これからも前向きに 名大社会長ブログ

食べ物のはなし 番外編 じか重(上)

明後日からゴールデンウイーク。
長い方は10連休になるのでしょうか。
名大社は4月29日~5月5日までがGW休暇ですが、
6日に有給を取り10連休にするスタッフも多いようです。

どこか遠くへ旅行にでも出掛けるのでしょうか。
充実した休暇を過ごして欲しいものです。
休暇を前に参考となるブログをお届けしましょう。

今回は番外編。
千葉県香取市佐原まで行ってきました。
初めて訪れる土地。
狭いようで広い国内。
まだまだ知らない土地は多いです。

佐原と聞いてどんな料理を思い浮かべるでしょうか?
は~ん、なるほど・・・。
えっ、何も思い浮かばない。
人それぞれだと思いますが、名古屋人はほとんど思い浮かばないかもしれません。

はい、佐原といえば鰻。
鰻を食べなければいけません。
本当かどうかはわかりません・・・。

佐原で有名な「うなぎ割烹山田」さんに行ってきました。

遠い親戚と思った方も多いでしょう。
まったく関係ありません。
「そんなことわかっとる」
とツッコミが入りそうですが、ここはフリとしてご理解ください。

こちらは地元の人気店。
すぐに順番待ちになるので、最新のシステムで登録します。

手書き、チラシの裏を利用、ピンで刺す。
スマホに慣れた身としては最初どう使いこなすか迷いましたが、
地元の方が親切に教えてくれました。

開店前にお店に到着しましたが、すでに5番目。
しかし、この最新システムは今、自分がどのあたりにいるのか一目瞭然。
さすがの機能といえるでしょう。

まずは肝煮からスタート。

東海地区で肝といえば肝焼きですが、こちらは肝煮。
そのまま食べるわけにもいかず、やむを得ずビールを注文しました。

そうなると刺身盛合わせも食べたくなります。

せっかく鰻屋さんにお邪魔したので、白焼も食べることにします。

これが関東風の鰻。
ふっくらとした食感がたまりません。
そしてメインに入ります。

じか重(上) 4000円

立派なうな重です。
しかし、こちらのお店ではじか重と呼びます。
メニューにはうな重もありますが、うな重はいわゆる長焼定食になります。
じか重というメニューをみて、
ご飯の間に鰻が挟まっていると思ったのは僕だけでしょうか。

かなり濃いタレにみえますが、しつこくはありません。
表面はカリっと、中はフワっとした状態。
何の工夫もない表現ですが、それが一番伝わるでしょう。
肝吸いもついて、とても美味しく頂きました。

普段、うな丼の並しか食べれない身分としては最高の贅沢。
それも遠い地。
番外編だから許されますね。

GWに千葉に行かれる方はぜひ!
ごちそうさまでした。

仕事はやってますよ

最近、会う方に
「山田さん、もう辞めたんだっけ?」
なんて聞かれることが多くなった。

先月末に社長退任の報告をしたわけだが、今はまだ社長。
6月からも会長に就任するので、会社を辞めるわけではない。
仕事をしていないと錯覚する人や、
食べ歩き好きの半生を語る映画コラムニストと思う人もいたり・・・。。

「いいねえ~、悠々自適な生活で」
なんて全くお門違いのことを言われる方も。
世間では社長退任をそんなふうに捉えているのだろうか。

実際、悠々自適な隠居生活の方もいるが、
僕の場合、そんな余裕は一切ない。
まだまだ働かなくてはならない。
会社のためにも地域のためにも、
もちろん家族のためにも働かなきゃいけないのだ。

そんな意味では、これからより外に出る機会は増える。
また、そんな仕事を増やしていく。
ありがたいことにお声を掛けて頂くことも多い。

僕がやれることは何でもやります。
ぜひ、お声がけを!

