これからも前向きに 名大社会長ブログ

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「次世代のファミリービジネスを作る会」は続く

一昨日の13日は「第7回 次世代のファミリービジネスを作る会」。
3月~5月はお休みしたが、同族企業の経営者を向けの勉強会を月1回開催している。
早いものでもう7回にもなった。

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今回、講師で招いたのは大三鋼機株式会社の相川社長。
創業68年の2代目社長。僕と相川社長の出会いのきっかけはこちら
僕が参加した勉強会の感想をブログに書いたことがご縁で懇意にさせて頂いている。
ブログも効果あるじゃないか(笑)。

約20歳年上の大先輩なのだが気さくで若々しく、
僕らのような若手の経営者の集まりにも頻繁に顔を出してもらっている。
それだけでも恐縮してしまうのだが、図に乗って講師を頼んでしまった。

タイトルは「なぜわが社は、なぜ再生出来たのか。(12年間で粗利益7倍、従業員8倍)」
先代が興した会社に入社し、親類関係ばかりの組織の中で悪戦苦闘しながら、
経営に関わっていくストーリーをドラマチックに語ってもらった。
オイルショックやバブル崩壊で何度も倒産の危機に合いながらも、
それを乗り越え、業界では圧倒的な利益率を誇る企業に成長させた。
相川社長は最悪時に「神風が吹いた」とその危機的状況を語られていたが、
それはキッチリとやるべきことをやられてた結果だろう。

そして、今は三代目となる専務(息子)と常務(娘婿)と共に会社を牽引している。
そこにはよくあるファミリービジネスにおける親子の軋轢はない。
得てして成功したトップはその座にすがりつきワンマンになりがちだが、
相川社長は謙虚に息子らと向き合う。

これは働く社員さんも同様で、社員旅行の場にはパートさんも参加させている。
それもその家族まで招いて・・・。
独身者にはその親御さんも受け付けたり、彼氏でも彼女でもOKだという。
そこまで徹底すれば、会社に対するロイヤリティは自ずと上がっていくわけだ。
成熟業界に関わらず、粗利益7倍、従業員8倍の実績は
ファミリーも非ファミリーも大切にする証といえる。
そのような尊敬すべき経営者が間近に存在することは僕にとってはありがたい限り。
本で経営を学ぶことも重要だが、リアルで話が伺えるほど有益な場はない。
これは参加したメンバーも同じ気持ちだろう。

懇親会も盛り上がった。
相川社長は謙遜して「こんな場はありがたい。」と言ってくれたが、
僕は「もっと他の場でもどんどん話すべきです!」と生意気な口を叩いてしまった。
それも相川社長の人柄だから向き合っていえること。
本当にありがとうございました。

とここまではよかった。

この場に参加する経営者は僕とほぼ同世代。気が合う仲間。
それはそれでいい。
いけないのは懇親会だけで終わらないことだ。
また、いつものように赤ら顔のN社長に誘われ、次の店に向かってしまった。
気づけば午前1時を回っていた。自宅に戻ったのは2時近く。
本来、このブログは昨日の朝にアップするはずだったが、そんなパワーはなかった。

いくらいいことを学んでも愚か者はなかなか治らない。
その二日酔い状態で瞬間的に反省はするのだが、
来月、また同じ過ちを繰り返すかもしれない。
それでも続く「次世代のファミリービジネスを作る会」。
8月もよろしくお願いします。

名大社の歴史を知るのだ。

現在、名大社は設立47年。
あと3年で50周年。僕が不祥事を起こしたり、更迭されなければ、
その50周年は僕の時代に迎えることになる。
(あくまでも順調に推移すればですが・・・)
これまでの歴史や実績を残す意味を含め、50周年には社史を発行したいと考えている。
しばらく先の話だが、そろそろ準備も始めなければならない。

僕が入社したのが1989年なので、設立20年の時期。
それ以降はずっとこの会社で仕事をし、時代と共にその変遷を経験しているので、
一定レベルのことは話ができる。
当然幹部ではないので、経営的な観点は難しいのだけれど。

僕が入社する以前の話はまた聞きで知っているだけ。
実際、どんな20年を過ごしてきたかはあまり知らない。
由緒正しい同族企業であれば、その文化や理念が脈々と引き継がれ記録も残っているだろうが、
名大社はそれがない。
売上や従業員数の推移はもちろん残されているが、どんな社風でどんな人物が活躍し、
何が強みでどんな点がダメダメだったのかは、ほとんど記録がない。
そのまま記録が残っていないのは、とても危うい。

会社の歴史を残していくことは後世にとっても必要なこと。
「古事記」があるから、日本の誕生や天皇の存在が明確になっているのと同じことだ。

先日、社史編纂にあたり、事前取材を古参の方にお願いした。
もうほとんど存在しない設立時の名大社を語れる方にヒアリングを実施したのだ。
詳しくは社史完成段階で披露したいが、
僕が知らない事実があちこちと焙り出され、驚きの連続。
サラリーマンから社長になった者の悲しい性かな・・・(笑)。

