本日は桑名リバーサイドマラソンに参加した。
この大会は日本第3位のレジャー施設”ナガシマスパーランド”で行われるので、ほとんどの参加者が車で訪れる。近場からの渋滞が予測されたので、早めに家を出た。
この会場はありがたい。自宅から車で30分とかからないので、他の大会に比べると随分と近い。それにしても早く出すぎたのかもしれない。思うような渋滞もなく7時過ぎには会場に着いてしまった。
その分、好位置に駐車。スタート場所まで歩いても1分とかからない場所なのだ。これも広い駐車場を持つ遊園地で行われる大会ならではのことだ。
次第に車は混み合いいつの間にか回りはランナーの車で一杯となった。
この桑名リバーサイドマラソンは、実は僕が2年前に初めてハーフマラソンにチャレンジした大会。2時間切りを目標に走り、何とか1時間59分でゴールした思い出深い大会なのだ。
それもあって、今回の目標は1時間50分を切ること。
過去最高のタイムでゴールする事を目標とした。
本日はサンデーモーニングに出演していない(当然だ!)瀬古利彦氏のゲストスピーチを聞いた後、全体で体をほぐし、スタートラインに立った。
天候は少し暑いくらいであったが、順調にスタートし、1キロ5分のペースで走った。10キロのタイムもちょうど50分と目標どおりの時間だった事もあり、これは目標タイムクリアだなと都合よく考え走り続けた。
頭の中で今日のブログのタイトルは
「ついに達成!桑名リバーサイドマラソン」
と決め、その達成までの喜びを想像し、走りながら原稿も考えた。(涙)
しかし、それはとんでもない甘い考えであった。徐々にスピードは落ちてくる。それを挽回しようと気持ちを高ぶらせるも思うようにスピードは上がらない。
15~16キロ辺りから疲れも出始めた。残り2キロでスパートをかけ、何とか目標タイムをクリアしようと臨むも、足が攣っていく感覚が体を襲う。
結局はグロス1時間51分57秒。ネット1時間51分15秒。またしても1時間50分の壁を越えることはできなかった。
僅かな時間ではあるが高い壁である。
う~ん、悔しい。
難関の美濃加茂マラソンを1時間54分で走り、周りの仲間から一般的なコースなら1時間45分くらいで走れるとおだてられた事に気を大きくしてしまった事も原因のひとつ。愚かだ。
「世の中、そんなに甘くないよ」と言われているようだ。
とても残念だ。とても悔しい。しかし、それが今の実力である。もっと精進しろという事だ。
今晩はうれしいビールではなく、悔しいビールを飲む。
ブログのタイトルも結果を見る前に決めちゃいけない。ただの絵空事でしかない。
それも含め、今回のマラソンは大いに反省。
来年の桑名リバーサイドマラソンはリベンジだ。
2011年3月6日
残念!桑名リバーサイドマラソン
2011年3月4日
「新ソーシャルメディア完全読本」も読んだのだ。
新ソーシャルメディア完全読本 フェイスブック、グルーポン・・・これからの向きあい方 (アスキー新書) (2011/01/08) 斉藤徹 |
先日の「キュレーションの時代」から、つながって読む書籍である。
この2冊とも同時にアマゾンで購入したことも、つながっている証拠であるだろう。
(本が届いた日は違っていたが・・・。売れ方はやはり違うんだね。)
立て続けにソーシャルメディア系の本を読むと、ここ最近ソーシャルメディアを通して世の中で起きている出来事が何となくイメージできる。いろんな意味において大きな可能性を感じる。
我々のビジネスにも無限の可能性を感じると同時に、方向を誤れば瞬く間に淘汰されてしまうであろう恐ろしさも感じる。これまで培ってきた信用を継続させるか、または失うかもこのソーシャルメディアの使い方次第で大きく変わってくるだろう。
そう考えると導入は比較的優しいとはいえ、マスメディアへの取り組みを行う以上に神経を尖らせないといけないのがソーシャルメディアだろう。全体的な企業の意識はまだまだ低いのだろうけど・・・。
この書籍はそんな意味合いにおいて、新たなマーケティング手法としても勉強になる。そして、これまで学んだマーケティングの手法は段々と過去のものへとなりつつあるのかもしれないと感じてしまう。
ただ、最終的な物事の判断は人が決めるものであり、パソコンやシステムやソーシャルメディア自体が判断するものではない。
ここにも書かれていた
「商いの原点回帰。ソーシャルメディア活用における本質的価値は、まさに古き良き時代への回帰なのです。」
や
「電脳化によって人と人、人と物がつながる未来は、むしろサザエさんに描かれるような暖かな未来ではないでしょうか。」
が大切であると考えたい。そして、それを信じて、このソーシャルメディアへの取り組みを行っていきたい。
勉強になりました。
2011年3月2日
来週は高校へ、いざ出陣!
