普段、小説を読むことはほとんどない。
最近で言えば、「レッドゾーン」(真山仁著)以来である。それも「ハゲタカ」好きの流れで読んだまでの話だ。
リアルな世界ではそれほど話題になっていないように思えるが、インターネット上ではかなりの話題になっていたため、手に取ったこの著書。それも堀江氏らしいのかもしれない。
一人のフリーターがオッサンと呼ばれる出資者と出会い、ゲーム事業を成功させ、株式上場、M&Aを繰り返し、時価総額を上げ、プロ野球球団買収、TV局へのTOBと自らの行動とオーバーラップさせるよなストーリーが展開していく。
フィクションとノンフィクションとの狭間で、実在の人物をイメージさせながら、痛烈にメディアを批判する姿は、堀江氏のしたたかさと強さを感じさせた。決して権力に屈しない底力も持っているのだろう。
著者が第一線で活躍している頃に「100億稼ぐ仕事術」を読んだ時は、意外なほどの堅実さを感じたため、おそらく実情とは異なる姿をメディアは映していたのだろう。それに対しての復讐とも思えなくはない。
この著書を読んで、なぜか10年以上前に読んだ「アイドル、冴木洋子の生涯」(松野大介著)を思い出した。その理由はわからない。多分、フィクションの中にリアルを感じさせる面が共通していたのだと思う。
ブログやtwitterを通して、堀江氏は自らの考えを堂々と語っている。メディアの力を利用するのではなく、より自分を正しく伝えてくれる媒体を活用しながら、今後も情報を発信していくのではないか。
いずれにせよ、自分とはかけ離れた能力を持つ人物には違いない。彼の今後の発言や行動も気になってしまう。ただの野次馬なのかもしれないが・・・
えらくミーハーである。
今日の記録を取り上げるブログも世の中には無数とあるだろう。僕も間違いなくその一人なのだが、今日は素直に感謝!。おめでとうございます。
圧倒的な野球ファンでも、圧倒的なイチローファンでもない。彼の活躍もスポーツニュースで観るのがせいぜいのところだ。
むしろ役者並みのキリンビール一番絞りのCMやストイックな姿を捉えるドキュメンタリーの方に興味が沸いている。
試合後やシーズン終了後に放つ彼の重みのある言葉が、同じ人として奮い立たされ、励まされ、あるべき姿を思い起こさせた。
NHKの番組”プロフェッショナル仕事の流儀”では、「プロフェッショナルとは、ファンを圧倒し、選手を圧倒し、圧倒的な結果を残すということです」と語っていた。
その背景には圧倒的な努力がある。
「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」というイチローの裏づけされた言葉には大きな説得力を感じずにはいられない。
きっと来年も再来年も5年後も活躍しているだろう・・・。
そんなイチローとの共通点が「愛知県」以外にあるだろうかと考えてみたが、さっぱり浮かばない。
強引に見つけるとすれば、我が息子のグローブ。
イチローモデルだ。
数年後にはイチロー杯で活躍して、握手くらいさせてもらえるだろうか。
継続する努力があれば、100%ムリとはいえない。
台風12号の影響で、凄まじい雨で始まった秋分の日の今日。
午前中はお彼岸らしく、実家の墓参りに行き、手を合わせた。
午後は嫁と息子がドラゴンズの応援のためナゴヤドームに、娘は祖母と一緒に買い物に出掛けたため、久しぶりに一人でのんびり過ごす事になった。一人の時間も決して嫌ではない。静かにまったりと時間を過ごす事ができる。
港区にある超ドでかいBOOKOFFに行き、ゆっくりと本を眺め、いくつか気になった本を購入。最近、本を買うのはアマゾンかBOOKOFFが中心。三省堂や丸善で購入するのが減っているような気がする。自分の動きも時代に流されているんだなと素直に感じる。
このような休日は、じっくりと読書をするのが理想的なのだろうが、今日は他にやるべき事が結構多い。
仕事である。
今週末に上期を終えるにあたっての全体会議を行い、各自の業務についての振り返りと下期に向けての全社的な意思統一と目標に向けた擦り合わせを実施する。
そのための資料作りと書類チェックに休日を費やしたのだ。会社でも個室を持つような身分でもないため、デスクはオープンな状態。何かに集中しようと思うと意外に難しかったりする。
そんな時は、自宅でもこう一人でじっくり机の前に向かうのがむしろ集中できる。改めて気づくことも多い。
そして、思うのは経過する時間の早さである。ついこの前、引越したばかりなのに・・・。
もう半年か・・・。つくづく感じるのだ。
しかし、半年しか経過していない新オフィスが当たり前であり、以前の中日ビルが遠い昔のようにも感じる。不思議なものである。
