これからも前向きに 名大社会長ブログ

松岡修造のオヤジ

今月の日経新聞「私の履歴書」は松岡功氏。

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日本一熱い(暑苦しい?)男、松岡修造氏の父親であり、元東宝の社長だ。
実は僕は一度だけ松岡功氏にお目にかかったことがある。

かれこれ29年前のこと。僕は大学4年で東宝の最終面接を本社で受けていた。
その面接官の一人が当時、社長であった松岡氏。
インターネットもない時代なので、松岡社長を調べる術もなかった。
顔も知らなかった。
ずらりと並ぶ面接官のうち誰かわからなかったので、
お目にかかったと言いきれないかもしれないが、実際に僕は社長の面接を受けた。
そして、あっけなく落ちた。

それで僕の人生が変わったといっても大袈裟ではない。
もし、東宝に受かっていたのなら、迷うことなく入社していた。
そうなると今とは全く別の人生を歩んでいたはず。

僕は今の人生に十分すぎるほど満足している。
まだまだ未熟な点は多いが、出来すぎだとも思っている。
そう考えると、最終面接で落としてくれた松岡氏には感謝しなければならない。
僕の方向を決めてくれた一人である。

かなり強引な持ってきかただが、そんなふうに前向きに捉えることも必要だろう(笑)。
多分、多くの中のショボい学生の一人だから、何の印象もなかったとは思うけど・・・。

「私の履歴書」の昨日の段階では、東宝に入社したばかりの新人時代。
まさに日本映画が全盛期の頃で、その後、長い期間の低迷が続く。
今後の展開が楽しみだし、
唯一、勝ち組といえる東宝で松岡氏がどんな辣腕を振るってきたか見ものだ。
邦画ファンの一人としても期待したい。

これまでの内容を読む限り、サラブレットたる生き方。
僕は苦労して苦労して東宝の最終面接まで辿りついたが、
松岡氏は面接もなく、「東宝か?、まあええやろ」だけで入社している。
御曹司ということもあるが、そんな時代。
職業選択もそんなに深く考えずに多くの学生が就職していた。

そう思うと情報が溢れすぎている今の時代は逆に学生に難しい選択を迫りすぎている。
どちらが幸せかと考えると難しいところ。
情報が多いことは便利だが、間違いなく混乱させることも多い。

今月の「私の履歴書」を読みながら、そんなことを考えてしまった。
それはともかく、毎朝の日課として読んでいきたい。
多分、僕は登場しないと思うけど・・・(笑)

自然体に生きること

名古屋のラジオ局ZIP‐FMに「WEEKEND MASTER」という番組がある。
最近はパーソナリティーというよりナビゲーターって呼ぶのかな?
DJなんて誰も呼ばなかったりして・・・(笑)。

この番組は磯谷祐介くんという人気ナビゲーターが務めている。
僕は6年前に彼とあるイベントでご一緒させてもらった。
ブログにも書いていた。その時のブログがこれ。
facebookでは友達になっていたものの、すっかりご無沙汰の状態。

2ヶ月ほど前、僕と共通の知人であるクリエーター兼カメラマン兼なんでも屋さんの
吉川さんから連絡があり、僕にこの番組に出て欲しいというオファーがあった。
この番組では素敵な生き方をしている人をピックアップし取材して番組で流し、
また、動画も同時にYouTubeで流しているという。

素敵な生き方をしている一人として、どうやら僕が選ばれたようだ。
多分、毎日飲んだくれてノー天気な毎日を送っている姿を見て決めてしまったみたい(笑)。
それが素敵なんだろうか・・・。
よく分からないが、受けることにした。

過去の出演者をチェックしてみるとそうそうたる人が多い。
また、これは期待を裏切るなと思いながらも、
会社の宣伝が少しでもできればと開き直り、一昨日の収録に立ち会った。

当日は磯谷くんがインタビュアーとなり僕から話を引っ張り出し、
その姿を吉川さんがカメラで押さえている。
こんな感じ。

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これはマジメな顔だが大体はオチャラケな表情ばかりだった。
会社ではなく個人にフォーカスするということで会社の宣伝はほとんどできず(笑)。

