先週6日(火)から第7回名古屋ファミリービジネス研究会がスタート。
早いものでこの研究会も7年目。
おかげさまで受講者の評価も高い。
今年は新規受講者が8名、リピーターが5名とバランスよくスタートできた。
名古屋ファミリービジネス研究会といいながら、
一宮、春日井、豊田、西尾、岡崎、遠くは大阪からも参加頂けた。
まずはみなさんに感謝!。
7年目もなると内容も少しずつアップデート。
ここ数年は事務局も同じメンバーだが、ここも改善を繰り返しながらの開催。
いつものように最初は僕の話から。
ここはいい表現をすれば定番。
悪い表現をすれば代り映えがしない。
ファミリービジネスで大切な点をまずは押さえる。
基本だからね・・・。
そして、ちょっと長めで工夫を入れた自己紹介をしてもらう。
初回講師の櫻山さんには「今年は長くて1時間、少し早めに終わる予定」と話していた。
いざフタを開けると1時間を軽く超えていた。
櫻山さんに詫びを入れると、
「大丈夫、想定済みだから」とのこと。
長い付き合いになるともう全て分かってますね(笑)。
そしてDay1メインの株式会社サンコー櫻山社長のブランディング講座。
「中小同族企業(ファミリービジネス)、何から始める?ブランディング
「在り方」が9割!!ブランディングの真実」
こちらも定番だが、内容は確実にブラッシュアップされている。
今回は2代目経営者としての苦労、苦悩も披露頂き、新たな気づきも多かった。
初めて聞く方はもちろんのこと何度も聞かれている方も大きな学びになったはず。
グループワークも行い終了時にはすでに仲間意識が芽生えていた。
懇親会は毎年お世話になっているコンダーハウス。
会社から徒歩数分なので、このような会場もありがたい。
乾杯は7年連続参加という川畑工業株式会社の西社長。
ありがたいことにこの会が大好きで新しい経営者も紹介して頂ける。
この研究会は日中の学びだけでなく懇親会も大切な場。
お互いに自社やご自身のことを語りながら理解を深めていく。
一人ずつの発表もあり、和やかな雰囲気で進めることができた。
事務局であり講師の鶴田さんが締めの挨拶。
名古屋ナモ締めは次回以降へ持ち越しとなった。
最後は全員で記念撮影。
ブログにはアップできないが、みんないい表情。
今年は11月までの半年間。
楽しい反面、課題もあるので大変な一面も。
そこも含め、全体で盛り上げていけるといい。
まずはDay1、お疲れ様でした。
来月もよろしくお願いします。
人は誰しも自分の行動は正しいと思う。
それが犯罪者であっても基本はそうだろう。
その正しさが本当かどうかは分からない。
しかし、客観的にレンズを通して眺めると、
正しさなんて独りよがりなもの。
目線を変えれば正しさは180度変わってしまう。
実に恐ろしい。
いかに自分が一方的な見方しかできていないか、愕然とする。
本作で描かれるそれぞれの目線は僕らへ痛切に知らせる。
学校の先生なんて無責任だ!
モンスターペアレントは勘弁してくれ!
子供は子供らしく育て!
