎ上りというのに・・・笑
しかし、納得せざるを得ない。
ここに登場するシネマコンシェルジュの年間鑑賞本数は少ない人で100本ほど。
多い人だと年間500~600の映画を観ている。

僕が今年頑張ったところで、せいぜい30本。
今日現在映画館で観た数は28本。
到底シネマコンシェルジュには及ばない。
いくら優れたコラムを書いたとしてもその量には敵わないのだ。
やはり片手間の仕事じゃダメなのか(笑)。

量が足りないため、当然、情報量も不足している。
シネマコンシェルジュが選んだ今年のベスト作品は聞いたことのない映画も多い。
観たことあるのは「ジョーカー」と「新聞記者」のみ。
「ジョーカー」を挙げた人が一番多かったけど・・・。

次回、同様の特集の場合、どうしたら選ばれるだろうか。
まずは本数。
そして、自分の得意ジャンルを磨き表現し発信。
もっと注目を浴びなければならない。

来年以降の目標が一つ見つかったともいえよう。
キミはシネマコンシェルジュになれるのか。

なんだか訳の分からないブログになってしまった(笑)。

映画「ひとよ」

時代は白石和彌なのか。
先行きの見えずらい時代はこの映画監督が一番輝くのだろうか。
ここ最近の活躍は目覚ましく、僕の心が揺れ動かされる作品ばかり。

感動して幸せになるストーリーなんて一つもない。
どうしようもない生活から一歩前に進んだ程度のもの。
一歩前進的な意味からすれば幸せなのかもしれないが、
それは最悪の環境から少し抜け出しただけのこと。

平凡な生活がいかに幸せなことを教えてくれるだけ。
それだけ描かれる世界は暗くて重い。
ここ最近見た白石監督の作品はすべてそう。

映画「凪待ち」
映画「止められるか、俺たちを」
映画「孤狼の血」
映画「日本で一番悪い奴ら」

ここ最近、公開された作品もすべてそう。
数本観ていない映画はあるが、その類であるのは間違いない。
その中で年数本の作品を手掛ける。
2019年は既に3本の映画が公開されている。

昭和30年代の映画監督じゃないんだから、
これだけ精力的に動く監督もいないだろう。

そして、何故か僕は引き寄せられ観てしまう。
本作も予告編を観た段階で観ることを決めた。
先日の「マチネの終わりに」とは反対。
仮に評判が悪かったとしても観てしまっただろう。

そして、本作も見事に期待を裏切らない。
どうにもならない世界をある意味、後ろ向きに、
ある意味、若干の前向きさで生きている。

全てが犠牲者であり、それが故に誰に対しても責めきれない。
誰しもそれを理解している悲しい事実。
観ている側の方が辛くなってくる。
それを感情むき出しに描くのだから、映画は重くなる。
白石監督の得意分野なのだろう。

田中裕子さんはじめ出演する役者陣も全てはまり役。
松岡茉優さんのアバズレ感も良かった(笑)。
それにしても白石作品には音尾琢真さんが必ず出演している。
それも脇役ではあるが重要な役どころで。
欠かせないや役者さんなのかな・・・。

本作「ひとよ」は「一夜」だったり「人よ」だったり。
映画を観て、「否と世」「人世」「非豊」そんな受け取り方もできる。
単なる当て字だけど(笑)。

白石作品も観ると必ず思う。
まっとうな生き方をしようと・・・。
それを教えてくれる数少ない映画監督。

それも貴重。
観るべき一本ですね。

映画「マチネの終わりに」

当初、本作は僕の鑑賞リストには入っていなかった。
福山雅治さんも石田ゆり子もどちらかといえば好きな役者。
それでもその気にならなかったのは、予告編で観たセリフのくささ。
福山氏の吐くセリフがいかにもチープな恋愛ものに感じてしまったのだ。

なんだ、中年アイドルの恋愛映画かと・・・。
しかし、何人もの知り合いが「観るべき作品」と推していたので観ることにした。

中年のアイドル映画と言ってしまうには勿体ない作品。
僕が10代後半くらいに憧れた欧州の恋愛映画に通ずるものを感じた。
パリやニューヨークの風景がそんな過去にオーバーラップさせていたのだろう。
それだけでも大人のラブストーリー。

