これからも前向きに 名大社会長ブログ

食べ物のはなし 特別編 シンスケ

ゴールデンウイークも終盤です。
みなさん、どんな休暇を過ごされているでしょうか。
大して予定のない人気食べ物ブロガーはせっせとブログを書いております。
休暇中も仕事をしているということですね。

せっかくの休暇中。
伏見シリーズなんて行動範囲の狭さは止めにして、
ど~んと特別編で大きく外に飛び出しましょう。

向かったのは東京上野。
上野というよりは湯島と言った方が正しいでしょうか。
正統派の居酒屋を知る年齢にもなってきました。

名古屋でいえば大甚。
あの雰囲気も日本を代表する居酒屋。
東京ではどこになるのでしょう。
食通が超おススメする「シンスケ」さんに行ってきました。

お店の面構えからその雰囲気が伝わってきます。
庶民的でありながらも上品さが漂ってきます。
粋な東京人がサクッと飲み、一言語って店を出ていくのでしょうか。

無駄な会話はしない。
長居もしない。
そもそも酔わない。
そんな格を醸し出しています。

カウンターには一人客、
または秘書を連れた会社役員(そんなふうに思える・・・)、
品のいい老夫婦が愉しそうに飲んでいます。

見習わなければなりません。
ビールは3種類。
ここはハートランドからスタートです。

メニューもシンプルでありながら、東京だから堪能できる品々。
いい食材が集まってくるのでしょう。
ひと手間かける丁寧さも伝わってきます。
季節ごとにメニューも変わるのでしょう。

セリの胡麻和え

この優しさが嬉しいです。
焼津の初かつを

からしで頂くのがシンスケ流。

そうなると日本酒が飲みたくなります。
こちらは両関一本勝負。

本醸造、純米酒、大吟醸。
飲み方もお客次第。
常温で飲んでいるお客さんも多い。
我々は燗酒。

そして、鰯の岩石揚げ。

表面の硬さと中身の柔らかさが絶妙。

やりいかのやわらか煮。

温かさを感じます。

肴をつまみ、しみじみと日本酒を頂く。
決して騒いだり、大声で笑ったりはしない。
ここでは静かに日本の文化や歴史について語り合う。
それを自社の事業に結びつけながら・・・。

普段とは違った角度で会話を楽しむことも大切です。
お店の雰囲気がそんな会話に色をつけてくれます。
注文もし過ぎない。
お酒も飲み過ぎない。
適度の量を頂きお店を出ました。

こんなお店が名古屋にもあるといいですが、
やはり土地に相応しいお店なんでしょうね。

ごちそうさまでした。

思ったほどでもない? ランニング日記2204

走るにはいい季節になってきた。
何がいいって、走り出す朝6時に明るいのがいい。
3月までは6時段階では暗いので、気持ちもふさぎがち。
だが4月ともなるともう6時には明るい。

季節を感じるにはやはり早起きが一番。
特に4月初旬は気持ちがいい。
休日のコースである戸田川緑地公園の桜も見頃。

満開時はタイミングが合わなかったが、
それでも程よい桜を眺めながら走ることができた。

川沿いの沿道も園内も桜は咲き誇っている。
朝日が昇るのを感じながら走るのは気分がいいもの。
そんな季節は一年通してわずかな期間。

大体は暑いか寒いかだが、
この4月、また新緑を感じる5月が一年を通し一番いい時期。

そんな4月だったが、思うようには走れなかった。
出張(研修?旅行?)があったり、ワクチン接種があったり、
雨だったりと距離を稼ぐはずの週末が思い通りにはならなかった。
徐々に飲み会も増えてきたので、
平日の朝も厳しかったりとスケジュール調整はそれなりに大変。

ランナー仲間にはそんな言い訳をせず、
きっちり200km走る強者もいるというのに。
やる人はどんな状況でもやるわけですよ。
見習わないと・・・。

では、4月はどれだけ走ったか。
結果的に110km。
なんとか目標はクリア。

ただし季節の割には大したことはない。
それもゴールデンウイークに入りギリギリの達成。
昨年よりはよかったけどね。

大きいのは3年ぶりにぎふ清流ハーフマラソンも走ったこと。
やはり大会に出場すると距離は安定する。

ペースも一定だったので体の負担も少なく筋肉痛も思ったほどではなかった。
毎月目標をクリアしている効果が表れているといってもいい。
どんな時でも目標を持つことは大切だね。

さて、この5月。
参加すべき大会は終わってしまったので、
モチベーションを維持するのは難しい。
しかし、未だ達成したことがない年間通しての完全制覇が残されている。
そんな大袈裟ではないが、一年通しての目標達成はやりきりたい。

毎月、毎月が大事。
幸いGWもヒマだし、せっせと距離を稼ぐとしよう。
今月も頑張ります!