来週は、何と高校生にキャリア教育を行う。
三重県の進学校に対して。それも1年生全生徒が対象だ。名大社に勤める女子社員の出身校であり、三重県では名門中の名門の学校である。
とても名誉な話なので、全く未知の分野ではあったが有り難く引き受けた。
この依頼自体は昨年末に頂いたのだが、先週あたりになってようやく真剣にその内容について考え始めた。
これまで偉そうに、いろんな場で「キャリア教育は高校から行うべきだ!」とほざいていたが、いざその立場になると「さて何をするかな?」と考え込んでしまう。
どんな話をすれば、想いが伝わるか中々イメージできない。情けない話だ。
サラリーマンの実態を見せようとか、働くことの意味を教えようとか、考えてみたが今一つピンとこない。
既に高校でキャリア教育を実践している知り合いに尋ねると、社会人の成功体験や失敗談の話をしても伝わらないという。本人たちが関心があったり身近に感じないと聞く耳持たないというのだ。
全部が全部本当ではないにしても、困った話である。当初の案も廃案、練り直しだ。とはいえ、高校生に迎合するようでは意味を待たないし、気づきを与えられない。
グルグルと頭を悩ませながら、どんな事に興味を持つのか改めて考えてみた。
高校生の興味なんて、いつの時代も変わらないのではないか・・・。
そうなると恋愛である。そして、間違いなくアイドルにも興味があるはずだ。アイドル、アイドル・・・。
しかし、「AKB48」はさっぱり自分が分からない。
だとすれば「嵐」だ。
嵐であれば中学生の娘が好きだし、その流れで「嵐にしやがれ」や「ひみつの嵐ちゃん」の録画をついつい観てしまうことも多い。
少しは理解しているぞ。ある程度は語れるぞ。
キャラもそれぞれ異なっており、いろんな人物像が描けるではないか。そこから急いでパワーポイントをまとめた。あとはストーリーを調整して上手く話せるようにするだけである。
不安な面も多いが、楽しみでもある。
さあ、結果はどうなるか。
来週の水曜日に報告したいと思う。木曜日かもしれないが・・・。
2011年3月1日
キュレーションの時代
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書) (2011/02/09) 佐々木 俊尚 |
【キュレーション】
無数の情報の海の中から、自らの価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。
恥ずかしながら、この【キュレーション】という言葉は、この著書で初めて知った。
他にもビオトーブ、アンビエント化、セマンティックボーダーなど、初めて耳にする単語がいくつも存在する。
自分が似非アーリーアダプターであることを痛感したが、そんな事はどうでもよく、この著書から学んだ点は多かった。
著者の佐々木氏は、いくつかの著書の中でマスメディアの消滅を予言している。その根拠を今回の著書では一番明確に著していると思う。
この作品を書き上げたのは、あとがきから推測すると昨年10月頃となる。その段階で、今、中東を中心に起こっている民主化運動は予測していなかったのではないだろうか。しかし、ここに書かれていることは、Facebookから始まった一連の行動に十分結びついていると感じる。
人と人との「つながり」が引き起こした最大の事実としての証明とも言える。
一年前には考えくかった著者のコメントが、すぐ目の前まで来ているのだ。
人と人とのつながりという点で言えば、僕がようやく使い方を覚えたFacebookもその象徴と言えるだろう。もう20年も会っていない仲間を発見し、お互いの近況に「いいね!」ボタンを押す事で、その20年の距離感を短縮させている。共有する話題からお互いに信頼関係を築いているのだ。
この事実だけでも、キュレーションと言えるのかもしれない。
これは個人の感覚ではあるが、今後ビジネスにおいても、このキュレーションというキーワードが大きな変化をもたらすであろう。
著者はあとがきの中でこう述べている。
