今年初めて観た日本映画。
かなり遅い。
このペースでは「私の中の2022年日本映画ベストテン」をアップすることができない。
ちょっと急がなきゃ・・・。
「私の中の2021年日本映画ベストテン」はなかなかいい出来だった(笑)。
本作がドラマ作品だったことは映画を観終えた後、初めて知った。
ちと情報入手が遅い・・・。
そして、保護司が無給であることも初めて知った。
ちと知識が足りない・・・。
保護司というのは犯罪を犯した人の立ち直りを地域の中で支える民間ボランティア。
非常勤の国家公務員。
想像するに癖の強い人もいるだろうからかなりキツイ仕事。
使命感がないとできない。
有村架純演じる保護司阿川佳代はコンビニのバイトでお金を稼ぐ。
それも保護司の仕事を最大限優先しながら。
この仕事をこなすには周りのサポートがないとまずできない。
佳代にひたむきな仕事ぶりに周りは最大限協力するが、
なぜそこまでひたむきなのかは誰も知らない。
映画を追いながら解き明かされていく。
それぞれ辛い人生を背負っているとしか言いようがない。
佳代の相手役となる森田剛演じる工藤誠も辛い人生を背負っている。
僕はなぜか昨年観た「護られなかった者たちへ」を思い出してしまった。
シチュエーションは異なるが人の描き方が似ているような気がして・・・。
本作も含め家庭環境を描く作品は多い。
そんな作品を観るといつも思うことがある。
親も子も育てる環境がいかに大事であるかと。
本作のように母親が父親に殺されるケースはレアだが、
虐待とかいじめとか貧困とか育つ環境が与える影響は大きい。
育てられる側のその後の人生を左右する。
それゆえ親の責任は重い。
映画というよりは頻繁に起きる巷の事件で親の無責任さを痛烈に感じるが、
どこまでいってもなくなることはない。
そして不幸は連鎖する。
少なくない確率において断ち切ることができない。
それをなんとか更生させようとするのが保護司。
僕は自分の周りは何とかできても、赤の他人を何とかする自信はない。
それに立ち向かう、いや、寄り添う佳代には感動を覚える。
有村架純だから尚更感動を覚える。
彼女がいいのは真面目で真っすぐだが、情に流される。
真正面からぶつかるが、結構弱い。
その人間らしさに共感する。
誰しも決して強くはない。
犯罪を犯す者も人としては弱くて脆い。
もっと手を差し伸べるべきだろうが、僕らは前科者というレッテルで人を判断する。
なんだろう。
本作は虐待する親も、レッテルを貼り差別する人も観るべき。
「は~い、わたしで~す!」
と手を挙げる人はいないが、少しでも見方が変わればいい。
重いが重すぎないのが本作の魅力。
明日への希望も見出せる。
有村架純が醸し出す雰囲気もあるんだろうね。
僕は鑑賞後、無性に牛丼が食べたくなり、吉野家に行ってしまった。
分かる人には分かるかな。
どこかの大統領が絶賛していたので、それに乗じて観ることにした作品。
その絶賛は間違いではなく確かなもの。
なんだか途中からずっと気持ちを持っていかれたような映画だった。
ただ歌っているシーンなのにグッとくるのは何故か?
