これからも前向きに 名大社会長ブログ

食べ物のはなし 伏見シリーズ その219

会社から伏見駅方面に向かいます。
ふと伏見通を眺めると今まで見たことのない看板が目に飛び込んできました。

「あれっ?あんな店あったっけ?」
確かに以前は上島珈琲店でした。
それがかすかな記憶では1年ほど前に閉店となり、
その後きらびやかな看板のお店がオープンしました。

「あの店はもうなくなっちゃったのか・・・」
と思い、気になってお店の前までやってきました。

よくよく眺めると以前の看板も下の方に隠れています。
店がわかりずらかったのでしょうか。
どうやら看板を張り替えリニューアルをしたようです。

わずかな期間でリニューアル。
思い切った決断ですね。
「鶏酒場シュワトリ」にお邪魔しました。

ハイボールやレモンサワーを150円で飲ませてくれます。
サクッと飲んで帰るのもいいでしょう。

ここは鶏が自慢のお店。
スピードランチメニュー、ヘルシーランチメニューといろんなランチが並びますが、
初めてなので冒険は避け、一番のおススメを注文します。

鶏のからあげランチ 730円

どこにでもあるメニューだと思いますが、
人気食べ物ブロガーは当たり前すぎてほとんど食べたことはありません。
家人の作るからあげで十分と思ったりもします。

しかし、ここはイチオシ、看板メニュー。
しっかりと味わせてもらおうじゃないですか。
からあげもかなりの迫力です。

これはそのまま食べるのかな?
と思っていると「こちらをお使いください!」と調味料が運ばれてきました。

「おー沢山、あるな・・・」
と眺めますが、どれも普通。
至ってシンプルです。
ペペロンチーノなんとかもありましたが、お昼ということもあり控えました。
マヨラーはきっとドボドボかけるんでしょうね。

こちらはご飯のお替りも自由。
若者は喜ぶでしょう。
からあげとご飯は最高の組み合わせかもしれません。
さすがに先日56歳になった身には必要はないですが・・・。

からあげで差別化するのは難しいなと思いつつ、普通に美味しく頂きました。
夜はからあげとハイボールかな。
井川遥さんようなスタッフがいると嬉しいです。

ごちそうさまでした。

映画「シン・ウルトラマン」

なぜかワクワクしながら映画館に行ってしまった。
15年ほど前、息子と一緒にウルトラマンを観に行った時はワクワクしなかったのに。
確かウルトラマンメビウスとかウルトラマンマックス。
結構、冷めた目線で観ていたと思う。

その違いは何だろうか?
本作が子供の頃に見たウルトラマンに近いせいもあるだろう。
ウルトラマンのロゴ、登場シーン、その姿かたちが当時を思い起こさせ、ワクワクさせるのか・・・。

初代ウルトラマンの放映は1966年。
僕が生まれた年。
リアルでは見ていない。
リアルで観たのは「帰ってきたウルトラマン」が最初。
初代はその前後の再放送で見たのか。

変な社会性もあり、子供ながらに理解しがたいシーンは多かった。
そりゃあ監督も実相寺昭雄氏だったりするわけだから、よく分からない。
だから「ウルトラセブン」に惹かれたのかな。
いろんな技や子飼いの怪獣も持っていたし・・・。

さて、本作。
ウルトラマンへのオマージュが強く、同世代のオジサンたちが喜ぶように仕上がっている。
長澤まさみのアップや巨大化シーンに魅了されたオジサンも多いはず。

映画としては単純であり複雑。
複雑であり単純。
政治や国際情勢を絡ませ覇権争いを狙うあたりは現代チックで複雑だが、その決断は意外と単純。
いとも簡単に総理はハンコを押してしまう。
実際、ハンコは押していないけど。

そこも過去の作品へのオマージュなのかな。
初代ウルトラマンとの違いはカラータイマーがないこと。
当時は気づかなかったが、あれはない方がいい。
ピコンピコン鳴る状態を怪獣が知れば戦いを延ばせばいい。
自分の危機を相手に親切に教えるようなもの。
その反省があって、本作は失くしなのかな?
きっと関係ないね(笑)。