僕が辿ってきた道のりといかにくだらない生き方、
いや違う、いかにステキに生き方をしてきたかをベラベラ喋るというもの。
はっきりって誰も興味を持たないだろうと思う。
こんな番組を作ってていいのかとも思う。

それでも磯谷くんはそれが大切で、演出された姿ではなくナマの姿を伝えたいという。
元々カッコつけるタイプでもないので、ありのままを喋っていった。
彼はインタビュアーのしての腕が高い。
僕は調子に乗せられ、ほとんどどうでもいいことばかりだが、
2時間近くも喋ってしまった。
偉そうに若い人に伝えたいことや好きな言葉も語ってしまった。

その模様は7月9日(土)、10日(日)の番組でオンエアされる。
ちょっとだけいいことを言っているので、おヒマな人はぜひ聞いてください。
なんか、最近ラジオ多いね(笑)。

インタビューを受けながら自分でも気づいていなかったあることに気づいた。
「自然体」というキーワード。
僕は社長になってからより自然体で人に接しようと心掛けている。
そんなような話をした。
一般的に「自然体」とは周囲に気を遣わず、ありのままの自分を見せることを意味する言葉だと思う。
また、そんなふうに感じている人は多いだろう。

しかし、話をしているうちに気づいた。
僕の自然体とは違うと・・・。
僕の自然体は人に会う時は一定の緊張感を持つ。
約束はしっかりと守る。
目上の人に対しての接し方と同世代に対しての接し方の微妙な違い。
それも自分の中では自然体なのだ。

となると世間が思う自然体とは異なるが、それが自分にとっては自然体であり、
大切にすべきことだとこのやりとりのなかで気づかされた。
そんな話は番組内でカットされるかもしれないが、
インタビューを受けた僕がいい気付きを与えてもらった。
いやあ~、楽しい時間でしたね。

そして、最後はエントランスの前で記念撮影。

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彼は才能豊かだから、これからの活躍が楽しみ。
一昨日はありがとうございました。

何もしない社長は何も語れない

ありがたいことにちょくちょく講演の依頼を頂く。
そのほとんどは採用関連のこと。
最近はファミリービジネスのネタもあったりするが、ほぼ本業に絡んだ講演。

だが、ごく稀に妙な講演依頼も頂いたりする。
今回、アスクネットさんからの依頼もそう。
人材育成や組織を語って欲しいという。
僕はその道のプロではない。
どちらかといえば自分が学びたい側である。

しかし、担当者は勇気を振り絞ってお願いに来たのだから、
(どんな勇気かはわからないけど・・・)
無下に断るわけにはいかない。
「どうなっても責任は取りませんよ。」
と最初から責任放棄をして受けることにした。

タイトルを聞かれたので、
「何もしない社長が語る、就職、人材育成、組織とは」
とすこぶるいい加減なタイトル案を提出した。
そうしたら、そのまま採用されこんなチラシも出来あがってしまった。

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う~ん、完全にふざけている。
全く説得力に欠ける。
ところが「いやあ~、山田社長、これは面白いですよ。みなさん、逆に興味持ちますよ。」
とタイトルが勝手に独り歩きし始めた。

気づかないうちに実績のある高校の先生との対談も組み込まれていた。
「社会・地域から重宝される人材の共通点と育成法」
え~っ、オレは何を喋ればいいの??。

担当者に「どうなっても知りませんよ。」
と半ばやけくそ気味に言うも、
「大丈夫ですよ。普段通りで構いません。忌憚のない意見を語ってください」
と返ってくる。
普段通りだから困るんだろ。分かってないな・・・。
と心の中で呟くしかなかった。

一昨日、担当者、高校の先生、ファシリテーターの3名が
当日の打合せのため、わざわざお越し頂いた。
あちこちの話をしていたら何となく盛り上がってしまった。
ファシリテーターの方は
「こんな雰囲気でいいんじゃないでしょうか?」
なんて無責任なことを言う。

