これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「本を読む 映画を観る」の記事一覧:

映画「運び屋」

クリントイーストウッドはどこまで進化を続けるのか?。
それは最新の映像技術を駆使することでも、斬新な演出をすることでもない。
本作は実にオーソドックスな作品。

でも、僕は唸ってしまう。
クリントイーストウッドの進化に唸ってしまうのだ。

これをネタバレをせずに語れという方が難しい。
僕はこの作品をどう語ればいいのか・・・。
そんなくだらない悩みをこの監督は僕にもたらせてくる。
だったら観なければいいのに、僕は公開初日の午前中に鑑賞した。

映画の主役(本人)は90歳の役。
実際のクリントイーストウッドは88歳。
実話を基に作られた映画だが、
これは自分自身に対しての自戒を込めた作品ではないだろうか。

そう考えるのは僕だけかもしれないが、そんなふうに思ってしまった。
理由のひとつが自分も本作の主役であるアール・ストーンと
同じような人生を歩みそうな気がするからだ。
自分勝手な行動を反省しつつも、外面を気にして見栄を張り、
周りに利用されながらもうまく利用していく。
駆け引きも巧みだ。

老いだけが自分の無力さに繋がっていく。
ブザマな愛情表現も切なく笑いも誘う。
僕はなぜか自分をオーバーラップさせながら映画と一体化していった。

決して許されることではない。
犯罪であるのも事実。
そして、ただのワガママ爺の話だ。

しかし、誰もがこのアールの存在に惹き込まれ、
愛すべき爺さんに頷いて映画を終えることになる。
これは全て計算されているのであろうか。
やはりクリントイーストウッドは進化しているのだ。

昨年の「15時17分、パリ行き」
2年前の「ハドソン川の奇跡」
4年前の「アメリカン・スナイパー」
1~2年ごとに映画を撮るパワーはどこから生まれるのだろう。
次の作品は90歳になった時か・・・。

経営者にしても映画監督にしてもピークを過ぎれば下降線をたどる。
通常であれば遅くとも70代でピークを過ぎるはず。
この監督はまだピークを迎えないのか。
この先も期待してしまうのは間違っているのだろうか。

右脳思考

僕はずっと右脳に頼って生きてきた。
多分、30代半ばまでは右脳頼みの仕事や生活をしてきた。
会社での役割が増え責任が重くなってきた時に自分の説得力のなさに気づき始めた。
特に上司にはケチョンケチョンに言われたと思う。

「論理が破綻している・・・」
そんな罵声を浴びて、ようやくヤバいと思い始めた。
そこから結構勉強し始めた。
グロービスの「クリティカルシンキング」に通い、論理的に考える力を一から鍛えた。
優秀なレベルには届かないが、一応は論理的に説明をしたり、考えたりすることもできるようになった。

これで万全!と思ったが、世の中そんな単純ではない。
論理的に正しくても相手側が共感するかといえば、そうではない。
力でねじ伏せることはできてもその想いは違った。
まさに本書に書かれていることである。

また、論理的に正しくてもビジネスで成功する、売上が格段に伸びることでもなかった。
世の中そんなに甘くはないのだ。
それに気づいたからではないが、
もっと感覚を大切にしよう、もっと自由な発想を持とうとも思った。
それは間違いではないと思う。

論理的ばかりであるとつまらないし、息も詰まる。
もちろん感や勘だけではリスクがあるので、一方でその思考は必要。

右脳だけでは危険。
それでは以前の僕と変わらないということ。
ただの思いつきで喋る愚か者でしかない。

どううまく使いこなすか、使い分けるか・・・。
本書はそれを分かりやすく著してある。

やっぱり、そうなのか・・・。
僕が思っていたことはあながち間違いではない。
右脳→左脳→右脳。
この順番が正しいというわけだ。

きっとこれだけでは分からないだろう。
だから本書を読む必要もある。
結局は両方鍛えなきゃならない。

しかし、ロジカルシンキングを鍛えるための本やスクールはあっても、
感や勘を鍛えるところはあまりない。
マッピーくらいかな・・・(笑)。
となると本能の赴くままだけでなく、自分で意図的に使わねばならない。

