これからも前向きに 名大社会長ブログ

コロナ倒産の真相 帝国データバンク 情報部

特に難しいことが書かれているわけではない。
日々、新聞やTVの報道で観る中身。
それが具体例を持ち、また変な感情論を省いて書かれている。

この第三者的な立場の冷酷さが今の日本の現状であり、
更に近い将来予測されることとなるのだろう。

コロナによる打撃は名大社の事業においてもかつてない大きさ。
リーマンショック時も酷かったが、今回も負けず劣らず。
そんなことを威張っても悲しいだけだが、それが現実。

違いといえばリーマン時は仕掛けることができたがコロナ禍ではそれができない。
制約の中で事業を行わなければならない辛さがあった。
新たな事業を生み出せばいいのだが、それが簡単にできれば苦労はない。
指をくわえて見ているわけではないが、
部外者からすればそう捉えられるのかもしれない。

新年度に入り、少しずつだが回復傾向があるのは救い。
ひとりひとりの地道な努力が実を結んでいることが大きい。
それには感謝せねばならない。

本書には「コロナ関連倒産」の定義からその傾向が書かれている。
アパレル、娯楽、観光、飲食、製造業、その他の業界の実態を描いている。
確かにその通り。

今日現在の飲食業のように手の施しようのない業界もある。
我慢に我慢を重ねる。
僕の知り合いにも悲痛の叫びをぐっと堪えて耐える方もいる。
他人に気を配る余裕はないが、その影響度は自分たちの比ではない。

一方で本書で取り上げられる多くの企業はコロナは結果でしかない。
コロナが決定打にはなったが、原因とは言い難い。
コロナ前からの事業低迷、長年にわたる不正、隠蔽、社内での不祥事。

それがコロナにより露わとなり、救いの手を閉ざられたといっていい。
本書を読んで改めて思ったことは普段が大事。
景気のいい時も驕らず、私利私欲にまみれず、
信頼できる関係性を維持し続けることが重要。

経営戦略以前の話で会社は揺れ動く。
実際はそんなバカげたケースばかりではないが、いかにそれが多いか、
結果的に誰も助けてくれない状況に陥るのか、そんなことがいえる。

読んでいて楽しくもないし、大した勉強にもならないが、
反面教師的に捉えるために時々この類を読む必要はある。

巻末に老舗企業の強さについて書かれている。
現在、業歴が100年をこえる老舗企業は全国に約34,000社。
そのうち約8割が年商10億未満の企業。

そんな企業は「戦争」さえも乗り越えている。
どう乗り越えてきたか。
いくつかの理由はあるが、結局のところ「変化」。
そして「信頼の維持・向上」。

どんな時代でも肝心なところは変わらない。
そこだけは見誤らないようにしないとね。

映画「いのちの停車場」

日本映画界は吉永小百合が生存する限り、
彼女をアイドルとして作品を作り続けなければならない。
そう感じた作品。

いくつになっても吉永小百合は純粋で可憐なアイドルであり、その輝きは衰えることはない。
何故か、ここ最近、僕は彼女の作品を鑑賞している。

2014年 ふしぎな岬の物語
2016年 母と暮せば
2019年 最高の人生の見つけ方

特別なファンではないが、鑑賞券を頂いたりとご縁がある。
自分の母親とさほど変わらない年齢だし、サユリストなんてタモリの発言で知っただけ。

しかし、何とも可愛らしい。
永遠のアイドルといってもいい。
どの作品もそんな印象。

現在76歳だが、本作では50代後半くらいの設定だろうか。
彼女の父親役の田中泯も実年齢76歳。
二人を調べてみると誕生日は3日しか違わない。
同じ3月生まれで・・・。

それが映画では父親と娘。
果たして田中泯は光栄と感じているのだろうか。
とストーリーとは全く異なる世界の話になってしまった。
すみません。
いかん、そのアイドル性をどうしても語りたくなってしまった。

舞台は彼女が診療所の医師として働く在宅医療の現場。
余命短い父親と暮らしながら、いろんな立場や環境の患者と向き合っていく。
人は老いて亡くなるだけでない。
寿命を全うするわけでもない。
悔いなく死を迎えることもあれば、悔いしか残らないこともある。