その時も「期待には沿えないと思います。」
とキッパリと言うが、そのあたりの事は軽く流されてしまった。
まあ、これは開き直るしかない。

何もしない社長が語るといってるんだから、何も語らなくなって叱られないだろう。
それはちょっと違うか。
どうせなら「何もしない社長は何も語れない」というタイトルにすればよかったかな。
それではどんどんわけの分からない方向に進んでしまうな(笑)。

当日はどんな事を話すかはまだ何も決めていない。
誰か何を話せばいいか教えてくれないかな・・・。
こっそり助けてあげたいと思う方は、こっそり教えてください(笑)。

そして、「時間を無駄にしてもいいよ!」という奇特な方は、
7月2日にナディアパークに来てください。
それでは主催者に真剣に叱られそうだ。

う~ん、安易に依頼を受けるものではないな・・・。
しばらく時間はあるので恥をかくのは最小限に留めるよう中味をこれから考えるとしよう。
どうぞよろしくね!

食べ物のはなし 円頓寺シリーズ その43

「昼だ、昼だ。さて、今日は何を食べようかな・・・」
なんて平和ボケした頭で歩いています。
そんな緊張感のない時は何も浮かんでこないものです。
気がつくと円頓寺商店街を抜けていました。

多忙なビジネスマンであれば一分一秒が重要です。
そそくさとお店を見つけ、味わうこともほどほどにサクッと平らげてしまうでしょう。
そんなことを昔は経験してました。
10分もあればランチは十分でした。

しかし、今は違います。
少しだけ余裕ができました。
朝晩は忙しくても、昼間は結構時間の余裕もできました。
平和ボケした頭で歩いているのです。

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円頓寺商店街を抜け、江川線を国際センターに向け歩いています。
グーグーと腹も鳴り始めました。
グーグーと鳴り始まると何を食べたいか、体が本能的に反応します。
そうです。グーグーはハンバーグです。

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「食笑 mogni」さんに行ってきました。
ランチは3種類あります。僕も50歳となりました。
いろいろと気を付けなけばならない年齢です。

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デミグラスソースはヘビーと感じてしまいます。
しゃぶしゃぶをずっとゴマダレで食べているようなものです。
それでは体がゴマダレになってしまいます。
20代であればゴマダレまみれでいいでしょうが、
50歳ともなるとポン酢を比率を高めねばなりません。

ということで和風ハンバーグを注文しました。
とても分かりやすい選択方法ですね。
「すいませ~ん、こっちでお願いします。」
とメニューを指しながら注文するのです。

パタパタとミンチを手で叩く音が聞こえてきます。
「お~、なかなか、やるじゃないか。」
心の中で呟いています。
最初にサラダが出てきます。体を整えるための大事なツールです。
「おまちどうさまでした!」
プレートになり運ばれてきました。

和風ハンバーグランチ 800円

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ハンバーグがちょっと小ぶりなような気もしましたが気にしません。
ご飯のお替わりも自由ですが、50歳なので自由にしません。
肉厚のしっかりしたハンバーグです。
グーグー鳴ったお腹は満たされていきます。

「おっ、いいぞ、いいぞ、肉を食べてるこの感じ・・・」
改めてメニューを眺めるとドリンク類も充実しています。
夜は別の楽しみ方がありそうです。

ごちそうさまでした。
次回は飲みに行くことになりそうです。

映画「海よりもまだ深く」

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「アレだったよね・・・」
こんなセリフを聞くと母親との会話を思い出す。
実家に帰省し母親と喋っていると必ずと言っていいほど出てくる言葉だ。
僕は「アレじゃあ、わからん。アレばっかり言ってるとボケるぞ。」
ときつく返すが、実際はアレとは何かは聞かなくても理解している。
きっと親子なんてそんなもんだ。

本作品でも、この「アレ」というセリフがあちこちで登場する。
日常会話の常識のようだ。
母親役の樹木希林が、息子役の阿部寛が、姉さん役の小林聡美が頻繁に使う。
これが家族の絆を証明しているかのように・・・。
それが理由ではないが、映画を観ながら母親との会話を思い出してしまった。