広告も広報も販売促進もやがては一体化し、「どのようにして的確なビオトーブに情報を投げ込むのか」「どのようにして情報を発信するのか」といったことをポートフォリオを組んで分散させ、的確にコンサルティングできるような広告企業だけが生き残っていくのではないか。
なるほど・・・。
業界の関係者がこの文章にどれだけ危機感を抱くかは分からないが、少なくとも僕は、その可能性は高いものとして認識し、これから自分達が進むべき方法を考えていかねばならない。
佐々木氏の著書にはいつも考えさせられる。
その難解な(?)単語も含めて・・・。
2011年2月27日
会社説明会を終えて・・・
2月24日まで、週2回のペースで、名大社の2012年卒対象の会社説明会を行った。
参加学生は100名近く。15名定員のセミナールームで6回実施したわけだから、おかげさまで毎回定員を超える予約を頂き学生に出席してもらった。
当日の出席率は90%程度なのだが、必ず1~2名はドタキャンが発生する。色んな事情があるためキャンセルはやむを得ないと思うが、最低限の連絡を行うことは大人としてのルールである。
いつまで経ってもこの事を言わなければならないのは、本当に残念な事だ。これは学生を目の前にしてもよく言う事であるが、他の学生のことを考えてほしいのだ。
参加したい説明会はすぐに予約で満席になり、参加できないという。一方で、どんな説明会においても出席率が100%ということはない(厳密ではないが・・)。
必ずドタキャンする学生がいるのだ。もし、自分が定員100名の説明会で101番目に申し込む学生の立場だったらどうだろうか。
今の就職サイトはキャンセル機能は標準なので、手続きも簡単だ。電話するわずらわしさもない。
もしかしたら、簡単すぎる機能が弊害となっているのかもしれないが、学生にとってはメリットは大きいはず。ほんの少し気を利かせるだけで他人にチャンスを与える機会も増える。小さな小さな行為ではあるが、人としては当たり前であり、その気遣いができるかで人の価値も変わってくる。
それは企業側へのマナーだけでなく、他の学生への礼儀でもあるのだ。そこはしっかりと対応してもらいたい。
(もちろんほとんどの学生は承知している事ではあるが・・・)
名大社の会社説明会は、例年にも増して女子学生の参加比率が高かった。
時には1名のみ男子学生で、他10数名が女子学生という説明会もあった。今年は営業職しか募集していないにも関わらずだ。
女子学生の方が積極的な行動をしているは、あながち間違いではないだろう。説明会中の発言も女子学生が目立っていた。こちらに向かう態度も真剣であった。決して差別をしているわけではないが、冷静に判断してもそれは隠せぬ事実なのだ。
これは名大社に限らず、他の企業も該当する事実であると思う。今後の選考で、どうような結果になるかは分からないが、男子学生よ、もっと頑張れ!。奮起を期待したいしているぞ!。
名大社としては男女差別はなく、どちらの性別がいいというのは一切ない。しかし、昨年のように最終選考が女子学生ばかりというのも、ちょっと寂しい。できれば半々の割合で戦って欲しい。それが理想だ。
と会社説明会を終え、つらつらと感想を書いてしまった。
2011年2月25日
孫正義の白熱教室
どこかで聞いたことのあるようなフレーズ。
ハーバードではなく、正義でもなく、東京大学でもなく、プレジデントである。この雑誌もタイトルに惹かれ、ついつい買ってしまった。ネーミングに弱い今日この頃である。
同じ経営者として全く別の世界の存在であることは重々承知している。それも手伝ってか、その動向や発言は気になり、つい手に取ってしまうのだ。
今回の特集では、孫氏がこれまで経験した激しいビジネスのシーンをケーススタディとして、自らが出題している。思考力を磨く30問の問いだ。
既に結果を知っている問いはどうしても結論から入ってしまうので、回答にはならないが、問題の中には全く無知の問いもあり、自分だったらどうするかな?と考えならが読んでいった。
「不振の合弁事業を解消しるさい責任はどうするか?」