ご存知のように名大社の大元は大阪にある今は無き大有社。
設立当初、幹部は大阪から送り込まれ、プロパー社員は女性ばかりだったという。
今から50年近く前に女性ばかりの組織というのは先進的と言えなくもないが、
そんな単純な話ではない。
あちこちでトラブルもあったようだ。
次第に男性社員も増えていったようだが、大阪本社との溝は埋めがたく、
かなりの不満が鬱積していたという。
自分たちでやりたいことがほとんどできず、本社の言われるがまま。
送り込まれた経営陣も本社の顔色を窺うことが中心で活気ある組織とは無縁だったらしい。
その辺りは業績と連動しており、給与も待遇もパッとせず、離職者も多い職場だった。

僕の前任の社長が就任した時に大きな舵を切り、会社は変化し始めた。
今と比べると社名が同じなだけで、中身は全く違う会社だったわけだ。
僕と前任社長とは性格も考え方も全く違うので、ここにも大きな変化がある。
それはまた改めるとして、創業時の事業や組織を継続していたなら、
とっくの昔に名大社はなくなっていた。
時代と共に変化してきたから、なんとか生き残っている。
そう思うと僕も頑張っているね(笑)。

歴史を振り返ることで見えてくることがある。
それは成功も失敗も含め、いえること。
僕が驚いている状態なら、若手はどれだけ驚けばいいのだろう。
きっと卒倒するな(笑)。
それも名大社なんだけどね。

僕自身も当時を深堀する必要がある。
それによって目に見えず大切にしている文化もあるはず。
OBの方が元気なうちに歴史を伺う場を持っていかねばならない。

ネタが多い一週間

「山田さん、今日のこと、ブログに書いてくださいよ。」
と何度となく言われた先週。
ネタがなくて悶絶してしまいそうな時もあれば、
ネタがありすぎて取り上げるのに困ってしまう時も稀にある。
詳細を書いていくと激しく長文になってしまうので、
写真をメインに一週間を振り返ってみたい。

火曜、水曜は名大社がスポンサーを務める@FM「明日へのグッジョブ」の収録。
火曜はクライアント、水曜は僕とオガワが出演。

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写真だけ見ると遊んでいるように思えるが、そうではない(笑)。
みなさん、聞いてくださいね。

火曜の夜は「西川塾石黒班研修会」。

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講師にアタックス代表の丸山弘明氏を招き講演をいただいた。
テーマは「「京セラフィロソフィとアメーバ経営」。

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丸山氏の経験や考えも交え、有意義な90分。
副事務局長として謝辞だけ務めさせてもらった。
これだけでもネタとして書きたい。

水曜の夕方は名古屋にある国立大学での講演。

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就活を継続する4年生に向け、
勇気づける意味と今後の活動方法について話をさせてもらった。
学生の顔を見ながら、全く問題ないことが理解できた。
これまではたまたまやり方が間違っていただけのこと。
写真を見ればどこかは一目瞭然(笑)。

そして、木曜日はディスコさんとの共催イベント
「企業展×キャリタス就活フォーラム」を開催。

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4月、5月の合同説明会の学生来場が芳しくなかったので不安もあったが、
いざ、蓋を開けてみるとびっくり。
126社の企業に参加頂いたことも大きいが、1130名の学生さんが来てくれた。

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会場内も賑わい双方にとって満足のいくイベントを提供できた。
夜はディスコ役員と会食。
記念の一枚。

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土曜日はアスクネットさんの主催するキャリア教育基礎講座に講師として呼ばれた。

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「何もしない社長が語る、就職、人材育成、組織とは・・・」
という何ともふざけたタイトルで講演。
その後、安城学園高校の地頭先生とのパネルディスカッション。
教師歴30年の方の話には重みがある。
企業と学校の取り組みについて語り合った。
立場、環境は違えども、お互い共通する部分が多く価値観も近かったのは良かったと思う。
僕に対するクレームも今は届いていないようだ(笑)。

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こんなグラフィックレコーディングも同時進行だったり・・・。
この内容だけでも、いいブログが書けるんだけど。
最後に関係者での懇親会。こちらも楽しかった。

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それ以外にも来年入社の内定者との懇親会があったり、
業界団体の代表との交流会があったりとてんこ盛りだった。
特に夜は忙しかった。

時間的に余裕があり、もうちょっと散らばっていれば一つひとつを詳しく紹介できるのだが・・・。
すいません。

ただ、こんな毎日を過ごせるのはとてもシアワセなこと。
恵まれた環境で仕事ができているということ。
そのことには感謝しなければならない。

選ばない面接術

突如としてブログネタに困ることがある。
何を書けばいいか全く浮かばない時がある。
そんな時は読んだ書籍の「書評ブログ」としてちょくちょくアップしていた。
状況によっては随分前に読んだ本をアップしたこともあった。