50歳を超えると10代、20代を対象とした青春映画には何の魅力も感じない。
ワチャワチャとうるさい映画としか捉えられない。
そこが大人の映画との差。

映画というフィルターがくさいはずのセリフを詩のように奏で文学的になる。
それを福山や石田が発するから観る側はフラフラする。
(ここからは呼び捨て・・・)
言い方を変えればうっとりしてしまうのだ。

そこに福山が奏でるギターや石田の感情を押し殺した表情が僕の気持ちを加速させる。
あり得そうにない大人のラブストーリーに知らず知らずのうちに巻き込まれていく。
気がつくと憧憬と自身の曖昧さが映画の中でシンクロする。
本来愚かであるはずの行動が美しく映る。

そして僕もこの映画を推した人たち同様に魅力を語ってしまう。
そんな世界をみんな求めているわけね・・・。

本作のキーとなるのがマネージャー役の桜井ユキさん。
彼女は悪者として捉えるべきだが、僕は彼女の言動に揺れ動かされる。
つい味方をしてしまう。
きっとそんなおバカな人も多いだろう。

本作をハッピーエンドとするか、しないかは観る者次第。
その終わり方も賛否両論あるだろう。
僕の答えはこうだ。
ハッピーエンドとしてこの映画は正解。

このブログを読み返すと酔って書いたことがよく分かる(笑)。

たまには気持ちいい酔いにさせる恋愛映画もいいですね。

小説「トヨトミの野望」

ビジネス小説は池井戸潤氏か真山仁氏くらいしか読まない。
そもそも小説を読む機会が少ないが、何となく気になり手に取った本書。
いや、何となくではないな。
以前からその題材が気になっており、あえて手に取った本書。
本当は手に取ったわけじゃなくて、ダウンロードしたんだけど。

この愛知県でビジネスを行う者としては気になる書籍であるのは間違いない。
描かれているのはどう見てもトヨタ自動車。
東海地区で仕事をする者としてトヨタ自動車の存在は大きく、
この地区、いや日本を代表する尊敬すべき企業。

悪者として扱う人はほとんどいないはず。
当然、僕もそう。
間接的ではあるがうちが恩恵を受けているのは事実。
地域への貢献度も高いからね・・・。

だからこそ本書の描き方が気になった。
登場人物もトヨタ自動車の歴代の代表を思い浮かべながら読み進めた。
ネットでの感想や投稿を読むとかなり特定されているし、辛辣。

武田剛平=奥田碩氏、御子柴宏=張富士夫氏、豊臣統一=豊田章男氏。
誰しもが想像してしまうだろう。
そして、裏ではこんな事件が起きていたんだ…と勝手に決めつけたり。
あり得ない話だとも思うし。
事実は藪の中で、それを信じたくない面もあるし。

ただ馴染みの場所が頻繁に出るので身近に感じたのも事実。
飲み歩く場所は錦であったり、丸の内であったり。
僕の縄張りじゃないか(笑)。

そして、語られる時代もまさに僕が歩んでいた時期。
リーマンショック前後は今でも鮮明に覚えており、本書のストーリーは当時をオーバーラップさせる。
だから余計に厄介だし、頭の中で妄想が勝手に膨らんでいく。

そんな意味ではこれまで読んだビジネス小説とは一線を画す内容。
ここに描かれているストーリーの真偽はともかく面白く読まさせてもらった。
たまにはノンフィクションを感じさせるフィクションを読んでみるのもいい。

本当にクレームがついたのかな?

映画「最高の人生の見つけ方」

う~ん、なんだろうか。

メチャクチャ優秀作品とは言い難い。
歴史に残る作品でもない。
きっと2019年日本映画ベストテンにも選ばれないだろう。

しかし、とても愛らしくステキでホロっとくるいい映画。
全編通してそれを感じさせてくれる作品。

深く考えさせるわけではない。
しかし、もっと考えなければとも思う。
自分の人生はどうあるべきか。
しかし、そこまで真剣でもない。

その程よさがこの作品の最大の魅力であり、自分の人生を問いながらも悩むまでには至らない。
まあまあそれでいいじゃないか。

本作は2007年に公開されたアメリカ映画が原案。
元の作品はジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが主役の人間ドラマ。
残念ながら僕は観ていない。
もし、この作品を観てからの鑑賞であれば別の感想を持ったかもしれない。
それがいいと言う方もいるだろう。

