これからも前向きに 名大社会長ブログ

映画「猫は逃げた」

猫が主役なら僕は本作を観ていなかっただろう。
今から35年ほど前、「子猫物語」という映画がヒットしたが、
僕はそれほど面白いと思わなかった。

昔、実家で猫を飼っていたが、
今みたいにペットとして大切にするというより当たり前に生活を共にする存在。
その程度だった。

確か名前は”たま”。
あまり猫に関心を持っていない人は、みんな、猫をたまと呼ぶのかもしれない。
無理やり映画に繋げているような・・・。

「カンタ」という本作に登場する猫は重要な役割を果たすが、あくまでもつなぎ役。
犬でも構わない。
しかし、タイトルが「犬は逃げた」だと少し危険な香りがするので、ここは猫で正解。
果たす役割は大きい。
なんのこっちゃ。

それはさておき昨日に続き今泉力哉監督作品。
猛烈に推しているわけではないが、
現代の若者を上手く描く監督としては注目したい。

派手な演出があるわけでも、人気絶頂の豪華俳優陣がスクリーンを飾るわけではない。
本作も無名に近い役者連中が自然体に振舞う。
却ってそれが何気ない日常を描いているようで心地いい。

ごく平凡な日常であるが、実際は全然平凡ではない。
ありそうでなさそうな展開だが、それが不自然じゃないから不思議。
ふわっとした感覚に包まれる。
強い人間は誰もおらず、みんな適度にだらしなく適度に真面目。
そして、適度に自己主張。
それがイマドキなのかも・・・。

簡単に言ってしまえば離婚の危機にある夫婦が飼い猫の親権(?)を巡って、
あらぬ方向に向かうストーリー。
どうでもいい内容というと身も蓋もないが、そのこじんまり感が人間ぽっくていい。

特にラストに近い4人の長回しワンシーンは唸ってしまうほど面白い。
脚本の妙なのか、うまく間をとる演出なのか・・・。

今泉監督は40年後、小津安二郎的な存在になっていたりして。
時代を上手く映す手法は大げさな表現だが近しい。

本作はR15+指定。
15歳以上が観れるわけだが、このあたりの境界線は難しい。
あるシーンがなければPG12で十分。

感覚的には若い女性客が多いかと思ったが、鑑賞日は圧倒的にオジサンばかり。
内容的には若者向けと思うが、休日午前の上映だったからか・・・。
暇しているオジサンは映画館に行くしかないのか。
人のことは言えない(汗)。

世代的共感を生む作品ではない。
しかし、こんな恋愛ものも悪くない。
そう思わせてくれる作品だった。

映画「街の上で」

本作に出演している俳優はほとんど知らない。
友情出演の成田凌と大河「鎌倉殿の13人」で殺された新垣結衣の旦那くらい。
彼の名前は出てこないけど、結構いい役だった。
せつないね・・・。

それはさておき、メインとなる俳優陣は活躍しているだろうが、僕は知らない。
ファンからすれば叱られるかもしれないが、
どこにでもいそうな若者としか思えない。

映画の作り方がそうさせるのか、みんな自然。
ごく普通に演じているように感じる。
もしかしたらそれがイマドキなのかもしれない。

上昇志向があるわけでもない。
カッコつけて振舞うわけでもない。
無理に気取る必要もない。
大きな夢だとか野望を抱くことなく、淡々と日常が過ぎていく。

それも半径5kmの世界。
下北沢という街が妙にしっくりくる。
そんな生活で満足なんだろう。
少しの刺激があれば十分生きていける。

僕らのような昭和な世代は、
「もっとガツガツいけよ!」とか
「女の子に家に泊ったんだったら・・・」
と思ってしまうが、大きなお世話。

リア充って、こんなことなのかなと思ってしまう。
こんなことを書くと作品への不満だったり、
若者への批判と捉えられてしまうが、決してそうではない。

なんだか居心地がいい。
そのふんわりした世界観も悪くないなと思ってしまう。
ムリしない生き方が楽でいい。
下北沢に住み、その界隈で飲みたくなる。
そんな生き方にも憧れたり・・・。