「海外から強敵が参入した場合、組むか?戦うか?」など、グルグル頭を回しても、どちらが正しいか判断つかない問題も多い。きっと正解は結果からしか判断できないと思うが、その結果も本当はもっといい結果が出る場合も考えられる。
そう考えると孫氏の判断が全て正しいとは言えないと思うが、そのロジックが明確であるかないかは判断基準にはなる。
僕自身の正解率は、ざっと70%くらい。
正解率が高くても、そのビジネスがうまくいく保証はないし、むしろ決断の後の交渉を含めた実務に困難が待ち受けていることは容易に想像できる。
いずれにせよ今の日本では最ものパワフルな経営者。以前も書いたが爪の垢を煎じて飲まなければならない。
この特集の中で面白かったのは、堀江貴文氏のコメントである。
彼の発言がどんどん過激になっているような気がしないでもないが、逆にそれがストレートで個人的には潔いと感じる。誰に遠慮することもなく、正直に答えていると思うのだ。
「自分とは逆のタイプ」であるとか、「孫さんのスピード感は自分と比べると遅い」とか、「苦労しているおっちゃんは嫌われない」とか、本人が聞いたらどう感じるかなんてお構いなしのようだ。この発言だけでも精神的なタフさが伝わってくる。
また、何かでかいことをいつかやりそうな気がしているのは自分だけだろうか・・・・。
孫氏にしても、堀江氏にしても揺るぎない軸がある。これだけでも理想的な姿だ。
そんな孫氏が率いるインパクトの強い会社ソフトバンクであるが、就活生の就職人気ランキングでは、なかなか上位に挙がってこない。
これだけ経営戦略もCMもスマートフォンも注目されているのに、人気が上がっていないのは不思議だ。
2011年2月23日
「あしたのジョー」を観てしまった。
一昨日にレイトショーで映画「あしたのジョー」を観た。
この映画の感想はブログに書くのは止めようと思っていたが、2日ほど経過し、何だか無性に書きたくなってしまった。尊敬するパフの社長のブログの影響もあるだろう。
CGを駆使した映画でありながら、生身の体は鍛えられた本物。多くの批評にあるように、力石徹こと伊勢谷友介の肉体には感動すら覚える。矢吹丈と対戦のシーンでは、映画の中の観客と共に「おお~っ」とため息が漏れてしまった。
それくらい観る者に強い印象を与える。散々叩かれたいる白木葉子役の香里奈も僕自身は決して悪くなかったと思う。
打ち合いのシーンでは、映画「ピンポン」を思い出してしまった。窪塚洋介と中村獅童のラリーのシーンを・・・。監督が同じ曽利文彦であることが大きな理由だが、打たれた顔のグニャッと曲がった姿は、この監督の得意とするものだろう。
全体通して、娯楽作品としては楽しめた。ただ、どうしても僕らの世代はアニメの「あしたのジョー」で育っているため、違和感を覚えることも多かった。
矢吹丈役の山下智久も丹下段平役の香川照之も好演はしているのだが、やはり「声」が全然違うのだ。
矢吹丈はあおい輝彦であり、丹下段平はあのダミ声なのだ。60年代後半あたりの時代設定は秀逸であったけれども。
その中で、力石徹は違和感を感じなかった。伊勢谷友介の眼差しは、いかにも力石徹を思わせ、あの語り口もストイックな態度も雰囲気を漂わせていた。
伊勢谷友介の存在を知ったのは、映画「雪に願うこと」だった。それまで全く知らなかったが、その映画で挫折した若者を好演し、何故か印象に残っていた。
あまりTVドラマに出演するわけではないので、一般的な認知は少ないかと思うが、昨年の高杉晋作役あたりから、注目度が高くなったのではないかと思う。活躍のフィールドも俳優だけではないようなので、個人的にも今後の活躍に期待したい。
それにしてもこの映画、ちょっと間違えれば下手なアイドル映画になってしまっただろうが、そこはしっかりとエンターテイメントの作品に仕上がった。
何より若い女性の観客だけでなく、僕よりも先輩の50歳代のオジサンたちが映画を観に来ていたのが、何よりの証しだろう。
2011年2月20日
新卒一括採用について考える 2
結局、昨日はタイトルにある「新卒一括採用について」は一切触れる事がなかった。
