どうしてボクシング映画はこんなに暗いのか。
暗いだけでなく必ず犯罪の香りもするし性的描写も多い。
日本映画で明るいボクシング映画なんて観たことがない。
4月に観た「BLUE ブルー」は犯罪の香りはしなかったものの暗かった。
本作もこれまで観た作品と同様。
森山未來演じる元日本ランク1位の落ちぶれボクサーも暗い。
笑ったシーンなんてほぼない。
ぼそぼそ呟いているのがほとんど。
奥さんにも逃げられるし、ジムの会長からも見放されている。
唯一、父親を信じる可愛げな息子が味方にいるだけ。
しかし、憎めない存在。
昼間はサウナで働き、夜はデルヘル嬢の運転手で何とか生計を立てる。
まともな人間から見れば蔑んでしまうが、これもどうも憎めない。
映画を観る観客もなぜか復活を願う。
きっとやってくれるだろうと期待してしまう。
大体、ボクシング映画はそんなふうに作られることが多い。
身近な世界でありながらも身近でやっている者は誰もいないが、応援してしまう。
それがシンプルなスポ根映画なら爽やかな感動を呼ぶだろうが、
主役が主役なだけに爽やかさなんて一つもない。
ただ僕らはその殴り合う姿に引き込まれ抜け出すことができない。
1ラウンド1ラウンドを息を飲みながら本当の試合の如く魅入ってしまう。
不思議だ。
それは鍛え上げられた森山未來の肉体が本物のボクサーと思わせるからだろう。
最近の彼の演技はことごとくいい。
2年前の大河ドラマ「いだてん」も良かった。
5年前の「怒り」も良かった。
本作の演技で昨年のキネマ旬報主演男優賞も獲得。
多分、そのボコボコにされても立ち続ける姿が評価を生むのだろう。
そういえば3年前の主演男優賞は菅田将暉で対象作は「あゝ、荒野」だった。
ボクシング映画は単純に映画評論家の評価が高くなるのかな。
それにしても本作は前篇、後篇合わせて4時間半。
長い。
これでも僕は忙しい。
しかし、一気に観てしまった。
そして、後悔した。
やはり映画館で観るべきだったと・・・。
昨年秋に会社近くのミリオン座で公開されていたが、観ることができなかった。
無理してでも調整すべきだったとAmazonプライムで観た後に後悔した。
いかん、いかん、なぜかボクシングに惹かれる自分がいる。
そのうち始めてしまうんじゃないか・・・。
それは100%あり得ないが、きっとボクシング映画はこれからも観るだろう。
森山未來演じる晃はまだ世界チャンプを諦めていないようだしね。
これも日経新聞の書評欄に紹介されており、つい手にした一冊。
普段読まない書籍を読む8月。
ウディ・アレンの作品はもう何十年と観ていない。
学生時代、粋がって、また知ったかぶりをして観ていた記憶はある。
「カイロの紫のバラ」「ハンナとその姉妹」「ラジオデイズ」。
ちょうど80年代、最も輝いていた時代。
ちょっと洒落ていて通好みの映画が多かったので、
感化されやすい青二才はいかにもそれっぽい感想を周りと喋っていたと思う。
何を喋ったかもどんな映画だったかも全く記憶がない。
所詮、そんなもの。
今はブログというツールがあり、記憶から消えても記録として残るからいいね。
それでもどの作品もミア・ファローが主役であったのは記憶にある。
当時、この2人の関係は知らなかったと思うが、
ウディ・アレンは今、思えば公私混同甚だしい監督。
それも超絶甚だしい。
作品のほとんどは自らの脚本で監督。
ある意味、思いのまま。
出演者も自分で決める。
女性への口説き文句にもなっているし、伴侶がいても簡単に恋に落ちる。
その時点で「ウディ・アレン追放」と思うが、そのあたりの事実は前座にすぎない。
言い方は失礼だが、背も低いし二枚目でもないのに、なぜこんなにモテるのか不思議。
やはり才能豊かな男はモテるということか。
それは実績が物語っている。
未だにほぼ毎年作品を撮り続けている。
入れ替わりの激しい世界でここまで続けられるのも豊かな才能があるからだろう。
脚本一本書くのも七転八倒な作家がほとんどだと思うし。
