これからも前向きに 名大社会長ブログ

カテゴリ「名古屋を知る 街を歩く」の記事一覧:

丸の内を歩く。そして、事故との遭遇。

本日午後、丸の内から伏見にあるクライアントに徒歩で向かった。
本日は、朝方まで大雨。その後、快晴となり、気温も上昇。出社時はコートを羽織る必要もないくらい暖かかった。そもそもそれが良くなかったのかもしれない。
伏見までの途中、いきなり突風が体を襲う。桜通りの銀杏の木から一気に葉が落ちてきた。
通りはこんな感じで、一面の銀杏の葉。
強風1
その後、突然雨が降ってくる。折り畳み傘を開くも強風で、逆さに開きアレ~ッ状態。全く役に立たず。しばらく近くのビルで待機し、クライアントに向かった。
打ち合わせ終了後、オフィスを出ると、何故かパトカーと消防車のサイレンが鳴り響き、数台が駆け抜けていった。
次の約束のために地下鉄伏見駅に近づくと広小路通りは通行止めの状態になっていた。回りは野次馬の人ざかり。よく眺めていると解体中の立体駐車場の足場が崩れ、隣接するビルに圧し掛かろうとしていた。
(この写真では分かりずらいかな。)
伏見3
強風2
大通りが通行止めになったため、渋滞は避けられず、その周辺はかなりざわついていた。幸いな事にケガ人は出なかったが、一歩間違えば大惨事になっていた。
偶然とはいえ現場の近くにいたということは、少し想像を働かせると恐ろしい事だ。
あまりの強風に午前中に暖かさはどこかに吹き飛ばされてしまい、夕方にはコートを羽織らないと歩けないくらい寒くなった。やはり異常気象なのだろうか・・・。
夜のニュースでも、全国の強風による被害が報じられていた。
自然の恐ろしさを避けることはできないが、そこから派生する二次被害には十分気をつけたいものである

優勝!名古屋グランパスエイト

本日、ついに我がグランパスが優勝を決めた。
Jリーグがスタートして、18年目でようやく手にしたタイトルである。ドラゴンズの優勝もうれしかったが、その数倍うれしいのがグランパスの優勝だ。
ベンゲル時代には、かなりの期待感があったが、その後、チームのゴタゴタや戦術の不明確さもあり、チームも低迷し優勝争いに全く絡めない時期がかなり続いた。
それを解消し、再び期待感をもたらしてくれたのが、ピクシーである。ピクシーの引退試合で涙を流した9年後、今度はうれし涙を流す事になったのだ。
(実際、僕は息子の野球の試合でゲームの試合を一部しか観る事ができなかったが、仲の良い友人は本当に涙を流していたようだ。)
そして、同時に一体感のある諦めないチームに大きく変わった。闘莉王や金崎の補強が上手くいったこともある。オシムやベンゲルの影響を受け、先端のサッカーを学ぶピクシーの戦術もあるだろうが、やはり精神的に与える影響が強いのは間違いない。
そう思うと強いリーダーの存在が、チームの意識を変え、その意識がアクションを変える。アクションが変わり勝利を呼び込む事で、更にチームの意識が向上する。まさにグッドサイクルがグランパスに回っているのだ。
いやあ、本当に良かった。今夜は祝杯を挙げるとしたい。乾杯!!
しかし、本日はそんなうれしい日であると同時に悔しい一日でもあった。それは、明日のブログに書く事とする。
まずは、おめでとう!名古屋グランパスエイト。

