これからも前向きに 名大社会長ブログ

50周年に向けて考えること

現在僕は51歳。
僕より3年後に誕生した名大社は11月で48歳を迎える。

昨年もこの時期に会社の歴史についてブログを書いた
1年前から何か進んだかと言えば何も進んでいない。
日々の業務に追われているのとまだ先のことということから
言葉だけで行動には移せていないのが実態。
しかし、そろそろ本格的に動かなければならなくなってきた。

実際はもう少し先でもいいのだが、
準備は本格化させないと気付いた時にドタバタしてしまう。
所属する加盟団体も60周年に向かて動き始めたことだし・・・。
記念誌の責任者になってしまったこともあり、こっちも結構大変(苦笑)。

さて、50周年を迎える2019年11月。
一体何をすべきか・・・。
自分の中で妄想している。

歴史を振り返り、未来へ繋ぐ意味で社史は必要になる。
僕が知らない名大社があるということは下の世代はもっと知らない。
いい面、悪い面含め歴史は知っておかねばならない。
徐々に準備し始める社史は未来を築くためにも必要。
まずは自分の世界から語っていくつもり。

そして、50年を迎えた年は何をすべきか。
会社が健全であることが前提だが(笑)、盛大なイベントを行いたい。
極楽モード社員旅行の年だが、超極楽モードにしてみるか。
それとも旅行自体を止めてしまって、ド派手なパーティーでも行うか。
人気アイドルに来てもらうのもいい。
(そうでもないか・・・)

一流ホテルの大宴会場を貸し切り、
全国の有名料理店の露店を並べビュッフェ形式での食事会。
社員の家族全員を招き、独身者は彼氏、彼女も招待し、日頃の感謝を述べる。
パートナー、ブレーンにも出席してもらい一緒になって周年を祝う。
過去のCMを全部繋いで流し時代を感じてもらう。
どっかのオジサンに歌を作ってもらい弾き語りで歌ってもらう。
カリスマハゲ社長に特別なG-SHOCKを作ってもらいクライアントに配る。
どんどん妄想が湧いてくる。

どこまでやれるか、やるべきかはこれから考えていくことになるが、
それも来年には具体化しなければならない。
もっとマジメな取り組みもしなければならないが、
どうしても楽しめる方向ばかり考えてしまう。

50周年に向けて考えること。
何かいいアイデアはあれば、ぜひ、提供してもらいたい。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その24

先週の食べ物ブログをアップした後、
師匠から唐揚32個にチャレンジするようにと指示がありました。
ヤル気満々で過ごしていたところ、こんな連絡も入ります。
「最近の食べ物ブログに名古屋メシが全然登場しないじゃないか!」
読書からのお叱りです。

そうです。
この食べ物ブログには全国、いや海外も含め30万人の読者がいます。
名古屋らしさを期待する声も多いのです。
ここはその期待に答えねばなりません。

名古屋と言えば・・・。
その代表格はひつまぶし。

会社から徒歩1分も掛からない場所にある「一冨士」さんに行ってきました。

会社から近いのですが、敷居の高さを感じなかなか足を運ぶことができませんでした。
しかし、ここは全国30万人の読者のために
(ちょっとクドいですね・・・笑)
行かねばなりません。

店内は歴史を感じる佇まい。
格調の高さを感じ、店内は意外と静かです。
なんと創業は大正12年らしいです。

「あの~、櫃まぶしをください。」
ここはメニューに書いてある通り、漢字言葉で言わなければなりません。
少し低姿勢であることも重要です。
しばらくすると運ばれてきました。
「おまちどうさまでした。櫃まぶしです。」

櫃まぶし 2600円

鰻の値段が高騰している昨今の割には、値段は抑えられています。
それも伏見という一等地の割にはお値打ち感があるような気もします。
これは東京、いや海外からお越しになるお客様を連れて行けねばならないなと頭を巡らせます。

一杯目はそのまま、二杯目は海苔とネギ、山葵を乗せて頂きます。
三杯目にお茶漬けにしようと思ったところ、あることに気づきました。
だし汁がありません。

「すいません、出汁はないんですか?」
「別料金になりますが、よろしいですか?」
「あっ、そうなんですか。おっ、お願いします。」
と少し動揺しながら注文します。
出汁が別料金のお店は初めての経験です。