歌声の素晴らしさもあるとは思うがそれだけではない。
いい曲を聴く機会はいくらでもある。
しかし、それで涙が出ることはない。
その背景や表情が気持ちを高ぶらせ、僕はウルウルしてしまったのか。
自分でも理由は不明だが、体が勝手に反応したとしたいいようがない。
ここまでの内容だとミュージカル映画と誤解する人もいるがまるで違う。
家族の中で唯一健常者の家庭を描いたホームドラマ。
主人公である女子高生ルビー以外、家族はろうあ者。
ルビーは家の中では手話で会話。
外では家族の通訳も務める。
それがコンプレックスにもなり、自分に自信が持てない。
家の中で歌の練習をしようが誰も分からない。
上手いかどうかも家族は判断できず、本人も理解する術がない。
友達には恥ずかしくて聴かせられない。
音楽教師と出会い、ルビーは才能を見出されるが家族は信じようとしない。
それは不思議でもなんでもなく、家族にとっては普通のこと。
そんな流れで物語は進む。
いつもは一切ストーリーを明かさないブログだが、
今回はある程度ネタバレさせないと映画の魅力が伝わらない。
まだまだ能力不足なのかな・・・。
そんなルビーの葛藤する姿がとてつもなく愛らしい。
夢を追いたい気持ち、
夢を諦めざるを得ない気持ち、
周りに翻弄されながらもがく彼女に僕は手を指し伸ばしたくなる。
「大丈夫だ!。行け!」
と声を掛けたくなる。
そんな映画。
貧乏でハンディを背負う一家だがそこに悲壮感はない。
手話では抜群に饒舌で、幸せな家族像を描いている。
しかし、娘が生まれた時の母親の気持ちは本音なんだろう。
僕はてっきり反対のことを言うと思ったが、それはむしろ演出感ありすぎ。
自然に正直に向き合う姿がとても暖かく、一つの歌が感動を生む。
家族は聞こえなくたって、全て理解できるのだ。
あんな音のない世界で感動したのは初めてかもしれない。
誰かみたいに絶賛状態になってしまったが、たまには心温まる映画もいい。
いかん、今年は海外映画ばかりだ。
邦画ファンの映画コラムニストなのに・・・。
寒い日は続きます。
ランチでもコートを羽織って外に出たくなるのは年齢のせいでしょうか?
それをカバーするには体が熱くなる食事をするべきでしょう。
頭に浮かぶのは辛いもの。
想像しただけで体が火照ります。
では、いざ出陣!
会社から北に向かい錦通沿いにある円山日生ビル。
地下1階の「中国菜館 桃の花」さんに行ってきました。
こちらのHPを確認するとなかなか面白いです。
大学教授の武田邦彦氏や元プロ野球選手の山崎武司氏のコースがあるのです。
機会があればそれも食してみたいですね。
今回は正統派ランチ。
それも体が熱くなる食事をしなきゃいけません。
メニューを眺めます。
ここは一点突破。
迷う必要はありません。
「すいません。麻婆豆腐定食をお願いします。」
メニューには人気No.1と表記しています。
これは期待できるでしょう。
「おまちどうさまでした。ご飯はお替りできるので、このボタンを押してください。」
「は~い」
(いえいえ、そんな必要はありません。そんなには食べないよ・・・)
心の中で呟きます。
麻婆豆腐定食 850円
この見た目、いかにも辛そうです。
アップにして、その色合いから想像も難しくはないでしょう。
豆板醬、ラー油、花椒、山椒などピリッとくる調味料が喉を衝いてきます。
グーンと食欲も増してきました。
「よしっ、行くぞ!」
気合いを入れて食べ始めます。
次第に汗が流れ始めます。
それもうっすらではなく、ボトボトと汗が落ちる感じで。
「いいぞ、いいぞ、この感じ。オレはこの辛さを求めていたんだ。」
レンゲで麻婆豆腐を掬い、箸でご飯を頂く高度なテクニックを駆使しながら、
グワシグワシと食べ進めます。
気がつくとご飯がなくなっていました。
まだ、麻婆豆腐は半分近く残っています。
「こりゃ、仕方ないよね・・・」
と呟きながら、ボタンを押しお替りをもらいました。
「いや、ご飯を食べたいわけじゃなくて、麻婆豆腐がまだ残っているから。
やっぱりご飯に合うから」
なぜか、自分に言い訳しています。
ご飯2杯で麻婆豆腐はキレイになくなり、体も温まりました。
レンゲと箸の高度なテクニックはバランスを取るのが難しいです。
こんな時は丼ものがシンプルでいいのかもしれません。
メニューを確認するとあるじゃないですか、マーボー丼。
定食と何が違うのかな?
値段も同じ。
ザーサイがあるかないか?
だとしたらやっぱり定食の方がお得ですよね。
メニューをよく眺めると不思議な文字が・・・。
なにとぞ君メニュー。
一体これはなんでしょうか?