名大社半生を振り返る その20

2006年5月末、僕は40歳で取締役に就任した。
兼務役員なので扱いは社員のままだが、肩書は取締役。
どんな責任を負っていくのか、
どう変わっていくのか見えないままだったが、ずしりと重さは感じた。

僕らの提供する求人サービスもネットが中心。
新卒サイトは運営していたが、転職サイトのスタートは2006年。
これまでのベンダーではなく大手インフラ系のシステム会社と開発を行いサービスを提供し始めた。
リクナビNEXT、エン転職、マイナビ転職らの大手同業他社からは大きく遅れての立上げ。

当時、リクナビNEXTはYahooと提携していた。
その優位性を社長に説明し同じような検索エンジンはないかと聞かれ、
「グーグルがトップです」と答えると、
「うちはグーグルと提携しよう。テツ、交渉してこい」と平然と言われた。
「無理です」という回答は仕事から逃げているとしか受け取られなかった。

システム会社とのトラブルが続きその対応に追われた。
価格帯の設定やプロモーションもほぼ任されていたが、計画通りに販売も進まなかった。
取締役としての力不足と受け止められ、徐々に自分でも感じるようになった。

営業のクライアントからのクレームも僕が対応させられた。
上手く処理できないと能力不足と罵倒された。

この頃はあまりにも忙しかったので、名古屋市内のクライアントのみ担当し、
市外や岐阜県のクライアントは別の営業に任せていた。
先輩に任せていたクライアントはよかったが、
後輩に任せていたクライアントは見事に売上が減った。
売上は僕に計上されるためモチベーションの低下はあったと思うが、
毎年当然のように依頼頂いた仕事がなくなっていった。

制作企画部門、ネット事業、大学関連、採用担当、
そして営業と多くの業務を掛け持ちしていたため、綻びも出た。
全体を掌握する余裕も力量もなかった。
積もり積もったトップとの考え方の違いも少なからず影響した。

以前、「役員降格の話」というブログを書いた。
実力不足の一言でいいだろう。
僕は取締役として失格の烙印を押された。

1期2年のため、最初の一年は取締役として機能したが、2年目は肩書のみ。
ネット事業の責任者を外され、部門のマネージャーを外され、採用担当も外され、
気づいた時には社長直轄の一人営業になっていた。

上司は社長、部下はなし。
2008年の株主総会で正式に取締役を辞任すると
特別営業職という肩書が与えられ、ひたすら営業する日々を送った。

他に任せていたクライアントは幸い僕に戻ってきた。
「山田さんが担当ならまたお願いするよ」
そんなクライアントの存在がどん底に落ちた僕を救ってくれた。

それでも時間はあるので、飛び込み営業も行った。
見栄もプライドも関係なかった。
社内での存在感はほぼ消えていた。

さすがに会社に失望し真剣に退職を考え、人材紹介会社に登録。
「もう名大社を卒業しよう」
そんな時に起きたのがリーマンショックだった。

続く・・・。

映画「英雄の証明」

映画評論仲間と観た作品。
一年半ぶりに自称映画コラムニストが集まり語り合った。
いい大人が真面目に映画について語り合う。
時にはそんな場も必要で本作が課題作。

映画鑑賞後、誰もが神妙な面持ち。
言葉に出さずとも同じような感想を持ったのは一目瞭然。
映画への不満ではない。
つまらなかったわけでもない。
ヘビーに考えさせられる映画だったのだ。

本作はイラン映画。
多分、初めて。
今年もいろんな国の映画を観るだろうし、上映機会も増える。。
先週はジョージアの映画だったし・・・。

外国の文化や習慣を知るにはその国の映画を観ること。
自分たちが知らないことを教えてくれる。

本作は受刑者を主役にしているが、その取り巻く環境でも驚かされることは多い。
借金を返せない罪で刑務所に入らなきゃいけない。
受刑者には休暇が与えられ、自由な時間を得ることができる。
それを見張る者はおらず、休暇が終わると自ら刑務所に戻る。