そんなわけで、今週28日(木)は高校生の保護者向けの講演。

コロナの影響で2年間中止になっていたが、今年から再開。
僕のためにわざわざスケジュールを動かして頂いた。
写真は今まで以上に大きな扱い。
また、ブログまで紹介されている。
期待を裏切らないよう、気合いを入れて臨みます!

GW明けには大垣市で若手経営者向けの講演。
こちらはファミリービジネスについて話をさせてもらう。

10日には自分たちが中心の名古屋ファミリービジネス研究会のセミナーもあるし。
詳細はこちら
リアルは満席(あと1名・・・)。
オンラインは受付中だが、間もなく締切なのでお早めに。

6月からは大学の授業も始まる。
こちらはすでに5年目。
母校での講義もあったり・・・。

そんな感じで仕事はやっている。
名大社のメインの事業である採用支援とは異なるが、そこに繋がる流れにもなる。
少しでもお役に立てればいい。

僕がヒマそうにしてると思っている方は多い。
合っているようで合っていない。
おかげさまでお誘いいただき、夜の予定はかなり埋まってきた。
日中は日によって大きく違う。
余裕のある日も多い。

どんどん仕事はやりますよ。
営業もします。
お声がけ頂けると嬉しいですね。

どうぞよろしくお願いします。

名大社半生を振り返る その19

ビジネススクールへの通学は僕に大きな刺激を与えた。
名古屋校は2005年で開校3年目。
参加している連中は意識が高く能力的にも優れていた。

自分でそこそこできると思っていた僕はその能力の差に愕然とした。
完全に「井の中の蛙」だった。
自分のいる世界がいかに小さいかを痛感。
何もかも劣っている気がして危機感が増した。

却ってそれがよかった。
もし、ビジネススクールに通っていなければ今の僕は存在しなかった。
素晴らしい友人にも出会えたし、ここでの付き合いが自分の支えになった。
今もオンとオフの師匠でもある講師と出会ったのも2005年。

志の高い仲間と付き合い自分の未熟さを実感し机にも向かった。
それは仕事にもいい影響を与えた。
毎年のように僕が選考したメンバーが入社するのも励みになった。
仕事が好循環で回ったため、会社に対してのネガティブな要素も薄らいできた。

会社は2005年に名大社火曜日という子会社を設立。
非常勤の女性の営業部隊で転職フェアなど自社メディアを販売。
それほど知識やノウハウがなくても売れたので大きな戦力にもなった。

メンバーは火曜日のみ出勤。
ほぼ業務委託に近い雇用契約で歩合制。
会社として固定費のリスクは少なかった。
社長は名大社水曜日、木曜日、金曜日と作ることで営業チャネルを増やすことを目論んだ。

一時期は盛り上げてくれた存在だったが、
最後は僕が解散させることになってしまうが・・・。

この時期は業績的にも好調で、南端の会、北端の会という慰安旅行が企画された。
1年に2回メンバーをチョイスし、沖縄と北海道に3泊4日の旅行に出掛けた。
僕は沖縄の1組目で贅沢な経験もさせてもらった。
全額会社持ちでホテルもブセナテラスという高級リゾート。
利益還元も積極的に行われた時期で、ほぼ全員に順番が回ってきた。

オンもオフも多忙。
罪滅ぼし的に家族で毎年夏に沖縄旅行、冬に温泉旅行に出掛けた。
点数稼ぎをして何とか平和を維持。
あちこちに気を遣う日々だったが、充実もしていた。

2006年4月には制作企画部門の責任者を任された。
5月末の株主総会で取締役の就任も決まった。
「取締役待遇次長」というヘンテコな役職は名刺から消えた。
40歳になったばかりで史上最年少の役員。

サラリーマン人生でピークを迎えたが、長くは続かなかった。

続く・・・。

映画「金の糸」

本作の存在は全く知らなかった。
偶然観ただけのこと。
そんな表現では作品に対して失礼だが、正直な話。

では、なぜ観たか。
岩波ホールで上映されていたから・・・。

年明けのニュースで岩波ホールが7月末で閉館することを聞いた。
開館時からヒットしそうもない隠れた名作を上映する映画館とは知っていた。
一度くらいはお邪魔したいと思いつつ、機会がないまま今に至った。