是枝監督の最近の作品は欠かさず観ている。
どの作品もそうだが、何となくせつなくなってしまう。
「海街diary」「そして父になる」してもそう。
「歩いても 歩いても」もかなり忘れてしまったが同じ。

そうそう、8年前の「歩いても 歩いても」も母親は樹木希林で、息子は阿部寛だった。
それも名前は「良多」で一緒。
絶対、ワザとだな・・・。
もしかして、愛知県で初めて気づいたのは僕かも(笑)。

話を戻そう。
常に家族を中心に描いているため、そんな雰囲気が漂ってしまうのかもしれない。
しかし、そのせつなさが映画を支えているのは事実だし、監督が最も表現したいことだろう。

壊れたものを修復するのは難しい。
ある程度修復したとしても完全に戻ることはない。
過去の行動を後悔し行動を改めようするが、きっと後悔を繰り返す。

主役の良多は大人になろうとし続けるだろうが、
多分、なりきれず、同じ過ちを繰り返すのではないか。
希望を抱きながらもそうなるんじゃないか。
それを母親は全てお見通し。
それがいくつになっても親から見れば子供だということ。
そんなふうに映画を観ながら、自分とだぶらせながら感じていた。

ここまで読んでもらっても、この作品がいいのかどうかさっぱりわからないと思うが、
個人的にはとても好きな映画。
こんなリズムで流れる映画が僕にとっては心地いい。
僕のような繊細な感性の持ち主は観るべきだろう(笑)。
怪しいと思われるかもしれないが・・・。

是枝作品に出演する役者も固定されてきそう。
いずれ是枝組なんて言われるのかな・・・。
それぞれが凄くはまり役だったが、僕は興信所の後輩役池松荘亮がとても良かった。
その視線の温かさがダメな先輩を救っていた。

意外と映画館が混んでいたのも嬉しかった。
若い観客が少ないのは残念だが、
こういった地味な作品が多くの方に観られるのは日本映画にとってはいい流れ。
この手の作品で外国映画に立ち向かってもらいたい。

「創業300年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか」を学ぶ

一昨日の金曜日は僕も所属するFBAA(日本ファミリービジネスアドバイザー協会)
定例セミナーが行われた。
僕がファミリービジネスアドバイザーの資格を取得したのは2年前。
月日の経過は早い。
現在は第4期の方が資格取得に向け学ばれている。

今回のセミナーのスピーカーはグロービス経営大学院の田久保義彦氏。
このセミナーの基になっている書籍「創業300年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか」は
以前にブログでも紹介した。
知人が共同執筆をしていることもあり、馴染み深い。
ファミリービジネスを基本にしているが、どちらかといえば経営戦略の要素が強い。
それが僕には却って興味深く、今回の講演も自身の会社の目指すべき方向を含め大きな学びとなった。

講演の内容は以前のブログから想像してもらいたいので、ここでは多くを語らない(笑)。
この書籍に書かれていることも僕の中でかなり抜け落ちているので、
振り返りとしては十分であったし、何より新たな気づきが多かった。

それは僕がファミリービジネスアドバイザーという立場よりも一人の経営者として気づかされたこと。
名大社は同族企業ではないが、そこで重要視される価値観は繋いでいく必要がある。
同族の方がやり易いのは事実だが、そうでなくともできるはず。

今回の講演では岡谷鋼機さんや月桂冠さんの例が随所に盛り込まれ、
そこに田久保氏の調査結果から考察された鋭い経営的視点が述べられた。
経営にとって「倫理観」が重要なのは僕も常に思うところだが、
ビジネススクール的な見方で倫理観や神棚が語られたことはちょっと意外。
僕が学んでいた頃はもっとロジック主体で人間味が溢れる要素は少なかったのではないかな。
今の方が断然いいけど・・・。

企業が長く栄えるためには
・自社は何者なのかを見定める
・あくまでも謙虚に、しかし、前向きに
・当たり前のことを当たり前のように積み重ねる
・成長のための成長ではなく、継続のための成長を

この点が重要。

今回、田久保氏の講演を初めて拝聴したが、まるで講演者のお手本。
上手いし面白いし分かりやすい。
常にテキトーな講演しかしない(できない)自分にとって遠い存在だが、
少しでも近づきたいと思ってしまった。
おこがましいけど・・・。