本作は人との触れ合いの中で観る者に「いのち」の尊さを考えさせる。
それは僕も感じたこと。
これまで死について考えたことはほとんどない。
あまり長生きしてもしょうがない。
いずれは死ぬ。
その程度に捉えていた。

しかし、こんな作品を見せつけられるとそうはいかない。
自分の死について考えざるを得ない。
特に同世代に近いギバちゃんが亡くなるシーンは身につまされた。

本作のメッセージはそれだけではないはず。
そう思うが、感じ方はそれぞれでいい。
そんな作品。

広瀬すずも松坂桃李も爽やかな演技。
暗い話だが重くならないのもいい。
ラストシーンの捉え方は千差万別だが・・・。

こういったアイドル映画を日本映画は作り続ける必要もあるだろう。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その183

緊急事態宣言解除まであと11日。
これ以上延長されないことを望むばかりです。
それは人気食べ物ブロガーが願うだけでなく、ほぼすべての方の願いではないでしょうか。

特に飲食業界の方の願いは切実だと察します。
大した貢献もできませんが、少しでも応援しようと過ごす毎日です。

会社から北に向かい桜通り手前まで歩きます。
これもギリギリ伏見シリーズ範囲といえるでしょう。
「魚屋の台所 下の一色 ニシキ店」さんに行ってきました。

後継者である森常務は積極的にYouTubeも活用され、業界全体を盛り上げています。
その華やかさからファンも多いでしょう。
2年前の今の時期に名大社のセミナールームで講演もしてもらいました。

その時のブログがこちらです。
「これからのファミリービジネスの発展のために…」
懇親会も盛り上がり、名物の鯨も頂きました。
こんな懇親会もぜひやりたいですね。

今回はランチです。
ランチメニューはかなり豊富。

何にしようか迷うところですが、なぜか頭の中にアジが泳いでいます。
理由は分かりません。
偶然にも本日のフライ定食はアジフライ。
そうなると鯨でもなく丼でもなく攻めなければなりません。

本日のフライ定食 998円

ド~ンと構えるアジフライですが、その周りを数多くのおかずが並びます。
「お~、いいぞ、さてさて、なにから食べるかな・・・」
まずはうどんです。次にサラダ。
そしてかぼちゃの煮物と比較的正統派の行動をします。

体を整えたところで刺身へ突入。
カツオ、マグロ、サーモンと流れのまま進みます。
時折、ご飯を食べ、みそ汁をすすり胃の中を温めていきます。

そして真打の登場。

かなり大ぶりなアジフライ。
ご飯のお供に最適です。
いけません、唐揚げの存在を忘れていました。
交互に頂きながら満足感を得ていきます。

これだけ並ぶと幸せな気持ちになりますね。
「ふ~、美味かった」
55歳のオッサンらしくお腹をポンと叩きます。

食後のコーヒーはセルフサービスで無料。
ちなみにご飯大盛も無料。
これだけのおかずがあればご飯大盛りは問題ないですが、
ここはぐっと堪えて、コーヒーだけを頂きました。

夜はしばらく我慢を強いられるかと思います。
また、ワイワイガヤガヤと楽しめる日を心待ちにしています。

ごちそうさまでした。

朝礼も変わっていく

最近のブログを読み返すと会社や仕事のことをほとんど書いていない。
映画や書籍や食べ物ばかりだ。

スタッフブログを読んでも同様。
観光ネタを中心に家族であったり買い物系だったり・・・。
たまにイベント告知があるくらい。
本当に仕事をしているのか不安になる方も多いだろう。

社長ブログはそもそも何が仕事かわからないだろ!
そんな声も聞こえてくるが、
たまには会社ネタを披露しないと遊んでいる組織と思われてしまう。
そんなわけで昨日の話。

新年度に入り組織を刷新し会議のやり方も変えてきた。
朝礼もその一つ。
前年度までは毎週月曜に朝礼を行い、僕やタカイ、ミズタニが喋ってきた。
クレドや記念日休暇の発表は社歴に限らず順番に話す。
ある意味、ルーティンな作業。

一週間のスタートをその流れで進める意味もあるが、形骸化している面がなくもない。
リモートワークや振休、有給が重なることも多い。
全員揃うことが稀になってきた。
この先の働き方を考えてもオフィスに揃うことが難しくもなる。