僕が個人的に気に入ったのがメフィラス星人役の山本耕史。
堀北真希の旦那なのは気に食わないが、最近の演技はいい。
大河ドラマ「真田丸」の石田三成役もよかったが、「鎌倉殿の13人」の三浦義村役もいい。
義時の相談相手としての立ち振る舞いがいい。
本作でもイヤらしい役を上手く演じていた。

映画を観終わって思った。
もう一度「シン・ゴジラ」や「初代ウルトラマン」を観ようと。

いやいや、「シン・仮面ライダー」もあるぞ。
これはどうかな?
来年の公開だから、随分先だけど。

オジサンの楽しみも増やさないとね。

名大社半生を振り返る その24

昨日は56歳の誕生日。
多くの方にお祝いのメッセージを頂いた。
気づけばこんな年か・・・。

温かいお言葉、ありがとうございます。

社長になるまでの振り返りは時系列で書いていたが、
社長時代はあちこちに飛んでこちらも変則的。
日々の変化はブログにアップしてるので、ヒマな方が読んで頂ければ・・・。
この半生ブログも変則になったので、変則のまま続けます。

年々、組織もまとまりメンバーも成長してきた。
僕が何も言わなくても主体的に動いてくれるし、
僕の指示よりも的確なので、現場のことはできるだけ現場に任せることにした。

特にNEXT4と呼ばれる4名が大きく成長し活躍してくれた。
高井は「テツさんの唯一の実績はNEXT4を育てたことですね(笑)」と言っていた。
まあ、そうかもね。
口出ししないのもある意味、自分の仕事として捉えた。
物は言いようだけど。

ネットワークを広げていくと面倒なことも多いが、そこから得られる仕事も多かった。
ちょくちょくメディアで紹介されることも影響してか講演の仕事が増えた。
ラジオ番組を持ち、ここでも喋った。
(これはスポンサーとしてだけどね・・・)
大学のキャリアセンターとの信頼関係もあり、大学でのガイダンス、講演、臨時講師の依頼も増えた。

がっつり授業を行う非常勤講師も今年で5年目。
どこかの党から立候補しても経歴詐称にはならない(笑)。
自分が学生に何かを教えるなんて、昔はこれっぽちも考えなかったが、
いざ登壇すると遣り甲斐も出たり・・・。

自治体や金融機関からも依頼があり、ピーク時は年40本ほど講演した。
多い時は1000名規模、遠い場所は四国・愛媛での講演も頂けた。
テキトーなことをテキトーに話すのが得意なので、
聴く方によっては「ふざけるな!」と思われるかもしれないが、
今のところ、クレームは届いていない。

自分が何屋さんか分からなくなる時もあったが、広告塔の役割として有難く依頼を受けた。
たまに専門外の依頼もあったが、基本お断りすることはなかった。
テキトーな話でも会社の信用は失くさないように努めた。
そんな形で会社に貢献したつもりだが、自分で勝手に思っているだけかもしれない。

社内環境も以前に比べれば大きく変わった。
とはいえ、ようやく一般企業に追いついただけだろう。
就業規則から始まり、新たな経営理念を掲げ、クレドの作成も全員で行った。
賃金体系や人事評価制度も見直した。

CRMも導入し営業管理の見える化も行った。
当初はセールスフォースを言われるがまま使用していたが、
徐々に社内でも運用できるようになり、今は別のCRMをクラウド上で管理。
若手にとっては当たり前の業務フローだが、10年前と比較すると雲泥の差。
それも内務の神谷はじめ優秀なメンバーがPDCAを回し続けてくれたおかげ。

僕は所詮営業マン。
外部に対して仕掛けや交渉はするが、内部の細かいことは得意ではない。
思い切って任せた方がいいし、知ったかぶりをしたところでボロが出るだけ。
そうした積み重ねで社内体制が出来上がり、今も常に見直しが行われている。

社内体制で忘れてならないことをもう一つ。
2014年9月よりスタッフブログを始めた。
大半のメンバーは嫌がり、スタート時は反発を食らった。

一人ひとりの顔を見せること、
世の中に関心を持ち表現力を身に付けること、
社内のコミュニケーションを活発にすることを目的としたが、
最初はあまり理解されなかった。
僕の趣味の範疇と捉えていた者が多かった。