①観察する
②感じ取る
③勘を働かせる

この3つをグルグル回さないと・・・。
これからのリーダーや経営者にはより「右脳思考」が求められる。

求められるものが多すぎて、困ってしまうな。
う~む。
右脳を鍛えるために映画でも観に行くかな・・・。

映画「グリーンブック」

この作品はアカデミー賞を受賞する前から観ようと思っていた。
作品賞を含め脚本賞、助演男優賞を受賞した作品なので、日本でも大きな話題に。
いろんな場で作品について語られているのを目にすることが多くなった。

僕はそれをできるだけ観ないようにしていたわけだが、
この状態で映画を観たとなるとただのミーハーかと思われてしまうだろう。
そこは断固として否定したい。

洋画にはそれほど詳しくはないが、その内容に気持ちが傾き、
随分前から観ようと思っていたのだ。
僕の周りでも絶賛する声も多い。
それに影響されたわけじゃないことは敢えて声を大にして言いたい。

本作をネタバレせずに語るのは難しい。
黒人ピアニストとイタリア系白人運転手という関係は明かしておこう。
実際、映画を観る人は100%知ってるはず・・・。

そもそもタイトルの「グリーンブック」という存在を知らなかった。
映画を観て初めて知った。
グリーンは緑ではなく、グリーンさんという人の名前。
黒人が安心して旅行に行けるガイドブックの存在。
それくらいのネタバレは許されるだろう。

失礼な言い方をすれば、この2人の単純な巡業の映画。
そのほとんどは車中やホテルで語られている。
何気ないシーンの連続である。

しかし、そこがたまらなく愛おしい。
言葉に表さない互いを想う気持ちや深まる友情がとても愛おしい。
黒人差別を題材にした社会派ドラマのジャンルに入るのだろうが、それもどうでもいい。
心が温かくなり、時にドキドキし、時にうるっとし、時に腹が立てばそれでいい。
シンプルに映画にのめり込み、それを楽しめばいい。
そんなことを思わせてくれる映画。
だからハッピーエンドなんだ。

そして思う。
ケンタッキー・フライド・チキンも食べたくなるし、
(誰かさんも言っていたな・・・笑)
カティサークも飲みたくなる。

カティサークって、そんな美味しいお酒だったけ?。
今度、頼んでみよ。
もちろん、ストレートで・・・。

僕は日本人で日本国内に住んでいる。
それはそれで幸せなこと。
映画の世界とは無縁。

でも、本作を観ると自分たちの限られた世界では分からないことが魅力的だとも思う。
それは舞台となる1960年代だけでなく現代もそう。
多様だからこそ実感できる幸せもある。
それを思わせてくれるのがこの作品。

今年も外国映画は素晴らしい作品が多そうだ。

「インパクトカンパニー」を読む

言い方はよくないが、書籍広告と書籍の帯にうまく騙された感じだ(笑)。
帯にはこんなことが書かれている。
「GAFAはもはや脅威ではない!」
「『小さくても輝く企業』に生まれ変わるための『たった一つの勝ちパターン』とは?」
そして書籍の中央にも
「成熟企業を再成長させる、シンプルな処方箋」。

単純で素直な性格な僕はその言葉に惹かれ、ついポチと押してしまった。
これまでどれだけ本を読んでいるというのか。
どんな本を選んできたというのか。

都会に初めて出てきた田舎者のように客引きの巧みな言葉につい連れていかれた感じだった。
こう書くと本書を全面否定しているようだが、そうではない。
僕が期待しすぎただけのことである。

やっぱりGAFAは脅威だし、たった一つの勝ちパターンなんてない。
本を読んで学ぶべきことは無限にあるが、すべての回答が書かれているわけではない。
それは幻想に過ぎない。

