「ドライブ・マイ・カー」でアカデミー国際長編映画賞を受賞した
濱口監督作品となればもっと話題になっていい。
しかし、思ったほどではない。

公開される映画館も時期もまばら。
4月公開作品だが、僕は7月に近所の映画館で鑑賞。
気づかなければスルーしていた。

では、公開時から駄作扱いか。
そうではない。
本作はベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。
ヨーロッパの映画祭は派手ではなく難解な作品が選ばれる傾向もあり、
そのあたりも話題性の低い理由かもしれない。

映画を観て思った。
本作に話題性を持たせ広げるのは容易ではない。
誰しもが感動する映画ではない。
前作「ドライブ・マイ・カー」も娯楽作品ではなかったが、流れる感覚が心地よかった。

本作も流れる感覚はついて回る。
それが濱口監督の持ち味かもしれない。
ただ流れ方は大いに異なる。

心地いいと感じるかは人次第。
テーマも人によって捉え方は違う。
田舎に住む住民と都会からの新参者の価値観の違いとも受け取れるが、
もっと壮大な神や宇宙をテーマにしたとも受け取れる。

一般的には自然との共存共栄だろうが、考えてもよく分からない。
幼稚な僕は主人公の親子は人ではなく動物の生まれ変わりかと思ってしまう。
それは言い過ぎか(笑)。

前半は静かに時間は流れる。
表現を替えれば退屈な時間が流れる。
ロングショットの長回しが多用され、人の生活の覗き込む感覚に襲われる。

それがある時を境に時間の流れは早くなる。
退屈な時間はそのための伏線なのか。
ゆっくりと過ごす田舎者と時間に追われる都会人との視点の違い。

AmazonのCMにも登場する自然に興味のない社長や口だけのイケメンコンサルが象徴的。
(名前が分からず、すみません)
あれが今の時代を表しているともいえる。

客観的にみれば観客は田舎側に賛同するが、果たして自分はどっちなのか。
あんな風になりたくない社長やコンサルだったりして。
どっちつかずの状態が本作では最悪の存在になる。

上辺だけを理解しても何の意味をなさないと感じさせる。
それがラストシーンということか。
これも受け止め方によるな。
解釈はさまざま。

いえることはここに悪は存在しないということ。
いや、そうじゃない。
全てが悪かもしれない。

そこは本作を観て確認してもらいたい。