今年は映画を観てブログを書くだけでなく、映画の歴史を学ぶ年にしたい。
それが僕自身の研究テーマかな・・・。
一体、どこに向かおうとしているのか(笑)。
そのために購入した「キネマ旬報95回全史1924~2021」。
キネマ旬報がベストテンを発表した95年を記録した書籍。
なんと872ページもあり、この分厚さ。
まるで辞書。
持ち歩くのは無理なので、時間の許す限り自宅で読みながら映画史を探っていく。
調べてみるとキネマ旬報社は今年で創立100年。
映画だけを題材にここまで生き残ってきた出版社。
業界全体をみれば決して安泰ではないはず。
その中で毎年毎年同じことを続ける力は尊敬するばかり。
読者の一人として、存在価値を世に放つお手伝いができれば・・・。
そんなことを考えてしまう。
実際、壮大な想いはないが、自分なりに学びをアップしていきたい。
一度にまとめるのは到底無理。
何度かに分けて書いていく。
そのために今回はパート1。
初回はベストテンがスタートした1924年から1949年まで。
それ以降は50年代、60年代、70年代、80年代と10年刻みで紹介する予定。
当然、今も読んでる途中。
定期的にアップできるかは不明だが、
自分のために書いているので、特に問題はない。
1924年から1942年までは記録も残っていないのか、解説はなくベストテンの紹介のみ。
最初の2年は外国映画のみで日本映画のランキングはなし。
外国映画は芸術性と娯楽性に分けられ、それぞれベストテンが挙げられる。
いわゆる「バビロン」の時代で無声映画。
写真でも「バビロン」的な華やかさが伝わってくる。
ほとんど知らない作品で、あとはタイトルを知るのみ。
観たことがあるのはチャップリンの作品くらい。
日本映画がスタートした1926年には阿部豊、衣笠貞之助、溝口健二と通好みの監督がランクイン。
このあたりの作品にも興味はあるが、死ぬほど暇じゃない限り観る機会はない。
あくまでも優先順位として・・・。
1941年、1942年は日本映画のみで海外作品はなし。
戦争を煽る作品が目立つ。
日本中がそんな状況なわけね。
戦時中は一旦休み。
雑誌の発行もなかったのかな?
1946年に復活し、この年はベスト5のみ。
映画を楽しむ余裕がないことを窺うことができる。
1947年以降は徐々に活況になる様子が作品からも理解できる。
海外でも評価の高い小津安二郎や黒澤明、木下恵介監督あたりが精力的に活動。
外国映画もヒッチコックを始め名前を知る監督も・・・。
「大いなる幻影」は学生時代に観たが、忘れてしまったな。
こんな感じでダラダラと書いていくつもり。
続く・・・。
昨日は名古屋シティマラソン。
今年も会社のPRも兼ねて懲りずに参加。
昨年は制限下ので大会だったが、今年はコロナ前と同じ大会に戻った。
フル、ハーフ、10kmの大会が行われ、応援の制限もなく盛り上がる。
地下鉄からの会場に向かうランナーも色とりどり。
到着時には既にウィメンズマラソンのランナーが並び始めていた。
その名古屋ウィメンズマラソンでは愛知県出身の鈴木亜由子選手が日本勢最高の2位。
おめでとうございます!。
彼女は名古屋大学出身の才女でもある。
文武両道ですね・・・。
この勢いでパリ五輪も目指してもらいたい。
僕は昨年過去最低の記録で終わり、フラフラで終了後もしんどかった。
フラフラ、ヘトヘト 3年ぶりの名古屋シティマラソン
今回も気温上昇で4月中旬の暑さ。
同じ過ちを繰り返してはならない。
今年は無理はしない。
一定ペースで走ることを決めてスタートラインに立った。