どうしてこんなに自然体に感じるのか。
固定でカメラを据えた長回しの撮影がそう思わせる。
見方を変えればNHKの若者を追いかけたドキュメンタリー番組のようだ。
セリフは日常会話だし。

いろんなスタイルが生まれる中でこんな作品が新しいのかもしれない。
そして、これが時代の象徴にもなる。
オタクっぽく思える今泉監督は時代に敏感なのか。

70年代を描く貧乏で時代を否定する若者。
80年代のバブリーでノーテンキな若者。
90年代の未来にもがくリアリスティックな若者。

常に映画は時代の若者を描く。
2020年代、これが象徴なのか。

そんなふうに映画を楽しむのもいい。

社長を退任します

本日3月31日は2021年度最終日。
昨日は社員総会を行い、一年の振り返り、
名大社の歴史の変遷、2022年度への取り組みを報告しました。
コロナ禍の影響が残る一年でしたが、無事に終えることができホッとしています。

ご支援頂いたクライアント、ユーザーのみなさま、
また、懸命に頑張ってくれたメンバーに感謝申し上げます。
ありがとうございました。

ここでみなさまにお伝えします。
私、山田哲也は2022年5月31日の株主総会をもって代表取締役社長を退任。
6月1日からは現取締役副社長の高井明広が代表取締役社長に就任します。

正式な社長交代まで2か月となりましたので、
この場を借りて報告させて頂きます。

 

いつものブログらしくない硬い書き出しですね。
表現方法に迷いながらも、ここからは普段通りに書きたい。
ここでカッコつけることもないし、正式な挨拶状は出させてもらうので・・・。

驚いた方もいると思うが、社長交代は紛れもない事実で1年半前に決まっていた。
2021年4月に高井が副社長に就任し、本年度の組織も高井中心の体制で臨んできた。
高井を支える部長、副部長も頼れる存在になり、
安心して任せられるまで成長してくれた。
特に下半期は大きく業績も伸ばしてくれた。

高井を選んだ理由も明確。
僕が代表になった時からナンバー2として貢献。
会社に対する想いも誰よりも強く、
僕より断然クレバーでより論理的に物事を捉えられる。
これからの事業に必要なWeb戦略も練ることができる。

社内的には明日から高井がトップとして事業、組織をけん引し、新体制を築いていく。
みなさまには温かく見守って頂きながら、引き続き名大社を応援して頂きたい。

 

とブログをここで終えたいが、退任の経緯とこれからについても少し。
2010年5月(正式には2009年12月)に名大社の代表になり12年。
創業者でも同族企業の後継者でもない者として長い期間、社長をやらせてもらった。

僕はあくまでも中継ぎ。
あまり長すぎるのもよくない。
特に変化の速い時代においてはより柔軟な頭が必要で、世代交代も早い方がいい。

それが大きな理由。

そこを中心に考えるのであれば、
高井の次の経営者のことも視野に入れた方がいい。
その人材は決まっていないが、可能性を広げるための行動は必要。
仮に高井が10年社長を務めるとすると、
その間に相応しい経験を積み重ね、経営者としての意識も醸成される。

そのためにも高井に早い段階でバトンタッチし、彼が辣腕を振るった方がいい。
名大社が事業を永続させるなら、常に次世代を創る意識と環境を作っておく。
そんなことを思うのだ。

さて、退任した僕はどうするのか。
当面は取締役会長として後方支援に回る。
対外的な広報的役割は継続し、新たな取り組みにもチャレンジしていく。
会社の足を引っ張るようなら潔く身を引く。