しかし、ついついそれを求めてしまうのは単純で素直、
いや、短絡的で思考停止なだけかもしれない。
やはり読むべき書籍は手に取り香りを嗅いで選ぶべきなんだろう。
ちょっと大袈裟に言いすぎかな(笑)。

著者の神田昌典氏のファンは多いだろう。
著作も多い。
今回僕は著書を初めて読んだことになる。
20年の集大成とも書かれている。
それは正しいことかもしれないし、そうではないかもしれない。
読み手の理解次第だ。
それは読み手である僕の力不足ともいえるだろう。
評価もそこそこ高いわけだし・・・。

ウルトラマン世代とポケモン世代の違いも面白かったし、
フィーチャーマッピングも参考になった。
PASONAの法則も使えると思う。
十分、元は取れているじゃないか(笑)。

実用書としてもっと活用すべきなんだろう。
きっと読者のターゲットはズレていないはず。
僕らのゾーンだと思うんだけど・・・。
なんとなく消化不良のブログになってしまった。
たまにはいいかな(笑)。

映画「翔んで埼玉」

よくもまあ、こんなふざけた映画を一流どころの役者が真剣に演じているもんだ・・・
というのが僕の素直な感想。
本作に出演する役者陣は豪華。
二階堂ふみ、GACKT、伊勢谷友介ら主役級も堂々とバカをやっている。

バカをやっているんじゃないな。
映画の中で自分たちの正義を貫いている。
そこは真剣そのもの。
この映画に関わることがそれだけ価値があるということか・・・。

東京都知事役の中尾彬氏はドラマ「ハゲタカ」の飯島常務を思い出してしまった。
クルミを触っているシーンなんかは
「そのリーク、握りつぶせ!」
と言っているに近かった。
マニアックすぎるか・・・。

この映画タイトルを聞いて、まず頭に浮かんだのが「なぜか埼玉」という歌。
確か中学生の頃に密かに流行っていた。
その当時、埼玉県なんて地図で見るくらいで、行ったこともなければ行きたいとも思わない土地。
どこが名所かも全く知らなかった。

今もどこか名所かは知らない。
そもそも埼玉って、行ったことあったっけ?。
いや、今もない。
通り過ぎたことぐらいあるかと思ったが、多分、通り過ぎてもいない。

千葉県はディズニーランドにも行ったし、イオン本社もお邪魔した。
そんな点では千葉の勝ちかな(笑)。
と関係ない方向に進んでいったが、映画はまさに埼玉と千葉の戦い。
そこに群馬が絡んでくる。

東海地区の人間からすれば全然イメージできない。
その優劣も分からない。
春日部のヒエラルキーも知らない。
関東地区の人から見れば、岐阜県と三重県が戦っているようなものだろう。

岐阜県で生まれ育った者としては心境は埼玉に近い。
岐阜県には海がない。
必然的に海に憧れる気持ちは分かる。
老後は沖縄に住みたいとか、旅行はやはり海側がいいと思うのは、
その育った環境が無意識に影響しているのだろう。

いかん、いかん、映画の中身に何一つ触れていない。

僕はこれでも映画は社会派ドラマが好きだ。
アクションものでもダークナイトような影のある作品が好きだ。

でも、たまにはこうしたノーテンキな作品を観るのもいい。
時間的な余裕があり、何も考えることなく、無邪気に楽しめる作品をたまには観るべき。

きっと二階堂ふみにしても伊勢谷友介にしても本作を自分の代表作とは言わないだろう。
しかし、愛すべき作品だとはいいそうだ。
その過剰な演技をみるとそんな愛がこちらにも伝わってくる。

何が面白かったか。
全編笑える作品だが、エンディングのはなわが歌う「埼玉県のうた」が一番面白かった。
それにしてもこれを観た埼玉県人は怒らないのかな?。
明日のFネット例会で出身者に聞いてみたいと思う(笑)。