そのため思い切って朝礼は月初の月曜日1回と決めた。
最近は社内連絡ツールも発達しているし。
この日だけは全員出社。
有休も回避してもらい直行もなし。

5月時は既に予定が決まっていたのでできなかったが、6月は全員での朝礼。
全員が揃うのは相当久しぶりじゃないかな。

まず僕が前月の売上、利益の報告、今月の取り組みや現在の環境などを話す。
新規賞やブログ賞も含めて。
ちなみにブログ賞は「ムービーおじさん」だった(笑)。

その後、タカイが人事評価やPマーク審査に伴うパスワード管理法など難しい話。
そして、メンバーの発表。
こちらは従来のクレドから「名大社モデル」の発表へ移行。

初回は2年目になったばかりのマツモト。
新人はG1というグレードからスタートするが2年目は自動的にG2に移る。
それ以降は評価によりグレードが上がっていく。
いち早く上がる者もいれば、その場に留まる者もいる。

各グレードごとに能力を高めるための必要なスキルが決まっている。
マツモトは2年目となり自分の課題を全員の前で発表。
予想以上に堂々として、自分が行うべき行動を明確に示した内容。
1年働くと成長するもんだね・・・。
素直に実感。

以前はメンバーの発表に対し僕がコメントするのみだったが、
今回からは全員がフィードバックすることに。
このような用紙に書き込んでマツモトに渡す。

もちろん書かれた内容は知らない。
本人にとっていいフィードバックだろう。
渡す側も直接言葉では言うのは照れ臭いだろうし・・・。

昨日で45分くらいじゃないかな。
集中力が切れないちょうどいい時間。
少しずつ変化を加える必要はあるが、当面はこのスタイルの朝礼を行う。

間接的ではなく直接的に話す場も必要で、みんなが顔を揃えることで意思統一も図れる。
そんなことを感じた昨日の朝礼。
仕込みはそれなりに大変だけど。
他の会社がどうなのかは分からないが、100社あれば100通りだろう。

たまにはブログで会社の話をしないと(笑)。
もっと話したいこともあるしね。

「三代目」スタディーズ

いつかは忘れたが日本経済新聞の書籍紹介の記事を読み、何も考えず購入。
何も考えずではなく、その「三代目」という響きからファミリービジネスの勉強になるのでは
と勝手に解釈しただけのこと。

確かに勉強になった点はあるが、僕の想像とは異なる視点。
こんなふうに「三代目」を捉えるんだと・・・。

通常、「三代目」といえば僕に近い観点が働くと思う。
「売家と唐様で書く三代目」とか「ボンクラ」とか・・・。
それは日本に留まらず英語圏でも同様の見方はあるようだ。

Father buys,the son bigs,the grandchild sells,and his thigs.
直訳すれば、「親は買い、子は建て、孫は売り、その子は乞う」。
四代目は乞食にまで落ちぶれること。
同じような捉え方は海外でもあるようだ。

一般的に三代目というと企業経営者の三代目を指すことが多い。
本書にも紹介されている松下、トヨタの三代目。
トヨタの創業家三代目といえば現社長の豊田章男氏。
誰もが知るところ。
松下電器(現パナソニック)の三代目は松下正幸氏。

ここでは述べないが豊田章男氏とは対照的。
企業としての扱い方も対照的。
個人を奉るのか、企業を奉るのか。
パナソニックの資料館や博物館は松下幸之助を、トヨタの博物館はあくまでもトヨタを中心に置く。
そのあたりも「らしさ」が反映されている。

その点でも三代目の視点が違う。
著者の視点はさらに先を行く。
天皇家にも足を踏みいれる。

昭和天皇は124代天皇。
初代神武天皇から数えればそうなる。
僕もすぐ忘れちゃうんだけど(汗)。
日本国を支える天皇家ということ。

それを冒涜するわけではないが、著者は昭和天皇を三代目としても捉える。
近代国家的な見方からすると明治天皇から三代目にあたると・・・。

これは大げさな例かもしれないが、そもそも何をもって三代目にあたるのか。
豊田章男氏もトヨタ自動車の創業家三代目にはなるが、
豊田家としてはもっと歴史はあるはず。

どこをスタート地点とすればいいのだろう。
単純に疑問がわく。
それは多くのことにいえるだろう。

今、お笑い界は「お笑い第七世代」が活躍している。
では、第三世代は誰か?
明確に答えられる人っているのかな?