しかし、今はない。
継続して読書はしているものの、ここ最近は何故か進みが遅い。
あっちの本に手を出し、こっちの本にを手を出し、
中途半端にしか進んでいないため「書評ブログ」が書けない。

何が言いたいのか。
ネタがないと言いたい。

そんな状況の中、やや焦りを抱えながら、
毎月送られてくる「日経トップリーダー」を読んでいた。
「お~、これでいいじゃないか・・・。」とホッとした気持ちになった。

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と、前フリが長くなったが、今日のブログは「選ばない面接術」。
「日経トップリーダー」の読者は主に中小企業の経営者。
記事も全般的にそんな経営者向けに書かれている。

この特集に書かれていることは目新しいことはない。
うちの会社では普通に実施している内容だ。
(商売的に当たり前の話か・・・笑)。

しかし、この特集を読んで、ハッとさせられる経営者は多いだろう。
クライアントでも担当の話を聞く限りできていない会社も少なからずある。
担当者は頭を抱えていても、意外とトップは自分の落ち度に気づいていない。

それはどんなことか。
至って単純な話。
中小企業なのに志望動機を求めすぎ。
学生を見極めようとしすぎ。
採用してやるオーラを出し過ぎ。
など、分かる人には分かるが、分からない人には全く理解できないことが書かれている。

この特集で少しでも感じてくれたのなら、一定の効果は見込めるだろう。
6月も半ばを過ぎ、採用戦線も明暗がはっきりしてきた。
昨年の反省から立て直した企業もあるだろう。
諦め状態の企業も存在するだろう。
大手サイトのアンケートでは既に内定率は50%を上回っているが、
実際はそこまではいっていないと思う。
名大社の大学担当の報告を聞く限り、そんな感じがする。

採用を継続する企業にはまだチャンスもあるし、
第一希望に縁のなかった学生もまだまだ可能性は十分。
6月30日に開催される名大社とディスコさんとのコラボイベントは130社程の企業が参加するし・・・。
(来週あたり、名大社スタッフブログで誰かが書くだろう。)
お互いにやれることは沢山あるはず。

おかげさまで名大社は内定辞退者は一人もないまま(今のところ・・・)、採用活動を終了しそう。
それは若手のスタッフの頑張りによる面が強いが、そのノウハウは僕も提供できる。
完璧な手法なんて存在しないが、ある程度の成功へ導く方法は語れるんじゃないかな。
ビジネスでやってるわけだし・・・(笑)。

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それでもこの特集で書かれていた孔子の「九思」には感心させられた。
どこかの場所で使わせてもらおう(笑)。

ブログのネタ不足なんて言わずに本業のネタが書かなきゃいけないね。
反省・・・。

自然体に生きること

名古屋のラジオ局ZIP‐FMに「WEEKEND MASTER」という番組がある。
最近はパーソナリティーというよりナビゲーターって呼ぶのかな?
DJなんて誰も呼ばなかったりして・・・(笑)。

この番組は磯谷祐介くんという人気ナビゲーターが務めている。
僕は6年前に彼とあるイベントでご一緒させてもらった。
ブログにも書いていた。その時のブログがこれ。
facebookでは友達になっていたものの、すっかりご無沙汰の状態。

2ヶ月ほど前、僕と共通の知人であるクリエーター兼カメラマン兼なんでも屋さんの
吉川さんから連絡があり、僕にこの番組に出て欲しいというオファーがあった。
この番組では素敵な生き方をしている人をピックアップし取材して番組で流し、
また、動画も同時にYouTubeで流しているという。

素敵な生き方をしている一人として、どうやら僕が選ばれたようだ。
多分、毎日飲んだくれてノー天気な毎日を送っている姿を見て決めてしまったみたい(笑)。
それが素敵なんだろうか・・・。
よく分からないが、受けることにした。

過去の出演者をチェックしてみるとそうそうたる人が多い。
また、これは期待を裏切るなと思いながらも、
会社の宣伝が少しでもできればと開き直り、一昨日の収録に立ち会った。

当日は磯谷くんがインタビュアーとなり僕から話を引っ張り出し、
その姿を吉川さんがカメラで押さえている。
こんな感じ。

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これはマジメな顔だが大体はオチャラケな表情ばかりだった。
会社ではなく個人にフォーカスするということで会社の宣伝はほとんどできず(笑)。

僕が辿ってきた道のりといかにくだらない生き方、
いや違う、いかにステキに生き方をしてきたかをベラベラ喋るというもの。
はっきりって誰も興味を持たないだろうと思う。
こんな番組を作ってていいのかとも思う。

それでも磯谷くんはそれが大切で、演出された姿ではなくナマの姿を伝えたいという。
元々カッコつけるタイプでもないので、ありのままを喋っていった。
彼はインタビュアーのしての腕が高い。
僕は調子に乗せられ、ほとんどどうでもいいことばかりだが、
2時間近くも喋ってしまった。
偉そうに若い人に伝えたいことや好きな言葉も語ってしまった。