と、とりとめとなく仕事をしながらふと考えていた。これも秋だからだろうか・・・。急に寒くなってきたし・・・。
秋の夜長を楽しむのは、もう少し先だろうが、こんなどうでもいいことをしっとり考える余裕で出てきたのも、涼しくなってきたのが理由でもあるだろうか。
本日は、先日お会いした経済産業省の方に教えていただいた社会人基礎力育成事例研究セミナーに参加した。
進学塾の河合塾が委託を受けて行っている事業で、何気なく参加するものの、会場には200名を超える参加者が集まり、熱気に包まれていた。学校関係者の参加が多いように思われた。
最近はゆとり教育の影響なのか、就業意識の低下が影響しているのか、大学生の姿勢に対して不満を持つ企業が増えている。
その不満を解消するための方策として、大学内では社会人基礎力を身につけるための様々な取組みが行われている。それ事例の発表の場がこのセミナーの主旨である。
そもそも社会人基礎力とは、3つの能力、12の能力要素に分類される。
3つの能力は、前に踏み出す力(アクション)、考え抜く力(シンキング)、チームで働く力(チームワーク)で、
その3つが更に主体性であるとか、課題発見力とか、発信力とか細かい12の能力要素に分けられる。
ここには、マナーや慣習は含まれておらず、どちらかといえば目に見えない人としてのあり方を表しているように思える。
これまで学校では、基礎学力や専門知識などカタチに表しやすいことを教育するのが中心であったが、今後、職場や地域で活躍するためには、それ以外の能力が重要で、それが社会人基礎力にあたる。
今回は、4つの大学の取組み事例をその大学の教育担当者が各々の立場から発表された。大学によりその手法は全く異なるが、学生を何とか社会に通用する人材に育てたいという熱い想いは全ての方から伝わってきた。
今回の話を通して、我々が想像している以上に学生を育てることは難しいし、大学関係者を味方に巻き込んで進めるのは、いくつも越えなけければならないハードルがあることを感じた。
それに教育側に必要とされるスキルは、傾聴と反射などキャリアカウンセラーが身に付けているスキルであると痛切に感じた。いかに学生が心の底で思っていることを引き出し、自らに気づきを与えるのが重要である。
このプロジェクトは歴史も浅いため、これから本当の成果を発揮していくことになるのだろうが、今後の活動に期待したい。我々もいくつかの場面で成果を発揮していくための協力はしていきたい。
より社会人して生き抜く力をもった人材が、これからの企業を牽引するのは間違いないのだから・・・。
この著書のアマゾンの書評を読むと賛否両論の意見が飛び交っている。若い読者からは、時代が違うとか、その働き方は古臭いとか否定的な意見が多かったように思う。
僕は、この著書の内容に基本的には賛成だ。
「まずはアリのように泥まみれに働け!」などの過激な言葉が、ワークライフバランスが叫ばれる昨今では、反発を招くのだろう。
しかし、若者が社会人として一人前になる過程においては、それくらいの気概が必要だろうと思う。結果的に無駄に思えることもガムシャラに取り組む時期がある期間あってもいいのではないだろうか。
僕自身もそんな期間を過ごしてきたからこそ、今があることも否定できないし、著者も自らの経験から学んだ成果を、今の若者に対してメッセージとして発していると言えるからだ。
そして、人は仕事して磨かれると同時に読書でも磨かれると書かれている。僕は、最近でこそ、コンスタントにいろんなジャンルの本を読むようにしているが、若い頃は小説かノンフィクションくらいであった。
それは今となっては大きな反省となっている。どこまで吸収できるかは別として、もっと多くのジャンルの書物を読んでいれば、今よりはもっとマシな大人になっていたのではないかと思う。
自戒を込めて、著者同様、読書もお勧めしたい。
著者の丹羽氏は名古屋市出身。それも中川区。現在、僕の住まいからから車で5分程度の場所だ。もちろん実家にお邪魔したこともなければ、知り合いでもない。
それが理由でもないが、尊敬する経営者の一人でもある。その歯に衣着せぬ発言は、聞いていて気持ちがいい。それも、自分自身の軸がぶれていないので、違和感もない。
いつか機会があれば、握手くらいさせて頂きたいと願っている。
それはともかく、これから立派な社会人を目指す方には、精神論な要素も含め、読んで欲しい。就職活動中もしくは終えた学生も社会へのイメージも抱ける著書だとと思う。
本日は、今シーズンのグランパス戦の初観戦。抽選で当った親子観戦チケットで、瑞穂陸上競技場まで出向いたのだ。しかし、あらかじめ予定していた観戦にも関わらず、思うようには進まなかった。