大会MCは今年も一緒にラジオ番組をやっていた山口千景さん。
すっかり定番になったみたい。
そしていつものように河村市長の挨拶。
周りのことを気にせず自分勝手に話す姿もいつもどおり(笑)。
10:20にスタート。
僕が決めたのはキロ5分50秒で走ること。
このペースなら21キロを走り切れるであろうと。
どこかの誰かから克明なる記録報告をせよとの指示があったので、
恥ずかしいタイムだがスプリットを公開しよう。
多少の前後はあるが、ほぼ予定通り5分50秒で走り切ることができた。
ラストでスパートをかけようと思ったが、そこまで余裕はなかった。
手元のタイムでは2時間3分28秒。
2時間切りはできない体になったが、昨年よりも7分短縮。
今シーズン初めて大会ではよしとするかな。
月末の穂の国・豊橋ハーフマラソンはもう少しタイムを伸ばしたい。
今年は珍しく誰とも約束をしなかったため、
終了後は一人でとぼとぼ名駅まで歩き、途中で乾杯。
疲労が残っているせいか、中ジョッキ2杯のみ。
ラーメンまで辿りつかず。
夜は家飲みで・・・。
今週はとかくいろんな予定があり、あまり練習できない週だが、
月末に向けて体調を整えていきたい。
まずはお疲れ様でした。
映画は渡辺哲で始まり、渡辺哲で終わる。
彼で思い出されるのは、ドラマ「ハゲタカ」。
(またか・・・)
銀行から借りた200万円を返済することができず、自ら命を絶った町工場経営者。
主役鷲津政彦の人生を変えた重要人物。
鷲津にビールを渡す時の屈託のない笑顔は人間らしさがにじみ出ていた。
人間らしさが出ていたといえば本作もそう。
希望を失くした老人が「茶飲友達」を作ることで、明日への活力が芽生える。
ラストシーンはなんともせつない。
人の幸せは一体何なのか。
その行為は本当に許されないことなのか。
そんなことを考えると苦しくなってしまった。
本作は高齢者売春クラブを描いた人間ドラマ。
2013年に摘発された事件を元に制作されたという。
日本では違法行為であるのは間違いない。
表面的に捉えれば老人を相手に巧みに売春組織を作る女性経営者の物語だが、単純ではない。
老人の性がテーマだが、そこは奥深い。
奥さんに先立たれた老人や一人暮らしの老人が寂しさを埋めるために出会いを求める。
至極真っ当な話に思える。
勇気ある老人ならゲートボールでもラジオ体操でも老人ホームでも積極的な行動に出るだろう。
果たしてそれは間違った行動か。
僕らは自分勝手に正しい年寄り像を作っているにすぎない。
それに協力する女性も同様。
その仕事が励みとなり、若返る。
少なくとも映画の中の高齢女性は輝いていた。
主役マナが唱えるこれから必要な新しい世界。
都合のいい論理であるが、生きがいの提供であったのも否定しない。
冒頭の渡辺哲の表情が全て。
本作はいずれ老人となる身として自分事と捉えた。
仮に奥さんに先立たれ、子供も縁遠くなったら、僕は一人でどうするだろう。
茶飲友達に頼らざるを得ない場面があるかもしれない。
恐ろしくはあるが、可能性がないわけではない。
最後の最後は孤独は耐えられないかも・・・。
主役マナを演じるのは岡本玲。
いろんなところで目にする女優だが、しっかり観たのは初めて。
綺麗だけではない。
せつなさも優しさも、そして裏がありそうでなさそうな笑顔。
上手く演じている。
自分の理想を作り上げようともがく姿も。
映画を観て、ハッピーになるのは難しい。
しかし、ハッピーになるためにどう生きるか、
家族はどうあるべきか、考えさせてくれる。
今月中で休館となる名演小劇場で最後に観ることができてよかった。
劇場にも作品にも感謝!