ただ僕はシンプルにこの作品のみでOK。
70歳過ぎのアイドル吉永小百合さんと
日本で一番カッコいい50代天海祐希さんとの共演だけで十分なのだ。

ある意味、ロードムービー的な要素はあるが、そこまで情緒的でない。
どちらかといえばファンタジーな世界。
それが死に向かう重さを吹き飛ばし、ワクワクした世界を演出する。

だからこそ観る者をシアワセに導く。
先行きの短い人にも希望を与えるステキな作品といえるだろう。
すみません・・・・。

それだけじゃない。
まだまだ先行きの長いはずの僕も人生を見つめ直す。
最後の最後に僕のやりたいことは何なのか?
間もなく寿命を迎えるとしてやり残したことはないか?
普段はいつ死んでもいいと思いながらも、死を宣告されたらしどろもどろするはず。
これもいい気づきといえるだろう。

そして、どうでもいいことをいくつか浮かんできた。
主役の二人は本当にスカイダイビングをやったのか。
本当にエジプトに行ったのか。
宇宙には間違いなく行っていないはずだが、宇宙服を着て喜んでいたのか。

本作は主役の二人が演技したのではなく、ただ楽しんでいるようにしか思えない。
だからこそ、一緒に笑えるし一緒に泣ける。
そう感じるとやっぱ映画っていいよね。

そして、思う。
こんなふうに死を迎えたらいいと・・・。

映画「ダークナイト」再び・・・

コミックシリーズの「バットマン」がこんな社会派映画なんだ。
と感じたのが最初に観た時の感想。

その昔、ジャックニコルソンがジョーカーを演じた「バットマン」も面白かったが、
こんなに病んではいなかった。
ましてや「スパイダーマン」なんて単純に痛快に楽しめる作品。
子供が小さい時は喜んで観ていた。

本作「ダークナイト」は子供とは観ていないが、
仮に一緒だったら怖くて逃げ出したんじゃないかな・・・。
しかし、このシリーズの中で僕は「ダークナイト」が一番好き。
「ダークナイトライジング」も良かったが、
こちらの方が惹かれる要素が多かった。

先日、「ジョーカー」を観て、もう1回観たい気持ちが沸々と湧いてきた。
「ジョーカー」から一週間も経たないうちにAmazonプライムで観てしまった。
こんな時のAmazonプライムは都合がいい。
「ダークナイト」は「ジョーカー」から20年後といったところか。
ゴッサムシティも高層ビルが立ち並び、ブルース・ウェインもすっかり大人。
会長だしね・・・。

20年の間にジョーカーはどんな人生を歩んできたのだろうか。
アンダーグラウンドな世界で非人道的な生き方をするうちに完全なジョーカーへ姿を変えてしまった。
以前は強者に対して、むしろ権力に対して卑劣な行動を起こしてきたが、
ダークナイトではもはやそれはどうでもいいこと。

相手を苛立たせ、怒りの矛先をこちらに向けさせるだけで快感を得る。
それがジョーカーの最大の喜び。
幼少時の体験からは反比例。

それはジョーカーに限ったことではなく、
世の中で何度も繰り返される無差別殺人も同様といえるだろう。
壊れていくジョーカーから壊れ切ったジョーカーへ。
それは至極まっとうなことなのかもしれない。
映画を思い返しながら恐怖を感じてしまった。

そんな中でのバットマン。
ここも自らとの闘い。
ジャーカーとは真逆に自己否定しながら生きなければならない。
そんなふうに映画を観るとヒーローものとかアクションものとかジャンルに置くことはできない。

だからダークナイトなんだけど・・・。
正義であろうと悪であろうとすべてに嫌われるし、すべてに愛される。
さほど差はない。

この2本の映画を観て、そんなことを感じてしまった。

職場の紛争学

決して対岸の火事ではない。
今までなんら問題は起きていないといって、今後、社内的なコンフリクトが起こらないとは限らない。
起きない方がいいに決まっているが、それに向けて対策を練っていく必要はあるだろう。