昨日は、仕事で東京に宿泊。今朝の新幹線で名古屋に早々に戻る予定が、三連休の影響なのか思うように新幹線のチケットが押さえられず、予定していた時間よりも大幅に帰宅が遅くなってしまったのだ。
嫁さんに頼み込んで名古屋駅まで一緒に観戦する息子を連れてきてもらい、何とかゲーム開始の時間に間に合った。服装は仕事のまま。クールビススタイルのビジネスマンはスタジアムでは違和感がある。
スタジアムはさすが首位のチーム。普段に増して瑞穂陸上競技場は盛り上がっていた。
苦労して息子とカテゴリー4の自由席を押さえ、何とか応援の場所を陣取った。ゴール裏のサポーターの唸るような応援は、今のグランパスの勢いを表していたようだ。
万年中位クラスの時と比較すると、サポーターの声援も一体感があり、声が透き通っていた。・・・ように思う。
そして、肝心な試合である。前半はほぼゲームを支配するも、数少ないチャンスをものにしたマリノスが先制。
0×1で前半を終了する。時折、全く反対側に位置するピクシーの怒鳴り声が、こちらのスタンドまで響いていた。
後半は開始早々、金崎がボレーシュートで同点。チームもサポーターもボルテージも上がり、これで勢いづいて逆転するかと思いきや、なーんとなく失速。一進一退が続き、決定機といえばマリノスの方が多かったくらいだ。
結果は1×1のドロー。
残念ではあるが、負けなくてよかったというホッとした気持ちもある。
9月18日時点で勝点差5で首位をキープ。
まだまだシーズンは長く、この状態が継続するかどうかはわからないが、ベンゲル時代を除き、これだけ期待できるシーズンはこれまでなかった。
今年の秋から冬にかけて、名古屋はスポーツの話題できっと元気になる。
燃えよ!グランパス。
熱い秋を、熱い冬を迎えさせてほしい。
本日、名古屋商工会議所主催のランチェスター経営戦略セミナーに参加した。以前から、その言葉は聞いた事があり興味は持っていたが、詳しく本を読んだり、何かで学ぶことはなかったので、いい勉強の機会を頂いた。
経営戦略自体は、要所要所で学んでいるので、その全体像はおおまかには理解しているつもりではいる。しかし、つもりでしかないため、抜けも多ければ、現場での実践もどこまで整合性があり、強みを生かしきれているかは疑問がある。
そんな意味では戦略と戦術の違いなど、初歩的な振り返りから、経営について講義いただいたのはあり難かった。ランチェスター戦略を一言で言うと、戦わずして勝つ、勝てるフィールドに立つためにはどうすべきかということ。
特に中小企業は、大手企業の強者の戦略とは異なり、弱者の戦略を選択しなければならない。講師が言われるには、強者の戦略を選択できるのは、300万社存在する日本の企業の中で、せいぜい5%だという。ほとんどの企業が弱者の戦略を選択しないと成功することは難しい。
ここで成功するというのは、ある分野でトップシェアを取ること。
小さくても1位になること。できるだけ絞り込んで、小さなマーケットでトップをとる。そのための戦い方を考えるのがランチェスター経営戦略の基本。
それも商品、地域、客層のどこに優先順位を置くかが重要。
売上をアップさせるとか、販売エリアを拡大させるという考え方は全く適さず、その戦略に走ると中小企業の場合、ほとんどが失敗に終わるらしい。
特に安売りを主眼に置いた戦略では、過去の事例からも悲惨な結末を迎えるケースが圧倒なのだそうだ。
確かに急成長した企業が、あるきっかけで気がつけば破綻なんてことは、新聞でもよく目にする。
このランチェスター戦略を自社にどうやって活かすかなんて、すぐに対応できることでもないが、何らかの参考になったのも事実であるし、もっと深く学習する必要性も感じた。
過去30年のトレンドを見ると、ここからの数年、倒産する中小企業が増えるのは確実らしい。その厳しい環境の中で、シェアを確保し勝ち残こる戦略を考えるのが経営者の重要な仕事だ。
勝ち方、知恵、考え方など、外からは見えないものにどれだけ取り組むことができるのか。
本日、初めて接したランチェスター戦略で考えさせられることは多い。
本日、2年ぶりに人間ドックに入って検査を受けた。人生で二度目である。
普段、病院に行くケースがほとんどないため、この行為自体に緊張してしまう。
(体が丈夫なことだけが僕の唯一の自慢なのだが、その頑強さについてはいずれブログで公表したいと思う。)
その独特の雰囲気に、思わず足が後ずさりしてしまうのだ。好き好んで行く人はいないとは思うが・・・。
前回、人間ドックに入った時は、異常な箇所は全く見つからず、診断結果の用紙は白紙の状態。その当時の上席に「お前に入らせるだけ、もったいない」と冗談とは言え、キツイ言葉も頂いた。
しかし、前回とは立場が違う。責任の重みも違う。相当、体は蝕まれているのではないかという自分なりの予測のもと、近くの病院に足を運んだ。