それだけでもちょっとした驚き。
日本人の生活ではあり得ない。

映画はその休暇中の出来事が描かれるが、このあたりは国を問わず普遍のテーマ。
人としての倫理観を問われ、誰もが自分の名誉や保身と向き合うことになる。
その人間模様は偽善的に映るが、それを否定するのは難しい。

自分が同じ立場になったらどうする?
と迫られると同じような判断をする可能性は高い。
自分にとって都合のいい正義を振りかざしていまう。
時に弱者をいいように利用し同情を誘うこともある。

身に覚えはないが、近しい些細な事象は誰もが持っているのではないか。
話題になるか、ならないかの違いだけで。
善がいきなり悪になる。

だから「英雄の証明」をしなければならない。
本当の英雄は英雄である理由を説明する必要もなければ、
証明も要らない。

国を問わずSNSやメディアが与える影響は大きい。
映画もそうだし、昨今の海外の動きも見てもそう。
発信力が与える影響の恐ろしさを改めて感じた。

神妙な面持ちになる映画なのは間違いない。

雨でも楽しいぎふ清流ハーフマラソン

先週24日(日)は3年ぶりのぎふ清流ハーフマラソン。

今シーズン3回目のマラソン大会の参加である。
こちらの大会は前日受付。
全員がPCR検査を受け大会に臨む。

記念Tシャツと共に渡されたのが、子供たちの応援メッセージゼッケン。
「FIGHT!」とか「目指せ!完走!」というメッセージが多い中、
僕に手渡されたメッセージにはこんな言葉が・・・。

「努力すればむくわれる。ちがうだろ。むくわれるまで努力するんだ!」
かなり厳しいメッセージ。
オジサンは頑張るからね!と三輪南小4年生に応えておく。

暑いとか雨とか予報される中で当日はどんよりした天気。

それでも久々の大会に会場内は活気づき賑わいのある光景。
スタート地点も色とりどりのランナーが待ち構えていた。

この大会の正式名称は「高橋尚子杯 ぎふ清流ハーフマラソン」。
岐阜が生んだ金メダリスト高橋尚子さん冠の大会。
この日も彼女が挨拶をして大会が始まった。
奇しくも恩師である小出監督の命日でもあり、彼女の熱い想いが僕らにも届く。

一緒に走る経営者仲間に撮ってもらいスタート。
名大社キャップと名大社Tシャツで!

そのタイミングでポツポツと雨が降り始めた。
しかし、さほど気にならない。
ガンガンの晴天で暑いよりは走りやすい。
本当は曇りのままが良かったが、そんな都合よくはいかない。

岐阜駅前を通り、河原町を抜け、長良川沿いを走る。
この風景を楽しむのもこの大会の魅力。
僕はゆっくりしたペースで走り続けた。
3月の名古屋シティマラソンのトラウマがあり序盤にスピードアップせず、
キロ6分を切るタイムを維持。

それがよかったのかどうかは分からない。
過去この大会では18キロあたりでかなりキツくなっていたが、そんな疲労もない。
終始同じペース。
むしろ最後の2キロはペースが上がった。

結果、手元の時計では2時間4分5秒。
今シーズン1番のタイムだが、2時間切りは達成できず。
もう少し早いペースで走ればよかったかな?と思いつつも、
昔ほどタイムを気にすることもなくなったり・・・。

まあ、楽しく走れた方がいいかな。
雨でずぶ濡れにはなったが、寒くて震えることもなかった。

終了後はランナー仲間と岐阜市内の銭湯に移動。
そこで汗を流し体を温め、本当の目的の場所へ。
マラソンはこのための前座に過ぎないのか?

焼肉屋さんを貸し切りにして打ち上げ。
ビールで乾杯し美味しい焼肉で体を癒す。

赤ワインの差し入れもあり楽しい時間。

みんな、このために走っているようなもの。
中にはレースには出ず、焼肉だけ参加の強者も・・・。

こうして今シーズンの大会は全て終了。
名古屋も豊橋も岐阜も無事に走れてよかった。
走っている最中はツラいと思うが、こうして大会が普通に行われるのは嬉しいし有難い。
改めて主催者やボランティアの方に感謝。

来年は再度2時間切りを目指してみるかな。
今のペースでも問題ないけどね。

お疲れさまでした。

食べ物のはなし 番外編 じか重(上)