疑問を抱えたままお店を出てしまいました。
次回の課題ですね。
この辛さはクセになるかもしれません。
ごちそうさまでした。
著者の江口先生から頂いた2冊。
江口先生は松下幸之助翁の書籍を多数出版。
僕も全てではないが、ここ最近出版された書籍は大体は読み勉強させてもらっている。
その割には身になってないじゃないか!
というお叱りの言葉はここでは一旦置いておく。
仮に身になっていたとしても完璧はない。
常に何かは足りない。
理解し実践したとしても永続的でなければ意味がない。
何度も何度も読み直し、体内に入れなければならない。
それでも悲しいかな忘れてしまう。
どんな書籍でもそうだが、江口先生も幸之助翁も特別なことは言っていない。
原理原則。
経営の原理原則であり、リーダーの原理原則。
特段難しいことが書かれているわけではない。
しかし、それができないのも人間。
リーダー的なポジションをもらい20年以上経過する。
経営者になって10年以上経過する。
それは今も続いているので、一般的には成功者と思われるかもしれない。
仮にそう思われたしても一瞬に過ぎず、そのほとんどは反省を繰り返すばかり。
何度も何度も同じことを言われ、何度も何度も叱責を受ける。
きっと生きている間はずっとそうなんだろう。
それはリーダーや経営者を辞めても同じ。
生涯人として大切にしなければならない。
もう幸之助翁が亡くなられ33年。
書かれている内容は半世紀以上前に語られたこと。
それでも新たに書籍が出版されるには意味がある。
その経営哲学は変わらない。
不変のテーマ。
いつ読んでも何ら色褪せることはない。
「松下幸之助の神言葉50」には午前10時から午後5時までに語った言葉が書かれている。
ご本人の語り口調にテーマを載せてそのまま掲載しているといっていい。
それを50の項目に分けている。
「松下幸之助のリーダー学」はリーダーに必要な要素を13項目に分け63の教えを説いている。
この2冊とも知った内容ではある。
いずれも以前に学んだこと。
しかし、改めて気づかされる。
その時々の自分の置かれた環境で、同じ言葉でもその捉え方は微妙に異なる。
だからこそ同じ話を何度も何度もしなきゃいけないのだろう。
松下幸之助翁初心者、江口克彦先生初心者にはここから始めてもいいのかもしれない。
そして、心を許して遊ぶことなく、日々実践していかなきゃね。
はい、僕のことですが・・・。
入社7年目(1995年)28歳の時に主任になった。
今の名大社でいえばサブリーダーのポジション。
驕った表現ではなく、その昇格は遅かった。
それまでに十分相応しい実績は出していた。
そんな見られ方は周りもしていたと思う。
自分もなぜだ、なぜだと思っていた。
その前後に直属の上司に言われた。
できれば山ちゃんとF(同期)を一緒に上げたいと・・・。
その同期の実績が伴うのを待っていたとのこと。
しかし、結果的に僕が先に昇格した。
それが原因ではないと思うが、しばらくして同期は退職した。
当時、名大社では主任は部下を持つことが前提。
僕も初めて部下を持った。
中途で入社した4歳年下のT。
いろんな経緯があり名大社に入社したのだが、とても優秀な人材。
最初に「同い年だけど新卒入社の先輩Yを抜け」と言ったら、
「そこは見てません。山田さんを抜きます。」
軽く言い切った。
口だけではなかった。
抜群の営業センスを持っていた。
1年目からかなり活躍したのではないだろうか。
僕との相性も良かった。
酒は飲めなかったが、2人でよく飲みにも行き未来を語り合った。
おかげで僕も評価されたし、僕の成績もよかった。
当時は年末に社員総会を行い、優秀社員の表彰をしていた。
いくつかある賞の中で最も栄えあるのが「名大社さん賞」。
その年、名大社を代表する社員がもらえる賞で分かりやすくいえばMVP。
その年は僕が受賞した。
当時では最年少。
役員(その5で揉めた人)と三越に行き、オーダーでブレザーをこしらえてもらった。
「三つボタンにしてください」と頼んだら「調子に乗るな!」と却下された。
派手なエンブレムも付いた。
社員総会で表彰され、着させてもらった。
挨拶で「三つボタンが良かった」と言ったら叱られた。
調子に乗ってはいけません・・・。
あのブレザーはどこへ行ったのだろう。
ほとんど着る機会はなかった。
主任になった一年間はかなり燃えた年だった。