そして、この日はもう一つ感動的なことがあった。
ジャ~ン。

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このグラフィックレコーディング。
クリエイティブファシリテーターの山田夏子さんが田久保氏の講演を聞きながら、
模造紙にこのようなイラストを描いてく。
スゲエ~。
単純にメモを取るだけでも大変なのに、こんなふうにまとめてしまうとは・・・。
それにメチャクチャ分かりやすい。

議論やワークをホワイトボートに書くことはよくあるが、
ここまでできたら湯水のようにアイデアが浮かびそう(笑)。

セミナー後の懇親会でご一緒できたのも光栄。
いろんな種類のワインも美味しかった。

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来週は久々にファミリービジネス向けの講演も行うので、それに向けてもいい勉強になった。
ありがとうございました。

「現場力を鍛える」を学ぶ

先週はトーマツイノベーション主催のセミナーに参加。
ローランド・ベルガー会長の遠藤功氏の講演「現場力を鍛える」を拝聴した。
遠藤氏の著書は「現場力を鍛える」が有名だが、僕は読んだことがない。
少し前に「経営戦略の教科書」を読んだが、それほど感銘は受けなかった。
大変失礼な言い方になってしまうが、
すでに理解していることばかりで目新しさを感じなかったのだ。
ブログにも取り上げなかった。

すいません。
大してできてないくせに生意気なことを言って・・・。
経営戦略を学ぶ前なら、もっと感動したとは思うけど・・・。
すいません。

今回、初めて直接話を伺ったのだが、
とても理解しやすく、その話しぶりも大変勉強になった。
結論から言えば、現場の感度を活かす企業が「微差力」を生み、
継続し積み重ねることで決定的なビジネスの差を生むという。
そのためにはまず大戦略(グランド・ストラテジー)を描く必要がある。
個別の戦略では意味がなく上位の戦略。

そもそもそれができていないじゃないか・・・と反省(苦笑)。

そして、自立分散型組織への転換が現場力を活かすことになる。
スーパーのイオンやイトーヨーカ堂の本部主義(管理中心)と
ヤオコー、オオゼキの個店主義(個々で考える)の例が分かりやすかった。
スーパー市場が縮小する中で、伸びているところとそうでないところの違い。
あくまでも一つの例に過ぎないが、多くの業界でいえること。

そこに「闘う集団」として戦闘能力を強化する。
これが今の経営において大切で、現場力の重要性を明確にしていた。
現場力を有効的に活かした例として、加茂水族館や
JR東日本テクノハートTESSEIを挙げられたが、こちらは単純に面白く参考になった。

現場力を鍛えるにはエンパワーメントも大事だが、それだけでは機能しない。
「現場の感度」を引き出す「本社の感度」が重要。
現場から力を発揮するのはボトムアップの世界だが、
そこに至るための政策はある意味トップダウン。
トップが現場に耳を傾けるための力量と支援が必要。

まだまだできているようでできていないことが多い。
現場のアイデアを簡単に否定してしまうのも問題。
これば僕自身の問題として捉えねばならない。

僕も営業を離れ随分と経つ。
徐々に現場のことに対して鈍くなっているのも事実。
自分ではその感覚がなくなるのは怖くて仕方ない。
かといって、今、営業に戻るのもナンセンス。
いわゆる「本社の感度」というものをどう鍛えるかが求められている。
「現場力を鍛える」ためにトップがやるべきことは多そうだ。

やっぱりそうなるか。ランニング日記1605

1年ぶりに目標達成した4月。
連続で目標達成できれば本物である。
それでこそランナーを名乗る資格がある。
僕の周りのランナーは100kmどころではなく
200km位を当たり前のように走っているのだから・・・。

走ることを基本とした生活スタイル。
暴飲暴食なんてしない。
夜11時過ぎにラーメンを食べて喜んでいるバカな行為はないはずだ。

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バカな行為はその夜だけで済めばいいのだが、翌日に影響を与えるのが常識。
胃もたれ状態の二日酔いで走るほど危険な行動はない。
僕はそこまで愚かではないようだ。