さて、本題。
本書はウディ・アレンとミア・ファローのゴタゴタを描いている。
ミア・ファローの養女への性的虐待が本書の中心。
読み進めるうちにイヤな気分にもなってくるが、そこに目を背けない。
人の愚かさや自分勝手な自己防衛を知るにはワイドショー的にも面白い。
僕はこの手のスキャンダラスに興味はないが、
世界的巨匠がどんな振る舞いをするかは興味が湧く。
裁判でもどう立ち回るかも・・・。
僕が当事者になることはあり得ないが、参考にはなった。
本書は翻訳された書籍ではなく、日本の映画ジャーナリストが書き上げた。
僕と同い年の女性映画ライター。
なぜウディ・アレンなの?と単純な疑問が沸いたが、そのあたりはあとがきに触れている。
それにしても不思議。
アメリカならともかく日本では売れようがないと思うんだけど・・・。
僕が知る以上にウディ・アレンファンが多いのか。
それともスキャンダルに関心が高いのか。
日本の俳優の不倫はネタとして小さすぎるかもね。
そんなワイドショー的な情報を著者は伝えたいわけではない。
あくまでも客観的事実。
捉え方は読者次第。
これがアメリカの実態かと・・・。
求められるのはどこまでいっても倫理観。
僕は追放されないですよ。
前回は美味しい焼穴子丼を頂きました。
まるっと一匹、贅沢に食べられるのは本当に幸せなこと。
ありがたい時間を過ごすことができました。
しかし、人っていうのはわがままな生き物。
美味しいものは一度きりではなく続けて食べたくなるものです。
穴子の次となれば、やはり鰻。
夏は思いきり鰻を食べたくなります。
伏見周辺にはいくつかの老舗店もあります。
人気食べ物ブロガーとしてもいくつか紹介してきました。
気になる方は「鰻」でブログ検索をしてください。
あっ、それほど沢山は出ないですね・・・。
どんな鰻がいいか、悩んでいるところ、
名古屋で有数な鰻通の友人が新しいお店を教えてくれました。
これは行かねばなりません。
その場所に向かいます。
以前のオフィスに近い丸の内方面、記憶のあるお店です。
しかし、教えてもらった店名と違います。
調べてみると同じ系列店ですが、メニューを絞り新たな店名にしたようです。
これは期待値がぐっと上がります。
「ひつまぶし やまと」さんに行ってきました。
鰻通の友人の写真はれっきとした正しいうな丼でした。
ここは迷う必要はありません。
「うな丼をください!」
はっきりとした口調で注文します。
カウンターの奥では職人さんが鰻を焼いている姿が想像できます。
しばらく待つと箱慣れてきました。
うな丼 2280円
「えっ、あれ?」
想像と違いました。
アップにしても同じ。
丼には2切れの鰻。
鰻通の友人の丼にはもっと沢山乗っていたような・・・。
鰻は今や貴重な食べもの。金額も時価で変動します。
「これが正しいのかな?。それともひつまぶしを食べるべきだったかな?」
メニューを見るとひつまぶしメニューが並んでいます。
お店は鰻でも地鶏でも豚でも和牛でもひつまぶしを頼んで欲しかったのでしょう。
これは素直に反省。
鰻は普通に美味しかったです。
しかし、もっと食べたい気持ちが体を覆います。
これもリベンジすべきでしょうか。
ごちそうさまでした。
最近、リベンジシリーズが増えてますね。
この夏休みは普段読まないジャンルの書籍を読もうと思い購入。
タイトルだけ見れば普段のジャンルと遠くはないが、
読めばそのジャンルの違いが分かるけどね。
普段読まないジャンルを探すのは意外と難しい。
目につくのはどうしても自分の興味のある分野。
大体はビジネス関連になってしまう。
そろそろ仕事脳から頭の中を切り離し、脳みそも多様化させたい。
そんなに多く入らないのは分かってはいるが・・・。
知人の紹介する書籍も大切だが、いつくかの書評も参考にしたい。
本書は少し前に日経新聞で紹介されていた。
そもそも日経新聞の書評から選ぶこと自体、仕事脳から外れていないが、
その中では違う空気を放っていた。
