電通とリクルート (新潮新書) (2010/12) 山本 直人 |
巷で話題になっており、気になって手に取った一冊。
大げさに言えば、名大社は広告代理店として電通的な要素を持っており、また、メディアとしてリクルート的な要素を持っている会社である。そんな意味でも大いに刺激を受けた。
高度成長期において広告の「拡声と伝達」機能が消費の拡大に寄与し、それを牽引してきたのが電通であるという。マスメディアを駆使し、その商品の価値を変換させる発散志向広告として広告全体をリードしてきた。
一方で、リクルートは就職や旅行など多くの選択肢から選ぶことを目的とし、その編集スキルで巧みな検索を行い業界をリードする「収束志向広告」で成長してきた。
著書の中にも、電通に代表される発散志向広告が、「買う人の納得」を追及する一方で、リクルートの手がけた収束志向広告は「稼ぐ人の納得」を掘り下げようとしたと書かれている。
なるほどと納得させられる。
しかし、広告という手段を各々違う手法で展開し、ユーザーの関心を引き付けてきた両社だが、インターネットの出現と消費行動の変化でこれまでのビジネスモデルも変換してきたようだ。
広告が意味を書き換えていた時代は、その作り手が意味を教えていた時代ともいえるが、今は、モノの意味は人々が決めていく。本来、広告の持っていた創造された感性やストーリーは失われてしまったようである。
著者の山本氏は博報堂の出身で制作面では電通と競合し、人事の仕事ではリクルートと一緒に業務を行った方である。
両社の特徴を明確に分析し比較しながら、最終的には広告論として繰り広げられているといってもいいのではないか。
そして、今後、この両社が、また業界の末端である我々が広告という情報とどのように向き合っていくかが書かれている。
もしかしたら、この先に広告という名称は全く別のものとして取って代わるのかもしれない。広告と情報との垣根がなくなり、全てが広告であり、全てが情報という時代が来るのかもしれない。
「情報は未来を約束しない」
この言葉に多くの意味が隠されているようでならない。