これからも前向きに 名大社会長ブログ

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継続する心

昨日、今日は全就研(全国私立大学就職指導研究会)の名古屋大会。
全国から大学のキャリア担当者と企業の採用担当者が集まった。
その数570名。
6年振りの名古屋大会に多くの方が集結したのだ。

企業と大学との交流会がメイン。
僕も会社の代表として多くの方に挨拶をさせてもらった。
地元の企業や大学の担当者からは
「山田さん、ポスター見ましたよ。」と結構な数の声。
反響はまだまだ続いてますね(笑)。

基調講演は2つ。
その一つが元中日ドラゴンズ投手の山本昌氏。
これがすこぶる面白かった。
というよりも感動した。

たまに山本氏の野球の解説を聞き、上手いなとは思っていたが、
その理由がこの講演で理解できた。
一般的に一流スポーツ選手の講演は精神論に終始するケースが多いが、
(最近はそうでもない?)
山本氏はある意味ロジカルに、とは言っても、
その状況をイメージさせながら面白おかしく語ってくれた。

高校時代は学校の先生を目指していたことも頷ける頭の良さも感じた。
話の分かりやすさが良かっただけではない。
彼が歩んできた40年の野球人生が多くの方に学びを与えた。

山本氏曰く、人生の転機は3つだという。
準備と素晴らしい方との出会い、そしてどん底にチャンスありということ。
タイミングよく運に恵まれたといえるが、
山本氏の努力がそれを結び付けたことは言うまでもない。

小学も中学も野球は補欠。
高校でも県大会ベスト8止まりで注目を浴びる投手ではなかった。
しかし、彼が自分自身で決めたルーティンを妥協せずやり続けたことで、その運を導き寄せた。
それがタイトルにもある「継続する心」。

一度決めたことはどんな状況に追い込まれてもやり続ける。
決めたら絶対やるという姿勢。
それを精神論に留まらず語られると聞く者は納得せざるを得ない。
人より秀でた能力がなかったとしてもやり方次第では超えることが可能。
それを続けていれば必ず運が開ける。
あり得る成功物語かもしれないが、その40年のドラマを聞くとその大切さはよくわかる。

山本氏の素晴らしいところは変わらないところ。
どんな状態でもモチベーションが下がらないところだろう。
それを当たり前の認識として行動する強さが最終的な実績に繋がった。
そんな気がしてならない。

この講演で感じたのは言葉の重要性。
やっぱり成功する一流アスリートは明確な言葉を持っている。
自分の状態を表す、相手に与える影響、試合における戦術、
すべて言葉で表現することができる。
そんなこともこの講演で感じてしまった。

近い将来、ドラゴンズのユニフォームを着ることを期待したい。

さて、今日も引き続き全就研。
今日は母校での開催。
では、これから元気に行ってきます。

氏真はどうなるの?

今、TVドラマで唯一観ているのが大河ドラマ「おんな城主 直虎」。
それなりに楽しませてもらっているが、
歴史ドラマというよりはメロドラマを観ている感じ。
また、時代が進むスピードがゆっくり。
どうでもいいと言っては失礼だが、
あまり本筋には関係ないストーリーが多く盛り込まれているような気がする。

歴史に詳しくないので叱られるかもしれないが、それが僕の素直な感想。
しかし、欠かさず観ているので魅力を感じているということ。
そこは誤解しないでもらいたい(笑)。
一年通してドラマを流すのは相当難しいことなんですね・・・。

そんな中で僕が惹かれるのは尾上松也氏演じる今川氏真。
あのダメさ加減が最高にいい。
このドラマで助演男優賞を与えるなら間違いなく彼だろう。

あの横柄なドラ息子的要素、頻繁に見せる頼りなさ、
そして芸事やお酒に逃げる弱さ。
すこぶる上手に描いていると思う。
彼の演技を見ているだけで今川家の衰退や家臣の離反が手に取るように理解できる。

直虎の今後よりも氏真の今後の方が気になって仕方がない。
それが僕のドラマに楽しみ方になっているのかもしれない。
これからの展開を知らないので、氏真がどこまで登場し続けるかは分からないが、
できればどんどん落ちていく姿を見せてもらいたい。

それはまるで凋落していくファミリービジネスをみているかのよう。
偉大な先代を継ぐ放蕩息子。
これは現代にも通じる話。
苦労知らずの後継者は環境の変化に戦略を打つこともできず流されていく。
歴史は角度を変え、多くのことを教えてくれる。
そんなことをこのドラマから感じてしまった。