ありがとうございました。
本書は、
「生産性とは、罠なのだ」
「人類の歴史上、いわゆる「ワークライフバランス」を実現した人なんか誰もいない」
と正しいと思われてきたことの完全否定からスタートする。
時間の効率化を最優先に進めてきた者にはいきなりハンマーで殴られた感じ。
それは僕も同じかもしれない。
いつもボーっとしていると思われがちだが、僕は結構、時間にうるさい。
ヒマでよだれを垂らしながらも、効率を常に求めていたりする。
エスカレーターでじっと立っているのも我慢できない。
その時間が勿体なく右側を歩く。
そんな行為こそが正しいと思っていた。
しかし、それは完全な独りよがり。
名古屋市は条例でエスカレーターは立ち止まって利用することを義務付ける。
事故防止が目的だが、それも時代の流れ。
車の運転でも家人によく叱られる。
スピードを出し過ぎだと・・・。
少しでも早く到達したい気持ちがこれまでは強かった。
だが、僕自身も少しずつ変わってきていると感じる。
5年前なら本書の内容を受け入れることはできなかった。
それが今は概ね理解できるようになった。
今でも生き急ぐ面はなくはないが、時間に対しては穏やかになってきた。
歳を取ったせいもあるが、立場がそうさせたともいえる。
いくらもがいたところで自分の思うようにいかないことがほとんど。
本書はこれまで抱えていた価値観に対して、グイグイと迫る。
それは脅迫ではなく寛容が迫ってくるイメージ。
僕と同じ感覚に包まれているビジネスマンは多いんじゃないかな。
仕事だけでなく休みも充実させなきゃと貧乏性の僕は自分に言い聞かせてきた。
いかに無駄な時間を作らないか・・・。
しかし、著者は180度異なることをいう。
余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄に過ごさない唯一の方法。
何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。
将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。
そんなことを強調している。
頭では理解出来ても、体がついていかない面はあるが、徐々にそうしていくのも間違いではない。
自分の中では、これまで結構なスピードで走ってきたので、
(えっ、全然、遅い?)
そんな時間もいいのかなと思ってしまう。
自分を許してあげることも必要かもね。
本書を読むことで時間に対する考え方が徐々に変化するが分かってきた。
まだ古い価値観に囚われる自分はいるんだけど・・・。
伏見シリーズを維持するのも簡単ではなくなってきました。
紹介するお店が思い浮かばないのです。
伏見に飲食店が多数存在しても、シリーズが240を超えると新しいお店は早々にありません。
常に新規開拓を求められます。
このブログを維持するために、健気に新しいお店を発掘し続ける姿勢…。
もっと評価されてもいいと思いませんか?
誰かから頼まれているわけではないので、そんなこと誰も思わないですね。
大変失礼しました。
ここで諦めるのはまだ早いです。
人気ブロガーはかつて新規開拓で鍛え抜いた敏腕営業。
いまでも通用するところをお見せしましょう。
この日は住吉界隈に目を光らせていました。
飛び込んできたのがこんな看板。
「お~、いいじゃないか」
ランチもお値打ちに提供しています。
店名を見るとプレイガールと書かれています。
「プレイガール?何のお店?」
雑居ビルにお店を構え、プレートも怪しげです。
700円と表示してありますが、
バニーガールが登場して7000円を請求されないか心配になってきます。
一般人ならここで退散するでしょう。
しかし、ここはかつての敏腕営業。
逃げることはしません。
勇気も持ってお店に向かいました。
店内に入ると威勢よく
「いらっしゃい!」という掛け声。
常連客らしき方で店内も賑わっています。
夜はスナックでしょうか?