本日のブログで、この件に関して簡単にまとめていきたい。
新卒一括採用の議論内容は主に3つ。
・日本貿易協会、経団連か発表した就職活動時期の見直し
・日本の雇用慣行、アメリカの雇用慣行
・大学卒業後3年を新卒扱いとする
この3つの議論は、それぞれを分けて考えるよりもトータルで考えた方が、現状の問題点を正確に伝える事できるのではないだろうか。
それは全てが繋がっており、大局的に捉えていかないと根本的に問題解決に結びつかないと思うからだ。
しかし、そんなことをこの小さな組織で議論して最適な方向へ持っていたとしても、解決する事はできない。我々の範疇を超えているのは誰もが理解しているところ。
ただ、あるべき姿を全体で議論し、お互いの考えをぶつけ合うのは、決して無駄ではないと思う。この議論も十分意味のあることなのだ。
例えば、新卒採用時期を遅らせた場合、学生は学業に専念でき、就職活動期間も短縮する事ができるメリットはある。だが、それはあくまでも全業界がルールを遵守し、スタート時期を一緒にした場合にのみ言えることであり、現実問題を考えれば、全業界にそれを規制するのは無理な話だろう。
言い方は良くないが、これ幸いに早期に動き出す企業は出てくる。
また、企業の採用活動時期が短期間に集中し、学生の選択の幅がより限定される可能性が高い。その場合、今以上に大手企業に学生が集中して、そこから溢れる学生が増え、その後の受け皿となる企業との接触時間が減少し、内定率が下がる恐れもある。
それぞれの団体の言い分もよく理解できるが、中小企業まで含めた全体のことを考えているかどうかは難しい判断となる。
卒業後3年を新卒扱いにする件は、個人的には決して悪くない政策だとも考える。機会が増えることにより、目的意識の高い学生のチャンスが広がるという点においては、メリットがある。それを受け入れる企業も社内的な調整は必要だろうが、より求める人材を確保することが可能になる。
しかし、これはあくまでも目的意識が高く、自分の将来に何らかのビジョンを持っている学生に限られるのではないだろうか。果たしてその学生の割合はどれくらいいるだろうと考えてしまう事もある。
日本の新卒一括採用は、世界から見れば特殊であるという事実は間違いないが、今の日本の雇用システム(年功序列、終身雇用を基本)を中心に考えれば、当然ともいえる。
(日本型雇用システムは既に崩壊しているとも言えなくもないが・・・)
若者の就職率が悪いといっても、アメリカやヨーロッパ諸国、中国あたりと比較すると格段にいいのもデータ上の事実である。そのデータを基準に考えれば、新卒一括採用も日本にあったいいシステムと判断できる。だから、一括採用は間違っていないという意見にもうなずける。
そのような議論をキャリアカウンセラーの有志で短い時間の中で行ったのだ。
メンバーの中には博識者も多く、フィンランドの政策を例に挙げながら、これからの中高年と若手の雇用システムの構築を提案する場面もあった。お互いの意見を尊重しながらも、論理的思考も感情的思考も含め、熱い議論がギリギリまで続いた。
勉強会終了後も、懇親会の席で、酒を酌み交わしながら、話題は尽きることはなかった。
僕自身もここに書いたような普段思っていることを話し、全体でお互いの考えを共有した。
結果として、これが正解という案がでたわけではない。
(それは現実、不可能だ。)
根本の問題はもっと深いものであると考える。しかし、そこには我々大人の責任も含まれているのだ。今後も自己の責任と捉え、相手任せにするだけでなく、考えていく必要性があるだろう。
2011年2月19日
新卒一括採用について考える 1
本日は、キャリアカウンセラーの集まりであるCDAプラザの勉強会。
いつもの勉強会であれば、テーマ別講演の後、ロープレを行うのが基本だが、今回は新卒採用の現状について共有した。
第一部としては、自動車部品メーカーの人事に勤めるA氏が、自社の会社説明会をユーストリーム上で配信した内容を実際の動画を見せながら報告した。
