これからも前向きに 名大社会長ブログ

やっぱり名古屋の夜は熱かった。

昨日は僕が通っていたグロービスの忘年会。
2年ぶりに参加させてもらった。1年に1~2科目しか受講していない半端な受講生ではあるが、ありがたいことに忘年会のご案内が頂けるので、いそいそと参加したのだ。
今年は伏見のタイガーカフェ4階のクラブリドで総勢170名を超える人が集まり、盛大に開催された。
グロ日1
煌びやかに着飾った司会者を中心に
グロ日2
ブレイクダンスあり、歌ありの催しもあったが、
うろ日3
基本は人とのコミュニケーションである。
グロ日4
170名もいれば、その大半は面識がないわけだが、一方で一緒に学んだ仲間もあり、久々の親睦も含め熱く語らいあった。
仲間である日高さんや磯貝さんによる東日本大震災後の被災地への支援活動の発表もあり、人の温かさ、熱さも感じさせてもらった。
グロ日5
グロービスチックにビジネス要素を感じさせる面もあり、素晴らしい忘年会であった。
グロ日6
絶対にこの日は一次会で帰るぞ!という強い意志はもろくも崩れ、二次会に参加。結局、終電にも間に合わず、タクシーで帰るという相変わらずの情けない状態であったが、何より多くの方と語らいあえたのは貴重な財産である。
名古屋の熱い夜。いやあ~、楽しい忘年会でした。
幹事をはじめ、ご一緒頂いたみなさん、ありがとうございました!

本年のCDAプラザの締めは・・・。

毎月恒例で行われるキャリアカウンセラーの勉強会。そのCDAプラザの勉強会が本日行われた。その締めとなる勉強会は何と僕の発表。
「就活最前線」をテーマに話をさせて頂いた。
有難い機会である。通常この勉強会には20名ほどのCDAが参加するのだが、本日は40名を超える参加者。会場はほぼ満席。本年の見た事のない光景を目の当たりにすることができた。
今回参加するCDAは大学の職員もいればキャリアカウンセラーとして活躍される方もみえる。そんな中で発表したのだ。
内容は2012年新卒採用の振り返りから2013年卒採用の予測、それにその環境下でCDAとしてどう関わっていくかということ。
当初は1時間程度であったが、その後のスケジュールもあり、結果としては3時間近く、そのテーマで講演と議論であった。
質疑応答では、現状のキャリアデザインの問題や学校内における先生と生徒の関わり方まで広範囲に及んだ。僕の拙い内容で3時間もの時間を費やすのも恐縮だが、今の就職戦線をしてもらうには貴重な時間であった。
主観の入った内容だが、ある程度は認識してもらったと思う。
勉強会終了後は忘年会。
この忘年会も30名近くの方に集まって頂き、盛大に開催された。いろんな立場の方との親睦であったが、一人ひとりが真剣でどうCDAとして取り組んでいくかを大半のテーマとし、飲みながら語らいあった。
20代後半から60代半ばまで参加するこの勉強会および忘年会は実に楽しい会であった。
僕はキャリアカウンセラーとしてのスキルは年々落としているが、回りはどんどん力をつけている。
そんな中で学べるのは十分刺激になるし、それが次へと繋がっていくのだ。素晴らしい。
本年最後の勉強会は僕も発表の時間を頂き、貴重な時間を過ごす事ができた。
感謝!
(忘年会後の酔っ払い状態で書いたブログ。中味のズタズタさお許しください。)