きっと氏真はしばらくしたら自害でもするのだろうと勝手に想像していたが、
調べてみるとそうではない。
意外としぶとく最後の最後まで生き延びる。
ドラマからにじみ出るひ弱さとは随分違うみたい。
大河ドラマでどこまで追いかけていくかは知らないけど・・・。

やはり歴史は知っておかないといけませんね。
まあ、あと5か月を楽しんでいければいい。

個人的にいえば山口紗弥加さんがいいですね。
あんな女性がそばにいてくれたら、どれだけ癒されるだろう。
な~んて・・・(笑)

岐阜県のためにも頑張ります

名大社は東海三県の企業の採用支援を生業としている。
自分勝手に「名古屋の名物」と名乗っているので、
名古屋市に重きを置いていると思われがちだがそうではない。
できるだけ特徴あるそれぞれの地域の支援をしたいと常に考えている。
一昨年からは地方での合同説明会も開催し、地域貢献もしている。

それが響いたかどうかは分からないが、昨日は岐阜県からの依頼のあった仕事。
岐阜県庁の隣にあるOKBふれあい会館サマランカホールで講演をさせてもらった。
先日のブログでも紹介した「ジンサポぎふ!開所記念セミナー」。
こんな大きな看板も用意してもらった。

県内の中小企業を対象に「イマドキの採用戦略を考える」と称して、
新卒採用、中途採用のポイントを喋らせてもらったのだ。
参加頂いたのは岐阜県の中小企業の経営者、人事担当者ら約1200名。
パノラマカメラで写すとこんな感じ。

そんな人数が聞いているようには見えない?
実際は120名くらいかな(笑)。
それでも岐阜県の企業の方に話せるのは貴重な機会。

今回、岐阜市出身者だから依頼された安直なものだが(笑)、
僕にとっては出身地での仕事は光栄。
岐阜に戻らず名古屋で働き続ける裏切り者だが、
少しでも故郷に貢献できるよう精一杯、力を入れた。

参加者の課題は様々。
経営者目線での課題、担当レベルでの課題。
中途採用での課題。そして新卒採用での課題。
どこにフォーカスするかは難しいが、できるだけ共通項を見出す。
自虐ネタで笑いを取り、60分という短い時間はあっという間に過ぎていった。

各社における状況や求める世代、スキルは異なるが、
基本的にどう会社を魅せていくかは変わらない。
中小企業がやるべきことは同じ。
いかに全社を巻き込み、全員で取り組むかがカギ。
採用は社員教育という想いで臨むことが重要。
そんなことを外部環境や若手の事情を踏まえ説明。

参加者の顔色を見る限り、納得してもらえただろうと勝手に解釈した(笑)。
少しでも県内企業の参考になればいい。

僕の講演はこの1回のみだが、
名大社としては今年度、県内企業をサポートしていく。

今回の講演にも同席し(ブログの写真撮影も・・・)、
今や名大社の何でも屋さんとなった採用コーディネーターのニシダが県内のあちこちを行脚。
企業向けに採用ノウハウを伝授していく。
基本的に彼女にお任せ状態だが、8月に実施される高山市のセミナーは同行するつもり。
ただの観光じゃないか?という疑惑はついて回るがそんなことはない。
何もしない応援とマーケットリサーチのために高山市街地を歩く予定。
リッパな仕事だ(笑)。

岐阜県は広い。
岐阜地区、西濃地区、東農地区、飛騨地区と課題は異なる。
少しでもお役に立てるような活動をしていきたい。

これからもよろしくお願いします。

イチローに学ぶ目標達成に必要なこと

先週19日に株式会社クイックスさんの創業70周年記念イベントに出席。
同社の服部会長に公私ともに大変お世話になっており、
今回もお誘い頂き参加させてもらった。

記念講演会はNPO法人ベースボールスピリッツ理事長の奥村幸治氏による
「目標達成のセルフマネジメント」。
イチロー選手がオリックス時代に210安打を達成した時のバッティング投手が奥村氏。
”イチローの恋人”とも呼ばれているらしい。
奥村氏がイチローと一緒に過ごした数年間と
それ以降のお付き合いから学んだことがこの講演のメイン。

