今年公開の映画はリチャードの名が使われることが多いな・・・。
といっても「リチャード・ジュエル」だけか。
映画コラムニストの宣伝をしただけですね(笑)。

主演はご存知ジョニー・デップ。
あれだけ作品が公開されているのに僕はほとんど観ていない。
パイレーツ何とかシリーズも1本も観ていない。

調べてみると前回が「ブラック・スキャンダル」
おっと、これも自分の宣伝になってしまった。
その前は「ギルバート・ブレイク」と相当さかのぼる。
さすがにこの作品はブログに書いていないが、秀作。

本作の評論をチェックすると随所にジョニー・デップらしさが出ていると書かれている。
そのらしさって、なんだろう?
コミカルだけどブラックということか・・・。

ネタバレしない程度に語るとジョニー・デップ演じる大学教授リチャードは余命半年を宣告される。
その半年をどう過ごすかを描いていくわけだが、
肝心の家族にはタイミングを逃し、打ち明けることができない。

家族愛も感じるヒューマンドラマだが、この作品はR15。
お涙頂戴の感動作にも関わらず15歳以下は見ちゃダメという映画。
まあ、確かにあんなシーンやこんなシーンが飛び出ると健全な少年少女は観ちゃいけない(笑)。
大人に対して不信感を抱く可能性は高い。

大学教授リチャードの設定年齢はいくつだろう?
60歳の問いに呆れていたわけだから、それよりは若いはず。
勝手に推測するに多分、今の僕とほぼ同じじゃないかな・・・。

それを基準にするとリチャードのあと半年をどう生きるか、
何をやれるか、という心理に対してはほぼ同感。
僕も余命半年だと言われたら、同じ行動をとってしまうかも。

しかい、それはかなりヤバいので、止めた方がいい(笑)。
但し、人生において後悔はしたくない。
社会的な意義や家族への貢献も含め、そのあたりを考えなくもないが、
とことんヘベレケになり、立場やルールも無視してしまう行為もあり得る。
今まで懸命に生きてきたからこそ、最後は弾けきってしまう。

それも許されるんじゃないだろうか。
クリスタルグラスを割られた身は許さないと思うが・・・。

常識的に生きてきた人もちょっとしたボタンの掛け違いで非常識となり、
それが感情的になり火に油を注ぐ。
それって映画の中だけではなく、誰にでもあること。
僕の家族でもなくはなく、そんな視点で映画を観ると家族への向かい方も変わる。

大きな波乱も起きないし、奇想天外なストーリーでもない。
今も昔もある話。
不変のテーマなのかもしれない。

だからこそ、時々、こんな作品には触れておきたい。
そう思うリチャードと同世代の映画コラムニストであった。