円頓寺の夜

忘年会のシーズン。
僕としても今週がピークで、うれしいことに今週は5日間の飲み会。
昨日は僕が営業担当でずっとお世話になっていたクライアントの役員と2人飲み。会社が近所ということもあり、円頓寺商店街で飲むこととなった。
そのクライアントは名古屋を代表する上場企業。上場企業の役員とご一緒するには、あまりにもチープすぎるかとも思ったが、たまにはしみじみと語り合うのもいいだろうと勝手な判断で、商店街にあるトン焼き上野屋本店へ。
この店は頑固そうだが実は優しいオヤジが一人で店を切り盛りしている。
そのため客は勝手に冷蔵庫からビールを出し、生ビールは自分でサーバーから注ぐというスタイル。
空のビール瓶は下げない。伝票もないため、原始的にビール瓶を数え会計するのだ。
円頓寺夜1
串物も串の本数を数え計算する。本当に計算が正しいかどうか不明だが、驚くほど安く美味いため、いつも満員だ。10時には店が閉まるため、9時過ぎにはどてもご覧の状態。
円頓寺夜2
そんな店でクライアントの役員と語り合った。お互いに岐阜市東部の出身であったり、部下が僕の従弟だったりと共通点が多いこともあり、話は盛り上がった。
ただ話の中心は仕事のこと。その役員は現場からスタートして、地道な努力を繰り返し、数多くの困難を乗り越え、今のポジションを築かれている。社会的にも高い立場にありながら、全く驕ることはない。こうして安い焼き鳥屋にお付き合い頂けるのも、大変ありがたいこと。
その方のこれまでの経験を伺うだけでも勉強になった。
そして、2軒目はCAVERN。会社の近くあるBarだ(正確にはビアホールだな)。ここのマスターも素晴らしくいい人。ちょくちょくお世話になっている。
ここでも仕事の話を中心に花が咲いた。バーボンであればロックで飲むことも多いが、さすがに飲み会が続くので、今回は大人しく水割り。
円頓寺夜3
心地よい酔いと共に有意義な時間を過ごさせてもらった。
この日は結局会社から半径1キロ圏内での飲み会。円頓寺や丸の内1丁目は派手さはなく静かな街だが、とても居心地がいい。そして、お付合い頂ける方が近くにみえるのもうれしい。
12月の円頓寺の夜、楽しいひと時に感謝!

お引っ越し

本日は大安。
会社に休みをもらって、我が家は引っ越しをする。17年間に亘り世話になった住まいから引っ越すのだ。
結婚して入居した当初は新築だったアパートも17年も住むと相当くたびれてくる。襖も破れ畳も変色し、換気扇もガタガタとうなる。
お隣さんも何組も変わった。ほとんど主のような存在であったが、それも本日までだ。うれしいようなさみしいような・・・。
日当たりも交通の便も良く静かな住まいであったが、さすがに2LDKで家族4人で暮らすには手狭になってきた。子供も成長し、物も増え、段々と自分の居場所もなくなってきた。
中学生の娘も小学生の息子も寝るのは家族全員一緒。僕、嫁、娘と川の字となり、その上に息子が寝ているという何とも昭和な香りがする生活をしてきたのだ。
来年受験生となる娘に自分の部屋を与えていない環境は親としての責任も果たせていない。
そして、何より家でも仕事を行う事が多い中で、その場所がないのもかなりきつかった。リビングで家族がTVを見ている最中に仕事や読書をするのは、余程の集中力がないとできることではない。そんな暮らしとも本日でお別れである。
新婚生活から子供の誕生、そして成長とずっと共にしてきたこのアパートとも本日まで・・・。
さらば、ハイツタマキ。
17年間大変お世話になりました。
ちなみに新たな住まいはこれまでの場所から徒歩3分程度の場所。学区も駅も変わる事はない。お付き合いする近所の方々も変わる事はない。それはそれでいい。
それにしても引っ越しの作業をすると山のようなゴミが出てくる。全く使わない物をよくもまあここまで置いておいたものだ。本日の仕事はゴミ出しから・・・。
天気もよさようで、引っ越し日和になりそうだ。

朝日を浴びながら・・・

週末は仕事であったり、天候が悪かったり、または酷い二日酔いでない限りはジョギングしている。その時は手ぶらで、小銭も含め一切何も持たない。
(倒れたらどうしようかと思ったりもするが・・・)
時に昇る朝日を眺めると無性に写真で撮れればと思ったりもする。
今日はちょっとした事情があり走ることができない。そのため、スマホを抱え散歩することにした。やっぱり朝日は気持ちいい。
浴びる1
今週半ばから急に寒くなってきたが、その張り詰める空気と朝日がいい。
ついでに他の写真も・・・。
浴びる2
のどかな風景
浴びる3
のどかな風景
浴びる4
朝日を浴びるアーバンライナー
この街に住んで、早や17年。名古屋市にありながらほどよい田舎なのがいい。
今日もバタバタと日が過ぎていく。しかし、早起きすれば一日は長い。早起きは三文の徳なのだ。
朝日を浴びながら・・・。今日もいい一日になりそうだ。

もっと名古屋を盛り上げろ!