そんな雰囲気が漂います。
「お兄さん、ごめんね。イカフライが切れちゃって、トンカツになるけど大丈夫?」
「全然大丈夫ですよ」
「ご飯もお替りしてくださいね~」
アットホームが会話が繰り広げられます。
本日のランチ 700円
しっかりとしたおかず。
アップにしてみましょう。
煮物もおでんも玉子焼きも家庭的な味わいで落ち着きます。
ランチのおかずと店名にギャップを感じます。
働いているのは全て女性。
それも全員が70歳以上に思えます。
「う~ん、そうか、わかったぞ・・・」
自分勝手に納得しました。
想像するにこちらのお店のオープンは昭和50年代。
当時、この女性たちはプレイガール・・・。
それならギャップを感じることはありません。
もう50年近くお店も営業されているんですね。
あくまでも想像ですが・・・。
玉子焼きは定番のようです。
いい経験をさせていただきました。
伏見シリーズもまだまだですね。
ごちそうさまでした。
今でもその映像を鮮明に記憶している。
2001 年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。
誰しも同じ感想だと思うが、映画のワンシーンだと錯覚。
ビルに突っ込む旅客機と崩れ落ちるビル。
そして逃げ惑う人、人、人。
リアルな世界で起きた事実を受け止めるには時間を要した。
中東で起きる戦闘や事件はどうしても他人事と捉えがち。
ビジネスで見たことのある風景が目の前に迫ると急に現実的になる。
人間は自分勝手。
自分のいいようにしか解釈しない。
同時進行の事実が映画化される。
少し前まではそんなことはなかった。
実話を描いても僕の認識が遥か遠い作品がほとんど。
昔を描く作品だった。
今の20歳からすれば本作も同様だが、今や自分が見たこと、聞いたことが映画化される。
現実がより迫ってくる。
そして僕らはその現実が一部分でしかないこを後で思い知らされる。
この事件では7000名の方が被害者。
それぞれに背景があり、何事にも代えがたい辛い事実。
僕らは知る由もない。
本作のテーマである補償基金プログラムもそう。
実態に目を向けることはない。
映画はそれを教えてくれる。
個々の補償額の違いを主観的に受け入れるのは難しい。
客観的な視点で算出方法を導き出し、値段をつける。
仕事としては間違いではない。
倫理的に捉えればそうなるのはやむを得ない。
しかし・・・。
映画は特別管理人を任された弁護士を通して、人間の価値を探っていく。
将来有望と勝手に高く算出された人もパートタイマーで低く見積もられた人も同じ人間。
差をつけることがどうしてできようか。
家族を養わなきゃいけない人、
これからパートナーと新たな生活を始める人にどう向き合うか。
特別管財人は逃げることはできない。
ここに存在するのは全て被害者。
辛さ以外に何もない。
希望を見出すとすれば、人の尊厳、価値を明確にすることだけ。
事実は悲劇を生み出すが、逃げ出さないことで悲劇は最小限に収まる。
そんなことかもしれない。
主役ファインバーグ弁護士を演じるのはマイケルキートン。
「バットマン」も「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」も張りがあり溌溂していた。
本作はとても疲れている。
もう70歳過ぎだし仕方ない。
むしろ役を完璧にこなしている証。
その表情がこの事件の悲惨さを物語ってた。
仮に自分がこの立場だとしたら、この仕事はやりたくない。
しかし、彼はこの後もそんな仕事ばかり引き受ける。
自分の使命かのように。
きっとこんな仕事ない方がいいと願いながら・・・。
それは僕の想像に過ぎないけどね。
映画評論仲間との課題作でした。
「ゆどう」をPCで入力しても「湯道」とは変換されない。
華道、茶道とは明らかに異なる。
しかし、映画の中では湯の道は存在し、確固たる考えがある。
その考えも時代と共にも変化していくが・・・。
とマジメに語ること自体、あまり意味がない。
むしろ変換されない「湯道」がいずれ変換されるよう定着し安心材料になればいいこと。
近い将来じゃないのかな。
そうなると原作者小山薫堂氏も力を入れた甲斐もあるわけね。
僕は風呂好きだが、そこまででもない。
温泉も人並み。
サウナーでもない。
銭湯へは昨年4月にぎふ清流マラソン後に行ったくらい。
スーパー銭湯は行っても街の銭湯は行く機会もない。
本作は当初、僕の映画鑑賞リストには入っていなかった。
しかし、本作をモーレツに勧める経営者仲間がいて、文庫本とチラシと特製手拭いをくれた。
津市にあるおぼろタオルさんね。
ここのタオルは本当にいい。