明後日からゴールデンウイーク。
長い方は10連休になるのでしょうか。
名大社は4月29日~5月5日までがGW休暇ですが、
6日に有給を取り10連休にするスタッフも多いようです。

どこか遠くへ旅行にでも出掛けるのでしょうか。
充実した休暇を過ごして欲しいものです。
休暇を前に参考となるブログをお届けしましょう。

今回は番外編。
千葉県香取市佐原まで行ってきました。
初めて訪れる土地。
狭いようで広い国内。
まだまだ知らない土地は多いです。

佐原と聞いてどんな料理を思い浮かべるでしょうか?
は~ん、なるほど・・・。
えっ、何も思い浮かばない。
人それぞれだと思いますが、名古屋人はほとんど思い浮かばないかもしれません。

はい、佐原といえば鰻。
鰻を食べなければいけません。
本当かどうかはわかりません・・・。

佐原で有名な「うなぎ割烹山田」さんに行ってきました。

遠い親戚と思った方も多いでしょう。
まったく関係ありません。
「そんなことわかっとる」
とツッコミが入りそうですが、ここはフリとしてご理解ください。

こちらは地元の人気店。
すぐに順番待ちになるので、最新のシステムで登録します。

手書き、チラシの裏を利用、ピンで刺す。
スマホに慣れた身としては最初どう使いこなすか迷いましたが、
地元の方が親切に教えてくれました。

開店前にお店に到着しましたが、すでに5番目。
しかし、この最新システムは今、自分がどのあたりにいるのか一目瞭然。
さすがの機能といえるでしょう。

まずは肝煮からスタート。

東海地区で肝といえば肝焼きですが、こちらは肝煮。
そのまま食べるわけにもいかず、やむを得ずビールを注文しました。

そうなると刺身盛合わせも食べたくなります。

せっかく鰻屋さんにお邪魔したので、白焼も食べることにします。

これが関東風の鰻。
ふっくらとした食感がたまりません。
そしてメインに入ります。

じか重(上) 4000円

立派なうな重です。
しかし、こちらのお店ではじか重と呼びます。
メニューにはうな重もありますが、うな重はいわゆる長焼定食になります。
じか重というメニューをみて、
ご飯の間に鰻が挟まっていると思ったのは僕だけでしょうか。

かなり濃いタレにみえますが、しつこくはありません。
表面はカリっと、中はフワっとした状態。
何の工夫もない表現ですが、それが一番伝わるでしょう。
肝吸いもついて、とても美味しく頂きました。

普段、うな丼の並しか食べれない身分としては最高の贅沢。
それも遠い地。
番外編だから許されますね。

GWに千葉に行かれる方はぜひ!
ごちそうさまでした。

仕事はやってますよ

最近、会う方に
「山田さん、もう辞めたんだっけ?」
なんて聞かれることが多くなった。

先月末に社長退任の報告をしたわけだが、今はまだ社長。
6月からも会長に就任するので、会社を辞めるわけではない。
仕事をしていないと錯覚する人や、
食べ歩き好きの半生を語る映画コラムニストと思う人もいたり・・・。。

「いいねえ~、悠々自適な生活で」
なんて全くお門違いのことを言われる方も。
世間では社長退任をそんなふうに捉えているのだろうか。

実際、悠々自適な隠居生活の方もいるが、
僕の場合、そんな余裕は一切ない。
まだまだ働かなくてはならない。
会社のためにも地域のためにも、
もちろん家族のためにも働かなきゃいけないのだ。

そんな意味では、これからより外に出る機会は増える。
また、そんな仕事を増やしていく。
ありがたいことにお声を掛けて頂くことも多い。

僕がやれることは何でもやります。
ぜひ、お声がけを!

そんなわけで、今週28日(木)は高校生の保護者向けの講演。

コロナの影響で2年間中止になっていたが、今年から再開。
僕のためにわざわざスケジュールを動かして頂いた。
写真は今まで以上に大きな扱い。
また、ブログまで紹介されている。
期待を裏切らないよう、気合いを入れて臨みます!