イチローのルーティンは世間一般に知られたところだが、
それをよりリアルに感じれたのが今回。
イチローの凄さは今更語る必要もなく、
彼が地道に築き上げてきた努力も今更語る必要はない。
従って、この講演内容も紹介する必要はない(笑)。
それなりのブログタイトルもつけてみたが中味は割愛(笑)。

結局はやり続けるしかない。
「継続は力なり」と信じてくる来る日も来る日も続けるしかない。
ルーティンとは自分自身に課すノルマだと改めて感じた。
僕自身のルーティン=自己完結ノルマはどれだけ達成できているだろうか。
毎月書いている目標未達成マラソンブログが恥ずかしくなる。
それを書き続けるのもルーティンだけど・・・(笑)。

継続して目標達成していくにも人との出会いが重要。
それを認めてくれるかくれないかも人次第で、運が左右するともいえる。
奥村氏の話ではイチローは仰木監督に出会ってなければ、
今のような活躍はなかったという。
積み重ねられた努力は当然だが、運を掴まないと成功には導かれない。

先日の岩田先生も大切なのは”素質、努力、運”と言われたし、
松下幸之助氏も常に言われている。
世の中にはきっと運に恵まれず消えていった天才が多く存在するのだろう。
勿体ない話。
僕のように運だけで生きているのも問題だとは思うが(笑)。

そんな意味ではこの奥村氏も運を上手く生かした一人。
もしイチローと出会っていなかったら、現在の活躍も、今回のような講演もなかったはず。
きっとそれも大きな才能なんだ。
奥村氏はイチローとの出会い以降も、自分の目標を作り、
大リーグで活躍するマー君も育てたわけだから、
運がいいだけでなく、素質も努力もあったのは間違いない。
今回の講演も感動的な話だったし。

あまりにも愚問すぎて質問できなかったが、松村氏にはこんなことも聞きたかった。
「イチローが19歳、20歳時に監督、コーチの忠告を聞かず、
自分なりの方法にこだわっていたのを見ていて、その当時本当に成功するかと思ったかどうか?」
本音はどうだっただろう。
変なヤツとは思わなかったのだろうか?

そんなことを聞きたかったが愚問すぎてやめた。
しかし、成功する者で最初から認められるのは少ないと思う。
やはり自分を信じるしかないのかな。

何だかとりとめのないブログになってしまった。

あっ、そうか、今日は僕の誕生日じゃないか。
イチローの背番号と一緒じゃないか。
お祝いを待っています(笑)。

岐阜市出身なので・・・。

ちょくちょくいろんな場で話す機会を頂く。
予定が被っていない、もしくはよほど気に食わないケース
(ありませんので、ご心配なく・・・)
を除き、「こんな私でよければ・・・」と受けさせてもらう。
自分から売り込まなくて、このような仕事を頂けるのはありがたいこと。

今回はなんと岐阜県から講演の仕事を頂くことになった。
岐阜県は求人倍率が高く、直近でも1.69倍と全国トップクラス。
調査時期によっては全国1位になることもある。

JR快速に乗れば、岐阜駅から名古屋駅は19分。
名古屋市内のはずれよりは名古屋駅へのアクセスはいい。
それはそれで便利なのだが、その分、岐阜県内ではなく愛知県で仕事をする人も多い。
十分、通勤圏。
岐阜県内の企業にとっては人材の流出にあたり、とても辛いこと。
中小企業はより影響を受けているといえるだろう。

県内の人材確保を支援するために、この度、岐阜県中小企業総合人材確保センターが開設された。
愛称は「ジンザポ!ぎふ」。

その開設記念セミナーで僕が登壇することになった。
理由は明確。
僕が岐阜市出身であるから(笑)。

講師のプロフィールにも最初に明記されている。
この点がツラツラ書いてある僕のプロフィールで一番重要。らしい・・・。
岐阜市出身でありながら、名古屋に住み、名古屋で働く僕は完全な裏切り者になるのだろうが、
それでも呼んで頂けるのは名誉なこと。
参加される方に満足してもらえるよう、精一杯、頑張らねばならない。

通常、この手の講演は新卒採用について語るケースがほとんどだが、
今回は新卒、中途共両面から。
それを60分にまとめるので、3倍速くらいのスピードにしなければならない。
「あの~」とか「え~っと」なんて言葉は一切許されない。
ややウケ狙いの冗談も話す余裕はない。