僕は分からないが本書によれば、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン。
となると第一世代は誰が決めた?
そう考えると世代論はかなり難しい。
あくまでも恣意的なんだろう。

著者は「三代目」というタグを通して、近代日本の歴史意識の解明に向けた概念化を試みたという。
この辺りは社会学者らしく、僕の頭の構造とは大きく違う。

当初の想定とは異なったが、そんな視点が学べたのは価値がある。
僕も脱皮する山田家の三代目かな(笑)。

映画「茜色に焼かれる」

今、まさにこの瞬間を描いている作品。
舞台はコロナ禍でギリギリの生活を強いられる家族。
現実的にはあり得ないと思いつつ、きっとどこかで起きている。

実際にニュースで見たようなシーンの連続。
パッチワークのように紡いでいるようだが、それがリアルへと近づける。

この1年、僕自身も希望を見失う時間を過ごしたが、
尾野真千子扮する良子はその比ではない。
辛い環境下でも生き抜く力を見せている。
それは圧倒的はポジティブさを持っているわけでも、
類まれな能力や体力で乗り越えるのでもない。

気持ちは大いに揺らぐし、どうしようもなく他者を責めたくなることもある。
とても人間らしい。
普通の人間らしい。
しかし、普通の人間では耐えきれない精神力を持っている。

その精神力は何を持って生まれてくるのか。
本人も明確な回答はない。
自分が正しいと思う道を曲げずに進むしかない。
不幸なストーリーで観る側も落ち込むが、同時に勇気を与えられる。

石井裕也という監督は今の時代を描く最も上手い監督ではないか。
映画コラムニストでありキャリアカウンセラーの立場としては、
(エラそうにいってます・・・)
本作をキャリア論的に観ることも可能。

以前の「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」
「川の底からこんにちは」
女性のキャリアを別視点で描いている。
石井監督は女性の働き方を軸に時代を描く稀有な存在なのかもしれない。
僕の好きな白石監督とは対極的だが、令和を作っていく監督の一人。

それにしても本作は全面的に尾野真千子。
彼女の絶妙な感情表現が全てといっても大袈裟ではない。
多くのレビューで語られているとおり、
素晴らしい演技で暗いだけの作品に明かりを燈す。
その耐える姿や演技に演技を重ねるシーンには感動。
元舞台女優という設定だしね。

鑑賞前は「R15にすべき作品なのか?」と思っていた。
なるほど、そういう理由か・・・。
時代を描くにはR15が正しい。

そして風俗嬢の同僚であるケイ役の片山友希の存在感が際立つ。
笑顔、不満顔、怒り顔、泣き顔、同じ人物とは思えない豊かな表情。
その表情から窺わせる彼女の半生。

生きるのは辛い。
しかし、生き抜くことで次が見えてくる。
それがラストに表れているように思う。

こんな時期だからこそ、より大切にしたい作品。
コロナ禍が生み出す価値もある。

それでもそうか、ランニング日記2105

5月はランナーにとって気持ちのいい季節。
5月生まれの僕はよりこの季節を好んだり・・・。
朝5時台でも明るいし、暑くもなければ寒くもない。
走り終えて自宅に戻ると多少の汗をかき、その後のシャワーも気持ちがいい。

これが6月になると膨大な汗をかき、Tシャツはグチャグチャになってしまう。
いい季節はあっという間に過ぎてしまうものだ。

ただ今年は例年より2週間以上早い梅雨入り。
名古屋も雨の日が多かった。
それにより走れない日もあったり・・・。

では、この5月はどうだったのか。
かなり前半に稼ぐことができた。
いいか悪いか、ゴールデンウィークは大きな予定はなかった。
いや、小さな予定もなかった。

基本的に暇な時間を過ごしていた。
5日間の休みだけでも25km。
計算上は20日間で100kmとなる。

実際にはそんな簡単にいかないが、コンスタントに走れば目標達成は難しくない。
雨で予定が潰れても焦ることはない。

結果はどうだったか。
5月のランニング距離は106km。
なんと、まあ、7ヶ月連続の目標達成。

おー、なかなかやるじゃないか。
パチパチ。
あちこちから拍手が聞こえる。

今や目標達成が当たり前になってきた。
このまま続けると2021年はオール目標達成になってしまうかも。
ちょっと怖い・・・。

この5月、愛知県は緊急事態宣言。
月末に解除もされず今も継続。
我慢を強いられる生活が続く。

僕の週末のランニングコースである戸田川緑地公園もこんな感じ。

例年であればバーベキューのシーズン。
朝早くから家族連れの場所取りが始まる。
その光景も微笑ましくてでいいのだが、今年はなし。
楽しみにしている子供たちを可哀そうに思う。
ここで飲みたい大人たちも・・・。

