これからも前向きに 名大社会長ブログ

なごや昭和写真帖 キネマと白球

たまには書店に行かなきゃいけない。
本書は書店でなければ買うことはなかった。
そもそも存在すら知らず検索することもない。

たまたま寄ったジュンク堂書店で平積みしてあるのを手に取った。
発行元の風媒社は名古屋の小さな出版社・・・。

かつて名古屋には名古屋タイムズという夕刊紙があった。
僕らは「名タイ」と呼んでいたが、今の若い人はその存在すら知らないだろう。
広告を取り扱ったことはないが、名古屋の夕刊紙といえば名古屋タイムズ、
中京スポーツ、元上司が在籍する日刊ゲンダイ。

マジメな情報はほとんどなく、
(すみません、ちょっとはあるかな?)
娯楽、スポーツ、ギャンブル、お色気が中心。
僕が20代の頃はまだ元気ではあったが、ピークはとうに過ぎていた。

「名タイ」は平成20年に休刊。
時代の流れには逆らえなかった。
全国には同じような紙媒体はいくつもあるんだろうね。

本書は「名タイ」が報道してきた映画と野球の世界を描いている。
それも僕が知る由もない昭和20年代、30年代を中心に・・・。
映画コラムニストの端くれとしては名古屋の映画の歴史も押さえておかなきゃいけない。

脈々と続く文化が今に繋がっている。
その昔、映画は娯楽の王様。
驚いたことにピーク時(昭和27年)には名古屋市内には69館もの映画館があった。
栄地区だけでも15館あり、伏見界隈にも多くの映画館が存在した。
僕の住む中川区にもあったり・・・。
今でもシネコンを数に含めれば近い数はあるが、捉え方は随分異なる。

僕が愛用するミリオン座はその昔もミリオン座として独特の存在感を放っていた。
記録写真では当時の街の風景共に映画館が写し出されているが、どのあたりかはイメージできない。
昭和30年代の名古屋の街並みで分かるのはテレビ塔と納屋橋くらい。

それを眺めながら、いろんな想像をするだけでも面白い。
本書を読んでいて思い出したことがあった。

僕は学生時代、名古屋駅前の映画館でバイトをしていた。
今、ミッドランドスクエアシネマを運営する中日本興業が
駅前にいくつも映画館を持っており、その一つでバイトをずっとやっていた。
時給は驚くほど安かったが、運営する映画館はタダで観れたので十分元は取れた。

それとは別に僕の所属する映研は栄にある東映会館で代々バイトしていた。
当時、週末にオールナイトをやっており勝手に出入りしていたし、
観たい映画は当然のようにタダで観させてもらった。
おおらかな時代だった。

その頃、映画館に掲げられた大看板は一枚一枚手作り。
いかにも画家崩れのような人たちが別の部屋で大看板を描いていた。
すこぶる上手かった。
上映の切り替え時はその看板の取り付け作業も手伝った。
今や映画館もシステマティックになり、そうじゃないとストレスを感じてしまうが、
そんな時代を懐かしく思った。

映画のことばかり書いてきたが、本書には中日スタジアム、中日球場、
ナゴヤ球場に絡むドラゴンズや他のチームのことも・・・。
昔は名古屋にも女子プロがあったわけね。

記念に取っておくにはいい一冊。
あんまり本書に触れてない気もするが・・・。

たまには書店に出掛けようね。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その216

4月も半ばを過ぎて、春らしさを感じるというより夏の入り口一歩手前の装いです。
春と秋がどんどん短く感じるのは私だけでしょうか。
もしくは年齢のせいでしょうか。

1か月後は56歳になってしまいます。
体は元気いっぱいですが、その年齢を耳にすると急に年寄りになった気がします。

それが理由ではありませんが、最近は蕎麦を頂く割合が高くなりました。
暑くなってきたので、シンプルにざる蕎麦。
それで満足してしまう体はどうなんでしょうか。

いやいや、まだまだ攻めなけれななりません。
いつまでもその姿勢を持たねばならぬのです。
そのためには蕎麦ではなくラーメン。
それもガツンと響く迫力のある代物が求められます。

