著者の立石氏はソニーへの思い入れが強い分、現ストリンガー体制に対してはかなり批判的だ。
ここに書かれていることが本当だとすれば、確かに寂しいし、日本を代表する企業であるソニーの見方も大きく変わるだろう。
グローバル化という言葉は、全世界を相手に戦略を構築するだけでなく、創業の精神から持ち得ていた魂を失くしてしまうことを言うのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
僕も著者と同様にソニーのブランド力は他の競合メーカーより格上の存在であったし、憧れの製品を抱えていると感じていた。
ウォークマンが流行った頃、僕は小遣いが足りず買う事が出来なかった。代わりにAIWAのウォークマンに似た製品を購入したような気がする。
性能は微妙にしか変わらないのかもしれないが、堂々と持つのが恥ずかしいような面もあった。それだけ確立したブランド力があったのだろう。そして、同時に中学生レベルの僕では認識できない「技術のソニー」らしさが製品の先駆者として盛り込まれていたのだろう。
企業は変化しなければならない。そうしなければ生き残れる時代ではない。しかし、大切に守り続けなければならないこともある。創業の精神や企業文化を大切にしながら、どう企業を変化させていくか。
それは僕の課題でもあるのと同時にソニーでもどんな企業でも言えるのではないだろうか。変化のために捨てる必要はあっても、全て捨てることではない。会社の歴史を含め価値観も捨ててしまうことではないと思うのだ。
今のソニーはそんな状態あるのだろうか・・・。
今回、僕が購入した液晶テレビBRAVIA。
この歳になって初めて購入したソニーのテレビ。残念なことかもしれないが、かなりお値打ちだった。(だから買ったのだけれど・・)
マーケットが現状をストレートに表しているのかもしれない。
それでも思う。
ソニーは憧れの日本のAVメーカーであって欲しいと・・・。
引越しをして1週間。
新居を構えたものの、忘年会続きで寝に帰るだけの日々が続いている。荷物もまだ片付いていない。家の中のどこに何があるのかもわからないし(爪切りはどこだ?)、インターフォンが鳴ってもどう対応したらいいのかわからない。
そんな中で、一番わからないのがお風呂である。
僕が知らないだけであるが、お風呂も時代と共に進化し便利な機能が付き、システム的に稼動するのだ。パソコンなどのITツールであれば、普段の生活であれ仕事であれ、一定レベルは理解しているので、最新の動向はわかるのだが、お風呂に関しては全く情報が入ってこない。
そもそも温泉やスーパー銭湯以外で、別の風呂に入る機会はなく、他人のお風呂がどうなっているかなんて考えることもなかった。
技術革新は当然あるのだろうが、関心もなかった。
驚いたことに昨今のお風呂には蛇口がない。お風呂の中でも温度調整ができる。風呂場が冷えないように温風まで出るのだ。素晴らしく便利な時代になっていたのだ。
そんな当たり前のことを今更・・・と言われるかもしれないが、17年間ずっと同じお風呂に入っていた身としては、軽い衝撃を受けてしまった。
シャワーばかりで、まだ数回しか湯船に浸かっていないので、その機能は使いこなしておらず、これから更に衝撃を受けることもあるかもしれない。
完全に時代に取り残されてしまったのだ。かと言って、他人の風呂を借りるわけもいかないし・・・。
ちなみにこれが我が家のお風呂。
ターコイズブルーという色らしい。これで落ち着くのかな・・・。
年末になれば、ゆっくりとお風呂に浸かり、この一年を振り返ることもできるかもしれない。そして、見事にお風呂の機能を使いこなせる達人になるのかもしれない。
今はまだ、おどおどしながらお風呂に向かうのだけれど・・・。
毎月恒例で行われるキャリアカウンセラーの勉強会。そのCDAプラザの勉強会が本日行われた。その締めとなる勉強会は何と僕の発表。
「就活最前線」をテーマに話をさせて頂いた。
有難い機会である。通常この勉強会には20名ほどのCDAが参加するのだが、本日は40名を超える参加者。会場はほぼ満席。本年の見た事のない光景を目の当たりにすることができた。
今回参加するCDAは大学の職員もいればキャリアカウンセラーとして活躍される方もみえる。そんな中で発表したのだ。
内容は2012年新卒採用の振り返りから2013年卒採用の予測、それにその環境下でCDAとしてどう関わっていくかということ。
当初は1時間程度であったが、その後のスケジュールもあり、結果としては3時間近く、そのテーマで講演と議論であった。
質疑応答では、現状のキャリアデザインの問題や学校内における先生と生徒の関わり方まで広範囲に及んだ。僕の拙い内容で3時間もの時間を費やすのも恐縮だが、今の就職戦線をしてもらうには貴重な時間であった。
主観の入った内容だが、ある程度は認識してもらったと思う。
勉強会終了後は忘年会。
この忘年会も30名近くの方に集まって頂き、盛大に開催された。いろんな立場の方との親睦であったが、一人ひとりが真剣でどうCDAとして取り組んでいくかを大半のテーマとし、飲みながら語らいあった。
20代後半から60代半ばまで参加するこの勉強会および忘年会は実に楽しい会であった。
僕はキャリアカウンセラーとしてのスキルは年々落としているが、回りはどんどん力をつけている。
そんな中で学べるのは十分刺激になるし、それが次へと繋がっていくのだ。素晴らしい。
本年最後の勉強会は僕も発表の時間を頂き、貴重な時間を過ごす事ができた。
感謝!