丸の内を歩く その5

外に出ても気持ちの良い季節になってきた。(というよりも、寒くなってきた。)お昼休みに木挽町通界隈を歩いてみる。
昔ながらの材木屋さんや中日新聞の折込チラシを一手に扱う中日興業がある周辺にちょっとしたお店も立ち並ぶ。
これなりに個性の強い店も多いのだ。
まずは、あんかけスパゲティーの店「Passo」。
木挽町1
今や名古屋名物に一つであるあんかけスパゲティーだが、店によってスパゲティーと一緒に出されるのがライスだ。
全く馴染みのない方には理解できないかもしれないが、あんかけスパには意外とマッチする。このお店のランチもライスがセットだ。それもスパゲティーと一緒のお皿にライスは並べられるので、ソースがご飯に絡むことにもなる。
案外、この手のあんかけスパの店は多いと思う。
そして、最近、ちょくちょく顔を出す喫茶店「資生堂」。
木挽町2
雰囲気としては珈琲専門店を思わせるが、昔からよくある喫茶店だ。お母さんと娘、厳密に言えば、おばあさんとおばさんが切り盛りしている。
このお店はうれしいことにいつも空いている。(お店にとってはあり難くないと思うが・・・)
それも、ランチがコーヒーセットで750円とリーズナブルであり、のんびりできるのだ。
じっくり本を読みたい時にはうってつけの喫茶店である。
木挽町4
円頓寺商店街に向かい五條橋を越えたところにある「五條」。
どて焼き、焼き鳥のカウンターのみの飲み屋さんだ。
なぜかいつも混んでいて、2回に1回は満席で入れない。
木挽町3
値段がメチャクチャ良心的であるのも理由だろうが、この店の主と女将さんの人間味が大きな理由でもあるだろう。
はっきり言って、女将さんは愛想がいいわけではない。下町に昔からいる世話焼きのおばちゃんといったところか。逆に主である旦那は物静か。家庭での勢力図がとてもイメージしやすい。
(間違っていたらごめんなさい。)
それがとてもいい味を出しているのだ。
女子社員を連れて行くにはさすがに気が引けるが、男子連中を連れて行くには大盤振る舞いもできるのもいい。
(せこっ。)
今日はなぜか、お店紹介ブログになってしまったが、いずれもこの丸の内に移転してから、存在を知った店ばかり。
結構、楽しめるお店も多いのだ。
これからも丸の内の広報担当として、少しずついろんな場所を紹介していこうと思う。

メッセナゴヤ2010

本日は、メッセナゴヤに参加した。
中部地区最大級(どっかで聞いた事ある響き)の異業種交流の祭典で、その規模は年々大きくなっている。
今年は450社の出展数。会場となるポートメッセなごやの3つの展示場は所狭しと出展ブースが思い思いのレイアウトを組んでいた。
メッセ1
初めてあおなみ線に乗車して、最終駅となる金城埠頭まで揺られながら伺った。
平成16年の開通以来、全く縁がなかった路線である。そんなあおなみ線の乗車客の9割は、メッセナゴヤを目的とした乗客のようだった。
さすがに今日は全ての席が埋まっている状態であったが、9割を除くとえらく寂しい光景となってしまう。今年の7月に事実上の破綻と報じられたが、その光景を目にする限り、うなづける話だ。相当な対策が必要だろう。
今回参加の目的は二つ。
一つは寺島実郎氏の講演。そして、もう一つは今後の事業展開におけるヒント探しである。寺島氏の講演内容については、改めてこのブログに書くとして、もう一つの目的について報告したい。
しかし、残念ながら、他の予定も発生したため、ヒントを探れるほどゆっくりと見学する事はできなかった。環境をテーマにしたイベントであっても、あらゆる業種の企業が参加し、ビジネスチャンスを窺っていた。
普段お世話になっているクライアントの参加も多かった。あらゆる業種といっても、メーカーであれば自社の製品であったり、商社であれば自社のサービスであったり、自治体であればそのエリアでの強みを持ち込み、派手な演出も含めPRが行われていた。
参加者の多くはビジネスマン。それも経営者クラスの方が多かったように思えるので、ここでの商談もあるレベルで達成できるのだろう。
メッセ2
そんな状況を眺めながら、名大社として参加したらどうだろうかとイメージしてみた。
う~ん、非常に難しい。人材採用の有効的な活用方法をブースでどう表現するのか、展示する商材は何なのか、我々のようなカタチのないサービスを提供する業界は、その表現方法は難解である。
実際に同業他社もしくは近い業界を探してみたが、1社も存在しなかった。だが、こんなイベントにも一度は出展してみたいと思わせる活気ある雰囲気であった。近い将来、参加してみたい。
ビジネス主体のイベントではあるが、ちらほらリクルートスーツに身をまとった就職活動中の学生が見受けられた。以前ある大学の講演で、メッセナゴヤも企業を知る一つの方法であると話をした事があった。
その話を聞いた学生が参加したわけではないだろうが、学生がこのようなイベントで企業研究を行う姿はとても美しい光景であった。そして、そんな学生の存在が素直にうれしかった。