しかし、こういった行動の日々が目標達成を遠退け、
言い訳の日々を作っていることは誰しも想像するであろう。

はい、その通りでございます。
昨年5月は100km以上走ったのだが、先月は全く目標に届かず66km。
1966年生まれの50歳だからこれでいいじゃないかとは誰も思わない。
そんな都合のいい解釈は僕よりも走っていないライバルだってしないはずだ。

走るモチベーションを維持するのはなかなか難しいですね。
今更言うことでもないけど・・・。

それでも5月はそれなりに体は動かした。
全く上達しないゴルフも珍しく2回ラウンドした。
まあまあ、走ったね。

そして、久しぶりに御在所岳に登山もした。

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かなり勾配のある登り坂だったが、へこたれることなく登り切った。
マラソンとは違う筋肉を使うが足腰は十分鍛えたと思う。
もちろん、その距離はカウントしていない。
飲んだくれてぐうたらな生活をしているだけではなく、それなりに全身運動はしているのだ。
だからこそ今でもこのスマートな体型を維持している。
誰も見たことないから言えるのだが、きっとそのはずだ(笑)。

まあ、そんなことは言っても目標未達成には違いない。
きっと今月も来月も同じような成績しか収められないと思うが、
一応、目標に向けては頑張っていきたい。

東京のライバルはともかく名古屋のライバルはどうしてるだろうか。
これからどんどん暑くなる季節。
目標は気にしながらも体調管理に気を遣いながら、
走っていきたいと思う6月初旬である。

食べ物のはなし 円頓寺シリーズ その42

円頓寺に戻ってきました。
こののどかな佇まいが落ち着きます。

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喧噪とした東京もたまにはいいですが、やはり田舎者はこちらの方がお似合いです。
那古野から円頓寺商店街に向かう途中にある「鈴音」さんに行ってきました。

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とてもひっそりしています。
お店の前を通る人は休業日だと勘違いするかもしれません。
言い方は失礼ですが、あまり商売気を感じません。
「大将、もっとヤル気出してよ!」と思わず言ってしまいたくなります。

たまに顔を出すと
「山田さん、全然来てくれないじゃないですかあ~。お店、潰れちゃいますよ~。」
とその瞬間だけ、ヤル気を見せるのです。

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お昼のランチ時です。この時もとても静かでした。
メニューはありません。
1種類のランチ(多分・・・)があるだけです。
注文をする必要もありません。勝手に出てきます。

ランチ 1000円

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まずはまぜご飯と前菜が登場します。
このまぜご飯なかなかいけます。
ペロリと平らげることができます。
しかし、当然ですがこれがメインではありません。
メインはこちらです。

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十割蕎麦と二八蕎麦の2種盛りです。
日によって蕎麦は変わります。
蕎麦の原産地もその都度変わります。
大将のこだわりが垣間見えます。

この日は15日間で13回蕎麦を食べている愚か者副本部長と呼ばれる蕎麦達人と一緒でした。
蕎麦に関してはなかなかうるさい方です。
そんな方ですが、思わず
「おっ、これはいいぞ。なかなか、やるじゃないか。」
というセリフを吐いていました。

どうやら美味しさを表す表現は日本国内共通のようです。
僕はどっちが十割かも分からなくなっていましたが、美味しく頂くことができました。
蕎麦達人ではないので、それでいいのです。

「鈴音」さんは基本は蕎麦屋です。
ここまでの内容ではとてもヒマそう感じですが、決してそうではありません。
名誉回復のために言っておきますが、夜はかなり繁盛しています。
完全予約制で3500円のコースのみという強気の商売です。
早めに予約しないと週末は取れません。

「山田さん、全然来てくれないじゃないですかあ~。お店、潰れちゃいますよ~。」
の言葉なんて、微塵も感じることはできません。
コースの内容も充実していますし、日本酒の種類も多いです。
大将の気分がいい時は多めにお酒を注いでくれます(笑)。