ざっとこんな感じだが、
書き足りないことは半生ブログで披露していく。
これまでの感謝も改めて書きます。

まずは退任と新体制のお知らせ。

これからの名大社に期待してください。
どうぞよろしくお願いします。

それでもFUNRUN 豊橋穂の国ハーフマラソン

一昨日27日は豊橋穂の国ハーフマラソン。
先日の名古屋シティマラソンに続いて今月2回目のマラソン大会。
こちらも3年ぶり。

久々に経営者のランナーチームで走る楽しみな大会だが、心配だったのは天候。
当初、日曜の天気予報は雨。
自分だけならサボる可能性もあるが、そんなわけにはいかない。

運よく予報が変わり、当日は晴れ。
そして、温度もグングン上がり20度になるという。
いやいや、それはそれで困る。
思い出されるのは先日の名古屋シティマラソン
半分脱水症状でフラフラになりながらのゴール。

できればそれは避けたい。
少しでも負担が掛からないようこの日はTシャツ1枚。
スタート前は少し寒かったが、始まる頃にはちょうどの天候。
このまま気温が上がらないことを秘かに祈っていたが、その願いは届かない。

かなり人数を絞り込み、走るコースも過去の大会とは異なった。
3年前までは豊橋市街地を駆け抜け市電と共に走る地方都市ならではのコース。
今年は陸上競技場を出て田んぼ道を走り、風の強い堤防沿い抜けて回る7km×3周のコース。
大会運営の苦労を窺うことができる。
こればかりは文句をいう立場ではなく、むしろ感謝しなきゃいけない。

エントリーが遅かったこともあり最後尾からのスタート。
とにかく道が狭い。
抜こうにもその道幅がないので、最初の3kmはかなり遅いペース。

その後は少しスピードを上げたが、それでもキロ6分程度でゆっくりめ。
日差しも徐々に強くなり、堤防では強烈な向かい風に煽られたが、スピードは維持。
吹き飛ばされそうになりながらも名大社キャップを被り、
塩飴を舐めながら走っていたので、前回に比べ疲労感は少ない。

15km地点で懇意にする経営者に追いつき並走。
会話しながら走る余裕もあった。
そして、その経営者仲間と一緒にゴール。

アップルウォッチは途中で一時停止になってしまいタイムは分からず。
(そろそろ買い替え時かな・・・)
後でネットで調べたら2時間7分4秒。
タイムとしては大したことはないが、名古屋シティに比べ余裕で走れたのは事実。

ゴールではいつも疲労困憊だが、まあまあ余裕のある表情。
そして、楽しみな懇親会。
走った後はやはり焼肉。

豊橋駅前の焼肉屋さんで打ち上げ。
この日はビールも美味しい。焼肉も美味しい。
仲間との会話も実に楽しい。

最後はワインも柚子サワーも出てきていい感じに酔っぱらう。
やはりマラソン大会でこうでなくちゃいけない。

こうして3年ぶりの豊橋穂の国ハーフマラソンは終了。
次回は4月24日のぎふ清流ハーフマラソン。
豊橋より少しタイムを上げ、それでも熱中症にも脱水症状にもならず楽しく走りたい。

お疲れさまでした。

名大社半生を振り返る その15

新卒ナビ「名大社DeSu」は無事にオープンしたものの、
後発でもあり社内的なリテラシー不足もあり、販売は伸び悩んでいた。
「東海地区No.1サイト」と自らうたっていたものの、
東海地区でサイトを運営していたのは名大社だけだから当たり前。

リクナビ、マイナビとは大きな差があり、
クライアントにも学生にも情報量不足と捉えられていた。
大学のキャリアセンターにアピールし、
応援してくれるものの「せめて200社は掲載してください」
と企業数の少なさは指摘された。

ナビは誰でも全てが見えるので比較が簡単。
営業もそれを言い訳にして契約できない。
僕は「ふざけるな。最初はゼロからスタートだろ。」と憤っていた。
「自分と同じ営業が10人いたら、トップの掲載数になるじゃないか。」
と真剣に思っていた。
驕った表現と誤解されるかもしれないが・・・。