GW明けには大垣市で若手経営者向けの講演。
こちらはファミリービジネスについて話をさせてもらう。

10日には自分たちが中心の名古屋ファミリービジネス研究会のセミナーもあるし。
詳細はこちら
リアルは満席(あと1名・・・)。
オンラインは受付中だが、間もなく締切なのでお早めに。

6月からは大学の授業も始まる。
こちらはすでに5年目。
母校での講義もあったり・・・。

そんな感じで仕事はやっている。
名大社のメインの事業である採用支援とは異なるが、そこに繋がる流れにもなる。
少しでもお役に立てればいい。

僕がヒマそうにしてると思っている方は多い。
合っているようで合っていない。
おかげさまでお誘いいただき、夜の予定はかなり埋まってきた。
日中は日によって大きく違う。
余裕のある日も多い。

どんどん仕事はやりますよ。
営業もします。
お声がけ頂けると嬉しいですね。

どうぞよろしくお願いします。

名大社半生を振り返る その19

ビジネススクールへの通学は僕に大きな刺激を与えた。
名古屋校は2005年で開校3年目。
参加している連中は意識が高く能力的にも優れていた。

自分でそこそこできると思っていた僕はその能力の差に愕然とした。
完全に「井の中の蛙」だった。
自分のいる世界がいかに小さいかを痛感。
何もかも劣っている気がして危機感が増した。

却ってそれがよかった。
もし、ビジネススクールに通っていなければ今の僕は存在しなかった。
素晴らしい友人にも出会えたし、ここでの付き合いが自分の支えになった。
今もオンとオフの師匠でもある講師と出会ったのも2005年。

志の高い仲間と付き合い自分の未熟さを実感し机にも向かった。
それは仕事にもいい影響を与えた。
毎年のように僕が選考したメンバーが入社するのも励みになった。
仕事が好循環で回ったため、会社に対してのネガティブな要素も薄らいできた。

会社は2005年に名大社火曜日という子会社を設立。
非常勤の女性の営業部隊で転職フェアなど自社メディアを販売。
それほど知識やノウハウがなくても売れたので大きな戦力にもなった。

メンバーは火曜日のみ出勤。
ほぼ業務委託に近い雇用契約で歩合制。
会社として固定費のリスクは少なかった。
社長は名大社水曜日、木曜日、金曜日と作ることで営業チャネルを増やすことを目論んだ。

一時期は盛り上げてくれた存在だったが、
最後は僕が解散させることになってしまうが・・・。

この時期は業績的にも好調で、南端の会、北端の会という慰安旅行が企画された。
1年に2回メンバーをチョイスし、沖縄と北海道に3泊4日の旅行に出掛けた。
僕は沖縄の1組目で贅沢な経験もさせてもらった。
全額会社持ちでホテルもブセナテラスという高級リゾート。
利益還元も積極的に行われた時期で、ほぼ全員に順番が回ってきた。

オンもオフも多忙。
罪滅ぼし的に家族で毎年夏に沖縄旅行、冬に温泉旅行に出掛けた。
点数稼ぎをして何とか平和を維持。
あちこちに気を遣う日々だったが、充実もしていた。

2006年4月には制作企画部門の責任者を任された。
5月末の株主総会で取締役の就任も決まった。
「取締役待遇次長」というヘンテコな役職は名刺から消えた。
40歳になったばかりで史上最年少の役員。

サラリーマン人生でピークを迎えたが、長くは続かなかった。

続く・・・。

映画「金の糸」

本作の存在は全く知らなかった。
偶然観ただけのこと。
そんな表現では作品に対して失礼だが、正直な話。

では、なぜ観たか。
岩波ホールで上映されていたから・・・。

年明けのニュースで岩波ホールが7月末で閉館することを聞いた。
開館時からヒットしそうもない隠れた名作を上映する映画館とは知っていた。
一度くらいはお邪魔したいと思いつつ、機会がないまま今に至った。

これも偶然だろう。
最近、なぜか神保町に伺う機会が増えた。
そして、上手く時間調整できた。
それで観ることができたのが本作。
たまたまが重なったが、本作もいかにも岩波ホールらしい映画。

しかし、事前知識は一切なし。
ポスターからご老人が主役の映画と想像させるくらい。
オープニングのテロップが何語かさっぱり分からない。

どこの国の映画?。
映画を観ながら北欧?ロシア?とはっきりしないまま映画は終わった。
初めてジョージアの映画を観た。
本作は日本との国交樹立30周年記念作品で、その題材は日本の由来。