会計時に計算するとだし汁は100円でした。
お茶漬けが嫌いなお客さんのことを考えれば、この方が合理的なのかもしれません。
少しだけ納得しました。

鰻はふんわりと上品な味わい。
もっとお客さんが入っても良さそうな気もしますが、
そこはあまり気にしていないような感じです。
余裕でしょうか。
ツマミの類も結構あるので、夜にお邪魔するのもいいでしょう。

ごちそうさまでした。

映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

静かに流れていく映画。
ほとんどが寒々しいどんよりとした風景。
主人公のリーは不愛想で喧嘩っ早い。

映画全体を包む悲しげな雰囲気が何か過去を予感させる。
それがひとつの死を機会に紐解かれ、人間模様が表層化していく。
現在と過去が入り混じるシーンの連続。
リーが背負ってきた過去が次第に明らかになる。
なぜリーが喧嘩っ早くて、人に対して一定の距離を持つのか・・・。
段々とリーに対して感情移入していく。

妙に真面目な表現をしてしまったが、そんな映画。

アカデミー賞に6部門ノミネートされたとか、
マット・デイモンがプロデューサーだとか話題性はあるが、
名古屋では地味に公開されている。
テーマが重いせいか、派手な盛り上がりはみえない。
それでいいと思う。

観る観客を選ぶ映画だし、感動どころも人によってマチマチ。
派手な演出があるわけでもなく、悲しいドラマだが泣かせるシーンがあるわけでもない。
静かに静かに映画は流れていく。
そして、静かに映画は終わる。

ラストシーンは「えっ?」と思う人もいるかもしれない。
しかし、これが正しい終わり方できっと日常なんてこんなもんだ。

洋画の場合、超大作に振り回されることが多いが、僕はこんな地味な映画の方が好きだ。
何も考えずエンターテイメント性だけを追求するのもいいが、
映画が終わった後、しみじみ考えるのも悪くない。
父の死を思い出してしまった。

海外の俳優については全然詳しくない。
「あ~、どっかで見たことあるぞ・・・」という程度で名前と顔は一致しない。
本作もそんな感じだったが、一人だけ見覚えある俳優が出演していた。
端役での登場だったが、80年代活躍していたマシュー・ブロデリック。
当時は主役を張る人気俳優だったが、この作品ではちょい役。
随分と丸いオジサンになってしまった。

今、ギラギラした中年役で映画界を引っ張る俳優と比べ、残念だが見劣りする。
歳の取り方は難しい。
変わらないのもダメだが、変わりすぎるのもダメ。
映画の良し悪しとは関係ないがそんなことも感じてしまった。

まあ、いろんな楽しみ方ができるのも映画。
さて、次は何を観るかな・・・。

ステキな土曜の朝

なにも予定のない土曜日の朝が好きだ。

大概は何らかの予定が入っていて自由にならない時が多いが、
何もない時は嬉しい。
昨日はそんな土曜日だった。

6時半から10kmランニングし、シャワーを浴び朝食をいただく。
その後はフリー。
縛られることはない。
爽やかで癒し系の音楽をYouTubeで選び、Bluetoothでスピーカーに繋げ聴く。

新聞を読んだ後は雑誌を気分のままにパラパラとめくる。
手元にあっても週末じゃないと読めないことが多い。

最近、楽天マガジンの購読も始めたので、テキトーに雑誌を選びiPadで読む。
パラパラめくるのではなく、シュッシュッとページを送る。
普段読むことのないナンパな週刊誌も嫁さん気づかれないように読んでみる。
肝心な写真がカットされているのは残念(笑)。

リビングのソファーに座り、そんな時間を過ごすのはとても贅沢で優雅。
朝は窓から心地いい風が入ってくるので気持ちもいい。
誰にも文句を言われないし、時間を気にする必要もない。

毎月送られてくる「VISA」。
沢木耕太郎氏のコーナーもいいが、
今回、良かったのは作曲家の佐藤直紀氏のインタビュー。

初めてお顔を拝見。
自分が抱いていたイメージとはまるで違う。
もっと厳しい顔つきの作曲家と思っていた。

有名なのは「龍馬伝」とか「海賊とよばれた男」だと思うが、
僕にとって一番印象的なのはドラマ「ハゲタカ」のテーマ。
「タ~♪タ~♪タ~♪」というメインテーマで思い出したファンも多いと思う。
これじゃ、わからんか・・・(笑)。
あれもいい曲だった。