その模様は7月9日(土)、10日(日)の番組でオンエアされる。
ちょっとだけいいことを言っているので、おヒマな人はぜひ聞いてください。
なんか、最近ラジオ多いね(笑)。

インタビューを受けながら自分でも気づいていなかったあることに気づいた。
「自然体」というキーワード。
僕は社長になってからより自然体で人に接しようと心掛けている。
そんなような話をした。
一般的に「自然体」とは周囲に気を遣わず、ありのままの自分を見せることを意味する言葉だと思う。
また、そんなふうに感じている人は多いだろう。

しかし、話をしているうちに気づいた。
僕の自然体とは違うと・・・。
僕の自然体は人に会う時は一定の緊張感を持つ。
約束はしっかりと守る。
目上の人に対しての接し方と同世代に対しての接し方の微妙な違い。
それも自分の中では自然体なのだ。

となると世間が思う自然体とは異なるが、それが自分にとっては自然体であり、
大切にすべきことだとこのやりとりのなかで気づかされた。
そんな話は番組内でカットされるかもしれないが、
インタビューを受けた僕がいい気付きを与えてもらった。
いやあ~、楽しい時間でしたね。

そして、最後はエントランスの前で記念撮影。

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彼は才能豊かだから、これからの活躍が楽しみ。
一昨日はありがとうございました。

何もしない社長は何も語れない

ありがたいことにちょくちょく講演の依頼を頂く。
そのほとんどは採用関連のこと。
最近はファミリービジネスのネタもあったりするが、ほぼ本業に絡んだ講演。

だが、ごく稀に妙な講演依頼も頂いたりする。
今回、アスクネットさんからの依頼もそう。
人材育成や組織を語って欲しいという。
僕はその道のプロではない。
どちらかといえば自分が学びたい側である。

しかし、担当者は勇気を振り絞ってお願いに来たのだから、
(どんな勇気かはわからないけど・・・)
無下に断るわけにはいかない。
「どうなっても責任は取りませんよ。」
と最初から責任放棄をして受けることにした。

タイトルを聞かれたので、
「何もしない社長が語る、就職、人材育成、組織とは」
とすこぶるいい加減なタイトル案を提出した。
そうしたら、そのまま採用されこんなチラシも出来あがってしまった。

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う~ん、完全にふざけている。
全く説得力に欠ける。
ところが「いやあ~、山田社長、これは面白いですよ。みなさん、逆に興味持ちますよ。」
とタイトルが勝手に独り歩きし始めた。

気づかないうちに実績のある高校の先生との対談も組み込まれていた。
「社会・地域から重宝される人材の共通点と育成法」
え~っ、オレは何を喋ればいいの??。

担当者に「どうなっても知りませんよ。」
と半ばやけくそ気味に言うも、
「大丈夫ですよ。普段通りで構いません。忌憚のない意見を語ってください」
と返ってくる。
普段通りだから困るんだろ。分かってないな・・・。
と心の中で呟くしかなかった。

一昨日、担当者、高校の先生、ファシリテーターの3名が
当日の打合せのため、わざわざお越し頂いた。
あちこちの話をしていたら何となく盛り上がってしまった。
ファシリテーターの方は
「こんな雰囲気でいいんじゃないでしょうか?」
なんて無責任なことを言う。

その時も「期待には沿えないと思います。」
とキッパリと言うが、そのあたりの事は軽く流されてしまった。
まあ、これは開き直るしかない。

何もしない社長が語るといってるんだから、何も語らなくなって叱られないだろう。
それはちょっと違うか。
どうせなら「何もしない社長は何も語れない」というタイトルにすればよかったかな。
それではどんどんわけの分からない方向に進んでしまうな(笑)。

当日はどんな事を話すかはまだ何も決めていない。
誰か何を話せばいいか教えてくれないかな・・・。
こっそり助けてあげたいと思う方は、こっそり教えてください(笑)。

そして、「時間を無駄にしてもいいよ!」という奇特な方は、
7月2日にナディアパークに来てください。
それでは主催者に真剣に叱られそうだ。

う~ん、安易に依頼を受けるものではないな・・・。
しばらく時間はあるので恥をかくのは最小限に留めるよう中味をこれから考えるとしよう。
どうぞよろしくね!