これも偶然だろう。
最近、なぜか神保町に伺う機会が増えた。
そして、上手く時間調整できた。
それで観ることができたのが本作。
たまたまが重なったが、本作もいかにも岩波ホールらしい映画。

しかし、事前知識は一切なし。
ポスターからご老人が主役の映画と想像させるくらい。
オープニングのテロップが何語かさっぱり分からない。

どこの国の映画?。
映画を観ながら北欧?ロシア?とはっきりしないまま映画は終わった。
初めてジョージアの映画を観た。
本作は日本との国交樹立30周年記念作品で、その題材は日本の由来。

金の糸で過去を繋ぎ合わせるのなら、痛ましい過去でさえ財産になる。
ラナ・ゴゴベリゼ監督はそういう。
短絡的な観方だと老人の過去を振り返る恋愛映画になってしまう。

それは確かに短絡的。
現実はそんな甘っちょろいことではなく、激動の時代が背景。
ソビエト連邦下でのそれぞれ置かれた立場が複雑に混じり合い、今の生き方に反映されている。
壊れた人生を継ぎ合わせることで修復することもあれば、
知らなければ幸せな人生の最後を迎えられるのに知ってしまったり・・・。

それが静かに流れる音楽と共に淡々と映画は進行する。
ジョージアの古い街並みが見事に絡み合う。
こんな機会でなければ、ジョージア映画に出会うことはなかった。
岩波ホールに感謝かな。

お邪魔した時、館内は結構な混み具合。
普段がこの状況なら閉館することはないと思う。

しかし、僕も閉館を知って訪れたにすぎない。
そんな観客は多い。
気づいた時には手遅れになる。
そうならないように金の糸を引くことを常に意識できるといい。

最後にお邪魔できてよかった。
ありがとうございました。

なごや昭和写真帖 キネマと白球

たまには書店に行かなきゃいけない。
本書は書店でなければ買うことはなかった。
そもそも存在すら知らず検索することもない。

たまたま寄ったジュンク堂書店で平積みしてあるのを手に取った。
発行元の風媒社は名古屋の小さな出版社・・・。

かつて名古屋には名古屋タイムズという夕刊紙があった。
僕らは「名タイ」と呼んでいたが、今の若い人はその存在すら知らないだろう。
広告を取り扱ったことはないが、名古屋の夕刊紙といえば名古屋タイムズ、
中京スポーツ、元上司が在籍する日刊ゲンダイ。

マジメな情報はほとんどなく、
(すみません、ちょっとはあるかな?)
娯楽、スポーツ、ギャンブル、お色気が中心。
僕が20代の頃はまだ元気ではあったが、ピークはとうに過ぎていた。

「名タイ」は平成20年に休刊。
時代の流れには逆らえなかった。
全国には同じような紙媒体はいくつもあるんだろうね。

本書は「名タイ」が報道してきた映画と野球の世界を描いている。
それも僕が知る由もない昭和20年代、30年代を中心に・・・。
映画コラムニストの端くれとしては名古屋の映画の歴史も押さえておかなきゃいけない。

脈々と続く文化が今に繋がっている。
その昔、映画は娯楽の王様。
驚いたことにピーク時(昭和27年)には名古屋市内には69館もの映画館があった。
栄地区だけでも15館あり、伏見界隈にも多くの映画館が存在した。
僕の住む中川区にもあったり・・・。
今でもシネコンを数に含めれば近い数はあるが、捉え方は随分異なる。

僕が愛用するミリオン座はその昔もミリオン座として独特の存在感を放っていた。
記録写真では当時の街の風景共に映画館が写し出されているが、どのあたりかはイメージできない。
昭和30年代の名古屋の街並みで分かるのはテレビ塔と納屋橋くらい。

