これからも前向きに 名大社会長ブログ

そりゃ、余裕でしょ、ランニング日記2203

3月は少しずつ走りやすくなる季節。
朝も早くなる。
少し前までは6時でも真っ暗だったが、3月半ばにもなれば明るい。

徐々に寒さも和らいでくる。
しかし、今年は寒暖差が激しく、暖かくなったと思えば急激に寒くなったり・・・。
却って体調管理は難しい。
それでも走ることで健康管理はできるね。

まずは3月のランニング距離を報告しておこう。
誰に?
数少ないライバルに・・・。

3月は122km。
はい、当然のように目標達成。
パチパチ。

最近は目標達成が当たり前なので、
それをつまらないというひねくれた者もいたり・・・。
もっと素直になればいいのにね。

3月は2度のハーフマラソン大会に出場したので距離も稼げる。
名古屋シティマラソンと豊橋穂の国ハーフマラソン。
それぞれブログに書いた。

「フラフラ、ヘトヘト 3年ぶりの名古屋シティマラソン」

「それでもFUNRUN 豊橋穂の国ハーフマラソン」

明暗が分かれる大会だった。

この2つの大会を通して分かったこと。
服装や塩分補給のことは誰しも想像できるし、僕も体験して要性を改めて理解。

それより大切なことが分かった。
マラソンとアルコール摂取の相関関係はない。
名古屋シティマラソンが開催された一週間はなんと休肝日が3日。
万全な体調を作り臨んだ。

一方、豊橋穂の国ハーフマラソンの週は前日のみ休肝日。
前々日は5時間ほど飲んでいた。
結果としては豊橋の方がよかった。

本来、アルコールを抑えたほうがいい成績が出そうだが関係はない。
万全な体調は結果に反映されない。
今更ながら休肝日を3日も設けたことに後悔。
我慢しなきゃよかった。
それはちょっと違うか(笑)。

それはさておき、3月下旬ともなるとランニングコースも華やかになる。
戸田川緑地公園の河津桜は満開。

それを眺めながら走るのも気持ちいい。
一年を通してわずかな期間だが、ランニングが楽しくなる。
これも目標達成のご褒美だね。

そして、今月はぎふ清流ハーフマラソン。
この大会もいつも苦労するが、暑さ対策をして臨むとしよう。

今月も頑張ります。
素直な気持ちで応援してくださいね。

名大社半生を振り返る その16

21世紀に入った日本経済は混とんとしていた。
2002年はカルロス・ゴーン社長が日産で大鉈を振っていた。
失業率は5.6%と今とは比較にならない高水準。
友人の広告会社も倒産。

名大社の業績も上がったり下がったり。
僕は中間管理職だったものの、会社の経営状況さほど知らなかった。
あまり開示されていないのが理由たが、昔の資料を確認すると健全であったのは間違いない。

業績が下がった原因も明らか。
売上の大きな割合を占めていた新聞広告から自社媒体に大きくシフト。
代理店と自社媒体とでは利益構造が異なる。

見込みが外れた場合、自社媒体はリスクになるが、
計画通りに進捗すれば効率のいいビジネスにもなる。
たとえ売上が減少しても利益が増加する場合も多い。
会社も切り替わる段階で、代理店業務を減らしていった。

当時、自社の採用は経営陣がその都度対応していた。
そのやり方は僕から見れば今一つ。
採用支援をしている会社の割に自社採用には力を入れていなかった。

そんな状況を傍目で見ながら、
「オレだったら、もっと上手くやるのに・・・」
なんて、またまた図に乗ったことを考えていた。

そして、新卒採用をやらしてほしいと自ら手を挙げた。
新卒ナビ「名大社DeSu」を有効活用するためにも自分で組み立てる方が手っ取り早い。
そんな思いもあった。

会社説明会から筆記試験、小論文、面接とスケジュールを組み、段取りした。
面接も一次、二次は担当。

僕が担当になって初めて採用したのが、自称名大社のエース奥田くん。
今もザ・名大社的な存在感を社内外で醸し出している。
今でもヤツの面接は覚えている。

一次面接の際、奥田くんは学生らしくない髪型をしていた。
今なら完全な圧迫面接だが、僕は彼にこういった。
「よくそんな髪型で面接に来れるな。ふざけてるのか?」
確かそんなような言葉だった。