「創業300年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか」を学ぶ

一昨日の金曜日は僕も所属するFBAA(日本ファミリービジネスアドバイザー協会)
定例セミナーが行われた。
僕がファミリービジネスアドバイザーの資格を取得したのは2年前。
月日の経過は早い。
現在は第4期の方が資格取得に向け学ばれている。

今回のセミナーのスピーカーはグロービス経営大学院の田久保義彦氏。
このセミナーの基になっている書籍「創業300年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか」は
以前にブログでも紹介した。
知人が共同執筆をしていることもあり、馴染み深い。
ファミリービジネスを基本にしているが、どちらかといえば経営戦略の要素が強い。
それが僕には却って興味深く、今回の講演も自身の会社の目指すべき方向を含め大きな学びとなった。

講演の内容は以前のブログから想像してもらいたいので、ここでは多くを語らない(笑)。
この書籍に書かれていることも僕の中でかなり抜け落ちているので、
振り返りとしては十分であったし、何より新たな気づきが多かった。

それは僕がファミリービジネスアドバイザーという立場よりも一人の経営者として気づかされたこと。
名大社は同族企業ではないが、そこで重要視される価値観は繋いでいく必要がある。
同族の方がやり易いのは事実だが、そうでなくともできるはず。

今回の講演では岡谷鋼機さんや月桂冠さんの例が随所に盛り込まれ、
そこに田久保氏の調査結果から考察された鋭い経営的視点が述べられた。
経営にとって「倫理観」が重要なのは僕も常に思うところだが、
ビジネススクール的な見方で倫理観や神棚が語られたことはちょっと意外。
僕が学んでいた頃はもっとロジック主体で人間味が溢れる要素は少なかったのではないかな。
今の方が断然いいけど・・・。

企業が長く栄えるためには
・自社は何者なのかを見定める
・あくまでも謙虚に、しかし、前向きに
・当たり前のことを当たり前のように積み重ねる
・成長のための成長ではなく、継続のための成長を

この点が重要。

今回、田久保氏の講演を初めて拝聴したが、まるで講演者のお手本。
上手いし面白いし分かりやすい。
常にテキトーな講演しかしない(できない)自分にとって遠い存在だが、
少しでも近づきたいと思ってしまった。
おこがましいけど・・・。

そして、この日はもう一つ感動的なことがあった。
ジャ~ン。

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このグラフィックレコーディング。
クリエイティブファシリテーターの山田夏子さんが田久保氏の講演を聞きながら、
模造紙にこのようなイラストを描いてく。
スゲエ~。
単純にメモを取るだけでも大変なのに、こんなふうにまとめてしまうとは・・・。
それにメチャクチャ分かりやすい。

議論やワークをホワイトボートに書くことはよくあるが、
ここまでできたら湯水のようにアイデアが浮かびそう(笑)。

セミナー後の懇親会でご一緒できたのも光栄。
いろんな種類のワインも美味しかった。

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来週は久々にファミリービジネス向けの講演も行うので、それに向けてもいい勉強になった。
ありがとうございました。

「現場力を鍛える」を学ぶ

先週はトーマツイノベーション主催のセミナーに参加。
ローランド・ベルガー会長の遠藤功氏の講演「現場力を鍛える」を拝聴した。
遠藤氏の著書は「現場力を鍛える」が有名だが、僕は読んだことがない。
少し前に「経営戦略の教科書」を読んだが、それほど感銘は受けなかった。
大変失礼な言い方になってしまうが、
すでに理解していることばかりで目新しさを感じなかったのだ。
ブログにも取り上げなかった。

すいません。
大してできてないくせに生意気なことを言って・・・。
経営戦略を学ぶ前なら、もっと感動したとは思うけど・・・。
すいません。

今回、初めて直接話を伺ったのだが、
とても理解しやすく、その話しぶりも大変勉強になった。
結論から言えば、現場の感度を活かす企業が「微差力」を生み、
継続し積み重ねることで決定的なビジネスの差を生むという。
そのためにはまず大戦略(グランド・ストラテジー)を描く必要がある。
個別の戦略では意味がなく上位の戦略。

そもそもそれができていないじゃないか・・・と反省(苦笑)。

そして、自立分散型組織への転換が現場力を活かすことになる。
スーパーのイオンやイトーヨーカ堂の本部主義(管理中心)と
ヤオコー、オオゼキの個店主義(個々で考える)の例が分かりやすかった。
スーパー市場が縮小する中で、伸びているところとそうでないところの違い。
あくまでも一つの例に過ぎないが、多くの業界でいえること。

そこに「闘う集団」として戦闘能力を強化する。
これが今の経営において大切で、現場力の重要性を明確にしていた。
現場力を有効的に活かした例として、加茂水族館や
JR東日本テクノハートTESSEIを挙げられたが、こちらは単純に面白く参考になった。

現場力を鍛えるにはエンパワーメントも大事だが、それだけでは機能しない。
「現場の感度」を引き出す「本社の感度」が重要。
現場から力を発揮するのはボトムアップの世界だが、
そこに至るための政策はある意味トップダウン。
トップが現場に耳を傾けるための力量と支援が必要。

まだまだできているようでできていないことが多い。
現場のアイデアを簡単に否定してしまうのも問題。
これば僕自身の問題として捉えねばならない。

僕も営業を離れ随分と経つ。
徐々に現場のことに対して鈍くなっているのも事実。
自分ではその感覚がなくなるのは怖くて仕方ない。
かといって、今、営業に戻るのもナンセンス。
いわゆる「本社の感度」というものをどう鍛えるかが求められている。
「現場力を鍛える」ためにトップがやるべきことは多そうだ。