そう考えるとかなりハードな講演内容となるだろう。
果たして響く話ができるのかな?
僕の講演はどうでもいい話で持っているようなところがあるので・・・(笑)。
気をつけて臨むとしたい。

ここで当日の案内。
■ジンサポ!ぎふ 開設記念セミナー 「イマドキの採用を考える」
日時/平成29年6月2日(金) 15:30~17:00
会場/OKBふれあい会館「302大会議室」 
   岐阜市薮田南5-14-53
対象者/県内企業の経営者・人事担当者
無料、定員100名
申込はこちらから

このHPやフライヤーにもこんな紹介がされている。
今回の記念セミナーでは、岐阜県の中小企業が今すぐ取り組むべき採用戦略について、
岐阜県出身の名大社社長が熱く語ります。

やっぱりここが重要(笑)。
興味にある方はぜひ、ご参加ください。
但し、岐阜県内の経営者・人事担当者に限りますぞ・・・。
よろしくお願いします。

父親のこと その3

父が亡くなり、通夜、葬儀までしばらく時間があった。
親戚含め関係のある方に連絡。
近所のお世話になった方、これからお手伝いをお願いする方には弟と挨拶に出掛けた。
父の死を悲しむと同時に
「直司さんにはお世話になりっ放しだった。本当に感謝しています。」
と涙ながらに話された。
改めて地域とのお付き合いの深さとその人柄を感じ取ることになった。

多くの方に自宅にも弔問頂いた。
僕はその作法も分からず、頭を下げ、お礼を言葉にすることしかできなかった。
僕は不思議と悲しみが込み上げてくることはなかった。
ある時期から父の死を覚悟していたこともあるし、
喪主としての役割に追われていたこともその原因だと思う。

葬儀場との打合せを含め慌ただしい時間だけが過ぎて行った。
農協との関係性が強かったこともあり、葬儀も全て農協にお任せすることにした。
そして、岐阜市で一番大きな葬儀場を手配してもらった。

2月18日通夜、19日告別式。
多くの方に参列頂いた。
用意した椅子は全然足りず、かなりの方が立ちっ放しの状態。
僕の席から見ても人が溢れかえっていた。

申し訳ないと思いながらも、父の存在の大きさを知らされた。

nao1743

僕ができることは喪主としての責任を果たし、最高の状態で父親を送り出すこと。
表現は良くないが、いい葬儀にすること。
立派な父親に相応しい葬儀にすることだけだった。

イヤらしい言い方だが、僕のラベルも最大限利用した。
有難いことに多くの方が父親を偲んでくれた。
新聞社、テレビ局、名立たる友人、知人をはじめ、
多くの関係者が供花や弔電を送ってくれた。
経営者仲間も参列してくれた。
挨拶も原稿を読み上げるのではなく、
挨拶文を頭に叩き込み気持ちを込めて喋らせてもらった。

その甲斐があり、実力以上に立派な長男、喪主だと思ってもらえた。
「直司さんが立派なら、息子さんも立派だ。」
多くの方にそんなことを言って頂いた。

僕はたまたま立場があったに過ぎない。
父とは比べ物にならないレベルだが、周りはそうは理解していない。
息子が立派だという誤解は自分にとっていいこと。
このいい誤解が一番の親孝行なった。
僕は立派な息子を演じることができたのだ。

混雑な状況でご迷惑をお掛けしたが、
山田家の代表としていい送り出しができた。
正しい姿ではないが、父親を喜ばすことはできたのではないか。

通夜の日は弟と2人で葬儀場に泊まった。
父の棺を前に一緒に酒を飲んだ。
これだけ弟とじっくり話をしたのは初めてのこと。
腹を割り、これまでとこれからのことを話をした。
決して仲のいい兄弟ではなかった。
いい機会を父が作ってくれたのだ。

結局、父がどんな想いで生きてきたかは聞くことができなかった。
辛いこと、嬉しいことも知らないまま終わってしまった。

病床で苦しそうにしている頃、父は自分の人生に満足しているのだろうかとずっと考えていた。
やり残したことはないなんてあり得ない。
まだ、やりたいこともあったはず。
それでもいい人生を過ごしたのだと思う。
周りの方から慕われ、信頼され、自分を貫き生きてきた。
幸せな人生だったのだと思う。

その息子である僕も間違いなく幸せだ。
父親があったからこそ、今の僕がある。
特に何かを教えてもらったわけではないが、一番影響を受けた。
その存在が今の僕を作ってきた。