辛酸なめ子さんの名前はちょくちょく伺うが、実際の生業もよく知らない。
もちろん書籍も初めて。
ビジネス要素がゼロとは言わないが、僕がいつも気にする組織とか評価とか、
そこから導き出す人間関係とは大きく異なるだろうと安易に想像。
95%は正解だった。。
僕はどうしても会社を中心に人間関係を考えることが多い。
上司部下の関係、部署を跨いだ関係性、ブレーンやクライアントなど、
あくまでも会社が主体。
僕個人が人間関係に悩まされることはあまりない。
ノー天気な性格、かつ苦手なタイプがない万能営業だったので、まあまあ上手くこなしてきた。
常にテキトーだろという反論もあるだろうが、それも持ち味と勝手に解釈。
むしろ周りの人間関係に悩まされてきた。
やはり自分と他人とは違う。
他人のことはわからない。
それを組織論でまとめるのではなく、本書のような存在から学ぶことも必要。
結局は仕事に繋げている気もするが、
著者の人に対する接し方と考え方を面白おかしく知り、吸収することができた。
結構、笑えるし・・・。
僕自身も大いに頷ける点もある。
一方で、自分の鈍感さで気づかない点もある。
オリンピックでも話題になったが、SNSの存在が今後人間関係に与える影響も大きい。
著者は世の中を斜めから見て、世間ずれしているわけではない。
常識人であるのは間違いない。
しかし、その視点は少し角度が違う。
異次元でもないし反体制的でもない。
いい表現が見つからないが、角度が左にずれ下がっているのだ。
著者の実体験を基に書かれているので、納得感も強かった。
これからはもっと違うジャンルを読もう。
そして、下エネルギーの発信には気をつけよう。
そんなことを思いながら読み終えた。
9連休が終了し、今日から仕事再開。
多分、前日から今週の準備をしていると思うので、休みボケなんてないはず。
全員の今日からの仕事ぶりに期待したい。
これだけ休みがあると例年なら普段できない仕事をするのだが、
今年は敢えて仕事をしないようにした。
最低限に留めた。
映画コラムニストの仕事は結構したけどね(笑)。
会社のことを頭から消すことはできないが・・・。
その分、時間が十分あったので、やろうと思って中々できないことに取り組んだ。
その一つに過去を振り返ること。
思うことがあり、30歳から書いている日記を読み返した。
これまでも当時の記憶を戻すために断片的に読んでいたが、
一年間の日記を全て読み返すのは初めてのこと。
とはいっても一年分を読むのに3時間ほど掛かるので、まだ2年分しか読めてはいない。
1997年からスタートした日記。
当時30歳、その年の4月に娘が生まれた。
今から25年ほど前のことだが、当時の生活が思い出された。
今の時代なら、確実に家を追い出されていただろう。
自分では毎日懸命にやっていたと思うが、客観的見ると呆れることも多い。
4月に娘が生まれたため、溺愛ぶりもかなり書いているが、
家庭をないがしろにしていた事実は言い訳できない。
確かに当時は忙しく自宅に帰るのは22時頃。
それだけならまだしも、飲みに行って、2時3時まで飲んでいることもざら。
帰るのが面倒になってカプセルホテルにも結構泊まっていた。
二日酔いも頻繁。
どれだけ二日酔いという文字が日記に登場することか・・・。
ちなみに今は二日酔いなんてほとんどない。
ゼロとは言わないが、数カ月に1回程度。
当時は毎週二日酔いだった。
今はすっかり朝型だが、寝るのは大体1~2時。
飲んで帰ると更に遅くなるので、
そんな状態でよく仕事をやっていたなと呆れる一方で感心もする。
今の5時起きなんて考えられない。
当時は始業9:10。
9:00に出社していたので、多分、7:30まで寝ていた。
それでも仕事は懸命にやっており、毎年のように部下をもらっていた。
社内での評価も高かった。
その分、調子に乗ってかなり持論をかざし、トップとぶつかっていたと思う。
そのあたりはその後の日記に出てくるはず。
