3年前に「淵に立つ」を観て、何とも言い切れないやるせなさと歯がゆさを感じた。
映画としては面白かったが、気分は重かった。
本作の予告編を観た限り、監督も主演女優も同じ。
重い雰囲気も同じ。

だったら、観なきゃよさそうなもんだが、怖いもの見たさなのか、
そもそも人間の絶望や裏切りに興味があるのか、足は映画館に向かった。
明るい性格で笑顔に定評のある映画コラムニストだが、本当は闇を抱えた人間なんだろうか・・・。
そのあたりは自分でもよく分からない(笑)。

「淵に立つ」の筒井真理子さんは主演ではなかったが、その存在感は主演以上のもの。
それはなんだ!というツッコミはさておき、それだけ映画を引っ張っていた。
本作は完全なる主演で、かつ最初から最後まで映画を支配していた。

優しい女性、悲しい女性、恐ろしい女性、妖艶な女性、壊れていく女性、
すべてを完璧にこなしていた。
男は女には勝てない。
女性は怖い。
逆らわずに生きていこう。

これが僕の単純な感想。
女性の神秘性を含め、改めて知ることとなった。
世の中に堕ちていく男性が多いのは仕方のないこと。
気をつけて生きたいと思います!

そんな話はどうでもいい。
映画である。
これをネタバレさせずに語るのは難しい。
これまでの文章でイメージしてもらえればと思うが、シアワセな作品でないことは確か。

明日への希望が見えなくはないが、それが大きなマイナスがゼロに近づいただけのこと。
マイナスはマイナス。
どんな穏やかな人でも、あるキッカケによって大きく性格も変わってしまうのか。
先日ブログに書いた「凪待ち」はろくでなしのろくでもない話なので納得しやすいが、
清らかで健全な人があっという間に変化していく恐ろしさを受け入れるには時間が掛かる。
その受け入れる時間の長さを緩和させるのが、髪型を象徴とした対比となるのだろう。

ここだけ読んでも、なんのこっちゃですね(笑)。
それでいいのです・・・。

本作には人間のサガを描きながらも痛烈な社会批判もあるだろう。
映画を観れば理解してもらえるが、無責任な存在が一人の人間を破壊していく。
それは時代の進化と共に加速しているのかもしれない。
破壊じゃなくとも炎上も同様。
大船渡高校の一件もそんな感じがしてならない。
自分が責任取れないことや当事者の立場を理解できないことについては行動を気をつけるべき。
人を陥れるなんて簡単なのだ。

映画とは関係ないが、そんなことを思ってしまった。
AIは感情を持たない。
人が優位性も持たせるためには感情を最大限に生かすことが必要。
しかし、一瞬の感情的な行為が取り返しのつかない結果になることも。
見方を変えれば、それも人の優位性。

本作はそんなことも教えてくれる。
正しい人であるためにもこの作品を観るべきなんだろう。