先月の中部経営塾で講師の鬼澤さんがおススメされていた一冊。
遅ればせながら読み終えた。
こういうのは電子書籍でね(笑)。
今、AIという言葉を聞かない日はない。
先週、社内研修でPEST分析を各自行ったわけだが、
technologyでは必ずといっていいほど、AIの影響力は挙げられていた。
実際、僕もアップしていたけど(笑)。
AIで一定の職業がなくなるとか、
多くの仕事が消滅するなど、
まるで脅しのように表現されることもあり、
機会を活かすより脅威の存在になることの方が多いのではないだろうか。
著者はある意味そんな点を認めながらも、
そこまで恐れることはないと強く言われる。
やはり人間は人間で、
人間しかできないことが沢山あるというのがその主張。
しかし、その人間がすべきこと、
学ぶべきことを放棄してしまったら、
AIに代替されるのは間違いないようだ。
それが「教科書を読めない子どもたち」にあたる。
本書では何よりも読解力が必要という。
ごくごく簡単なことでいえば、
「岡山と広島に行く」と「岡田と広島に行く」の違い。
AIに認識させるには一定の時間が必要のよう。
そして、著者は
「一に読解、二に読解、三、四は遊びで、五に算数」と言われる。
「遊びも手先や身体を動かす、モノに頼らない遊び」という。
スマホの使用時間と勉強ができるできないの因果関係はないとのことだが、
スマホばっかりやっていてはやはりダメだということ。
すぐグーグル先生に頼るのもダメなのだろう。
頼ってもいいだろうが、基礎を叩き込み、
考える能力を積み上げてから使用すべきなんだろう。
そして、最悪なシナリオとしてこんなことを書かれていた。
いずれ「AI不況」とも呼ぶべき、
世界的な大不況がやってくるのではないかと・・・。
AIにはできない仕事は人材不足、
AIで仕事を失った人は誰にでもできる低賃金の仕事しかないと・・・。
まるで「モダンタイムス」の世界かな?
そんなことも含め歴史は一定のタームで繰り返されるのか。
かすかな期待感と大きな不安を抱え本書を読み終えた。
やはり常に頭はフル回転させ鍛えないといけないわけですね。
感性も・・・。