それも自分勝手な正しさから生まれるもの。
先生も親も子供もみんな真剣でまっすぐ生きている。
悩みを隠しながら、まっとうに生きようともがいている。
これがヒシヒシと伝わり、僕は自分の愚かさを知る。
愚かさを認めれば怪物は現れないのかもしれない。
正しさだけで貫こうとすれば怪物が現れるのかもしれない。
大人になればなるほど、怪物の存在は大きくなる。
挙句の果てに同化してしまう。
誰にも怪物と気づかれないまま・・・。
本タイトルを説明すれば、そんなことになるんじゃないか。
本当のところは分からない。
これは僕が映画を観て、感じたことに過ぎず、捉え方はまちまち。
無責任な校長を怪物と見立てる者もいるだろうし、
悪気なく嫌がらせをする子供を怪物に見立てる者もいる。
いつの間にか純粋さを失くした僕らは大切なものが見えなくなる。
それが大人への階段と決めつけるには少し寂しい。
それがラストシーンに繋がるのかな・・・。
本作は公開直前にカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。
先日亡くなった坂本龍一が音楽を手掛けた。
僕ら世代にはトレンディードラマではなじみのある坂元裕二が脚本。
それを世界で一番知名度のある是枝裕和が監督。
公開のタイミングはベスト。
この分野の作品は過去、それほどヒットしなかったが、
巧みな戦略(?)が効果的に働くかも・・・。
俳優陣も素晴らしい。
安藤サクラのナチュラルなお母さんもよかったし、
永山瑛太も誤解を招くオタクな先生はいい味。
そして何より2人の子役。
是枝監督は子役の使い方が上手い。
改めてそう思った。
感じ方はいろいろで、明確な答えも出てこない。
すっきりする人もいれば、モヤモヤが残る人もいるだろう。
だからこそ、多くの方に観てもらいたい。
この時期の日本映画は秀作が続く。
梅雨は映画館に行けということだろうか。
映画を観ながら、いつの時代を描いているんだろうとずっと考えていた。
(解説にはしっかり説明されているが・・・)
今から50年以上前の世界かと思っていたら、統計調査の車が現れ、
そのアナウンスから2010年ということが判明した。
つい最近じゃないか・・・。
時代錯誤も甚だしいと感じたのは僕が時代を読み違えたというよりも、
映画の本質を見落としていたということ。
自給自足で生活する村が文明的な進歩もなく旧態依然とした世界は演出。
ネタバレしない程度に説明するとキリスト教が色が強い架空の村が舞台。
そこに住む若い女性たちはレイプされるが、
それは「悪魔の仕業」として押さえつけられ事実は隠されている。
男どもの勝手な論理がまかり通っていた。
しかし、それが犯罪として認識され、そこから女性が立ち上がっていくストーリー。
ここに描かれるのは実話がベース。
2005年から2009年にかけて南米ボリビアで起きた事件だという。
身勝手な犯罪を許さないのは当たり前だろというのは共通の視点。
作品はそれを強調したいわけではない。
弱い者が強い者に対してどう立ち向かうか、
非人道的な行為に何をすべきか、
それを間接的に訴えているともいえる。
昨今、世界を取り巻く環境も該当するし、国内で起きる些細な事件も同じ。
自分たちの生き方が問われている。
赦すのか、戦うのか、去るのか、
被害にあった女性たちは納屋に集まり激論を広げながら、自らの道を選択する。
そこに未来はあるのか、
神は見捨てないのか、
むしろ不幸への道に陥らないか、
時に感情を露わにし、時に感情を抑え、
年配者は年配者の経験で、少女は少女の価値観で物事を語る。
それが正しい行為。
自分たちが知らないだけで、まだまだ虐げられた世界は存在する。
そこから僕らは目を背けてはいけない。
何人もの女性陣が会話を広げるが、僕は女性の見分けが付かず、ごっちゃになってしまった。
その中でひと際目立ったのがルーニー・マーラ。
どこで観たんだっけ?と思っていたら、そう「キャロル」だった。
彼女は可憐で透き通るような透明感。
グラつくてしまう。
先程まで重めの内容だったのに、急に軽くなってしまった。
まあ、そんなもん。
本作は第95回アカデミー賞で脚色賞を受賞。
どんな脚色が評価されたのは観てもらいたい。
人は困った時に笑う。
それはよく見る光景。
その場をごまかす意味もあるだろうし、
自分を落ち着かせる意味もあるだろう。
映画を観て思った。