僕は朝早い時間しか走らないが、これが日中だと迷惑を掛けてしまうだろうね。
当たり前のありがたさがこんな場所でも痛感する。

さて、この6月、相変わらず大きな予定は入っていない。
このままではまた目標達成してしまうじゃないか。

自らの精神状態とランニング距離は反比例するのかもしれない。
う~む。

旅のつばくろ

沢木耕太郎氏がこんな書籍を出しているとは知らなかった。
少し前の週刊文春で東京オリンピックについて寄稿したという広告を見て、
どんな記事かを調べていたら本書にたどり着いた。

オリンピックの記事は楽天マガジンでもカットされていたし、ネットで調べても有料版しか出てこない。
ちゃんと金を払って読め!ということだが、どんな記事なのか教えて欲しい。
一切の取材依頼は断っているらしいが・・・。
商業主義のオリンピックには興味をなくしているのかな。

そんなわけで本書である。
沢木氏といえば全世界を旅するイメージが強いが、本書は国内の旅行を描いている。
基本は一人旅で、それもふらっと自由気ままに全国を回る。
有名な観光地はほぼゼロで、読み方さえ分からないような僻地も多い。

そこに向かう理由も様々だが、いかにも沢木氏らしい。
一般人なら考えにくい理由だが、沢木氏が語ると納得感が高くなる。
それはある作家との忘れ去られてしまいそうな思い出だったり・・・。
不思議だ。
読む者にとっては羨ましく感じる。

大した目的もない。
ルートも宿泊先も決まっていない。
しかし、偶然の出会いに思いがけない感動が生まれる。
そんな旅が多い。

こんな書籍を読んでしまうから、一人旅に憧れるのだろう。
それも誰にも邪魔されず、気の向くまま嗅覚だけを頼って・・・。
絶対、家人は怪しむだろうが、そんな時間を過ごしてみたい。
海外は難しいので、せめて1~2週間、国内を回る旅くらい許してもらいたい。

来年あたり行きたいなあ~。
古びたの居酒屋に入り、その土地の3番手の名物を頂きながら、しっぽりと地元の日本酒を飲む。
いい感じに酔っ払い旅館に戻り、ボーッと温泉に浸かる。
飲みたいだけで、沢木氏と全然違うじゃないかと思われるが、
そんな日があってもいい。

沢木氏は無類の酒好きと思っていたが、そうでもなかった。
最近までシャンパンとブランデーと日本酒は美味しいと思わず、自分から飲むことはなかったようだ。
旅先で出された名前も知らない日本酒を飲み、美味しいと思ったという。

ということは、こうか。
僕は普段でも日本酒は美味しいと思うが、旅先では更に美味しいということか。
それは、いいじゃないか・・・。

と辿り着く先はいつも同じような気もするが、
本書に感化され、ますます一人旅に出たくなった。
どうしてくれるんだ。

やっぱり固いビジネス書を読んでる方が健全なのかな。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その182

愛知県の緊急事態宣言も延長となりました。
6月の夜の予定もどうやらリスケとなります。
しばらく我慢が続きます。
コロナ感染以上に「外で飲みたい病」に罹らないように注意せねばなりません。
体調管理をきちんと行っていきましょう。

自分たちの行動は自分たちで気をつければ問題はありません。
しかし、飲食店はそうもいきません。
売上が望めないため休業を継続せざるを得ないお店も多いでしょう。

会社から西にむ向かい住吉町に入ります。
本来であれば徐々に活気が戻ってきたはずです。

しかし、静かな佇まい。
「5月31日まで休業します」の貼り紙が張り替えられる行為だけかもしれません。
それでも少しでも応援するのが人気食べ物ブロガー。
夜はお邪魔できなくても、お昼の営業時間にしっかりと売上貢献をするのです。
会社の代表であるのも忘れず対策を講じた上で貢献をするのです。