だからでしょうか。
お昼時はどうやら力を抜いているようです。
蕎麦は手抜きをしていませんので、
まだ行ったことのない方は、まずランチタイムがおススメかもしれません。

ちょっと宣伝気味になってしまったので、
次回、お邪魔した時はお酒をこっそり余分に注いでほしいと期待します。

ごちそうさまでした。
円頓寺シリーズはまだ続きます。

社長になるまでのこと <再掲2>

多分、うちの会社に詳しい業界の方は思っていたと思う。
トップ、ナンバー2のいない名大社は終わりだと・・・。
実際にそのような声は僕にも届いていた。
そんな時期での決断だった。

そこから社長とのやりとりが始まった。
100%の信頼をされていたわけではない。
「もしかしたら、こいつが会社を潰すかもしれない。
自分が作り上げてきた会社を他人が潰すくらいなら、解散した方がまし。」
もしくは
「私物化して会社をメチャクチャにするかもしれない。」
そんなふうに思われていた。

お互いに意見は交わすものの、多くの場合は持論をぶつけられ、
そこから前に進むのは難しかった。
社員もきっと不安だったはず。
ある時、右腕となる社員とサシ飲みをした。
会社の今後が話題の中心だったが、右腕は僕に聞いてきた。
「哲さんは本当に会社をやっていきますか?途中で辞めたりしませんか?」
当然ある疑問だろう。

僕はこれまでのこと、今回の決断のこと、多くの事を頭に巡らせながら答えた。
「大丈夫。辞めない。」
「なぜですか?」
「俺は今まで何かを途中で辞めたことがない。
学校も塾も部活もアルバイトも一度決めたことは辞めたことがない。
30歳から始めた日記も今やってるマラソンも辞めていない。
辞めた経験がないんだ。だから大丈夫だ。」
チープな論理だった。
それでも説得力は持っていたようだ。
右腕は「分かりました。納得しました。」と言って、後は何も聞かなかった。
それは右腕に言った言葉でもなく、自分自身に向けて言っている言葉だった。

そんな状況でも会社は動いている。
自らも営業し、数字が思うように上がらないものの、組織は鼓舞していかねばならない。
同時に経営計画書を作成していく。
今の赤字状態からどう脱却するか。
コストダウン、新商品の開発など黒字化するための道を探っていた。
苦しい時間であった。

最大のコストダウンはオフィスの移転。
創業以来、40年間、栄にある中日ビルにオフィスを構えていた。
徐々に拡張していったため、結構なスペースもあった。
そこから移転で大幅に固定費はカットできる。
しかし、40年間暮らしてきた場所を安々と離れることはトップの感情として許しがたいことでもあった。
ここの説得が難航したが、最後には理解してもらうことができた。

秋頃は、社長とそのようなやりとりを繰り返しながら、
会社存続に向け話し合いを続けていた。
ある時、急きょ呼び出され、二人で飲むことになった。
これまで一度もお邪魔をしたことのない洒落た小料理屋だった。

どんな話になるかは想像ができていた。
僕自身、覚悟もできていた。
どんなことがあろうと会社を守る。
自信も根拠もなかったが、その気持ちだけは強かった。

社長の懸念材料は多かったと思う。
一番大きな要素が会社は誰のものになるかという点。
「お前は会社を自分のものにするつもりはないか?私物化しようとしていないか?」
そこははっきりと答えた。
「ありません。もし、そんな様子を少しでも感じるようであれば、クビしてもらって構いません。」
自分でクビを切りだしたのは初めてだった。

これまで何度もダメ社員の烙印を押され、危うい立場を過ごしてきたが、
自らキッパリ言うのは初めてだった。
定かではないが、この言葉が社長の気持ちを変化させたのかもしれない。
そして、僕は11月に重要事項を決定した。
冬の賞与を一切支給しないことに決めたのだ。
前年も業績は悪かったが賞与がストップすることはなかった。
過去も一度もなかったはず。

それを僕が決めた。
ただでさえ給与が減り生活が苦しい状態でその決断は社員には本当に申し訳なかった。
心が離れる社員が増えるのも予想された。
全ての現場を任されていた僕は全員の前で詫びた。