これがこれからも続いていけばいい。
カタチは違えど、同じ血が流れている。
僕にも娘にも息子にも流れている。
これからの僕たちを見守って欲しい。

そして、お父さん、ありがとう。

父親のこと その2

僕は小さい頃から、父親と親しい方にこんなことをよく言われた。
「お父さんは立派な人だから、テッちゃんも頑張りなさいね。」
大きなお世話だと感じていた。
口には出さなかったが、「アンタは頑張ってるのか?」と思っていた(苦笑)。

それだけ周りは父のことを評価していた。
信頼の厚い人だった。
仕事以外にも地域のために貢献していた。

僕が26歳の時に統計調査の実績が認められ藍綬褒章を授与された。
その11年後には瑞宝単光賞も頂いた。

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それは今も実家に飾ってある。
この賞は父にとって大きな財産であり誇りであろう。
しかし、それを自慢げに喋ったり、ひけらかすような人ではなかった。

今は残念でならないが、僕は父親と人生のことや仕事の話はほとんどしたことがない。
それがないまま、逝ってしまった。
今更、後悔しても何もならないが、そう思った時には口を利けない状態だった。

昨年の盆明けに倒れ、半年間の入院生活をし亡くなった。
お見舞いに行った時も気の利いた言葉は掛けてやれなかった。
親不孝な長男だったと思う。
僕は父親の背中は見てきたが、多くのことは語らず仕舞いでその関係を終えた。

父も自分の父を早くに亡くしているため、僕への接し方を戸惑っていたのかもしれない。
僕は不思議と父親に叱られた経験がほとんどない。
一方、弟や妹はかなり父から叱られていたようだ。
特に弟は厳しい父親像を描いていたのだろうが、僕にとっては物静かで穏やかな父だった。

僕の将来についても何ひとつ言わなかった。
本当は実家で仕事をして欲しかったと思うし、就職は農協あたりが希望だったはず。
期待を裏切ったのは確か。
しかし、僕の選択に文句ひとつ言わなかった。

その点でも親不孝なのかもしれない。
そして、何の親孝行もできないまま、逝かせてしまった。
今の住まいから車で1時間半も掛からないのに、頻繁に顔を出すこともなかった。
結婚した頃は月1度は顔を出していたが、徐々に減っていった。
それでも僕の家族のことは気にしてくれていた。

死後、身の回りのものを整理していると父の日記を兼ねた手帳がでてきた。
そこには父らしく、天候のことや農作物のことが多く書かれていた。
それと同じだけ子供、孫のことも書かれていた。
家族で遊びに行き、一緒に食事をした時のことなど、克明に書いてあった。

一年ちょっと前の手帳には僕の息子のことも書かれていた。
「りんくんが野球部のキャプテンに選ばれた。みんなの信頼も厚いようだ。」
そんなことが書いてあった。
その時は何気ない会話をしただけ。
それは父にとっても嬉しく、記録に留めておいたのだろう。
僕らへの愛情を感じた文字だった。

四十九日の法事を終えた後、母親と妹に聞いた。
「俺はお父さんにとって、ダメな長男なんだろうか?」
妹が言った。
「そんなことないよ。
お父さんはお兄ちゃんが新聞に名前や記事が載った時には嬉しそうに切り抜いていたよ。
喜んでいたよ。」
母親は聞きながら頷いていた。
父親からは直接そんな話は一度も聞いたことがなかった。
しかし、その場面を思い浮かべるだけで、こみ上げるものがあった。

いかん、まだ、終わらない。
続きは来週。
ほとんど自己満足ブログになりそうだけど・・・(笑)。

クランボルツを学ぶ

これでも僕はキャリアカウンセラーの有資格者。
右のプロフィール欄にも書いてあるCDA。
名古屋のカリスマキャリアカウンセラーと呼ばれていた時期もあった。
(これはウソです・・・笑)

最近、キャリアカウンセラーは国家資格にもなり、
移行手続きさえすれば僕も国が認めるキャリアコンサルタントになるわけだ。
しかし、その手続きに必要な「合格証明書」が見つからない。
なぜ、CDA認定証や会員証じゃダメなんだろうか。
う~ん・・・。

それはさておき、キャリアカウンセラーになるには一定レベルの知識が必要となる。
僕も当時(13年前)には結構、勉強した。
理論家の考えも理解した。
スーパー、ホランド、シュロスバーグ、そしてクランボルツ。
(CDAはクルンボルツと呼んでいたけど)