インスタあたりをチェックすると最近、それに相応しいお店がオープンしました。
会社から北に向かい錦通を越えた場所にある「焼豚そば啜る」さんです。

系列店の「鶏そば啜る」さんは人気店。
以前のこの伏見シリーズでも紹介しました。
その時のブログはこちら

系列店はこの界隈にいくつかあるので同じ業態だとカニバリが起きます。
ここは気を付けなければなりません。

ずっと自販機を眺めます。

どうやら焼豚で勝負するようです。
写真では見ずらいですが、1枚、2枚、3枚、4枚と焼豚の枚数で値段が異なります。

ここは全国30万の読者のためにも3枚あたりを選ぶべきでしょう。
購入し、元気にいいスタッフにチケットを渡します。

ラーメンに対するこだわりを理解しながら、しばらく待ちます。

中華そば(並)焼豚1枚 850円

なんだ、なんだ、3枚じゃないのか。
2枚でもないじゃないか・・・。
クレームの電話が鳴りやみません。

ここは消極的な姿勢が出てしまいました。
これも来月56歳を迎える年寄り感かもしれません。
ちと、情けないか・・・。

しかし、この1枚がとてつもなくデカい。
厚切りベーコンステーキ的なこの感じ。
リフトアップで写真を撮りたいところですが、
カウンターのみの店舗で、
目の前にスタッフさんが身を構える場でそんな勇気はありませんでした。

結論からいえば1枚で十分お腹は満たされます。
焼豚大好き人間はチャレンジすべきでしょうが、
ただのラーメン好きはあまり無理をしないほうがいいでしょう。

それでも一度くらいは2枚の挑戦はしてみるか・・・。
とても美味しく頂くことができました。
ピーク時間を外してお邪魔することをおススメします。

ごちそうさまでした。

「なごや七福神めぐり」に行ってきた。

3月の初めだっただろうか。
いきなり家人が
「やまちゃん、七福神めぐりに行かない?」
と誘ってきた。
どうやら友達からご利益があるとかないとか情報を入れてきたようだ。

少々面倒であっても、ここは
「いいね、行こう!」と言わねばならない。
点数を稼げる時に稼いでおくのだ。

調べると公式案内から僕のようなブロガーまで様々な情報がアップ。
名古屋市内の7つの福神さまと寺院を回る。
特に順番は決まっていない。
1日で全部回るのは無理なので、2回に分けて巡ることにした。

3月6日(日)が空いていたので、早速。
この日は雪がチラつく寒さ。
翌週の名古屋シティマラソンの暑さを思うと信じられないくらい。

一番遠い南区にある笠寺観音笠覆寺からスタート。
こちらは恵比須さま。

まずはともあれ商売繁盛から。
大色紙を買うのにどれにしようか家人は迷う。
僕はさっさと決めるので、それで揉めたり・・・。
御朱印をもらうのに手間取ってしまった。

そんなやり取りを見ていたおじさんが声を掛けてきた。
「初めて七福神めぐりをされるんですか?」
「はい、要領がよく分からなくて・・・」
と話をすると懇切丁寧に教えてくれた。

このおじさん、リーマンショック時に失業して悩んでいた時に七福神めぐりをしたら、
不思議と仕事が決まり、その後も順調だという。
お礼方々、年に何回も回るという。
もう40回を超えたとその御朱印帳を見せてくれた。
ご利益があるわけね。

感謝を述べ、次に向かったのは港区の宝生山辯天寺
こちらは辯才天さま。

こちらは静かな寺院。

そして、中川区にある如意山宝珠院
こちらは大黒天さま。

自宅から比較的近いが初めて訪れた。
もっと地域を知らねばならないね。
初日は3か所で終了。

それからお互いゆっくりする時間が取れなかった。
ようやく都合がついたのは4月10日(日)。
3回目のワクチン接種翌日だったが、二人とも元気。
何も予定を入れてなかったので、急遽、出掛けることに。