一昨日は㈱ゼットンの稲本健一氏の講演を拝聴。
名古屋発ベンチャー企業の雄でイケメン社長だ。ちょくちょくマスコミも賑わし露出も多いが、僕はようやく話を聞く機会を頂いた。
タイトルは「名古屋テレビ塔のこれから~久屋大通街づくり~」というもの。最近では公共施設に飲食店を構えることが多くなっている稲本社長が、テレビ塔を中心に歴史ある建造物を残すことによって生まれる街の価値について語った内容だ。
その想いは熱くストレート。
公共施設の飲食店を手掛けることにより、そのポテンシャルと税金の無駄使いを肌と経験で実感し、その中から次への可能性を創造している。
話全体を通して、感性をマーケティングに繋げる能力の持ち主だと感じた。
元々、芸術大学を出ている背景もあるのかもしれないし、店舗作りや新たなブームの起こし方もそれが生きているのかもしれない。
講演後の質問タイムで、「社員にはマーケティングよりもフィーリングを大切にしろ!」という話は、僕が抱いた印象を明確にするものであった。
話の結論としては、名古屋テレビ塔を残す残さないという議論をするのではなく、どう残すかを議論する必要があるということ。
名古屋のテレビ塔はフランスのエッフェル塔に近い存在で、本来の役割は果たさなくても名古屋のシンボルとして存在し続けることが重要だと・・・。
稲本氏曰く、久屋大通公園は公園としては機能していない。公園として人の集まる魅力が欠けているというのだ。
そんな久屋大通公園をもっと人が集まり憩いの場にするためには、テレビ塔に行くことを目的にさせる場つくりをしなければならない。
それを叶えるためのアイデアを稲本社長は持っておられるよう。実にクリエイティブ。そんな話を中心とした1時間半だった。
名古屋で仕事をし住まいを構える者として、より住みやすく過ごしやすい街づくりには大いに共感した。
夕方からは稲本社長を囲んだ懇親会が用意されていたが、別の予定があったため失礼した。
別の予定とは、名古屋の食品会社の役員を務める方との飲み会。名大社OBで僕よりも2歳上の先輩。指しで飲むのは年に1回程度だが、いつも刺激を受け、いい勉強をさせて頂いている。
きんぼし
この日も焼き鳥店からBARへと流れて行ったが、話が尽きることはなかった。
その時に出た話題の一つに前回のブログに書いたブロンコビリー竹市社長と今回のゼットン稲本社長の話があった。
先輩はこのお二方とも接することがちょくちょくあるという。う~ん、世間は狭い。というより名古屋は狭い。しかし、それがいい。やはり人と人は繋がっているのだ。
きっとこの方たちが名古屋を更に盛り上げていくのだろう。そんな中に僕も絡んでいける存在にならねばならない。そのためにはもっと精進しないといけないが・・・。
うれしい夜を過ごすことができた一日。感謝!