人は人生を達観した時や絶望を乗り越えた時も笑うのだろうか。
その笑いは強さか弱さか、世間への皮肉か。
主人公依子の筒井真理子も笑い顔が印象的。
自転車に乗りながら満面の笑みもあるし、
失踪した夫に対しての冷笑、ラストでの大笑い。
笑わないとやってられない環境が彼女を取り囲む。
客観的にみればその笑いは健全な精神性ではない。
どこかおかしい。
しかし、そんなことを依子は1mmも思っていない。
迷いながらも自分の行動は正しいと思っているはず。
一体、何が原因なんだろうか。
原発事故、旦那の失踪、義父の介護、溺愛する息子の彼女。
いくつかの要素が絡み合い、それが増幅。
気づいた時には別の世界に誘われている。
そんなことか・・・。
家庭の崩壊なんて、誰でも簡単に作ることはできる。
僕が嫁さんに暴言を吐き続け、子供を虐待し、
借金まみれになれば、すぐに崩壊する。
当事者は変わらなくても、相手は傷つき、精神は荒む。
新興宗教に流れてもおかしくない話。
それは極端な例だが、ある意味、映画はそんな世界を描いている。
当たり前の日常が一つの事件で大きく変わっていく。
人も闇へと引っ張られる。
本作はそんなことを教えてくれた。
襟を正そうと少なからず思った(汗)。
何かが起きる場合、全て自分が原因なんだと・・・。
それを知るだけでも本作を観る価値はある。
荻上直子監督作品は久しぶり。
ここ最近の映画は観ていない。
おっとりとした映画を作る監督のイメージだったが、刃物で抉られるような鋭さを感じた。
そして、なんといっても出演者。
筒井真理子は今年、いくつか映画祭で主演女優賞を獲得するんじゃないかな。
「淵に立つ」も「よこがお」もよかったが、
それを凌ぐ存在感と居心地の良い不気味さ。
とても優しい表情もあれば、何も語らなくても残酷な表情もある。
抜群だ。
失踪した旦那役の光石研は最低な男なのにまともに見えるから不思議。
最近、活躍が目覚ましい磯村勇斗もなかなか。
「ヴィレッジ」ではセリフのなかった木野花は饒舌。
そして、ここにも柄本明。
まあまあ、達者な役者連中が映画を盛り上げていた。
いずれにしても家庭が崩壊しないように励まないと・・・。
お互い切磋琢磨していきましょう(笑)。
伏見周辺でまだ行ったことのないお店もあれば、知らないお店もあります。
しかし、会社から半径300mに限っていえば、すべて制覇しています。
行ってないのも、知らないのも少し離れたエリア。
見通せる範囲は縄張りとしてキッチリと仕切っています。
そんなふうに思っていました。
人気食べ物ブロガーといわれ伏見地区にも貢献し、もうかなりの年月が経っています。
伏見シリーズも250回を超えています。
ぐるりと見渡せば、ここもあそこも行っています。
新しいお店がオープンすれば、早い段階で顔を出します。
ところがまだありました。
行っていないお店が・・・。
会社から南に向かった徒歩1~2分の場所に・・・。
どうでしょうか。
会社から100m程度離れた場所にある「カマロ」さんです。
外観からは何屋さんか分かりずらいですし、SNSでも見かけません。
まだまだ勉強不足のようです。
あまり目立ちませんが、ランチメニューも黒板に書かれています。
お客さんは常連が多いのでしょうか。
歴史もある洋食屋さんですが、店内はとても静か。
派手さはなく、ひっそり構える姿が却って好感が持てます。
何を注文するか迷いましたが、ここは洋食の定番を注文すべきでしょう。
ハンバーグと白身魚フライ 800円
最初にスープが出され、その後にメインとライスが並びます。
派手さはありませんが、キッチリとした仕事はしています。
アップにするとこんな感じ。
主役はハンバーグですが、こじんまりとした白身魚フライも引き締まっています。
ハンバーグのソースもくどくなく50代のおじさんには優しい味わいです。
ペロリと食べてしまいました。
向かいの中年女性のチキンステーキが結構なボリュームでしたので、
次回お願いするのはこちらでしょうね。
丁寧な接客もとても静かでした。
こんな落ち着いたお店もいいですね。
もっとSNSで話題になってもいいんじゃないでしょうか。
ごちそうさまでした。
この界隈をもっと研究する必要はありますね。
僕が学生時代に一番聞いたのは浜省かもしれない。
80年代は一番勢いがあったし、乗りに乗っていた。
当時乗っていた車はパルサーミラノX1。