社長になるまでのこと <再掲2>

多分、うちの会社に詳しい業界の方は思っていたと思う。
トップ、ナンバー2のいない名大社は終わりだと・・・。
実際にそのような声は僕にも届いていた。
そんな時期での決断だった。

そこから社長とのやりとりが始まった。
100%の信頼をされていたわけではない。
「もしかしたら、こいつが会社を潰すかもしれない。
自分が作り上げてきた会社を他人が潰すくらいなら、解散した方がまし。」
もしくは
「私物化して会社をメチャクチャにするかもしれない。」
そんなふうに思われていた。

お互いに意見は交わすものの、多くの場合は持論をぶつけられ、
そこから前に進むのは難しかった。
社員もきっと不安だったはず。
ある時、右腕となる社員とサシ飲みをした。
会社の今後が話題の中心だったが、右腕は僕に聞いてきた。
「哲さんは本当に会社をやっていきますか?途中で辞めたりしませんか?」
当然ある疑問だろう。

僕はこれまでのこと、今回の決断のこと、多くの事を頭に巡らせながら答えた。
「大丈夫。辞めない。」
「なぜですか?」
「俺は今まで何かを途中で辞めたことがない。
学校も塾も部活もアルバイトも一度決めたことは辞めたことがない。
30歳から始めた日記も今やってるマラソンも辞めていない。
辞めた経験がないんだ。だから大丈夫だ。」
チープな論理だった。
それでも説得力は持っていたようだ。
右腕は「分かりました。納得しました。」と言って、後は何も聞かなかった。
それは右腕に言った言葉でもなく、自分自身に向けて言っている言葉だった。

そんな状況でも会社は動いている。
自らも営業し、数字が思うように上がらないものの、組織は鼓舞していかねばならない。
同時に経営計画書を作成していく。
今の赤字状態からどう脱却するか。
コストダウン、新商品の開発など黒字化するための道を探っていた。
苦しい時間であった。

最大のコストダウンはオフィスの移転。
創業以来、40年間、栄にある中日ビルにオフィスを構えていた。
徐々に拡張していったため、結構なスペースもあった。
そこから移転で大幅に固定費はカットできる。
しかし、40年間暮らしてきた場所を安々と離れることはトップの感情として許しがたいことでもあった。
ここの説得が難航したが、最後には理解してもらうことができた。

秋頃は、社長とそのようなやりとりを繰り返しながら、
会社存続に向け話し合いを続けていた。
ある時、急きょ呼び出され、二人で飲むことになった。
これまで一度もお邪魔をしたことのない洒落た小料理屋だった。

どんな話になるかは想像ができていた。
僕自身、覚悟もできていた。
どんなことがあろうと会社を守る。
自信も根拠もなかったが、その気持ちだけは強かった。

社長の懸念材料は多かったと思う。
一番大きな要素が会社は誰のものになるかという点。
「お前は会社を自分のものにするつもりはないか?私物化しようとしていないか?」
そこははっきりと答えた。
「ありません。もし、そんな様子を少しでも感じるようであれば、クビしてもらって構いません。」
自分でクビを切りだしたのは初めてだった。

これまで何度もダメ社員の烙印を押され、危うい立場を過ごしてきたが、
自らキッパリ言うのは初めてだった。
定かではないが、この言葉が社長の気持ちを変化させたのかもしれない。
そして、僕は11月に重要事項を決定した。
冬の賞与を一切支給しないことに決めたのだ。
前年も業績は悪かったが賞与がストップすることはなかった。
過去も一度もなかったはず。

それを僕が決めた。
ただでさえ給与が減り生活が苦しい状態でその決断は社員には本当に申し訳なかった。
心が離れる社員が増えるのも予想された。
全ての現場を任されていた僕は全員の前で詫びた。

誰ひとり非難する声は上がらなかった。
会社は酷い状況だったが、夏以降、誰も辞めなかった。
さすがに冬の賞与の件で退職者も出るだろうと覚悟したが、
その時も会社を去る者は誰もいなかった。
僕はそれが一番嬉しかった。

会社は何とかなると思えたのも、そんな仲間の存在だった。
賞与をゼロにしたことで社長は僕にすべてを任せようと決心したようだ。

12月上旬、急に社長宅に呼ばれた。
経営資料を携え最終的な詰めを行った。
そして、その時に僕が正式に会社を引き継ぐことが決まった。
驚くほど呆気なかった。

対外的には翌年の株主総会後だが、
実質は12月21日より全ての決裁権を自分が持つことがその場で決定した。
社長は体調を崩していたこともあり、自ら対応を早めに決断したのだろう。

さすがにその夜は眠れなかった。
布団の中にいても目が冴えるばかりだったので、
当時放映されていた「坂の上の雲」の録画を観た。
この世界に比べれば、まだまだ小さい事じゃないかと自分を納得させていた。
そんな気持ちで自分を維持しようとしていた。
寒さが堪えたのか、結局、風邪を引いてしまったことを記憶している。

