98年は下半期に入り、大幅な人事異動があった。
とはいえ小さな組織。
営業部門内での人の移動があっただけのこと。
それまで組んでいたTが新たにデスクとなり僕のチームから離れた。
大阪からやってきたHは退職し大阪に戻った。
僕のチームは今や派遣会社の社長を任され、
僕から日本一めんどくさい女と呼ばれるMと元々部下だった女子I。
そして現在、副社長の高井のチーム構成。
高井と組むのは初めてで、それまで深く話したこともなかった。
当時、チームや会社の飲み会は「焼肉屋さかい」さんを使うことが多かった。
僕の大きなクライアントで出稿額も大きかったが、その分、金券も多く購入していた。
会社としても個人としても・・・。
「また、焼肉屋さかいですか?」
高井もそんなことを言っていたんじゃないかな。
新チーム構成で間もない頃、予定していた飲み会で女子二人が体調不良。
その時、初めて高井と二人で飲んだ。
話は覚えてないが、日記には”変わっているが面白いヤツ”と書かれている。
いずれこのブログにも登場するだろうね(笑)。
その後、ちょくちょく2人で飲むようになった。
この頃のチーム編成はいろんな問題があった。
それは後から気づいたが、社内はゴタゴタを抱えていた。
さすがにその内容を披露できない。
僕は当事者ではなかったが何故か巻き込まれていた。
この頃からかな、面倒な問題に巻き込まれるようになったのは(苦笑)。
会社に不信感を持ったのもこの時期。
今思えば会社の判断は間違っていないが、必要以上にドラスティック。
だから余計に会社に対して迷いを持っていた。
ちょうどそんな時。
11月下旬、中日新聞を読んでいたらある求人広告が目に入ってきた。
当時、もっとも勢いのある人材会社が名古屋支社を開設し、そのメンバーを募集するという。
イケメンU氏が牽引する会社だった。
これまで転職活動は一度もしたことがなかった。
32歳。
年齢的にもギリギリだと思ったのかもしれない。
会社説明会に参加し、選考を受けることにした。
僕が求めること、やりたいことができそうだった。
書類選考後、一次面接は名古屋支社長。
1時間ほど面接し、どちらかといえば面談し、最終面接は副社長。
その時に言われたことは今でも記憶に残っている。
「山田さん、貯金はありますか?」
「はい、ある程度は・・・」
「今、いい年収ですよね。間違いなく下がりますから・・・」
そんな会話。
こちらの覚悟を窺っていたのだろう。
その98年の年末は家族で温泉旅行に出掛けた。
露天風呂で夕日を眺め、1歳半の娘にお酒を注いでもらいながら考えていた。
「来年は大きく環境が変わるなあ~」
続く・・・。