戸田祭り その2

戸田祭り2日目。今日はメインの大祭。
5台の山車が、戸田小学校に集まり、道踊りとからくりを披露する。まずそれぞれの神社から山車を小学校まで、引き回すのがかなり難儀だ。
戸田祭り4
山車の高さは相当で、細い路地を通り抜けるため、張り巡らされた電線を避け、何度も角度を調整しながら、山車を思う方向への動かさなければならない。
いくら馴れた方が動かすにしても年1回の行事では、要領を掴むのは難しいはず。
それでも5台の山車が勢ぞろいすると壮大な光景となる。
戸田祭り7
そして、各割ごとの道踊り。それぞれ特徴があり、笛の音や演奏も微妙に違う。
戸田祭り5
戸田祭り6
4年に一度という事もあるだろうか、今日は何かと話題の河村市長も挨拶された。ドラゴンズが優勝した記念か「燃えよ!ドラゴンズ」を熱唱していた。
戸田祭り8
その後、からくり人形の披露へと続く。これも各割ごとの山車により仕掛けが異なり、見応えがある。
戸田祭り11
戸田祭り9
戸田祭り10
今日は午後からの雨が危ぶまれたが、何とか持ちこたえた。これも豊作を祝って、本来行われるこの祭りに、天候も影響されるのかもしれない。
子供たちは、山車を神社に戻した後、夜もまた道踊りがあるため、一日仕事ではある。それでも素晴らしい経験をさせてもらっていると思う。
僕のブログにしては、かなりの写真点数になってしまったが、年に1回位はいいだろう。

戸田祭り その1

中川区戸田に引っ越してきて、早いもので17年。
人生の1/3以上は、この町に住んでいることになる。都会でもなく、田舎でもなく、地域のコミュニティもまずまずで、とても住み心地のいい町である。
毎年、秋になると由緒正しくお祭りが開かれる。
今年は、この10月3・4日。既に300年の伝統を持つ「戸田祭り」だ。一ノ割から五ノ割まで、5つの神社をからくり人形をのせた山車が、戸田周辺の町並みを引かれていく。
戸田祭り1
昨年は、僕も嫁さんが子供会の会長を務めた関係で、このお祭りのお手伝いをさせて頂いた。山車を担ぐという大層な役割ではなく、単なる荷物持ち、ただの雑用要員ではあったが、保存会を始め地元の方のこの祭りに対する伝統を大切にする思いを感じるいい経験をさせてもらった。
小学生までの子供は、それぞれの学区に分けられた神社に保存される山車を引き回す。夜には神社前で踊りを披露することになる。1週間前から毎晩練習を積み重ねて・・・。
戸田祭り2
戸田祭り3
今日は天候にも恵まれ、秋の祭りとしてはいい初日であった。子供たちは神社の回りにある露店に集まり、小遣いを握りしめ、水あめやポテトフライを買ったり、今年こそいい景品を!と期待してサメつりをやったりと楽しんでいる。
戸田祭り4
この祭りで引き回される5台の山車とからくりは、名古屋市指定有形民族文化財に指定されているとのこと。
明日は5台の山車が戸田小学校に集まり、からくり人形をお披露目する。4年に1度行われる恒例行事だ。
心配なのは明日の天候。雨が降らないことを祈りたい。