それを眺めながら、いろんな想像をするだけでも面白い。
本書を読んでいて思い出したことがあった。

僕は学生時代、名古屋駅前の映画館でバイトをしていた。
今、ミッドランドスクエアシネマを運営する中日本興業が
駅前にいくつも映画館を持っており、その一つでバイトをずっとやっていた。
時給は驚くほど安かったが、運営する映画館はタダで観れたので十分元は取れた。

それとは別に僕の所属する映研は栄にある東映会館で代々バイトしていた。
当時、週末にオールナイトをやっており勝手に出入りしていたし、
観たい映画は当然のようにタダで観させてもらった。
おおらかな時代だった。

その頃、映画館に掲げられた大看板は一枚一枚手作り。
いかにも画家崩れのような人たちが別の部屋で大看板を描いていた。
すこぶる上手かった。
上映の切り替え時はその看板の取り付け作業も手伝った。
今や映画館もシステマティックになり、そうじゃないとストレスを感じてしまうが、
そんな時代を懐かしく思った。

映画のことばかり書いてきたが、本書には中日スタジアム、中日球場、
ナゴヤ球場に絡むドラゴンズや他のチームのことも・・・。
昔は名古屋にも女子プロがあったわけね。

記念に取っておくにはいい一冊。
あんまり本書に触れてない気もするが・・・。

たまには書店に出掛けようね。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その216

4月も半ばを過ぎて、春らしさを感じるというより夏の入り口一歩手前の装いです。
春と秋がどんどん短く感じるのは私だけでしょうか。
もしくは年齢のせいでしょうか。

1か月後は56歳になってしまいます。
体は元気いっぱいですが、その年齢を耳にすると急に年寄りになった気がします。

それが理由ではありませんが、最近は蕎麦を頂く割合が高くなりました。
暑くなってきたので、シンプルにざる蕎麦。
それで満足してしまう体はどうなんでしょうか。

いやいや、まだまだ攻めなけれななりません。
いつまでもその姿勢を持たねばならぬのです。
そのためには蕎麦ではなくラーメン。
それもガツンと響く迫力のある代物が求められます。

インスタあたりをチェックすると最近、それに相応しいお店がオープンしました。
会社から北に向かい錦通を越えた場所にある「焼豚そば啜る」さんです。

系列店の「鶏そば啜る」さんは人気店。
以前のこの伏見シリーズでも紹介しました。
その時のブログはこちら

系列店はこの界隈にいくつかあるので同じ業態だとカニバリが起きます。
ここは気を付けなければなりません。

ずっと自販機を眺めます。

どうやら焼豚で勝負するようです。
写真では見ずらいですが、1枚、2枚、3枚、4枚と焼豚の枚数で値段が異なります。

ここは全国30万の読者のためにも3枚あたりを選ぶべきでしょう。
購入し、元気にいいスタッフにチケットを渡します。

ラーメンに対するこだわりを理解しながら、しばらく待ちます。

中華そば(並)焼豚1枚 850円

なんだ、なんだ、3枚じゃないのか。
2枚でもないじゃないか・・・。
クレームの電話が鳴りやみません。

ここは消極的な姿勢が出てしまいました。
これも来月56歳を迎える年寄り感かもしれません。
ちと、情けないか・・・。

しかし、この1枚がとてつもなくデカい。
厚切りベーコンステーキ的なこの感じ。
リフトアップで写真を撮りたいところですが、
カウンターのみの店舗で、
目の前にスタッフさんが身を構える場でそんな勇気はありませんでした。