ぜひ、使ってもらいたい。
それはさておきそこまでプッシュされて観ないわけにはいかない。
人のおススメは素直に従った方がいい。
とても心温まる映画。
きっとキネマ旬報の年間ベストテンには入らない。
興行収入もそこそこだろう。
超優秀作でもなければ超話題作でもない。
それでもこんな作品が日本映画には必要。
いつ時代にもその時々に大切な作品がある。
「湯道」がまさにそう。
物語は単純。
亡き父親が遺した銭湯を畳むか営業を続けるか、そんな話。
そこに銭湯に通う多くのお客さんが絡み合う。
お客さんにも小さなドラマがあり、銭湯の存在がカギとなる。
その中でもお風呂で歌う「上を向いて歩こう」には、ついホロっときてしまった。
いいね、あんな感じの人間ドラマも・・・。
銭湯を舞台にしているだけ裸のシーンが多い。
さすがに女優陣のシーンはないが、男優陣はまあまあ露出される。
総じて美しい。
見事な体格をしている。
主役である生田斗真や濱田岳は想像できるが、厚切りジェイソンがあんな筋肉質とは・・・。
どうでもいいところで感動してしまった。
本作を観るとなぜか銭湯に行きたくなる。
ビール派の僕でもコーヒー牛乳が飲みたくなる。
たまには人の温かさを描くほのぼのとした映画もいい。
おススメ、ありがとうございました。
池井戸作品の映画化はほとんど観ている。
これまでは半沢直樹的よりも社会性の強い作品が多かったので興味をそそられた。
ドラマ半沢直樹も欠かさず観ていたが、映画までは・・・というのが正直な想い。
そんな意味では娯楽性の高い本作は迷っていた。
しかし、映画評論仲間の推しもあり、映画館に足を運んだ。
やはり人気があるのか、結構混んでいた。
予告編も上手く作ってあったし、
阿部サダヲは宣伝も達者なので、
いい効果が表れていると思う。
本作もロングランになるのか・・・。
ひと言でいえば阿部サダヲは阿部サダヲ。
キムタクはどんな作品でもキムタクだと言われるが、阿部サダヲも同じ。
どんな役柄でも彼の軽快な魅力が発揮される。
キムタクと違う点はその役柄の人格が阿部サダヲになる。
この意味、通じるかな?(笑)。
セリフではセリフではなく、彼の発する言葉。
そんなふうに感じてしまう。
映画の舞台は池井戸作品のド定番の銀行。
必ず悪役が登場する。
それを倒す正義が現れる。
それもド定番。
誰が正義で誰が悪役かは映画を観てもらえば分かるので割愛。
大体、想像はつくかな・・・。
映画を観ながら思ったこと。
未だに銀行の職場環境はあんな昭和チックなんだろうか。
営業会議での詰め方もその対処法も旧態依然。
実際、今もこんな感じなら銀行はかなり古い体質。
失礼な言い方になるが、今も古い体質だとは思う。
ただ未だにこれはないだろうと思ってしまう。
就活生が見たら、銀行を志望するのは止める。
イメージは悪い。
杉本哲太扮する副支店長なんて最悪な存在。
ああいった人が出世する時代はとうに終わったと思うけどね(笑)。
当たり前のように使用するATMがあんな仕組みとは知らなかった。
それはいい勉強。
肝心な映画だが、誰もが楽しめるような作品に仕上げている。
それをどう評価するか。
大喜びする人もいるだろうし、
その展開に疑問を感じる人もいる。
要は観る人次第。
それでいい。
描かれる人についても同じ。
些細な気の迷いを認める人もいれば、許せない人もいる。
倫理観もまちまち。
結局、どう自分に向き合えるかが重要。
何があっても職場である銀行にしがみつく時代は終わったと思う。
銀行に限らず全ての業界、企業にいえること。
自分を失くしてまで、そこで働く意味はない。
少しズレるがキャリアの授業にもマッチするかもね。
タイトルでもある「シャイロックの子供たち」。
映画を観る前までサッパリだったが、なるほど、そういうことね。
いい気づきを頂きました。
3月は僕にとってマラソンのピーク。
12日は名古屋シティマラソン、
26日には穂の国豊橋マラソンに参加する。
いずれもハーフ。
ガチンコランナーからすれば屁みたいなもんだが、
僕の場合はそれなりの覚悟がいる。
普段、ランニングする中でも20kmを走ることはない。
基本、休日は10km。
大会前でもせいぜい15km程度。
そのためハーフの大会はゴール前でフラフラ状態。
常日頃から長距離を走り込んでおけば、
もしくは元々身体能力が高ければ問題ないが、その類でない。
地道なランニング生活を送るしかない。
自分の実力を理解し、それでも継続することが大切。
3月の2度の大会参加を考えれば、2月はしっかりと走り込んでおきたい。
実際はどうだったのか。
2月のランニング距離は113km。
おかげさまで目標達成!