少し寂しい名駅

8月末に松坂屋名古屋駅前店が閉店。それに続くようにホテルアソシア名古屋ターミナルやテルミナも9月末で閉店となった。
駅前1
先日、訪れたテルミナ地下の三省堂は、本の在庫が減ったせいで、全く活気がなかったし、隣接する文具店も商品のほとんどが売り切れで、開店休業に近い状態だった。
名古屋駅前が再開発されるとはいえ、しばらくは寂しい風景になる。
このような状態になったのは、一つの選択を変更した事が原因と言えるだろう。
ジェイアール東海島屋が進出する前段階で、駅上の百貨店は本来、松坂屋が予定していたらしい。それがバブル崩壊の消費不況が続く中、その計画は見直しとなり、JR東海と島屋が組んで、百貨店を展開することになった。
結果的には、その影響がここに及んで松坂屋の閉店に至ったことも一つの要因だろう。
その当時の判断では、全く予測できないことであるのは百も承知。
もし、松坂屋がJR東海と手を組んでいたら、今頃、駅前はどんな展開になっていただろうか。
この周辺には、僕も多くの思い出がある。
松坂屋ではよく各地域の物産展が行われ、家族で買い物に行ったりした。たまたま以前仕事でご一緒させていただいた担当の方が売り場に見え、うちの子供たちに人気有名店のカレーパンをごちそうしてくれた。
ささやかな喜びではあるが、これもお互いに人間関係があった証であるし、とてもうれしい行為でもあった。
営業で日中外に出ていた頃には、よく三省堂に隣接する喫茶店で、原稿を書いたり、本を読んだり(さぼってた?)、時間を費やすことも多かった。とても静かで落ち着いていたので、何かと集中できた。
ホテルアソシア名古屋ターミナルの1階のカフェでは、終電ギリギリまで、不届きながらお酒を飲んでいたし、内定学生を掴まえ話し込んだりした事もあった。つい先日も大切な人と情報交換も行った。
今となってはどれもいい思い出である。
そんな場所がなくなってしまうのは、寂しい気もするが、これも時代の流れだろう。大名古屋ビルヂングも建て替えになるし・・・。
だからというわけでもないが、記念にテルミナの地下の文具店で購入した。PLATNUMの多機能ボールペン。閉店セールの3割引で・・・。
駅前2
今やお気に入りの品となった。
このボールペンで書き綴る度に、この名駅周辺のことを思い出すのだろうか。

丸の内を歩く その4

暑い日が続く。全国屈指の暑さの名古屋だが、今日は少し落ち着いた一日であった。35度以上が当たり前の日々を送っていると、30度ちょっとの気温が涼しく感じるのだから、不思議なものである。
久しぶりに昼間の時間、ぶらっと外を出歩いてみた。
向かったのは、丸の内と国際センターとのちょうど中間、桜通りから北に入った四間道。歴史を感じさせる古い街並みである。
四軒道2
近くに堀川が流れているため、水運を利用する商家が並んでいたようだ。それが、いまではお洒落なカフェとかレスランが看板を出していたりする。
四軒道1
普段の生活では大通りを歩いているため、気づきにくいが、少し裏に入ればレトロで趣のある街並みがあるのは新鮮だ。もう少し先は円頓寺にもなり、また懐かしさを感じさせる商店街にも行きつく。
四軒道3
昔ながらの民家も多い。ランチはその民家が並ぶちょっとした商店街のとんかつ屋に入ってみた。いかにも人のよさそうなおばさんが店を切り盛りしていた。TVから流れるニュースを見ながら、適当な世間話をして定食を待った。
その頼んだロースカツ定食は、なんと500円。
庶民的な値段であった。値段もさることながら、その雰囲気も含め暖かい気持ちになった。
丸の内に移転して、既に4カ月。
しかし、まだまだ知らない場所は多い。