仕事の振り返りは時期をみてしっかり行いたいが、
まずはどんな生活をしていたかを披露。
あれだけ仕事し、飲み回って、ちゃんと寝ていたかどうか自分でも心配になる。
まあ、健康と元気だけが取り柄だったわけね。
今と変わらんか・・・。
まだ2年分しか読んでいないが、いかに嫁さんが我慢したかは容易に想像できる。
どこかのタイミングでちゃんとお詫びしないと・・・。
読んだ本や観た映画の感想もあるが、すっかり忘れていることも多い。
椎名誠はもっと若い時かと思っていたが、この時期にも読んでいたわけね。
日記を読み返す目的は自分のだらしなさを確認するためではない。
他に目的があるのだが、こう振り返ると当時通っていたお店や仲間が思い出される。
熱い濃密な時間だったのも事実。
これから少しずつ読み進め、半生を振り返ることにしよう。
反省ばかりだけどね(笑)。
松竹映画100周年の記念の作品。
監督は松竹を支えてきた山田洋次氏。
「男はつらいよ」シリーズがなければ、松竹の経営はかなり厳しかっただろう。
貢献度でいえば100周年は山田監督しかない。
ふと、思った。
この作品は松竹がやりたかったのか、
山田監督がやりたかったのか。
いかにも松竹っぽく山田監督らしいので、キッカケが気になってしまう。
スタイルは山田監督の定番中の定番で昭和的。
何かがあった時になんかが起きるとルールが守られている。
よく分かんない表現ですね(笑)。
監督に詳しい方は納得してもらえるはずだ。
僕の本作の事前知識は主役が志村けんから沢田研二に変わったことと、
昔の映画を題材にした作品であることくらい。
(敬称略ですみません)
ある種、活況だった日本映画へのオマージュかと・・・。
確かにその要素は含まれるが、主張は微妙に違う。
そこは観て確認してもらいたい。
ネタバレにならないことでいえば、
主役の若かりし頃を菅田将暉が演じ、老いぼれを沢田研二が演じている。
相方の若かりし頃を永野芽衣が演じ、献身的な老婦を宮本信子が演じている。
超個人的な感想だが、若かりし頃の永野芽衣はメチャ可愛い。
あんな態度で接すれば誰でも惚れてしまう。
昭和の大女優を演じた北川景子が一目を置くのも理解できる。
ちなみに昭和の銀幕ヒロインを演じた北川景子も見事。
昭和30年前後の雰囲気を上手く醸し出している。
勝手な想像でいえばリリーフランキーが小津安二郎で北川景子が原節子か・・・。
それは僕の乏しい想像力でしかないが、そんなイメージがノスタルジックに僕を襲う。
よき日本映画を懐かしんでいるようにも思える。
往年の日本映画ファンならそれでいい。
年配者のみを観客とするのであれば問題ない。
しかし、本作にはこれから日本映画を支えるであろう
菅田将暉や永野芽衣が重要な役を演じている。
配給側は理解をしていると思うが、その客層を掴めているのか。
少々心配であったり・・・。
いい意味でも悪い意味でも本作は日本映画のこれまでとこれからを占う作品。
松竹が次世代の作り手をどう育てていくのか。
楽しみに待っていたい。
ブログを書いているうちに違う方向に向かった。
これは映画評といえるのか。
そのあたりはキネマの神様に聞いてもらいたい(笑)。
例年、この季節になると戦争の悲惨さや愚かさを伝える特集番組が組まれる。
意味があり、続けることで同じ過ちを繰り返さない戒めにもなる。
映画も同様。
この時期には反戦要素の強い作品が公開される。
それも大切なこと。
ただ僕らが見る世界は日本が舞台で、その悲劇を伝えるのがほとんど。
あくまでも自国の目線が中心。
それは間違ってはいないが、視野を広げれば、
同じように悲劇を繰り返さないために作られた海外の作品も多い。
本作もそう。スロバキア・チェコ・ドイツの合作。
アウシュヴィッツ強制収容所で起きた実話を描いている。
自国を否定する映画を作るドイツは尊敬に値するし、
僕らが知らない世界を映画という媒体を通し歴史認識が深まるのは感謝すべき。