しどろもどろになりながらも真面目に受け答えする態度がよかった。
二次面接でサッパリとした髪型で登場し好印象を与えた。
そして、いつの間にか内定を獲得。

それはともかく採用担当を任された数年は自分勝手な面接をしていた。
とんちんかんな答えをいう学生に突っ込んで、「みん就」にボロクソ書かれたこともあった。
変なことは言っていないが誤解を招くので、それ以降は気を付けるようになった。
今はとても優しい面接官ですよ(笑)。

今、名大社の幹部となっている重野や神谷、二村、不破も僕が採用した優秀な人材。
見る目あるよね・・・。

また、インターネット事業の責任者として営業面はもちろんのことコンテンツ(編集ページ)も担当。
書店や百貨店、紳士服量販店と組んでコンテンツを制作し、学生モニターを募り情報を集めていた。
まだSNSのない時代、学生と座談会を行いそれを記事にしたり、
日記を書いてもらいナビに掲載していた。

そんな学生と飲みに行ったりした時期。
当時のモニターが立派な社会人なり、つい最近も僕に直接仕事の依頼があったり・・・。
ありがたいご縁だね。

自社の採用だけでなく直接学生と関わることも増えた。
当たり前のように就職相談も受けるようになった。
持論をかざしていたが本当にそれが正しいか分からない。
キャリアカウンセラーの資格を取得しようと思ったのもこの頃かも・・・。

いかん、時間がなかなか進まないし、ブログも長い。
もっとスピード上げないと半生ブログはいつまでも終わらない。

続く・・・。

映画「猫は逃げた」

猫が主役なら僕は本作を観ていなかっただろう。
今から35年ほど前、「子猫物語」という映画がヒットしたが、
僕はそれほど面白いと思わなかった。

昔、実家で猫を飼っていたが、
今みたいにペットとして大切にするというより当たり前に生活を共にする存在。
その程度だった。

確か名前は”たま”。
あまり猫に関心を持っていない人は、みんな、猫をたまと呼ぶのかもしれない。
無理やり映画に繋げているような・・・。

「カンタ」という本作に登場する猫は重要な役割を果たすが、あくまでもつなぎ役。
犬でも構わない。
しかし、タイトルが「犬は逃げた」だと少し危険な香りがするので、ここは猫で正解。
果たす役割は大きい。
なんのこっちゃ。

それはさておき昨日に続き今泉力哉監督作品。
猛烈に推しているわけではないが、
現代の若者を上手く描く監督としては注目したい。

派手な演出があるわけでも、人気絶頂の豪華俳優陣がスクリーンを飾るわけではない。
本作も無名に近い役者連中が自然体に振舞う。
却ってそれが何気ない日常を描いているようで心地いい。

ごく平凡な日常であるが、実際は全然平凡ではない。
ありそうでなさそうな展開だが、それが不自然じゃないから不思議。
ふわっとした感覚に包まれる。
強い人間は誰もおらず、みんな適度にだらしなく適度に真面目。
そして、適度に自己主張。
それがイマドキなのかも・・・。

簡単に言ってしまえば離婚の危機にある夫婦が飼い猫の親権(?)を巡って、
あらぬ方向に向かうストーリー。
どうでもいい内容というと身も蓋もないが、そのこじんまり感が人間ぽっくていい。

特にラストに近い4人の長回しワンシーンは唸ってしまうほど面白い。
脚本の妙なのか、うまく間をとる演出なのか・・・。

今泉監督は40年後、小津安二郎的な存在になっていたりして。
時代を上手く映す手法は大げさな表現だが近しい。

本作はR15+指定。
15歳以上が観れるわけだが、このあたりの境界線は難しい。
あるシーンがなければPG12で十分。

感覚的には若い女性客が多いかと思ったが、鑑賞日は圧倒的にオジサンばかり。
内容的には若者向けと思うが、休日午前の上映だったからか・・・。
暇しているオジサンは映画館に行くしかないのか。
人のことは言えない(汗)。

世代的共感を生む作品ではない。
しかし、こんな恋愛ものも悪くない。
そう思わせてくれる作品だった。

映画「街の上で」

本作に出演している俳優はほとんど知らない。
友情出演の成田凌と大河「鎌倉殿の13人」で殺された新垣結衣の旦那くらい。
彼の名前は出てこないけど、結構いい役だった。
せつないね・・・。