(忘年会後の酔っ払い状態で書いたブログ。中味のズタズタさお許しください。)
本日は大安。
会社に休みをもらって、我が家は引っ越しをする。17年間に亘り世話になった住まいから引っ越すのだ。
結婚して入居した当初は新築だったアパートも17年も住むと相当くたびれてくる。襖も破れ畳も変色し、換気扇もガタガタとうなる。
お隣さんも何組も変わった。ほとんど主のような存在であったが、それも本日までだ。うれしいようなさみしいような・・・。
日当たりも交通の便も良く静かな住まいであったが、さすがに2LDKで家族4人で暮らすには手狭になってきた。子供も成長し、物も増え、段々と自分の居場所もなくなってきた。
中学生の娘も小学生の息子も寝るのは家族全員一緒。僕、嫁、娘と川の字となり、その上に息子が寝ているという何とも昭和な香りがする生活をしてきたのだ。
来年受験生となる娘に自分の部屋を与えていない環境は親としての責任も果たせていない。
そして、何より家でも仕事を行う事が多い中で、その場所がないのもかなりきつかった。リビングで家族がTVを見ている最中に仕事や読書をするのは、余程の集中力がないとできることではない。そんな暮らしとも本日でお別れである。
新婚生活から子供の誕生、そして成長とずっと共にしてきたこのアパートとも本日まで・・・。
さらば、ハイツタマキ。
17年間大変お世話になりました。
ちなみに新たな住まいはこれまでの場所から徒歩3分程度の場所。学区も駅も変わる事はない。お付き合いする近所の方々も変わる事はない。それはそれでいい。
それにしても引っ越しの作業をすると山のようなゴミが出てくる。全く使わない物をよくもまあここまで置いておいたものだ。本日の仕事はゴミ出しから・・・。
天気もよさようで、引っ越し日和になりそうだ。
一昨日は㈱ゼットンの稲本健一氏の講演を拝聴。
名古屋発ベンチャー企業の雄でイケメン社長だ。ちょくちょくマスコミも賑わし露出も多いが、僕はようやく話を聞く機会を頂いた。
タイトルは「名古屋テレビ塔のこれから~久屋大通街づくり~」というもの。最近では公共施設に飲食店を構えることが多くなっている稲本社長が、テレビ塔を中心に歴史ある建造物を残すことによって生まれる街の価値について語った内容だ。
その想いは熱くストレート。
公共施設の飲食店を手掛けることにより、そのポテンシャルと税金の無駄使いを肌と経験で実感し、その中から次への可能性を創造している。
話全体を通して、感性をマーケティングに繋げる能力の持ち主だと感じた。
元々、芸術大学を出ている背景もあるのかもしれないし、店舗作りや新たなブームの起こし方もそれが生きているのかもしれない。
講演後の質問タイムで、「社員にはマーケティングよりもフィーリングを大切にしろ!」という話は、僕が抱いた印象を明確にするものであった。
話の結論としては、名古屋テレビ塔を残す残さないという議論をするのではなく、どう残すかを議論する必要があるということ。
名古屋のテレビ塔はフランスのエッフェル塔に近い存在で、本来の役割は果たさなくても名古屋のシンボルとして存在し続けることが重要だと・・・。
稲本氏曰く、久屋大通公園は公園としては機能していない。公園として人の集まる魅力が欠けているというのだ。
そんな久屋大通公園をもっと人が集まり憩いの場にするためには、テレビ塔に行くことを目的にさせる場つくりをしなければならない。
それを叶えるためのアイデアを稲本社長は持っておられるよう。実にクリエイティブ。そんな話を中心とした1時間半だった。
名古屋で仕事をし住まいを構える者として、より住みやすく過ごしやすい街づくりには大いに共感した。