1か月前と比較すると気候はまるで違う。
シャツ一枚でも暑いくらいの陽気だった。

向かったのは昭和区の八事山興正寺

何気に初めてお邪魔した。
こちらは寿老人さま。

僕はともかく家人には長生きしてもらいたい。
前週だったら桜が満開だった。

そして中区にある成田山萬福院
こちらは福禄寿さま。

頻繁に若宮大通を通るが、こちらも初めて。
そのまま錦方面へ移動。

袋町お聖天福生院へ。
こちらは毘沙門天さま。

いかんね、この付近も夜な夜な通るというのに・・・。
中に入ると格式を感じた。

そして、最後が大須観音宝生院
こちらは布袋尊さま。

初詣も欠かさずお参りするし、年何度も訪れる。
しかし、社務所がこんな奥まった場所にあるとは知らなかった。

2日通して「なごや七福神めぐり」は無事終了。
帰り道にもご利益が・・・。

普段、必ず混む交差点がスムーズに通れた。
いつも駐車場が満杯のコンビニにすっと入れた。
出た時は入れない車が右往左往。
普段より快適に家路につくことができた。

これも福をお授け下さったということ。
こちらが三つ折りの色紙。

ありがたいことですね。
こうして家庭円満にもなるわけだし・・・。

GWも家人とどこかへ出掛けてみるかな。

名大社半生を振り返る その18

2004年、2005年はモーレツに忙しかった。
2005年には愛知万博もあったため、その前後は景気も上向き。
会社の業績も上がっていた。

僕の営業マネージャーとしての評価はイマイチだったが、他の業務はどんどん押し寄せてきた。
そんな時期にCDA(キャリアカウンセラー)の講座に通い、資格取得を目指し勉強をした。

小さい子供を2人抱える嫁さん。
仕事ばかりで家庭を任せきりで、休日も勉強といって外出する旦那。
それだけならまだ許してくれるだろう。
仕事を終わってからの飲み会。
勉強会が終わってからの飲み会。

嫁さんは怒り心頭。
「なぜ分かってくれない?」
僕は自分を正当化したが、今の時代なら三行半だろうね。
やっぱり、スミマセン・・・。

新卒市場も再び活況になってきた。
リクルートなど大手同業他社は新たなイベントを打ち出した。
負けてはいられない。
対抗する大手向きの企画を立て、それまでお付き合いのなかった企業にも積極的にアプローチした。

ご縁のなかった地元大手企業と口座を持ったのもこの頃。
ここでは自慢をさせてもらうが、地場を代表する大手企業のかなりの割合を僕が開拓をした。
イベントも成果を出した。

2004年10月に取締役待遇次長というヘンテコな役職をもらった。
懇意にするクライアントから
「山田さん、それって役員じゃないよね?」
「そうですね」
「執行役員なの?」
「違いますね」
「じゃあ、何?」
「取締役に近い待遇ってことじゃないですか?」
「それで次長なの?」
「そうです」
「ギャハハハ」

自分でもよく分からなかったが、責任が重くなったのは事実。
書きたいことは他にもあるが、半生が進まないので細かいことは省く。
Pマークも無事に取得したとか・・・。

昼休憩は15分ほど。
当時、中日ビルの地下に「らーめん亭」というお値打ちな中華料理屋さんがあった。
確かチャーハンも天津飯も400円くらい。
天津飯はあっという間に出てくる。
そこでサクッと食べ会社に戻ることが多かった。

2005年1月にCDAも無事に合格。
大して勉強ができない割に目覚めてしまった。
4月からはビジネススクール(グロービス)にも通い始めた。

世間は盛り上がっていた2005年だが、会社は壮絶な年。
全社員の1/3が退職をした。
それも重要な戦力を失くした。

以前僕の部下だったTはその後、営業部門のエースとしてチーム全体で会社を引っ張っていた。
そのTが退職をした。
お互い別のチームを持っていた時も頻繁に飲みに行き、未来を語り合った。