に・ほ・ん・も・の

何がキッカケだったかは忘れてしまったが、
中田英寿氏がこんな書籍を出したので早速、購入。
Kindle版にしようか迷ったが、単行本を買って正解。
手元に置いて、ちょくちょく眺めるにも適した一冊。

本書は中田氏が47都道府県を旅をして、そこで出会った日本の良さを伝えている。
ここでいう日本の良さとは、わざ、ごちそう、おもてなし、にほんしゅ、おみやげのこと。
あえてここはひらがなで・・・(笑)。

その魅力について中田氏が迫る。
僕はサッカー選手としての彼が好きだったが、すっかり日本文化を伝える伝道師になってしまった。
それは決して悪いことではない。
海外を渡り歩いてきたからこそ日本の文化を伝える必要性を感じたんだろうし、
彼の感性が上手くマッチしているようにも思える。
確かに僕らは日本の文化を知っているようで知らない。
魅力を伝えるボキャブラリーや知識も足りない。
それを中田氏は自らの足を運び、実際に体験し伝えている。

ここで紹介される伝統芸も料理も旅館も日本酒も土産も心が奪われる。
食したくなるし、飲みたくなるし、泊まりたくもなる。
高尚さを感じるもののそれだけではない。
中田氏はいい具合に敷居を下げながらも価値を高めている。

それが呑気なグルメレポーターなら、
「この上品なのどごしがサイコーなんですよ。」と解説し、軽い存在にしてしまう。
人気食べ物ブロガーとやらも同じようなものだろう(笑)。
もう少し人間的重みが必要・・・。

本書を読んで感じるのは、
一度は何も考えることなく旅をして、美味しい食事とお酒を頂き、
のんびりと過ごしたいということ。
そんな時間をいずれ持ちたい。

読後に本書で紹介された「十四代」「而今」が急に飲みたくなり、
比較的お酒の種類の多い近所の酒屋に行ってみた。
残念ながら、なかった。

やはり飲みに行くしかないのか・・・。
そして、飲みに行ってきた(笑)。

ただ美味い酒を飲むのではなく、そのこだわりを知ることも大切。
特に最近は若手の後継者が積極的に活動しているようにも思える。
彼らを応援する意味においても、消費しなければならない。
日本の良さを感じるためにも・・・。

結局は飲みたいだけだろ!と言われそうだが、やはり日本は素晴らしい国。
たまにはこの手の書籍も読まねばならない。

映画「スリー・ビルボード」

よほどブログネタに困っているのか、2日連続の映評ブログ。
引退後、映画コラムニストとして生活する計画なので、むしろ正しいか?。
今週はずっと映画ブログにしてみるかな(笑)。

本作は先日発表されたキネマ旬報ベストテンのナンバー1作品。
読者選出でもなんと1位。
日本映画も「万引き家族」が評論家、読者の両方ともトップだった。
邦画も洋画も一緒なんて結構珍しいことだろう。

僕はまだまだ映画コラムニストは失格かもしれない。
この作品のことは知らなかった。
名古屋で公開されたのも気づかなかった。
かなり話題作というのに・・・。
昨年の今頃、上映されていたんですね(汗)。

公開から一年経過した作品なので、多少のネタバレは許されるだろう。
普段は読者に気を遣い、映画の内容に触れないように書くので、
理解できないブログになっている。
あれはあれで苦悩しながら書いていることを理解して頂きたい。
そのあたりが一般の映画評論家と違う点。
時代の先を行き過ぎているのかな・・・。

この作品はいつの時代を描いているのだろうか。
未だに家電話が主流だし、車も古い年式ばかりだ。
しかし、セリフにはググるなんて出てくるから、きっと現代のはず。
登場人物も時代を感じさせる。
人間臭いといえば人間臭いが、大体はどうしようもない人物。
まとまな人間は数少ない。

時々、美しい女性やかわいい子供が現れるのでハッとさせられる。
その華やかさが違和感だが、却っていい演出に繋がっている。
主役を演じるフランシス・マクドーマンドは女性らしさなんて微塵も感じさせない。
一体どんな生き方をしてきたのか聞いてみたいが、興味が湧くわけではない。