一人悦に入りながらそんな時間を過ごす。
自己満足極まりないが幸せな時間。
時々眠くなるもよかったり・・・。

しかし、この自分だけの贅沢な時間はある瞬間に途切れることもある。
嫁さんがおもむろに掃除機を取り出し、グオーンという響きと共に掃除を始める。
ソファーにのん気に座っている姿はただの暇人としか思えないのだろう。
「掃除の邪魔!」と一言言われ、僕はいそいそと自分の書斎へ逃げていく。

まあまあ、長い時間は許されないですね(笑)。
それも含め、何も予定のない土曜の朝は自分にとってステキな時間。

来週は何か予定はあったかな・・・。

愛ある名大社を語る

通常業務も忙しいが、それ以外の業務も忙しい。
それはありがたいこと。

今年の会社の標語は”働くを考える”。
よりいい仕事、よりいい会社にしていくために大切なものを残しながらも、
新たなことにチャレンジしていく時。

CRMのシステムも刷新し、新たな仕組みを導入していく。
今週はその全社的な説明会も行われ、目指す方向から活用方法まで話し合われた。

産みの苦しみと言うのか、初期導入時の混乱は避けられない。
中心となるメンバーはできるだけ分かりやすく使いやすく作り込みを行い解説。
そこに辿り着くまでの過程には相当の苦労もあった。
感謝としかいいようがない。

ベテラン社員は付いていくのがやっとだが、これも今後の会社の発展のためと考え、
悶絶しながらも励んでもらいたい。
僕もその一人だけど・・・(笑)。
頭に汗をかく若手も多いだろう。

それとは別に今年から新たな人事評価制度も導入。
先日、第一四半期の中間面談も終え、目標達成度について擦り合わせも行った。
まだまだ温度差があるのが現状。
浸透させ、ズレのないように稼働するにはもうしばらく時間はかかりそうだ。

マネージャークラスに負荷が掛かるのを申し訳ないと思いつつ、どんどん責任を与えていく。
いや、責任を押し付けてるだけか。
そのうち反乱が起きるかも・・・(汗)。

一昨日はマネージャークラスと議論を行った後、久々に飲み会。
「テツさん、最近、全然飲みに連れってくれないじゃないですか!」
という不満の声も多い。
「夜が忙しいんだ・・・」
という言い訳も許されず、久しぶりに。

本当はもっと社内で行きたいんだけど、予定がどんどん埋まってなかなか行けないのですよ。
これは本当なんですよ・・・。

飲み会でもそのほとんどが仕事の話。
それも熱く語り合う。

お互い遠慮することなく言いたいことを言い合う。
罵り合いはダメだが、健全なイジリ合いは悪くない。
健全なイジリ合いが健康的な会社を作るといっていい。

4月に組織が一新され、新人も各部門に配属され、それが落ち着き始めた時期。
同時に個人、チームの課題も見えてくる。
お互いを認めつつも改善点を求めていく。
そんなことが言い合える環境がいい。

僕はそこに名大社愛を感じる。
どうすれば●●がもっと成長するのか、
△△のこの点はもっと伸ばすべきだ。
会社は××をもっと評価すべきだ。
社長は会社に貢献していない・・・。
などなど。

ここに大きな愛を感じる。
こうした会話が健全な組織を維持していく。
そう思うのだ。

まだまだ忙しい日が続き、苦労を掛けることも多いけど、
こうした毎日が送れるのが何よりも嬉しい。

もっと感謝の気持ちを表さないといけませんね。
すいません・・・。

映画館が便利な時代

月2本、映画館で映画を観ることをノルマとしている。
大した意味はないが、自分の中のルーティンのひとつ。
数年前まで映画館よりはDVDで観る方が多かったが、
最近はほとんどDVDを観ることはない。

通い始めるとやはり映画館がいい。
そのほとんどが名古屋駅前のミッドランドスクエアシネマ、
もしくは昨年オープンしたミッドランドスクエアシネマ2。
たまに伏見のミリオン座だったり、近所の中川コロナだったり。