翌年、大阪から何故かやってきた新卒Hが新たに部下になった。
関西弁丸出しで宴会ではメチャクチャ盛り上げる存在だったが、
クライアントでは全く喋れなかった。
そのギャップは面白かったが、成績は今一つ。
部下の育成の難しさを感じた年でもあった。
それでもTとHの3人のチームは勢いもあり楽しく仕事をしていた。
続く・・・。
もうそろそろかもしれない。
正直そんなことを感じた。
それは何か。
クリントイーストウッド監督が制作する映画のこと。
御年91歳。
その年齢で作品を撮ることも凄いが、普通に出演してしまうことも凄い。
それも派手なアクションもあって・・・。
派手ではないが小さなアクションも年齢を感じさせない。
いや、違うな。
年齢は感じさせるが、その動きはいつまでもクリントイーストウッド。
その存在感は変わらない。
僕らが求めていることにいつも応えてくれる。
しかし、その応え方は年齢や経験と共に変化する。
僕は本作を観て、クリントイーストウッドが優しくなったと感じた。
これまでのような強烈なインパクトやメッセージを感じることはない。
それは力を抑えているというよりはあえてそうしているように感じる。
自分と世間に過去の作品にも赦しを与える感覚。
自分へのオマージュではなく、彼の作品を好んできたファンへの感謝のようにも思える。
それが優しさ。
2000年以降の彼の作品は9割方観ている。
ここ10年は全ての作品を観ている。
年齢重ねるごとにいい映画を作っていると思わせる。
まだピークはこれから。
そんな錯覚を与えてくれる。
しかし、実際はそうではない。
周りの期待とは異なり、監督自身の向かい方が変わったように感じる。
ラストシーンがその象徴のように思えたのは僕だけだろうか。
本作に対しての評価は大きく分かれる。
傑作と絶賛する方もいれば、平凡な一本と酷評する方もいるだろう。
どちらも正解。
捉え方はそれぞれ異なる。
しかし、言えること。
もっとクリントイーストウッド作品を知らねばならない。
過去の作品を振り返り学ばねばならない。
本作の答えはそこにあるのではないか。
それって用意周到に組み立てられた演出?
事実だったら凄いな・・・。
なぜか優しい。
甘い言葉や態度を示すわけではない。
しかし、優しい。
こんな年寄りになれたら最高。
今回、映画の評論になっているかな?
多分、なってないよな(笑)。
今年も飽きることなくランニング日記は継続。
月間目標も継続。
上げることも下げることもせず100kmのランニングを目標とする。
1月は元旦に走るのが恒例。
例年以上に寒く、かつ深夜の雪で路面は凍結していたが、無事にスタートは切れた。
初日の出は自らを清々しくさせてくれる。
この1月もコンスタントに走った。
なんと1月10日現在で50km。
このペースを維持すれば月間150kmというこれまでにない距離にもなる。
しかし、そうは問屋が卸さない。
1月10日以降、毎週土曜日は仕事で、本来距離を稼ぐはずの日がほとんど走れなかった。
その分、平日の短い距離を積み重ねなきゃいけない。
それで何とか調整。
ただ今年は例年以上に寒い。
朝一番で暗いうちに走り出す時は息も白く、手袋をしても手はかじかむ。
知り合いの高速ランナーはスキー用のグローブをはめて走るという。
それくらい寒い。
耳も痛くなるのでパーカーのフードを被って怪しい姿で走るのだ。
そんな日々を重ね、1月の走行距離は112km。
もっと余裕で達成できると思ったが甘くはなかった。
それでも目標はクリア。
パチパチ。
今年は12か月連続で目標達成したいね。
これだけコンスタントに走っているのだから、
少しは体重が落ちていると思ったが、体重計に乗るとむしろ増えている。
減る気配はない。
何故だ・・・と思いつつも、理由は明確。
正月、実家から始まった飲んで食べての生活はランニングと比例して継続。
計算してみたら1月の休肝日は1日しかなかった。
お酒を飲めば食欲は増す。
そうなるとお酒はさらに進む。
バッドサイクルが回り、たかだか100km走ったところで体重は減らない。
う~む。
毎朝、今日、飲むのは止めようと思うんだけどね。
誘惑には勝てない。
そんなことでスタートした1月だが、2月は1回あたりの距離を伸ばしたい。
3月予定の名古屋シティマラソンに照準を合わせていきたい。
(中止にならないことを祈っています!)