月に1番”いいね!”を獲得したメンバーにブログ賞として朝礼で表彰。
ヤル気を喚起した。
クライアントからの反響もあり評価も高かった。
力を入れる者とそうでない者が明確になるのもこのブログ。
それも面白かった。

ただ同じことを繰り返すだけではマンネリ化するし惰性にもなる。
次のアクションのために今年3月でスタッフブログは休止。
今後の展開は僕自身が楽しみにしておきたい。

さて、次回は本業の振り返りかな。
だんだん締め方が難しくなってきた(笑)。

続く・・・。

映画「はちどり」

2年前に日本で公開された作品。
その時、本作の存在は知らなかった。
キネマ旬報外国映画ベストテンで2位のランクインで知っただけ。
映画コラムニストとしてはまだ勉強不足。

この年話題になったのは「パラサイト半地下の家族」
キネ旬でも1位だったし、アカデミー賞作品賞も獲得。
最も話題になった韓国映画だった。

その陰に隠れていたのが本作。
この年は韓国映画の当たり年だった。
日本映画も負けちゃいられないね。

それ以来、気になっていたが最近、ようやくAmazonプライムで鑑賞。
舞台は1994年、韓国ソウル。
今から28年前。
そうか、僕が結婚した年じゃないか・・・。

どんな年だっけ?
アメリカでW杯が開催され、
北朝鮮のキム・イルソン主席が亡くなり、
ソウルで大惨事が起きた。

それは僕が思い出したのではなく、映画の中で描かれる世界。
急に現実感が出てくる。
その時代の韓国の状況を僕は知らないが、描かれる世界はリアル。

男尊女卑。
明らかに扱いが違う。
モーレツな学歴社会。
ソウル大学を目指すことがエリートへの第一歩。
エリートになることが全て。
そうならないと豊かさを手に入れることはできない。

決して大げさではなく、当時をストレートに描いているのだろう。
日本人として違和感を感じるが、
28年前の日本だって、今と比較すればその働き方は違和感を感じる。
時代は少しずつ変化し、気づいた時はまるで違う世界になっているのだ。

それを14歳の少女の視線で捉える。
その視線は至極真っ当であるが、
(冷静にみれば・・・)
周囲の大人たちは理解できない。

とっても可愛い子だが不良扱いされ、
それに抗うかの行動もしてしまう。
誰しもが歩んだ道にも思える。
日本でもこの類の映画ってあったんじゃないかな・・・。

より繊細に描いている分、評価も高い。
その視線は50代の僕でさえ共感する。
爆発は青春の証だ。
ドンドン!

主役ウニを演じるのはパク・ジフ。
100%初めて知る女優だが、とても可愛らしい。
見方を変えれば彼女のアイドル作品。
そんな雰囲気もあったり。
いや、ちょっと違うか。

韓国はおかずは箸で食べるが、ご飯はスプーンで食べるのが一般的?
どうでもいいところが気になってしまった。

韓国映画、頑張るね。
日本映画も負けてはいられないね。

名大社半生を振り返る その23

本来、このブログは来週月曜日。
半生ブログは月末が最終回なので、計算するとあと2回。
どうしようもなく頭の回転が悪いが、とてもじゃないが、あと2回では終わらない。
え~っと、あれとこれと書くと何とか4回で終わる?
というわけで今回より週2回アップします(汗)。

「出会いは人生の宝」
これはユニー創業者故西川俊男氏主宰の経営塾「西川塾」で教えて頂いた言葉。
今も大切にする言葉だが、まさに僕はこの通り。

営業時代はクライアントや小さなコミュニティで出会いがあったが、
経営者になってからは多くの出会いが僕の宝となった。
社長時代を振り返っても大した実績は残していない気もするが、
自ら求めていった出会いは会社にとっても大きな財産なはず。

僕は食べ物も飲み物も好き嫌いはない。
人においても同様。
好き嫌いも得意不得意もない。
誰とでも普通にお付き合いすることができる。
その分、強烈な個性もなければインパクトもない。