そのTが退職。
その他信頼していたメンバーも辞めた。
「山田さんのことは尊敬しているし好きだけど、会社には付いていけません・・・」
そんなことも言われた。
かなり辛かった。

それが勉強に向かわせた理由の一つ。
会社は僕のビジネススクールへの通学を知り、受講料は会社持ちでいいと言ってくれた。
僕はそれを断った。
反発心があったのだろうか。

今思えば、とても勿体ない。

続く・・・。

映画「アメリカン・ユートピア」

昨年の公開時に見逃した作品。
つい先日もミリオン座で再上映されていたが、それもタイミング合わず観れず。
つくづく縁がないと思っていたら、Amazonプライムに登場。
ようやく観ることができた。

結論から言おう。
本作は映画館で観るべき。
本当はLIVEに行くべきだろうが、最低限でも映画館で観た方がいい。

その方が映画の魅力が十分伝わる。
映画を観た実績は残るが、少し物足りないような気がしてならない。

そして、もう一つ思ったこと。
やはり英語を理解する力。
一般的な海外作品もそれを感じるが、本作はより感じさせてくれた。
字幕があるとはいえ歌詞が理解できるかで伝える側のメッセージ力は異なる。

この年齢から英語の勉強なんて、どうかしてるのかな(笑)。
しかし、本作を観ると年齢なんてどうでもよくなる。

主役デヴィッド・バーンは公開時69歳。
あの軽やかな身のこなし。
創造的な空間作り。
そして、クールだが熱い発信力。

どこを切り取っても年齢を感じさせることはない。
むしろ人間的な厚みを感じさせる。
汗もかいていないし・・・。
ミュージシャンはみんなそう。
あれだけ激しい動きをしても、汗だくの者は一人もいない。
う~ん、ナゼだ??

監督はスパイクリー。
僕が20代の頃、一世を風靡した感はあるが、久しぶりに聞く名前。
ここ20年の活躍を僕が知らないだけだが、
今はこんな斬新で前衛的な映像を撮るんだ。
カメラワークをみるととても1回のLIVEを撮ったようには思えない。
一体、どんな演出があるのだろうか。

そのシンクロ具合も絶妙。
だからこそ映画としての評価も価値も高い。

70年代、80年代、
僕は多感な時期だったが、トーキング・ヘッズはほとんど聞かなかった。
当時は正統派のロックを求めていた。

本作でも知っていたのは最後のアンコール曲のみ。
あとは初めて聞いた曲ばかり。
そのあたりでも楽しみ方も変わる。

より音楽を知り、映画館で観ればもっと楽しめた映画だった。
ちょっと勿体なかったかな。

映画「ファーザー」

昨年の公開時に見逃した作品。
アカデミー賞ノミネート作品であり、主演男優賞を獲得。
アンソニー・ホプキンスの受賞を映画を観た人は誰しも納得するところ。
自己と葛藤する痴呆老人を見事に演じていた。
とても演技とは思えなかった。

本作のような家族愛を描く人間ドラマは珍しくはない。
テーマとしてもオーソドックス。
そこは僕が見逃した理由でもあるが、観終えて感じたことは「実に新しい」ということ。

痴呆症の老人に振り回される家族を描く作品はどこかで観ている。
それは日本映画であろうと海外映画であろうと描く世界は近い。
しかし、その視点はあくまでも相手側。
痴呆老人の相手をする家族や仲間の視点で描く。

時に感情的になり、時に冷静になり、時にその対応に疲れ切ったり。
痴呆症を客観的に捉えることがほとんど。

本作はその視点を持ちながらも、圧倒的に痴呆症の本人の視点で描かれる。
痴呆症の方がどんな目線なのか、どんな気持ちなのか、実際は誰も理解できない。
分析する術はあるだろうが、感情面は本人しか分からないはず。
いや、本人も目の前で起きていることは分からない。