ミッドランドスクエアシネマを運営する中日本興業は
学生時代にバイトしていたこともあり愛着もある。
お世話になった方も活躍されている。
名古屋駅前なのでレイトショーでも都合がいい。
そんなこともありお世話になっている。

今年から「MM CINEMA CLUB」に入会した。
年間費200円支払えばメンバーになり様々な特典が得られる。
通常1800円が1500円、レイトショー1300円が1100円で鑑賞できる。
1回で元が取れるという計算。

セコい僕にとしては助かる。
ポイントがたまれば無料鑑賞もできる。
それだけでも十分なのだが、さらに便利なのはネットでのチケット購入。
今や当たり前のサービスかもしれないが、
これまで僕は他の映画館を含め利用したことがなかった。

カウンターに並びその場で席を選ぶ。
混んでる時は待ち時間も長い。
先日、初めて利用してみたがとっても便利。
作品、時間が決まっていれば、焦ることなく自分の好みの席が予約できる。
あとは自動発券機からチケットを出力するだけ。

余談だが、僕のバイト時代はこんなことは考えられかった。
指定席すらなく人気の映画は早く並ぶことが求められていた。
僕の仕事はチケットのもぎり。
販売口で購入したチケットを入り口で半券をちぎる係。
今から考えれば不効率極まりない仕事だが、その当時は当たり前だった。
仕事も映画が始まる前と終了時は忙しかったが、それ以外はメチャクチャ暇だった。

入り口先にある小さな席に立ち、ひたすらチケットを切るだけ。
映画が始まってしまえばやることがないので、席に座りずっと本を読んでいた。
そこにいるのが重要な仕事だった。
たまに変なお客に絡まれ殴られたこともあったが、実に牧歌的な仕事。
恐ろしく時給は安かったが映画がタダで観れたので元は取れた。
それが映画館ごとにあったので、シネコン全盛時代では人の無駄使い。

まあ、そんなことはいい。
気軽に映画館に足を運び、ストレスを感じることなく楽しむことができる。
なんていい時代なんだ。

すっかり中日本興業の回し者のようなブログになったが(笑)、
もっと映画館に足を運ぶ人が増えればいい。
DVDも悪くないが、やっぱり映画館で映画を観るのがいい。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その23

「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんには驚かされます。
1回の食事代も半端ありません。
すべて美味いメシを食うためにお金を使っているのではないでしょうか。

最近の人気食べ物ブロガーはそれを真似たわけではないですが、
かなり高級路線で無理をしています。
そろそろ普段通りの生活を見せなければなりません。
多忙でランチタイムもわずかな時間しか取れないシーンも見せなければなりません。
優雅でのんびりとしたノーテンキ社長ではない証明が必要です。

会社の裏の雑居ビル2階にある「Attivo」さんに行ってきました。

徒歩一分もかかりません。ひゅっと通りを越えるだけです。
こちらのお店はイタリアン。
お昼はパスタと定食っぽいプレートランチを提供しています。
そのほとんどが700円のランチです。
伏見界隈のランチではリーズナブルな部類に入るのではないでしょうか。

手書きで書かれた看板を指さし、
「すいません。これください。」と注文します。
お行儀はよくないですが、時間がない時はできるだけ簡潔な行動が求められます。

「すいません。え~っとですね、
ここに書いてあるベーコンとほうれん草の和風スパゲティーをください。」
これだけでも3秒、余計な時間が掛るのです。
働き方改革が望まれる昨今、経営者も効率的な行動が求められるのです。

ベーコンとほうれん草の和風スパゲティー 700円

これが名古屋名物 鉄板イタリアンスパゲティーだと
「はふはふ、うおおん、うおおん、オレはまるで人間火力発電所だ!」
なんて、無駄口を叩いてしまいます。
この和風スパならそんな心配は要りません。
ひたすら食べ続けるだけです。
フォークをクルクルと回しベーコンとほうれん草を絡ませ豪快に食べていくだけです。
刺激を生むために特製オリーブオイルもかけたりもします。
これも瞬間的な行動です。
場合によって、パスタはファーストフードにもなり得ます。
しかし、しっかりとした味付け、コシのある麺と十分食べごたえがあります。

