一昨年観た日本映画の中で僕が一番評価したのが「新聞記者」。
この作品で藤井道人監督を知った。
1986年生まれなので僕より20歳も若い。
若手が活躍する日本映画界。
なかなか、いいじゃないか・・・。
今後の活躍を期待したい。
というわけで本作。
先日の「日本独立」は予備知識を持つべきだが、この作品に関してはほぼ何も知らず。
人間臭いドンパチのヤクザ映画のつもりで映画館に足を運んだ。
確かのその要素は含んでいた。
しかし、いい意味で大いに期待を裏切られた。
ヤクザ映画に間違いはないが、その枠を大きく超え、
人としてどうなすべきかを教えてくれる映画だった。
タイトルとポスターと綾野剛の目つきを見せつけられたら、後ずさりしてもおかしくない。
だが、ここは前に一歩進んで欲しい。
この作品を感じて欲しい。
そう思える作品だった。
これは僕の短絡的な予測にすぎないが、
藤井監督は今後日本映画を背負っていく存在になるんじゃないか。
「新聞記者」とジャンルは違うが、
映画に最も重要な緊張感を両作とも巧みに引き出している。
それは迫力ある暴力シーンも落ち着いた食事のシーンも、
いい緊張感を醸し出している。
そして時代の描き方も上手い。
本作では1999年、2005年、2019年を繋ぐドラマだが、その時代の特徴が絶妙。
携帯電話は一つの分かりやすさの象徴だが、
ヤクザの価値が変化する流れはもの悲しさと共に街の景観さえも訴えかける。
プリウスが残酷に感じたのも僕だけではないはず。
煙突だけが変わらない。
そして、SNSの存在は今や特殊社会も凌駕する。
先日の「ミセス・ノイズイ」でも同様だが、一般人の何気ない行動が全てを破壊する。
藤井監督は一体何を言わんとするのか。
褒められない世界を美しく魅せ、平凡な世界を醜悪な世界へと導く。
なぜ僕は人を殺すシーンで、ジーンとしてしまうのか。
おかしいじゃないか。
本作は136分。
最近の映画では上映時間が長い。
しかし、その長さを感じることも、退屈することもない。
ヤクザ映画のイメージを外して観て欲しい。
それにしても隣町出身の綾野剛は「日本で一番悪い奴ら」といい、
「そこのみにて光輝く」といい、ろくでなしを演じさせたら右に出る者がいない。
そこだけでも観る価値があるかもしれない。