2月は目標達成を最低限のノルマとして走っていこう。
お酒も控えます!
それは無理かな・・・。
最近、勢いがないせいか、先々のことをぼんやり考えることが増えてきた。
元々、人生を75年で描いており、この20年をどう全うしていこうかと思っていた。
しかし、この頃、やたら人生100年時代と言われ、
もっと未来を描く必要があるのかもと不安になってきた。
寿命が延びるのはいいことかもしれないが、僕自身はあまり魅力に感じない。
太くて短い人生の方が潔くていいと思っている。
長く生きるために食事を制限しお酒も慎むなんて、拷問のようだし。
一方でその先も意識はしなきゃいけない。
その点において、本書は参考になったといえる。
年齢を重ねることを前向きに捉えている人は、
否定的に捉えれている人に比べて平均7.5年長く生きるという。
理解できたことは20年先、30年先を描いたとしてもどんな世界になるかは分からない。
医学の進歩で痴呆もなくなるかもしれないし、
新たなテクノロジーが生活に及ぼす影響は予測できるものではない。
メタバースとやらが生活の中心となり、半径2メートルで全てが可能になるのは目の前かもしれない。
一日の平均労働時間が3時間になるかもしれない。
そう考えると未来の体を心配するよりも、
どんな時代の変化にも適応できる思考が大切なんだろう。
その思考もアップデートを繰り返す必要もある。
普遍的な思考もあるが、常に同じ思考では存在しない世界で生きていると同じ。
昭和や平成を懐かしむのはいいが、そんな時代が再度訪れるわけではない。
生きていくのは未来しかない。
そのためには学び続けることが大切。
いかに学びを止めないかもこれからの生き方に問われてくる。
今年の新年の挨拶でも紹介したことだが、これからの変化に対応するには5つの行動が重要だという。
先手を打つ。
将来を見据える。
「ありうる自己像」を意識する。
可変性と再帰性を意識する。
移行を受け入れる。
これが個人の行動指針といわれるが、一人では実現することは難しい。
どう周りとの関係性を維持しながら、新たなコミュニティも必要とし作り上げていく。
どこまでいっても人間関係。
それは怠ることなく、これからも築き上げていきたい。
そうなるとやっぱ一緒にお酒を飲まなきゃ・・・。
そこをゴールにするのはいかがかと思うが、後悔しない生き方はしていきたい。
伏見シリーズが長く続くのには理由があります。
一つは活気あるオフィス街で出歩く方が多く、
ありとあらゆる業態がランチ営業をしています。
居酒屋も高級レストランも夜メインのお店も
比較的リーズナブルな料金でランチを提供してくれるのです。
そして、もう一つ。
定期的にお店が入れ替わることが挙げられます。
今回お邪魔したのはこちら。
広小路通を伏見駅から名駅方面にある「謹製鶏かつ食べりん亭」さんです。
この場所は以前にも紹介しています。
「伏見シリーズ その105」でスガキヤさんが経営するタンメンのお店。
その前はスガキヤさんでした。
こちらも「伏見シリーズ その57」で紹介しています。
名古屋名物が開業したお店でしたが長続きはしませんでした。
しばらく閉店のままでしたが、昨年5月コロナのど真ん中にこちらのお店がオープンしたのです。
こんな時期であれば何らかの特徴を持たねばなりません。
どうやら鶏かつに拘っているようです。
メニューを見るとずらりと定食が並びます。
鶏かつの枚数が選べ、かつ、ご飯はお替り自由です。
インスタ映えを狙う人気食べ物ブロガーは大盛りあたりを狙いたいところ。
ヨシっと頷きながら注文します。