それはさておき、メインとなる俳優陣は活躍しているだろうが、僕は知らない。
ファンからすれば叱られるかもしれないが、
どこにでもいそうな若者としか思えない。

映画の作り方がそうさせるのか、みんな自然。
ごく普通に演じているように感じる。
もしかしたらそれがイマドキなのかもしれない。

上昇志向があるわけでもない。
カッコつけて振舞うわけでもない。
無理に気取る必要もない。
大きな夢だとか野望を抱くことなく、淡々と日常が過ぎていく。

それも半径5kmの世界。
下北沢という街が妙にしっくりくる。
そんな生活で満足なんだろう。
少しの刺激があれば十分生きていける。

僕らのような昭和な世代は、
「もっとガツガツいけよ!」とか
「女の子に家に泊ったんだったら・・・」
と思ってしまうが、大きなお世話。

リア充って、こんなことなのかなと思ってしまう。
こんなことを書くと作品への不満だったり、
若者への批判と捉えられてしまうが、決してそうではない。

なんだか居心地がいい。
そのふんわりした世界観も悪くないなと思ってしまう。
ムリしない生き方が楽でいい。
下北沢に住み、その界隈で飲みたくなる。
そんな生き方にも憧れたり・・・。

どうしてこんなに自然体に感じるのか。
固定でカメラを据えた長回しの撮影がそう思わせる。
見方を変えればNHKの若者を追いかけたドキュメンタリー番組のようだ。
セリフは日常会話だし。

いろんなスタイルが生まれる中でこんな作品が新しいのかもしれない。
そして、これが時代の象徴にもなる。
オタクっぽく思える今泉監督は時代に敏感なのか。

70年代を描く貧乏で時代を否定する若者。
80年代のバブリーでノーテンキな若者。
90年代の未来にもがくリアリスティックな若者。

常に映画は時代の若者を描く。
2020年代、これが象徴なのか。

そんなふうに映画を楽しむのもいい。

社長を退任します

本日3月31日は2021年度最終日。
昨日は社員総会を行い、一年の振り返り、
名大社の歴史の変遷、2022年度への取り組みを報告しました。
コロナ禍の影響が残る一年でしたが、無事に終えることができホッとしています。

ご支援頂いたクライアント、ユーザーのみなさま、
また、懸命に頑張ってくれたメンバーに感謝申し上げます。
ありがとうございました。

ここでみなさまにお伝えします。
私、山田哲也は2022年5月31日の株主総会をもって代表取締役社長を退任。
6月1日からは現取締役副社長の高井明広が代表取締役社長に就任します。

正式な社長交代まで2か月となりましたので、
この場を借りて報告させて頂きます。

 

いつものブログらしくない硬い書き出しですね。
表現方法に迷いながらも、ここからは普段通りに書きたい。
ここでカッコつけることもないし、正式な挨拶状は出させてもらうので・・・。

驚いた方もいると思うが、社長交代は紛れもない事実で1年半前に決まっていた。
2021年4月に高井が副社長に就任し、本年度の組織も高井中心の体制で臨んできた。
高井を支える部長、副部長も頼れる存在になり、
安心して任せられるまで成長してくれた。
特に下半期は大きく業績も伸ばしてくれた。

高井を選んだ理由も明確。
僕が代表になった時からナンバー2として貢献。
会社に対する想いも誰よりも強く、
僕より断然クレバーでより論理的に物事を捉えられる。
これからの事業に必要なWeb戦略も練ることができる。

社内的には明日から高井がトップとして事業、組織をけん引し、新体制を築いていく。
みなさまには温かく見守って頂きながら、引き続き名大社を応援して頂きたい。

 

とブログをここで終えたいが、退任の経緯とこれからについても少し。
2010年5月(正式には2009年12月)に名大社の代表になり12年。
創業者でも同族企業の後継者でもない者として長い期間、社長をやらせてもらった。

僕はあくまでも中継ぎ。
あまり長すぎるのもよくない。
特に変化の速い時代においてはより柔軟な頭が必要で、世代交代も早い方がいい。

それが大きな理由。

そこを中心に考えるのであれば、
高井の次の経営者のことも視野に入れた方がいい。
その人材は決まっていないが、可能性を広げるための行動は必要。
仮に高井が10年社長を務めるとすると、
その間に相応しい経験を積み重ね、経営者としての意識も醸成される。

そのためにも高井に早い段階でバトンタッチし、彼が辣腕を振るった方がいい。
名大社が事業を永続させるなら、常に次世代を創る意識と環境を作っておく。
そんなことを思うのだ。

さて、退任した僕はどうするのか。
当面は取締役会長として後方支援に回る。
対外的な広報的役割は継続し、新たな取り組みにもチャレンジしていく。
会社の足を引っ張るようなら潔く身を引く。