以前、沢木耕太郎氏が山田洋次監督の作品について書いていた。
「個性がないのが個性」
ある意味、僕もそれに近い。
そうはいってもお互い合わない人はいるので、そんな人は自然淘汰された。

自ら出向いたのは経営者関係ばかりではなく、別の方面にも頻繁に顔を出した。
2010年、2011年はtwitterやfacebookなどのSNSが一気に伸びた時期。
そんなコミュニティやイベントがあると興味本位で顔を出した。

名大社の名刺を出すと結構、驚かれた。
「えっ、そんな立派な人かこんな会に来るの?」
そんな思われ方だった。

有難いことに会社の認知度はあったため、どこかの偉い社長さんと思われていた。
「いえいえ、ただのハナタレ社長です」
と真実を伝えても、
「いやいや、また謙遜して・・・」
と相手が勝手に勘違いしていた。
世間とのギャップに苦しむこともあったが、上手く利用すればいいことだった。

2010年度はわずかな赤字だったが、そこからは景気回復も伴い順調に業績を伸ばすことができた。
11年度以降は8年間は平均118%の売上成長率を維持。
過去の大きな落ち込みも乗り越えることができた。

それは僕自身の力はほとんどなく全員の力で成し遂げたこと。
グッドサイクルが回るとはそんな状況。
目の前の行動だけでは分からないが、後から冷静に判断するとそんなことがいえる。

僕はテキトーなようにみえて意外と厳しい。
規律やルールを重んじ、それを外すと許さない面もある。
今の時代にはそぐわないが、それが一定の緊張感を生み組織も上手く機能した。
緩い時は緩いが、基本は規律を大切にした。

2012年あたりからは賞与時期や年度末には一人1時間ほど個人面談も実施。
それくらいの規模感だからこそ可能だった。

その時期に前社長からの解任要求があり、以前の役員が会社に乗り込んできたが、
その頃は自分でも自信がつき始めていた。
何事もなく終えることができた。

会社も順調に伸びてきたので、2013年には久々に社員旅行に行った。
全員で2泊3日の沖縄。
海外旅行と比較すればショボいが、全員で楽しい時間を過ごすことができたのが嬉しかった。
それ以降、1年おきに九州(大分、福岡)、九州(宮崎、鹿児島)にも出掛けた。
その間は研修旅行として近江八幡や豊橋にも出掛けた。
それも僕の知り合いに学びを提供してもらう場。
出会いは人生の宝だね。

社長就任2年目からの忘年会は社員だけでなくブレーンや媒体者を招いて開催。
年々、規模も大きくなった。
賑やかな場を作り全員で盛り上げることもできた。

そんな機会が今は全くない。
それは寂しいことだけど。

続く・・・。

食べ物のはなし 伏見シリーズ その218

この日の前日は深酒でした。
コロナ以前の飲み会は当たり前のように2軒ほど梯子していましたが、
コロナになってからは1軒で帰るケースがほとんどです。

そもそも飲みにすら行けない期間が長かったので、
体力は相当落ちているでしょう。
つい調子よく飲んでしまうのと翌日がしんどかったりもします。

そんな日には何故か麺類が食べたくなります。
担々麺とか、唐辛子たっぷりの味噌煮込みうどんとか刺激に強い麺類に惹かれます。

会社を出て長者町方面に向かいます。
そこに構える「龍美」さんに行ってきました。

店構えはこの界隈によく存在する中華料理屋さん。
大陸系の雰囲気も感じさせます。

ランチメニューを眺めると「名古屋中華お得ランチ」と表示されています。
いつの頃か台湾ラーメンは名古屋飯となり、
れっきとした名古屋中華として売り出されています。
そういえばGW中にもあるTV番組でラーメン特集があり、
そこでモーレツに注文される台湾ラーメンが紹介されていました。

その記憶が頭の隅に残っていたのでしょう。
「すいません、台湾ラーメンと炒飯とセットで・・・」
「わかりましたー」
オーダーを取ると女性スタッフはそそくさと厨房に向かいます。

さてここのウリはなんだろうな・・・とメニューをパラパラめくっていると、
「お待たせしましたー」
あっという間にセットが運ばれてきました。
先週の吉野家さんよりも早いくらい。
牛丼よりは遅いが、親子丼よりは確実に早い提供じゃないでしょうか。