カセットテープをカーステに入れ、
「DOWN BY THE MAINSTREET」
「J・BOY」
等のアルバムを彼女と聴いていた。
今となれば懐かしい思い出。
ただファンクラブに入会していたわけでも、
コンサートに行ったわけでもない。
そこまでの熱烈なファンでもなかったし、
そもそもコンサートはその人気からも限りなく難しかった。
一度くらいは行きたいと思っていたけど・・・。
35年を経て、そんな時が訪れた。
浜田省吾
「A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988」
GW中からミッドランドスクエアシネマでLIVEが上映。
1988年、静岡県浜名湖畔の「渚園」で55,000人の観客を集めた伝説のLIVE。
観たいと思い、詳細を調べると鑑賞料金は3,000円。
お~、そうくるか・・・。
酔いながら翌日の予約を確認すると、かなりの席が埋まっている。
なぜかヤバいと思い、その場の勢いで席を押さえてしまった。
平日の朝早い上映だったが、お客さんは賑わっていた。
どうみても同世代、もしくはちょっと年上を感じさせる男女。
白髪交じりや頭の薄い人も多かった(笑)。
約2時間、ぶっ飛ばしたLIVE。
映画館内の静けさが異様に感じる。
オープニングの「路地裏の少年」から野外会場は凄い熱気。
その迫力がスクリーンから伝わってきた。
往年の名曲が中心なので、つい口ずさみたくなる。
きっと周りも同じだが、分別のあるオジサン、オバサンは我慢。
当時、浜省は35歳。
体力的にも精神的にも充実している頃。
声量もそうだが、その動きには圧倒された。
やたら愛とか、オーイエーが多いが、それも時代性。
ちょうど日本はバブル絶頂期。
日本中が浮ついていた時代だが、
浜省は先々を予測していたのか日本の将来を憂いていた。
僕らは漠然とした不安や何とも言えないもどかしさを抱えていた。
それも浜省を好んで聞いていた理由の一つかもしれない。
迫力があり楽しめたLIVE。
実際にLIVEでは披露していないが、エンディングは「君が人生の時」。
Time of your life
想いを馳せれば 心 高鳴る
君が人生の時
ありがとうございました。
5月は一年を通して気持ちよく走れる。
僕の場合、朝RUNが中心で午前6時台に走ることが多い。
暑くもないし、寒くもない。
ちょうど太陽も上がり、気持ちも高ぶってくる。
そんな季節。
だとしたら、この季節に走りこんでおくべき。
5月前半はGWもあり休みも多い。
実際、GW中は戸田川緑地公園も走った。
いい景色を眺めながらのランニングは気持ちがいい。
コロナも落ち着いたため、バーベキューも再開された。
朝早くから場所取りをするお父さん連中が頑張っていた。
きっと朝から飲むんだろうね(笑)。
そんな月なので楽勝と思いきや、結果はかなり厳しかった。
5月のランニング距離は101.5kmでギリギリの達成。
ノルマは達成できたが余裕はなかった。
まず週末の天気が悪かった。
僕は土日のどちらかは10kmを走る。
それができないと急激に目標達成は難しくなる。
平日も家を出ようとしたら雨が降ってきた。
そんな日が何日かあった。
それでもなんとか達成できたのはリレーマラソンのおかげ。
5月28日(日)、第2回リレーマラソンフェスinウェーブスタジアム刈谷に参加。
大学の先輩が協賛や運営に関わっていたため参加することになった。
同窓会組織でもあるので、チーム名はクラブ愛知ランナーズ。
僕がリーダーを任され、当日のレースをマネジメントすることに。
ナゴヤドームのリレーマラソンの実績を評価されたのだろう。
関係ないかな(笑)。
全く走った経験のないメンバーもいて、お気軽な気持ちでの出場。
他のチームもそんな参加者が多いと思っていた。
それでも我がチームからはフル経験者のエースをトップランナーにしてスタート。
いやあ、びっくり。
エースがやたら遅く見える。
実際は速いが、それ以上にチームがのチームが速い。
ガチの勝負。
高校生の部活もあれば、トヨタグループの多い地域なので社会人チームも本格的。
当たり前のように猛スピードで走っていった。
それはそれでいい。
僕らはお気楽で楽しく走る。
僕は1.5km×5周の7.5kmをRUN。
それでもいつもより速く走ったので、いい疲れ。
アンカーも務め、最後はチーム全員でゴール。