結論からいえば1枚で十分お腹は満たされます。
焼豚大好き人間はチャレンジすべきでしょうが、
ただのラーメン好きはあまり無理をしないほうがいいでしょう。

それでも一度くらいは2枚の挑戦はしてみるか・・・。
とても美味しく頂くことができました。
ピーク時間を外してお邪魔することをおススメします。

ごちそうさまでした。

「なごや七福神めぐり」に行ってきた。

3月の初めだっただろうか。
いきなり家人が
「やまちゃん、七福神めぐりに行かない?」
と誘ってきた。
どうやら友達からご利益があるとかないとか情報を入れてきたようだ。

少々面倒であっても、ここは
「いいね、行こう!」と言わねばならない。
点数を稼げる時に稼いでおくのだ。

調べると公式案内から僕のようなブロガーまで様々な情報がアップ。
名古屋市内の7つの福神さまと寺院を回る。
特に順番は決まっていない。
1日で全部回るのは無理なので、2回に分けて巡ることにした。

3月6日(日)が空いていたので、早速。
この日は雪がチラつく寒さ。
翌週の名古屋シティマラソンの暑さを思うと信じられないくらい。

一番遠い南区にある笠寺観音笠覆寺からスタート。
こちらは恵比須さま。

まずはともあれ商売繁盛から。
大色紙を買うのにどれにしようか家人は迷う。
僕はさっさと決めるので、それで揉めたり・・・。
御朱印をもらうのに手間取ってしまった。

そんなやり取りを見ていたおじさんが声を掛けてきた。
「初めて七福神めぐりをされるんですか?」
「はい、要領がよく分からなくて・・・」
と話をすると懇切丁寧に教えてくれた。

このおじさん、リーマンショック時に失業して悩んでいた時に七福神めぐりをしたら、
不思議と仕事が決まり、その後も順調だという。
お礼方々、年に何回も回るという。
もう40回を超えたとその御朱印帳を見せてくれた。
ご利益があるわけね。

感謝を述べ、次に向かったのは港区の宝生山辯天寺
こちらは辯才天さま。

こちらは静かな寺院。

そして、中川区にある如意山宝珠院
こちらは大黒天さま。

自宅から比較的近いが初めて訪れた。
もっと地域を知らねばならないね。
初日は3か所で終了。

それからお互いゆっくりする時間が取れなかった。
ようやく都合がついたのは4月10日(日)。
3回目のワクチン接種翌日だったが、二人とも元気。
何も予定を入れてなかったので、急遽、出掛けることに。

1か月前と比較すると気候はまるで違う。
シャツ一枚でも暑いくらいの陽気だった。

向かったのは昭和区の八事山興正寺

何気に初めてお邪魔した。
こちらは寿老人さま。

僕はともかく家人には長生きしてもらいたい。
前週だったら桜が満開だった。

そして中区にある成田山萬福院
こちらは福禄寿さま。

頻繁に若宮大通を通るが、こちらも初めて。
そのまま錦方面へ移動。

袋町お聖天福生院へ。
こちらは毘沙門天さま。

いかんね、この付近も夜な夜な通るというのに・・・。
中に入ると格式を感じた。

そして、最後が大須観音宝生院
こちらは布袋尊さま。

初詣も欠かさずお参りするし、年何度も訪れる。
しかし、社務所がこんな奥まった場所にあるとは知らなかった。

2日通して「なごや七福神めぐり」は無事終了。
帰り道にもご利益が・・・。

普段、必ず混む交差点がスムーズに通れた。
いつも駐車場が満杯のコンビニにすっと入れた。
出た時は入れない車が右往左往。
普段より快適に家路につくことができた。

これも福をお授け下さったということ。
こちらが三つ折りの色紙。

ありがたいことですね。
こうして家庭円満にもなるわけだし・・・。

GWも家人とどこかへ出掛けてみるかな。

名大社半生を振り返る その18

2004年、2005年はモーレツに忙しかった。
2005年には愛知万博もあったため、その前後は景気も上向き。
会社の業績も上がっていた。

僕の営業マネージャーとしての評価はイマイチだったが、他の業務はどんどん押し寄せてきた。
そんな時期にCDA(キャリアカウンセラー)の講座に通い、資格取得を目指し勉強をした。