勢いよく食べ終え、ふと窓を眺めると目に飛び込んできます。

「ふ~ん、限定ランチはからあげランチか・・・。100円で3個増量できる?」
どうでもいいことが頭をよぎります。
1200円払うとプラス15個の唐揚がつくんだな。
最初はいくつあるんだろう。
6個で200円分。そうなると500円でご飯とみそ汁とサラダ。
それはちょっと高いんじゃないか。だとすると8個くらいあるのかな。
えっ、1200円で23個の唐揚・・・。
どんなに唐揚好きでも、さすがにそんなには要らんだろ・・・。

一人でツッコミ、一人でボケてみました。
時間は無駄にしてはいけません。

ごちそうさまでした。

映画「美しい星」

この映画はなんと表現したらいいだろう。
大真面目なふざけた映画。
コメディのような社会派ドラマ。
観る人によって解釈は異なるだろうが、
僕は何とも言えない沈んだ気持ちと清々しさが入り混じった映画だった。

原作は三島由紀夫。
作品名すら知らなかった。

映画を観る限り、原作はあくまでも原作でストーリーは全然違うといっていい。
その当時は地球温暖化が騒がれていなければ、
ストリートミュージシャンもいなかった。
リリーフランキー扮する天気予報士も
今ほどクローズアップされた職業ではなかったはず。
だから、三島由紀夫の原作と言われても???と思う人は多いんじゃないだろうか。

しかし、三島由紀夫が描きたかった世界を吉田監督は描いているような気もする。
あくまでもそんな気がするだけで全く確信はない。
それはまるで亀梨クンが自分が水星人であることに疑問を持つ点に似ている。
なんのこっちゃ(笑)。

金星人の橋本愛は美しい。
ほとんど笑顔を見せず、暗い表情からは余計に美しさが目立つ。
美しい笑顔が似合う女優さんは沢山いると思うが、
沈んだ表情だけで美しさを出す女優さんって少ないだろう。
改めて感心。

本作は奇想天外すぎるので次にどんな展開になるのかさっぱり読めない。
唯一読めるのは家族の中で唯一人間である蛍ちゃん演じるお母さんの騙される世界だけ。
ごく普通の人間である僕は後の展開は全然読めなかった。
それでもあのラストは感動したし、一見バラバラに思える家族の絆を感じることができた。

観る者を選ぶ作品であると思う。
リリーフランキーのポーズだけでも観る価値はあるのではないかとも思う。
そんな映画。

そして、思うのは、今は評価は低くても、
20年後に傑作として取り上げられるのではないかということ。
まるでエド・ウッドのように・・・。
それは、ちょっと言い過ぎか。
評価が低いわけでもないし・・・(笑)。

フォトジャーナリストの仕事

一昨日は母校で開催された後援会及び総会。
メインイベントのひとつに基調講演がある。
今年のゲストはフォトジャーナリストの安田菜津紀さん。

CBCの「サンデーモーニング」は観ているので、彼女の存在は知っていた。
あんだけ若いのにいつも堂々と喋っているなという印象。
それも自分の考えをしっかりと持っている。
いつも感心していた。

そんな時に開催された講演会だったので、個人的にはとてもラッキー。
貴重な話を聞くことができた。
20代前半くらいと思っていたが、現在30歳。
あまり見た目で判断してはいけません(笑)。

家族の事情から命の大切さに関心を持ち、
高校時にカンボジアに出向いたのが、この仕事に就くきっかけ。
大学卒業時には既にフォトジャーナリストとして独立していた。
この間のわずかな経歴だけでも常人ではない。

可愛らしい顔をして(こんな表現は失礼ですね)、根性が座っている。
講演も可愛らしいけど、根性は座っていた(笑)。
今回の講演は彼女が撮影した写真を見せながら、その周辺環境を語るもの。
写真一枚が訴求する力は絶大で、それに言葉を被せればより説得力は増す。
大きなメディアに頼らず、自身で選択し自分の言葉で発信する。
これがフォトジャーナリストの仕事。

今回、安田さんはカンボジア、東日本大震災(陸前高田)、
中東(シリア)での経験を写真を交えながら話をされた。
すべて披露してしまうとブログが終わらないので、ここはあえて陸前高田市の話。

6年前の東日本大震災。
この2011年に彼女は入籍された。
義父は陸前高田市の病院に勤められ、震災当日も津波の写真を病院から撮影。
その状況に焦るよりも別世界であったため写真もギリギリまで撮れたという。
その写真も映し出されていたが緊張感が伝わってきた。