そして、記念撮影。
打ち上げは公園内のキッチンカーでいろんなものを買いビールで乾杯。
結構楽しい大会だった。
みなさん、お疲れ様でした。
来年もやりましょう。
3周だったら目標未達成だった。
さて、6月はどうか。
かなり心配。
先週も雨が多かった。
梅雨にも入った。
今日は天気がいいが、今週も雨が多い。
走れる時に走って目標達成を目指す。
頑張っていきたいね。
今年に入って韓国映画は4本目。
意識をしているわけではないが、かなりのペース。
4月に観た「ハンサン 龍の出現」はブログを書きそびれたが(汗)、他の作品は書いている。
本作も韓国映画らしい作品。
二転三転する展開や極端な人物の描き方がそう感じさせる。
ようやく傾向性が分かってきたぞ。
ちと遅いか(笑)。
その方が盛り上がるし、緊張した状態が続き、結果として面白い作品になる。
こうして世界に認められていくのだろうか。
日本映画として盗めるところは盗んだ方がいい。
原題は「Christmas Carol(クリスマス・キャロル)」。
どこをどう間違ってこのタイトルになったかは不明だが、
予告編を観た人は邦題がしっくりくる。
「愛と青春の旅立ち」みたいなもんだね・・・。
舞台設定はクリスマスだし、
映画の中でもクリスマス・キャロルという言葉は何度も出てくる。
この曲が韓国では定番ソングなんだろう。きっと。
ストーリーに巧みに絡み合い、キーワードとして成り立つ。
そう考えるとやはり原題がよかったのではと思ったり。
僕は韓国人俳優をほとんど知らない。
特に男優はほとんど知らない。
興味がないせいもあるが、名前も覚えられない。
しかし、主役を演じたパク・ジニョンは覚えられそう。
暴力的な兄と障害を持つ弟の一人二役の双子を見事に演じている。
同じような顔つきだが同人物とは思えない。
韓国では人気アイドルグループなので、更に人気が出るのか?
弟の仇を取るためにわざわざ少年院に入り、その中で事件を引き起こす。
それだけでもあり得ない世界。
登場する2人の教官もあり得ないと思うが、
韓国は日本以上にダイバーシティが進んでいるのか。
いや、待てよ。
これはダイバーシティという言葉で片づけてはいけない。
相当深刻な問題。
先日観た「不思議の国の数学者」もそうだが、この国の教官、教師は乱れまくっている。
日本でも教師の犯罪は多いが、韓国はそれ以上かと勘繰ってしまう。
大富豪やそのボンクラ息子も酷い。
この描き方も共通していたり。
そんな人物が叩かれることも共感を呼び、映画として盛り上がる。
それも韓国映画の特徴なのかもね。
あの手この手で攻めてくる韓国作品。
なぜか見入ってしまう。
日本映画も負けないでほしいね。
ここ最近、、Z世代の効果的な採用について話してほしいという依頼をちょくちょく頂く。
ありがたいことだが、僕が話せることを網羅しているわけではない。
Z世代に共通項はあるにせよ多様化が進んでおり、一方的な話では終わらない。
いろんな角度の見方が必要。
僕自身の勉強のためにも本書を手に取った。
ある種の正解だし、世代をうまく表現している書籍。
確かに共感や賛同する面は多い。
特に学生が教室のどこの席に座るかの項目は自分が大学の授業で目にする光景と同じ。
納得感は高い。
意外と学生は密を気にすることなく、友人同士ではべったりとくっついていた。
小さなコミュニティは彼らにとってとても大切な存在。
昔から前の方に座る学生は少なかったが、その傾向は更に進んでいるようにも思える。
みんな目立ちたくないし、当てられたくない。
大学の授業では最後に振り返りレポートを提出してもらう。
自分にキャッチコピーをつけるという大学のレポートには相応しくない課題もある。
これでもマジメにやってます(笑)。
ブログでの紹介は控えるが、そのキャッチコピーはまさに本書に書かれる若者像と同じ。
自分が主役というより脇役で周りを盛り上げることを得意とする学生が多い。
それも成績が優秀な学生に目立つ。
クラスの特徴に過ぎないが、象徴的な出来事のように思えてしまった。
僕も感じることだが、今の若者は本当にいい子が多い。
授業も当たり前のように出席する。
昔が異常だったか(汗)。
そんないい子症候群の仕事観はこんなことだという。
・とにかく人目は気になるし競争もしないけど、自分の能力を活かしたい
・そこそこの給料をもらい残業はしないけど、自分の能力で社会貢献はしたい