手元にあるべき時計はなく、いるはずの家族がいない。
架空の人物と実在の人物が入り交じる。
その区別がつかず、すべて実在。
もしくはすべて架空。

僕は将来ボケ老人にならないために思考力を維持できるよう普段の生活は心掛けている。
「あれだよ、あれ」という表現を極力なくし、頭の中で言葉を巡らせる。
それでも「あれですよね~」「あれはいいよね」なんて、言ってしまうけど・・・。

それもボケ防止のために必要なことだと思っていた。
もしかしたらそれは逆かもしれない。
より頭の中を巡らせたり、想像力を発揮させる方が痴呆症に近づくのかもしれない。

アンソニー・ホプキンス演じるアンソニーは、
(これはワザと付けた役名?)
想像力が豊かでボキャブラリーも豊富。
知識人であったのは間違いない。

だからこそより面倒な老人となり、家族を困らせる。
時々、困らせたことに気づきながら・・・。
多分、これが現実なのかな?と彷徨ってしまうのだろう。

だからだろうか。
この面倒くさい父親に共感してしまうし、感情移入もする。
自分の父親くらいの年齢なのに。
僕は子供の立場のはずだが、気づいた時に父親と自分がオーバーラップする。
未来の自分が映っていると錯覚に陥る。
全然違う世界なのに・・・。

僕はボケて周りに迷惑をかけるくらいなら、とっとと死にたい。
その考えは変わらない。
しかし、勘違いしたまま自分勝手に現実を受けてめて死ねるなら、それも幸せかと。

映画を観て、そんなことを思ってしまった。
映画に国境はないね。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その215

少し前のことでした。
和食の美味しい居酒屋さんの前を通るとこんな看板が出ていました。

気になったのはピリ辛玉子ラーメン。
お店に似つかわしくないと思いつつ、
「これはきっと何かあるぞ!」
と期待で胸が膨らんできました。

しかし、その時はこのメニューだけに売切の札が張り付けてありました。
「そんなに人気メニューなのか・・・」
それ以来、このお店が気になって仕方ありません。
仕事が手につかない日々がしばらく続きました。

そして、先日、満を持して「和食ダイニング 若宮」さんにお邪魔しました。

11:30のオープンと同時に入店したのです。
「いらっしゃいませ」
礼儀正しい接客で迎えてくれます。
もちろん一人目のお客さん。

カウンターに案内されると迷うことなく注文。
「え~っと、ピリ辛玉子ラーメン、中辛でお願いします。」
「ご飯は付けられますか?」
「大丈夫です!」
ここは勇気をもってキッパリとお断りしました。
辛さは普通、中辛、大辛と選べるようですが、ここは真ん中を選択するのが王道です。

待つ間、カウンターの奥を眺めます。
夜に何度かお邪魔したことはありましたが、全て飲み放題。
どうやら焼酎が売りのようです。
最近あまり飲んでいませんね。
日本酒ばかりで・・・。

ピリ辛玉子ラーメン 750円

見た目はかなり辛そう。
いつもなら汗がボタボタと落ちてくるパターンです。

しかし、思ったほど辛くはありません。
スイスイと麺とスープを啜ってしまうのです。
出汁が上手く効いているようで辛さがいい具合に体に溶け込んでいきます。
玉子とひき肉と野菜もブレンドされ辛さにマッチしています。

「いいぞ、いいぞ、この感じ、なかなかやるじゃないか」
久しぶりにセリフを発してしまいました。
気づくとスープもほぼ飲み干す状態。
売り切れになる人気ぶりも納得しました。

そしてお団子が口直し?デザート?で付いてきます。
きっと女性は喜ぶでしょうね。

和食のお店で頂く辛いラーメン。
このアンマッチがむしろいいかも・・・。

ごちそうさまでした。
もしかしたら大辛も楽勝かもしれません。

プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる

無料のKindle版で読ませてもらった。
実際にお金を払う価値は十分あるが、
時にはこんな読み方ができるのも電子書籍のいい点。
昨年7月に出版された書籍なので、まだまだ新刊本の範囲。
これからのビジネスを予測しているが、すでに多くは現実のものとなっている。