ざっとこんな感じだが、
書き足りないことは半生ブログで披露していく。
これまでの感謝も改めて書きます。

まずは退任と新体制のお知らせ。

これからの名大社に期待してください。
どうぞよろしくお願いします。

それでもFUNRUN 豊橋穂の国ハーフマラソン

一昨日27日は豊橋穂の国ハーフマラソン。
先日の名古屋シティマラソンに続いて今月2回目のマラソン大会。
こちらも3年ぶり。

久々に経営者のランナーチームで走る楽しみな大会だが、心配だったのは天候。
当初、日曜の天気予報は雨。
自分だけならサボる可能性もあるが、そんなわけにはいかない。

運よく予報が変わり、当日は晴れ。
そして、温度もグングン上がり20度になるという。
いやいや、それはそれで困る。
思い出されるのは先日の名古屋シティマラソン
半分脱水症状でフラフラになりながらのゴール。

できればそれは避けたい。
少しでも負担が掛からないようこの日はTシャツ1枚。
スタート前は少し寒かったが、始まる頃にはちょうどの天候。
このまま気温が上がらないことを秘かに祈っていたが、その願いは届かない。

かなり人数を絞り込み、走るコースも過去の大会とは異なった。
3年前までは豊橋市街地を駆け抜け市電と共に走る地方都市ならではのコース。
今年は陸上競技場を出て田んぼ道を走り、風の強い堤防沿い抜けて回る7km×3周のコース。
大会運営の苦労を窺うことができる。
こればかりは文句をいう立場ではなく、むしろ感謝しなきゃいけない。

エントリーが遅かったこともあり最後尾からのスタート。
とにかく道が狭い。
抜こうにもその道幅がないので、最初の3kmはかなり遅いペース。

その後は少しスピードを上げたが、それでもキロ6分程度でゆっくりめ。
日差しも徐々に強くなり、堤防では強烈な向かい風に煽られたが、スピードは維持。
吹き飛ばされそうになりながらも名大社キャップを被り、
塩飴を舐めながら走っていたので、前回に比べ疲労感は少ない。

15km地点で懇意にする経営者に追いつき並走。
会話しながら走る余裕もあった。
そして、その経営者仲間と一緒にゴール。

アップルウォッチは途中で一時停止になってしまいタイムは分からず。
(そろそろ買い替え時かな・・・)
後でネットで調べたら2時間7分4秒。
タイムとしては大したことはないが、名古屋シティに比べ余裕で走れたのは事実。

ゴールではいつも疲労困憊だが、まあまあ余裕のある表情。
そして、楽しみな懇親会。
走った後はやはり焼肉。

豊橋駅前の焼肉屋さんで打ち上げ。
この日はビールも美味しい。焼肉も美味しい。
仲間との会話も実に楽しい。

最後はワインも柚子サワーも出てきていい感じに酔っぱらう。
やはりマラソン大会でこうでなくちゃいけない。

こうして3年ぶりの豊橋穂の国ハーフマラソンは終了。
次回は4月24日のぎふ清流ハーフマラソン。
豊橋より少しタイムを上げ、それでも熱中症にも脱水症状にもならず楽しく走りたい。

お疲れさまでした。

名大社半生を振り返る その15

新卒ナビ「名大社DeSu」は無事にオープンしたものの、
後発でもあり社内的なリテラシー不足もあり、販売は伸び悩んでいた。
「東海地区No.1サイト」と自らうたっていたものの、
東海地区でサイトを運営していたのは名大社だけだから当たり前。

リクナビ、マイナビとは大きな差があり、
クライアントにも学生にも情報量不足と捉えられていた。
大学のキャリアセンターにアピールし、
応援してくれるものの「せめて200社は掲載してください」
と企業数の少なさは指摘された。

ナビは誰でも全てが見えるので比較が簡単。
営業もそれを言い訳にして契約できない。
僕は「ふざけるな。最初はゼロからスタートだろ。」と憤っていた。
「自分と同じ営業が10人いたら、トップの掲載数になるじゃないか。」
と真剣に思っていた。
驕った表現と誤解されるかもしれないが・・・。

お付き合い頂いたクライアントも中小企業が中心。
社内インフラが整っていない企業も多かった。
エントリー学生のリストを紙で持参するという今では考えられないサービスもあった。
学生も電話回線でネットが繋がっていた時代だしね。
何とかネット事業の売上をアップさせようと懸命だった。