麺・飯セット 800円

台湾ラーメンも炒飯もシンプル。
先日、紹介されていた某有名店の台湾ラーメンは
かなり辛くニンニクも効いていますが、こちらはそうではありません。
マスクをしていれば匂いも気になりません。

炒飯もゴロッとした焼豚は入っているものの、あとは少々の玉子とネギ。
実にシンプルです。
最近はセット物のボリュームがキツくなってきましたが、
こちらはそこまでの量ではないので程よくお腹は満たされます。
セットとしては十分でしょう。

これも名古屋飯。
仕事がなければもっと刺激の強い台湾ラーメンを食べたいですね。

ごちそうさまでした。

満足度高くてよかった。名古屋ファミリービジネス研究会 記念セミナー

先週10日は名古屋ファミリービジネス研究会の記念セミナー。
おかげさまでこの研究会も6年目を迎えた。

スピーカーは株式会社オーダースーツSADAの佐田社長。
昨年もお招きしたのだが、大変好評だったので今回も協力いただくことに。

タイトルは前回同様「迷ったら茨の道を行け」
リアルとオンラインのハイブリットでの開催。
リアル参加は満員御礼。
会場となる名大社セミナールームは賑やかな雰囲気。

冒頭はいつものように僕がアイスブレイク的にFBネタをテキトーに喋る。
ネタにしたのは映画「ハウス・オブ・グッチ」。

ここは映画コラムニストの力も発揮したわけだが、
ジェノグラムを作成しグッチ家の崩壊について語った。
10分では足りないので、続きは第6回名古屋ファミリービジネス研究会で話をすることに。
ちょっとサギっぽい(笑)。

そして、メインの佐田社長の講演。
これが熱い。

当初1時間10分の講演後、質疑応答の予定だったが、その時間はなし。
佐田社長の熱のこもった話しぶりに圧倒され、気づいた時には終了10分前になっていた。

きっとオンラインの方も感じたはず。
時間にして1時間40分。
長さを感じることはなく、あっという間の時間。

自社の事業の発展のために自ら広告塔となり、
スーツで富士山に登ったり、フルマラソンを走ったり、スキージャンプをしたり・・・。
最初は冷たかったマスコミに取り上げられるようになり、
今では数多くの番組にも出演。

派手なパフォーマンスを発揮する佐田社長の背景には家業の苦労があるからこそ。
同族企業4代目経営者として家業を立て直し、ここまで辿り着いた。
父親との葛藤は身に染みる話。
何度聞いても参考になるし、後継者として忘れてはいけない内容。

思ったことは即行動に移さなければ後で後悔する。
誰もが分かっていながらできない。
それを佐田社長は実践し続けることで実績を上げてきた。
やっぱ、唸ってしまうね。

セミナーの閉会は事務局の株式会社サンコー櫻山社長。

第6回名古屋ファミリービジネス研究会をリピーターの方にも手伝ってもらい案内。
功を奏したのか、新しい方からすぐに申し込みも頂いた。

この会はこれでは終わらない。
定番の懇親会。
なんとリアル参加者のほとんどが出席。
懇親会目的じゃないかと思ってしまうほど(笑)。

ここでは佐田社長を囲み親睦を深めた。
質疑応答がなかった分、懇親会での話も尽きることはなかった。
みんな笑顔で会社や仕事ネタで酒を酌み交わす。
深刻になることはなく明るく楽しく辛い話もする。

その雰囲気がたまらなくいい。
最後は静かに名古屋ナモ締め。
主催者の一人としてとても喜ばしい場であった。

セミナーでは7月からスタートする第6回名古屋ファミリービジネス研究会の宣伝もさせてもらった。
すでに申込み済みの方も多いが、現在受講者を募集中。
興味のある方はぜひ、こちらのページを覗いてもらいたい。

佐田社長、参加頂いたみなさま、ありがとうございました。

名大社半生を振り返る その22

社長になるまでの一年間は以前にもブログに書いているので、かなり端折った。
2009年12月(対外的には2010年5月)に僕は社長に就任した。
副社長の期間は1ヶ月ちょっと。
経営者の準備をほとんどしないまま僕は社長になった。
そんな経験があったので、今度の高井との代表交代はかなり時間を設けたつもり。