お付き合い頂いたクライアントも中小企業が中心。
社内インフラが整っていない企業も多かった。
エントリー学生のリストを紙で持参するという今では考えられないサービスもあった。
学生も電話回線でネットが繋がっていた時代だしね。
何とかネット事業の売上をアップさせようと懸命だった。

営業、マネージャー、ネット事業責任者として激務が続いた。
それが21世紀を迎えた年。
そんな日々だったので、嫁さんは不満が溜まっていた。
第二子を妊娠したこともあり、家庭内は常にイライラした状態。

それでも11月に無事に息子が誕生。
本当にスミマセン。
反省しています。

部下の件では叩かれていたものの、個人的な信頼は回復。
女性の部下は結局、退職し責任も感じたが・・・。
社長が懇意にする企業の営業も任されたり、外交も知らず知らずのうちに増えてきた。

2001年3月に来訪があった。
仙台、新潟、金沢、広島の人材情報会社の社長がいきなり訪ねてきたのだ。
社長と面談を目的としていたようだが、僕がその対応をさせられた。

立場的には失礼にあたるが、当時、名大社は同業者には閉鎖的な会社。
協業や提携を求められることもあったが、全て断っていた。
今回の訪問も一緒に地域を盛り上げようという主旨。
僕は大いに興味を持ったが、社長も常務も何ら関心を示さなかった。

その後、広島の有名人とは何故かお付き合いさせてもらったが、その他の方とはそれっきり。
しかし、この時の出会いが社長になってから生きてくる。
9年後、ふるさと就職応援ネットワークに入会するが、来社された方が中心メンバー。

そのあたりのことは改めて・・・。
世の中はそんな偶然でできている。

この頃からプレゼンする場が増えパワポを使うようになった。
社内でのキックオフや大学での講演、クライアントへの提案書作成。
らしい企画書を作るためにマーケティングやロジカルシンキングを勉強し始めた時期。

少し前に仲のいい採用担当に言われたこともあった。
僕は提案力や企画力に自信を持っていたのだが、その担当はあっけなく言った。
「山田さんの営業力は人間性だけだね・・・」
「いやいや、違うでしょ?」
「それしかないと思うよ。」

そうなのか・・・。
褒められたようで、けなされたようで何ともいえない気持ち。
いずれにせよ、もっと能力を高めなければならない。
35歳になり気づくのは遅すぎるが、そんな時期でもあった。

続く・・・。

映画「偶然と想像」

このブログを読んで本作を観ようと思っても限界がある。
名古屋で上映しているのはシネマスコーレのみ。
それも来週で終了。
全国的にも少ないと思う。
AmazonプライムでもNetflexでも公開されていない。

僕が観たのも名演小劇場で上映終了前ギリギリ。
しかし、間もなく「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞優秀作品賞を受賞するから、
本作の再上映が増えるんじゃないかな?

今、最も話題の濱口竜介監督作品。
この1年で一番知名度を上げた映画監督。
僕もミーハー的に本作を観たに過ぎないけどね。

これは勝手な自分の観方だが濱口監督は女性の描き方が上手い。
ちょっとエロティックだったりする。
「ドライブ・マイ・カー」でいえば、奥さん役の霧島れいかさんは神秘的で妙に色っぽい。
三浦透子もあんな役柄なのに魅力的。

本作もそんな要素を最大限に感じさせる。
短編オムニバス3部作で構成されているが、その短編に登場する女性は妙に色っぽく魅力的。
同じような表現が続くな・・・。
ボキャブラリーが乏しいだけか(笑)。

第一話「魔法」の古川琴音さん、玄理さんや
第三話「もう一度」の占部房子さん、河井青葉さんの存在は知っていたが、
第二話「扉は開けたままで」の森郁月さんは映画を観るまで知らなかった。