営業、マネージャー、ネット事業責任者として激務が続いた。
それが21世紀を迎えた年。
そんな日々だったので、嫁さんは不満が溜まっていた。
第二子を妊娠したこともあり、家庭内は常にイライラした状態。

それでも11月に無事に息子が誕生。
本当にスミマセン。
反省しています。

部下の件では叩かれていたものの、個人的な信頼は回復。
女性の部下は結局、退職し責任も感じたが・・・。
社長が懇意にする企業の営業も任されたり、外交も知らず知らずのうちに増えてきた。

2001年3月に来訪があった。
仙台、新潟、金沢、広島の人材情報会社の社長がいきなり訪ねてきたのだ。
社長と面談を目的としていたようだが、僕がその対応をさせられた。

立場的には失礼にあたるが、当時、名大社は同業者には閉鎖的な会社。
協業や提携を求められることもあったが、全て断っていた。
今回の訪問も一緒に地域を盛り上げようという主旨。
僕は大いに興味を持ったが、社長も常務も何ら関心を示さなかった。

その後、広島の有名人とは何故かお付き合いさせてもらったが、その他の方とはそれっきり。
しかし、この時の出会いが社長になってから生きてくる。
9年後、ふるさと就職応援ネットワークに入会するが、来社された方が中心メンバー。

そのあたりのことは改めて・・・。
世の中はそんな偶然でできている。

この頃からプレゼンする場が増えパワポを使うようになった。
社内でのキックオフや大学での講演、クライアントへの提案書作成。
らしい企画書を作るためにマーケティングやロジカルシンキングを勉強し始めた時期。

少し前に仲のいい採用担当に言われたこともあった。
僕は提案力や企画力に自信を持っていたのだが、その担当はあっけなく言った。
「山田さんの営業力は人間性だけだね・・・」
「いやいや、違うでしょ?」
「それしかないと思うよ。」

そうなのか・・・。
褒められたようで、けなされたようで何ともいえない気持ち。
いずれにせよ、もっと能力を高めなければならない。
35歳になり気づくのは遅すぎるが、そんな時期でもあった。

続く・・・。

映画「偶然と想像」

このブログを読んで本作を観ようと思っても限界がある。
名古屋で上映しているのはシネマスコーレのみ。
それも来週で終了。
全国的にも少ないと思う。
AmazonプライムでもNetflexでも公開されていない。

僕が観たのも名演小劇場で上映終了前ギリギリ。
しかし、間もなく「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞優秀作品賞を受賞するから、
本作の再上映が増えるんじゃないかな?

今、最も話題の濱口竜介監督作品。
この1年で一番知名度を上げた映画監督。
僕もミーハー的に本作を観たに過ぎないけどね。

これは勝手な自分の観方だが濱口監督は女性の描き方が上手い。
ちょっとエロティックだったりする。
「ドライブ・マイ・カー」でいえば、奥さん役の霧島れいかさんは神秘的で妙に色っぽい。
三浦透子もあんな役柄なのに魅力的。

本作もそんな要素を最大限に感じさせる。
短編オムニバス3部作で構成されているが、その短編に登場する女性は妙に色っぽく魅力的。
同じような表現が続くな・・・。
ボキャブラリーが乏しいだけか(笑)。

第一話「魔法」の古川琴音さん、玄理さんや
第三話「もう一度」の占部房子さん、河井青葉さんの存在は知っていたが、
第二話「扉は開けたままで」の森郁月さんは映画を観るまで知らなかった。

彼女が一番艶っぽく映画を盛り上げる。
ただセリフを吐いているだけなのに・・・。
ちょっとヤバかった。

それが濱口監督の効果的な演出。
いかん、いかん、映画について何も語っていない。

ストーリーはタイトル通り「偶然と想像」。
偶然の出来事に想像を掻き立てられ、ちょっとした出来事に巻き込んでいく。
決して大きくない日常だが、普通は考えられない。

だからこそ偶然は人に大きな影響を与える。
時に恐ろしいし、時に魅惑的だし、時に存在価値をあぶり出す。
全て偶然が巻き起こす。
結局、人と人はそんなふうに繋がっている。

些細な展開だが、作品に惹き込まれていく。
それも心地よく・・・。

3本の短編で数人にしか登場しない人物はほぼ喋り続けるのみ。
巧みな会話に映画を観る者が巻き込まれる。

これが濱口監督のスタイル?
海外の批評家が評価するのも頷ける。
これからの作品も期待できるんじゃないかな。

濱口監督のこれからの活躍が楽しみになってきた。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その213