身長、体重、視力検査から始まって、システマチックにどんどん検査が進んでいく。増えた体重を後悔するヒマもなく、各担当に振り分けられた先生に呼ばれて、衣類を脱がされ、血を抜かれ、ゼリーを塗られ、どんな状態にあるのかよくわからないまま、進行していくのだ。
そして、やってきた。一番嫌な行為が・・・。
バリウム。
これも人生二度目の経験なので、まだまだ初心者の域なのだろうが(ベテランはいるのだろうか・・・)、やはり嫌な行為である。
バリウムは世の中の相当な嫌われ者なのだろう。
担当医がレモン味かサイダー味のどちらがいいか勧めてきた。知らないだけかもしれないが、以前はなかったサービスである。嫌われまいと努力しているのだ。
どうせならストロベリー味とかコーラ味とかもあっても良さそうだが、バリウムなりの開発の難しさがあるのだろうと勝手に解釈した。ただ、随分と飲みやすくなったのは確か。吐き気もなかった。
それでも、診察台に乗り、グルグル回され、右を向けだの斜めにしろだの指示に従っているうちに何だか車酔いの状態になってしまった。長時間のグルグル体験ではなかったため、すぐに車酔い状態は治まったが、できれば避けて通りたい診察ではある。最後に問診を受け、この日の検査は終了。
検査結果はしばらく先のことになるので、現状はなんとも言えないが、特に問題はなさそうだ。強いて言えば、もっと体を絞り込む必要がある事くらいだろう。
こういった健康診断を受けると体をケアする重要性を感じる。自分の体だがら、どこが悪かろうと自分の責任であるのは間違いないが、今の立場では不健康であると周りに迷惑をかけることに多くなる。
そう思うと自分の体だけではないということか。無責任な行動も許されない。
前回同様、真っ白な診断結果を期待したい。
飛躍し将来が約束されたかに思える企業も、いつの日か衰退の時が訪れる。それを分析に基づいて教えてくれる良書だ。
著者は企業の衰退の実態を調査し、調査結果として五段階の枠組みで表現している。
1.成功から生まれる傲慢
2.規律なき拡大路線
3.リスクと問題の否認
4.一発逆転策の追及
5.屈服と凡庸な企業への転落か消滅
衰退の道はどんな企業にも共通する一定の順序があるようだ。
今回の著書では、世界的有名企業でありながら衰退し、今は存在すらなくなってしまった企業から何とか回復の兆しが見え始めている企業までを取り上げ、その衰退の過程における問題点をクローズアップしている。
世界でも名を馳せた経営者であり、時代の寵児として取り上げらた方が、衰退の一途を辿る時には、同じようなプロセスでバットサイクルを繰り返す実態を目にすると一つ一つのジャッジの難しさやメンタリティの維持の大変さを痛感する。
そして、どんな優秀な人物でも過去の成功体験を捨てる事は、自己を否定とつながり、その個人的な見解を優先してしまう現実がある。気がつくと企業として致命的なダメージを受ける事も多いようだ。
積極的な拡大は、時にはメディアにも賞賛され、コンサルタントは成長戦略を描き提案し、企業としては正しい選択として認識するのだろうが、後にそれが無理な拡大での失敗とわかり、大きな損失を抱える時には手のひらを返したように非難の対象となる。当然のようにメディアやコンサルは責任は取ってくれない。
偉大なる経営者と称えられた人物は、いとも簡単に解任される。
ここに描かれる企業の多くは欧米中心のため、ドラスチックな人事は当たり前なのかもしれないが、一つの失敗で簡単に切り捨てられる背景があるとすると、ここに書かれている一発逆転策の追求をより求めてしまうのかもしれないとこの著書を読みながら感じた。
ただここに書かれている内容は他人事として捉えるのではなく、自分自身の事と置き換えて考える事も必要である。
そして、全体を通して、ドラッカーの著書に書かれている企業のあり方に近いのではないかと感じた。いつの時代も企業のあるべき本質は変わらないのかもしれない。
この著書の締めくくりには、こんな事が書かれてあった。
永続する偉大な組織は、基本的な部分で二面性を持っている。
時代を超える基本的価値観と基本的な存在理由を持ち、この基本理念は変わらない。
他方では、変化と進歩を常に求めており、創造性を発揮したいという強い欲求がときにBHAG(組織の命運を賭けた大胆な目標)の形であらわれている。
偉大な組織は、基本的価値観(組織にとって不変の主義)と戦略や慣行(世界の変化に対応して絶えず変えていくもの)とはっきり区別している。
これは世界的な大企業であろうと名古屋のちっぽけな企業であろうと何ら変わらない。
そう思うと、この締めくくりの文章は、その時々の自分の置かれた状況でつぶやく必要がありそうだ。