パチパチ!
目標達成は簡単そうに思われるかもしれないが、意外と難しい。
2月は28日しかない。
他の月と比べれば2~3日少ない。
意外とこれがジワジワと影響する。
特に2月は天候の問題だったり、
バタバタしていたりと思うようなランニングはできなかった。
結果、目標達成の日付はギリギリ。
月末の3日間で25km走った。
そんな2月だが、気持ちよいランニングもできた。
2ヶ月連続で皇居RUN。
最近は飯田橋に泊まることが多いので、九段下から南に下るが今回は逆。
東銀座に泊まったので北上し、グルリと一周。
静かな銀座を抜け、有楽町を通る。
そして皇居前の大通りに入る。
外出も増えた理由もあるかもしれないが、ランナーは結構多い。
東京駅を眺めるとちょうど日が昇るタイミング。
これもラッキーだね。
こんな爽やかな経験も、走っているからこそ。
そんな時間が大事なんだ・・・。
ちょこまかちょこまか走っていたが、思うように距離は伸ばせなかった。
来週末の名古屋シティマラソンはちょっと心配。
昨年はボロボロだったし・・・。
今シーズンからはタイムは気にせず、気持ちよく走ることを大切にしたい。
今はそんな想い。
実際、スタートすると180度気持ちは変わるかもしれないが・・・。
まずは名古屋シティマラソンを楽しみながら走りたいね。
たまには所属する団体のこともご案内しよう。
今、僕は一般社団法人日本ファミリービジネスアドバイザー協会(FBAA)に所属。
不思議なことに昨年秋から執行役員も務めている。
ファミリービジネスアドバイザーの資格は2014年に取得し、
名古屋ファミリービジネス研究会をはじめ、このブログでも活動を紹介している。
今年6月から開講する第7回名古屋ファミリービジネス研究会は改めてご案内するが、
今日はこの協会と基礎講座についてお知らせしたい。
FBAAはファミリービジネスの永続的発展を支援する
ファミリービジネスアドバイザーの養成と交流を目指す日本で初めての協会。
HPのコピーをそのまま引用させてもらった。
それが一番間違いない(笑)。
毎年、アドバイザー養成の基礎講座を開講し、
先月2月には11期の認定講座の修了式が行われた。
僕の仲間も受講し無事に修了。
これから一緒に何かやっていくかもね。
そうそう、第1期上級講座の修了式も同時でした。
現在、4月から開講される第12期基礎講座の受講生を募集。
詳細はこちら。
僕のような非同族経営者は珍しく、多くは同族企業経営者や後継者、
それに関わる士業(弁護士、税理士など)やコンサルタントが中心。
ファミリービジネスで重要なことを学び、
自社の経営やクライアントにサポートに活かしてもらおうというもの。
僕自身の立場は少し異なるが、
学んだことや培った経験が今の自分を構成する要素になったのは間違いない。
基礎講座は半年間のプログラム。
リアルとオンラインをフル活用し、座学とディスカッションを織り交ぜながら徹底的に学ぶ。
しんどいレポートもある。
これが今後に役立つというわけだ。
FBAAの活動の一環として定期的にセミナーも開催。
2月22日には昨年、名古屋ファミリービジネス研究会でも招いた株式会社エスワイフード(世界の山ちゃん)の山本代表が登壇。
評判はすこぶるよかった。
同日の午後にはFBAA西川理事長が名古屋で講演もされたり・・・。
まだまだ東海地区の資格取得者は少ないが、少しずつ活動の輪を広げている。
少しでも興味のある方は3月8日、20日に相談会も開催されるので参加してもらいたい。
こちらがその詳細。
もちろん僕に聞いてもらってもいい。
まずは12期基礎講座のご案内。
どうぞよろしくお願いします。