その理論家の中で一番しっくりしたのがクランボルツ。
彼の理論が僕にはもっとも当てはまった。
「プランド・ハプンスタンス・セオリー(計画された偶然論理)」はまさにそう。
僕のキャリアを振り返ってもその連続と言える。
だからこそ自分自身の説得力にもなった。

前置きが長くなった(笑)。
僕が今日ブログで書きたいのは一昨日行われた海老原嗣生氏のセミナーのこと。
クランボルツの理論の読み解き方を分かりやすく話して頂いた。
海老原氏の著書は何度かこのブログでも取り上げている。

参考までに紹介すると、
「お祈りメール来た、日本死ね」
「就職に強い大学・学部」
「学歴の耐えられない軽さ」

といっても3冊だけか・・・。
もっと書いていたと思ったのに(笑)。
パフ釘崎社長やジオコス伊藤社長を通じてお会いしたこともあった。
鋭い切り口で本質をつく方だった。

その海老原氏のセミナーが名古屋で行われたので、
名大社のキャリアコンサルタントのウスイと出掛けたのだ。
結果的に言えば、僕がズバリの正解を答え、ウスイが海老原さんを「お~」と唸らせてた講演だった。
いや、違う。
それは2人が思っているだけのことで、講演の内容とはほとんど関係ない。
関係なくはないがどうでもいい(笑)。

いかん、いかん、講演の中味に入る前に相当量書いてしまった。

夢が叶うのも叶わないのも、クランボルツが掲げる5つのスキルが重要という。
好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心。
この5つをどう結びつかせるかで、その夢への一歩は大きく変わる。

なぜ「タカアンドトシ」は成功し、「日本エレキテル連合」は消えて行ったのか。
お笑いコンビを例に夢のかなえ方の話は見事だった。
その他にも腹落ちする内容が多かった。
たいした能力のない僕が、なぜこのようなポジションで仕事ができているのかも
クランボルツの理論に完全にマッチしている。

キャリア理論に詳しくない方は何を言っているか理解できないかもしれない。
それはこのブログのとりとめのなさのせい(笑)。
すいません・・・。

しかし、重要なのはこれ。

taisya

次に向かうためには自分自身を消化させなければならない。
積み重ねることで夢は近くなる。

夢は叶わないことがほとんど。
しかし、やり方次第で結構、叶う。
こだわりすぎず、何でも受け入れることも必要。
そうすれば、見つかることもある。
見つけるのではなく、見つかる。

きっとキャリアとはそんなもの。
それをクルンボルツが教えてくれた。

貴重な講演、ありがとうございました。

父親のこと その1

先週は父親の四十九日の法要。
実家でご住職にお経を唱えてもらった。
会食後、喪主である僕からの挨拶。
自分では縁戚者に対して、素晴らしい挨拶ができたと思った。

席に戻ると嫁さんに一言、言われた。
「山ちゃん、長い!」
自分で思うことと相手が感じることは違う(笑)。
そんなもんだ。
ようやく少し落ち着いたので、父親のことを書いてみたい。

父 山田直司。2月16日、82歳の誕生日を目の前に亡くなった。

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翌日の中日新聞岐阜版には死亡記事が掲載された。
地方版ではあるが、新聞に名が載ることで父親の偉大さを改めて実感した。

立派な父親だった。
小学校4年生時に戦争で父親を亡くし、7人兄弟の長男として山田家を支えた。
一番下の妹は父親の顔を知らない。母親(祖母)のお腹にいる時に戦死した。
10歳で一家の大黒柱。
岐阜の田舎で農業を中心に生計を立てていた。
高校へは行かず、
(実際は夜間高校に入学したようだが通う時間はなく、すぐ辞めたようだ。)
ずっと家族のために働いた。

兄弟も巣立ち、ある程度、家庭に余裕もできたのだろう。
30歳で母親と結婚。
1年後、僕が生まれた。

幼少の頃の父親の記憶は働いているところしかない。母親も同じ。
本当によく働く両親だった。
それは家族のため、家計を支えるためであったのは間違いない。

僕の相手はほとんど祖母がしてくれた。
そういえば6年前に祖母のことをブログにも書いていた。
父親に遊びに連れていってもらった記憶はほとんどない。
今、思えば、働かざるを得なかったのは事実だが、働くことが好きだったのだのだろう。