とりとめなく書いてきたが、これが僕が社長になるまでの経験してきたこと。

帝王学を学んだわけでもなく、経営者の準備をしてきたわけでもない。
それでも会社は成り立つ。会社は毎日動いていく。
その年の大晦日の日記にも書いていたが、
この一年は僕の人生の中で最も変化の激しい、スピードの速い一年だった。
何年分かを一年で過ごしてしまったようだった。
トップを任される一年前に飛び込み営業をしている奴なんてあり得ない。

ここで会社以外のこと少し・・・。

社長を引き継ぐ事が決まった時、僕は実家と嫁さんの実家に挨拶に出向いた。
僕の実家は岐阜で農業も含め自営をしている。
僕は三人兄弟の長男。
父親はいずれ息子は戻ってくると期待していたと思う。

僕が実家に挨拶に出掛けたのは、その期待を完全に裏切ることを意味していた。
僕自身、そんな感じで思っていた。
僕は父親に、これから会社をやらなければならない。
家業はやれないとそんな様な話をした。

父親は「会社のことはよくわからんけど、あんばようやってちょ。」とだけ言った。
”あんばようやってちょ”と言うのは岐阜弁で、”しっかりやってくれ”という意味。
その言葉を聞いて僕は安堵とし父親の大きさに感謝した。

そして、嫁さんの実家にも挨拶に行った。
その一年前、義父を癌で亡くしていた。
僕は義母にこれまでの事を話した。

「これから会社を任されることになりました。
家庭の事は今以上にないがしろにするかもしれません。
もしかしたら、最悪の状況に引き込んでしまうかもしれません。
嫁にも子供にも迷惑を掛けるかもしれません。」

そんな僕の言葉に義母は言ってくれた。
「天国に行ったお義父さんは喜んでいると思うよ。
哲也さん、何も心配することなく頑張ってください。」と・・・。
僕は涙が出るくらい嬉しかった。
結局、僕は周りに支えられて生きているに過ぎない。

支えてくれたのは嫁さんの存在もあるだろう。
不思議なことに僕がどんな状況、立場であろうと何も変わらなかった。
単純に僕に関心がないだけかもしれないが、僕が役員を降格になった時も、
給与が半分になった時も、社長になる時も何ひとつ変わらなかった。
「あら、大変、どうしましょ~。」
と呑気に言うくらいで態度はいつも同じだった。
そんな態度に僕は救われたのかもしれない。

長々と書いてきた「社長になるまでのこと」。
思い出したままを感情的に書いているので、どこまで伝わったかわからないが、
今、こうしてこんな事を書けるのも幸せなこと。
改めて充実した毎日に感謝しなければならない。

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以上が2009年12月までのこと。
完全な手抜きブログだが、ご理解いただきたい。
明日からは愚か者ブログをしっかり書いていきます(笑)。
引き続きよろしくお願いします。

社長になるまでのこと <再掲>

明日、第47期株主総会を開催する。
この時期を迎えると思い出す。
こんな時を過ごしてきたことを僕は忘れてはいけないと・・・。
また、会社のメンバーも知っておかなければならない。
特に「丸の内チルドレン」はそう。
そのために2年前のブログを再掲したい。

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今でも時々考えることがある。
もしあの時、自分が引き受けていなかったら、会社はどうなっていたのだろうかと・・・。
少なくない確率で会社の存在はなかった。
そうだとすると、現在、共に働く仲間、名大社を支えてくれるクライアントやユーザー、
そして、僕がこの間、ご縁を頂いた知人やネットワークの存在もなかった。

あの時の決断は間違いではなかったと思うと同時に今、
こうして毎日を過ごせることに改めて感謝。
本日、株主総会を行い会社を任され5年目を迎える今、
いい機会でもあるので、当時の出来事を改めて振り返ってみたい。

役員を降格になったことは昨年同時期のブログに書いた。
2009年がスタートした時は悶々とした状態で仕事をしていた。
前年のリーマンショックで会社の業績は急降下。
過去一度も経験をしたことのない落ち込みを日々の営業活動の中で実感していた。

それでも会社を辞める気持ちは不思議と消えていて、
健康的な状態とは言い難いが真摯に仕事に向き合っていた。
しかし、会社の雰囲気は最悪。
退職する社員は後を絶たず、暗い雰囲気が全体を覆っていた。

組織の中心から外されていた僕は、会社を客観的に見ながらも一人黙々と仕事をする日々。
自分に課せられた仕事をこなすのみだった。
だが、自分の環境も徐々に変わり始めてきた。
社長やナンバー2にほとんど相手にされない日々から少しずつ意見を求められるようになってきた。
単純に組織が疲弊していたのが理由だったのかもしれない。