ホロコーストの事実をおぼろげに認識しても、実態を知る機会はあまりない。
本作を通して、戦争の悲惨さを改めて学ぶことができた。
簡単にいえば、アウシュヴィッツ強制収容所を脱走した若者が、
真実を伝えることで12万人のユダヤ人の命を救ったストーリー。
しかし、そこに感動はない。
厳しい事実を見せつけるだけ。
演出された映画ではあるがドキュメンタリーの再現ドラマにも思える。
余計な感情を排除し、真実に基づいた出来事を忠実に伝える。
それがメッセージとなり、僕らはアウシュヴィッツ収容所の恐怖を認識する。
昨年、観た「サウルの息子」はハンガリー系ユダヤ人からの角度だったが、
本作はスロバキア系ユダヤ人の角度。
角度を広げれば解釈も広がる。
映画は楽しむものであり、学ぶものだと改めて実感。
脱走する主役の2人は、「逃げる」ことが目的ではなく「伝える」ことが目的。
その方が危険度は高い。
肉体や精神が破壊してもおかしくない極限状態が続く。
それを支えるものは何なのか。
ラストの長回しでまざまざと受け止めた。
映画の冒頭で「過去を忘れる者は、必ず同じ過ちを繰り返す」と
哲学者ジョージ・サンタヤーナの言葉が紹介される。
エンドロールには各国の首脳の発言が・・・。
それが映画の最大のメッセージなのか。
この時期に日本で公開されるのも大きな意味があるのだろう。
愛知県も再びまん延防止等重点措置の期間に入りました。
このお盆休みに遠出を考えられた方も多いでしょう。
思い切って外で楽しめるにはまだまだ時間が掛かりそうです。
オリンピックも終了し、暇を持て余している人も多いかもしれません。
いろんな制限がありますが、食事くらいは楽しみたいものです。
但しアルコールも我慢。
今月末までアルコールの提供が制限されるのは寂しい限りです。
今回限りにして欲しいと毎回願いますが、この願いはいつになったら届くでしょうか。
我慢、我慢といってもお腹は減るものです。
昼時になればグーっと鳴ったりもします。
たまには贅沢するのもいいのではないでしょうか。
今回は伏見を離れ知多半島に向かいます。
知多半島には美味い魚を食べさせてくれるお店が多数存在します。
国道247号線沿いにある「魚魚魚」さんにお邪魔してきました。
こちらは先月、東海テレビの人気番組でも取り上げられていました。
人気食べ物ブロガーはそれを見てお邪魔するようなミーハーではありません。
あくまでも自分の嗅覚に従い行動するのです。
しかし、TVの力は依然として大きいようですね。
ピーク時には多くのお客さんが来店されるようです。
海鮮丼が人気のようですが、人気食べ物ブロガーはそれにも揺れ動きません。
あくまでも自分の嗅覚を信じて注文するのみです。
その前に知多半島ならではの魚貝も頂かなきゃいけません。
地物大あさり焼 1320円
見事な大きさです。
ビールか日本酒を頂きたいところですが、ここはグッと我慢。
そしてメインの品も運ばれてきました。
焼穴子丼 1510円
見事な焼穴子です。
写真には納まりきらないので丼だけ写しましょう。
なかなか美しい光景です。
たれもうまい具合に絡んでいます。
時々、山葵を絡ませながら一気に頂きます。
それが丼の正しい食べ方。
穴子はせいぜい握りの寿司で食べるくらい。
これだけの量をガツンと頂くことはめったにありません。
これは勢いに乗るしかありません。
気がついた時には平らげてしまいました。
「ふ~っ、美味かった。」
お腹をポンと叩いて満足感に浸ります。
たまの贅沢はいいですね。
穴子の次は鰻で攻めるべきでしょう。
ごちそうさまでした。
主演女優は元「乃木坂46」の伊藤万理華さん。
僕は知らないが、プロフィールを見ればアイドル映画と思う。
しかし、それは映画を観る前段階で否定できた。
僕が観た映画館では年配のお客さんが多い。
若いお客さんからすれば僕もそこに属するが、僕から見ても年配者は多い。
元乃木坂46を好きなお年寄りは少ないはず。
それが本作の評価を明確にする指針になるのではないか。