丸の内を歩く その3

丸の内に移転して、もうすぐ2ヶ月。
本日は、ウェスティンナゴヤキャッスルで大切な約束。天気も良かったので、歩いて向かうことにした。
途中、官公庁街を抜け、ホテルのある名古屋城方面に向かう。
名古屋官公庁
最近の気候は、暑かったり寒かったりと全く読めない状況が続くが、今日は汗ばむくらいの陽気。しばらくすれば夏が来ることを予感させるあったかさだ。
名古屋城周辺は新緑が目に眩しく、できればベンチに横になり、ボーっとした時間を過ごしたいくらいだ。(きっとサボタージュ営業マンが、営業車を停め、昼寝することも多くなるだろう。)
名古屋城1
今年は名古屋城開府400年祭を祝して、いろんなイベントが行われる。今日現在は特別なイベントはないが、それでも外国人観光客を始め、結構な賑わいを見せていた。外国の方に対して、名古屋をイメージさせるとなると、名古屋城は切り離せない存在だと思うし、普段の生活の中ではあまり有難味を感じることはない。しかし、これだけの外堀で囲われたお城の復元できることは、改めて感心もするし尊敬の念も抱く。
ゴジラが襲いたくなる気持ちも良くわかる(?)。
名古屋城2
写真を撮りながら歩いていたので、かなりゆっくりのペースだと思うが、会社からほぼ20分で目的地のあるウェスティンナゴヤキャッスルに到着。
会社の近くに日本を代表するお城があることって、とても幸せなことだと思う。また、このような環境で仕事ができることも感謝しないといけない。

丸の内を歩く その2

丸の内に移転して1ヶ月。
社内でプレゼン資料を作成する作業を行うものの、行き詰まってしまったため、気分転換に外に出た。
向かった先は円頓寺。会社から徒歩で7~8分。名古屋駅に近い昔ながらの商店街である。
平日の日中に伺ったため、人が少ないのはやむを得ない。
しかし、予想よりはるかに少ない人出には、正直、寂しさを覚えた。
円頓寺1
円頓寺4
かつては栄、大須と並ぶ名古屋の三大繁華街だったという。それは100年も前の話なので、全く比較をするレベルではないだろうが、独身時代、今の嫁さんとのデートでしばしば訪れた場所でもある。その当時も結構人は溢れていた。
今でも営業を続ける洋食屋はね海老」も以前と同じ構えではあるが、かつてのような元気さがないように思えてくる。
そう考えると大須の活況さとの違いはどこにあるのだろうかと思ってしまう。今や大須は歴史とファッションと異国情緒を融合させ、若者にとって面白い街に変化している。明らかにターゲットを若者に置いて、店舗の誘致から機会の提供を行っているのだろう。
地域の方の危機感とおおらかさがうまく結びついて成功したのかもしれない。勝手な見方だが・・・。
円頓寺の商店街を歩くと「スペイン食堂」のような中を覗いてしまいたくなる様な店もあれば、昔ながらの酒屋や衣料品店もある。250円のビックリするような弁当屋もある。ところどころに神社、寺院もある。
そんな感じは大須と同じように思えるが、街ぐるみの一体感はあまり感じる事ができなかった。
それでも新しい発見しようと歩いていくと、誘惑の看板が・・・。「ちょっとよってく。円頓寺銀座街」
円頓寺3
思わずその文字に導かれてその通りに入っていくが、ここも寂しい状況であった。
もしかしたら夜の世界は異なるのかもしれないが、多分、ほとんど営業していないと思わせる雰囲気であった。
(退社後、寄ろうと思ったのに・・・)
むしろ円頓寺の本通りより、一歩中には入った路地裏の通りの方が、こだわりがあるようなカフェや工房があり、自らの存在感を強調しているように思えた。
このような誰もがその存在を理解する歴史ある街がシャッター通りにならず、人の流れを戻す要因はどこにあるのだろうか。
歩いて10分で名古屋駅という事が、プラス要因にもマイナス要因にも働くこともあるだろうし、世代交代がどう行われるかも重要だろう。
どちらにしても「ちょっと帰りに一杯」と気軽に顔を出せ、オバちゃんが笑顔で迎えてくれるような店に行ってみたい。
そんな街であってくれるととても喜ばしいと思う。
そのためには、もっともっと街を歩かないとね。
円頓寺2
頑張れ~!!