農業以外にもいろんなことを手掛けてきた。
僕が小さい頃は養豚もやっていた。
小学、中学生の頃、よく手伝わされたが、それが恥ずかしくて仕方なかった。

春には野菜苗、花苗を作り「山直農園」と称して販売し、冬にはしめ縄を作り販売した。
昨年までの会社のしめ縄は父親がこしらえてくれた。
手先が器用な人だった。

僕が中学生の時に焼肉屋を始めた。
当初は弟とスタートしたのだが事情があり、うちの両親が店を切り盛りしていた。
中学、高校の友人は僕のことを焼肉屋の息子と認識しているだろう。
高校時、大学時はいつも手伝いをしていた。

だから、僕は常に父親の背中を見ていた。
厳密にいえば、見せられていた。

それが理由だと思う。
僕はサラリーマンになりたかった。
自営はほとんど休みがない。
子供を遊びに連れていくこともできない。
そんな印象が強かったので、僕はサラリーマンになることを希望した。
しかし、結果だけ見れば、サラリーマンでは物足りなかったのだろう。
そのあたりは父親の血を引き継いでいるのかもしれない。

こんなふうに書くと父親はいろんなことに手を出している。
聞くところによると他の事業にも手を出そうとしたこともあったようだが、
リスクが大きく止めたようだ。

告別式の挨拶でも言わせてもらったが、父は多角経営をする個人事業家だった。
一度も会社に勤めたことはない。
誰かの下で働いたことはなかった。
それでもずっと働いていた。
それは一生涯のこと。
昨年の夏に入院するまで、ずっとだった。
足が不自由になっても働くことを止めなかった。

いかん、とてもブログが終わりそうにない。
続きは来週・・・。

新時代に求められるリーダーシップ

先週土曜日に開催された中部経営塾の4月例会。
一週間前の勉強会だが、振り返りの意味で学んだことを触れておきたい。

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今回は名大社のセミナールームを活用しての実施。
代表幹事の櫻山さんの挨拶からスタート。
いつものように緊張感を解きほぐす柔らかな滑り出し。

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ブログタイトルにもあるのが、この勉強会のテーマ。
講師はこの時期恒例の鬼澤慎人氏。

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僕も何度か講義を受けている。
その度に気づかされるのだが、実践となると反省が多い。

そもそも「新時代」とは何か?
言葉の定義も必要になってくるが、そこは個々の解釈で進めることに。
AIやIoTの時代、少子高齢化、労働人口減少の時代、成熟した日本の低成長時代。
グループでの議論も様々。
どれも正解であろう。

いずれにしても難しい時代なのは確か。
その中で進むべき方向を示し、組織をまとめて上手くいくように導くのがリーダーの役割。
そのためには情報も含めた全体の共有が必要。

僕自身、それには気を付けている方だが、足りない点も多い。
言葉を発することは重要だが、その意味が理解されているか?
変化に対しても同様な共有がなされているか?
目的と行き先も明確で、かつ共有されているか?
ビッグワードで終始している点は大いなる反省点。

毎回、鬼澤氏が言われるのが「変化」に対しての意識と行動。
もう頭の中に入っているので、あえてここでは披露しない。
知りたい方はこちら(笑)。

業績が順調な時ほど会社は危険な状態であるというから、
常に健全な危機感を持たなければならない。
これもいつも考えているつもりだが、次へのアクションへは繋がっていない。
まだまだだ。

最近、会社の中でももっと「対話」を重視しようと流れになっているが、
今回の勉強会でも改めてその重要さを痛感。
会話でなく対話をし、関係性を強くし相互理解を深めねばならない。
そのための「場づくり」、「たまり場」の存在が大切。

最後に行われた会社ごとの振り返りの中で、「たまり場」はどこにあるかという話になった。
名大社からはシゲノ、ニムラ、ウスイが参加し議論したのだが、
会社に特別な「たまり場」はなく、オフィスそのものが「たまり場」という話。
それはそれでいいのかもしれない。
社内の空気が澱んでいない証拠。

そして、共有を通して共感度を高めていくこと。
そうすればより一体感は増していくだろう。
僕がぼんやりと考えていたことがよりはっきりしたのが今回の勉強会であった。

いい学びを多く頂きました。
感謝!。

そうそう、信頼を高めるために必要なのは、実績、能力、そして人格ですよ。
リーダーのみなさん、できてますか?(笑)