静かなというよりは寂しい通路を通ります。
テナントビルの一角にある「そば処げんき」さんに行ってきました。

自販機をじっくり眺めます。

飲んだ後の〆の一杯でもいいのかもしれません。
今回はランチタイム。
それに相応しいメニューを探します。

こちらは蕎麦だけでなくきしめんも中華そばもあります。
春菊の天ぷらなど季節に応じたメニューもセットメニューも豊富です。
しかし、ここは定番で攻めるべきでしょう。

天ぷらそば(冷やし) 500円

小ぶりではありますが海老が2尾、野菜の天ぷらものっています。
わかめも結構な量です。
そして見えずらいですが刻んだ油揚げも乗っています。

それでこの値段。
ワンコインで満足できる蕎麦が頂けるのです。
レンゲがプラスチックなのも納得です。

「いやあ~、これだとビンボーサラリーマンには喜ぶだろうなあ~。」
お店側の応援する姿勢に感動を覚えます。
「オレも金欠の時に通うとするかな・・・」
すっかり立場が逆転しています。

少しでも飲食店を応援すると言った人気食べ物ブロガーはどこへ行ったのでしょうか。
ここは思い切ってもう一杯食べるべきでしょうが、
この日はそこまでの食欲がありませんでした。
大変申し訳ありません。

次回はもっと腹を空かせて、夜の飲み代くらい食べようと心を熱くします。
それはムリか・・・。

それはさておき、早くこの住吉町も元気になってもらいたいですね。
そのためにできるだけ高価な食事を心掛けたいものです。
来週から頑張ります。

ごちそうさまでした。

映画「名も無い日」

ポスター(上記)には6/11より全国公開とされているが、
東海三県は先行ロードショーで5/28より公開。
公開2日目に鑑賞。

このブログでも何度か本作の紹介はしている。
監督は名古屋市熱田区出身の日比遊一氏。
何度か直接話を伺う機会があったが、名古屋への拘りを強く持たれていた。

ロケも名古屋でなければならないし、出演者は名古屋弁を喋らねばならない。
当初は圧倒的な郷土愛かとも思ったが、そうではない。
作品を観て大いに納得。

日比監督のいう名古屋でなければならない理由を。
それは僕が名古屋在住の地元愛や共感だけではない。
どこかの市長にような名古屋弁ではなく、自然な名古屋弁に吸い込まれたわけでもない。
その背景そのものに必然性を感じたのだ。

タイトルから想像できるように派手な作品ではない。
映画ならではのハードな演出があるわけでもない。
物語は静かに流れ、ありふれた日常的な会話が繰り返される。
ゆっくりと時間だけが過ぎていく。

しかし、次第に事の重さをヒシヒシと感じるようになり、気持ちが揺り動かされる。
せつなく辛い・・・。
悲しいかな感情移入していく。

本作は日比監督の原体験を描いている。
それはせつなく辛い。
日比監督は自伝的にそれを描こうとしたのではないだろう。

人として死とどう向き合うか、家族とは一体何なのか、生きる意味をどう持つのか、
それを観る者に訴えかけてくる。
そこに厚かましいメッセージはない。
あくまでも自問自答を繰り返すだけ。

知った場所の多さで感情的になるのは否定できない。
永瀬正敏演じる長男と自分とをオーバーラップさせる。
知らず知らずに巻き込まれていく錯覚にも陥る。

自分勝手な行動は夢を与えるが身内を苦しませる。
ゆえに正解は分からない。
映画を観終わって、日比監督のメッセージが熱く伝わってきた。

名古屋を舞台にした映画は少ない。
だから観てもらいたい。
そう思わないでもない。

しかし、仮に名古屋ロケでなく、日比監督の想いを知らなかったとしても本作を推す。
より多くの人に観てもらいたい。

舞台の中心となる熱田神宮周辺は知っているとはいえ、さほど馴染みはない。
年数回しかお邪魔しない。
一方で数年前まで毎日にように歩いていた円頓寺商店街。
この商店街が映画の重要なシーンで使われる。

気づいた人は少ないかもしれない。
ただこのシーンがあってこそ映画が成り立つ。
個人的にはとても喜ばしい。

ぜひ、確かめてもらいたい。
永瀬正敏やオダギリジョーや今井美樹の名古屋弁と共に・・・。