それだけ変化が速いのか、新しい常識が瞬間的に浸透していくのか、
ネットがもたらす、むしろSNSを中心とした新たな価値の提供はあっという間に広がる。
ただそれはかつでゼロだったものが1になるのではなく、
元々存在した何かが新しい価値として認められたことにもなるだろう。

僕が携わってきた営業の仕事も見方を変えれば「プロセスエコノミー」に近い。
都合のいい解釈かもしれないが、商品の値段、実績だけで問われるのであれば、
僕らのような営業は不必要。
そこに絡む人がいて、その人から買いたいという気持ちがあるが故、売れるサービス。
だから同じ商品でも優劣が生まれるわけだし、満足度も変わる。

そんなプロセスなんてどうでもよく価格のみで判断する方も当然存在するわけだが・・・。
ある意味、ネットで販売するか、対面で販売するか、
手段は異なっても結果は同じともいえる。

全てのモノが見え、誰にでも比較ができれば検索能力で事足りる。
僕だって購入するモノによってはそれで十分だし・・・。

ただそれは僕のような「乾いてる世代」だからいえること。
これから社会をリードしていくのは「乾けない世代」。

「達成」や「快楽」を最大の価値としていた僕らはやはりワンランク上の生活を求めていた。
それがある意味、成功と捉えていた。
それが「乾いてる世代」。

だが、「乾けない世代」が求めるのは精神的な要素で、
物質的なモノより内面的なコト。
SDG’sへの意識もその表れ。
配慮のない製品は購入しない。

そこも大きな違い。
供給側もそれを考えて提供しなきゃいけない。
だからといって必要以上に高額だと買ってもらえないし・・・。

マーケティング4.0か。
よりハイレベルなマーケティングが求められる。
一体、裏で誰が操っているのだろうか(笑)。

「プロセスエコノミー」という考え方が共感を生み価値を創造する。
納得できる要素は多い。

一方で著者は弊害も指摘する。
プロセスに価値を置き過ぎ過激化すればどうなるか。
手段の目的化。
確かにそうだよな。
そこは十分踏まえないと・・・。

尾原さんはいつも多くを教えてれる。
僕のブログも信頼を得るためのツールになればいいけどね。

名大社半生を振り返る その17

あれもこれも手を出すとロクなことがないのかもしれない。
2003年、2004年も社内も社外も変化が激しかった。

人材業界も新興勢力が力をつけてきた。
今はなきワイキューブが業界の話題になっていた。
名大社とのパートナー契約の話も上がったりもした。
条件はまとまらなかったが、存在はかなり気になっていた。

生意気な学生モニターにも言われた。
「名大社は古いっすね。これからはワイキューブじゃないですか」
若い連中にはそんなふうに映っていた。
確かベンチャーオンラインという会社もあったが、いつの間にか消えていた。

リクルートはナゴヤドームで派手にイベントを開催。
残念ながら名大社の大型イベントの倍以上のスケール。
どこも自社の存在感をモーレツに出していた。

僕のチームもメンバーが変わり、当時、勢いのあったIが僕の部下になった。
以前からIは僕によく言っていた。
「山田さん、独立しないんですか?。山田さんならやれると思いますよ」
それが理由ではないが、結構、可愛がった。

若いメンバー中心で何かを起こしたいという気概もあり、会社に対し提案もした。
そんな姿勢は僕も大切だと思ったが、それが裏目に出た。
会社への反発と受け取られた。

「テツはやっぱり若手を育てられない。」
勝手な行動をさせたことの責任を取り営業の部下を外された。
しばらくしてIを含め有望な若手が退職。
僕より上の部長級のメンバーも管理職失格の烙印を押され降格にもなった。
相変わらず激しい人事だった。