「鶏かつカレーをお願いします。」
「大盛にされますか?」
「いや、普通で大丈夫です。」
勇気のない人気食べ物ブロガーでした・・・。
鶏かつカレー 800円
これは想像以上、鶏かつが2枚乗っています。
これでもそこそこのサイズ。
ご飯を大盛にしなかったことに安堵しました。
鶏かつもこんな感じでしっかりとた食べ応え。
サクサクとして美味しいです。
楽勝と思い注文したカレーでしたが、食べ終わる頃はかなり満腹状態。
カレーも程よく辛く好みに味わいでした。
次々にお客さんが入ってきます。
どうやら常連客のようです。
「ご注文は?」
「控えめで。」
「ご注文は?」
「控えめをお願いします。」
多くのお客さんが控えめを頼んでいます。
少食ではありません。
カレーに乗っている鶏かつが2枚の定食です。
これで十分です。
定番(3枚)でもかなりのボリューム。
盛り(5枚)、大盛り(7枚)は一体誰が食べるのでしょうか。
これは大食感には人気が出るでしょう。
この場所での営業もしばらくは安泰。
それを期待したいですね。
ごちそうさまでした。
次回は隣に構えるまたまたよく変わるお店に行かねばなりません。
今日から2月。
早いもので2022年ももう1ヶ月が終了した。
時間の経過は年々早くなるばかり。
僕のブログも例年通り21本仕上げたわけだが、
かなり偏った内容になってしまった。
映画6本、半生5本、食べ物4本と一方的なブログで7割強。
書籍など定番ブログを除くと3本しか別ネタは書いていない。
会社や仕事のこともほとんど触れていない。
これでは「食べ物ブログを書く映画コラムニストの半生」になってしまう。
さすがにちょっと反省。
それが理由ではないが、今日は最近の仕事のことを。
1月は若者と向き合うことが多かった。
まずはFネット(ふるさと就職応援ネットワーク)の若手研修。
こちらは1月21日・22日が対面研修。
26日はオンライン研修で行った。
僕はFネット会長として参加。
ただ見ていただけだが、若者の積極的な姿勢を改めて感じることができた。
東京で開催された対面研修は首都圏の加盟会社が中心。
企業ごとの個性が感じられ、発言内容もユニーク。
それが却っていい刺激になったようだ。
名大社も若手が2名参加する予定だったが、まん防のため断念。
この雰囲気を来年は味わせたい。
一方、26日のオンラインは北は北海道から南は岡山まで9社の若手が参加。
ここでもそれぞれの持ち味を出してくれた。
同業者同士が腹を割って話をする機会はほとんどない。
そんな点でいえば、ここに参加する者はライバルとはいえ仲間。
いい学びとなったはず。
これは継続していかないと。
1月29日はジモト就職応援フェア。
これからの就活を応援するイベント。
コロナの影響はあるものの就活生が積極的に参加。
まん防で急きょ出展見合わせもあったが、70社の企業が参画。
講演を聞き、
(写真はニシダやニムラね・・・)
出展企業のブースを回り、これから必要となる情報を得ていった。
名大社のスタッフも万全な対策の下、懸命に頑張ってくれた。
僕もTV局や新聞社の取材を受けたり・・・。
おかげでバスジャック犯の山田哲也じゃないことが証明できた(笑)。
こんな場の中に入っていくと僕までがなぜか元気になっていく。
若者からエネルギーを吸収している感覚に襲われる。
これからの未来を作っていくのは若者たち。
このような機会は継続的に設けていきたい。
今週4日(金)にONLINEジモト就職応援フェア
そして2月23日(祝)はジモト就職応援フェア。
これからも頑張る若者を応援していきたい。