彼女が一番艶っぽく映画を盛り上げる。
ただセリフを吐いているだけなのに・・・。
ちょっとヤバかった。

それが濱口監督の効果的な演出。
いかん、いかん、映画について何も語っていない。

ストーリーはタイトル通り「偶然と想像」。
偶然の出来事に想像を掻き立てられ、ちょっとした出来事に巻き込んでいく。
決して大きくない日常だが、普通は考えられない。

だからこそ偶然は人に大きな影響を与える。
時に恐ろしいし、時に魅惑的だし、時に存在価値をあぶり出す。
全て偶然が巻き起こす。
結局、人と人はそんなふうに繋がっている。

些細な展開だが、作品に惹き込まれていく。
それも心地よく・・・。

3本の短編で数人にしか登場しない人物はほぼ喋り続けるのみ。
巧みな会話に映画を観る者が巻き込まれる。

これが濱口監督のスタイル?
海外の批評家が評価するのも頷ける。
これからの作品も期待できるんじゃないかな。

濱口監督のこれからの活躍が楽しみになってきた。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その213

少しずつ春の訪れを感じるようになってきました。
ランチも近場ばかりでなく、ちょっと離れたお店にも行きたくなります。
以前から気になっていながら、なかなかお邪魔できないお店がありました。

伏見から柳橋に向かい、奥まった小さな通りに飲食店が点在しています。
その一つに歴史を感じさせるお店が一軒。
「柳橋 一八」さんに入りました。

店構えはまさに昭和。
この雰囲気だけでもタイムスリップした気になります。

店内も期待を裏切りません。
小さなテーブルと小上がりの座敷が並んでいます。
奥のテーブルには早い食事を済ませた常連そうなご老人が談笑しています。

メニューを眺めます。

これまた昭和を感じさせます。
値上げはいつしたのでしょうか?
一番の高価格が天丼。
丼を大盛にしても950円。

嬉しい価格ですね。
寒ければ味噌煮込みを注文するところでしたが、
それは年末のお楽しみにしておきましょう。
お店の入り口に貼られていたこちらも以前から気になっていた品を注文します。

中華そば 450円

伏見界隈も多くのラーメン屋さんが次から次へとオープンします。
激戦区でいつの間にか消えているお店もあります。
差別化が必要な時代。
いろんな工夫をされ特徴を出されています。

しかしこちらはそんな特徴を一切気にすることなく、昔ながらのラーメンを提供。
いや、ここでは中華そばと呼ぶべきでしょう。
乗っている具材はハム、かまぼこ、ネギと実にシンプル。
これで750円といわれると違和感を覚えますが、
ワンコインでお釣りがくる価格。
納得するしかありません。

見た目は濃そうですが、至ってまろやか。
うどんの出汁が上手く使われているのでしょう。

先日の名古屋シティマラソンの惨敗は重くなった体重も影響していると感じます。
シンプルであっさりとした食事を続けることが次のチャレンジに繋がるのかもしれません。
しかし、次回はかつ丼を食べたいと思ってしまう。
まだまだですね・・・。

滞在時間15分。
さくっと頂き、さくっと出る。
やはりこれも大切です。

ごちそうさまでした。

起業の天才!―江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男

もし、朝日新聞のスクープがなければ、リクルートはどうなっていただろうか。
全く別の会社になっていたのかもしれない。
本書で書かれているようにGoogleの立ち位置に立っていた可能性もなくはない。
HR領域の情報発信のスピードも変わっていたのかもしれない。

リクルート事件が起きた時期は名大社も変革期。
僕の入社前後だが環境は大きく変わろうとしていた。

極端な言い方をすれば、
もし、江副氏が逮捕されていなければ僕は名大社の社長になっていなかった。
全然違う仕事をしていたかもしれない。
そんなことを本書を読みながら感じてしまった。

何事も自分事として置き換えて考えることが大切だね。
あっ、どうでもいいか(笑)。

この世紀のスクープで感じたのは妙な正義感は必ずしも経済にとってはプラスではない。
むしろ後退させる要素もある。
僕の目線が正しいかはともかく重箱の隅をつつくことが誰のためになるのか。