金の糸で過去を繋ぎ合わせるのなら、痛ましい過去でさえ財産になる。
ラナ・ゴゴベリゼ監督はそういう。
短絡的な観方だと老人の過去を振り返る恋愛映画になってしまう。

それは確かに短絡的。
現実はそんな甘っちょろいことではなく、激動の時代が背景。
ソビエト連邦下でのそれぞれ置かれた立場が複雑に混じり合い、今の生き方に反映されている。
壊れた人生を継ぎ合わせることで修復することもあれば、
知らなければ幸せな人生の最後を迎えられるのに知ってしまったり・・・。

それが静かに流れる音楽と共に淡々と映画は進行する。
ジョージアの古い街並みが見事に絡み合う。
こんな機会でなければ、ジョージア映画に出会うことはなかった。
岩波ホールに感謝かな。

お邪魔した時、館内は結構な混み具合。
普段がこの状況なら閉館することはないと思う。

しかし、僕も閉館を知って訪れたにすぎない。
そんな観客は多い。
気づいた時には手遅れになる。
そうならないように金の糸を引くことを常に意識できるといい。

最後にお邪魔できてよかった。
ありがとうございました。

なごや昭和写真帖 キネマと白球

たまには書店に行かなきゃいけない。
本書は書店でなければ買うことはなかった。
そもそも存在すら知らず検索することもない。

たまたま寄ったジュンク堂書店で平積みしてあるのを手に取った。
発行元の風媒社は名古屋の小さな出版社・・・。

かつて名古屋には名古屋タイムズという夕刊紙があった。
僕らは「名タイ」と呼んでいたが、今の若い人はその存在すら知らないだろう。
広告を取り扱ったことはないが、名古屋の夕刊紙といえば名古屋タイムズ、
中京スポーツ、元上司が在籍する日刊ゲンダイ。

マジメな情報はほとんどなく、
(すみません、ちょっとはあるかな?)
娯楽、スポーツ、ギャンブル、お色気が中心。
僕が20代の頃はまだ元気ではあったが、ピークはとうに過ぎていた。

「名タイ」は平成20年に休刊。
時代の流れには逆らえなかった。
全国には同じような紙媒体はいくつもあるんだろうね。

本書は「名タイ」が報道してきた映画と野球の世界を描いている。
それも僕が知る由もない昭和20年代、30年代を中心に・・・。
映画コラムニストの端くれとしては名古屋の映画の歴史も押さえておかなきゃいけない。

脈々と続く文化が今に繋がっている。
その昔、映画は娯楽の王様。
驚いたことにピーク時(昭和27年)には名古屋市内には69館もの映画館があった。
栄地区だけでも15館あり、伏見界隈にも多くの映画館が存在した。
僕の住む中川区にもあったり・・・。
今でもシネコンを数に含めれば近い数はあるが、捉え方は随分異なる。

僕が愛用するミリオン座はその昔もミリオン座として独特の存在感を放っていた。
記録写真では当時の街の風景共に映画館が写し出されているが、どのあたりかはイメージできない。
昭和30年代の名古屋の街並みで分かるのはテレビ塔と納屋橋くらい。

それを眺めながら、いろんな想像をするだけでも面白い。
本書を読んでいて思い出したことがあった。

僕は学生時代、名古屋駅前の映画館でバイトをしていた。
今、ミッドランドスクエアシネマを運営する中日本興業が
駅前にいくつも映画館を持っており、その一つでバイトをずっとやっていた。
時給は驚くほど安かったが、運営する映画館はタダで観れたので十分元は取れた。

それとは別に僕の所属する映研は栄にある東映会館で代々バイトしていた。
当時、週末にオールナイトをやっており勝手に出入りしていたし、
観たい映画は当然のようにタダで観させてもらった。
おおらかな時代だった。

その頃、映画館に掲げられた大看板は一枚一枚手作り。
いかにも画家崩れのような人たちが別の部屋で大看板を描いていた。
すこぶる上手かった。
上映の切り替え時はその看板の取り付け作業も手伝った。
今や映画館もシステマティックになり、そうじゃないとストレスを感じてしまうが、
そんな時代を懐かしく思った。

映画のことばかり書いてきたが、本書には中日スタジアム、中日球場、
ナゴヤ球場に絡むドラゴンズや他のチームのことも・・・。
昔は名古屋にも女子プロがあったわけね。

記念に取っておくにはいい一冊。
あんまり本書に触れてない気もするが・・・。

たまには書店に出掛けようね。