少しずつ春の訪れを感じるようになってきました。
ランチも近場ばかりでなく、ちょっと離れたお店にも行きたくなります。
以前から気になっていながら、なかなかお邪魔できないお店がありました。

伏見から柳橋に向かい、奥まった小さな通りに飲食店が点在しています。
その一つに歴史を感じさせるお店が一軒。
「柳橋 一八」さんに入りました。

店構えはまさに昭和。
この雰囲気だけでもタイムスリップした気になります。

店内も期待を裏切りません。
小さなテーブルと小上がりの座敷が並んでいます。
奥のテーブルには早い食事を済ませた常連そうなご老人が談笑しています。

メニューを眺めます。

これまた昭和を感じさせます。
値上げはいつしたのでしょうか?
一番の高価格が天丼。
丼を大盛にしても950円。

嬉しい価格ですね。
寒ければ味噌煮込みを注文するところでしたが、
それは年末のお楽しみにしておきましょう。
お店の入り口に貼られていたこちらも以前から気になっていた品を注文します。

中華そば 450円

伏見界隈も多くのラーメン屋さんが次から次へとオープンします。
激戦区でいつの間にか消えているお店もあります。
差別化が必要な時代。
いろんな工夫をされ特徴を出されています。

しかしこちらはそんな特徴を一切気にすることなく、昔ながらのラーメンを提供。
いや、ここでは中華そばと呼ぶべきでしょう。
乗っている具材はハム、かまぼこ、ネギと実にシンプル。
これで750円といわれると違和感を覚えますが、
ワンコインでお釣りがくる価格。
納得するしかありません。

見た目は濃そうですが、至ってまろやか。
うどんの出汁が上手く使われているのでしょう。

先日の名古屋シティマラソンの惨敗は重くなった体重も影響していると感じます。
シンプルであっさりとした食事を続けることが次のチャレンジに繋がるのかもしれません。
しかし、次回はかつ丼を食べたいと思ってしまう。
まだまだですね・・・。

滞在時間15分。
さくっと頂き、さくっと出る。
やはりこれも大切です。

ごちそうさまでした。

起業の天才!―江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男

もし、朝日新聞のスクープがなければ、リクルートはどうなっていただろうか。
全く別の会社になっていたのかもしれない。
本書で書かれているようにGoogleの立ち位置に立っていた可能性もなくはない。
HR領域の情報発信のスピードも変わっていたのかもしれない。

リクルート事件が起きた時期は名大社も変革期。
僕の入社前後だが環境は大きく変わろうとしていた。

極端な言い方をすれば、
もし、江副氏が逮捕されていなければ僕は名大社の社長になっていなかった。
全然違う仕事をしていたかもしれない。
そんなことを本書を読みながら感じてしまった。

何事も自分事として置き換えて考えることが大切だね。
あっ、どうでもいいか(笑)。

この世紀のスクープで感じたのは妙な正義感は必ずしも経済にとってはプラスではない。
むしろ後退させる要素もある。
僕の目線が正しいかはともかく重箱の隅をつつくことが誰のためになるのか。

そんなふうに思ってしまう。
大きな宝をみすみす失くしてしまった。
それは日本のためなのか・・・。
やはり上から目線になってるかな。すいません・・・。

過去、後学のためにリクルート関連の書籍は結構読んできた。
そこから刺激を受けることも多かった。
江副さんの掲げた「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。
この言葉も素晴らしいと思う。

自社で使ったことは一度もないが、
(そこはやっぱりね・・・)
この言葉の深さは仕事をしていく上で大切。
使う人を選ぶけど。

本書は江副氏の生涯を追いかけ、その背景としてリクルートが描かれているが、
改めて人、企業の格の違いを見せつけられた。
いかに自分がちっぽけな人物かは痛感するし、大胆な打ち手一つとっても向かう姿勢は異なる。
残念ながら真似することはできない。
全てを敵に回す勇気もない。

だからこそ間違えないのかもしれない。
江副氏が晩節を汚したとは思わないが、どこかで何かが狂う。
それはお金か名誉かコンプレックスか。
野心の強さだけかもしれない。

しかし、どこかで間違う。
そんな成功者は多いように思う。
そう考えるとちっぽけで大して成功していない人間の方がいいのかも・・・。

そんなことを言いたいわけじゃない。
ただ一人の経営者の生き方として学ぶべきは多かった。

課題本だが、おススメの一冊。