そんなふうに思ってしまう。
大きな宝をみすみす失くしてしまった。
それは日本のためなのか・・・。
やはり上から目線になってるかな。すいません・・・。

過去、後学のためにリクルート関連の書籍は結構読んできた。
そこから刺激を受けることも多かった。
江副さんの掲げた「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。
この言葉も素晴らしいと思う。

自社で使ったことは一度もないが、
(そこはやっぱりね・・・)
この言葉の深さは仕事をしていく上で大切。
使う人を選ぶけど。

本書は江副氏の生涯を追いかけ、その背景としてリクルートが描かれているが、
改めて人、企業の格の違いを見せつけられた。
いかに自分がちっぽけな人物かは痛感するし、大胆な打ち手一つとっても向かう姿勢は異なる。
残念ながら真似することはできない。
全てを敵に回す勇気もない。

だからこそ間違えないのかもしれない。
江副氏が晩節を汚したとは思わないが、どこかで何かが狂う。
それはお金か名誉かコンプレックスか。
野心の強さだけかもしれない。

しかし、どこかで間違う。
そんな成功者は多いように思う。
そう考えるとちっぽけで大して成功していない人間の方がいいのかも・・・。

そんなことを言いたいわけじゃない。
ただ一人の経営者の生き方として学ぶべきは多かった。

課題本だが、おススメの一冊。

名大社半生を振り返る その14

2000年に入った。
世の中が大きく変化していく時期。
インターネットという言葉が溢れ、あちこちに新たなビジネスが立ち上がっていた。

名大社も遅まきながらそんな時期を迎えていた。
僕はチームの低迷から社長や常務から叱責を受けることはしばしば。
有能だったTが自分でチームを持ち、高井もTの部下となった。

僕は女性ばかりの部下を抱えるチームのデスク。
成績がイマイチで叱責を受けるのは仕方ないとして、
体調不良で休んだ時もデスクとしての指導力のなさを指摘された。
身勝手だとか薄情だとか以前の社長の発言ではないが、そんなことも言われていた。

当時、人事の発表は時期になると内示は一切なく掲示板に張り出された。
誰もが4月1日の発表を戦々恐々としていた。
それも今とは大きく異なる点。

昇進も異動も何も打診はない。
「はい、今日、夕方、席移動!」
そんな感じだった。

僕は3月末の幹部研修会で未熟さを罵倒されながらも、
インターネット委員会の責任者に任命された。

その年の11月に新卒向け就職サイト「名大社DeSu」の公開が決定。
それに伴いシステム会社とのサイト構築や営業方針が決まっていった。
会社にはまだパソコンはほとんどなかった。
インターネットもこれをきっかけにようやく繋げられた。

今のように一人一台の時代ではない。
会社に数台しかなかった。
それでインターネットサービスを立ち上げようというから、今思えば恐ろしい。

当時、僕はネット関連、eビジネス関連の本を読み漁っていた。
世間的には平均レベルだが、社内では相当の知識の持ち主と思われていた。
というよりも思わせていた。

初めてクライアントとメールの送受信をした時は感動的で喜びを日記にも書いていた。
そんなレベルなので、システム会社との連携も社内への浸透も相当苦労した。
あちこちでぶつかったし、
委員会内であまりにも出来の悪い先輩を外すこともあった。

中途市場も徐々に回復し転職フェアの契約も伸びた。
時期によっては枠数に収まらずお断りもした。
同時に相変わらず朝日新聞、毎日新聞の企画紙面も売っていた。

ネット事業の責任者とはいえ、日中は営業が中心。
モーレツに忙しかった。
その年の前半はそれでも仕事を終えると飲みに出掛け、
酔っ払い電車を乗り過ごすことも多かった。
(今も変わりません・・・汗)
嫁さんにはかなりヒンシュクを買っていた。

後半はあまりの忙しさに飲みにも行けなかった。
1か月以上一度も行かない時期もあった。
(コロナでもないのに・・・)