それは一体何か?
職場で起きるコンフリクト。
帯にはゆとり社員VS.バブル上司、上昇志向VS.専門志向、
「意識高い系」部下VS.実直上司、女性総合職VS.男性上司と表現。

6つの実態として職場のコンフリクトが描かれている。
事実に基づいた話なので読んでいても、もの凄くイメージできる。
きっとこんなことは多くの職場で発生しているだろう。

僕の立場だとどうしても上司側についてしまうが、
部下側の言い分が間違っているわけでもない。
わがままとか自分勝手と捉えられなくもないが、
彼らの言い分を聞くと必ずしも否定できるものではない。
それなりのロジックと説得力を持ち合わせている。
仕事に対しても真摯に臨んでいる。

では、なぜ、そんなことが起きるのか。
時代が違うから・・・。
間違ってはいないが、そんな単純なものではない。

年功序列も終身雇用も一般的にはもう過去のものとして認識されているだろう。
それは40代も50代も同じ。
あとギリギリ何とかやり過ごしたい方々も多いと思うが、頭では十分理解しているはずだ。

感情面に負うところは多い。
これまでも感情面の齟齬はあったのだろうが、場を読むとか、忖度するとか、
まあまあ、そこはそこは…とかでうやむやにしてきた。
それで何とかなってきたのが日本の企業文化だろう。

それが通用しなくなったのも事実。
組織が大きくなればなるほど個々人の価値観は異なる。
ダイバーシティが進めば当然。純粋培養はある意味理想だが、それでは企業の成長は期待できない。
そんな時代なんだろう。

本書では対立を生む出す3つの要素を紹介している。
1.条件の対立 
2.認知の対立 
3.感情の対立
詳しく紹介すると著者に叱られそうなので、、関心のある方は読んでもらえばいい。

この3つの対立をクリアするだけでも随分と関係性は変わるだろう。
特に感情の対立は起きやすいが、対策も練りやすいはず。

まずはトップの言動からかな(笑)。
できるだけみんなが信頼し合って働きやすい職場を作っていかねばならないのだから・・・。

映画「ホテル・ムンバイ」

先日、ブログに映画「ジョーカー」を今年を代表する一本と書いたが、それ以上かもしれない。
僕自身は「ジョーカー」以上に惹き込まれた。

今月は観る作品に恵まれている。
映画の持つパワーにまざまざとやられてしまった。

観ている作品によるだが、今年は特に洋画は秀作が多い。
僕にとっての当たり年。
邦画ファンとしては日本映画にもう少し頑張ってもらいたい。
見逃してる作品も多いけど・・・。
ガンバレ、ニッポン!!

つくづく僕らは歴史的事件を知らない。
それも海外の事件についてはニュースで知ってそれで終わり。
大きな関心を持つことも少ない。

本作の舞台となる2008年のインド・ムンバイ同時多発テロも
その当時、小さな関心は持ったはず。
しかし、歴史的背景や原因を確認することなく、
次から次へと起こる他の事件に話題は移っていく。
それも瞬間的に・・・。

それが日常。
何の疑問も持っていない。
しかし、映画を観ると感じる。
自分の無知を、自分の至らなさを。

ここで起きる事件は悲惨だ。
こんなことは起きてはならない。
罪のない市民、観光客が無差別にテロの餌食になっていく。

悲しくて目をそむけたくなるが、それは何の意味も持たない。
できることは反らさず正視すること。
生々しい事件を頭に叩き込むこと。

本作に登場する人物はほとんどが犠牲者。
テロの実行犯も犠牲者といえる。
映画に登場しない数少ない加害者が多くの犠牲者を生み出す世界。
それを現実と受けとめ事実を認識しなければならない。
映画はそれを教えてくれる。

実話を描く映画は多い。
そこから感動が生まれる。
演出によっては、お涙頂戴ともなるし、チープに映ることもある。

その点でも本作は優れている。
映画の冒頭から張り詰めた緊張感が続く。
それが途切れることはない。
時折、さらに緊張感を生むこともある。

自分がホテルのスタッフだったらどうする?
自分が人質だったらどうする?
どこまで冷静でいられるか・・・。
そんなことも考えてしまう。

映画の持つパワーは凄い。
この類の作品は作られ続けなければならないし、観続けなければならない。
映画は人間として大切なことも教えてくれる。