右も左も分からないトップ。
それでも前に進むしか道はなかった。
2010年の正月はこれまでの正月とは一変。
会社のこれからばかりを考えていた。

まず行ったのはオフィスの移転。
2010年3月、設立以来ずっとオフィスを構えていた栄、中日ビルから丸の内へ移った。
家賃は1/3。
赤字が続く中、固定費をできるだけ下げなければならない。

都落ち感は拭えないが、新築のオフィスビル。
それも最上階。
メンバーのモチベーションはむしろ上がった。

オフィス移転を機にブログもスタート。
自分の想いを自ら発信しようと試みた。
最初はfc2のブログ機能を使った。
継続することを目的としていくつかのルールも設けた。
せっかくなので第1回目のブログをアップ。
「事務所移転。そして、ブログスタート!」

気がつけばこのブログも12年2か月。
書いた本数は2,900本強。
文字にしてざっと2,465,000文字。
いやあ~、結構、頑張ったね(笑)。

事業は大きくは変えられない。
リーマンショックの影響は大きく、事業を成長させるには時間が掛かる。
まずは組織の安定化。
これは体制が変わり、残るべくして残ったメンバーばかり。
一体感は増した。

そして、僕は積極的に外に出た。
可能な限り人に会いに行った。
以前、このシリーズで登場した怪しい名簿屋さんがちゃんとした企業に変わっていたので、
各地域の同業他社と接点を持つことができた。

社外取締役を務める株式会社パフともこの時に出会った。
(毎日やり取りする釘崎会長ね・・・)。
今、会長を任されるFネット(ふるさと就職応援ネットワーク)も2010年5月に加盟。

新卒ナビのサーバーがダウンしたり、朝日新聞から代理店契約解除の打診があったり、
大変なことは続いたが、深刻になることはなかった。
元来、楽天的な性格かもしれない。
なんとかなるだろうと思っていた。

苦労はあったが、結果的になんかとなった。
その年に立ち上げた障がい者採用向けのイベントは5年で撤退したが、
各媒体社の信頼回復には大きく貢献してくれた。

新たな試みを行った。
思い切って新卒ナビの標準プランをFREE(無料化)したり、
パートナーと一緒に内定塾を開講したり・・・。
流行りに乗った感はあるが、チャレンジすることに抵抗はなかった。

経営者が集まる団体にも自ら参加した。
こういう団体は誘われてやむを得ず入会するパターンが多いが、自ら出向いた。
ロータリークラブ(前社長から勧められたこともあるが)、
出身大学の経営者の会、ユニー創業者の経営塾、商工会議所系経営塾など、
社長就任後2~3年は時間を許す限り関係性を作った。

訳が分からず入ったものの、10年経つと会長、副会長、
副事務局長、幹事、委員長など任されるようになった。
幸か不幸か、あちこちから責任が舞い込んできた。
しかし、それは僕には大きな財産。

こうした活動を通し人間関係が広がり、雲の上のような存在と対等に話して頂ける場もできた。
続く・・・。

映画「死刑にいたる病」

本作のキーワードは「死刑」でもなく「病」でもなく「いたる」。
そんなふうに僕は感じた。

この映画がもたらそうとしたものは何なのか。
映画を観ながらも、映画を観終わっても、僕は回答できない。
映画に登場する人物同様、阿部サダヲに振り回されただけだ。
一体、どうしたいのか・・・。
それがまさに「いたる」だと思う。

僕はこれまでの白石作品をイメージさせながら観ていたが、明らかにジャンルは異なる。
目を覆いたくなるようなハードなシーンは彼の特徴でもあると思うが、
人物の描き方はこれまで以上に深刻というか異次元の世界。

今、僕の中で白石監督は日本映画で最も注目している監督。
かなりの作品を観ている。
明るく幸せな映画は皆無で、人の闇へ誘う作品が多い。

ちょっと病んだ人間が更に病み、傷ついた人間が更に傷つき、
どうしようもなく堕ちていくケースが多い。
その中でかすかな希望が見え隠れしたり・・・。

そんな作品ばかり。
映画を観てハッピーになりたい人は避けた方がいい監督の一人。
僕はどちらかといえば、そちら側に人間だが、
不思議と白石監督には惹かれ、本作も公開2日目に観てしまった。