小さい子供を2人抱える嫁さん。
仕事ばかりで家庭を任せきりで、休日も勉強といって外出する旦那。
それだけならまだ許してくれるだろう。
仕事を終わってからの飲み会。
勉強会が終わってからの飲み会。

嫁さんは怒り心頭。
「なぜ分かってくれない?」
僕は自分を正当化したが、今の時代なら三行半だろうね。
やっぱり、スミマセン・・・。

新卒市場も再び活況になってきた。
リクルートなど大手同業他社は新たなイベントを打ち出した。
負けてはいられない。
対抗する大手向きの企画を立て、それまでお付き合いのなかった企業にも積極的にアプローチした。

ご縁のなかった地元大手企業と口座を持ったのもこの頃。
ここでは自慢をさせてもらうが、地場を代表する大手企業のかなりの割合を僕が開拓をした。
イベントも成果を出した。

2004年10月に取締役待遇次長というヘンテコな役職をもらった。
懇意にするクライアントから
「山田さん、それって役員じゃないよね?」
「そうですね」
「執行役員なの?」
「違いますね」
「じゃあ、何?」
「取締役に近い待遇ってことじゃないですか?」
「それで次長なの?」
「そうです」
「ギャハハハ」

自分でもよく分からなかったが、責任が重くなったのは事実。
書きたいことは他にもあるが、半生が進まないので細かいことは省く。
Pマークも無事に取得したとか・・・。

昼休憩は15分ほど。
当時、中日ビルの地下に「らーめん亭」というお値打ちな中華料理屋さんがあった。
確かチャーハンも天津飯も400円くらい。
天津飯はあっという間に出てくる。
そこでサクッと食べ会社に戻ることが多かった。

2005年1月にCDAも無事に合格。
大して勉強ができない割に目覚めてしまった。
4月からはビジネススクール(グロービス)にも通い始めた。

世間は盛り上がっていた2005年だが、会社は壮絶な年。
全社員の1/3が退職をした。
それも重要な戦力を失くした。

以前僕の部下だったTはその後、営業部門のエースとしてチーム全体で会社を引っ張っていた。
そのTが退職をした。
お互い別のチームを持っていた時も頻繁に飲みに行き、未来を語り合った。

そのTが退職。
その他信頼していたメンバーも辞めた。
「山田さんのことは尊敬しているし好きだけど、会社には付いていけません・・・」
そんなことも言われた。
かなり辛かった。

それが勉強に向かわせた理由の一つ。
会社は僕のビジネススクールへの通学を知り、受講料は会社持ちでいいと言ってくれた。
僕はそれを断った。
反発心があったのだろうか。

今思えば、とても勿体ない。

続く・・・。

映画「アメリカン・ユートピア」

昨年の公開時に見逃した作品。
つい先日もミリオン座で再上映されていたが、それもタイミング合わず観れず。
つくづく縁がないと思っていたら、Amazonプライムに登場。
ようやく観ることができた。

結論から言おう。
本作は映画館で観るべき。
本当はLIVEに行くべきだろうが、最低限でも映画館で観た方がいい。

その方が映画の魅力が十分伝わる。
映画を観た実績は残るが、少し物足りないような気がしてならない。

そして、もう一つ思ったこと。
やはり英語を理解する力。
一般的な海外作品もそれを感じるが、本作はより感じさせてくれた。
字幕があるとはいえ歌詞が理解できるかで伝える側のメッセージ力は異なる。

この年齢から英語の勉強なんて、どうかしてるのかな(笑)。
しかし、本作を観ると年齢なんてどうでもよくなる。

主役デヴィッド・バーンは公開時69歳。
あの軽やかな身のこなし。
創造的な空間作り。
そして、クールだが熱い発信力。

どこを切り取っても年齢を感じさせることはない。
むしろ人間的な厚みを感じさせる。
汗もかいていないし・・・。
ミュージシャンはみんなそう。
あれだけ激しい動きをしても、汗だくの者は一人もいない。
う~ん、ナゼだ??