そして、象徴的な存在となった「希望の松」。


(安田さんのブログより借用)

一般的には唯一残った松の木は希望の象徴として捉えられているが、
義父の解釈は異なり、7万本も植えてあった松が1本しか残らなかったのは、
逆に辛いことだと言われた。

安田さんはその言葉を強く受け止め、
誰のために写真は存在するかを考えられるようになったという。
ある人にとっては希望でも、違う角度で見れば辛いことでしかない。
その視点を持ち合わせることがフォトジャーナリストとして重要である
というような話をされていた。

いい写真を撮っても直接命を救うことはできない。
しかし、それを役割分担と捉え、
何が起きているかを発信し続けることがフォトジャーナリストの使命であると認識。
それが彼女の行動力を生み、また深い考えにも繋がっているのだろう。

なぜ安田さんが戦地に向かい、子供や家族を撮り続けるかようやく理由が分かった。
命を懸けて、一枚の写真で世の中の動きを証明する。
尊敬すべき仕事。

iPhoneでくだらない写真ばかり撮っている僕はいかに次元が低いか・・・。
それも理解できた(苦笑)。

撮影技術のハードルが下がった分、カメラマンに求められる価値も変化していく。
これからは自分の言葉を発信できるカメラマンしか生き残れないのかもしれない。
それを感じることができたのも講演のおかげ。

ありがとうございました。

2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方

最近、僕の周りの友人、知人が本をよく書いている。
それだけ能力の高い仲間が身近にいる証だろう。
僕もいろんな方から「山田さんも本出したら?」
なんて冗談とも本気とも思えない話があったりするが、
残念ながらそんな力量はない。
訳の分からないブログくらいしか書くことはできないし、
出版社からのオファーがあるわけでもない。

出版された話を聞くと羨ましい反面、相当なプレッシャー何だろうなとも思う。
無責任に誰にも干渉されず、ブログを書いている方が気持ちは楽。
とてつもなく面倒な時やネタ不足で泥酔したい時もあるけど・・・。

いやいや、今回はそんなことを言いたいわけではない。

今回紹介する本がこれ。

一緒に研修をやったり、勉強会をやったりしている働きごこち研究所の藤野さんの著書。
採用コンサルやコンテンツ作成もやられているので、
近しい存在ではあるが、僕と違ってとても頭がいい。
僕よりもひと回り下だが、モノの見方から発想力まで勉強になることは多い。
勝てるとしたら酒の強さくらい(笑)。
ここ数年はAIの方向にどっぷりと浸かり、ついには本まで出してしまった。

本書は一言でいえば、とても藤野さんらしい。
彼を知る人はきっと同じことを思うだろうが、
知らない人からすれば、そんなこと言われても困るよ!と言い返される(笑)。
一般的に出版されているAIの書籍は難解な内容が多く、
また、働くことにおいて不安を煽るものが多い。

それとは全く逆。
優しく分かりやすいし、何より人が人であることに希望が持てる。
AIを生きることや働くことを楽しくする存在として扱う。
もちろんそのために人がやらねばならないことはあるのだが、
よく言われるようにAIによって仕事がなくなってしまうわけではない。
どの立ち位置に身を置くべきかを本書は分かりやすく示している。

タテ軸を非構造的と構造的に分け、
ヨコ軸を論理的、分析的、統計的と感性的、身体的、感覚的に分ける。
この4軸でAIが得意とするもの、人が得意とするものが明確になる。
論理的、分析的、統計的と構造的のフレームは明らかにAIに代替される。
これは誰にでも分かること。
現段階で既に代替が起きている面も多い。
だとすれば、人がやるべきことは・・・。

詳細は本書を読んでもらえればと思うが、僕のように単純で直感的な人間は安心してしまう(笑)。
そのためにやらなきゃいけないことは多いけど。
本書は僕らのような世代の変わり目は必読になるだろうが、
学生や若手ビジネスマンにも読んでもらいたい。

自分たちの求められる価値が明確になるはず。
そのための勉強はしなきゃいけないし、
論理的にも非構造的にも動けるような基本は押さえなければならない。

そして、おじさんは「りんな」で時々遊びながら、感性を磨くとしよう(笑)