どうやら闇に共感する一面が体内に潜んでいるのかも・・・。
しかし、そこを超えてしまったのが本作。
人として全うな面は見事にかき消されてしまった。

それは悪人が救いようのない極悪非道の悪人ということではない。
人を魅了し、なぜか好意を抱かせてしまう魅力を持つ悪人。
それも完璧に相手をコントロールし、
ギリギリになるまでそれが分かることはない。
分からないまま過ごしてしまう人物も多い。
それは獄中であっても、これまでの生活圏でも・・・。

死刑囚榛村大を演じる阿部サダヲはその役柄を完璧にこなす。
死んだような目つき、善人の塊のような笑顔など恐ろしいくらい。
彼が見事に演じることで極上のサイコパス作品が出来上がるのだろう。

それに付き合うのは心も体も疲れてしまう。
かなり観る者を選ぶ映画になるんじゃないかな。

これから白石監督はどこへ向かっていくのだろう。
益々、目が離せなくなってしまった。
きっとオファーは尽きないだろうから、今後も注目したい。

未鑑賞の「彼女がその名を知らない鳥たち」をまず観ないと。
そうか、これも阿部サダヲ。
この2人が組むとかなりヤバいかもね。

映画「カモン カモン」

映画を観ながら、ずっと思っていた。
僕は父親として子供のことを理解していたのかと。
子供の素直な気持ちを聞いたり、受け止めたりしていたのかと。

そもそも子育ても嫁さん任せで大したことはやってこなかった。
自分の価値観は押し付けたかもしれないが、
子供の価値観を理解していたのだろうか。
つくづく父親としては何もできていないな、
そんなことを映画を観ながらも、終わってからも感じていた。

本作は父親と息子の関係を描いた映画ではない。
ホアキン・フェニックスが演じるジョニーが
甥っ子であるジェシーを数日間、面倒をみて共同生活するというストーリー。
特に波乱に満ちた場面があるわけでもなく、
衝撃的な展開が待っているわけでもない。

移動を伴う仕事をするジョニーがアメリカの街を転々としながら、
ジェシーと関係性を築いていくだけの話。
ただそれが簡単でない。

当たり前だ。
9歳のジェシーは小さな子供。
親と離れた生活をそれほど深い関係でない伯父さんとするわけだから、
子供ながらの自分勝手な行動や感情が溢れ出る。
好奇心旺盛で聞き分けがいい時はいいが、そうでない時は面倒でしかない。

正論をかざしたとことで理解できる能力はまだ備わっていない。
その割にはませていて、一人前のことを喋ったりもする。
大人に対しての一定の理解を示す。
お互いの会話は本質を突き哲学的。
ハッとさせられ、冒頭に書いたように自分自身の未熟さを痛感する。

ジョニーの仕事はラジオインタビュアーなので、多くの人を取材する。
その大半が10代の子供。
置かれている環境は異なり、人種も含め多様。
その中で自分自身を表現している。
どの子供も真っ当な話をする。
子供らしさを感じれば、大人への不信感、将来への期待や不安も表現する。

それがジェシーの言動とシンクロし、観る者に余計な考えを生ませることになる。
まんまと僕は乗っちゃったわけね・・・。
うむ、辛い。

優しくするだけでもダメ、厳しくするだけでもダメ、
どう真剣に向き合うことができるか。
それは海外であろうと国内であろうと同じ。
万国共通で子供は子供で自分を認めて欲しい、愛して欲しいと思っている。

今頃、気づくようでは失格。
なんだかダメージを受けた映画になってしまった。

ホアキン・フェニックスはご存知ジョーカー。
本作では腹の出たオッサン。
同じ人物には思えない。

そして9歳のジェシー役のウッディ・ノーマン。
いやいや、天才子役だね。
とても演技しているとは思えない。

映画の中で時折話される、カモン、カモン。
そんな意味なんだ。
しかと受け止めねば・・・。

20年前に上映して欲しかった。
うむ。