監督はスパイクリー。
僕が20代の頃、一世を風靡した感はあるが、久しぶりに聞く名前。
ここ20年の活躍を僕が知らないだけだが、
今はこんな斬新で前衛的な映像を撮るんだ。
カメラワークをみるととても1回のLIVEを撮ったようには思えない。
一体、どんな演出があるのだろうか。

そのシンクロ具合も絶妙。
だからこそ映画としての評価も価値も高い。

70年代、80年代、
僕は多感な時期だったが、トーキング・ヘッズはほとんど聞かなかった。
当時は正統派のロックを求めていた。

本作でも知っていたのは最後のアンコール曲のみ。
あとは初めて聞いた曲ばかり。
そのあたりでも楽しみ方も変わる。

より音楽を知り、映画館で観ればもっと楽しめた映画だった。
ちょっと勿体なかったかな。

映画「ファーザー」

昨年の公開時に見逃した作品。
アカデミー賞ノミネート作品であり、主演男優賞を獲得。
アンソニー・ホプキンスの受賞を映画を観た人は誰しも納得するところ。
自己と葛藤する痴呆老人を見事に演じていた。
とても演技とは思えなかった。

本作のような家族愛を描く人間ドラマは珍しくはない。
テーマとしてもオーソドックス。
そこは僕が見逃した理由でもあるが、観終えて感じたことは「実に新しい」ということ。

痴呆症の老人に振り回される家族を描く作品はどこかで観ている。
それは日本映画であろうと海外映画であろうと描く世界は近い。
しかし、その視点はあくまでも相手側。
痴呆老人の相手をする家族や仲間の視点で描く。

時に感情的になり、時に冷静になり、時にその対応に疲れ切ったり。
痴呆症を客観的に捉えることがほとんど。

本作はその視点を持ちながらも、圧倒的に痴呆症の本人の視点で描かれる。
痴呆症の方がどんな目線なのか、どんな気持ちなのか、実際は誰も理解できない。
分析する術はあるだろうが、感情面は本人しか分からないはず。
いや、本人も目の前で起きていることは分からない。

手元にあるべき時計はなく、いるはずの家族がいない。
架空の人物と実在の人物が入り交じる。
その区別がつかず、すべて実在。
もしくはすべて架空。

僕は将来ボケ老人にならないために思考力を維持できるよう普段の生活は心掛けている。
「あれだよ、あれ」という表現を極力なくし、頭の中で言葉を巡らせる。
それでも「あれですよね~」「あれはいいよね」なんて、言ってしまうけど・・・。

それもボケ防止のために必要なことだと思っていた。
もしかしたらそれは逆かもしれない。
より頭の中を巡らせたり、想像力を発揮させる方が痴呆症に近づくのかもしれない。

アンソニー・ホプキンス演じるアンソニーは、
(これはワザと付けた役名?)
想像力が豊かでボキャブラリーも豊富。
知識人であったのは間違いない。

だからこそより面倒な老人となり、家族を困らせる。
時々、困らせたことに気づきながら・・・。
多分、これが現実なのかな?と彷徨ってしまうのだろう。

だからだろうか。
この面倒くさい父親に共感してしまうし、感情移入もする。
自分の父親くらいの年齢なのに。
僕は子供の立場のはずだが、気づいた時に父親と自分がオーバーラップする。
未来の自分が映っていると錯覚に陥る。
全然違う世界なのに・・・。

僕はボケて周りに迷惑をかけるくらいなら、とっとと死にたい。
その考えは変わらない。
しかし、勘違いしたまま自分勝手に現実を受けてめて死ねるなら、それも幸せかと。

映画を観て、そんなことを思ってしまった。
映画に国境はないね。