僕は自分が営業をしながら企画チームのデスクになった。
この頃から個人情報についてうるさく言われだした。
当時は名簿屋さんと呼ばれるブレーンと付き合っていた。
ルールに則った上での取引なので問題はないがグレーな面もあった。
その時、お付き合いした人も僕が社長になるタイミングで再会。
今は真っ当なビジネスでいいパートナー(笑)。

大手同業他社はプライバシーマーク(Pマーク)を所有していた。
世間的にもそれが求められるような時期。
名大社もPマークが必要な時期に迫られてきた。

感覚的な仕事は得意だが、こういった論理展開だけを積み重ねる仕事は苦手な分野。
しかし、そんな役割も僕に回ってきた。

改めて過去を振り返るといいように会社に利用されていないか?

机の上の書類の山積み。
シュレッダーはなく何でもゴミ箱にポイ。
個人情報って大事なの?
そんな会社だった。

とても自社だけで賄うことはできず、コンサルと一緒にゼロから組み立てた。
いい経験だったが、とても面倒な仕事。
書類を完成させ社内体制と整え、審査申請をする段階でミスが起こった。
直接僕が原因ではないが、責任者として叱責を受けた。

いやいや僕は企画担当ですよ。
と言いたいが、それも僕の責任だった。
なんだか叱責ばかり受けている。

それが2004年。
その年にCDA(キャリアカウンセラー)の資格のために受講がスタート。
机に向かい勉強するのは久しぶり。
自分の昂る気持ちとは裏腹に家庭内は険悪なムードだった。

続く・・・。

映画「ベルファスト」

本作を観たのはアカデミー賞授賞式の前。
ニュースだけ読む限り作品賞の本命視にされていた。
結果的には脚本賞を受賞。

作品賞は「ドライブ・マイ・カー」でもなく「コーダ あいのうた」
日本映画が受賞できなかったのは残念だったが、
「コーダ あいのうた」も感動的で素晴らしい作品なので異論はない。

特に意識はしていないが、今年はなぜかアカデミー賞候補作ばかり観ている。
おかげで先日の授賞式も気になり、速報もじっくりと観てしまった。
ウィル・スミスも大変だね・・・。

候補作はエンターテイメント性の強い作品から風刺の効いた社会性の強い作品まで幅広い。
本作の描く60年代のイギリスも観る者に共感を与え、
別の意味で悲しみを与え、今の社会問題とダブらせることもあるだろう。

どんな時代でも些細なことから問題が大きくなり敵対心を抱き、
取り返しのつかない状況に追い込まれる。
そこで犠牲になるのはけがれのない子供たち。

周りの雰囲気から危険は察知し身を護る手段の必要性を感じるものの、
揺れ動く正直な気持ちはどうすることもできない。
とてもせつない。

それは本音で生きようとする子供だからこそ表層的になるが、
大人でも同様の感情は抱く。
年齢を重ねる分、より客観的に冷静なものの見方ができるだけのこと。
気丈に振舞う強さを身に付けているだけ。

一体、誰が悪いのか。
誰もが人のせいにしたくなる。
自分たちの考えや行動は正しい。
相手を傷つけることも容易に正当化できるし、力でねじ伏せることも正義。
それはどんな時代も共通しているのかもしれない。

大切であるコミュニティが壊されてなくなる辛さは経験しないと分からない。
今、僕の住むエリアで大きなトラブルが起きることはない。
ちょっとした事故が起きる可能性はあるが一瞬の話。
長きに亘り互いを傷つけあうことはない。
人種問題も宗教上のいざこざも無縁。

それが当たり前の世界が理想だが、むしろ稀なケースなのかもしれない。
本作は俳優でもあるケネス・ブラナー監督の自伝的作品。
それはどこまで意識して作られたのだろうか。

今、2022年の時代だからこそ、
日本人がほとんど知らない(僕もね・・・)当時の問題を引き合いに出し・・・。
映画は時代の代弁者なのかもね。

冒頭とラストシーン以外は全てモノクロ。
夫婦のダンスシーンは魅力的だった。
いつでもあんな状況なら幸せなのにね。