夕方からは稲本社長を囲んだ懇親会が用意されていたが、別の予定があったため失礼した。
別の予定とは、名古屋の食品会社の役員を務める方との飲み会。名大社OBで僕よりも2歳上の先輩。指しで飲むのは年に1回程度だが、いつも刺激を受け、いい勉強をさせて頂いている。
この日も焼き鳥店からBARへと流れて行ったが、話が尽きることはなかった。
その時に出た話題の一つに前回のブログに書いたブロンコビリー竹市社長と今回のゼットン稲本社長の話があった。
先輩はこのお二方とも接することがちょくちょくあるという。う~ん、世間は狭い。というより名古屋は狭い。しかし、それがいい。やはり人と人は繋がっているのだ。
きっとこの方たちが名古屋を更に盛り上げていくのだろう。そんな中に僕も絡んでいける存在にならねばならない。そのためにはもっと精進しないといけないが・・・。
うれしい夜を過ごすことができた一日。感謝!
約3ヶ月間行われた那古野塾NEXTが6日(火)に終了した。
全10回11名の講師を招いての勉強会。業種や規模は様々だが、経営者自らの講演は力強く説得力があり、何よりも仕事のヤリガイを感じる素晴らしいものだった。
最後の講演はブロンコビリー社長の竹市靖公氏。
「ピンチをチャンスに」というタイトルで、何もない創業期からBSEによる倒産の危機に陥った状況、業界屈指の高収益企業へ成長するまでの過程を話して頂いた。
僕は初めてご挨拶するのだが、竹市社長はどこかでお見かけした事があると記憶する。思い出してみるとブロンコビリーの店舗数がまだ少なかった頃、名大社の企業展にて竹市社長が自らブースに座られていたのだ。
(今や東証上場企業のトップが若かりし頃は名大社のイベントに出席。うれしいではないですか!)
創業時は全くお客様が入らず、1日の売上が3000円程度の時もあったという。その後、順調に店舗数を増やし売上を伸ばしてきたのだが、2001年のBSE問題で大赤字となり、倒産の危機に見舞われた。自分たちの業務とは無関係の外部環境がもたらしたその不幸。
確かその時期は僕も営業として焼肉チェーンを担当していた事もあり、売上が急激に下がっていく様子をまざまざとみてきた。ホント大変だった。
そんな厳しい環境下でも、社員のほとんどは会社を辞めず残ってくれたとのこと。その時に「会社を潰したら申し訳ない」「必ずこの人たちを幸せにする」と思ったという。
それが「利他の心を持つこと」に繋がり、現在の経営に結びついているようだ。
普通に考えればBSE問題は自分の責任ではないと思うところだが、竹市社長は全て自分に原因があると判断。頭では理解できるが、それを真摯に受け止めるのは相当難しいと思う。竹市社長は謙虚に自分は優秀でないと連発されていたが、その強さを持っているかいないかでトップの存在価値は大きく変わる。
また、優れた人と付き合うため、いろんな場に出かけ話を聞く事も継続されていた。これも簡単そうで難しい。
何もない僕からすれば、まずは真似て吸収すること。自責の念と行動力はすぐにでも見習わなければならない。
1時間程度の講演は、そのシーンをイメージしながら拝聴すると、あっという間の時間となってしまった。
講演終了後は懇親会。
同じ受講生(と言っても僕より先輩経営者が多い)と一緒に酒を酌み交わしながら、これまでを振り返った。最後に発表された皆勤賞には僕も含まれていた。仕事の関係で2回ほど中座したので、その資格はないと自覚するが、温かい目で見て頂いた。(インチキだな・・・)
この那古野塾では、これまで接点のなかった経営者の方との出会いもあり、有意義な時間を過ごす事が出来た。
話も尽きず、錦三丁目にも向かってしまった。(笑)
感謝!那古野塾NEXT
機会があれば、また参加したい。