会社の鍵を閉めて帰る日も多かった。
2000年秋に東海豪雨もあり、何かと激しい年。

11月にオープンを迎える「名大社DeSu」。
販売状況は今一つ。
これまで営業を支えてきたベテラン幹部も全く売れない。
年齢も役職も下の僕がクライアントに同行し提案することもあった。
自分自身の契約状況も芳しくなかったが、ここは責任者として意地を見せるしかなかった。

11月のオープンにはトップの契約数を持ってくることができた。
11月1日は午前3時まで会社に残り、オープンに立ち会った。
ちょっとしたトラブルはあったが無事に開設。
担当役員と社内で一杯だけビールで乾杯をした。

そんな立場なので、大学へのサイトPRも僕が担当。
この頃から大学での講演も少しずつ任されるようになった。
大変な年だったが、多くを学んだ一年でもあった。

相変わらず浮き沈みの激しい生活。
アメとムチを最大限に受けていた。

年末の社員総会ではいつも頂く賞は受賞したが、予期せぬ賞も頂いた。
特別功労賞という今までにない賞。
素直に嬉しかった。

ただこれは僕が一人でもらったのではなく、
共にインターネット委員会でハードにこなしてきた仲間がいたから。
特に奥井さん(先日雇用延長を終えた先輩)と制作チーフのY君の貢献度は大きかった。
年明けの3人でお祝いをした。
足が出た気もするが・・・。

年末の日記にはこんなことが綴られている。

入社して約12年、一番真摯に仕事に取り組んだ年だったかもしれない。
特に会社に対する責任、自己の果たすべき役割を真剣に考えた一年だった。

続く・・・。

ちょっと今回、長かったね。

映画「THE BATMAN ザ・バットマン」

いやいや、この3時間は疲れる。
オープニングから独特の緊張感に包まれ、目を離すことができない。
単なるヒーローものなら、そのアクションをお気楽に楽しめばいいが、そうではない。
ハラハラドキドキしていればいいわけじゃないのだ。

いつからバットマンはこっちの路線に向かったのだろうか。
こっちの路線とは社会の闇を描く社会派路線。
僕の勝手な決め事だが、
スパイダーマンは世代を選ばず楽しめる作品、
バットマンはちょっとひねた大人が楽しめる作品、
そんな位置づけ。

この責任は誰にあるのか。
前シリーズを撮ったクリストファー・ノーラン監督のせいじゃないか。
「ダークナイト」「ダークナイトライジング」も僕の好きな作品。
これに惹かれてバットマンにハマったファンも多いだろう。

そして、その流れを組む本作。
マット・リーブス監督はそこを意識せざるを得ない。
どう対抗する作品を創るか思考をこらさないと・・・。
こうやってリメイクが継続されるのも面白い。
10年ごとなのか・・・。

共通するのは舞台となる架空都市ゴッサムシティとその都市の大富豪ウェイン家。
あと警部補も同じかな・・・。

時代設定は以前のシリーズと異なる。
本作ではスマホやSNSを駆使する。
まさしく現代社会。
デバイスも未来を感じさせるのではなく今どき。

バットマンが時折見せる人間臭さもいい。
ビルの屋上から飛ぶシーンとか・・・。

多くの謎解きがストーリーに盛り込まれているので、
気持ちをすっきりさせるはもう一度観た方がいいかも。
まずはこの3時間を体験することをおススメするけど。

前シリーズ、前々シリーズと姿かたちは同じバットマンだが、ブルース・ウェインはまるで違う。
クリスチャン・ベールは迷っていた。
ロバート・パティンソンは悩んでいる。
マイケル・キートンは忘れた。
それを見比べるだけでも十分価値はある。

そして、どうでもいいことを一つ。
キャットウーマン役のゾーイ・クラビッツって、滝沢カレンに似てない?。
彼女があんなアクションをこなしたら引っ張りだこだろうね。
そんなことも思ったり。

次回作はまたジョーカーか・・・。
数年後にまた観なきゃいけないじゃないか。
かなり楽しみだけど。