この説明会はユーストリームで配信するだけのただの説明会ではない。
キャリアカウンセラーの担当者が企画する事もあるだろうが、「就職活動応援セミナー」と題し、現状の自己分析中心型の疑問を見出し、新たな就職活動を提案したのだ。それは企業の現状の立場を考え、そこから業界を考え、自らを考え、各企業の考えへと論理的な思考に結びつけるもの。
自動車業界は今後の展開を考えれば、グローバル化か必然で、ということは当たり前のように海外を視野に入れなければならない。
そんな業界の常識がある中、志望する学生には、海外には興味がなく国内で働きたいと、全く業界を理解しない発言をすることも多いようだ。
そもそもの矛盾を解消するために、学生に求めることを親切に解説した説明会を実施したのだ。この企画を発案したA氏とは、かれこれ15年近い付き合いで、ずっと懇意の仲だ。
彼の学生に対する熱い思いにはいつも脱帽させられるが、今回のあまり自社のメリットにならない説明会の内容をユーストリーム上で見て、改めて学生にしなければならない我々の課題を痛感した。
A氏の説明の後、参加したキャリアカウンセラーのメンバーと共に、学生のあるべき方向性と大学の役割、企業の選考方法について議論を重ねた。
学生の質的低下を非難する事は簡単である。
しかし、それでは何の問題解決にはならない。回りがどう関わっていくかが重要である。そんなことをお互い話し合いながら、議論のテーマは「新卒一括採用」に進んでいった。
本日のところは、ここまで・・・。
(飲んでいるし、結構疲れた。すいません。)
「新卒一括採用について」は明日のブログでその議論内容を報告したいと思う。
2011年2月18日
日本型キャリアデザインの方法
日本型キャリアデザインの方法―「筏下り」を経て「山登り」に至る14章 (2010/03) 大久保 幸夫 |
先日のHRプロのセミナーで頂いた書籍。
著者の大久保氏のファンというのもおこがましいので言わないが、この業界に身を置く者として、またキャリアカウンセラーの一人として最低限の学びで、これまでも「キャリアデザイン入門」「仕事のための12の基礎力」は読ませていただいた。
(セミナー終了後の懇親会では、直接、本人と話をさせて頂き光栄!うれしかった!やはりミーハーだ。)
この著書を読み終え、これは誰がターゲットなのだろかと考えてみた。
就職活動中の学生、キャリアチェンジを考えるビジネスマン、そろそろ自分の限界を感じる管理職など・・・。
結局のところ、どの世代でもどんなキャリアの持ち主でも対象といえるだろう。
キャリアには終わりはないし、どんな時期においても、これからの自分のあり方に希望や迷いは生じるに違いないと考えるからだ。
その中で、ここに書かれている「迷ったら激流を選べ」という表現には賛成だ。
特に20歳代の「筏下り」の時期には、できるだけ激流を下っていくのが自分の成長に繋がると僕も思う。特に目標が定まらないシューカツ生はどんどん自らを厳しい場に追い込むべきだ。
激流の「筏下り」の時期を越え、辿りついた先に自分の進むべき道(ここでは山かな)も見えてくる。自分なりの具体的な目標設定もできるというわけだ。
そこから明確なゴールを目指して「山登り」を行っていく。プロフェッショナルを目指す。これが著者の言う日本型キャリアデザインにあたる。
今、僕は44歳。
「筏下り」に時期はとうに過ぎて、当然のように「山登り」に入っている。しかし、山の頂はまだまだ遠そうだ。もしかしたら辿りつくことはできないのかもしれない。
しかし、10年くらいの歳月をかけても山の頂に辿り着き、その頂から広がる景色を眺めたい。そのために毎日せっせと過酷な山道を登っていくのである。
そして、山の頂から広大な景色を眺めた後はどうしようか。
山を降りてのんびりするか、また別の山を目指すのか。
そんな事を考えるだけでも結構楽しくなってくる。空想的な要素を含め、先々のキャリアを思い描いてみるのもいいことだ。
そのためには、今やらなければならないことは山ほどある・・・。
まずは、その目の前にある小さな山をクリアしないと・・・。