しかし、そんな女性も母親である。
自分の行動を嘆き、お上に対して恐れることなく抗議する。
その姿がすこぶるカッコいい。
その冷めた表情も・・・。
昔観た映画でも女性がカッコいい作品があったけど、なんだったかな?
「グロリア」もそうだけど、思い出せない。

憎しみ合う関係でも状況が一変することで互いの距離感も近づいていく。
人の感情なんてそんなもの。

本作は久々にAmazonプライムで鑑賞。
一時期ハマった気もするが最近はあまり観ていなかったり・・・。
Amazonの都合のいいお客になりそうだ(笑)。

ネタバレと言いながら、いつものように何も分からない映評ブログになってしまったが、
本作品はやはり観るべき。
憎しみの中のも愛を感じることができるのだから・・・。

映画「ファースト・マン」

「ラ・ラ・ランド」の監督と主演が再びタッグを組んだことが
やたら話題になっているが、それほど重要なことか?
と思うのは僕だけだろうか。

そもそも「ラ・ラ・ランド」を観ていないことが問題なのか。
近々、Amazonプライムで観ることにするかな。
評判もいいし・・・。
本作とはきっと対照的な作品なんだろう。

そう、今回は「ファースト・マン」。
僕の今年のルーティンとして映画を年間30本観ることがある。
それとは別に歴史を学ぶという目標も掲げている。
そんな意味では本作は都合がいい。
それを理由に映画を観たわけではないが、願ったり叶ったり。
そんな大層な話でもないか(笑)。

僕が知っている世界はアームストロング船長が人類で初めて月面着陸をしたということだけ。
その背景にある葛藤やアメリカの技術力なんて考えたこともなかった。
よく画像で見る月面着陸の姿だけで理解しているつもりだが、それは何も理解していないとの同じ。
乗務員仲間や家族の存在、命を懸けて臨む意義、そんなことを映画を観て初めて知った。
こういった一つ一つの積み重ねが歴史を作っていくのだが、
どうしても「1969年アポロ11号月面着陸」という点で押さえることしかできない。
それでは歴史を学ぶとはいえないわけだ。
それを痛感しただけでも観た価値はあった。

それにしても50年前の技術はその当時からすれば先端だが、今を知る者は恐ろしくて仕方ない。
今の時代にあの技術をそのまま持ってきたら、チャレンジすることはないんじゃないのかな。
そこも含め歴史を切り開くのは大変。
無責任にそんなことを感じながら観ていた。

本作はドアップが続いたり、やたら映像が揺れまくったり、
急に静寂なシーンとなったり、映画館がドルビーアトモスだったこともあり、結構疲れる。
伝記映画ではあるが、人間ドラマでもある。

隣に座っていた若い女性は
(もちろん知らない人です)
映画の後半はずっと泣いていた。
泣いていた姿を見たわけではないが、すすり泣き状態がこちらまで伝わってきた。

アームストロング船長扮するライアン・ゴズリングの感情を抑えた演技が
より涙を誘ったのかもしれない。
上に立つ者はどんな時でも感情に流されてはいけないと教えられているようだった。

しかし、一人の人間であることには変わらない。
それがラストシーンに繋がるのかな。
奥さん役のクレア・フォイもとても良かったですね。

僕は4DX経験はあるがドルビーアトモスは初めて。
この作品が相応しいかどうかは分からないが、迫力が増すのは事実。
時々、そんな上映に付き合うのもいい。
できれば疲れていない時がいいけどね。

国家と教養

以前の著書「国家の品格」が出版された当時、前社長が
日本人としての誇りを大切にすべきと勧めていた。
言われるがままに読み、自分に欠落している点を感じた。

欠落した点は少しは減ったと思うが、まだまだ多いのは事実。
人は歳をとるから教養が身につくわけでもなく、
深い思想や学びがなければ身につくわけではない。

それは単に知識をつけることではない。
残念ながらまだ知識方面に向かう自分がいるのは成長していない証。
それは知識を否定しているのではなく、それを情緒や形に一体化すること。
それができなければ意味はない。