そして、期が明けた4月に営業部門を任される人事が発令された。
「何という気の変わりようだ」と僕は半信半疑でしかなかったが、
久々に部下を束ねることになり気持ちは盛り上がりつつあった。
しかし、業績の低迷は変わらない。
全く先行きの見えない時間を過ごしていた。

僕が代わる前に部門を率いてきた若手のリーダーはそれまでの態度と一変し、
あっという間に会社を去っていった。
あれだけトップに忠誠を誓い、部下に対して罵倒していた存在はいとも簡単に会社を辞めた。
その人事に納得できなかったのか、会社に愛想が尽きたのか、
先行きに期待感がなかったのかは分からないが、
僕は会社から逃げたとしか感じることはできなかった。
営業だけみれば僕よりは格段に優秀。
後輩だったためいろんな話もしてきたが、それ以降は一切に連絡を取ることはなくなった。

そして、5月のある日、数名の社員と社長宅に呼ばれ、食事をすることになった。
かなり重要な話がでることは覚悟をしていた。
一つはワークシェアリングの実施、もう一つは僕の役員への復帰だった。

役員の復帰といえば聞こえはいいかもしれない。
しかし、会社が最悪の時期にその役職は責任が重い。
しかも、ワークシェアリングの中味は半端なかった。
次長以上の役職は給与半分、出勤半分と大胆なもの。
僕の場合、給与半分にわずかな役員手当、出社は自由、
すなわち休みはなしということだった。
割の合わない仕事だった。
会社は助成金の申請をしていなかったため、次長より上の役職者の生活は厳しかった。

実際に僕も手取りの給与ではとてもじゃないが生活はしていけない。
完全な赤字。
幸いにも蓄えがあったため、貯金を切り崩しながらの生活だった。
休日にバイトをしようと真剣に考えていた。

若手社員はそこまで厳しい待遇ではなかったが、
会社に対してのロイヤリティは完全に失くしていた時期。
不安しかなかっただろう。

組織全体もギクシャクしていた。
社長とナンバー2との関係性が悪化した。
少し前から一枚岩に思えた2トップの関係が怪しくなっていた。
詳しい内容はここでは書かないが、結果的にナンバー2は役員を降り、しばらくして退職をした。
現場のリーダーを失くしたのだ。
営業部門の一つを任されていた僕が先輩を差し置き全体を仕切ることになった。

ナンバー2が役員を降りる頃、社長の会社に対する方向性が定まってきた。
高齢であった社長は自らの引退を表明し、3つの中から選択することを考えていた。
「会社の自主解散」
「会社の売却」
「社員が引き継ぐ」

「会社の売却」は社長の意に反する面もあり、選択肢から消えていた。
残すは2つ。
2つとした時点で社長の考えはある程度、決まっていたようだ。
「会社の自主解散」。
今なら社員に退職金を払って処分することができる。それが一番安全策という判断であった。
誰かに任せてもいいという話もされていたが、本意とは感じれなかった。
それに相応しい人物はいなかった。

幹部会でその話を切り出したわけだが、僕は自主解散の判断はやむを得ないと正直思っていた。
特に反対もしなかった。
トップがそう判断するのであれば仕方ないと結構冷めていた。

幹部会終了後、ナンバー2が僕を個室に呼んだ。
「哲、なぜ手を挙げない。お前しかいないだろ。」と言われた。
僕は理解できなかった。
つい数か月前まで、僕は組織から外れ、ほとんど窓際にいた人物。クビに近い存在ではなかったか。
どうしてそんなことを言われるのか当初は理解できなかった。
このブログを書くにあたり、その当時の日記を読み直してみたが、内容は酷いもの(苦笑)。
疲れた、疲れたという泣き言とトップの非難ばかり。
前向きさは微塵も感じられない。
情けない話だが健全な状態ではなかった。

しかし、それは僕だけではなく全社員が同じように感じていたのかもしれない。
もしかしたらナンバー2の一言から真剣に考え始めたのかもしれない。
それは今でも分からない。
ただその頃から、会社をどうすべきかと真剣に向き合うようになってきた。

「自主解散」という選択が本当に正しいのか。
一生懸命働いている社員はどうなる?
名大社を信頼してくれるお客さんを自分勝手な論理で裏切っていいのか?
本当にそれが正しいのか、
自分の行動はそれでいいのかと何度も何度も自問自答した。

次第に明確になってきた。
そして、答えがはっきりした。
「自分がやる」という解だった。
会社全体にそんな雰囲気が少なからずあったと自分勝手に感じていた。
それが後押ししてくれた面もあるかもしれない。

だが、その判断は自分に最大のリスクを与えることになる。
現時点で業績は最悪。売上も前年比3割である。
3割ダウンではない。
ワークシェアリングを実施しているとはいえ、赤字が続いていた。

このままの状態であれば、いずれ破たんを招くことになる。
無借金企業といえどもあっという間に債務超過に陥ることもある。
尊敬する先輩にも揶揄された。
「どろ船の船長になるのか?」と・・・。

(続く・・・)