感謝!那古野塾NEXT

約3ヶ月間行われた那古野塾NEXTが6日(火)に終了した。
全10回11名の講師を招いての勉強会。業種や規模は様々だが、経営者自らの講演は力強く説得力があり、何よりも仕事のヤリガイを感じる素晴らしいものだった。
最後の講演はブロンコビリー社長の竹市靖公氏。
「ピンチをチャンスに」というタイトルで、何もない創業期からBSEによる倒産の危機に陥った状況、業界屈指の高収益企業へ成長するまでの過程を話して頂いた。
僕は初めてご挨拶するのだが、竹市社長はどこかでお見かけした事があると記憶する。思い出してみるとブロンコビリーの店舗数がまだ少なかった頃、名大社の企業展にて竹市社長が自らブースに座られていたのだ。
(今や東証上場企業のトップが若かりし頃は名大社のイベントに出席。うれしいではないですか!)
創業時は全くお客様が入らず、1日の売上が3000円程度の時もあったという。その後、順調に店舗数を増やし売上を伸ばしてきたのだが、2001年のBSE問題で大赤字となり、倒産の危機に見舞われた。自分たちの業務とは無関係の外部環境がもたらしたその不幸。
確かその時期は僕も営業として焼肉チェーンを担当していた事もあり、売上が急激に下がっていく様子をまざまざとみてきた。ホント大変だった。
そんな厳しい環境下でも、社員のほとんどは会社を辞めず残ってくれたとのこと。その時に「会社を潰したら申し訳ない」「必ずこの人たちを幸せにする」と思ったという。
それが「利他の心を持つこと」に繋がり、現在の経営に結びついているようだ。
普通に考えればBSE問題は自分の責任ではないと思うところだが、竹市社長は全て自分に原因があると判断。頭では理解できるが、それを真摯に受け止めるのは相当難しいと思う。竹市社長は謙虚に自分は優秀でないと連発されていたが、その強さを持っているかいないかでトップの存在価値は大きく変わる。
また、優れた人と付き合うため、いろんな場に出かけ話を聞く事も継続されていた。これも簡単そうで難しい。
何もない僕からすれば、まずは真似て吸収すること。自責の念と行動力はすぐにでも見習わなければならない。
1時間程度の講演は、そのシーンをイメージしながら拝聴すると、あっという間の時間となってしまった。
講演終了後は懇親会。
同じ受講生(と言っても僕より先輩経営者が多い)と一緒に酒を酌み交わしながら、これまでを振り返った。最後に発表された皆勤賞には僕も含まれていた。仕事の関係で2回ほど中座したので、その資格はないと自覚するが、温かい目で見て頂いた。(インチキだな・・・)
この那古野塾では、これまで接点のなかった経営者の方との出会いもあり、有意義な時間を過ごす事が出来た。
話も尽きず、錦三丁目にも向かってしまった。(笑)
感謝!那古野塾NEXT
機会があれば、また参加したい。

やっぱり残念!グランパス

一昨日行われた「2011Jリーグ・アワード」において、名古屋グランパスの楢崎、闘莉王、藤本、ケネディの4選手がベストイレブンに選ばれた。
優勝していないチームから4名の選出はうれしいが、優勝できなかったという事実はモーレツに悔しい。勝ち点差1のほんのわずかな差。得失点差で言えばグランパスが上回る。しかし、この勝ち点1が全て。これが天と地と差であることは間違いない。
今更、あの試合に引き分けていればなんてくだらないことはいうつもりもないが、1試合の重さを十分に感じた本年のJリーグであった。
最終節の3日(土)は企業展&転職フェアでゲームを見ることはできず、結果はtwitterで知ることとなった。数々のツイートを読むだけでも、手に汗握る状況は理解できた。レイソル、ガンバのサポーター含め、ドキドキハラハラの90分であったことは容易に想像もできた。
グランパスらしい勝利で最終節を飾ったわけだが、結果は2位。
惜しくも2連覇にはならず。翌日からはありがとうセールになってしまった。来年は出足の躓きをなくし、再度優勝をしてもらいたい。きっとできるはず。ドラゴンズとのアベック優勝も名古屋人としては何よりもうれしい事だし・・・。
それにしても優勝したレイソルには素直に拍手!
ネルシーニョ監督の選手の起用法も素晴らしいし、ほとんど名前と顔が一致しない(スミマセン)選手たちもインタビューを見る限り、清々しかった。スポーツニュースを見て、迂闊にも感動してしまった。
オメデトウゴザイマス!
それでも、やっぱり残念だ!
来シーズンは頼んだぞ!