反省が得意なだけの人間にはなってはいけないと反省する。
それこそ猿になってしまう。
もししたら本書は僕に警鐘を鳴らしているのかもしれない。

当たり前の話だが本書を読んでも教養は身につかない。
必要性を迫るに留まる。
ここでそのマニュアルが書いてあるようであれば、前進ではなく後退。
求められるのはそんなことではないのだ。

僕は基本的に嗅覚で生きている。
ただそれが効果的なのは「食べ物ブログ」の世界だけで
現実の世界ではまだまだ活かされている場が少ない。

それは何故か。
教養が足りないからだ。
そのためにはもっと歴史を学ばなければならない。
本能を制御する力を感じ取ることが必要なのだ。
そういう考えとしては今年の自分の課題は間違っていなかった。

そして、一流の映画を見る、一流の音楽を聴く、一流の芝居を見る、
一流の本を読む、自分の世界を作ること。
もっと読書、文化、芸術を親しむことが大切。

それがリーダーにも求められる事だろう。
教養のないリーダーはいずれ判断も誤るのだ。
国内、国外の歴史が繰り返すように一つの判断が成功に導くし、大きな失敗へとも繋がる。

改めて教養の重要性を認識させられた一冊だった。

「キネマ旬報」変わった?

僕は名大社を引退したら映画コラムニストとして生計を立てていこうと考えている。
実際はあり得ない話だが、それが叶えば理想。

このブログでもちょくちょく映画評論をして、
業界からのオファーを待っているが、一向にその気配はない。
そもそも作品の内容に触れずに終える映評が多いので、評論なんていえないのかもしれない。
しかし、僕個人としては真剣に書いている。

そして、僕のセンスのバロメーターとして対象としているのがキネマ旬報ベストテン。
つい先日、2018年のベストテンが発表された。

それが今年は例年とちょっと異なる。
昨年前までは1月中旬あたりにマスコミに披露されていたが、今年はそれがなかった。
HPを確認しても1位しか発表されておらず、2位以下は10日に発表するという。
雑誌は2月5日の発売なので、雑誌を確認しなければ順位は分からない。

それは何か意図があることか。
販売部数を伸ばすための戦術か。
そんなことを考えてしまった。

そんな僕も例年であれば順位を確認してからこの特別号を買うのだが、
今年は特別号を見てその順位を初めて知った。

順位は以下の通り。

日本映画
1.万引き家族
2.菊とギロチン
3.きみの鳥はうたえる
4.寝ても覚めても
5.孤狼の血
6.鈴木家の嘘
7.斬、
8.友罪
9.日日是好日
10.教誨師

外国映画
1.スリー・ビルボード
2.ペンタゴン・ペーパーズ/最高秘密文書
3.シェイプ・オブ・ウオーター
4.ファントム・スレッド
5.ボヘミアン・ラプソディ
6.15時17分、パリ行き

7.顔たち、ところどころ
8.1987、ある闘いの真実
9.ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ
10.判決、ふたつの希望

太字は僕も観た作品。
昨年は映画館で30本の映画を観たが、ベストテンに入っているのはたったの6本。
そのほとんどが観ていない映画。
作品名さえ知らない作品が多い。
これでは映画コラムニストとして商いをするのは無理。

上位に食い込まないだろうが結構面白かった「祈りの幕が下りる時」や
「コーヒーが冷めないうちに」は1点すら入っていない。
僕の感性が先端すぎるのか、センスがないのか(笑)。

このベストテンのうち名古屋で公開されていない作品も多い。
いや、気づいていないだけか?。
まだまだ観るべき映画を観ていないのが実態。

今年はまだ3本。
もっと映画コラムニストとして腕をもっと磨かねば・・・
と改めて思うのであった。