続・大人の流儀 (2011/12/12) 伊集院 静 |
前作に引き続きブログに書くのはいかにも知恵も工夫もなく、自分の知識の狭さを披露するようなものだが致し方ない。いいと感じたものは素直に表現すればよい。
本作は東日本大震災前後の作品が多く、著者の気持ちの葛藤が正直に表現されている。それは政府への憤りであり、周辺の方への愛情や配慮であり、大人としての振る舞い方としてだ。
大きな権力に迎合することもなく、自分の未熟さを否定することもない。全てが正直と思えるのだ。いくら酔っぱらってホテルのフロアで寝ようとも、本当に大人として必要な礼儀、情、気配りは忘れることがない。大人の男だ。
だからこそ、周りの関係者をいくら巻き込んでも愛される存在なのであろう。僕は単純に憧れる。あり得ない話だが、飲みに誘って頂きたいと思ってしまう。
本書を読んで、昨夏、仙台を訪れた時を思い出した。津波ですべて押し流された街の光景を・・・。放っておけば記憶は徐々に薄れていく。それはやむ得ないことではあるが、時にこのような文章を読み記憶を手繰り寄せなければならない。
震災の当日を描いた文章の中で、伊集院氏はこう語る。
「私は被災者ではない。被災者というのは孤立しても生きようとして懸命になっている人。不幸にも生を絶たれた者と、その家族、友人のことを言う。」
重い言葉である。
どんな映像を見ようと、間接的な話を聞こうと、自分たちは被災者の方の辛さを理解することはできないのだ。
それを改めて教えて頂いた。
と同時に思う。
来週は東京。銀座に行けるのかなと・・・。
それがどうした。