・自ら積極的に動くことはないけど、個性を活かした仕事で人から感謝されたい
・社会貢献といっても、見ず知らずの人に尽くすとかではなくて、
とにかく「ありがとう」と言ってもらえるような仕事がしたい
なんだか学生が提出したキャッチコピーに似てるんだよね。
これがすべてでないのは当然。
授業では必ずといっていいほど積極的に質問に来る学生もいた。
一つの傾向性として捉えておくべき。
昔は人前で褒められることで優越感に浸ったが、今はその反対。
人前で褒められたくはないようだ。
大学生の息子に聞いても同じ答え。
学級委員や部活のキャプテンを任されてきた身でも人前で褒められるのはイヤだという。
なかなか難しいね。
そんなことばかりだとネガティブになるが、今の若い連中はまんざらでもない。
僕らが若い時に持っていなかった能力を確実に持っている。
ITリテラシーは当然ながら、僕なんて論理的な思考なんて一切持ち合わせていなかった。
そのあたりは明らかに違う。
僕が社会で鍛えられ、少しはマシな大人になったように、
今の若者も社会でうまく鍛えることで確実に立派な大人になれる。
そのために自分たちがいるのかもしれない。
そのためには誤った育成をしないことも重要。
今の若者を嘆くのではなく、自分たちの在り方を考える方が先なのかもね。
そんなことも考えてしまった。
1990年代は80年代と比較すると映画を観る機会が減った。
厳密にいえば映画館に行く回数が減った。
90年代前半はともかく、結婚して子供ができてとなると自分の時間は少ない。
仕事も忙しくなり、常に時間に追われるようになった。
そのため観た映画もリアルタイムではなく、レンタルビデオで観るケースが増えた。
キネマ旬報のベストテンを確認し、その後、TSUTAYAで借りることが多くなった。
ベストテン入りする作品は玄人受けはするが一般的に人気はないので、
TSUTAYAでも並んでいないことも多かった。
せいぜい1~2本しか置いてないこともあり、観れず仕舞いも多かったんじゃないかな。
日本映画は北野武監督、そして周防正行監督が90年代の象徴だと思う。
北野監督は「3-4×10月」(90年7位)、「あの夏、いちばん静かな海」(91年7位)、
「ソナチネ」(93年4位)、「キッズ・リターン」(96年2位)、
「HANA-BI」(98年1位)、「菊次郎の夏」(99年7位)とコンスタントに名を連ねる。
僕はヤクザ映画もいいが、「あの夏、いちばん静かな海」、「キッズ・リターン」が好きだ。
モロ師岡が最高と思っているのは僕だけだろうか。
周防監督は数年に一度しか映画を撮らない。
90年代に監督した2作がいずれも1位。
「シコふんじゃった。」(91年1位)、「Shall we ダンス?」(96年1位)。
両作とも抜群に面白かった。
と個性を発揮する一方でドラマ性が全体的に弱かったん年代じゃないか。
興行的も主役の座をアニメに奪われてしまった。
興行収入を塗り替えた「もののけ姫」(97年2位)という目立った作品もあるが、
ベストテンのうち半分はアニメ作品。
今も続くドラえもん、名探偵コナン、ポケモンなどだ。
96年には渥美清が亡くなり「男はつらいよ」シリーズは終了、
監督も97年には伊丹十三、98年には黒澤明、木下恵介が亡くなった。
時代の変化を感じざるを得ない。
俳優で目立ったのが役所広司。
今でも第一線で今年も話題作に主演しているが、
「うなぎ」(97年1位)、「Shall we ダンス?」でも主演男優賞を受賞している。
この後も何度受賞することか。
先日、ついにカンヌ映画祭でも受賞したし・・・。
外国映画は多種多様。
僕が後悔しているのは、やはり映画館で観れなかったこと。
「許されざる者」(93年1位)、「ショーシャンクの空に」(95年1位)、
「L.A.コンフィデンシャル」(98年1位)。
このあたりの作品を映画館で観ていたら、もっと感動していただろう。
そして、未だに見ていない作品が多いのは90年代。
映画コラムニストになる気配は一切なかった時期。
老後に楽しむために取っておくべきか・・・。
「マディソン郡の橋」(95年3位)を観て、家人が号泣したのは今でも鮮明に覚えている。
クエンティン・タランティーノ監督が暗躍した?年代でもあるが、そのあたりは割愛。
そして、2000年代に移っていく。
続く・・・。