男性客中心なのでアイドル要素が強いかもしれないが(笑)。
本作は映画ファン、それも自主映画に関わった人なら特別な存在になる。
なんせ舞台は高校の映画部。
僕も大学時代とオーバーラップさせながら、自分勝手に一喜一憂していた。
気持ちはメチャクチャ分かるのだ。
ネタバレしない程度に紹介すると主役は映画部の女性部員。
ハダシという名の監督志望の元乃木坂46。
自分たちで制作した作品を文化祭で披露する。
それは僕の学生時代と同じ。
学園祭に向け映画を作り、そこで発表するのが大きな目的となっていた。
そのために製作費をかき集め、ロケハンをし撮影(その前に脚本だけど)、
そして編集して1本の映画を仕上げる。
当時を思い出しながら映画を観ていた。
大きく違うのは制作もデジタル化。
本作では撮影もスマホで行っていた。
それには正直びっくり。
当たり前だが編集もPC。
時代の進化を感じた時間だった。
いいたいことはそんなことではない。
高校生が自らの夢に向かいながら葛藤する青春映画。
55歳を迎えた僕はこの手の作品に自分の気持ちが揺れ動かないと思っていた。
しかし、GW中に「アルプススタンドのはしの方」を観て、感受性が残っているのに気付いた。
青春映画で感動できる自分を・・・。
本作もまさにそれ。
自主映画出身者ではなくても主人公や巻き込まれる仲間に共感し、ウルウルしてしまう。
青春映画としてバッチリな作品。
それも10代、20代を喜ばせるのではなく、
50代、60代を喜ばせる青春映画にあたるだろう。
松本監督は自分たち世代をターゲットに置いていないはずだが、
結果的に観客をみれば間違いではない。
いい意味でターゲットを広げたね。
ある意味、不変のテーマなんだよ。
キラキラした好きとか嫌いはないが、
(いや、イヤミでそう演出してるか)
その真っすぐな向き合い方に僕は素直に感動。
ただ本作はごく一部の映画好きが評価する作品だと思う。
たまにはそんな作品があっていい。
僕が純粋に楽しめた映画だったから・・・。
当初は本作ではなく「返校 言葉が消えた日」を観る予定だった。
社会派ドラマよりホラーの要素が強いと思い、
観賞日直前でこちらに切り替えた。
近くの映画館で時間帯が合ったというのが映画を観た正直な理由。
僕はミュージカルに心を踊らされることはなく、
3年前の「グレーテスト・ショーマン」程の話題性がないと観ない。
本作はそこまでの話題性はないと思うが、
時間の余裕のある時に何も考えず観るには最適な作品。
本作を非難しているのではない。
夏休みに弾けたい気持ちがある時に観るには相応しいということ。
この季節にマッチした一本といえるだろう。
上映時間は143分と少々長い。
通常の映画なら途中に中だるみするケースは多い。
2時間を超える時間で集中力を維持するのは意外と難しい。
作品の持つ緊張感が重要。
しかし、本作に緊張感があるかといえばそうではない。
むしろ一般作に比べて、ないともいえる。
それでも維持できるのは定期的に訪れる美しく楽しい音楽とダンスがあるから。
映画に登場する全ての役者陣が一糸乱れることなく、
最高のパフォーマンスを発揮する。
そのシーンを切り取って観るだけでも十分な価値はある。
それが肝となるシーンで繰り広げられ、観ている者を楽しませる。
そうして映画は流れていく。
そして、大切なのは必ずハッピーエンドで終わること。
この類のミュージカルで絶望的なラストシーンを迎えるとなると、
これまでの時間が無駄になる。
盛り上がった宴会が締めの社長の挨拶でドン引きとなり場が凍り付くのと同じ。
あっ、僕はそんなことはしないからね。
空回りはあるけど・・・。
ミュージカル映画のラストシーンは定番でなければならないのかも。
僕は日本映画のファンだが、こういった作品を日本で作るのは難しい。
英語だから堂々と作品を打ち出せる。
人種の気質もあるとは思うけど・・・。
アクションやアニメのいいが、こんな作品を家族で観るのもいいかもね。