誰ひとり非難する声は上がらなかった。
会社は酷い状況だったが、夏以降、誰も辞めなかった。
さすがに冬の賞与の件で退職者も出るだろうと覚悟したが、
その時も会社を去る者は誰もいなかった。
僕はそれが一番嬉しかった。

会社は何とかなると思えたのも、そんな仲間の存在だった。
賞与をゼロにしたことで社長は僕にすべてを任せようと決心したようだ。

12月上旬、急に社長宅に呼ばれた。
経営資料を携え最終的な詰めを行った。
そして、その時に僕が正式に会社を引き継ぐことが決まった。
驚くほど呆気なかった。

対外的には翌年の株主総会後だが、
実質は12月21日より全ての決裁権を自分が持つことがその場で決定した。
社長は体調を崩していたこともあり、自ら対応を早めに決断したのだろう。

さすがにその夜は眠れなかった。
布団の中にいても目が冴えるばかりだったので、
当時放映されていた「坂の上の雲」の録画を観た。
この世界に比べれば、まだまだ小さい事じゃないかと自分を納得させていた。
そんな気持ちで自分を維持しようとしていた。
寒さが堪えたのか、結局、風邪を引いてしまったことを記憶している。

とりとめなく書いてきたが、これが僕が社長になるまでの経験してきたこと。

帝王学を学んだわけでもなく、経営者の準備をしてきたわけでもない。
それでも会社は成り立つ。会社は毎日動いていく。
その年の大晦日の日記にも書いていたが、
この一年は僕の人生の中で最も変化の激しい、スピードの速い一年だった。
何年分かを一年で過ごしてしまったようだった。
トップを任される一年前に飛び込み営業をしている奴なんてあり得ない。

ここで会社以外のこと少し・・・。

社長を引き継ぐ事が決まった時、僕は実家と嫁さんの実家に挨拶に出向いた。
僕の実家は岐阜で農業も含め自営をしている。
僕は三人兄弟の長男。
父親はいずれ息子は戻ってくると期待していたと思う。

僕が実家に挨拶に出掛けたのは、その期待を完全に裏切ることを意味していた。
僕自身、そんな感じで思っていた。
僕は父親に、これから会社をやらなければならない。
家業はやれないとそんな様な話をした。

父親は「会社のことはよくわからんけど、あんばようやってちょ。」とだけ言った。
”あんばようやってちょ”と言うのは岐阜弁で、”しっかりやってくれ”という意味。
その言葉を聞いて僕は安堵とし父親の大きさに感謝した。

そして、嫁さんの実家にも挨拶に行った。
その一年前、義父を癌で亡くしていた。
僕は義母にこれまでの事を話した。

「これから会社を任されることになりました。
家庭の事は今以上にないがしろにするかもしれません。
もしかしたら、最悪の状況に引き込んでしまうかもしれません。
嫁にも子供にも迷惑を掛けるかもしれません。」

そんな僕の言葉に義母は言ってくれた。
「天国に行ったお義父さんは喜んでいると思うよ。
哲也さん、何も心配することなく頑張ってください。」と・・・。
僕は涙が出るくらい嬉しかった。
結局、僕は周りに支えられて生きているに過ぎない。

支えてくれたのは嫁さんの存在もあるだろう。
不思議なことに僕がどんな状況、立場であろうと何も変わらなかった。
単純に僕に関心がないだけかもしれないが、僕が役員を降格になった時も、
給与が半分になった時も、社長になる時も何ひとつ変わらなかった。
「あら、大変、どうしましょ~。」
と呑気に言うくらいで態度はいつも同じだった。
そんな態度に僕は救われたのかもしれない。

長々と書いてきた「社長になるまでのこと」。
思い出したままを感情的に書いているので、どこまで伝わったかわからないが、
今、こうしてこんな事を書けるのも幸せなこと。
改めて充実した毎日に感謝しなければならない。

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以上が2009年12月までのこと。
完全な手抜きブログだが、ご理解いただきたい。
明日からは愚か者ブログをしっかり書いていきます(笑)。
引き続きよろしくお願いします。