采配

采配 采配
(2011/11/17)
落合博満

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今、この時期に本書を読む僕はただのミーハーなのかもしれない。しかし、それでも構わない。
ドラゴンズが優勝し落合監督が退任したこのタイミングで、どのようなチーム作りをしてきたかに深く興味を持ってしまったのだから・・・。
きっと読者は野球ファンよりも仕事に何らかの課題を持つビジネスマンや経営者が多いだろう。それだけ仕事を遂行していく上でヒントとなる言葉が多く詰め込まれている。
目的はあくまでも日本一強いチームを作ること。
その目的を達成するにはどうすればいいのか、それだけを考えてチームを作ってきた。ゲームがつまらないなど批判を受ける事もあったが、8年間で4度の優勝という実績を見れば否定はできない。ビジネスと一緒で結果が問われる世界なのだ。
ドラゴンズ史上最も成績を残しているのも関わらず、本人の認識は違うようだ。8年に4回も優勝したのではなく、4回も負けてしまったという認識。常に目標は日本一なのだ。
また、選手の見方や評価も企業の経営者に近い。
それは大学を中退してサラリーマン生活を5年送った事も少なからず影響しているのだろう。著者の戦略策定の比較や参考対象は他チームではなく、企業にあるように思えてならない。ビジネス層を読者の対象としている理由もあるだろうが、発せられる言葉の端々にそれを感じるのだ。
そして、選手への接し方もプロと言える。
どんな接し方が選手にプレッシャーを与え、どんな言葉を使うことが選手の思考能力を高め、どんな起用方法が競争意識を高めるということを根拠を持って示している。そこにはうわべだけでない愛情を持ちながら・・・。
本書を読みながら「オシムの言葉」を思い出した。表現の違いがあるにせよ、選手への想いは通ずるものがあった。練習の厳しさも同様であるが・・・。
タイトルの「采配」。このタイトルの意味はチームでの采配を指すのではない。それは本書のラストに書かれてある。なるほどね・・・。
読み終えた後、もう一年、落合氏の采配が見たくなってしまった。
そんな1冊であった。

運命を引き寄せろ!

10月からスタートした毎週火曜夕方の那古野塾も残すところ、あと1回となった。時間の経過は早い。
今週はコンニャクを製造するサン食品株式会社の加藤社長の講演。
タイトルは”「何のために」を追求して新しい価値を創出する”。
経営者は何のために働くのかを明確にして、その事業に取り組む必要があるというのが講演の主旨であったが、僕が最も響いたのは別の内容。ブログのタイトルにしたようなことなのだ。
これではサッパリ理解できないと思うので、講演の内容を要約して解説。
加藤社長はサラリーマン勤めをした後、父親の事業を引き継ぐ為にサン食品に入社。会社に入る理由は親孝行するためと世界にコンニャクを広めるため。
「何のために」は明確なのだが、当時ははっきりと言えなかったとのこと。また、次第に当初の目的も薄れ、安易に規模の拡大を目的にしてしまった。売上が伸びたものの採算性構造は芳しくなく、そんな時に原料が高騰し、事業拡大が裏目に出て資金不足に陥ったという。
社長自ら懸命に働くも社員のロイヤリティは低く、思うように理解されない。そもそも規模の拡大は社員の疲弊を招いただけで、そこに価値を見出す社員はいなかったのだ。
やることなすこと上手くいかず、眠れない日々も続いたという。そんな時に父親の糖尿病が分かり、看病も必要になってきた。糖尿病を治すための調査をするうちに1冊の書籍に出会う。ある病院の先生が著したその書籍を父親と共有しながら、糖尿病と闘う日が続く。
その頃、「何のために」は親孝行と世界へコンニャクを広めることためだと初心に帰ったという。そして、やったふりは捨て、本来の目的だけを行うことを決意。
そうこうするうちに会社に一本の電話が会社に入る。取り扱うコンニャクに対しての問い合わせだったのだが、その電話の主は驚くことにその書籍の著者。
本来、個人の電話問い合わせを受付けない加藤社長だが、たまたま電話を繋いだのが新入社員でやむを得ず対応したことが、運命の電話となった。名前を聞いた途端、書籍の著者の先生とわかり、問合せとは逆にアポイントを取る。
その先生も個人の対応は全て断っていたというが、この偶然が運命。先生を口説き落とし、共同でコンニャクの新製品を開発することに辿り着く。
今、世界に広まりつつあるコンニャクライスやコンニャクパスタ、コンニャクパンを・・・。それが世界の糖尿病患者に受け入れられている。
これも「何のために」の一つ、世界にコンニャクを広めるという本来の目的に繋がる。
僕の拙い表現力では、その感動を伝えることは難しいかもしれないが、素晴らしい話だった。そこで僕が響いたのが、運命の電話・・・。
講演終了後、加藤社長と話をさせて頂いたが、あの電話がなければ今の自分は存在しないとキッパリと言われた。運命だ。
その運命は、きっと待っているだけではやってこない。引き寄せている力があるということだ。それは何なのかはわからないが、多くの苦労や努力があってこそ、生まれたには違いない。
運命を引き寄せろ!
そのために日々精進しなければならない。
加藤社長、ありがとうございました。